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映画で街づくりを!大切なのは信頼を得るビジネスプラン

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京都における撮影の中心地「太秦」に本社を置く映画制作会社「Studio-884」はかつて「神様」と称された録音技師の林 土太郎(はやし つちたろう)さんが立ち上げた会社です。林土太郎さんと言えば、昭和の映画全盛期に活躍し、黒澤明監督の『羅生門』や若山富三郎主演の映画『子連れ狼』シリーズなど数々の名作の録音技術を担当されました。その会社を引き継いだのが現在、32歳の瀧川 元気(たきがわ げんき)社長。会社を承継されたいきさつや、今後のビジョンについて瀧川さんにお伺いしました。

映画はまさに、家族の「温もり」

瀧川さんにとって、映画との出会いについて教えてください。

映画との出会いは小学生の時です。祖父が亡くなり、迎えた正月が喪中で初詣に行けず、家族全員で3日間とも映画館に行ったんです。その時、映画の作品ではなく、家族が一緒になって楽しめる映画そのものに魅了されました。父はいつも忙しい人だったので、一緒に遊んだ経験も少なく、映画に家族を結びつける「温もり」を感じたのです。それ以降、両親から「どこに連れて行って欲しい?」と聞かれる度に、迷わずに「映画」と答えたものです。
時は過ぎ、学生時代は野球に打ち込み、プロ野球選手を夢見ました。しかし、大学卒業前に怪我をして夢を断念。関東での大学生活はまさに挫折そのものでした。しかし、そんな時も支えとなったのが映画だったのです。
大学を中退し、地元の大阪に戻ってきた僕に家族は「映画が好きなら、映画の国に行って、映画ビジネスのリアルを学んでこい。」とロサンゼルスへの留学を勧めてくれました。そして19歳の時に渡米。その時に出会った仲間たちと夢を語り合い、いつか「ルーカスやスピルバーグのようなプロデューサーとしても有能な映画監督になりたい」と心に決め、帰国後、立命館大学に新設された映像学部への進学を決めたのが、この道の始まりです。

学生時代から積極的に現場へ参加

「Studio-884」を承継するまでの流れを教えてください。

立命館大学で、僕にとって人生を変える出会いがありました。それが映画学科の教授をされていた録音技師の林 基継(はやし もとつぐ)さんです。「Studio-884」はその基継さんの父、土太郎さんが、大映映画の封鎖後、当時の仲間を集めてつくった独立系プロダクションでした。土太郎さんと言えば、映画業界で名をはせた超有名な録音技師でしたから、プロダクションを設立後も数多くのの映画作品に携わられました。そして、2代目の林基継さんになってから、若手育成に力を入れ始め、立命館大学に教えに来られていたのです。
この基継さんのお陰で、僕は山田 洋次 監督や三池 崇史監督などそうそうたる映画監督の制作現場に参加させていただきました。僕が大学を卒業して、プロデューサーや監督として仕事を受託する際にも、基継さんのご好意で「Studio-884」を使わせていただき、また東京でのプロダクション業務においては事務所を作っていただき、支えていただきました。そして、2015年7月に林 土太郎さんがお亡くなりになり、その一ヶ月後になんと基継さんも亡くなってしまいました。その後釜として白羽の矢が立ったのが僕だったのです。悩みましたが、僕が継承することで今まで出会った方々の縁を断ち切ることなく、つながり続けることができると、先輩方にもサポートいただき、代表となり「Studio-884」を受け継ぐことを決めました。

さまざまな作品づくりが今に生きている

いろんな縁が結びついて、今に至るのですね。今、会社を運営する上で大切にされていることは何でしょうか?

大学4年生の時に三池崇史監督のもとで初めて助監督を担当したのですが、当時は映画、CM、ミュージックビデオ、それぞれの制作者が他のジャンルを卑下しているように思え、自分はそうではなく、すべてをこなせる制作者になりたいと考えていました。そして、三池監督のもとで修行した後、映画・CM・ミュージックビデオ・企業VP・観光ビデオなどのさまざまな映像制作に挑戦しました。この経験が大きなターニングポイントになったと思います。今でも、映画会社でありながらあらゆる映像制作を受託していますし、それだけに収まらずラジオ番組で自分がパーソナリティーとなり、さまざまなジャンルのゲストを呼んだりできるのも、今までの経験のおかげだと思っています。

現在の事業内容で特徴的なものを教えてください。

映像制作の中でも特に力を入れて進めているのが、地域創生に関わる映画制作です。日本三大銘醸地の1つとして知られる広島県東広島市・西条を舞台にした映画『恋のしずく』もその1つです。街おこし映画というのは全国各地でよくありますが、その多くが将来的な収益にひも付いていないんです。僕はそうではなく、映画を見ていただいた先に観光客となって街を訪問して宿泊していただく。ご飯も食べて、またリピーターになって、気に入れば移住してもらう。観光消費額が上がると税収も上がるし、移住者が増えて子供が増えると教育機関や医療機関が増え、街が豊かになっていく。つまり、「映画をきっかけに街づくりをしよう」ということなんです。もちろん、僕ら制作者にとっても利益を生まないと意味がないですし、あらゆる具体的なビジョンに基づき、映画づくりを行なっています。

地方創生ムービーづくりにおいて一番大変なことは資金集めですか?

いいえ。もちろん資金集めも大変ですが、何よりも最初の仲間づくりが大変なんです。何のゆかりもない僕らがその土地で映画を作るためには地域に信頼を得ないといけません。そのためには先ほど話したようなしっかりとしたビジネスモデルと、リクープ※1の実現力がないといけません。有名芸能人が出演するから大丈夫とか、面白い台本だから売れるとか、そういうあいまいさではダメなんです。僕らは映画だけではなく、その先にあるインフラや宿泊、飲食など間接的な経済効果までを想定して提案します。まずは国や県、市町村から信頼を得て後援いただき、地元企業からスポンサーを募り、資金集めを進めていきます。最初の仲間集めがうまくいくと資金集めもスムーズに展開できるようになるのです。

※1 損失などを取り戻すことや費用(資金)を回収すること

日本と世界をつなぎ、相乗効果で地方創生を目指す

ラジオ番組制作も行う社内の専用スタジオ

将来的なビジョンについて教えてください。

今、日本の地方と海外の地方とつなぐ映画の制作を進めています。それは我々の活動を知った海外の方からコラボをしたいという話をいただいたことがきっかけでした。場所は人口約5600人の小さな街、イタリア、トスカーナ地方のモンタルチーノ。モンタルチーノはワインの街として知られていますが、生産量が少なく、ほとんどが国内消費で終わっています。しかし、モンタルチーノには、世界の注目すべき5人のワイン生産者の一人にあげられているコルデラさんという世界最高峰ランクの称号を持っている女性生産者がいて、そのワインの質はとても素晴らしいものです。最近、コルデラさんの農園に事務所を構えることになりました。それは現在、大阪で進めている「奥河内ムービー・プロジェクト」において、河内長野市を中心とした人口減少が進む地域とモンタルチーノとコラボした「グロカールフィルム※2」の制作を進めているからです。この作品が国際交流の起点となって交換留学生など文化が混じり合うことで、それぞれの地域の成長につながればいいし、この映画をきっかけにビジネス展開ができると思っています。このようなグローカルフィルムを新事業として、今後展開していきたいと思っています。

※2 グローバル(global)な視点で、ローカル( local)の発展を目指す映画

それでは最後に、若いクリエイターに一言、お願いします。

僕が三池崇史監督の作品に参加していた頃、三池監督から「今回、お前って意味あったか?」とよく言われたんです。そして、ある日、「自分がここをやったから映画が成立したと自信を持てるくらいの爪あとを残せ。それで失敗したら俺があやまってやる。」と、そうそうたるキャストと大勢のエキストラが入り乱れるシーンを仕切らせていただきました。俳優陣からも「オレらにビビらず、作品作りに力を注げ!」と喝をいただいて、震えながらやったことを覚えています。それが今でも心の中にあって、大切にしていることです。つまり枠組みを作らずに、自分なりの爪あとをしっかり残して、最後までやりきる、作品作りにはそういう覚悟と思いが大切なんじゃないかと思います。

取材日:2018年11月21日 ライター:大垣 知哉

有限会社スタジオ−884

  • 代表者名:代表取締役 瀧川元気
  • 設立年月:1995年
  • 資本金:300万円
  • 事業内容:映画・テレビドラマの企画、制作 CM PV VP のプロダクション業務
  • 所在地:
  • 京都本社 〒616-8184 京都府京都市右京区太秦中筋町20-1 ダイヤビル3F
  •      TEL/FAX:075-864-1553
  • 東京事務所 〒151-0071 東京都渋谷区本町3-27-10
  •       TEL/FAX:075-864-1553
  • 滋賀事務所 〒525-0028 滋賀県草津市上笠2-15-10
  • URL:http:// studio-884.com

非常識を、論理的に。

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建築業界に特化したホームページ制作を手がけ、これまでに1,000社もの制作実績を積み上げてきた株式会社アババイ。「仲間と一緒に大きなことを企むことが好き」と話し、一癖あるコンテンツで世の話題を集めるマーケティング施作を得意とする同社代表の山本晋(やまもと すすむ)氏に、起業までのストーリーや他社にはない強み、マーケティング戦略、若いクリエイターへのアドバイスなどを伺いました。

会社の倒産を機に、7人の部下と共に起業する。

社会に出てから起業までのストーリーを教えてください。

僕の学歴は中卒なんです。ラグビーで活躍していたのですが腰を痛めてしまい、地元の志摩で土木関係の仕事に就きました。しかし、土木や漁師など肉体労働の仕事しかない地元でずっと暮らしていくのは難しいと感じ、19歳で名古屋に出ることにしました。

名古屋ではIT関連の営業会社に入りました。まるで軍隊のような会社でしたが、自分はイケイケの営業というわけではなく戦略的に“楽をして”売り上げを立てるタイプ。その戦略が見事にはまり、3年ほどで多くの部下を抱えるブロック長になっていました。その後、別のIT企業から引き抜きのオファーがあり、インターネット関連の事業部長として新規事業を複数立ち上げました。

その中の事業のひとつが御社の前身となったのでしょうか?

そうではなく、2006年のITバブル崩壊時期の影響を受けて会社自体が倒産してしまったんです。取締役ではなかったのですが会社のナンバー4くらいのポジションだったので、正直堪えました。業界の別の会社から誘いはあったのですが、ITはもういいかなと感じてお断りしました。

そこから、起業に至った経緯を教えていただけますか?

自分に来た誘いは断っていたのですが、僕には仕事を失った多くの部下がいました。その中の7名を集め、起業することにしたのです。当時は26歳。会社としてやることも決まっていなかったのですが、貸してくれる金融機関から合計300万円を借りて資本金250万円でアババイをスタートしました。実はちょうどその頃に結婚したのですが、起業後の半年間は自分の給料はゼロだったんです。

圧倒的な差別化戦略とマーケティング力で勝ち続ける。

御社が手がけてきたビジネスについて教えてください。

起業してしばらくして、取引先から「ソフトバンクの代理店をしてみないか?」という打診を受けました。そして携帯電話や通信インフラを販売し、稼いでいきました。その一方で、今後のインターネット時代を見据えてホームページ制作の事業もスタートさせました。

ソフトバンクの代理業は絶好調だったのですが、今度はリーマンショックの煽りをうけてインセンティブが減るという事態になってしまいました。そこからホームページ制作に絞って事業を進め、紆余曲折ありますが現在に至っています。

御社の現在の状況と強みを教えていただけますか?

建築業界をメインに、これまで1000社以上のホームページを制作してきました。また、得意とする「おもしろブランディング」の提案によるマーケティング施作を展開しています。たとえば名古屋市の生鮮スーパー「サンエース」さまの事例(https://ababai.co.jp/case/case4666/)ではホームページに使用したキャッチフレーズと写真がSNSを中心に大きく拡散されましたし、お笑いコンビ「バイきんぐ」の西村氏を起用したアババイの広告動画「熱海で不倫に失敗した建築会社社長(https://youtu.be/D_v1WyDROh4)」では、数億規模の広告効果を叩き出すことに成功しました。

アババイの強みは、ひとつは建築業界に特化していること。そのためノウハウと情報の集積が他社とは圧倒的に違いますし、「デザイン工務店」(クロスメディア・パブリッシング)という書籍まで発刊しています。また、マーケティング戦略にとことんこだわっているため、高い効果を生みだせるという自信を持っています。アババイのホームページを見てもらうとわかるのですが、ただおもしろく作っているわけではなく、他社との差別化のためにあえてユニークに振り切った構成としてます。

「アババイ」という社名の由来も教えてください。

「アババイ」とは、地元志摩の方言で「まぶしい」という意味です。学生の頃、毎朝バスに乗って海を眺めていたのですが、海面が朝日を浴びてキラキラと輝きだすと「あばばいねぇ」と言ってカーテンを閉めていた風景がとても印象的だったのでそう名付けました。ロゴマークも太陽と海ときらめく光をモチーフにしています。また、SEO対策として「A」から始める社名のほうが強いというウェブマーケティング上の理由も考慮して名付けています。

稼いだお金は、社員のみんなが楽しくなることに使う。

山本社長が仕事で心がけていることを教えてください。

「組織を作る」ということに重きを置いています。アババイには、個性的な、別の言い方をするとどこかが欠落した人間が数多く在籍しています。そのような個性的な人材が「やめたくない!」と感じる組織にしたいと日々考えています。バランスの良いフラットな組織などは求めていませんし、他人があまり触れないような話題にも僕が率先して切り込んでいきます。信頼し合うためには、互いの自己開示がとても重要だと考えているためです。

御社の今後の展望についてお聞かせください。

僕はビジョン型ではなく感性型の人間。だから、ビジョンなどを掲げるのは好きではありません。今は優秀な人材が集まる大企業でもすぐに傾いてしまう時代なので「俺たちがそんなこと考えてもしょうがないよね」という思いもあります。それよりも大切なのは、たえず変化に対応していくことだと思います。ただ、2014年に改装した本社オフィスも手狭になってきたので、2020年頃には移転をしたいと考えています。今後も稼いだお金を社員のみんなが楽しくなることに使っていきたいですね。

最後に、世のクリエイターにアドバイスをお願いします。

世のクリエイターを見てよく感じるのは「独りよがりだな」ということ。アババイの制作スタッフやデザイナーにもよく言っているのですが「誰に向けてのデザインで」「何を強調させるべきで」「これで何を伝えるのか?」という意識をしっかりと持つことを心がけてください。この世界でアーティストとして生きていけるのはわずかで、ほとんどが商用クリエイターだと思います。そこを理解して作っているかがすごく大切で、「かっこいいと思うもの」ではなく「売れるもの」を作るべきです。また、何かを「かっこいい」と感じた時に「なぜ惹かれたのか?」の部分をしっかりと考え、論理を入れていくのが重要だと思います。

取材日:2018年11月30日

株式会社アババイ

  • 代表者名:代表取締役 山本 晋
  • 設立年月:2006年5月
  • 資本金:777万円
  • 事業内容:Webマーケティング事業/デザイン事業/CM・動画制作/広告代理業
  • 所在地:
    【名古屋本社】〒460-0012 愛知県名古屋市中区千代田1-10-12 ネスパルド千代田2F
    【広島支社】〒730-0048 広島県広島市中区竹屋町1-17 iMビル4F
    【沖縄支社】〒901-0311 沖縄県糸満市字武富228番地C
    【東京オフィス】〒130-0005 東京都墨田区東駒形4丁目6番地9 リバハイツワコー301
  • 電話:052-684-4370
  • URL:https://ababai.co.jp
  • お問い合わせ:0120-388-801

「夢中になる」パワーを原点に、驚きや感動を世界へ発信

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グラフィックデザイン、Web、映像、イルミネーション演出ほか、映像製作や照明技術を融合し展開する“次世代型プロジェクションマッピング”など、幅広い事業を展開中の株式会社ソルメディエージ。職種の枠にとらわれることなく、幅広い分野で活躍するスペシャリストが常駐しています。社名の由来である、SOLUTION(解明)+ MEDIA(媒体)+ AGE(時代)という3つのキーワードを核に、日々新しい可能性を創造&提案。新潟を拠点にワールドワイドな活動と挑戦を続ける、代表取締役、丸山健太さんにさまざまなお話をお聞きしました。

まずはチャレンジ!次に「楽しい」を深めていく

会社立ち上げのきっかけを教えてください。

発端は大学時代まで遡るのですが…。当時クラブのDJだったこと、Macでフライヤーを制作していたこと、またDJの音楽に合わせて映像を表現する「VJ」も担当するようになったことから、音楽・紙・映像などさまざまなメディアを操る楽しさを知りました。
大学卒業後は、東京の照明会社に就職。エンターテインメント関連など、好きな分野の仕事を担当させてもらっていたにも関わらず、わずか2年弱で新潟県三条市にUターン。一言で表すなら「挫折した」ということ。仕事にも自分にも。

その後すぐ立ち上げ、というわけではないのですね?

最初は自宅でアルバイト感覚の制作をしていましたが、仲間の2人が加わって、新潟市で仕事をしようという流れに。つきあいのある会社と事務所をシェアしていましたが、半分の家賃を捻出するのに精一杯という状況でした。
その後、徐々に仕事の依頼が安定し、2003年創業。その2年後に正式に設立しましたが、イベント事業を始めとした事業の多様化・拡大の中、個人事業としての限界を感じて法人化したという経緯です。

設立当初はどんな想いでしたか?

“起業しよう”と始まった集団ではなく、「クリエイティブチームとしてもっと楽しいこと・面白いことがしたい」という気持ちの延長線上。その想いは今も変わっていません。他人がやっていないことに取り組んで、自分たちが夢中になることを追求する。
だから昔から「NO(できない)は言わない」というポリシーもあります。「やってみよう」という意欲がすべて現在のサービスに結びついていると感じますね。

光と映像の仕事から、再び縁がつながって…

媒体を問わず幅広いクリエイティブ活動を行っている印象ですが?

確かにそうですね。グラフィック・Web・映像・音楽…これらはすでに境界がなく、複合することで新たな価値を提案できる時代だと思っています。弊社は、プロデューサー、ディレクター、プランナー、デザイナー、プログラマーなど多彩なスペシャリストがいますが、職種の枠を超えて広い視野でものづくりをします。制作だけではなく、プランニングとサポート力も弊社の強みかもしれません。

その中でも特に力を入れているジャンルは?

「エンターテインメント関連」でしょうか。近年ようやく一般に浸透しつつありますが、イルミネーションやプロジェクションマッピングをはじめとした体感できるジャンルです。
弊社は、マッピング黎明期以前から事業のひとつに取り入れ、各地で展開してきました。新潟においては、市や県のイベントを彩る目玉として採用していただいたことから、さまざまな波及効果があったと思います。 マッピングで重要な「光」「映像」を扱う際、新卒から約2年お世話になった東京の照明会社を訪ねてノウハウを伝授していただいたんです。

退職してからもおつきあいがあったのですか?

いえいえ。このとき、辞めてから初めて連絡を取らせてもらいました。法人成りを機に、ドキドキしながら年賀状を送ったことを今でも憶えています。
ライトアップやイルミネーション、またプロジェクションマッピングの事業に取り組む中で、より一層最先端の技術やテクノロジーに影響を受けましたし、現在も東京支社の活動の中で大変お世話になっていて本当にありがたいです。

会社運営の心掛けや仕事のこだわりはありますか?

設立の想いと重なるかもしれませんが「チャレンジ精神を失わない」ということですね。数字や効率も無視できないものではありますが、クリエイターとして「妥協しない姿勢」つまり信念のようなものは、ずっと持ち続けていたいと思います。それはスタッフに対しても同じです。
経営者としては、一人ひとりがのびのび働くことができる環境づくり、失敗を恐れず進行できる前向きなチームづくりを目指しています。

経験に基づいた「感覚」が大切。より強く大きな人間に。

御社に在籍する7名のプロ集団の魅力はどこにあるとお考えですか?

「夢中になれる」ことだと思います。
「夢中」は努力を超える圧倒的なパワーがある。その力を原点に仕事をするからこそ良いものができる。楽しんで夢中になった結果が、クライアントの驚きやエンドユーザーの感動になる。その反応がまた素晴らしいモチベーションとなっていると感じます。あとは一人一人の人間性と個性。これが一番ですね。

今後、どのような会社にしたいと思われますか?

これからも変わらず「楽しそうに仕事をしている会社」でありたいです。
今は情報量が膨大で、連絡や作業も随分スムーズになりました。しかし肝心の経験、リアルな実感が不足しているように思います。もっと広い世界を見る機会をスタッフに与えていくことが代表としての使命。海外の仕事にもどんどん挑戦して、さらに楽しく、さらに強く大きく成長してくれることを願っています。

昔から変わらないもののお話がありましたが、逆に「変わったもの」はありますか?

私は現在41才。30代の頃に比べると「スタッフを信じて任せる」ことができるようになったと思います(以前は、逐一チェックを欠かさなかったような…)。
周りからはよく「ゲームに没頭する少年のようだ」などと揶揄されますが、人並みに心が折れて、負けそうになる時ももちろんありますよ。でも適度な「ゆとり」というか、良い意味で気楽にやることも必要かなと。バランスを保っていけるようになった、これが一番の変化かもしれません。

クリエイター志望の方、現在活躍中の方へメッセージをお願いします。

モノを作るということに終始すると、つい視野が狭くなりがち。趣味を広げてリフレッシュしながら、心地良い刺激を与えることを忘れずに。広い世界を見て物事を知る、自分に投資する、「遊び」の要素を取り入れることも重要ですよ!
私自身も一生プレイヤーでいたいと思っています。
ぜひ、みんなで「夢中」を追い続けましょう!!

取材日:2018年12月11日 ライター:本望 典子

株式会社ソルメディエージ

  • 代表者名:代表取締役 丸山健太
  • 設立年月:2005年3月(創立 2003年10月)
  • 資本金:1,000万円
  • 事業内容:デザイン全般(映像/Web/グラフィック/イベント/空間設計)
  • 所在地:本社 〒950-0905 新潟県新潟市中央区天神尾1-2-27
           TEL:025-290-5674 FAX:025-290-5675
        支店 〒150-0021 東京都渋谷区恵比寿西2-1-8 高岡ビル5F
           TEL:03-6823-5474
  • URL:https://www.solu-mediage.com/

外資系広告会社と海外起業の経験を生かしクライアント視点で成果を上げる

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外資系の大手広告会社でキャリアをスタートして、アメリカで起業。40代半ばで地元の福岡に戻った三浦秀次郎さんが、2008年に設立した株式会社トレジャーハント。誰もが知っている有名企業からスタートアップまでさまざまな業種のクライアントを擁し、主にデジタル分野で成果を上げるためのマーケティング戦略をサポートしています。同社を象徴するキーワードは「PDCA」と「誠実さ」。三浦さんにこれまでのキャリアから会社の強み、今後の展望までじっくり伺いました。

大手広告会社、米国での起業を経て、地元福岡へ

三浦さんのキャリアを教えてください。

私は福岡市で生まれ育ち、西南学院大学の文学部英語専攻に進学しました。卒業後は学んだ英語を生かしたいと思い、外資系の広告会社マッキャンエリクソンに入社。ちょっとアメリカ好きが高じまして(笑)。東京で、アカウントディレクターとして18年ほど勤務しました。いろいろなブランドを担当した中で、一番長かったのはケンタッキーフライドチキンさん。14年半にわたって、お世話になりました。300店舗から1000店舗になる過程で、2部上場もされて、広告や広報、マーケティングまで、ありとあらゆる分野を担当させていただきました。クライアントが成長される中で、KFCだけではなく、その後ピザハットブランドもサポートさせていただき、併せて17年以上、自分自身も楽しく勉強させていただき、そのときの経験が今のベースになっていると思います。

18年勤務して、なぜ退職されたのですか?

いずれは福岡に帰ろうという思いがあり、40歳で退職しました。ただ、もともと行きたかったアメリカで新しい経験やネットワークを作って福岡に戻ったほうが、その後のビジネスにもいいだろうと考え、渡米を決意しました。まずは大学で1年学び、日系の広告会社に就職して、そこの社長さんと一緒にグラフィック系の広告を扱う会社を立ち上げることに。多様な国のスタッフたちと働いて、アメリカでトータル4年過ごした後、福岡に戻りました。父親の体調が思わしくなかったからです。
福岡のウェブコンサルティング会社に入って2年ほど働いているとき、マッキャン時代にお世話になった先輩と「オンライン・オフラインを問わず、クライアント視点で成果を上げるために、マーケティングの戦略を実行していく会社を作ろう」と話が盛り上がり、2008年に私が代表となり株式会社トレジャーハントを設立しました。

オンライン・オフラインを問わないというのがポイントでしょうか。

そうなんです、クライアントの視点に立てば、オンラインかオフラインかは関係ない。垣根をなくし、トータルでサポートして成果を上げたいと考えたのです。

マーケティングでPDCAを回し、成果を上げる

現在の事業内容について教えてください。

今「何の会社ですか?」と聞かれたら、「デジタルマーケティングエージェンシー」と答えています。クライアントの成果視点で、クライアントと共にPDCAを回していく、デジタルマーケティングのパートナーです。この11年、当社に営業スタッフはいなくて、基本的にはご紹介で仕事が続いています。設立当初からオン・オフを問わずに仕事をしてきましたが、デジタルの波は大きく、最近ご紹介いただくクライアントはほぼデジタル系の課題を抱えています。
クライアントは大手企業からスタートアップ、行政まで、業種もプロ野球やプロレス、アニメ、化粧品、健康食品など幅広く、B to BとB to Cがあります。エリアとしては福岡から東京、京都、大阪、佐賀、鹿児島、北海道など。海外からの案件もあり、アメリカ本社で⾹港にAPACのヘッドクオーターがある会社が⽇本で展⽰会出展や広告をされるときのサポートを行ったりもしています。

御社の強みはどこにあるのでしょうか。

2つあると思います。ひとつは、ブランディングとデジタルマーケティングを融合して、クライアントの成果拡大のための戦略サポート全般を行っているところです。デジタルマーケティングを大きく分けると、集客戦略、集客した後のコンバージョン転換戦略(サイト上のアクションをどう高めるか、B to Bなら問い合わせをどう増やすか、eコマースならウェブサイトの売上をどう増やすかなど)、CRM戦略(顧客の情報を管理し、営業戦略にどう活用するか)の3分野があり、いずれかを専業でやっている会社が多い。当社は全てをカバーし、成果視点で必要な戦略を組み合わせて実行できるところが特徴ですね。
もうひとつは、その全てにおいてPDCAを回していることです。PDCAを回すというのは、Plan→Do→Check→Actionの4段階を繰り返すことによって、より効果的な方法を追求していく手法です。マッキャンに在籍していたとき、デジタルマーケティングはまだ一般的ではなく、マスマーケティングでPDCAを回すことはなかなか難しい状況でした。それでも当時からマッキャンでは結果を見るために電話・対面・FAX調査などを⾏い、数字をもとにPDCAを回していました。

外資系は、数字や結果にこだわりそうな印象があります。

そうなんです。クライアントのパートナー的なスタンスで、ユーザーの視点でどのように人々とコミュニケーションを取っていくかという話だからこそ、PDCAは大切だと思います。福岡に戻り、デジタルマーケティングの会社に入ったら、全てが数字で見えるのでPDCAが回しやすく、そこに楽しさを見出しました。

これまでの経験を生かされているのですね。

はい、それに私自身が海外でビジネスをしていたので、海外における広告の配信やキャンペーン展開、eコマースサイトの制作や運用もできます。最近はインバウンドが増えていて、観光業界との仕事で、各国の事情に合わせた広告配信なども対応しています。

知見のあるスペシャリストが誠実にサポート

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現在スタッフは何人いらっしゃいますか。

約10名です。幅広い仕事があるので、その都度、案件に合わせて社内外のスペシャリストでチームを組んでいます。例えば、ウェブ広告の運用や最適化、解析やSEO、マーケティング、グローバルなビジネスのプロフェッショナルなどがそろっています。クライアントが各地にいて、私自身は出張に出ていることも多いですね。

会社を設立後、一番印象に残っている仕事は。

当社はいつもクライアントサイドに立ってPDCAを回しているので、成果が上がったものはどれも印象に残っています。どれかひとつと言われれば、最初のクライアントでしょうか。音楽業界で会員確保のためにデジタルマーケティングの最適化を行ったところ、結果として目標の高いペースで会員を獲得できました。PDCAを回すためにはクライアントをはじめ多くの方々の協力が必要で、皆さんに感謝しています。

ご紹介だけで仕事を続けてこられた秘訣は何でしょう?

知⾒があることと、徹底してクライアントサイドに⽴つことでしょうか。デジタルの世界は技術などの移り変わりが激しく、クライアントが自社のサイトだけで知⾒をためて⽣かしていくことはなかなか困難かと思います。私たちのような 第三者は、いろいろな業界や会社の事例を踏まえて、クライアントの成果に結び付くようなご提案ができます。先ほどPDCAを回すというお話をしましたが、⼤⼿でコンサルタントを⼊れていらっしゃっても、クライアントさんに専門的なご経験がないと、どこまで何を計測できるのか、すべきなのかがわからないため戦略方向性が⾒いだせていないケースもあります。私たちはクライアント視点でどこまでどう計測すべきか、またそれをどう活かすべきか、クライアントと⼀緒に考えて進めています。

なるほど、その姿勢が信頼関係につながりそうですね。

そうかもしれません。きちんとPDCAを回していこうとすると、クライアントとは数年の長いお付き合いになります。PDCAは結局、数字で表れるもので、極論すればどうにでも解釈できます。当社は数字をどう読み解くかという点も含めて、いつもクライアント視点で誠実にやってきたつもりです。常に、クライアントにとってより良いサービスの質を追求していきたいと思っています。

「Fun・Fruit・4U」で自ら成長できる人と働きたい

会社の今後の展望について教えてください。

創業のときの精神に⽴ち戻って、オンラインとオフライン の垣根を越えて、サービスを強化したいと考えています。(編集部注:取材後、サービス強化のためにオフラインを主体とする企業グループとのM&Aによる統合を12月に実施)日本企業が海外展開する際のサポートなども展開していきたいです。
創業から掲げている当社のミッションステートメントは「Fun・Fruit・4U」。Funは楽しく、Fruitは成果を上げて、4U(For you)はお客様のために。仕事をしているとFunをついつい忘れがちですが、クライアントも自分たちも一緒に楽しんで成果を上げる仲間と思ってもらえるとうれしいです。
背伸びして、会社を大きくしたいという思いはあまりなく、一つ一つのクライアントを大事にして、結果として規模の拡大につながるのが一番いいと思っています。

三浦さんは一緒に働くスタッフにどんなことを求めますか。

まずは会社のミッションステートメントを共有できる人。それから、向上心と吸収力があり、自分で成長できる機会をうまく活用して、どんどん成長してくれる人がいいですね。教えられるのを待っていてはつまらないし、クライアントのサービスや商品を理解して好きになってくれる人のほうが、クライアントの視点で一緒に仕事ができますから。 長く会社にいればスキルがたまっていかないと困りますが、入社して数年はまっさらな状態でどれだけ吸収できるか、その中で自分の強みをどう構築していけるかが大切だと思います。

取材日:2018年12月18日 ライター:佐々木 恵美

株式会社トレジャーハント(SHINWA Group)

  • 代表者名:代表取締役 木村奨
         取締役社⻑ 兼 COO・クロスコミュニケーションプロデューサー 三浦秀次郎
  • 設立年月:2008年7月
  • 事業内容:マーケティングサポート、およびコンサルティング
  • 所在地:⼤名Digital Marketing Lab 〒810-0041 福岡県福岡市中央区⼤名1-4-23 ロワールマンション⼤名402
        福岡Satellite Office 〒810-0041 福岡県福岡市中央区⼤名1-9-45 藤和⼤名コープ401
        東京Satellite Office 〒150-0042 東京都渋谷区宇田川町12-3 ニュー渋谷コーポラス305
  • URL:https://www.treasurehunt.co.jp/
  • 電話:092-791-6625

金融・保険業界で得た知見とスキルにより本質をついたコンサルティングで企画からツール制作までワンストップで対応

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パーソナルよりパブリックを重視しているというのは株式会社イーストブローの佐々木利記代表取締役社長。自身の利益よりも、仕事の面白さ、また会社としてどれだけ社会に貢献することができるのかに重きを置き、現在、金融・保険業関係を中心に企業のコンサルティングから企画提案、印刷物・Webなどのツール制作に至るまでワンストップで対応しています。
高校卒業後すぐにバンド活動を始め、東京に進出するものの約10年後に解散。その後ビジネスパーソンとして様々な職場でスキルを磨き、金融業界に特化した知見を深めてきました。一見かけ離れているように見える経歴ですが、佐々木社長は「内に秘めるものは何も変わらない」と語ります。
現在、プロデューサー、ディレクターのプロ集団の会社を経営する中で、社員には「かまへんで精神」でチャレンジ精神を育み、お客様には「give(与える)精神」で信頼関係を築いていく、社名のとおりビジネスに「風」を起こし続ける佐々木社長にお話をうかがいました。

バンド活動で得た財産

これまでのキャリアについて教えてください。

30歳までブラックミュージック系のバンド活動を精力的に行っていたのですが、なかなか売れずに解散することになってしまったんです。その後、派遣社員などで様々な職場で働く中、銀行業務の管理系の職場に勤めていた時に企画書作成や色々と陣頭指揮を任されるまでになり、仕事で関係のあった大手印刷会社の金融チームの方から僕の仕事振りを見て一緒に仕事がしたいと声を掛けていただいたのです。それが独立するきっかけとなりました。

金融業界に転身し活躍されていますが、もともと関心をお持ちだったのですか?

特に無かったのですが、バンド活動ってカルチャー的なものに造詣がないとできないため、文学から経済書まであらゆる書籍を読みあさるのは当たり前にやっていましたので、提案する場面では、すぐにビジョンが浮かび上がる位の素養がたまたま形成されていました。弊社は来年で10期目になるのですが、知識や人間力はバンド時代に培ったものを切り出してやってきた気がします。今、金融関係のコンサルタントとして、お客様が発信したい何かしらのゴールに向け、それをカタチにする材料を用意して提案し推し進めていくプランニングの仕事って、自分たちにメッセージがあって、音楽に乗せて伝えていく作業と僕の中では何ら変わらないんです。

一見かけ離れているように見えても核となるものは繋がっていたんですね。起業時はどのようなお仕事をされていたのですか?

東京で2009年に設立して大手印刷会社様からの仕事で金融や保険関係のマニュアル、発行物の企画制作に携わっていました。しかし、東日本大震災の影響で仕事が一時ストップしてしまったので大阪に戻り、今までの仕事を遠隔でしつつ取引先が一極集中することに危機感を覚えたため、営業もするようになりました。様々な代理店やクライアントと仕事をするうちに、プロモーションやブランディングなどこれまでに経験したことのない仕事の要望も出てくるようになり、それらに応える内に事業内容がどんどん拡大していきました。

新しい刺激が会社の可能性を広げていく

新規の分野で壁にぶつかるようなことはなかったのですか?

僕自身が安定志向ではなく新しいことにチャレンジすることが好きなので、ノーは言わずまずはやってみようという感じです。分からなければ自分で理解できるまで調べますし、お客様のホームページ等の資料を約款も含め全てダウンロードし網羅します。また事業内容が拡大する中で、僕自身の仕事へのモチベーションのフェーズに変化があり、最初は目の前にいるお客様を喜ばせたい、そこが達成できてくると次はそのお客様の後ろにいるクライアントを喜ばせたい、今ではその先にいるエンドユーザーや社会の為に役立つのかまで考えるようになりました。自分の考えの裾野やビジネスの面白さ、難しさというのもどんどん広がってきて、仕事に追われてまともに眠れない日々もあるのですが、苦しさよりも楽しさのほうが勝っている感じです。

起業当初から事業内容も大分増えていそうですね。

そうですね。現在は、①BPコンサルティング事業部、②映像制作事業部の2事業部で構成しており、①に関しては、僕が元々していた金融関係や保険業界のセールスプロモーション・企画制作をしており、②はセールスプロモーションの中でも映像に特化していて、テレビCMや企業のVP(ビデオ・パッケージ)、YouTube用の広告動画などをシナリオ制作や俳優のキャスティングから撮影に至るまで基本的に映像に関すること全般を担っています。営業ではトップセールスに加え、コンサルティング業なども含め表に立ってお客様との折衝等をしています。弊社はディレクター、プロデューサーのプロ集団の集まりですので、デザイン・DTP等の実制作はすべて外注に出しています。営業部から弊社内のスタッフに仕事を振り分け、そのスタッフがコーディネーターとして企画編集をして、フリーランスの方やデザイン制作会社に発注し、ディレクションするといった流れです。

御社の強みを教えてください。

制作会社ではないというところです。ディレクションやプロデュースしていく側になるので、まずはお客様にとって何が良いのかを考えられる立場にいることです。本質で仕事をするという事が根底にあり、弊社の利益追求のために制作物を何でも作りましょうと提案するのではなく、お客様に必要だから作るのであって、例えお客様から制作物の依頼があったとしても、その予算を増員など別に回したほうがいいタイミングなのであれば、それをキチンとお伝えします。後は、企画からWebや印刷物などのアウトプットまでワンストップで対応していくので、単に制作するだけではなく原案を考えるところから付き合っていく会社という事で、お客様から気に入ってもらっています。先程打ち合わせしてきたお客様も、企業理念を作るところから一緒に入らせてもらっています。

仕事は何のためにやっている?

お客様にとっては心強いビジネスパートナーですね。仕事をする中で大切にされていることはありますか?

僕個人の生き方や考え方が、パーソナルよりパブリックなんです。オーナーとして会社をするとなると自身の利益を追求しがちなのですが、個人資産よりも事業で面白いことに取り組み、世の中の役に立つことや、社会が面白くなることに力を入れています。そこはバンド活動と変わらなくて、貧乏してでも良い曲を書いて届けたいという気持ちと同じです。初めから金儲けを考えて活動するバンドマンって少ないと思うんです。それよりもメッセージを届けたい、頑張っている人を応援したい、その想いと変わっていなくて、パーソナルな実益よりも皆がハッピーになることに自分がどれだけコミットできるかに興味があるんです。仕事は何のためにやっているの?って聞かれた時に、この社会に何か提案したくて会社をやっているとはっきりと言えます。バンドマンからスタートして組織人・会社員として企業に属し続けなかったのは、目の前の仕事をこなすところに、やりがいを見出して取り組むというパーソナルモチベーションがあまり感じられなかったからなんですね。それならむしろ自分で苦労してでも起業して仕事を楽しみたいと思ったんです。

今のファン(取引先)も佐々木社長の人柄に魅かれてお付き合いが長いのかもしれませんね。

普段の人間関係も同じですが、どれだけ相手にgiveできるかが大切だと思っていて、基本的にその方が信頼関係も成り立ち、会社運営も安定すると思っています。今お付き合いしている会社も社会的に面白いことをして貢献されているところばかりなんです。自社と自身の利益追求ばかりでお客様のことを考えていないところに弊社の知見やスキル、サービスを提供することはないです。

会社の強みをトリガーに新たな強みを創出

今後の展望はどのようにお考えですか?

お客様からの要望に事業部一体となってパッケージ的に提供していたことを各事業部のサービスをキチンと成立させて個別で発信していくことも考えています。コア・コンピタンス(企業の活動分野において競合他社を上回る能力)を対外的なサービスとして新たに別事業として展開するため、オフィスも増床移転しましたし、今後ますます増員していく予定です。

具体的にはどのようなビジョンをお持ちですか?

金融協業先が営業をかける際に、弊社がビジネスパートナーという事が強みになり契約が取れた仕事が増えてきています。その金融で培った信頼・ノウハウを活かしBPコンサルティング事業部では新たな攻めのサービスを現在開発中です。映像制作事業部に関しては、弊社取締役の佐藤央(ひさし)が映画監督もしていることから、企業向けのPVやCMのクオリティーが高いとお客様に評判なので、今後は企業のWeb広告やYouTubeでも、ドラマ仕立ての本格的なコンテンツとして仕上げることができる事業としても展開していく予定です。

今後事業を拡大される中でどのような人材を求められていますか?

専門性のある固定した人材登用というのはあまりしていなくて、基本的にすべてポテンシャル採用(実務経験がなくても知識や意欲を評価し採用すること)しています。スタッフ全員が日々の業務をこなしながら自分がやりたいことを見出し発展していけるような組織にしていきたいと考えています。僕は基本「かまへんで」精神なので、スタッフの意見を尊重して「それでいこうよ」て進めていきます。僕がいちいち業務命令ばかりしていると結果、従業員は何も考えずに従う人になってしまいます。任せている分何かあれば、僕がキチンとフォローに回りますので、一人一人にKPI(重要業績指数)を作って達成感とか会社や社会への貢献度を意識して仕事を楽しんでモチベーションを高く頑張ってもらいたいです。

取材日:2018年12月4日 ライター:川原珠美

株式会社イーストブロー

  • 代表者名:代表取締役 佐々木利記
  • 設立年月:2009 年4月
  • 事業内容:プロモーションプロデュース、コンサルティング業務
  • 所在地:〒530-0027 大阪府大阪市北区堂山町1-5 三共梅田ビル 7F オギャーズ梅田内
  • 電話:06-6314-6201
  • FAX:06-6314-6288
  • URL:http://www.eastblow.co.jp/#1

クライアントの良きパートナーとして共にアイデアを出し合い会社全体をデザイン

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株式会社ガーランド代表取締役の小山 裕貴(こやま ゆうき)氏に、デザイン制作だけにとどまらない企画や就労支援などの取り組みについてもお話を伺いました。

掛け持ちから独立へ。知恵を絞って会社をデザイン

現在はどのような事業を行っていますか?

「今は何をやっているの?」とよく聞かれるのですが、当社はデザイン会社です。ただし、グラフィックにしてもWebにしても、最初は「自社のホームページがイマイチうまく機能してなくて」「チラシを打ちたいのだけどどうしたらいいかな」などの相談から入ることがほとんどなので、コンサルティングがメインと言えます。デザイン制作だけピンポイントや単発で受けるということはほぼないです。集客や宣伝のための手段についてクライアントと一緒に知恵を絞り、その結果としてデザインの仕事を受注しています。お店のオープンや販促活動がスタートする何カ月も前から企画を練って動いていることがほとんどです。

ホームページではマイステイズホテル様の「Farm to Table TERRA」の事例を拝見しました。とってもオシャレなビジュアルですね

ホテル内飲食店のリニューアルを依頼された案件ですね。この時も、当初クライアントは内装リニューアルとメニュー変更程度の考えだったようですが、それではインパクトも弱く、差別化も出来ていないと思い、何かテーマを持つレストランにするのはどうかと提案させていただいたのです。アウトドアブランドで人気の高いスノーピーク様とコラボレーションしたグランピングレストランとしてリニューアルオープンしました。1年半ほど前から企画を練って、当社では内装以外のビジュアル関係全般に関わらせていただきました。狙い通り話題性も抜群で、オープンから半年経った今でも週末は予約必須の人気が続いています。

社会を良くするための国際行動目標「SDGs」

A型就労支援施設の顧問もされているとか

今はどの業界でも人材不足が大きな課題となっていますよね。A型就労支援施設※1の方々の力を活用するのは人材不足を解決する手段の一つに成り得ると思います。当社でも受注したWeb制作の業務のうちコーディングをA型就労支援施設に依頼しているものもあります。それによって予算削減と人材確保、就労支援の取り組みが同時に実現し、公益性も高い取り組みなので今後も続けていきたいと思っています。
※1 障害や難病のある方が、雇用契約を結んだ上で一定の支援がある職場で働くことができる福祉サービス

CSR的な取り組みということでしょうか?

CSRを意識して事業を考えたわけではありません。順序としては逆ですね。実はA型就労支援施設に関わるようになってから知ったのですが、今世界では「SDGs(エスディージーズ)※2」という、持続可能で多様性と包摂性のある社会の実現のための17の国際目標が掲げられています。これは2015年の国連サミットで採択され、貧困や飢餓、エネルギー、成長・雇用、生産・消費など分野に分かれて17の目標が掲げられ、日本政府や各企業でも積極的に取り組んでいます。当社のA型就労支援施設との取り組みでいうと【成長・雇用:働きがいも 経済成長も】【不平等:人や国の不平等をなくそう】【実施手段:パートナーシップで目標を実現しよう】などは当てはまる部分なのではないでしょうか。今後はこういったものも一つの指針としながら、会社の取り組みを考えていきたいと思っています。17の目標にはそれぞれイラストアイコンがあるので、実現している項目のアイコンを名刺に入れていくのも面白そうです。
※2 SDGs:2015年の国連サミットで採択された、「誰一人取り残さない」持続可能で多様性と包摂性のある社会の実現のため、2030年を年限とした17の国際目標。https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/pdf/about_sdgs_summary.pdf

動画コンテンツで北海道の魅力を世界に発信する取り組みを

御社の課題と感じている部分はありますか?

課題はやはり「人材」です。デザインの仕事はアイデアやセンスも問われる幅の広い仕事です。同じベクトルを向いて、アイデアや発想、センスを磨きながら一緒に働ける人が来てくれるといいなと常々思っています。また、北海道は東京と比べて人件費も安く、最低賃金で150円も差がありますが(※2018年12月現在)、仕事や商品のクオリティは決して低くはないと思っています。コストを抑えながら同じクオリティを提供できるのだから「全国の仕事を北海道でどんどん受注してやる!」くらいに活躍される方がもっと出てきても良いと思っています。

今後、会社として力を入れていきたいことは何ですか?

ジャンルとしては「動画」です。今の若者や子供たちは完全にテレビよりも動画の視聴時間の方が長いですよね。2020年には通信システムも4Gから5Gに移行し、通信速度も大幅にアップすると言われています。今でもすでにスマートフォンでサクサク動画が見られていますが、ゆくゆくは画像と変わらない手軽さで動画の視聴が可能になり、さまざまな分野で動画コンテンツがさらに発展していくと思います。マスメディアの需要の流れとして、私たちの世代ではラジオが廃れてテレビが主流になっていましたが、今後は動画とテレビで同じことが起こると思っています。

具体的に始まっている事業はありますか?

縁あって札幌に会社がありますので、今年の北海道胆振東部地震で離れてしまった国内外の観光客を呼び戻すことができるような動画コンテンツを作りたいと動き始めています。テレビでは連日厚真町の土砂崩れの映像が流れ、それはそれはひどい状況で北海道は危ないと思われています。北海道全体でも観光客が激減して大きな影響を受けています。もちろん厚真町や近郊の被害は大きなものでしたが、北海道全体が危険なわけではありません。北海道の正しい情報と魅力を世界に発信して、北海道に観光客や活気を呼び戻すことを会社の取り組みとして行っていきたいですね。インバウンド向けに動画に入れるテロップは就労支援施設の方々へ依頼して、北海道内での就労支援も同時に視野に入れています。

取材日:2018年12月5日 ライター:小山 佐知子

株式会社ガーランド

  • 代表者名:代表取締役 小山 裕貴
  • 設立年月:2010年4月
  • 事業内容:雑誌・新聞広告等の製作/販売促進コンサルティング/SPツール製作/ホームページの企画/制作及び運営並びに通信販売業など
  • 所在地:〒060-0042 北海道札幌市中央区大通西13丁目4-120ジェネシスビル5F
  • 電話:011-522-7801
  • FAX:011-522-7802
  • URL:http://www.garland-company.com/

感性を刺激し、人生をアップデート 新たなメディアを切り拓く

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スマートメディアの成井五久実(なるい いくみ)社長は28歳で株式会社「JION(ジオン)」を設立。1年後に3億円で株式譲渡を果たし、当時の女性起業家として、最年少・最短・最高額という快挙を成し遂げました。さらに、2018年、8媒体のウェブメディアを運営するスマートメディアの社長に就任し、その手腕に注目が集まっています。ウェブメディアが乱立する時代に、どのような戦略を描いているのでしょうか? ご自身の経歴や目標と共に、語ってもらいました。

メディアの新たな役割は感性を刺激すること

スマートメディアの事業について教えて下さい。

一言で言うと、ウェブメディアの運営会社をやっています。私が立ち上げた「JION(ジオン)」の他、「OPENERS(オウプナーズ)」「笑うメディア クレイジー」など全8媒体を運営しています。月間の流入で言うと1億5千万PVにのぼります。弊社が配信するコンテンツは、検索やSNSなど、どこかしかで目に触れる機会があると思います。

この他にも、企業がオウンドメディアを作る際のメディア代行事業や、「Clipkit(クリップキット)」というメディアを運営するシステムのプラットホームもやっています。

社長に就任して、どのような思いでしょうか?

これまでの「JION」という枠組みを超えて、色々な媒体を作っていたメンバーと力を合わせることで、挑戦できることが大幅に増えました。時代と共にメディアも改革の時を迫られていると思います。変化に遅れを取らないように、自社で積極的にやっていくつもりです。

会社が目指しているビジョンについて教えて下さい。

「Update Media, Update Human.(アップデート・メディア、アップデート・ヒューマン)」というビジョンを掲げています。20世紀のメディアの役割は正しい情報を正しく伝えることだと思います。一方で、これからの新しいメディアの役割は、人々の感性を刺激することではないかと私は思っています。

「メディアが感性を刺激する」とは、どういうことですか?

例えば、癒されたいと思ったら、「スリランカでアユルベーダを体験する」という特集記事を読むことで、新しい癒しを発見し、感性がアップデートされると思うんです。AIの進歩で、ただあったことを正しく伝える記事は、ロボットでも書けるようになってきています。じゃあ、人間の私たちは、どんな記事を提供していけばいいのか? それは、人間らしさ、感性を刺激する記事だと思います。

新たな発想ですね。

何をやるにせよ、自分の行動の意思決定をするのに、まずはネットで検索をするという時代になってきています。メディアをアップデートすることで、感性を刺激し、人生もアップデートするお手伝いをしたいと考えています。

20代での起業を目標に、逆算して行動

20代で起業すると決めていたそうですが、いつから起業を考えていたのですか?

父親が起業家だったので、元々起業に興味がありました。福島から上京して東京女子大に入学して、1年目は無茶苦茶遊んでいたんですよ。サークルを何個も掛け持ちして、そこでお酒も覚えて、絵に描いたような遊んでばかりの大学生生活を送っていました。ただ、このまま遊んでいたらすぐに大学生活が終わっちゃうなとも思い、2年生の時に東京大学の起業サークルに入り、自分も起業したいと思うようになりました。

東大京大出身者が半数以上を占める株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)に新卒で入社しました。

DeNA創業者の南場智子さんに憧れて入社しました。女性でありながら、時価総額の高い企業を作り活躍している姿に感銘を受けました。また、入社時には絶対に起業しようと決めていたので、起業のために必要なスキルを得ようと思っていました。

入社2年目で、私は大手企業のタイアップ広告を1億円で受注してきました。入社2年目での1億円の受注に、会社中がざわつきました。ところが、私が試算を間違っていて、会社に2000万円の補てんをさせてしまったのです。

その後、トレンダーズ株式会社に転職されました。

20代のうちに起業家になるという目標から逆算した時に、必要なスキルというのは、営業力と新規事業を開発する能力だと思っていました。しかし、DeNAで大失敗をし、新規事業を任されるチャンスが遠のいてしましました。社内には優秀な同期がたくさんいて、このまま信頼回復を待つと、私の20代は終わってしまうと思いました。

そこで、ベンチャー企業のトレンダーズに転職しました。営業でしっかりと成績を残したら新規事業をやらせてもらえるということになりました。とにかく営業を極めることに集中しました。

そして営業で結果を残し、新規事業を任された。

売り上げベースでいくと一人で年間1億円はコンスタントに取れるようになりました。それで、新規事業を任され、「Anny(アニー)」というギフトメディアを立ち上げました。住所を知らなくてもSNSでギフトを送れるサービスです。

20代で成し遂げた念願の起業

それからトレンダーズを退社し、20代で念願の起業を成し遂げました。

トレンダーズを退社して、ウェブメディア「JION」を立ち上げ、起業しました。「JION」は女性が伝える大人の男性のウェブマガジンというコンセプトで、女性目線で男性にデートやライフスタイルの情報を届けるメディアでした。当時、女性向けのキュレーションメディアは多くありましたが、男性向けのメディアに圧倒的な覇者がいなかった。そこに目を付けました。

持ち前の営業力で、パナソニックやトヨタ自動車など大手企業から広告を取ってくることに成功し、初年度から軌道に乗せました。

しかし、予想もしない展開で、倒産危機に陥ります。

情報の信ぴょう性などが問題となって、キュレーションメディアの閉鎖が相次ぎました。「JION」も広告がストップし、倒産危機に陥りました。何とかして会社を存続したかった私は、M&Aの道を選びました。「JION」は3億円で株式譲渡され、株式会社ベクトルの子会社となり、私は引き続き「JION」の経営に携わることができました。

メディアの強みを生かした新たな戦略 ダイレクト・トゥ・コンシューマー

ジオンの親会社が統合によって株式会社スマートメディアとなり、その社長に就任しました。 スマートメディアの経営者として、ウェブメディア業界で、どのような勝算を描いていますか?

ウェブメディアは世の中に見切れないほどあります。キュレーションメディアの閉鎖が相次いだ時には、情報の正しさや信ぴょう性が注目されましたが、時代はさらに動いています。ただ質の良い情報を提供するだけでは、足りないと思っています。

これからのウェブメディアに必要なものとは?

これからはメディアをただ運営するだけではなく、“別のもの”を掛け合わせた事業が重要だと考えます。今までは企業から広告料をもらうという発想で運営していたんですが、これからは、メディアを持っている強みを生かして、「ダイレクト・トゥ・コンシューマー(D2C)」に力を入れたいと思っています。

例えば弊社の「JION」では、200万人もの男性ユーザーの登録があります。メンズ向けの商品を作って、自分たちのユーザーに売ることもできる訳です。

具体的にはどのような事業を考えていますか?

来年から、スキンケア事業とジュエリー事業に参入する予定です。 また、「eスポーツ(esports)」のメディアの運営を始めました。弊社のメディアという特性を生かして、成長産業に入っていくという発想もありかなと思っています。

次の誰かの“ストーリー”になるような生き方を

成井社長は、どうしてウェブメディア業界に携わり続けているのでしょうか?

大学生の時の起業サークルで学生が夢を見つけるフリーペーパーに携わっていました。元々メディアが好きだったのだと思います。

それに、私個人としては、コンテンツの受信者よりも発信者という立場のほうが面白いなと思っています。これだけ情報がいっぱいある中で、自分たちが発信したものが、人々の人生の幸福度を上げたり、ライフスタイルの変動をもたらしたりしたら、すごく楽しいなと思っています。

常に時代の先手を読んでいる印象です。どうしたら、そんなに先を読めるのでしょうか?

私が全部考えている訳ではなくて、ボードメンバー(取締役)に多種多様なメンバーを置いています。弊社は取締役が4人いるんですけど、エンジニアの気持ちを知っている人、元プロゲーマーなど、強みは様々です。価値観が異なるボードメンバーと一緒に考えることで、新たな発想が生まれるのだと思います。

そんなボードメンバーの中でも、ご自身の強みは何だと思われますか?

私自身は、決めたことをやり切るコミット力が強みだと思います。

20代で起業も有言実行されました。どうしてそんなにコミット力があるんでしょうか?

個人的な思いですが、私の挑戦が次の誰かの“ストーリー”になるような生き方がしたいと思っています。

現在はスマートメディアをIPO(新規に株式を上場して公開)するという目標があります。現時点ではスキルが足りず、正直難しいとも感じる面もあります。でも、女性でイグジット、M&A、IPOを全て経験した人って、たぶんあまりいないと思うんですよ。だからこそ、やりがいがあるんです。

自分が目標にコミットして達成することで、「できると思ったら、できちゃった!」というメッセージを発信する。そして、次の人たちのキャリアの選択肢を増やすことができればいいなと思っています。

取材日:2018年12月17日 ライター:すずき くみ

株式会社スマートメディア

  • 代表者名:代表取締役社長 成井 五久実
  • 設立年月:2018年7月
  • 資本金:510万円
  • 事業内容:テクノロジーを活用したメディア事業
  • 所在地:〒107-0062 東京都港区南青山2-13-10 ユニマットアネックスビル3F
  • 電話:03-6450-5477
  • URL:http://sma-media.com/

コンサルティング力を高めてWebサイト制作の世界で勝ち残る

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「Webサイトは作ってからがスタート」と言い切るのは、沖縄にあるWeb制作会社、インターフェイスデザインスタジオ株式会社の代表取締役、西岡大輔さん。ウェブ解析士マスターでもある西岡さんは、成果の出せるWeb制作、運用を大切に、コンサルティングから運用、改善まで一貫して携わることに注力しています。多くの同業他社がひしめく業界において、勝ち残っていくために何が必要か。率直な言葉で語っていただきました。

「作ることが楽しい」違和感なく建築からWebの世界へ

西岡さんのキャリアと、「インターフェイスデザインスタジオ株式会社」を立ち上げるまでの経緯を教えてください。

琉球大学への進学のため愛知県から沖縄に移住したのですが、大学では今の仕事と全く関係ない建築の勉強をしていました。学生時代を過ごしたのは1990年代後半でしたが、大学には当時にしては珍しくインターネット環境が整っていました。PCは無料で使えるし、PhotoshopもIllustratorも入っているし、ということで、CGを作ったりホームページを作ったりして、遊び感覚でWeb制作を楽しんでいました。ただしあくまでも趣味でしたので、卒業後は大阪の建築事務所に就職しました。ところが入ってから2ヶ月もしないうちに会社が倒産してしまい、早々に沖縄に戻ることに。

ご実家の愛知県には戻らなかったのですか?

戻る気はありませんでした。学生生活を通して多くの友達が沖縄にできましたし、ここでの生活にすっかり馴染んでいましたので、働くなら沖縄がいいと思うようになっていました。しかし再び建築事務所で働く気になれず、漠然と学生の頃の趣味だったWeb制作をやりたいと感じていたところ、同級生からの紹介でシステム会社で働けることに。当時沖縄にははWeb制作専門の会社はほとんどありませんでしたので、システム会社のWeb制作担当というポジションで働き始めました。

建築の世界からWeb制作の業界へ移行されましたが、違和感はありませんでたか?

全くありませんでした。むしろ面白くて仕方なかった。寝る間も惜しんでひたすらプログラムの勉強をしていましたね。プログラムに関する日本語の書籍や情報が少ない時代でしたので、英語で書かれたものを辞書片手に解読するなどしていました。勉強しながら会社の業務で実践したおかげで、早く技術を習得できたと感じています。教えてくれる先輩はいませんでしたが、システムの会社だけあってインターネットの環境だけはしっかり整っていましたし、学ばせてもらえるゆとりがあったように思います。人手不足の昨今では即戦力が求められるので、会社で素人を教育するほどの余裕がないのではないでしょうか。今から考えると贅沢な時間だったと思います。

充実した会社員生活だったにもかかわらず、独立された理由は?

建築の勉強をしている頃から、いつかは自分の建築事務所を持ちたいと考えていましたので、独立志向は持っていた方だと思います。もちろん会社勤めは楽しかったのですが、2年半ほど働いた後に独立してフリーランスになりました。

それから約10年間フリーランスとして働いていたのですが、ある時手伝ってもらっていた方から「社会保険に加入させてもらえないとこれ以上続けられない」と言われ、法人化を決意しました。それまでも、私が倒れたら全ての業務が滞ってしまうというフリーランスの脆さを感じていたので、いい機会でした。法人化すると、やはりもっと仕事を増やして安定した給与を支払いたいと考えるようになり、事業を少しずつ広げ今に至ります。

沖縄で会社を設立された理由は?

特別に沖縄でやりたいことがあったわけではないのですが(笑)。学生時代からずっと沖縄に住んできたので、他の場所で会社を作るという選択肢は考えられませんでした。しかし会社を始めてから、新たに沖縄でやりたいことができました。それは「沖縄のWeb制作者の賃金レベルを底上げしたい」ということです。

Webサイト制作に関していえば、技術者、デザイナー等のレベルは首都圏と全く変わりませんし、成果物も遜色ありません。にもかかわらず、東京の会社への発注額に比べ、沖縄への発注額があまりに低い。沖縄は人件費が安いからという理由で、首都圏の会社から低い金額で作るようお願いされることが度々あるのですが、強い違和感を覚えます。今のところなかなかできていませんが、徐々に是正したいと考えています。

コンサルティングに強いWeb制作会社になるために

御社の事業内容を詳しく教えてください。

一言で表すとWebサイトの制作になります。コンサルティングからプログラミング、フロントのデザイン、納品後の運用まで、一貫してサポートできるような体制を敷いていることが特徴です。

私自身のWeb業界でのキャリアのスタートはプログラミングからでしたが、フリーランス時代にはフロントのデザインも担いましたし、コンサルやマーケティングを強化するためにウェブ解析士マスター資格を習得しました。Webサイトに必要なことは一通りできますので、トータルにサポートさせていただきます。それぞれに特化した会社はもちろんありますが、クライアント側が、システムや制作、運用を別々の会社に依頼するのは以外と大変ではないでしょうか?その手間を、弊社なら省けると思います。中でも、最近特に力を注いでいるのは「コンサルティング」の部分になります。

それはどうしてですか?

Webサイトを活かせていない会社が多いと感じたからです。お金をかけてWebサイトを作ることが目的ではなく、目的を達成するための手段の一つとしてWebサイトがあるんです。Webサイトは、完成してからがスタートです。Webサイトを通して利益を上げる方法をクライアントと一緒に考え、提案し、ビジネスが上手く回るお手伝いをすること、つまりコンサルティングすることこそ、我々の使命だと思っています。その方がクライアントのためになりますし、弊社の強みにもなると思います。

コンサルティングが御社の強みになるとお考えになる理由は?

Web制作会社は沖縄にも非常に多く、それぞれが生き残りをかけて必死です。さらに、今後AIの台頭により、デザインするだけ、コーディングするだけという業務は、人間がやる必要がなくなると思います。そのような状況において、クライアントの立場に立ったマーケティングやコンサルティングができれば他社と差別化を図れ、生き残れると考えています。

コンサルティングを強化するために心がけていること、実践していることはありますか?

クライアントと話をする際、本当にクライアントが求めていることをしっかり見極め、突き詰め、理解するように心がけています。Webサイトを作る理由を明白にすることが重要です。クライアントの中には「とにかくWebサイトを作ればいい」という方もいますが、それを鵜呑みにして「作って終わり」という業務はしたくありません。目的を果たすための手段として本当にWebサイトが最適なのかを、しっかり話し合うようにしています。

Webサイトを通して企業をサポートする

最後に、今後やっていきたいことや展望を教えてください。

コンサルティングからWebサイトの制作、改修、運用までを一貫して行える仕組みを強化したいですね。今、弊社ではコンサルティングをできるのが私一人だけなので、同じようにできる人材を育てたり見つけたりして、もっと強いチームにしていきたいです。

規模の小さなWeb制作会社は、大きなクライアントがいないと収益が安定しない場合が多く見られます。しかし弊社はそのようなクライアントに頼らずとも、生き残っていきたいと思っています。そのためにも、Webサイトを通して、沖縄県内の中小企業を中心にビジネスの成長をサポートし、深く長いお付き合いを続けていきたいですね。

取材日:2018年12月6日 ライター:仲濱 淳

インターフェイスデザインスタジオ株式会社

  • 代表者名:代表取締役社長 西岡 大輔
  • 設立年月:2014年7月
  • 事業内容:ウェブマーケティング&コンサルティング、ウェブサイト制作・運営・保守、インターネット広告運用、システム開発
  • 所在地:〒901-2206 沖縄県宜野湾市愛知1丁目5−15 愛知ファッションビル3F-B
  • URL:https://interface-design.jp/
  • お問い合わせ先:098-988-1560

最適化志向でよりよい社会のしくみをつくる

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生活様式が進化すると同様に、ビジネススタイルも日々変化しています。マーケティング分野ではインフルエンサーと呼ばれる職種も誕生。 個々がSNSで自由に口コミ拡散するIT新時代の到来は、職場におけるテレビ会議システムの活用やリモートワークなど、労務分野にまで影響をひろげ、日本国内でも多様な働き方を生み出しています。 会社員として働く父親の後ろ姿に自身の未来を投影し「働くことを通じてよりよい社会のしくみを作りたい」と思った中山 達矢(なかやま たつや)さんは、既存方式にとらわれがちな国内企業のビジネス展開に疑問を抱いてきました。その疑問を解決する「最適化志向」を実践し、よりよい経営システムを社会に還元するため、中山さんは株式会社イーズドを立ち上げます。リモートワークを採用し、グーグル認定事業者として確固たる視点で新時代のマーケティングに取り組む中山さんの「最適化志向」とは?

ぶれないマーケティング理論を展開

事業内容について教えてください。

弊社は2016年にグーグルパートナー資格保有事業者として認定されました。現在の主要事業は「マーケティング顧問」と「Webアプリ開発」の2本柱です。 「マーケティング顧問」については、商品の宣伝を全て請け負う「代行」ではなく、クライアントに「ジョイン」して進めます。私がクライアント先のマーケティングチームに入り、CMO(Chief Marketing Officer : 最高マーケティング責任者)として動くのです。チームの人間には、知識と具体的なノウハウを教育します。指導したことを要員に実践してもらい、ちょうどいいフェーズになった頃、私は現場を離れます。

クライアント先では、どのような指導を?

Webを通じてクライアントの悩みを解析し、マーケティング戦略を打ち出します。相談内容の多くは「売り出したい商品の的確な販促方法がわからない」「営業人員が不足しているため、効率よく最大限の業績を上げたい」で、アナログな営業販売をしている中小企業様がほとんどです。人海戦術で営業人員が1軒1軒インターホンを押して回るスタイルですね。なかなか成果が上がりませんよね。まず提案から始めます。「御社の事業で、そのスタイルは最適ですか? 別のプロモーション方法を考えてみませんか?」と。 営業として働いている人のことをイメージしてください。1軒1軒訪問することは、その人の時間が「訪問する」という物理的行為に充てられます。それって限界がありますよね。 労働時間が1日8時間の企業であれば、営業担当一人あたり8時間でその日が終了です。そんな限界をWebで置き換えませんかという提案です。

限界をWebで置き換えるとは?

例えば、まずECサイトを作ることから提案し、最終的には「ECショップで決済までできますよ」とクロージングをします。ECサイトをつくることで、営業担当者は訪問に費やしていた時間を減らすことができる。代わりに、クロージングやコンサルなど、より深みのある営業に時間を割くことができ、結果BtoB営業率が高くなります。すなわち「将来こんなことをやりたい」という新規事業の提案が増えて、ビジネスチャンスも生まれやすい。反対にBtoC営業ではWebの特性を最適に生かしたいと考えます。人海戦術など従来型の営業方法に固執するクライアントにはまず、IT知識の土台作りとしてWebの特性を話して「なぜECサイトが営業効果を上げやすいか」を伝えます。営業に廻るのは人間ですから、最終的には「従業員が柔軟に働ける、時代に合ったスタイルを目指しませんか」と労務面まで視野を広げ、クライアントの事業が最大限加速していけるような仕組みをつくっていきます。

もう一本の柱であるWeb開発について教えてください。

2017年にRA-X(ラクロス)というマッチングサービスを開発しました。 「楽をする×クロス(マッチング)」という、そのままのネーミングですが(笑)。 要望を楽に解決して、楽に希望する相手を見つけられるWebサービスです。

そのマッチングサービス「RA-X(ラクロス)」は何と何を結びつけるのでしょうか。

RA-X(ラクロス)はビジネスマッチングサービスです。弊社はマーケティング理論に基づいたWebサイトの制作コンサルティングに強みを持っています。たとえば「この作品を売り出したいから公式ホームページをつくろう」という状況になったとしましょう。自分自身がクリエイターでない場合、制作をお願いする業者をネット検索しますよね。そこでひとつ問題が生じます。「自分が作りたいWebサイトを、その業者が本当に作れるのか」という問題です。ここの部分って、自分自身にWebサイト制作の知識でもない限り、なかなか判断し切れないですよね? 結局「安いから」と金額でチャレンジングな決断をすることになる。「Webで検索してみたけれど、納得するものができなかった」というケースも少なくありません。そんな失敗が怖い人は第2ステップとして、複数業者から一括で資料請求ができる「相見積もり」サイトへ向かっていくんです。

職場でも「とりあえず、相見積もり取って」と上司から頼まれる場面が多いです。

「相見積もり」っていいところと悪いところがあると思うんですね。 相見積もりサイトでWeb制作を発注したとします。たとえば5社から見積もりメールが来ます。その5社をまじまじと見比べた後、判断しなければならないのは結局自分なのです。自分で良いか悪いかの判断基準がわからないのに、正しく選べるでしょうか。 選ばれた業者側にしても「価格で選ばれているのだったら、私たちはここまでしかしません」といった「価格に応じた対応」になりがちです。そうした状況は依頼する側、される側の双方にとって好ましくありません。Web業界全体にも悪い印象を残すことになる。 そこでRA-X(ラクロス)は、制作を頼む側と頼まれる側がうまくひもづくように、アルゴリズムを組みました。依頼者が入力するWebに対する要望と、アルゴリズムから選定された最適業者を複雑な計算式で絞り「あなたの理想としている制作業者はここです」と、1社だけを提案するマッチングサービスで、手間と時間の削減も可能にしました。

会社勤めの父が向き合う社会環境が、自らの転機に

その人に合った1社だけを提案するアプリ、最適化を伝える中山さんの面目躍如といったところですね。中山さんはどのような経緯で最適化志向にたどり着いたのですか?

最初の転機は中学時代です。医療機器メーカーの営業職として勤めていた父が、台湾営業所長に任命されて一家で台湾に移住しました。私は台北日本人学校に通いました。学校はとても楽しかった。生き方もさまざまな生徒が集まり、いろんな価値観を知ることができた。学校側も生徒の多様性を認めてくれ、責任ある自由な雰囲気が漂っていました。父も悠々と勤めていると思っていたんです。それがある日、父が会社に意見し、対立して帰ってきました。「会社を辞める」と。 それで中山家は帰国しました。そのとき思ったのです。「楽しく働けなければ、働く意味がないのではないか?」と。

子どもにとって親が(ご両親がとか、お父さまがとか)社会でもがく姿に直面するのは、つらいですね。

私は当時、義務教育下の学生で、ビジネスや社会について疑問を投げかける人が周囲にいませんでした。胸の奥に疑問を抱えたまま帰国し、都内の公立校に通い始めました。すると今度は自分が日本の学校教育に対して疑問を抱くことになったのです。同級生の個性が、なさすぎる。私は異文化理解への造詣が深い友人にたくさん出会えることを期待して、高校(英語科)に進学しました。殻を破って外を知ろうという、好奇心の強い友人を作りたいな、と。でも、そんな友人には出会えませんでしたね。ショックでした。台湾の日本人学校では「ある程度、自分でやってみよう」「囲いをつくらず、外に出よう」という環境が、あたりまえだったからです。「多様性がない日本。没個性をよしとする社会はこの先、大丈夫なのか?」と思いました。そこでビジネスを通じて社会をよくするしくみを学びたいと考え、大阪市立大学経済学部に進学。卒業後は大手住宅メーカーに入社しました。

代表的日本企業ですね。

私が入社したのは「世界で一番、住宅を供給している」と評される企業です。しかし日本は人口減少が叫ばれて久しい。にも関わらず住宅を供給し続けることは、ビジネスとして均衡がとれるのかという前提が私にはありました。そのジレンマを解消する秘策があるならば、それを探ろうと入社したのです。「このビジネスは最適か、それとも真逆か」と問い続け、3年超営業職として働きました。会社とのズレを感じる日もありましたが、とりあえず会社から言われたとおりにやることに努めました。ついこの前までに学生だった私が、すぐに父の会社員としての働き方を否定しても良くない。自分が会社員としてどんな感情が芽生えるか、世の中の会社員はどのように社会を見ているかを知るための就職でしたが、それは正しい選択でした。営業職として裁量を与えていただいたことは、見込客の選定からアフターフォロー、契約書の作成や社内での人事評価など法人経営に役立つポイントを数多く経験でき、次のステップとしていた法人経営に踏み切ることにも繋がりました。

営業職としての経験が 法人経営へのステップに

広島で起業されたのは、なぜでしょうか。

前職の配属先が広島支店でした。その縁で私は広島に移住し、退職後そのまま広島で起業しました。ただビジネスは広島に限らず、どこでやっても成功するモデルでないといけないはず。土着型ビジネスは行き止まります。広島では多くの企業が土着型で運営しています。「古くからのつきあいだから信頼できるよね」と旧ネットワークに頼りがちな風潮です。新しいものを取り入れたがらないし、自分の知らないことは勉強しない。環境や人は変えることはできません。その人が自分から気づきを得て自分から変わらなければ。そのマインドを大切にして私は現状を逆手にとり、今広島にいるからこそできる「非土着型の働き方」に可能性を見出しているのです。弊社ではロケーションにとらわれないリモートワークを導入しています。

リモートワークを導入されたのも、最適化志向のひとつですね。

最適化志向からすると通勤時間は無駄じゃないかという発想になります。弊社では東京や金沢のスタッフもリモートワークで働いています。「広島に移住してください」と、こちらもなかなか言い出せない。なぜなら、その人がいまその地を選んでいるのには理由があるからです。その人がやりたいことは今、その人が選んだその地にある。それなのに「会社にいないといけない」とがんじがらめにしてしまうのは、その人の可能性を狭めてしまっているに他ならないのです。

一緒に働く人の生活や気持ちにまで配慮されるのですね。他人思いでいらっしゃいますね。

他人のことしか考えていないです。しくみをつくるということは他人の視点で考えるということです。だから各人の視座は大切にしたいと思っているんです。メッセージを強烈に伝えるクリエイターは芸術的視座で最適化を生み出し、それで畑を起こさないといけない。「他人のために」と考える場合は、社会のしくみに疑問を投げかけつつ、よりよいビジネスモデルをつくることが最適化ということです。理想を求めて生まれた次のプランが「感動経済」の社会づくりです。

「感動経済」をアプリで表現

アプリ「感動経済」イメージ

中山さんが次に目指す「感動経済」モデルを教えてください。

人の感情には深さがありますよね。「ありがとう」ひとつにしても、そのときの状況や立場、年齢によって感じ方は異なります。結局人間の感情は「どれくらい感動したか」という深さで左右されると思うのです。感動が深ければ深いほど「お金だけが大切」という執着から解放されます。「感動経済」においては、お金の価値だけが認められる社会ではありません。ただ「やってもらって、ありがとう」で、他人とつながります。お金の存在を無視したわけではなく、お金に対する執着心を捨てた結果、全員が100兆円もっているのと同じ、満たされた状態になるのです。執着や固定観念から解放されれば、自分の与えたい人に深く感動を与えられる社会も夢ではありません。他人をだまして何かを盗もうという悪しき感情もなくなります。ただ、私のようなオプティマイザーが語る「感動経済」と世論とでは解離があると思います。だから「感動経済」をアプリで表現し、皆さんに使っていただくのが私の新しいビジネスモデルです。ちなみに今、開発中の「感動経済」アプリではコインを扱いません。「純粋にいいことをし合いましょう。この人がした良いことも残るし、良いことをみんなに見てもらえます」というアプリです。2019年の春頃リリースの予定です。楽しみにしてください。

取材日:2018年12月12日 ライター:信永 真知子

株式会社イーズド

  • 代表者名:代表取締役 中山 達矢
  • 設立年月:2015年
  • 資本金:100万円
  • 事業内容:Web顧問、各種アプリ、Webサービス開発、IT人材の育成、 Web担当者の研修、デジタルマーケティング講座の開講
  • 所在地:〒732-0804 広島県広島市南区西蟹屋3丁目3番12号
  • URL:https://eased.jp/
  • 電話:050-3571-0064
  • FAX:050-5577-8439
  • Email:info@eased.jp

名古屋のオアシス

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一歩足を踏み入れると、ここはデパートのアクセサリーショップ!?と見紛うほどのステキな店内。
こちらは名古屋ボタン専門店「立松ボタン」

ボタンの製造、輸入はもちろん、イヤリング、指輪、ブローチなど、様々な加工もしてくださいます。
 
 
古今東西のボタンが上品に、しかし圧倒されるほどの種類が並べられていました。ついこちらも緊張してしまいます。

しかし、それをほぐしてくださったのが、こちらで接客をされている方です。
マダムという言葉がぴったりの、とても上品な女性でした。

急がずゆったりと紡ぐ言葉は非常に耳心地がよく、ついついおしゃべりが弾んでしまいます。

時には宝石に、時にはスイーツにまで見えてしまう美しいボタンたちを、一つ一つ、その素材やルーツ、おすすめの使い方まで事細かに話してくださいました。


その魅力を聞くうちに世間話へと広がり、彼女の結婚式の写真まで見せていただくことも笑。
初対面のはずなのに、不思議なあたたかさがありました。

マダムは、旦那さまと一緒にお店を営んでおり、こちらの方もまた愛嬌のあるステキなおじさまでした。
ふとサンタクロースを思い浮かべてしまいました笑

店内で悩みに悩んだ私は、マダムおすすめのピアスを購入。とてもキラキラしているのに、身につけると上品に見え、顔がパッと明るくなります。なんと、マダムの娘さん、姪っ子さんも同じものをお持ちだとか。思い入れとともに、素敵なお買い物ができました。


魅力あふれるご夫婦が営むボタン専門店。
必ず素敵な出会いがあるはずです。

ぜひ一度、ボタンの世界へと足を踏み入れてみてはいかがでしょう??
 
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写真:自主撮影
クリステ編集部 野口由貴

広報やイベント開催など、お客様の困りごとを最善策で解決。アート・プロジェクト『芸術専門楽群』スタート

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森川さんと齊藤さんがアートを軸に創業した『カウベル・コーポレーション』の事務所には、「虹のアーティスト」として知られる靉嘔(あいおう)の牛の版画をはじめいくつものアート作品が飾られ、訪れる人を楽しませています。同社が手掛けているのは、二人のキャリアを生かした会社案内や自治体等の広報誌、ウェブサイトの制作、イベントの企画・運営等々。それぞれの個性が光る事業内容と仕事に対する考え方、計画されているアートビジネスの展望などを伺いました。

映画祭開催をきっかけに編集・制作会社を立ち上げる

同仕事風景

お二人のご経歴を教えてください。

森川さん:今の仕事に繋がる原体験からお話しさせていただくと、子どもの頃、母親が定期購読していた『暮しの手帖』を愛読し(笑)、雑誌って面白いなと思っていました。しかし、中学・高校時代には関心が放送に移り、日本大学芸術学部放送学科へ進学。卒業後は東京の映像制作会社に入社しましたが、家の事情で福井に帰ることになり、2年で退社。福井では地元の出版社でタウン誌の編集を手掛け、その後、ネット系の会社を経て独立しました。

齊藤さん:私は幼いころから美術の道へ進みたかったので、家族の反対に遭いながらも筑波大学の芸術専門学群を探し出し、入学しました。学芸員やキュレーターといった美術の道へ進むつもりでしたが、父が亡くなったため福井へ戻り、地元の出版社に就職しました。森川と出会ったのがこの会社です。私の仕事は、美術館の図録や官公庁の観光ガイドなどの企画・制作でしたが、直接お客さんとのやり取りをして効果的なものを作りたいと、もどかしさを感じて独立を決意しました。

制作会社を立ち上げたきっかけは何ですか? ユニークな社名の由来も教えてください。

齊藤さん:2000年に『チェコアニメ映画祭』を二人で企画し、福井市のメトロ劇場で開催したのがきっかけです。元々互いの関心事項は重なっていなかったのですが、このときは、チェコアニメのおもしろさ、奥深さを広く知ってもらいたいという想いで一致しました。

森川さん:映画祭は2001年にも行いましたが、その間、齊藤はまだ出版社におり、僕も別の会社に所属しながらの活動でした。しかし、この映画祭が二人で手掛けた最初の事業です。

齊藤さん:二人のアートユニットという感じだったのですが、上映会のときに、『メトロ劇場』の社長さんから「名前を付けた方がいいよ」と言われ、ユニット名を考え始めました。共通点が全くない私たちですが、唯一同じなのが星座。二人とも「おうし座」なんです。それで、牛に関する名前を考えに考えて、首につけられている鈴を思い出し、さらに、バンド演奏の最初に鳴らす楽器がこのカウベルだと聞いて、カウベルに決めました。当時は会社ではなかったのですが、遊び心で会社をもじり、コーポレーションも加えました(笑)。

創業当時の目標や、目指された具体的な事業はありましたか?

森川さん:立ち上げのきっかけとなったアートイベント事業を会社の土台におきながら、それぞれがそれまでの経験を生かし、企業や自治体の広報誌の企画・編集、ウェブサイト制作等を行うという形でスタートしました。

齊藤さん:私たちは、一つの仕事を二人で行うというより、それぞれの仕事があって、たまに一緒にやるといったスタイルです。大まかには、森川はウェブサイトの制作をやりながら、最近では大学で文章の書き方を教えるなど講師業が増え、私はディレクションとライターの仕事を中心にやっています。

森川さん:目標というお話ですが、僕は、目標を決め、そこに向かってステップアップしていくというのが全く苦手(笑)。編集の仕事は、取材もするし、文章も書く。時にはテレビ番組のコメンテーターのようになったり、映画のプロデュースをしたり、さまざまなことができる職種だと思います。僕も周りからの求めに応じながら自分の立ち位置を見つけ、幅を広げていこうというスタンスでやってきました。

齊藤さん:私は、アート関係の仕事をしたいと思いながら、創業したばかりの頃は、どんな分野の方とでも話ができなくてはいけないと思い、ジャンルを絞らず仕事を受けていました。おかげで、さまざまな業種の世界を知ることができたと思っています。2人ともフリーランスでレギュラーの仕事がないので、崖っぷちのまま17年続いているという感じです。

きちんと話を聞き、対応することで繋がりという成果が生まれる

これまでに制作したパンフレット等

お仕事を進めるにあたって心がけておられることはありますか?

齊藤さん:私たちのコンセプトに一番近くて、お客様にも評判がいいフレーズが「たのしく、きちんと、おもしろく。」で、中でも「きちんと」を大切にしています。「たのしく」「おもしろく」は大抵の人ができると思いますが、礼儀やマナー、締め切りやルールを守るなど仕事上の作法で「きちんと」できているか、いつも振り返っています。

森川さん:編集者の資質として「きちんと」は重要です。うちは、案件ごとにデザイナーやカメラマンに依頼してチーム組むので、その中で気持ちよく仕事をしてもらうために、例えばメールの書き方など細かいところも含めて丁寧な対応を心がけています。また、これから独立される方への参考として、発注でも受注でも、料金の話は最初にすべきです。言い出しにくいことですが、お金は両者の関係がこじれるもとになるので、若いからといって遠慮せずきちんとしておくべきですね。ちゃんとした仕事をしようしている人は必ずお金の話を最初に言ってきます。

御社では「聞く」「考える」「つなぐ」「つくる」「ひろげる」を五大特長として掲げておられますが、中でも特に重点を置いておられる特長はありますか?

森川さん:やはり「聞く」が大事ですね。こちらから提案するといっても、結局、課題を解決した先にある答えはお客様の頭の中にしかない。ただそれを言語化できず、もやもやしているわけです。そのもやもやを言葉として引き出すには、とにかく聞いていくしかない。答えにたどりつくまでどれだけ話ができるかにかかってきます。そのために質問の仕方も相手によって変わりますし、雑談の中から答えを拾っていくこともあります。

齊藤さん:そう、「聞く」ことが一番大事です。私はお客さんに合わせつつも、結構「さあ聞きますからね」みたいな感じでかっこつけて臨むことが多いですけど(笑)。

「聞く」以外で日頃感じておられることや、記憶に残る体験はありますか?

森川さん:「つなぐ」の話になりますが、編集の仕事は、人が集まってつながる舞台をつくることだと思っています。ウェブサイトでもイベントでも、自分が仕掛けたプラットフォームで知らない人同士がつながっていくのを舞台の袖から見ているのが編集者。うちの仕事はそういう舞台をつくることです。

齊藤さん:私は、アートイベントに出展する作家さんや主催者を取材して記事を書いてきましたが、その記事を見て会場に来た人がおられたと聞くと本当に嬉しい。ウェブサイトの仕事でも、問い合わせが増えて売り上げが伸びましたといわれると、ビジネスとして成功してよかったと思います。取材した、完成しただけでは不十分で、ちゃんと人が動いて成果が生まれる、それが仕事です。

紙媒体も活用し、お客様にとってベストな手法を提案

これまでに制作した図録

パンフレットなど紙媒体の制作もされていますが、ウェブとの関連はいかがですか?

森川さん:問い合わせはやはりウェブサイト制作が圧倒的に増えています。ただ、うちの特徴として、ウェブサイトを作りたいというご要望があったときでも、まず紙媒体をお薦めすることもあります。お話を伺ってみると、紙の方がよい場合もあるのです。

齊藤さん:結構ありますね。当社では紙媒体とウェブをいっしょに制作できるので、「こういう商品を売り出したいけど、どうしたらいい?」といったところから相談にのり、ウェブにするか紙媒体にするか検討します。さらに、最近はSNSをどう使っていくかなど制作後の運用までアドバイスしています。そこまでやらないとお客様が求めている成果に繋がらないのです。

ウェブの相談を受けたものの紙媒体を薦めた事例を教えてください。

齊藤さん:最近では、カーシートなどの生地の傷みを修正する会社さんの例があります。海外で製造されたカーシートの生地の原反が入ってくるのですが、ほつれやシミが目立って、そのままだと破棄するしかない。そんな状態の生地の傷みを、その会社では、スタッフが手作業で一つひとつ直しているのです。こういう業種の会社があることを知っている人は少ないですよね。その会社さんがウェブサイトのご相談にみえたのですが、聞いてみると、営業に行くときに持っていく資料がなくて、せっかく訪問しても覚えてもらえないと言われる。そこで、まずパンフレットを作り、それからウェブサイトを立ち上げました。その後、問い合わせが増えたと喜んでいただけたうれしい事例です。

これまでで特に深く印象に残っているお仕事は何ですか?

齊藤さん:月1回発行されているJAさんの広報誌の仕事で、60歳以上のご夫婦に長年連れ添う秘訣を取材しに行くのですが、お話を聞くと、どのご夫婦にも小説よりもおもしろいドラマがあるんです。こういう方々の声をちゃんと拾って、残して行くのも大事だなと実感しています。同時に、自分は、まだまだだなっても思いますね。

森川さん:メディアに出ている人たちはアピール力もあるし、何かしら大きなことをやっているわけですけど、メディアが取り上げない、でも、日々まじめに仕事をして生活されている方にも尊敬できることはたくさんあります。そういう方々の生きざまというのは何かきっかけがないと形として残らないので、このような取材はきちんとやっていきたいと思っています。

作家やアートビジネスを支援する『芸術専門楽群』プロジェクトをスタート

事務所内の打ち合わせスペース

アートイベント事業も含め、今後どのような展望をお持ちですか?

森川さん:福井を起点にアート活動をしている人たちを、何らかの形で応援したい。福井で美術を学んでも、作家として活動する受け皿が少ないのが現状なので、福井を起点に、日本の優れた作家について世界に発信する事業ができないかと考えています。例えば、インバウンドを視野に入れてのアートツーリズムもその一つです。実は去年、『芸術専門楽群』というプロジェクトをスタートさせ、まずサイトを開設しました(URL:https://www.geisen.art/)。現在のところイベント紹介がメインですが、今後、世界から人を呼び込みたいと思っています。

齊藤さん:文化事業やアートを手掛けることで、他の制作会社さんと一線を画したいという想いもあります。これまで続けてきた美術展の企画・運営の勉強や仕事を生かし、広く皆さんにアートの見方を伝えると同時に、企業さんに対して、アートに触れたり実際購入したりすることがどれだけ会社に利益をもたらすかという助言もしていきたいと考えています。アートビジネスには一般的な会社経営と変わらない仕組みもあるので、アートに理解がある企業さんにはそういうお話もさせていただき、アートを核にして何か事業を行いたいと思われた時に、選んでいただけるよう準備していきたいと思っています。

取材日:2019年1月10日  ライター:井上 靖恵

株式会社 カウベル・コーポレーション

  • 代表者名:代表取締役 森川 徹志(もりかわ てつし)
  • 設立年月:2014年7月(創業 2000年6月)
  • 資本金:3,000,000円
  • 事業内容:広報・広告用パンフレット等制作、ウェブサイト制作、取材・撮影コーディネート、講演会等の採録原稿作成、アート系イベントの企画・運営、ニュースサイト運営
  • 所在地:〒910-0015 福井県福井市二の宮5-2-10 和光二の宮ビル2F
  • URL:https://www.cowbell.jp/
  • お問い合わせ先:0776-25-0563

挑戦が個人を成長させ企業を発展させる

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株式会社ファーストは建築のための電動工具や測定器具、発電機などの販売する会社として、1996年仙台市に設立されました。2004年に楽天市場に「セミプロDIY店ファースト」を開設、2009年には業態をEC中心へとシフトし、2010年Yahooストアに「ファーストヤフー店」を開設し、2018年には株式会社バローホールディングスのグループ会社となりました。今回はバローホールディングスで多岐に渡る小売業の経験とマネジメント経験をお持ちの取締役 事業本部長 杉山氏にお話を伺いました。

創業者のパソコン好きから始まったEC

インターネット販売を始められたきっかけとは?

株式会社ファーストは企業へ営業を行い、注文をいただいて配達を行う販売スタイルでしたが、2009年にECへとシフトしました。創業者の今野が趣味としてパソコンが好きだったことからインターネットに着目し、この業界ではECへの参入企業も少なく、チャンスであるという早い判断ができたのです。当初は自社サイトのみの販売で集客力は低かったのですが、楽天市場へ「セミプロDIY店ファースト」を出店したことから、効率よく売上が見込めたこともあり、卸売業からECに業態をシフトしました。 (参照URL:https://www.rakuten.co.jp/first23/

ECへ転換された理由についてお聞かせください

販売方法をECに切り替えるのは大きな決断でしたが、東日本大震災のときに、従来からお取引がない全国の企業から発注をいただくなど、ECによる注文が急激に増え、対応の必要が生じました。また人的資源の配分など経済合理性を考えての決断でした。
現在日本の物販EC化率は約6%程度だと言われております。カテゴリー別では文具販売のEC利用率は40%、家電製品やインテリアなども高い利用率で販売されています。その中でDIYは1%程度と言われているので、今後の伸びしろがまだまだ期待できるというのも大きな理由です。

EC事業へ転換された際、ご苦労された点とは?

創業者がインターネット販売に着手した時期は早すぎたため、販売実績は伸ばしにくかったと言えます。インターネットの通信速度や、特に画像処理に関しては時間がかかりすぎて快適ではなかったこともあり、5年前くらいまでは苦労しました。しかし、現在は通信技術向上の結果、パソコンやスマートフォンで商品説明の動画を見ることができる環境になり、ここ2、3年のEC化率の伸び方は年間5%ずつ向上していますので、弊社が苦心してきたことがやっと報われる状況になってきたというところです。 また、ECでは低価格化が進む傾向を懸念される企業が多いため、仕入先やメーカー様のご理解を得るために、より信頼関係を高めていくことが重要課題でした。

ECにおいて御社のメリットとは?

例えば、電動ドリルには価格帯で1万円から5万円ほどの幅があるのですが、威力やスピードにも幅があり、危険も伴う工具です。説明書きを読んでいただくよりも、実際に電動ドリルを使用している動画を掲載できればより比較がしやすく、技量や力に合った商品を安全に納得する価格で選んでいただくことができます。店頭でデモンストレーションするのは難しいですが、インターネットではそれが可能です。同時に、プロからアマチュアまで幅広いお客様への販売が見込めます。

サイト作りをはじめ、業務を社内で完結させたい

サイト作りにおいて強化されていることについてお聞かせください。

私どもの商品は仕事で使う方が主ですから、「ついで買い」などを誘うような広告を省いて、商品の説明をしっかり行うページ作りを心掛けています。また、必要とする方が決めた商品を購入されることが多いので、掲載点数を増やすことに注力しています。現在の点数は掲載可能数の50%程度ですので、残りの商品を早くサイトにアップしたいと考えております。さらに色々な商品をお持ちのベンダー様や、まだお取引ができていないメーカー様へのアプローチも含め、今後も掲載点数をさらに増やしていく予定です。

ECサイトにおける強みをお聞かせください

システムの構築からサイトへの商品掲載、発注対応業務など、すべて自社で行っています。内製化の一番のメリットはスピードが速いことです。外注価格の見積もりのやり取りや、仕様の確認などは、とても面倒で時間がかかります。さらに費用をかけたノウハウは社内に蓄積されません。日本ではシステムは費用として捉えられ、8割が外注化の道を歩みましたが、米国では逆転しており、8割が内製化され投資と考えられました。どちらの国が現在のシステムにおいて成功しているか? という実情から、弊社は内製化を進め、Webクリエイターやオペレーターを自社で雇用して質・スピードを高めていこうと考えています。

また、2018年バローホールディングスのグループ会社になったメリットもあります。 バローホールディングスは岐阜県に本社を置く、スーパーマーケット、ホームセンター、ドラッグストア等の小売業を傘下に持つ企業です。グループに入ることによって、物流網は拠点が増えましたので、配送業務は大きく変わりました。

新しい価値を生み続ける会社は人材によって作られる

一緒に働くスタッフに求めることについてお聞かせください

親会社であるバローホールディングスのスローガンである「創造・先取り・挑戦」という理念に集約されています。いつも新しいことを創造し、先例がないことは情報を集め、勉強して先取りする。でも誰も行ったことがないから、失敗するかもしれませんが、挑戦することに意義があり価値があると思っています。挑戦しないことは最大のリスクという価値観を共有したいと思います。弊社ではこの理念を共有するための朝礼をしっかり行っています。そのかわり会議は少なく、月に一度くらいです。

クリエイターに望まれることは?

最新の知識や技術を得るための学びと努力はいつの時代も、どの業種、業態にも必要です。理念を実現するためには、具現化できる人がいないと成立しません。クリエイターの方には、特に、日々情報を収集しスキルを磨く努力を行ってほしいと思います。 物事を発展させるためには仕組みが必要で、それを作り出すのは人の思いです。たとえば、同じ時間で10の仕事を12にするためにどうすればできるか?と考えるのは人の思いで、パソコンの画面を2つにして用途を振り分け効率を上げるとか、音声入力ソフトを導入するという仕組みづくりで実現できるとしても、導入すべき情報を知る人がいなければ実現できません。

今後の展望についてお聞かせください

お客様にとって新しい価値を提案していくことができる会社になりたいですね。新しい価値を生み続けることができれば、自ずと売上・利益は上がっていくと思います。上場企業のグループ会社として、掲げた目標は達成していかなくてはなりません。そのためには、一人ひとりが自分を成長させる努力を怠らないことです。 特に若い人には本を読むこと、色々な人と話をすること、他の人よりも早く物事に触れる努力をしてほしいです。そして仕事の中で「これが好き」というものに早く出会ってほしいですね。

取材日:2018年12月27日 ライター:桐生 由規

株式会社ファースト

  • 代表者名:代表取締役 和賀登 盛作
  • 設立年月:1996年3月
  • 資本金:1,000万円
  • 事業内容:インターネットショップ 楽天市場内【セミプロDIY店 ファースト】運営
  • 所在地:〒983-0036 宮城県仙台市宮城野区苦竹3丁目6-10 協和ビル1F
  • URL:http://www.first23.net/
  • お問い合わせ先:022-781-6027

ビジネスに、寄り道を。

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ボートレースなどのスポーツ実況をはじめ、司会、イベントの企画運営、ホームページ制作、デザイン、出版などを展開する総合プランニングオフィスの株式会社アンドアイ。「人生における運を拾う」スタイルで事業領域を広げてきた代表の荻野滋夫(おぎの しげお)氏に、念願だったフリーアナウンサーになるまでのストーリーや法人化の経緯、荻野氏が持つユニークなビジネスマインド、若いクリエイターへのアドバイスなどを伺いました。

アナウンサーの夢をあきらめず、デビューのチャンスを伺う。

アナウンサーを志したきっかけを教えてください。

大学の恩師から現役アナウンサーを紹介いただいたのがきっかけです。 私は幼少の頃からスポーツが得意でした。中学時代には東京オリンピックの陸上強化コーチを務めた方からスカウトの手紙をいただき、高校の体力テストでは満点でした。当時、生徒が千数百人いましたが、満点を取った生徒はわずか2人だったと記憶しています。

そんなことから、将来はスポーツに関連する仕事に就きたいと考えていました。教師や指導者の道も考えたのですが、教職過程がうまくいかず悩んでいた頃、CBC(中部日本放送)草柳伸一アナウンサー(故人)をご紹介いただいたんです。

では、卒業されてすぐアナウンサーになられたのですか?

草柳さんにご指導いただいてCBCの局アナ試験に挑戦しました。300名ほどの志願者の中から最終選考の7名に選ばれたのですが、残念ながら落選。学生結婚して妻もいたため、やむなく名古屋の鉄道会社に就職することになりました。

しかしアナウンサーへの想いは残っていたため、多くの有名アナウンサーを輩出していた東京の名門アナウンススクールに週1回の頻度で通いました。そして局アナ試験に再度チャレンジしたのですが、今度は「既卒扱い」のため合格することは叶いませんでした。当時の社会は今のように第二新卒を受け入れる柔軟性がなかったんです。

そんな折に新聞で「衛星多チャンネル放送局」が立ち上がることを知り、さっそく電話。就職活動もうまくいってニューメディアの立ち上げに携わることになりました。アナウンサーの修行をしていた経歴は尊重してくれましたが、あくまでも総合職としての採用でした。

そこからフリーアナウンサーになるまでの道のりを教えてください。

その会社では、放送するチャンネルの企画からシステムの設計、インフラ準備、加入営業までのすべての業務に携わりました。放送局を0からまるごと作るイメージです。そこで9年ほどお世話になったのですが、会社が譲渡されることとなり退職しました。その後、ご縁があって東海ラジオから独立した亀関 開(かめせき ひらく)さんの元でアナウンサーとして活動することになったんです。

当時は30代も半ばにさしかかった頃。「局アナだとデスクを担当するくらいの年齢でデビュー!?」と亀関さんからも言われましたし、はじめから充分な仕事があるわけもなく5年ほどはアルバイトを掛け持ちしながらボートレースの実況や結婚式の司会などで腕を磨いていきました。 そして亀関さんの元でアナウンサーになってから10年ほど経った時に独立することになりました。実はその1年ほど前に独立の打診をし、その時は怒られたんです。しかし1年が過ぎた頃にもう一度お願いしたところ、「携わっている仕事は全部持って行っていいから」と快く送り出してくれました。

「形がない」ところが会社の強みになっている。

御社が手がけてきたビジネスについて教えてください。

ちょうど独立するタイミングで東海地区のボートレース関連のアナウンサーを取りまとめて組織化する話が出たため、アンドアイを立ち上げました。私としては法人化することは全く考えていなかったのですが、お世話になった業界のためにやってみることにしました。私は人生のほとんどは運でできていると考えていて、その運を拾った形となります。

アンドアイを立ち上げて今年で14年目。当初はボートレース場でのアナウンスやリポートの仕事だけだったのですが、次第にディレクターの補助まで行うようになり、制作の補助を行うようになり、いつしか制作一式を行うようになりました。さらにイベントの広告代理業務や映像制作、ホームページの制作や出版・デザインまでを行なっています。すべてが自分からではなく、目の前にやってきた状況をつかんだという感覚でビジネスが広がっていきました。

会社名「アンドアイ」の由来も教えてください。

社名には「◯◯と愛情」という意味を持たせています。◯◯の部分には「私」「社会」「ボートレース」など何が入ってもよく、何事にも愛情を持って仕事を進めていくという想いが込められています。

御社の強みを教えていただけますか?

当社の強みは「形がない」ところだと考えています。ボートレースのアナウンスからスタートした当社ですが、現在はさまざまな事業を展開しています。また、当社のスタッフはアナウンサーであってもディレクター業務も行いますし、レース場の横断幕の張り替えやイベントの片付けも行います。スタッフには「プライドは持つな。もし持つとしても、人の役にたつというプライドだけを持ちなさい。」と指導しています。

また、代表である私が「あえて意思決定をしない」という点も強みになっていると思います。私が理想としているのは、生物学者の福岡伸一さんが言っているような「動的平衡」な組織。固定はされていないけれど、なんとなくまとまりがある組織です。その考え方で成功を収めたのがサッカー元日本代表監督の岡田さんです。プロ野球のようにプレーヤー全員がベンチからの指示を仰ぐのではなく、瞬間瞬間でフィールドにいる選手が互いに反応し、連動することを掲げました。当社も意思決定を各プレーヤーに委ねていることで、強い組織となっているのだと思っています。

失敗は、何度してもいい。それでもできなければ、仕事を変えればいい。

荻野社長が仕事で心がけていることを教えてください。

さきほどの「意思決定をしない」という点にもつながっているのですが、スタッフに仕事を任せることでどんどん失敗してもらうことを心がけています。よく「一度した失敗は二度とするな!」と指導する方がいると思うのですが、それはどうかと考えます。子どもを見ていると、繰り返し繰り返しの失敗をして、やっとできるようになっていきます。大人もきっと同じはずです。失敗に対する過度なプレッシャーを与える人には、「そう言うあなたは子どもの頃どうだったの?」と問いたくなります。スタッフが失敗を繰り返し、それでもできないのであれば仕事の内容を変えればいいだけだと私は考えます。

御社の今後の展望についてお聞かせください。

私の中には「今後の計画」というのはありません。目標と計画を細かく立ててしまうとその目標にまっすぐ進んでしまうので“寄り道”ができないからです。寄り道ができないと、事業は硬直化してしまいます。時代が変わって「こっちのほうがいい!」となっても自由に行けなくなってしまうため、そのような経営はしていません。

ただ、当社のように動画やイベントをはじめとしたあらゆるコンテンツをスムーズに生み出せる会社は東海地区にはないと思っているので、この地域で信頼して任せてもらえる会社にしていきたいと思っています。

最後に、世のクリエイターにアドバイスをお願いします。

アナウンサーの世界にからめてお話しすると、アナウンサーには「個性を押し出すタイプ」と「個性は出さず、世の求めに応じるタイプ」の2つに分かれます。一般的にどちらが面白がられるかというと、それは個性を押し出すタイプです。

しかし、個性を押し出すタイプになるのは比較的簡単で、逆に世の中が求める「ど真ん中」の1点に向かって投げ込むのは、実は極めて難しい作業です。さらに、その「ど真ん中」は時代背景によっても競技によっても変わります。

私が言いたいのは、主義主張や個性を押し出すことに否定はしないけれど、その前にマーケットのど真ん中を見つけ、そこに投げ込む作業を必ずしてほしいということです。汗をかいて、苦しんで、懸命に投げ込む時代を過ごしてから、自分の個性を押し出すクリエイターになってください!

取材日:2018年12月11日

株式会社アンドアイ

  • 代表者名:代表 荻野 滋夫
  • 設立年月:2005年8月
  • 資本金:300万円
  • 事業内容:テレビ・ラジオ・イベント等のナレーション、司会、アナウンス業務/タレント・司会者等の人材育成のための教育、カウンセリング及びマネージメント業/タレント・司会者等の斡旋、仲介/雑誌・書籍の企画、編集、制作、出版業務/インターネットにおけるホームページの企画、立案、制作、運営、管理、及びコンサルタント業/その他
  • 所在地:〒440-0885 愛知県豊橋市中柴町12番地
  • 電話:0532-33-1430
  • URL:http://www.and-ai.jp
  • お問い合わせ先:上記ホームページお問い合わせフォームよりご連絡ください。

「よそ者視点」×「地域密着」で地方の課題を解決へ

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米、野菜、日本酒、菓子、食器、工芸品…新潟の産品を、生産者のこだわりや背景に迫った充実の取材記事と共に紹介しているネット通販サイト「新潟直送計画」。運営する株式会社クーネルワークは、「技術で人と想いを繋ぐ」をミッションに掲げ、ネット通販やホームページ制作、アプリ開発などを行う新潟の総合Webマーケティング企業です。代表取締役の谷俊介社長は、東京都港区出身。起業するまで新潟には住んだことがなかった谷社長が、地域に密着したサービスを軌道に乗せた軌跡に迫ります。

東京在住・独立志向ゼロから、新潟へ

会社立ち上げのきっかけを教えてください。

私は現在31歳、“ゆとり第一世代”と言われる世代です。丁度リーマンショック後の就職氷河期を目の当たりにして、大手に就職しても安定は望めないし、100社もエントリーしてどこか就職できても頑張れるイメージが湧きませんでした。そこでベンチャーの方が合っているのかもしれないと思い、友人の兄が立ち上げた不動産に特化したWebサービスを展開するベンチャー企業に大学4年でアルバイトとして入り、卒業後社員になりました。特に「この業界で働きたい!」ということはありませんでしたが、Webであればどの業界とも関われるし、新しいサービスがどんどん出るので新鮮な気持ちで励めるかと思ったんです。

独立願望は当時なかったのですか?

ありませんでした。自分が成長できるとか興味を持てるという基準でWeb業界に決めました。当時は主に大手不動産会社にマーケティングやSEOなどのコンサルティングを行ったり、自社の新卒採用などあらゆることを担当していました。 しかし、社会人経験がほとんどない自分がコンサルティングを行うことに違和感が募り、また社内では離職者が多かったことにももどかしさがあり、同期や後輩が辞めるとなった時に「一緒に何かやろう」と声をかけて、4人で東京から新潟に移住して独立することにしたんです。

当時は今ほど「ローカル」は注目されていなかったかと思います。

「何かやろう」と言い始めた時は、全く新潟に行くことは考えていませんでした。ただ社会人経験の浅い自分たちが東京で事業を立ち上げることは現実的ではなく、自分たちで着実に事業展開していこうと考えた時に、地方のほうが地域の人や資源との繋がりを基にやっていけるのではないか、地方でやるのも面白いのでは、という話になりました。新潟は祖父の出身地であることなど縁があり、東京からすぐ行けることもあり(新幹線で約2時間)候補になりました。

創業時の事業展開の試行錯誤を教えてください。

新潟に来た段階では本当に何も考えておらず、しかもWebには携わっていましたが技術職ではなかったので、まずはみんなアルバイトをしながらサイトの作り方などを勉強していました。それが2011年の4月です。事業を考える上でヒントになったのが、前職で知った「ドロップシッピング」という在庫を持たずにネット販売を行う仕組み。現在事業の核としているネット通販サイト「新潟直送計画」の前に2~3個通販サイトの立ち上げを行っているのですが、そこでドロップシッピングを生かしながらノウハウを磨いてネット通販に可能性を見出しました。時代的なこともあり、当時は放射線測定器やシムフリーのiPhoneを販売していましたね。

「よそ者視点」を生かして新潟の産品をネット販売

そしてついに「新潟直送計画」が誕生します。

生産者さんと直接連絡を取りながら、2011年の年末に約10店舗が参加する形で「新潟直送計画」を公開しました。 新潟に来た時に「(生産者は)作るのはうまいけど、売るのが下手だよね」という話を聞き、実際私も枝豆が美味しいから東京の両親に送ろうと思っても手軽に送れる手段がないなど、意外に販売環境が整備されていないことに気づいたんです。それに新潟で有名な「へぎそば」「ぽっぽ焼き」「タレカツ」などは、県外においてはほとんど知られていません。「知らない=探している人がいない」状況。聞いたこともない、試食もできない商品はまず売れない。その前提で、じゃあどう伝えたら興味を持ってもらえるか、という発想で、丁寧な取材で産品それぞれの魅力にフォーカスして紹介サイトを作っています。生産者の皆さんも作る作業で忙しいので、サイトの構築だけではなく、生産者さんの負担が少なくなるよう売買や配達のシステムも独自に開発しています。丁寧な取材と独自のシステムは、大手のネット通販企業では真似できないと思います。 この「新潟直送計画」は、私たちが「よそ者」だったからこその気づきや視点が設計に反映されているサービスなんです。

最初から手応えはありましたか?

分かってはいましたが、最初はなかなか売れませんでしたね。本当に最初の4〜5年は大した動きがありませんでした。「なんとか軌道にのるまで頑張ってよ」と生産者さんにも結構言われて頑張ろうとしても難しい。創業時はサイトの管理、取材、注文対応しながらバイトも続けていたので、生産者さんの新規開拓もなかなかできませんでした。 またネット通販の重要性を理解してもらえなかったり、「うちは農協で出すからいいよ」と言われると、地域のために必要なサービスだと思って作ったけれど、意外と必要とされていないんじゃないかという思いも湧いてきます。何度もやめようと思いましたが、そこは意地で続けました(笑)。

時間をかけて認知を広げつつ、2016年にもう一社と合併した前後から参加店舗が100店舗を超え、売上が伸びはじめました。 「よそ者視点」をポジティブに生かしてサービスを形にして、今は新潟に思い入れのある出身者が頑張ってコンテンツを充実させています。人手がかかる事業なので、その地域への思い入れが大事だと感じています。 現在は「新潟直送計画」の他に、Web関連の別事業も手がけています。「新潟直送計画」で得た取材情報を基に農家さんのホームページやリーフレット、パッケージなどを提案したりする事業が一つ。そして広告やマーケティングも含むクライアントの事業内容に合わせたホームページ制作と、大きく分けて2つになります。

新潟、山形、長野…地方の困りごとをビジネスの力で解決へ

地方で起業するメリット・デメリットを教えてください。

地方のほうが、その地域で求められているものが明確です。正直なところ東京にいた時は「これをやらないと!」というものは思いつきませんでした。地域は困っていることがあるから、それを解決するというシンプルにビジネスを組み立てることができるんです。 また、ネットはあくまでもツールなので、そこに何を載せるか、どうコンテンツを作るかが重要です。その点、地方は他の人が手をつけていないコンテンツがたくさんあるので、コンテンツそのものが資源になります。 デメリットは採用ですね。地方から都市への人口流出は採用にも大きな影響があります。それに地域活性化が叫ばれていますが、ビジネスでしか解決できないものがあると思っています。だからこそ、地元に根付いた魅力的な企業が若い人を雇い、県内外から広くお金を生む仕事を作ることが大事であり、東京からあえて新潟に来た時点で、そこはやらなければいけないことだと思っているんです。 私自身はやりたいことはあまりないんです。地域に求められているから事業を展開しているし、人を雇って育てている。その結果会社や事業が成長し、そこで働くメンバーが成長していくこと自体が面白いですね。

今後の展望を教えてください。

そう遠くないうちに、資金調達をして長野や富山、山形などでも「直送計画」を出すつもりです。新潟で求められているものは、きっと他県でもニーズがあると思うので、ローカルからローカルへの水平展開ですね。また「直送計画」以外にも地域のニーズに合ったサービスをたくさん作っていきたいです。飲食店や観光の分野に特に可能性を感じています。 また、若い子が意欲を持って働ける会社や地域に貢献する仕事が求められていると思うので、組織的には若い子が生き生き働ける環境を作り、人をどんどん増やしたいです。

取材日:2019年1月15日 ライター:丸山 智子

株式会社クーネルワーク

  • 代表者名:代表取締役 谷 俊介
  • 設立年月:2016年1月
  • 資本金:750万円
  • 事業内容:サイト制作・開発、広告・プロモーション、コンサルティング、グラフィックデザイン、アプリ開発
  • 所在地:〒950-2022 新潟市西区小針3-37-30 樋口ビル15号
  • URL:https://cunelwork.co.jp
  • お問い合わせ先:025-378-0158

月刊誌「Leaf」というブランドを生かし、多角的事業展開で成長

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京都の魅力が詰まった月刊誌「Leaf(リーフ)」は京都では誰もが知る情報誌です。そのブランド力を生かして、現在、ホテル・外食事業、文化施設・イベント運営など、多角的に事業展開している株式会社リーフ・パブリケーションズの代表である中西真也さんにお話を伺い、今に至るまでの経緯と将来の展望をお伺いしました。

ブランド力を持つことを目指し、月刊誌を発刊

まずは月刊誌「Leaf」を発刊されるまでのいきさつを教えてください。

高校卒業後、大手広告代理店であるリクルートに入社し、女性雑誌の広告営業として京都エリアを担当していたのですが、横浜への異動を命じられたことを機に、以前からつながりのあった仲間たちと独立し、京都で当社を立ち上げました。独立にあたりまず目指したのが「ブランド力を持つこと」。リクルートというブランドから離れた自分にはそれが必要だと感じたんです。そこで媒体を自社で持ちたいとリクルート時代にお世話になった企業に声をかけ、バックアップいただき、月刊誌「Leaf」の発刊に至りました。

一から媒体を立ち上げることにご苦労はありましたか?

これまでやってきたことと大きな違いがなく、苦労はしませんでした。企業から広告費を集め、そのお金で制作費と印刷費をまかない、雑誌の売り上げが丸々利益になるように調整でき、一年目から黒字スタートでした。一番、大変だったのはリーマンショックのあおりを受けた2008年以降です。雑誌の広告の価値が一気に下がり、大口スポンサーの獲得が困難な状況になりました。そこで「ブランド力を生かし、他の事業で収益を上げる」というビジネスプランを目指し、まずは2010年に飲食事業を立ち上げ、その後、2013年にホテル事業を新たに展開しました。「Leaf」という誌名には1枚の紙や葉などの意味があり、一から事業を始めて大きくするという意味を込めています。つまり、「Leaf」を立ち上げた当時から出版だけで食べていこうとは思っていなかったんです。

なるほど。しかし、「Leaf」は今でも人気のある情報誌でそれだけでも十分安泰のように思うのですが?

ありがたいことに出版業が不況と言われている最近でも販売数は減っていません。しかし、雑誌広告の価値が下がっていることは確かです。当社においては「Leaf」を10年、20年先まで発刊し続けることが一番の課題だと考えています。

事業展開の鍵は「優れた人材」

御社の強みを教えてください。

優れた人材に恵まれていることです。当社では自然と優秀な人材が集まってくれていて、運営は全て各部署に任せています。「Leaf」を立ち上げて2~3年経った頃、「Leaf」を飲食店に絞ったグルメ情報誌にしようと舵を切ったのですが、それも出版部が決めたことで僕は関与していません。つまり、社長が口出ししなかったから「Leaf」は22年も発刊し続けることができたのです。僕の仕事は社員がやりたいことを実現できる環境を整えることだけです。

「口出ししない」というのは社員を信頼しているからこそでしょう。それでは今後のビジョンについて教えてください。

22年やってこれたことで、「Leaf」さんであれば、京都のことなら何でも叶えてくれる」というブランディングができ、セールスプロモーションやイベント運営などの仕事もたくさんいただいています。これからも、「Leaf」というブランドになじむ事業であれば、新たな展開を目指したいと考えています。それはまず人材ありき。新たな「葉」となる才能ある人材と出会うことができれば、その人材に合う仕事を作っていく。これからもそのスタンスは変わりません。

最後に、当サイトを見ているクリエイターの皆さんに一言お願いします。

これからの時代において大切なのは創造力(クリエイティビティ)ではなく、想像力(イマジネーション)です。想像力があれば、あらゆる制作において可能性は無限に広がります。想像力を育てるためには、パソコンやインターネットにすぐに頼るのではなく、頭の中で想像する時間や思い描く時間を大切にしてください。物事を調べるのに、時間をかけ、苦労するくらいがいいのではないかと思います。

2018年1月18日 ライター:大垣 知哉

株式会社リーフ・パブリケーションズ

  • 代表者名:代表取締役 中西 真也
  • 設立年月:2000年1月(Leaf創刊 1996年4月)
  • 資本金:1,000万円
  • 事業内容:出版、販売促進・マーケティング・ブランディング、施設・イベント運営、ホテル・外食事業
  • 所在地:〒604-8172 京都府京都市中京区烏丸三条上ル場之町592 メディナ烏丸御池4F
  • URL:https://recruit.leafkyoto.net
  • お問い合わせ先:info@leafkyoto.co.jp

WebLeaf(ウェブリーフ):https://www.leafkyoto.net/


楽しくなければ意味がない。スキルを磨いて作り手、クライアント、ユーザー全てが笑顔になる仕事を。

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印刷、製版、DTP業界から始まり、CGアニメーション、ゲーム、システム開発など様々な制作現場でその力を磨いてきた株式会社アットプラスデザイン代表取締役の伊藤和広さん。高いスキルで幅の広い仕事をこなす人材の育成や「仕事を楽しむ」という会社のモットー、今後取り組んでいきたい分野などお話をお聞きしました。

人気雑誌のデザイナーだった兄の影響で印刷、製版、DTP、デザイン業界へ

現在の会社を立ち上げるまでの伊藤社長のキャリアを教えてください

私は北海道出身ですが、当時、雑誌「POPEYE(ポパイ)」(マガジンハウス)のグラフィックデザイナーだった兄の影響もあり、学校卒業後は東京で印刷、製版、DTP業界に入りました。そこでデザインや印刷、製版、DTPなど制作の基礎を10年ほど勉強させていただき、素晴らしいデザイナーやカメラマンに出会い、編集の素晴らしさや過酷さを学びました。その会社を退社後は札幌に戻りアニメーション会社に入社。1995年から1996年にかけてテレビ東京系列局で放送された「アニメ缶」という番組内の「ビットザキューピット」というアニメの制作現場で制作進行・制作ディレクター・制作プロデューサーを担当しました。日本で制作された連続アニメとしては初めてのフルCGアニメーションでした。その後はゲーム・ソフト開発会社に入り、営業、制作プロデューサーとしてゲーム・システム開発、Web制作、サイト構築なども経験しました。Web制作やサイト構築は黎明期で、その当時はまだコーディングなんて言葉もなかった時代ですね。これらの経験から、制作や開発のすべてはデザインとの融合がなければ面白いものは作れないのだなと感じていました。

その後はお兄様の会社に入られたのですよね

その頃は兄がすでに独立し東京でデザインプロダクションを経営していました。この時も兄の影響を受けて「自分も独立しよう」と思っていたのですが、「それならうちの会社で北海道担当になってみないか」と兄に声をかけてもらい、兄の会社「株式会社アニーデザインオフィス」の北海道支社支社長として入社し、立ち上げました。これが2000年頃の話です。
会社では色々な企業のデザイン制作やシステム構築などを受けていましたが、東京と北海道ではかなり畑が違っていて、当時私が受けていた仕事で多かったのは自治体HPの制作やシステム開発・構築です。北海道全域へ何度も出張して年単位の時間をかけて提案をし、コンペ・入札を経て受注するという流れです。新参者のデザインプロダクションだったので、自治体から直接仕事を頂けず、コンペを勝ち抜いた会社の下請けという形でシステム構築やWeb制作を受ける場合も多くありました。兄の会社では10年ほど働き、その後札幌で独立しました。

独立のきっかけは何でしょうか?

簡単に言うと営業方針の違いですね。兄は東京で私は北海道。東京と北海道では仕事の種類や内容、クライアントの傾向も異なります。北海道の仕事をメインにやりつつも、こちらは支社ですから本社から振られる東京の仕事もこなし……同じ仕事に対しても少しずつ考え方のずれが出てきてしまったのです。それでここで袂を分けて北海道で独立することになりました。

独立時のご苦労もあったのではないでしょうか?

一番苦労したのは人材の確保です。私の独立・分社にあたって北海道支社のスタッフも引き継ぎたかったのですが、「東京で力を試してみたい」と優秀なスタッフが兄の会社に移ってしまいました。こういう時って重なるもので、その他のスタッフも色々な事情で退職してしまったりと、私が北海道支社で採用し育てていた優秀なスタッフ達がこのタイミングでほとんどいなくなってしまったのです。あの時はかなり焦りました。株式会社アニーデザインオフィスから引き継いでそのまま抱えている案件も多数あったので、通常業務をこなしながらまた新たに人材を採用し育てて行くというのがとても大変でした。

企画提案からシステム構築までワンストップで提供できる人材を育成

御社の強みはどんなところだと考えますか?

Web制作案件は業務が細分化されて担当が分かれていることがほとんどだと思うのですが、当社は1人の担当者が一連の流れを全て行うことができるということが強みと言えるのではないでしょうか。クライアントに新しい企画を出し、企画に基づいたデザインを考え、システム開発やコーディングまでできる。そういう人材を育てることに重きを置いています。もちろん育成には時間もかかりますし、全員が全員そうなれるかというと難しい部分もありますが、その方が幅の広い提案ができるのです。

企画からデザイン、システム構築までとなると、社員に求めるレベルもかなり高いのではないでしょうか?

初めから全てできなくても大丈夫ですよ。当社はインターンに来ていただいてそのまま入社してくれた方も多く、実務経験がない・少ない方も時間をかけてしっかり育てるつもりで人柄やポテンシャルも見ながら採用を行っています。技術的なことは先輩スタッフが教えますから、それよりも興味を持って楽しく取り組める方、コツコツやりきる力を持った方が伸びると思っています。Webやシステムの技術進歩は目覚ましいですから、今年からは最新技術を学ぶ勉強会を定期的に行うことにしました。例えばコーディングやシステム構築に関しては現在主流のPHP※1とMySQL※2はもちろんGo※1なども勉強しています。デザイナーがプログラミング言語を学ぶのはなかなかハードルが高いですが、そこはやはりそういったものが好きな人が集まっているので、みんな興味を持って取り組んでくれていますね。

※1 PHP、Go…プログラム言語。GoはGoogleによって開発されたプログラミング言語で従来の言語と比べて処理速度が速く、利用者が増えてきています。 ※2 MySQL…サイト構築やシステム構築で使われるデータベース管理システム

仕事をする上でモットーとしていることは何ですか?

楽しむことですね。全てにおいて、楽しくないと意味がないと思っています。もちろん仕事ですから大変なことや辛いこともありますが、その中でも自分で楽しめる部分を見つけて楽しい仕事に変えていくことを心がけています。私自身は仕事の成果が表れた時に目的にぴったりとはまり、クライアントに喜んでもらった時が一番嬉しく楽しいです。仕事とは本来楽しいものだと思いますよ。若いスタッフも楽しんで仕事ができるように、私のような年長者が楽しく働いている姿勢を見せていきたいと思っています。

様々な分野で楽しめるシステム開発を

今後注力したい分野などはありますか?

医療や健康の分野で人の役に立つシステムの開発をしたいなと思っています。以前にもウォーキングの時間や距離、歩数を測定して旅行に見立てるゲーム仕立ての健康管理システムを自治体と共同で開発したことがあります。人の役に立つもので、ちょっとゲーム性があって楽しんで使えるようなシステムを考えるのが好きなんです。具体的には秘密ですが、現在も医大の先生方と共同開発中の医療系案件もあります。

今後の展望を教えてください

会社をすごく大きくしようとか売り上げを倍にしようとか考えているわけではないのですが、将来的には東京に拠点を一つ置きたいなと思っています。東京からの仕事の問い合わせを受けることも多々あるのですが、物理的に離れているので打ち合わせが大変で。電話やメールで事足りる場合もありますが、実際に会って打ち合わせが必要なものも多いので都心に拠点が一つあると東京の案件も進めやすくなるのではないかと考えています。

東京支社設立ですね。ぜひ実現してください。

現在当社には在宅で仕事をしているスタッフもいます。家庭の事情で毎日出社してフルタイムで働くのは難しいけれども、能力は高いという方はたくさんいます。今は主に主婦の方がそうですが、これからは女性に限らず男性もそういった働き方がしたい方は増えてくると思いますよ。東京に拠点を作った時には、事務所へ常駐のスタッフは1、2名にして、制作スタッフに関してはそのような在宅スタッフを中心にしたいなとぼんやりと考えてもいます。これからの時代の流れにあった新しい企画やシステムを提供する会社ですから、働き方や考え方も新しいことを柔軟に取り入れて、楽しく仕事をしていきたいですね。

取材日:2019年1月22日 ライター:小山 佐知子

株式会社アットプラスデザイン

  • 代表者名:代表取締役 伊藤 和広
  • 設立年月:2006年11月7日
  • 事業内容:Webサイト制作、Webアプリケーション開発、ロゴマーク制作、大型モニター情報発信など
  • 所在地:〒064-0914 北海道札幌市中央区南14条西7丁目3-40 コルブ606
  • URL:https://atplus-design.com/

テレビ業界に必要なのは人材!!継承と個性の融合で魅力的な番組を創出

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関西ではお馴染みの『ちちんぷいぷい』、『せやねん!』(MBS毎日放送)、『大阪ほんわかテレビ』(読売テレビ)、『なるみ・岡村の過ぎるTV』(朝日放送テレビ)などテレビ番組の制作を数多く手がけている株式会社一歩本舗。ディレクターや番組全体のデイレクションを一手に引き受ける総合演出としても活躍している空口 一城(そらぐち かずき)社長は、この仕事の魅力について「何カ月もかけて制作したものが形として残らず、1回で終わる潔さ儚さが作り手としての魅力なんです」と語ります。フリーで活躍するディレクターが多い中、このままでは若いADが育たないと業界全体の将来も慮り、社員の育成にも余念がありません。
自分が面白味を感じて作らないと魅力的な番組は作れないと、仕事に誇りと強い信念を持つ空口社長にテレビ業界への想い、また将来の展望などについてお話をうかがいました。

この業界で働くきっかけもテレビから

これまでのキャリアについて教えてください。

この業界に興味を持ったのは、中学生の時に見たテレビの制作現場を舞台にしたドラマで、そこからずっと夢がぶれませんでした。高校卒業後は専門学校に行きながら、テレビ局で天気番組の制作スタッフをアルバイトで始めたんです。早朝5時半から番組が放送されるので、夜中の3時半からスタジオに入り、一人で準備をする日々が続き大変だったのですが、現場で多くのことを学びました。その後、いくつかの制作会社で実績を積み、東京のテレビ局の仕事もしましたが、眠れない・帰れないは当たり前の時代でしたので、心身ともに結構きつかったです。AD時代はとにかく早くこの状況から抜け出してディレクターになりたい、その一心でした。ディレクターになれば、周りに振り回されることなく自分のスケジュールで進められますし、視聴率が良ければ自分の手柄になりますしね(笑)。毎日放送の「ちちんぷいぷい」の立ち上げ時にチーフADになり、当時のディレクターにその仕事ぶりを認めてもらい、その方が所属する制作会社へ誘っていただきました。そこで本格的にディレクター業等を教えていただき、関西テレビの「2時ドキッ!」で念願のディレクターになることができました。

良い人材なくして良い仕事はできない

独立されたきっかけは何ですか?

当時勤めていた制作会社の社長をはじめ、ほとんどの人が職人気質で、会社として社員を育てるとか売上の重要度をあまり考えていないように感じたんです。一人挫折しかけていた若手の男性社員がいたのですが、誰からも手を差し伸べられることもなく、このままだと潰れてしまうと思ったので、彼の才能を見込んで直接テレビ局にギャラ交渉をして常駐で置かせてもらえるようお願いしたんです。次期社長候補も同じようなタイプだったので、それならその彼を連れて独立しようと思い、会社に引き留められ2年かかりましたが退職に至りました。

雇われる側から雇う側になったことで、心境の変化はありましたか?

社員が育っていくのが本当に楽しいです。年数を重ねるごとに社員はどんどん偉そうに僕に色々言ってきますけど(笑)。例えば僕がロケのスケジュールを大まかに入れていると、入社して2年も経てば「これ無理違いますか?」とかすぐに言ってくるんです。口では「うるさいなぁ、今から調整するねん」って返すんですけれど、本音はここまで分かる位に成長したんだなって嬉しいんです。前の会社から連れて来た彼も今では局内で僕より有名になるくらいディレクターとして活躍しています。夜中に撮影が終わっても皆がこの事務所に戻ってきて、会社にあるソファーで寛いでくっちゃべっています。他の制作会社からは疲れているのになぜ事務所に戻るのか不思議がられていますけれど……。

思った事も言いやすく、皆にとって居心地がいい会社なのですね

そうあってほしいです。でないと社外で力が発揮しづらいと思います。上から怒られてばかりだと、委縮してしまって良い案が思い浮かんでも会議等で発言が出来なくなってしまいます。目上の人と居心地良く付き合うことを社内で学んで、どんな場所でも、どんな案でも思いついたことをちゃんと人に話せるようになってほしいのです。若いADの発言って新鮮で意外とヒントになることが多いんです。そういうものをどんどん取り入れていかないと新しいことって生まれてこないと思うんです。

大切なのは人を知ること

最近の御社の実績を教えてください。

関西の皆さんに馴染みのあるところで、読売テレビの『大阪ほんわかテレビ』の「たむらとすちえのヒットの秘密パクります」というコーナーを立ち上げから担当しています。これはざっくり言ってしまえば人気店の紹介になるのですが、お笑い芸人が経営する焼き肉店にもう一度活気を取り戻す方法を探る、という切り口にするだけで、美味しいハンバーグ店の紹介でも、ヒットの理由を見つけ出すというコンセプトでレシピから紹介していくと斬新な印象のものに仕上がるんです。また、毎日放送の『せやねん!』の「スマイル工務店」という若手の男性漫才コンビを起用したコーナーは、立ち上げ時から僕がディレクターを担当していたものを、社員に任せたのですが、正直、今のほうが遥かに面白いコーナーに仕上がっています。僕は要所要所で撮り終えてしまうのですが、その社員は彼らのノリを理解した上でずっとカメラを回しているんです。それが出演者の良さを引き出し、結果コーナー全体が面白くなる要素につながったんです。

出演者の特長を理解することが重要になってくるんですね。

僕が15年程ずっと一緒に仕事をさせてもらっている男性漫才コンビがいるのですが、僕が若い頃に欲張って撮り続けていると「いつまでカメラを回すつもりやねん」とよく怒られたんです。彼らが今オチを言ったというのを察知して瞬時にカメラを止める、それを阿吽の呼吸で出来るように鍛えられました。それをスマイル工務店の漫才コンビにも同じようにしようとしたら、それは彼らには合わなかったんです。それを見抜いた社員の凄さに悔しい半面、その何倍も嬉しかったですね。

テレビ局からは、どのようなオーダーがくるのですか?

既存の番組にタレントや内容に指定がある新コーナーの立ち上げや、新番組の立ち上げで、テレビ局からは予算と時間帯の枠だけを提示され後は弊社サイドで取り仕切るといった依頼もあります。現在、愛知県で担当している案件は、1時間で予算のみ設定されています。特番の総合演出をしながら、新番組やコーナーの立ち上げも並行して進めています。

空口社長にとって仕事の醍醐味とはズバリ何でしょうか?

テレビって例えば約4カ月かけて制作したものが、書道や絵画のように形に残らずリアルタイムに放送時間内に1回で終わってしまい、基本的にその後、一生誰の目にもふれないんです。そのいさぎよさ、儚さがたまらないですね。100人作ったら100通りのものができますし、コピーができないという所も作り手としては面白いところです。あと社長としてはやはり社員の成長が一番励みになります。最近は編集もパソコンでほとんどの事ができるようになり、フリーで活動するディレクターも増えているのですが、それでは駄目だと思っていて、自分はディレクターまで育ててもらったのに、なぜ人を育てないんだろうと、自分たちのことだけだとADは育たないんです。脈々と受け継いでいくものをちゃんと伝えたくて、僕は会社組織にして社員を雇い育成することにしたんです。社員にもフリーになるにしても、必ず人を雇って育てなさいと言っています。

上になればなるほど仕事は面白くなる

最近はメディア接触時間などWeb動画の台頭について、どのようにお考えですか。

僕個人としては、ボクシングもリングがあるから興行として成り立つのであって、リングを取っ払ってグローブを外すとただの喧嘩になってしまうと考えています。リングに入ろうと思えばちゃんと練習やトレーニングもしなければいけないし、体力もつけないといけない。その上、ルールや縛りがある中で限界まで取り組むという難しさもあります。テレビとWeb動画の違いってボクサーとストリートファイターの違いだと考えていて、今はストリートファイターのリアルさが受けています。ただ万が一地上波が無くなっても潰しが利くのはちゃんとトレーニングを積んだものだと思います。社員にはWeb動画の仕事をするのはいいが、トレーニングを重ねリングに上がれる状態になってからにしなさいと話しています。

今後はどのような人材を求められていますか?

怒られた10分後に普通に話が出来るような切り替えが早い人です。ロケ中にどれだけ怒鳴られても収録後、皆で食事する時には和気あいあいとして引きずらないことが一番必要な気がします。あと、入社して半年とか1年で嫌になるタイミングって誰にでも出てくるんです。1年間取り組んでいる時間は少しずつでも経験を積み重ねているのですが、辞めてしまえばその費やした時間経験全てが「無」になってしまうんです。辞める前にそのことを考え、時間に対してとことんケチになってほしいと思います。

今後の展望について教えてください

この業界ってプロデューサーの下に総合演出がいて、その下にディレクター、ADといった構成になっていて、社員全員には総合演出ができるようになってほしいです。例えば1時間番組の場合、15分間の4コーナーに各ディレクターがいて、それぞれ自分の持ち分のみ責任を持って担当するのですが、総合演出になれば統括して丸々1時間を受け持つことになるんです。視聴率が悪ければスポンサーへの責任も含め全部自分にのしかかってきます。その分目標視聴率を超えた時や出演者・視聴者などから喜びの声をいただいた時には本当にたまらないですね。自分のやりたい番組を制作できるようになり、早くそれを味わってほしいです。

取材日:2018年12月20日 ライター:川原 珠美

株式会社 一歩本舗 [IPPO HONPO.Co.,Ltd]

  • 代表者名:代表取締役 空口 一城
  • 設立年月:2014年3月
  • 資本金:300万円
  • 事業内容:テレビ番組の企画制作/CMの企画制作 など
  • 所在地:〒530-0041 大阪府大阪市北区天神橋3丁目5-3-305
  • 電話:06-6242-8781
  • FAX:06-6242-8782
  • URL:http://ippohonpo.co.jp/

ゲームの力で世の中を便利に

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ゲームやVRなどのデジタルコンテンツの制作を⾏い、自社でもゲームを開発している株式会社トライコア。2017年に誕生し、たった2年でタニタや三菱地所など、大手のデジタルコンテンツも多く手がけ、海外のショーでも展示が展開されるなど、急成長の兆しを見せています。今後の動きが注目される新進気鋭の会社の代表に、運営にあたって抱く強い使命感と、その根底にあるゲームへの絶えることのない情熱について語っていただきました。

好きなゲームを仕事に、ゲーム好きな仲間と会社を

ゲームの開発が現在の主な仕事ですが、やはりもともとゲームがお好きだったのですか?

そうですね。大好きでした。小学生のとき、私の家では夜にゲームをしてはいけないという決まりがあったのですが、その裏をかいて朝3時に起きてひたすらゲームをしていたような子供で。当時はスーパーファミコンで「スーパーマリオブラザーズ」(任天堂)や「スーパーメトロイド」(任天堂)に夢中になっていました。「ファイナルファンタジーVII」(スクエイア、現スクエア・エニックス)の長いエンディングが見たくて学校に遅刻して親に怒られたこともありましたね。中学の時はインターネット黎明期だったので、友人と素人の小説サイトを作ったことをきっかけにゲームを作ろう、という話になって、ゲーム自体は作らないまでもゲームに登場するようなドット絵を作ったりしてゲームの世界に興味をもっていました。

ゲームを作ることを仕事にしようと思ったのはいつ頃でしょうか?

高校2年のころに「RPGツクール」(株式会社KADOKAWA)というRPGゲームを制作するソフトで、友人と自分たちの住む町を舞台にしたゲームを作りはじめました。友人の家をダンジョンにしたりして。内輪ノリのものでしたが、今遊んでもなかなか面白いものができました。そんな中でゲームを作る楽しさを感じたんですね。それから進路を考えるときに、保育士、海洋生物学者、ゲームを作る人、という3つの夢から、ゲームの道を選びました。初めはゲームの絵を描く人になろうと思っていたのですが、「万が一ゲームでダメでも食べていけるものにしたら?」と母にアドバイスされて、プログラミングを学ぶ専門学校に進みました。結果的にそのプログラミングの道が自分に合っていたようです。

そこからどのように本格的な仕事の道に進まれましたか?

専門学校2年の時から、ゲーム制作会社の株式会社サイバーコネクトツーで報酬をいただけるインターンシップ「プログラムマスター」に応募し、採用していただきました。 世の中に出回っている人気のゲームの最先端にかかわることができる環境でPlayStation®3のソフトなどを多く手がけました。ここで卒業後も働き、計8年間を過ごしました。とてもハードな仕事でしたが、何よりもゲームを作ることが楽しいと思えましたし、ここでゲーム作りの基盤となる技術や、「ゲーム開発者はかくあるべし!」という心構えを身につけられたと思っています。

そこからどのように起業を?

サイバーコネクトツーの後、ブラウザゲーム※1の制作会社で1年働いて、大きなプロジェクトを任されました。その時に、専門学校の同期を含む交友の深かったプロのクリエイターたちと取り組んだその仕事が思いのほか早く進められ、いいものを作ることができて。このメンバーすごいな、と思ったんです。それから1年間フリーランスで働いて、その時の3DCGアーティストとプランナーと一緒に3人で仕事を始めることにしました。初めはそれぞれフリーランスの立場で自分の仕事をこなしながらなんとか一緒に仕事をしようとしていましたが、あまり時間の融通が利かなかったり、クオリティーも上がらずに。そこで定期的に給与がもらえる会社の形を作って、集中して仕事に取り組める環境を作ったほうがよいのでは、と、皆の銀行になるつもりで起業しました。当時29歳でしたので、なんとか20代のうちに起業したいという気持ちもありましたね。 ※1ブラウザゲームとは、ウェブブラウザ上にて遊べるゲームの総

自分のエゴではなくクライアントとのコミュニケーションを大切に

そうして起業なさって、現在どんな仕事が主なんでしょうか?

主なものが、会社として業務委託を受けて、ほかの会社がゲームやデジタルコンテンツを作る際に開発のお手伝いをする、という形のものです。2Dのデザインができるスタッフやシナリオライターなど数人、同種別の職種同士二人でチームを組んで、委託先で仕事をしています。一般的なゲームの開発はもちろんですが、最近印象に残っているものですと、タニタさんの体重計とピンボールを合わせた「TANITA PINBALL」の開発にかかわりました。この商品はアメリカのラスベガスで開催された世界最大の家電見本市「CES2019」で展示されました。

素晴らしい実績ですね。そのような仕事をこなせる御社の強みは何でしょうか?

なんといっても全員がそれぞれの分野のベテランで、仕事が早く、プロ意識が強いことです。プロ意識が強い、というのは自分のエゴのために作りたいものを作ろうとするのではなく、先方とのコミュニケーションが取れる、ということです。

なるほど。ゲームを作る方というと一般的に寡黙なイメージもあるかと思いますが。

トライコアの社員は皆、その点で優れています。たとえば先方がなんとなく言った「いい感じで」という言葉を実際にゲームにしたら、プログラムにしたら、具体的にどんな提案ができるのか、相手とのコミュニケーションを大切にしてそのイメージを実際の商品として実現するメンバーばかりです。

ここまでお伺いしていて、単にいわゆるゲームだけを作っているというイメージではないですね。

そこも私たちの強みです。全員ゲームは大好きですが、ゲームを作ることばかりにこだわっていない。ゲームでなくても、要求があれば私たちの技術を使って実現できるものは積極的に形にしています。例えば三菱地所さんの都市直下型地震体験VRなどもその例ですね。株式会社トヨタプロダクションエンジニアリングのVRショールームなども手掛けさせていただきました。ゲームにとらわれず面白いものを作る会社と思っているので、私はトライコアを「ゲーム制作会社」ではなく「デジタルコンテンツ制作会社」と表現しています。

世の中を便利にすること、ゲーム業界を健全にすること、目標はこの2本柱

大手の会社の仕事もたくさん手掛けて、勢いに乗っているように感じますが、これからの御社の目標は?

柱は二つあるのですが、そのうちの一つがゲームを使って、あるいはゲームの技術を使って、世の中をもっと便利にしたい、ということです。たとえば、銀行のATMとか、電子レンジとか、インターフェースが良くない。もっと反応が良ければ、とイライラしている人は多いはずです。ああいう日常の場面にもゲーム界の技術を応用すれば、もっと便利なものを「当たり前」にしていけると思っています。そうして自分たちが作ったコンテンツで、世の中のものがもっと使いやすくなって、それを私たちも実感したいと思っています。

もう一つの柱はなんでしょうか

まず、ゲーム業界を健全にする、ということですね。これまでゲーム業界にはどれだけ残業できるかが正義、というようなハードな風潮があった。そんな風にものすごく苦労をして、さらに博打を打つように発売する。これは決して健全とは言えないんじゃないかな、と思っています。そして、ゲーム作りをより身近なものにしたいですね。私たちは、もっとインディーズの市場のようにカジュアルに、作っている本人たちが本当に作りたくて、楽しめるゲームを作ることができる風潮を作って、結果としてそれがきちんと売れるような環境を作りたいんです。この二つの柱は私にとって「使命」です。

ゲームが好き。そのワクワクを忘れてはいけない

現在はオリジナルのゲームを作ってはいないのでしょうか。

それが、当初は業務委託でお金をためてから、それを資金に自社のゲームを作ろうという話をしていたはずが、最近やはりゲームを作りたくなってしまって。仕事の合間に皆でノベルゲームを作り始めてしまったんです。そしたらそれがついエスカレートして、ついにフル3Dグラフィックスゲームが完成してしまいました。「夕鬼(ゆうおに)」というゲームなんですが、先日、台北ゲームショウ2019に出展しました。私たちが懐かしく思う、平成初期の懐かしさをゲームにしたものです。テレビにもあまり規制がなく、今では考えられない事件が起こっていたり、便利さと不便さのカオスというか。あの時代の面白さを平成最後に伝えられるような作品になっていると思います。近くNintendo SwitchとSteam VRから発売予定です。

聞いているだけで楽しそうですね。やはり原動力はゲームの楽しさですか?

はい。今も仕事の合間にたくさんゲームをしていますし、作っていてつらい時も、ゲームのワクワク感だけは忘れないようにしています。ゲームを作る面白さって誕生日パーティーとかでサプライズを仕掛ける面白さに似ています。これをプレイした人どんな反応するかな、というのが一番の楽しみです。

最後にこれからクリエイターを目指す方にメッセージをお願いします。

ゲームの業界はまだまだ未成熟です。だからこそ、何か思うところがあれば自分たちで変えるつもりで若い感性を生かしてぶつかってほしいです。そうすれば変わる業界でもあります。ゲームを作っていると「好き」の気持ちを忘れそうになりますが、そんなときはきっとゲームをやったら初心を思い出せるはず。自分が好きでやってるという気持ちを忘れないでいてほしいです。私も「すげえって言われたい」という、始めた頃の純粋な気持ちを常に大切にしています。

取材日:2019年1月29日 ライター:有村 千裕

株式会社トライコア

  • 代表者名:代表取締役 由比 建
  • 設立年月:2017年5月
  • 事業内容:コンピューターゲームの企画・制作・販売、デジタルコンテンツの企画・制作・販売、専門学校等での講師業務、各種セミナー等の企画・運営
  • 所在地:〒810-0001 福岡県福岡市中央区天神1丁目15-5天神明治ビル2F
  • URL:http://www.tri-core.co.jp
  • お問い合わせ先:t.yui@tri-core.co.jp

格好良くありたい。クリエイターである前に会社の顔である自覚を促す美学の重要性

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『ちおちゃんの通学路』(TVアニメ)、『艦隊これくしょん -艦これ-』(劇場版、TVシリーズ)など話題の作品を制作しているディオメディアは設立からまだ十数年の若い会社ながら、急成長している注目のアニメ制作プロダクションです。『会社は人』と語る代表、小原さんはアニメーター出身。現場を知るクリエイターが、何を思って会社を作ったのか。そして、アニメ制作という現場から、何を見ているのか。
思い描いた世界へと近づいていくディオメディアの軌跡を、代表取締役の小原さんと制作部本部長の川人さんに伺いました。

会社の軸になるディオメディアの美学

思い描いている会社の企業像は?

小原さん:「ワンマン企業」とは真逆の企業ですね。
なんでもトップダウンで決める企業には限界があると思っているんです。
会社にまつわる「お仕事」については、ボトムアップですべての物事を決められる企業が理想です。
上司に言われたのでこうしました。ではなく、こうすることが最善だと話し合って決めて、上司に掛け合うという形です。
自分たちで決めて、自分たちの決めたことを実行することのほうがよっぽど責任感を持って仕事ができる環境にあると思うんです。
命令はどこまでいっても命令じゃないですか、それを実行する子たちにはなんの責任感もなく仕事をされることのほうが恐怖です。

僕はこういったインタビューでも作品については、あまり語りません。
作品は現場のスタッフのものであって、僕のものではないと思っています。
作品のために頑張った人が、作品において脚光を浴びるべきだと。
それがプロとしての責任感につながると思ってます。

形にこだわってこそプロという美学とは?

小原さん:まず「プロのクリエーター」というのは、僕の中で「かっこいい」ものなんです。
だから「プロ」は例えば、服装一つにしても友人の結婚式にジャージで参加したり、仕事をパジャマでしているような人であってほしくない。という思いがあります。
高いか安いかが重要なのではなくその時の、そのシチュエーションに合わせて、自分なりの「こだわり」をもっていることが「かっこいい」につながると思っています。
どれだけ頑張って仕事したって、上下スウェットで24時間365日仕事してる人間になりたいか、という話です。
仕事についても、「仕事の仕方」にこだわりを持って欲しい。
それが僕のいう「形にこだわる」ということです。
制作も含めて、アニメーション制作にかかわる人間はすべて「プロのクリエーター」です。
なので、まずいい絵を描くということ、スケジュールにもこだわること、大人として、プロのクリエーターとして常に「かっこよく」あろうとする、努力のできる人間であってほしいという願いみたいなものです。
それが、プロという美学だと思います。

作りたかったのは『普通』の会社

会社設立時にはもうその美学はあったのですか?

小原さん:ちょっと生意気かもしれませんが、フリーのアニメーターだった時にも僕なりの美学はありました。
でもそれは「僕なりの美学」であって、あくまで考え方を伝えるための手段です。
さっき言ったこととちょっと矛盾するかもしれませんが、個人が個人なりの美学をもって仕事をすることが大事だと思っています。

会社を作る上で重要だった点はなんでしょう。

小原さん:一番重要だったのは「ゼロから人を育てて、その育てた人間と一緒にアニメを作りたい」ということでした。

僕はアニメーターなので、その僕が「人を育てる」というと絵のことがまずイメージされると思います。
でも本当にそれだけかなと。
制作会社には当たり前ですが、制作部があって、作画部があって、仕上げ、撮影がある会社もあります。
僕も若い時にいろいろな部署の人に様々なことを教わりました。
自分の作業の後にこれだけ大勢の方の作業があるんだということも学びました、自分の仕事だけしていればいいというわけではありませんでしたね。
そう考えたときにやっぱりトータルで制作を学ばなければ、人は育てられないと思いました。
人を育てるために、最初から制作プロダクションという形で考えていました。

そして実際に会社を設立したんですね。

小原さん:会社設立にあたり、いろいろ考えていたころ、当時作品に携わっていたアシスタントプロデューサーが会社を辞めて、起業したという話を聞きました。
彼とは仲が良かったので、会社の設立についての詳しい話を聞いたりしてました。
そういった交流の中で、一緒に会社をやることになりました。
それが「スタジオバルセロナ」です。
彼が制作を担当し、僕がクリエイティブ担当という形になりました。
人材は基本すべて新卒採用、教育はゼロからのスタートです。
彩色部に関しては、経験がなかったので他の会社に頭を下げて教えてもらったりしていました。

  その後、彼が体調を崩し業界を離れることになり、そのタイミングで一度会社的にリセットしようと考えました。
それでも僕についてきて来るというスタッフと一緒に新しく、会社を登記し、立ち上げました。
制作プロデューサーのいないところから再スタートしました。
それが「ディオメディア」です。

会社として生き残っていくために必要な仕事や人材

どのように人材や仕事を集めたのでしょうか

小原さん:当時知り合いのメーカープロデューサーに仕事の相談をしたところ、「小原さんがプロデューサーをやるなら」と条件付きで、お仕事の企画を持ってきてくれました。
プロデューサーなんてやったことのない僕に、「全部教えるから、一緒にやろう」と押してくれたことが、とても嬉しくて、有難かったです。
その作品が「侵略!イカ娘」でした。
同時期に「荒川アンダー ザ ブリッジ」では、以前所属していたシャフトの久保田社長からも同様にラインプロデューサーとして、参加させていただきました。
その時の経験を活かし「侵略!イカ娘」では本格的に制作部のセクションで働くことになっていきます。
ありがたいことにそこそこ当たって、その後、イカ娘のグッズを出さないかという話にもなりました。

ディオメディアはキャラクターグッズも展開していますよね。

小原さん:会社を設立するにあたって、「人を育てる」ということを基本に考えているものですから、当然、会社スタッフを正社員として雇用したかったんです。
なので、単純に当時は制作費だけでは、社員の福利厚生までは手が回らなかったんです。
アニメーション制作は支払いタイミングによっては、厳しい状況もあります。
色々模索していたころに、メーカーから『侵略!イカ娘』のグッズを作らないかと奨められました。
どうせやるならどこかに委託してやるのではなく、自分たちでイチから始めたいという思いになっていきました。
社員のアニメーターの中にグッズ制作に興味のある人間もいたので、その人間と本格的に話し合いを進めていきました。
当然彼はアニメーターなので、二足の草鞋を履くことになるわけです。
でも僕はやるなら本気でやらないと意味がない、今後も続けていきたいと思っているわけですから、彼と一緒に物販事業部を立ち上げ、彼にその部署を任せたいと思ったんです。
彼も、アニメーターとしての自分のスキルが商品デザインに活かせるということで前向きに考えてくれてディオメディア物販事業部ができました。

これが、アズメーカーという会社の前身です。

会社の要は人。人をゼロから育てるのが楽しい

教育や学びがディオメディアの強みということでしょうか

小原さん:僕自身もたくさんの人にいろんな事を教えてもらってきました。
成長というのとは少し違うかもしれませんが、変化をしていくためには人の影響や教育は重要です。
また、ディオメディアの強みにはジョブチェンジがあることも挙げられます。
制作会社では珍しく、先の物販事業部のことや、本人が希望すれば他部署へのチェンジに寛容です。
アニメーターが総務になったりすることも可能です。
ただそれはシステムの問題で、生え抜きを育てること自体が強みの本質だと思います。
それがチームワークの強さにつながっています。

クリエイターが働く上で大切にしていることは?

小原さん:商業アニメーションは一人では作れません。
リレーのような作業なんです。
例えば「アニメーターが原画を描く」というのはアニメーション制作においてはあくまで工程の一つです。
次のセクションの人の作業のためにバトンをつなげていく作業です。
各セクションの人間が自分の仕事に責任とプライドを持ってこなし、バトンを渡してくことで、各部署のクリエーター同士が高めあっていける環境が大事だと思います。

人を教育する会社を作ろうとしたということですが

小原さん:業界に入りたての新人の頃、僕が挨拶をしても、返してくれない人がいました。
当時僕はこの人がそういう人なんだと思っていました。 
もちろん個人作業の多い現場ですから、そういうシャイなひともいるのだろうと。
でも違ったんです。
業界全体の雰囲気としてそういった挨拶みたいな当たり前のことをきちんと教育する土台がなかった。
わざわざ教育するまでもない、常識だと思われるかもしれませんが、その当たり前がなかったんです。
僕が会社を作るときにはそういった常識の部分を大事にしたかった。
だって、挨拶なんてキャリアも、実力も関係ない、当たり前のことなんですから。
どれだけクリエイティブ面で素晴らしい業界になっても、そういう「当たり前」のことができない業界では悲しいじゃないですか。
それをするだけで、その面では業界で一番になれる、そう思ったんです。

ディオメディアが見ている未来のカタチ

企業の成長には人の教育が不可欠ということですが

小原さん:企業の成長にはいろいろな方法があると思いますが、ことアニメーションに関しては、多額の予算がほぼ全額人件費に費やされています。
それだけ多くの人が関わっている仕事です。
故に、個々の技術を向上させることが最も重要であり、映像のクオリティに直結することになります。
それが弊社の場合、企業の成長にとって一番重要なことであり、教育はイコールだと思ってます。    

デジタル作画などの将来についてどう考えていますか

川人さん:うちとしては推進してはやってはいません。全く入れていないわけではなく、直しなどはデジタルを活用していますが、一からタブレットで描いたりというようなことはしていません。
演出さんが対応できるのかということも考えて、まだいいのではないかと思います。セルからデジタルになった時もみなさんRETASを使うようになりましたが、その時のようにソフトがある程度業界で絞られてから、後乗りという形でもいいと思っています。

小原さん:デジタル化については、現在の専門学校や若いアニメーターを中心にデジタル化が進んでいて、この先近い将来完全にデジタル化すると思います。
でもデジタル化していくことでもっと大きな変化があると思うんです。
現状のデジタル作業は、従来の作業工程の中で作画作業をデジタルしている。ということですが、根本的な作業工程自体が変わってくると思うんです。
そういったアニメの作り方自体を変えるような試みであれば積極的に行っていきたいと思ってます。

10年後のディオメディアはどのようになっていると思いますか

小原さん:10年後のこととなると、さすがにこの業界は人の出入りや昨今は別業種への転職も多いので、一概には言えませんが、現在最前線でやっている人間がキャリアを積んでいますし、新人の子たちもメインスタッフで頑張れるようになっていると思います。
その子たちがきちんとそのまた下の世代の子たちを育て、さらにボトムアップしていける会社になっていたら、とても素敵だと思います。
その時には僕は社長じゃないかもしれませんけどね(笑)

取材日:取材日:2019年1月17日 ライター:久世薫

株式会社ディオメディア

  • 代表者名:代表取締役 小原充
  • 設立年月:2007年11月
  • 資本金:300万円
  • 事業内容:アニメーションの企画・制作/キャラクター商品の企画・製作・販売
  • 所在地:〒177-0051 東京都練馬区関町北2-25-13
  • URL:http://www.diomedea.co.jp
  • お問い合わせ先:03-5927-5044

ブランドデザインで本質的な問題解決を行い、社会に寄与する価値を生み出す

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沖縄にある「株式会社折紙」は、単にデザインを制作する会社ではありません。代表取締役の奥平健一朗さん曰く「ブランドの創造・発展・持続のために必要な全ての所作」≒ブランドデザインを事業の根幹とする会社です。実務は多岐に渡りますが、まず必要なのはブランド化したいモノ、コト、サービスの問題を突き止め、ブレイクスルーの糸口を見つけること。そのためにクライアントと向かい合う奥平さんの真摯な姿は、ドクターやカウンセラーさながらです。「どんなものにもブレイクスルーは必ずある」と断言する奥平さんに、その真意や今後の展望について詳しく伺いました。

「落とし所ありき」のサービスでは本当の問題解決はできない

折紙を立ち上げるまでの奥平さんのキャリアを教えてください。

私は美大やデザインの専門学校出身ではなく、独学でデザインについて学んできました。デザインに携わるようになった大きなきっかけは、ある出版社で営業と編集の責任者になったことです。約20年前ですが、エディトリアルの仕事というのは企画・構成、取材、レイアウトやコピー、グラフィックデザイン、タイポグラフィー、フォトグラフィーなどの知識、広告枠の営業のスキル等が総合的に必要になりますので、実践的に多くのことを学べたと感じています。また、ちょうどその頃から、「ブランディング」という概念が言われ始めました。私自身興味を持ち、自分なりに勉強していたのです。

その会社を退職後、大型セレクトショップでのGM(本部長)を経て、29歳で飲食事業、デザイン事業、不動産事業を柱とする会社を沖縄に設立します。当時は若かったということもあり万能感に溢れていましたから(笑)、かなり強引な経営をしていました。

強引な経営とはどのようなことですか?

力で周囲をねじ伏せ、自分の思うがままに全てをコントロールすることです。それが経営だと信じていましたので、ミスしたスタッフなどを日々追及していました。しかしそのような方法では、会社は当然うまく回らなくなります。5年ほど続けましたが、やがて私の心も折れてしまい退任を決意します。非常に痛い経験でしたが、経営について大事なことを学べたように思います。会社というものは、関わる人全てが有機的に結びつかないと成り立たない、ということを掴めました。

その後、心にぽっかり穴が空いたような状態が半年ほど続いていたのですが、ITサービス会社を経営する知人から声をかけてもらい、その会社のマーケティング担当役員をやることに。そこで働くうちに、「落とし所ありき」のサービスというのは、本質的なクライアントの問題解決にならないと気付いたのです。

「落とし所ありき」のサービスとはどのようなものでしょう?

その会社の事業はWebサイトやシステム、アプリの開発、制作でしたので、クライアントに販売するものもそれらになります。しかし、クライアントによっては必ずしもそれが必要ではありませんし、それでは問題解決できない場合もあります。にもかかわらず、その会社のサービスという「落とし所」が決まっているがゆえに、クライアントをうまく誘導し販売する必要があります。世の中の商売のほとんどがそのような仕組みで成立しているとは思うのですが、それがどうしても納得できなかったのです。

しかしマーケティングの責任者がこのように感じてしまうというのは、会社としてはよくないですよね(笑)。ですので退社しました。そして、会社都合の「落とし所」を無くし、クライアントの事業環境や背景、人間性や世界観を踏まえ、その事業がどうやったら世の中で必要とされ維持できるのかをテーマにあらゆるものをデザインできる、つまりブランドデザインできる会社を作ろうと「折紙」を設立したのです。

コンサルティングとクリエイティビティの両輪で、パワフルにブランドデザインを進める

御社の事業の根幹である「ブランドデザイン」とは、わかりやすく言うとどのようなものでしょう?

端的に言うと、ブランドの創造・発展・持続のために必要な全ての所作だと思います。自治体、事業体、コンテンツ、ファッションなど、ありとあらゆる対象が発展し持続するために必要なことを、設計、構築、実装、運用するまでの包括的なプロジェクトをブランドデザインと呼んでいます。

どのようにブランドデザインを進めるのでしょうか?

リサーチやオーナーとのセッションを通して、クライアントが抱える問題を見つけることからスタートします。特にセッションは大事にしています。深くセッションを続けるうちに、オーナーのトラウマや原体験にまで話が及ぶことが多々あります。カウンセラーやドクターのようだと言われたこともあります。

探り当てた問題というのは、オーナーが当初考えていた問題とは異なる場合がほとんどです。というのも、オーナーの思い入れが強すぎて近視眼的になっていたり、部分の現象そのものを問題と認識されていたりするため、真の問題、つまり病巣に気づけないからです。しかし私たちは、その案件を一消費者としてフラットに観察することを心がけていますので、オーナーよりもその病巣に気づきやすいのです。

率直に問題を指摘しますが、オーナーにとって耳の痛い話となる場合もあるため、緊張が走ることもしばしば。そうならないためにも、丹念にリサーチし根拠を整理し、紐解きながらロジカルにプレゼンすることで納得してもらえるようにしています。そうすると、みなさん目から鱗が落ちたように「ハッ」とされますよ。

その後はどのように進めるのでしょう?

問題を特定できたということは、ブレイクスルーの糸口を見つけられたということですので、解決できたも同然です。それからは様々な仮説を立て、最高のソリューションは何かを導き出します。ソリューションは様々ですが、ブランドデザインだからといって必ずしもビジュアライズするわけではありません。私たちの考えるブランドデザインとは、問題解決のために必要なこと全てをディレクションすることです。

重要なのは、ブランドに触れた時に好感を感じてもらい、信頼が伝わるUXを設計することです。そこには制約はありません。空間、音楽、香り、スタッフの立ち振る舞い、ユニフォームなどをディレクションすることもあれば、必要とあれば決算書を見たり、人事の施策に対し問題提起することもあります。もし「何もしない」ことがそのブランドにとって最善となれば、それさえもデザインです。実際そうした事例もあります。

何もしないこともデザインとは驚きです。では、御社が手がけたブランドデザインで具体例があれば教えてください。

沖縄の産業振興公社からいただいた案件に、沖縄の「伊江島(いえじま)」という離島の漁業活性化がありました。漁業従事者が高齢化し漁獲高も減少しているということで、観光漁業で活路を見出したいという依頼です。漁業体験を「海人(ウミンチュ)遊学」としてブランド化しプログラム設計したところ、全国から修学旅行の予約が入るようになり、活性化につながりました。また、紙のジュエリーブランド「Paper Jewelry」のコンセプトのリブランディングを行った際も、販路が大きく広がりました。ただし我々の仕事は、あくまでもクライアントとの共創作業によるもの。弊社の作品などとは考えていません。

沖縄から世界水準のブランドデザインを発信したい

沖縄に折紙を設立された理由はありますか?

残念ながら沖縄には、社会に価値を生み出すオリジナリティに富んだ事業が少ないと感じています。自分の地元である沖縄に、ブランドデザインの力でなんらかの貢献をしたいという気持ちがあります。

もう一つの理由は、沖縄は地方であるがゆえに、クライアントに対して本質的なアプローチをしやすいからです。東京の大企業や上場企業とも取引がありますが、クライアントが抱えている本質的な問題を導き出すための議論に到達が難しく、納得のいくブランドデザインを進められないことが多いのです。もちろん、そのテーブルに付けない、弊社の力量不足もあります。

それはなぜですか?

大企業の抱える構造的な問題があるからだと思います。先ほど、経営トップとのセッションを大事にしていると言いましたが、大企業では一つのプロジェクトが細分化されているため各担当者としかセッションできず、問題を探り当てるような深い意見交換ができません。さらに株主やトップから圧力がかかるため、大胆な改革を行うこともできず、予め用意されたブリーフシート通りにプランニングすることを求められます。それに比べ地方の方が、企業の規模が小さい場合が多く、経営トップと直接対話がしやすい環境にあります。

ブランドデザインの会社として御社の強み教えてください。

強いコンセプトを発見できることが強みだと思います。経営トップやオーナーとリアリティのある意見交換を重要視しているのはそのためです。意見交換を通して問題を浮き彫りにしてこそ、シンプルで強いコンセプトが作り出せ、それに対応したネーミングや戦略、商品、サービスが開発できるのです。もう一つの強みとして挙げられるこのは、ニュートラルな状態で常にクライアントやプロジェクトと向き合っていることです。

ニュートラルな状態とは、どのようなことでしょう?

オファーをいただいたとしても、目先の売上のために何でも引き受けるのではなく、よくよく吟味して自分たちがやるべき仕事かどうかを見極めます。その結果プロジェクトが社会や消費者、クライアントのためにならないと感じたら、辞退させていただいたり、クライアントに対して弊社の見解をお伝えし再考を促すよう提起します。できる限りクライアントとイーブンな状態で、プロジェクトに取り組むようにしています。

最後になりますが、御社の今後の展望を教えてください。

本質的なオリジナリティのある事業が少ない沖縄において、価値ある事業を誰かが生み出さないといけません。私たちが先んじて、全国、引いては世界にも引けを取らない会社にして行きたいと思っています。沖縄で存在感を発揮できれば、「こんな会社が沖縄にあるんだ」と沖縄の若者たちが誇りに思い、少しでも励みになれるのではないでしょうか。

技術や洞察力、クリエイティビティについては、日本のエージェントと遜色ない仕事ができていると自負しています。グローバルブランドの仕事をしているヨーロッパのエージェントをベンチマークにしていますが、彼らの背中も見えていると感じます。彼らもコアなディスカッションを重ねながらブランドを築き上げていきますので、そのスタイルを弊社でも続け日本や沖縄の文化の特長を掛け合わていけば、世界と肩を並べられるデザイン会社になるはずです。

取材日:2017年12月7日 ライター:仲濱 淳

株式会社折紙

  • 代表者名:代表取締役 奥平健一朗
  • 設立年月:2006年10月
  • 資本金:2,100万円
  • 事業内容:ブランドデザイン
  • 所在地: 沖縄本社)〒901-2114 沖縄県浦添市安波茶1-27-8 大翔ビル203
        東京サテライトオフィス)〒150-0021 東京都渋谷区恵比寿南1-10-10 プランドール恵比寿ビル5F
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