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広島から世界へ 演劇で新しい風を吹かせたい

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平成は、多くの芸術文化に変化をもたらした時代です。ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を介しての情報共有や、ユーチューバーの登場。ネット環境さえ整えれば、誰もが情報発信者になり得る“境界なき”時代の到来。地方と首都圏の二拠点で活動を行う演者も増えました。地方在住者にとって、首都圏進出は高いハードルではなくなったとも言えるでしょう。しかし一方で、地方に住む演者が抱える悩みは、いつの時代も変わりません。小屋数と仕事数の限界。いわゆる“地方の限界”に長年向き合ってきた音響技術者の佐々木 宏一(ささき こういち)さんは、10年前地元広島で劇団を立ち上げ、現在も可能性を探り続けています。芸人、俳優、歌手など幅広い人材を抱える芸能プロダクションの代表としてキャリアを築いた佐々木さんに、地方の演者が飛躍をとげるための秘訣をうかがいました。

ひとりのミュージシャンの音で目覚めた10代。 そこからはじまる音楽三昧の日々。

佐々木さん率いる劇団B-LUCKS♪は2018年に結成10周年を迎えました。ターニングポイントを迎えましたね?

10周年を迎えるにあたり、どうしても上演したかった朗読劇がありました。井上ひさし原作の『少年口伝隊1945』です。舞台は原爆投下後の広島で、被爆者を描いた作品です。これまでにも何度か原爆劇の音響や被爆者の日記の朗読録音を担当しましたが、あることに気づいたのです。それは「ずっと広島に住んでいるのに、自分が知らないヒロシマが、まだたくさんある」ということ。一方で演出側として、若い演者のヒロシマに対する意識が変わっていく姿も見てきました。僕も戦争を知らない世代です。『少年口伝隊1945』の上演には、劇団員と一緒にヒロシマの本を読み、ヒロシマの映像を見てのぞみました。広島で演劇に関わっているからこそ、できる上演だと実感しました。

広島市の広報紙にも掲載され、多くの来場者があったと聞いています。さて、佐々木さんは舞台音響で長いキャリアをお持ちですね。これまでの歩みを教えてください。

30歳までバンドマンでした。楽器はギターです。自分がボーカルをやるイメージはなかったので、ギターで曲を作ってボーカルに歌ってもらうプロデュース側をねらっていました。僕は演奏中でもバンドメンバーに「今はボーカルの聴かせ時なのに、なんでギターがそこに突っ立ったまま弾くの?」と忠告するタイプで(笑)。父がプロのジャズピアニストだったせいもあるでしょうね。セッション魂といいますか、少なからず父の影響を受けているのでしょう。中高生時代は幅広く楽器に触れました。ブラスバンド部でチューバを吹いたり、ドラムに転向したり。でもある日、ラジオから聴いたギタリスト小暮武彦さんの音に心を奪われて「これからはギター一本で行こう」と決めたのです。

小暮さんのギターのどんなところに魅かれましたか?

心臓の鼓動とリンクしました。映画のワンシーンを彷彿させるんです。

「あっ、音楽というのは聞くのではなく、見えるんだ」と。

見える音楽に魅力を感じたというところに、佐々木さんの未来への布石が感じられますね。
ところで音楽の要素の中ではメロディーを優先しますか?  それともリズム優先ですか?

リズムです。いい感じで身体に響かないと、納得がいかないですよね。 リズムが格好よければ、あとは乗っかればいいのです。いわゆる「ノリ」ですね。

社会人とバンドマンの二重生活で たどり着いた新たな道

本格的にライブ活動を始められたのはいつですか?

高校卒業後は就職して社会人とミュージシャンの「二足のわらじ」生活に突入しました。とにかく音楽に集中したいので、活動時間が十分にとれる仕事を選び、広島市内の鉄工所で鉄を曲げる技術職を7年続けました。夜と休日は音楽活動です。バンド『SPARKEY GARDEN HILL』のギタリストとして、広島ネオポリスホール(2013年閉店)と、ナミキジャンクション(現セカンドクラッチ)に出演していました。オリジナル曲が評判をよび、大手レコード会社からデビューの話をいただきました。

ネオポリスホールもナミキジャンクションも広島では伝説のライブハウスです。大手レコード会社のスカウトマンが注目していました。

メジャーデビューのお話をいただいたときは、うれしかったです。でもそのとき僕はもう、声をかけられて入った芝居の世界に入り込んでいました。プロミュージシャンの夢が現実になろうとしているのに、当時の僕は「先が見えない」未来に不安を感じて前に進むことができませんでした。20代の僕は人生に納得するための“設計”を描いていたのです。30代にはこれを、40代にはあれをやろう。「映画を撮りたい」という新しい夢も芽生えてきていました。

心機一転 芝居の世界へ

ミュージシャンから一転。お芝居の世界に入るきっかけは?

有数の演劇校である広島市立舟入高校OBが設立した当時の『劇団F』の代表から「音響をお願いします」と声をかけられたのがきっかけです。

フロントからサポートにまわることになります。違和感はなかったですか?

最初は違和感だらけでした。作曲もするし音のことは十分わかっているつもりでしたが、舞台音響は初めてですから。何をどうするのかが、わかりませんでした。それでも新人の頃は、ただ芝居の音響につけることが楽しかったんです。それが場数を踏むうちにリアルな失敗も経験するようになる。そこでわかったんです。「自分にとって音で失敗をするということが、どれほど悔しいか」ということに。

これまでとは違うタイプの音の仕事ですものね。

思ったように音が出せなかったとき、ふと思ったんですね。「僕は音で空気を演出して雰囲気をつくらないといけない」と。たとえば同じ場面でも、役者によってテンションや、芝居に入るときの瞬間は異なります。各々の役者の持ち味を生かすためには、ただ音を出すだけではいけない。そう考えると音響は、これまで僕がやってきたギターと同じなんです。いってみれば、ライブなんです。
そこに気づいてから、どんどん芝居の世界にのめり込みました。芝居の基本を知りたくて、多くの演出家たちと激論を交わしました。業界の人脈も広がりました。いろんな経験を積むことができて、僕の頭の中で音の表現が難なくできるようになりました。さらなるステップとして自分の今後を考えたとき「次は自分の劇団を持とう」と、思いました。

そして2008年、広島でご自身の劇団を立ち上げられます。立ち上げ時の状況を教えてください。

劇団の立ち上げについて模索していたとき、縁あって広島で役者をしている細谷俊平(現アートメディアジャパン営業本部長)と出会ったのです。細谷に「演劇の専門家が集まれば、法人化して僕が社長になる」と話しました。細谷の協力もあり、想定外の人材が集まりました。「地元にはこんなに人材がいる。法人化しよう」と決めました。「ネットで劇団を発信しよう。世界に羽ばたこう」と。経営についても学び、劇団をビジネスに置き換えてはスキームを考えました。劇団には、人が集まります。人が集まれば、組織になります。大きな組織になれば、クライアントは欲しい人材をすぐ近くで発掘できるし、僕たちにもチャンスが増えます。集まった専門家については「バックヤード部門」として組織をつくり、法人化しました。でも結局、劇団本体は、法人化に踏み切れませんでした。

劇団を法人化しなかったのは、なぜですか?

僕の中に「劇団はアマチュアでありたい」というポリシーがあって、そこはどうしても、ゆずれなかった。劇団の立ち上げから時間を経た今も、地元で活動する劇団員においては「アマチュアがアマチュアでいることが、大切だ」と信じています。

劇団を「アマチュア」にこだわる理由は?

広島における舞台イベントの市場規模が、一番の理由です。役者とファンの絶対数に限りがある。公演自体も開催回数が少ない地方において、集客は悩みの種です。芸能ビジネスは、集客が全てといっても過言ではありません。観客が増えれば、出演者の姿勢も変わってきます。そもそもファンがいないと演者は増えないし、演者が増えないと集客もできません。だからあえて入団希望者の敷居を低くしています。「ハッキリとした目標はないけれど、何かをやってみたい」でいいのです。少しでも興味を持った演者の卵に気軽に扉をたたいてもらいたいし、可能な限り受け入れたいと考えています。僕たちがインターネットやSNSでどんどん情報発信をするのは、より多くの演者に出会うためです。インターネットを駆使した結果、新しい世代の入団希望者も増えて、広島県内での劇団員数は僕たちがトップになりました。

広島で芸能プロダクションを運営する意義

実は広島は新人が育ちにくい土地柄と言われています。

僕が着目しているのはそこです。時々東京都内の映画プロデューサーとも話をしますが、彼によると「逆に東京はアマチュアが少ない」と言うのです。プロダクションに所属していない人を見つける方が難しいと。だったら地方の芸能スクールで芝居ができるアマチュアを見つけるチャンスが欲しいと相談を受けています。

では、次のビジョンはスクール化ですか?

はい。スクール化にあたっては専属の講師を雇い、実力を備えた俳優を育てて東京に送り出したいと思っています。実力が伴わないと芝居を続けるのは難しいですし、後が続かないですから。僕はこのスクール化を通じて、今の子たちにとって、ためになることをやりたいと思っています。

今の子たちにとって、ためになることとは?

スクールになると、年齢や、考え方が異なる子たちが一堂に集ってひとつのことに取り組みます。「自分は今、それをやりたくないけれど、他人は真剣にそれをやりたがっている」と言う状況も多々起こります。でも、一人でやりたいことだけをやる環境は、意外にもスキルが上がらないものです。いろんな人とひとつのことに取り組む環境で育った子は、必然的に他人のお手伝いも、してくれるようになります。

演じるってそういうことですよね。台詞はかけあいで、ひとりでは成立しません。

そうなんです。たくさんのレッスン生と芝居やダンスをすることで、結果としてスキルが身につき、成長していく。僕は自分でわかるスキルは違うと思うんですね。気がついたら人に評価されていたというのが理想ではないかと。そのためにも今、いろんな子たちが必要なのです。

いろんな子たちが集まれば、集客にもつながりますしね。

ビジネスですから。集客してお金が集まれば、人が増えます。人が増えるコンテンツを欲しがっているのが今のテレビ局です。 人を増やして、人を集める。そのためにアマチュア劇団が必要なのです。

取材日:2018年12月18日 ライター:信永 真知子

株式会社ART MEDIA JAPAN (アート メディア ジャパン)

  • 代表者名:代表取締役社長 佐々木 宏一
  • 設立年月:2015年8月
  • 資本金:300万円
  • 事業内容:所属アーティストのCD・DVD その他の音楽・映像・美術の企画、制作、販売及びコンサルティング、FC事業および運営、ライブ、コンサートその他のイベント企画、制作、運営、実施、管理及びコンサルティング、音楽・映像・美術・音声・文芸の制作、及び関する著作権その他の無体財産権の取得、保有、管理、運営、使用許可、販売及びそれらの仲介、アーティストのマネージメント及びプロモート、音楽芸能プロダクションの運営、タレントアイドル育成事業、劇団の運営、芸能養成事業、スタジオ運営、写真・映像撮影及び編集、インターネットによる映像・音楽配信、インターネットを利用した通信販売、キャラクター商品の企画、開発、デザイン、制作及び販売、広告代理・HPプランニング制作・コンサルタント、イベント・展示会・企画構成演出進行、機材等のレンタル
  • 所在地:〒730-0037 広島県広島市中区中町3-16 ヒロウンビル4F
  • 電話:082-569-4477
  • URL:http://hamc-tv.com/
  • 運営サイト:アイドルG Collection 公式サイト http://idol-g.com/
  • おいしい広島 http://hiroshima-bbc.com/
  • 劇団B-LUCKS♪ http://gekidan-b-lucks.com
  • お問い合わせ:info@hamc-tv.com

仙台に根付くモーション制作の仕事を創造したい

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株式会社ガニュメートの代表、水野氏は2011年の東日本大震災後、東京のアニメーション制作会社から仙台へ事業所の立ち上げで来られました。復興支援の意味合いもありましたが、時間が経つにつれ、東北の文化に魅かれ、この地に根ざして仕事をしたいと思うようになったそうです。現在、仙台では数少ないアニメーションに特化した企業として注目されています。

仙台での起業は復興支援から始まった

独立されるまでのキャリアについて教えてください

地元は名古屋ですが大学が山梨県で、主にプログラム言語を学び、卒業後、東京の専門学校でCGを教える講師をしておりました。当時はコンピューターに座標を入力して命令を書き込みCGを作っていた時代で、とてもプログラム寄りだったのです。Lightwave3DというCG制作のソフトがWindowsNT向けに移植され発売された頃、私自身も講師業からCG制作者へ転職しました。二次元でイラストを作成することはできましたが、それを立体的に奥行を持たせて動かす3DCG(3次元コンピュータグラフィックス)の世界というのは、これからもっと成熟していくという時期でしたので、そこに面白みを感じて、どんどんのめり込んでいきました。

仙台で会社を立ち上げられたきっかけは?

2011年の東日本大震災当時、私は東京の会社に勤めており、復興支援のようなかたちで、仙台に事業所を出そうということになって、その立ち上げ担当として仙台に赴任しました。このとき10名のメンバーで仙台事業所をスタートさせたのですが、結果として4年目に独立することになりました。

私たちの仕事は「動かすこと」

現在の事業内容について教えてください。

3D、2Dのモーション制作を得意としており、アニメやゲーム制作を行っています。PlayStation®4のダンスゲームや、スマホゲームのイラストのモーション制作です。また、ゲームはほぼキャラクターデザインが決定しているので、一からデザインすることはないのですが、たとえば企業様からの広告を受注する場合は、パンフレットやポスター、CMアニメ制作を行うにあたり、キャラクターの設定、デザイン、アニメーション制作まで自社で行います。

仕事の受注は仙台・東北からが多いのでしょうか

自分自身がフリーランスだったときの人脈から仕事を頂くことが多く、仙台以外からの受注が多いのが実情です。地元である仙台の仕事を積極的に受けていきたいと思い、自社の強みを活かして勝負しようと考えています。現在、3DCGを担当している者が7名、2Dのエフェクト制作者が3名います。営業は私が行っています。

参考URL https://www.facebook.com/ganymedCG/

御社も参加されている「仙台ゲームコート」についてお聞かせください。

主に仙台に拠点を置くゲーム関連会社の集まりが「仙台ゲームコート」です。仙台のゲーム関連会社はまだ規模が小さく、各社が単独で売り出すのは難しいのが現状です。そこで、それぞれのリソースや強みを持ち寄って、お客さまにまとめてサービス提供できる環境を作ろうという事で設立されました。昨今のゲーム開発はとても規模が大きくなっており、1社ではなかなか受けきれません。そんな時にこの連携を生かして仕事を受けていくことができれば、仙台のゲーム産業も、もっと盛り上がっていくのではないかと期待しています。

参考URL http://gamecourt.org/

働きやすい会社を作るのが私の仕事です

今後どのような会社にして行きたいとお考えでしょうか

みんなで楽しく仕事ができる会社にしたいです。この「楽しく」には仕事をするうえで超えていかなくてはならない苦しい部分も含んでいます。あとで振り返って「あの仕事は大変だったけど、乗り越えたよね、成長できたね」と言える楽しさです。私たちの業界は好きで始める人が大半なので楽しいはずなのですが、お客さまからのご要望に応えきれなかったり、納期が迫って苦しくなったり、どの仕事にでもあるように、仕事が嫌になってしまう時期があります。そのときにフォローできる環境を整えつつ、苦しいことも自分の成長として楽しめる状況を作ってやりたいと思います。

一緒に働くスタッフの方にどのようなことを期待されますか

一緒に働くのなら、この仕事が大好きな人と一緒にやっていきたいです。そしてスキルアップを頑張れる方ですね。この業界は特に技術的な進歩が速いので、常に勉強していく気持ちをもって実行していく必要はあると思います。たとえば絵が好きな方は、毎日描き続けても、特別に勉強しているという気持ちにはならないと思います。好きだから描くということです。この感覚で自分のスキルに磨きをかけていけるかどうかですよね。

水野さんが心がけてこられたことは何ですか?

私が若いころは、日本語での3DCGについての情報が少なく、海外のサイトなどから情報を探して、翻訳ソフトなどを使用して学んでいました。好きだから情報にも敏感になるし、どんどん興味が湧いて手間を惜しみませんでした。ゲームが好きなら、プレイをすることもそうですが、どうやって作られているんだろうか?と興味をもってみることから始まるのではないかと思います。自分のために学んだことが、ダイレクトに会社のスキルアップにつながる業界です。自分のスキルアップは最終的に周囲の助けになりますし、極端にいうと自分の身を守り、いざというときは転職をも可能にしてくれるもの。だから社員には「まず自分のために勉強して」と伝えています。

現在感じておられる会社の課題とは

私たちの課題は社員同士のコミュニケーションの時間をもっと作ることです。もともと自分の世界観を大切にしていて、人とのコミュニケーションが苦手な方も多い。仕事上のコミュニケーションは当たり前ですが、人となりやお互いを理解するために、もっとコミュニケーションをとってほしいという思いはあります。

また、新卒求人の際にポートフォリオをいただくのですが、それを添削してお返しできればいいなと思っています。スキル不足で入社していただくことができない方がいたとして、不足点をフィードバックすることでその方に学んでほしいポイントを伝えることができます。再度ポートフォリオを送っていただければ、やる気や伸びしろを見ることができるでしょうし、学生であれば、実際の仕事に必要な知識について企業側から伝えることもできますので、自分自身のためにもなると思うのです。

取材日:2019年1月21日 ライター:桐生 由規

株式会社ガニュメート

  • 代表者名:代表取締役 水野 康一
  • 設立年月:2015年11月24日
  • 資本金:200万円
  • 事業内容:アニメーション制作業
  • 所在地:〒980-0811宮城県仙台市青葉区1-12-2 星光堂ビル404
  • URL:http://ganymed.jp/
  • お問い合わせ先:022-399-8960

「文房具屋さん」から、印刷、ウェブ、そしてプロバスケチーム「金沢武士団」運営へ

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子どものころ、誰もが学校の前にあった「文房具屋さん」のお世話になった思い出があることでしょう。お店はやがてお客様の要望にこたえて、印刷、デザイン、ウェブ制作へと事業を展開していきます。後継者となった株式会社丸藤社長の藤弥昌宏(ふじや まさひろ)さんは、紙やウェブに次ぐ「媒体」としてのプロスポーツチームに着目、バスケットチーム「金沢武士団(サムライズ)」の運営会社の設立に関わります。情報化の進展で止まらない「紙離れ」に立ち向かう印刷会社の取り組みを探ります。

文房具店から印刷会社へ

会社の成り立ちについて教えて下さい。

当社はもともと金沢市の中心部、香林坊で紙文具の販売からスタートしました。創業は1963(昭和38)年になります。今はもうありませんが、当時は店の向かいが中学校で生徒向けに文具を販売していたのをはじめ、オフィス街の企業や商店さんなどをお客様として文房具全般や紙用品を販売していました。時代の流れやお客様からの要望にあわせて、コピー機やオフィスで使われる机などの事務機器を取り扱うようになっていきました。その中で、お客様から印刷物に関するご相談やご要望が増えてきたのです。

「近所の文房具屋さん」から印刷会社へと変わるきっかけだったのですね。

最初に手がけた印刷物は、和菓子屋さんの包装紙だったと聞いておりますが、創業者の祖父は文房具店である自分たちが、お客様からの要望にどうすればお応えできるかを思案しました。まず初めに紙を仕入れ、そして印刷し、さらにものによっては製本が必要でした。そこで、それぞれのルートを開拓するため、請け負っていただける業者さんにお願いしてまわり、今の丸藤という会社の骨格を築いたようです。

印刷機を持たない印刷会社」とお聞きしました。

今では、当社は印刷業を生業としていますが、創業以来、基本的に印刷設備を持たず、全てアウトソースしています。現在、簡易印刷のデジタルプリンターは設置していますが、規模の大きな印刷については、祖父の時代から協力していただいている印刷工場の方に今もなおお願いをしています。

そんな中で、社長も家業を継がれたのですね?

高校卒業までを地元金沢で過ごし、大阪のビジネス専門学校を卒業後、3年間製版会社に勤めました。丸藤に入社したのは1997年で、2014年に代表取締役社長に就任しました。家業を継ぐことは当初は考えていませんでした。しかし、専門学校時代に父からは「いつ、戻ってくるのか」と再三いわれるようになります。「継いでくれ」ではなく、「いつ戻る」といわれては仕方がないかなと、次第に家業を継ぐことを意識するようになりました。

「紙」から「デザイン」「ウェブ制作」へ

文房具店から印刷会社へ、そしてデザインやウェブ制作の分野に進んでいきます。

印刷会社へと軸足を移したのも、お客様の要望からであったように、今度はさらなる価値を提供したいとデザイン制作に乗り出しました。社内に「クリエイティブオフィスMOO(ムー)」というデザイン事務所を新規部門として立ち上げました。最大8名のデザイナーが在籍していましたが、みんな意識が高く、その後ほとんどのスタッフが独立して、現在は当社のクリエイティブにおける外部の制作ブレーンとして活躍してくれています。今、社内でもう一度クリエイティブな部分を成長させようと、MOOに若いスタッフをいれて、デジタルプリンターを扱う制作部門の育成に取り組んでいます。

その後、ウェブ制作会社も設立します。

2000年には、急速な普及が予測されたインターネット部門を立ち上げました。印刷会社のインターネット制作部門という位置づけでは伸びしろが小さいと感じたことから、ウェブの専門性を高め、クリエイティブな展開を強く打ち出したいという思いで、インターネット部門を独立させ、株式会社MDM(エムディーエム)を2009年に設立しました。ウェブ制作に取り組み始め、分社化して10年目を迎えます。

なぜ分社化する必要性を感じたのですか?

設立当初は基本的に丸藤のお客様からウェブ制作に関する制作案件をいただいておりましたが、MDMとして独立させることにより、クリエイティブな企業としての存在感を認めてもらうことが真の目的でした。目論見通りに、MDMとしてそれまで印刷会社としては取引のなかったデザイン会社や様々な企業からも発注をいただき、新たな市場を広げることができました。

プロバスケチーム「金沢武士団(サムライズ)」の設立に奔走

男子プロバスケットボールチーム「金沢武士団(サムライズ)」の設立、運営に尽力されています。

2014年、石川県でプロバスケットボールチームを設立しようという話が持ち上がり、先輩経営者から声をかけていただいたことがきっかけです。当時、金沢青年会議所で国際会議を誘致する活動に関わり、青年会議所活動を通してまちづくりに汗を流し、自分の中でまちづくりに対する感度が高まっていた時期でした。スポーツにはまちを元気にする大きな可能性があり、スポーツを通じたまちづくりに貢献できればと考えて、発起人の一人として「金沢武士団(サムライズ)」の設立に関わりました。現在はチームを運営する北陸スポーツ振興協議会株式会社のファウンダー件副社長を務めています。チームは2015、16シーズンから日本の男子プロバスケットボールのトップリーグであるB.LEAGUEに参入しました。

印刷会社を経営するとともに、プロ球団の運営に関わることについて、迷いや反対はありませんでしたか?

もちろんありました。しかしこれまで生業にしていた印刷事業がピーク時の売上までV字回復を望めるような市場ではないということを感じていました。「スポーツメディア」という分野で、プロスポーツチームをメディア、媒体として捉え、「応援」という大義のもと、協賛を募り、そのメディアを取り扱うビジネスモデルを知りました。これまでの「紙」や「ウェブ」に代わる媒体として、地方の限られた市場で自社の立ち位置をつくるにはこれが有効だと感じ、新たな分野に踏み出すことを決意しました。

御社にとっての新たなビジネスモデルであり、新たなミッションが生まれたのですね。

球団を成長させるためにはスポンサーを集めなくてはなりません。そのためには球団も、もっと成長しなくてはなりません。球団を応援する=まちを元気にする、その導線をつくることが自分の役目であり、印刷会社を経営する私がプロスポーツに関わるということに、自分の中で合点がいきました。

プロスポーツによるまちづくりに印刷会社の強みは活かされていますか。

金沢市には、バスケットボールはじめ、プロ野球BCリーグ「石川ミリオンスターズ」や現在、J2のサッカーチーム「ツエーゲン金沢」があります。こうした地域スポーツを応援するため、公共レンタサイクル「まちのり」を活かし、自転車に乗ってスポーツ観戦するための「スポのり」というサービスの企画から関わり、「スポのりルートバック」を製作しました。

地方都市におけるプロスポーツの定着には何が課題でしょうか?

2018年、金沢市がスポーツ文化推進条例を制定したこともあり、機運は高まりつつありますし、少しずつ浸透はしてきていますが、地方都市でスポーツにお金を払うという「プロスポーツ」の文化を根付かせるのはなかなかハードルが高いと感じています。石川県は元々バスケットボールが盛んな地域でもありますので、「週末にはバスケの試合を見に行こう」という文化が定着するよう盛り上げていきたいと思います。

納品後もお客様に関心を持つことで自社の課題も見えてくる

企業としての次の一手を教えてください。

ダイレクトメールへの宛名印刷や、チケットにナンバーを記載するといったように、固定されたレイアウトに可変データを印刷する、バリアブルプリントに力を入れています。宛名印字から発送までをワンストップサービスで行っています。

ダイレクトメール印刷の効果は上がっていますか。

お客様の自動車販売店で、車検に対するPRが不足しており、車検が集中し、チャンスロスが起きているという課題がありました。そこで車検予約に的を絞ったダイレクトメールを提案しました。事前予約に対して景品をつけるキャンペーンを行った結果、かなりの反響につながりました。集中していた車検について、早期の予約が広がることで、現場が事前にスケジュールを把握し工程を立てられるようになり、現場と営業のコミュニケーションが改善され、働き方改革にもつながったと好評をいただきました。

テレビCMの制作も手がけています。

これまで、お客様とお話をしていると課題が浮き彫りになるのですが、これまで当社は印刷物やグラフィックデザインでしかその解決方法を提案できていませんでした。お客様の課題は必ずしもそれだけでは解決できません。電子機器メーカーは人材募集に課題がありました。地元における企業の認知度アップのために必要なことは印刷物ではなく、テレビCMだと判断し、当社で企画をし、制作会社と組んでテレビCMづくりにチャレンジしました。

お客様との対話で、課題を解決することにより自社の事業が展開しているようにうかがえます。

経営理念として、「様々な出会いを『良縁』とする努力を積み重ねる」と掲げています。出会いを大切にし、お客様に納品した後もその成果に関心を持って接することが大切だと社員には伝えています。お客様とより良い関係をどうやって築いていくか、常日頃から考えることで、自社が取り組むべき課題が見えてくると考えています。

取材日:2019年2月14日 ライター:加茂谷 慎治

株式会社丸藤

  • 代表者名:代表取締役社長 藤弥 昌宏(ふじや まさひろ)
  • 設立年月:1978年7月
  • 資本金:1,000万円
  • 事業内容:印刷事業、クリエイティブ事業、インターネット事業、地域活性化事業
  • 所在地:〒920-0059 石川県金沢市示野町36番地
  • URL:http://www.marufuji-gr.co.jp/
  • お問い合わせ先:info@marufuji-gr.co.jp

飽くなきクリエイティブへの追求心。原動力は「夢中になる力」

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Webサイトやグラフィックを中心に制作を行っている新潟のデザイン&クリエイティブカンパニーTHREE。地元の企業サイトから世界的なアドベンチャーレースADVENTURE RACE JAPANのオフィシャルサイト、さらにはアイドルのCDジャケットなど、その制作実績は多岐にわたります。手がけるスケールは大きくも、実務を担当するメンバーは6人。しかも創業以来まだ誰も辞めていないという、少数精鋭集団。都市への人材流出が深刻な問題となっている地方において、求める人材を獲得し、理想のパフォーマンスを提供することは必ずしも容易ではありません。しかし、高い熱量で地方に刺激を与えるTHREEの姿は「業務」を超えた「チーム」の様相。現状に満足することなく絶えずアップデートを行い、その視線はさらにその先を見ていました。

現場で企画・営業力を養った20代

会社立ち上げの経緯を教えてください

新潟の「刷屋(すりや)」というオリジナルプリントTシャツを制作・販売する企業を1999年に創業メンバーとして立ち上 げました。当時20歳。3人で起業して、僕はシルクスクリーン印刷でTシャツにデザインをプリントしていたんです。でも次第に 「営業も企画ももっと必要だ」と思うようになり、人を雇ってプリントは任せて営業に出るようになりました。 それで「新潟Tシャツ委員会」という企画や、サッカーチーム・アルビレックス新潟のサポーターの皆さんとのコラボ企画を立ち 上げたり...。今思うとこの時期、20代前半は僕の企画力・営業力を養った下積み時代ですね。バスケットボールのbjリーグ (現Bリーグ)が立ち上がった時は、刷屋の業務として当時サプライヤーであるスポルディングというブランドの仕事を担当し、新潟アルビレックスのウェアも担当していて毎試合会場に足を運んでいました。

刷屋:http://www.suriya.jp/ 新潟Tシャツ委員会:http://www.niigatat-shirts.com/

そして刷屋が2005年に法人化した際に役員になり、そこで経営を学ぶうちに、「自分でも起業してみたい!」という思いが 芽生えてきたんです。また、社内にデザインが得意なスタッフが多かったことと、世の中のIT化の流れもあり、Webの業界でメンバーの強みを生かした仕事が作れないかと思い、2015年6月に別で会社を作りました。

起業はスムーズでしたか?

最初から、3年、5年、10年と綿密な予算計画を立てて動いたわけではなく、まず動くことが大事!動きながら考える!というスタンスで始めたので、「自分たちらしさ」の表現に苦しみましたね。 それ以前に自分たち自身でちゃんと強み・弱みを理解していない状態が2年ほど続きました。2017年に自社サ イトをリニューアルした時に、ようやく前進した感じです。この時に反響をいただき、より突き詰めて考えを言語化し、発信することの重要さに気づきました。今もまだ満足はしていませんので、更新したいです(笑)。

THREEの社名の由来をお聞かせください。

実質、僕と2人のデザイナーで始めたので「3人」。もとの会社である「刷屋」とも響きが近いし、今は「みつける、かたち にする、とどける」という3つのテーマを掲げています。
また起業時に「THREE TO ONE」というキャッチフレーズをつけました。「3、2、1」というスタートのカウント ダウンのようでもあるし、「スリーはあなたのために頑張ります」というメッセージも伝わるかなと思ったからです。

「夢中になる力」が仕事への貪欲なパワーの源

THREEの事業内容を教えてください。

グラフィックとWebの制作を中心に行っています。 意識をしているのは、お客様の期待値を上回る結果を残すこと。
しっかりとヒアリングを行い、お客様の目的・課題を共有し、解決していくためのプランをご提案することを大切にしています。私はディレクションを担当しますが、デザイナーも初回の打ち合わせから参加するようにしています。

デザイナー出身ではない桑野さんがデザインの指示を出す難しさはありませんか?

私はお客様と近い感覚を大事にしています。いくらデザイナーがこだわりを込めていても、お客様やデザイナーでない人が見て伝わらなかったらそれはただの自己満足。結果が全てだと思うので、その感覚はデザイナーとも共有します。全然言いにくいことも言いますよ、僕素人なんで(笑)。

THREEは先端の情報にアンテナを張っているそうですね。

今は、情報は簡単に取りに行ける時代。ネット上でも、東京のセミナーとかエンジニアのワークショップとか...異業種の知 人から情報をもらうこともありますね。うちのスタッフはすごく勉強熱心で、報告を上げてもらえれば、勤務時間中でもそ ういったセミナーや展示会などへ参加することもできます。2018年からは東京の企業とも提携するなど、仕事の受け方も広げています。 今年は新たに東京にも拠点を設ける予定です。業務面でのパワーアップも目的の一つですが、いつも同じ場所で同じ人と一緒にいるのでは、あまり成長はないのではという懸念の方が大きいですね。東京でも海外でも、動くことで刺激がありいろいろな人と出会える可能性が広がるはずです。

THREEは社員が辞めないと聞きます。どうやって社員のモチベーションを高めていますか?

「何か一つのことに対して情熱を持っている人は一生懸命やる人だ」という僕の中で信念みたいなものがあります。それは仕事でなくてもいいんです。THREEのスタッフだと、釣りとかダンスとかキャンプとかヒッチハイクとか車が好きとか...そういう何か夢中になるものを持っている人を採用しています。自分にとって楽しいことが夢中になれることだと思うので、うちのスタッフは、みんな仕事が好きでどうやったらより良い結果につながるかと真剣に考えて取り組んでいる、それがTHREEの強みですかね。だから「夢中」はキーワード。特に僕が何か意識を高く持つようにアプローチしていることはありません。 堅苦しく真面目に仕事と捉えずに、お客様の課題をどうやったらクリアできるかをシンプルに真剣に考えるんですよ。 そういうところを面白いと思ってもらえれば僕は本望です。

未来のニーズを予測し、事業拡大&スキルアップ

今後の展望についてお聞かせください

今年から、サービスの領域を広げようと思っています。一度Webサイトを公開するとそこでゴールかのように、サイトを育成していく、より良いサイトにしていくという概念があまりないように感じています。ですので、更新するとより良いサイトになっていくという概念を広げていくこと、そして他社との協業という形で動画やアプリなども絡めたサービスを展開していきたいです。そうしたこともあり、現在、案件ベースではなく、時間を設けてそういった分野に特化したアイディアをスタッフと出し合っています。 また、前半でお話しした自社サイトのリニューアルも行います。情報設計や課題解決に至る提案をしているのに、自分たちが実践できていないというのが一番説得力がありませんよね(笑)。

先端のシステムや表現を追求されていますが、それは新潟のクライアントからのニーズはありますか?

まだ多くはないと思っています(笑)。でもこの先、絶対に必要とされる確信があります。だから先にしっかりと学んでおいて、 いつでも提案できるような状態に持っていきたい。だから今は一生懸命インプットをしているところです。 僕、環境の変化に対応できるモノが生き残るというダーウィンの進化論がすごく好きなんです。まさに今は変化が凄まじく、特に柔軟性が求められる時代。「わからない」と言っているとそこで思考は停止してしまいます。変化に対応できるフットワークの軽さを大事にしてサービスを展開していけたらと考えています。

新潟をクリエイティブの力で面白い街に!

新潟から完全に拠点を東京や県外に移したりすることは考えませんか?

2040年には896もの自治体が消滅するとも言われていますよね。地方が生き残っていくには、自分ががんばるしかないと思いました。諦めて東京に行くのは簡単です。でも、自分が生まれ育った土地なので、 微力ですけどなんとかしたいという思いはありますね。自分が暮らす地域が潤えば、当然人も潤うし。街のために、貢献できる人であり企業になりたいです。だから東京に拠点を作り、新潟に仕事を持って来れるような形を模索したいです。

むしろ新潟だからこそ感じる可能性はありますか?

僕たちはWebの可能性を信じていて、新潟にはまだまだその辺が浸透していないと思うので、伝播していくポジションを担っていきたいと思っています。デザインとWebにできる可能性を発信し、新潟が面白い街と言われることに貢献できれば嬉しいです。 また、2018年に経済産業省と特許庁が、「デザイン経営宣言」を発表 しましたが、僕たちも共感する部分が大きく、その種を新潟にも私たちなりに蒔いていきたいですね。そういった新しい事業・価値作りに僕も今「夢中」なんです。

取材日:2019年2月1日 ライター:丸山 智子

株式会社スリー

  • 代表者名:代表取締役 桑野一哉
  • 設立年月:2015年6月
  • 事業内容:WEBサイトの企画・戦略立案・情報設計 及びアートディレクション・デザイン・構築 / 企業ブランディング / CI,VIの企画制作 / グラフィックデザイン全般 / 広告・販売促進全般の企画制作 / 写真撮影 / 映像の撮影および編集 / コピーライティング
  • 所在地:〒951-8068 新潟県新潟市中央区上大川前通3番町128番地2
  • URL:https://three-inc.jp
  • お問い合わせ先:025-378-2123

Webテクノロジーを軸に、クライアントの困りごとを解決

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株式会社なないろは、自分たちをWeb制作業者と言っていない変わった会社です。自身の会社は2つの役割を持っていると内外に伝えています。1つ目は「コミュニケーションを世の中に流通させる」役割、2つ目は「なにか新しいことを始める人に寄り添う」役割、そのために自分たちができる最大のパフォーマンスのアウトプットがITソリューションでありグラフィックデザインであるとの信念で、他の企業とは一線を画しています。「微力ながら我々の力で社会を輝かせていきたい。」と社名に込めた思いを話す代表取締役の政井淳(まさい あつし)さん。起業に至るまでのいきさつから、将来のビジョンまでお伺いしました。

事業は目的を達成するための手段の一つ

会社設立までのいきさつを教えてください。

高校卒業後、大手情報システム会社でシステムエンジニアとして従事していたのですが、将来的なビジョンを見出せずに退社し、Webデザインと3Dアニメーションを学ぶためにアメリカにある制作会社のインターンシップに参加しました。帰国後、3Dアニメーション制作、モバイルコンテンツ制作のキャリアを積み、友人と会社を設立。その後、お客様とさらに近い距離でクリエイティブなことをしたいと思い、一人で株式会社なないろを立ち上げました。フリーランスとしても活動できたのですが、「よく稼ぎ、よく使い、よく納める」という社会に経済で貢献したいという思いに至り、株式会社を立ち上げたんです。

現在の事業内容について教えてください。

当社はお客様が求めるゴールに向けて、必要となるさまざまなプロジェクトに取り組んでいる会社です。Web制作やシステム開発などのWebを使ったテクノロジーは手段の一つにすぎず、必要があるなら農業であれ、飲食であれ、あらゆる事業展開をいとわない考えです。これこそ「世の中にさまざまな色を輝かせたい」と「なないろ」という社名に込めた思いで、当社最大の強みだと思います。また、ただ言われたことをやるのではなく、求められている以上のことをやり、結果を出すことを大切にしています。それが信頼へとつながり、様々なお客様に支えられてお仕事をさせていただいております。

政井さんが仕事をする上で大切にしていることを教えてください。

当然のことですが、嘘をつかないことです。そして、時間を守ること。時間に遅れてしまうことで、どのくらい相手に損失が生まれるかを常に考えて仕事をしています。そして、自分たちだけでお客様の課題をクリアするのではなく、お客様と一緒になって汗をかきながらクリアしていくことを大切にしています。その積み重ねが信頼につながるのです。

「幸福・成長・完全性」の追求が、仕事の好循環へとつながる

将来的なビジョンについて教えてください。

設立当初から、50年、100年続くような会社にしたいと考えていました。例え、僕がいなくなっても継続する会社にしたいと。あらゆる機械化(AI化)が進むこれからの世の中において受託だけでは絶対生き残れないので、自分たちが生み出すサービスを事業の柱にできるようにシフトしていきたいと考えています。そのために様々なサービス開発を現在行っております。

ビジョンを実現するためは、どのような人材が必要ですか?

当社の社訓は「幸福の追求・成長の追求・完全性の追求」という3つの追求です。幸せを得るためには自分の時間を作る必要があり、時間を生むためには仕事を効率化させる必要がある。それが成長の追求へとつながり、自己成長すれば仕事での完全性が保たれる。そして、またそれが無駄な時間を減らし、自分の時間が増えていくという好循環の追求です。まずは、この考えに共感いただける人材であることが条件です。そして、ただ会社から言われたことをやるのではなく、仕事以外でも率先して自己成長を目指し、「やがて会社の成長を支えたい」というくらいの気概を持つ方と仕事がしたいです。
当社では常に問題意識を持たせるために細かいことでも社内で問題・改善点をなくしていくというプログラムを実施しています。常に問題改善意識を持っていないと、仕事において最大のパフォーマンスが出ません。

最後に、当サイトを見ているクリエイターの皆さんに一言お願いします。

感度の高い若い人材が出てきても、決して負けない才能を持ち続けられるクリエイターは一握りですが当然いると思います。しかし、そうでないのであれば、マネジメントという次のステップを意識して行動することが必要です。そのためにはいろんなものを見て、いろんなものを感じて、いろんなものを表現できるようになること。つまり、総合的な力を養うことが大切なのです。自分のステータスを考慮した上で、キャリアパスを見越して、今の仕事を務めていただきたいです。

取材日:2018年2月5日 ライター:大垣 知哉

株式会社なないろ

  • 代表者名:代表取締役 政井淳
  • 設立年月:2014年12月
  • 事業内容:Web制作、システム開発、Webマーケティング、ECサイト、サーバ保守・運⽤、コンテンツ制作、ビジネス開発など
  • 所在地:〒604-8206 京都府京都市中京区町頭町112 菊三ビル4 階 405
  • URL:https://www.7-16.co.jp
  • お問い合わせ先:上記、ホームページお問い合わせフォームよりお問い合わせください。

集客に、コミットする。

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企業コンサルティングの経験を礎に、Webマーケティング会社としてクライアントの業績向上をサポートする株式会社オンカ。同社が手がけた90%以上のWebサイトが狙ったキーワードで上位表示を達成し、中には年商が数年で8倍超になったクライアントもいます。他社にはないノウハウをもとに驚異の成果を出し続ける代表の船橋悠馬(ふなばしゆうま)氏に、オンカ設立までのストーリーや独自のマーケティング戦略、今後の抱負などを伺いました。

中小企業での経験が必要なら、自分で作ってしまえばいい。

学生時代にはどんな夢を描かれていましたか?

祖父が三重県で建設業を営んでいたため、子どもの頃からいつかは家業を受け継ぐつもりでいました。建設業は法律の知識が必要なので大学は法学部に進み、大企業での経験と金融を学ぶために数年の予定で大手の生命保険会社に入社しました。

生命保険会社を選ばれたのはなぜですか?

金融系を中心に就職活動を行っていたのですが、受けた企業のほぼすべて、30社以上の内定をいただくことができました。その中から、その企業を選んだ理由が実は、面接が一番厳しかったからなんです(笑)。いわゆる圧迫面接が印象に残り、「このやろう」という反骨心もあって選びました。

そこでは、はじめに兵庫エリアのセールスマネージメントを経験し、その後は東京本社の人事部や国際業務部で経験を積みました。国際業務部では数百億円規模の海外投資先を選定し、そこから投資先企業に入り込んでビジネスを育てることで業績と株価を上げるというダイナミックな仕事に携わることができました。

そこから起業に至ったストーリーをお聞かせください。

生命保険会社を5年で退社し、そろそろ家業に入ろうと思った矢先に、父から「中小企業での経験がない状態では戻ってくるな!」と言われてしまったんです。私はよかれと思って会社を辞めたのに、突然ハシゴをはずされたような気分でした。中小企業への就職も検討はしましたが、「中小企業での経験が必要なのであれば、自分で作ってしまえばいい!」と起業に踏み切ったんです。

手がけたウェブサイトの94.5%が、狙ったキーワードで検索上位を達成。

起業後に手がけてこられたビジネスについて教えてください。

オンカを立ち上げて1年半ほどは、以前の会社で経験してきたマネージメントや人事、業績向上支援などのノウハウを活かして企業コンサルティングを行っていました。ご縁があって複数の会社からオファーをいただき、業績アップに貢献することができました。

そして今の時代は、業績やフェーズが上がると次に考えるのがWeb戦略となります。当初は私が外部プロデューサーのようなポジションとなってクライアント企業のWeb戦略をサポートする制作会社を選んでいたのですが、求めるレベルのクオリティが出せる会社が名古屋に見当たらなかったため、制作機能をオンカ社内に持つことにしました。

オンカとして最初に手がけた建築系企業様のWebサイトは、実験的な取り組みもさせていただくことで大きな成功を収めることができました。その企業様は当時の年商が6000万円ほどでしたが、検索エンジンで常に上位表示されることで現在は年商5億円ほどに急成長しています。

御社の強みを教えていただけますか?

オンカの一番の強みは、集客力にあると考えています。当社が手がけたWebサイトの94.5%が、狙ったキーワードにおいて10位以内に検索表示されています。

この驚異的な成果を生み出す秘密が、アメリカオフィスにあります。シリコンバレー近くにあるオフィスからは現地の最新情報や検索結果に関連するSNSコメントなどが毎週送られてきます。その情報を体系化・可視化することで検索エンジンのアルゴリズムを分析し、制作に活かしています。オンカには検索エンジンに対応するための分厚いリストがあるのですが、ここまでのノウハウを積み上げている会社は少なくとも名古屋には存在していません。

また、私たちは自らを「ホームページ制作会社」ではなく「Webマーケティング会社」と位置づけています。ホームページを制作するのが目的ではなく、インターネットを活用してクライアントの業績を向上させることこそがゴールだからです。

社名「オンカ」の意味を教えてください。

ジャガーの学術名「オンカ」から名付けました。昔から神話の世界が大好きなのですが、古代マヤ文明において昼の神様である鷲とともに夜の神様として讃えられていたのがオンカなんです。お客様のビジネスを「昼」、水面下で動くWebマーケティングを「夜」ととらえ、その夜をしっかりと守る存在でありたいという想いをこの社名に込めています。

また、オンカというめずらしい社名にすることで、他の会社と名前がかぶってしまうことも避けています。「オンカ」で検索すると、上位にヒットする情報のほとんどが当社に関連するものになっています。

来年も、結婚しても、子どもができてもずっと働きたい会社へ。

船橋社長がビジネスで心がけていることを教えてください。

ひとつは、組織のトップとして「ピッカピカのホワイト企業であること」を心がけています。当社では、1分たりとも残業せず、休日出勤もしないことを徹底しています。有給に関しても必ず消化するよう働きかけています。

そのようにピッカピカのホワイト企業でありながらビジネスが円滑に回るように、スピード感も大切にしています。100点の仕事を1時間かけて行うよりも80点の仕事を10分でこなすことを繰り返すほうが、目指すクオリティや目指すゴールに到達する時間が早まります。

また、スタッフの個性とスタッフ間の対話も大切にしています。当社の社員はとにかくバラエティにあふれていて、その個性的なスタッフがしっかりと対話することでオリジナリティが生まれると考えています。

今後、どのような会社にしていきたいとお考えでしょうか?

ビジネスなのでお金を稼ぐことも大切なのですが、それよりも一緒に働いている社員が「来年も、結婚しても、子どもができてもオンカでずっと働きたい!」と感じる会社にしていきたいと考えています。多くの時間を過ごす会社だからこそ、自分も含めとにかく楽しく働きたいですね。また、人と実際に会って話すことを大切にする一方で、コミュニケーションを補完するITツールを今後も積極的に活用し、リモートワークに近いフレキシブルな働き方もできるようにしていこうと考えています。

最後に、クリエイターへのメッセージをお願いします。

仕事柄デザイナーさんと接する機会が多いのですが、現在はまだ紙媒体のデザイナーとWebデザイナーの住み分けがはっきりしているように思います。しかし、昨今のスマホサイトやランディングページの構成は1枚の大きな紙のようなもの。だから、紙媒体のデザイナーも臆せずWebの領域にチャレンジされると活躍の機会がより増えると思います。もちろん逆に、Webデザイナーが紙の媒体に挑戦することで、デザイナーとしての新たな発見がたくさんあると思います。

取材日:2019年1月18日

株式会社オンカ

  • 代表者名:船橋 悠馬
  • 設立年月:2015年2月
  • 事業内容:Webサイト・ホームページ制作/ECサイト制作/ランディングページ(LP)制作/内部SEO対策/リスティング広告/バナー広告・リマーケティング広告運用/SNS(Instagram・facebook等)運用/アクセス解析・ヒートマップ解析/コンテンツマーケティング支援/Web集客コンサルティング
  • 所在地:〒450-0002 愛知県名古屋市中村区名駅5-24-5 納屋橋CUBES 3階
  • URL:https://onca.co.jp
  • お問い合わせ先:0120-038-517
  • Mail:info@onca.co.jp

世界中を100のビジネスでつなげる

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札幌で老舗の映像制作会社を前身とするプランニング会社「株式会社シンク」。現在ではモンゴルにもオフィスをおき、世界各地のビジネスパートナーと様々な事業展開を行っています。「海外とのビジネスで100の事業を作りたい。まだ1/100だけどね。」そう笑う代表取締役の小泉僚鶴(こいずみ りょうかく)氏に、前身の映像制作会社から新たな企業を立ち上げた経緯や札幌のプランニング会社としては珍しい海外事業や医療系案件、今後の展望などについてお話を伺いました。

音響会社から制作業界のキャリアをスタート

起業までのキャリアを教えてください

学校卒業後は上京し、フジサンケイグループの音響会社に入社し、イベントやコンサートの音響担当として働き始めました。元々音楽やラジオなど音響関係に興味があったので楽しく働いていたのですが、そのうちに腰を痛めてしまって退職。札幌に戻った後は友人の紹介でCMやプロモーションビデオなどを編集する映像編集会社に就職しました。これが映像制作の仕事との出会いです。そこは編集技術の会社で、仕事は一連の作業の最後のフィニッシュ部分。制作の過程や全体像が見えない中での作業で次第につまらなく感じるようになり、企画から携わる制作プロダクションへ転職しました。

映像制作の仕事は札幌でスタートだったのですね

制作プロダクションではADからスタートしてディレクターになり、地元テレビ局の番組やCMの制作などを主に行っていました。ちょうど新しいテレビ局が開局した時期でもあり、新しいテレビ局の番組制作にも多く携わりました。ある時、クライアントとケンカをしてしまって当時のプロデューサーに怒られたことがあるのですが、その時に「人に怒られたり使われたりするのは嫌だ」と感じてプロデューサーを目指し、ちょうど30歳でプロデューサーになりました。プロデューサーになると制作だけではなく、広告代理店を回って仕事を獲得するという業務が中心となっていきました。

偶然の重なりで会社を引き継ぎ代表となる

その後2002年に最初の独立をされているのですね。

2002年に今の会社「株式会社シンク」の前身である「株式会社スタジオシンク」の社長に就任したのですが、これは偶然の巡り合わせです。株式会社スタジオシンクは元々、とあるデザインプロダクションの映像部門が独立して法人となったものです。2000年に法人として立ち上げられたのですがその2年後に初代社長が事故で亡くなり、株主の一人だった私に会社を引き継いでほしいと声がかかったのです。ちょうどその時、私自身も独立するつもりで前の会社を退職しようとしているところでした。しかも退職後は少しゆっくりしようと独立後の仕事なども全く入れておらず、スケジュール帳も真っ白な状態だったんです。会社が落ち着くまででいいから経営を引き継いでくれと言われて代表を引き継ぐことになりました。落ち着くまでと言いながら、進行中の仕事も従業員も多く抱えている状態ですんなり落ち着くわけもなく、2002年に代表を引き継いでから現在の会社「株式会社シンク」を立ち上げるまでは14年かかってしまいました。

すでに映像制作会社を経営している状態の中で、現在の会社を新たに立ち上げた理由を教えていただけますか?

株式会社スタジオシンクも設立から10年以上たち、それ以前の歴史もあって札幌の映像業界では知らない人がいない老舗企業となっていました。そうすると会社の色というかイメージというか、そういったものが出来上がってくるんですね。当時は札幌の映像業界もとても狭く、取引き中のクライアントや広告代理店の意向もあり、株式会社スタジオシンクとしてはなかなか新しいチャレンジがしづらい状態にありました。その中で新しい事業や新たなチャレンジをする場として株式会社シンクを立ち上げることにしたのです。

株式会社シンクを新たに立ち上げるにあたってご苦労されたことはありますか?

2016年に株式会社シンクを立ち上げた時点で、スタジオシンクは設立16年が経っていました。良くも悪くも歴史と実績のある企業です。株式会社スタジオシンクから社員を引き継いでスタートしたのですが、新しい企業であるシンクは一言で言えばベンチャー企業。私も含めスタッフの大半が同じではありますが、新たな仕事を新たな考え方で新たな方法で進めていきたいと考えていましたが、長くやっていた仕事を今まで通りのやり方で進めたいと考える社員もいました。しかし、近年は映像業界も大きく様変わりしています。映像の舞台はテレビからPCやタブレット端末などに変わり、一般の方が低予算で気軽に動画コンテンツを制作、公開できる時代です。今までと全く同じ考えでいればいずれ行き詰まることは明らかなのです。新しい考え方ややり方に賛同できない方は去り、一方で賛同してくれる新しいスタッフが加わり、現在では株式会社スタジオシンク時代のスタッフは残っていません。それでも株式会社シンクはまだまだできたばかりの会社です。労務人事の部分なども含めて現在も新しい体制を構築している最中です。

海外でのビジネス展開にチャレンジ。遠く離れたヨーロッパのマーケットも舞台に

株式会社シンクでの新しいチャレンジとは具体的にはどんなことでしょうか?

海外のマーケットで仕事をしてみたいと思っていました。日本とは異なる仕事観やはっきりものを言いスピード感のある仕事の進め方などがいいなと思って。現在はモンゴルのウランバトールにあるテレビ局の中にサテライトオフィスをひとつ置いていて、現地のビジネスパートナーと一緒に仕事をしています。モンゴルで関わった仕事で一番大きなものは大規模タウン開発のヨーロッパ投資家向けブランディングとプロモーションです。北海道や札幌の企業でインバウンドなど海外に向けてのプランニングやプロモーションを行っている企業はたくさんありますが、大部分がアジア向けです。ヨーロッパ向けのプロモーションを得意としている企業は少ないのではないでしょうか。前身である株式会社スタジオシンクは純粋な“映像制作会社”であったのに対して、株式会社シンクは映像を得意としたプランニング会社と言え、ヨーロッパに向けた事業展開は今後もまだまだ拡大の余地があると思っています。

医療系の分野にも造詣が深いとお聞きしました

こちらは映像制作事業になるのですが看護師や理学療法士など医療系専門職の教材用動画や、患者向けの説明動画などの制作をしています。医大の先生から頼まれて始めた分野ですが、医療系動画の制作には高い専門知識が必要なのでかなりハードルが高く最初はとても苦労しました。ただ、教材用動画は一通り作ってしまった後はもう増やす必要がないのです。新しい技術が増えていくものといえばあとは医者の術式ですが、現在は術式の研修用教材としては映像ではなくVRが主流ですから。

大変だったわりにはマーケットに広がりがないということでしょうか?

いいえ、医療系映像制作に関してはコンシューマー向けの分野にマーケットを広げていくつもりです。例えば病気自体や薬に関する啓蒙の映像や、ヘルスケアや未病に関わる企画を提案していきたいと思っています。超高齢化社会を迎える日本では高齢者の生活やヘルスケアといった分野は新たなトレンドとなっていますからね。

海外ビジネスに特化し、新たな事業展開を目指す

御社の強みはどんな部分だと考えますか?

海外に対するアプローチの部分ですね。海外でのビジネス展開や海外向けのプロモーションが得意なので、今後もここを特化していこうと思っています。先ほどお話しした通りモンゴルにサテライトオフィスを置いている他にも北京をはじめ様々な国にビジネスパートナーがいますし、社内でも外国人スタッフが働いてくれています。彼らはとても優秀ですよ。日本語と英語と中国語を駆使して世界中の情報を集めることができます。現在は中国とハンガリー出身の2名の外国人スタッフがいますが、今後も優秀な外国人スタッフの採用を進めていきたいです。今はどの企業でも優秀な人材不足は大きな課題になっています。札幌や日本に限定して採用活動をしていたってなかなか優秀な人は集まりません。当社はテレワークもOKなのでゆくゆくはサテライトオフィスで世界各地に拠点を作って世界中でビジネス展開できる体制を作りたいと考えています。テレワークは人材不足の解消と経緯削減を同時に解消できる方法の一つだと思います。将来的には社内の外国人スタッフの割合を8割にしたいと思っています。

今後の展望を教えてください

当社の強みである“海外”という部分にとことん特化して、海外のビジネスで100の事業を作りたいと思っています。私がいる間でなくてもいいんです。色々な国で新しいことにチャレンジして世界中で100の事業部を立ち上げたいです。そのためにも世界各地にビジネスパートナーを増やしてパイプを強化し、拠点も作っていきたいですね。現在はモンゴルにオフィスがありますから1/100、残り99個です。10個でも50個でもなく、100個!それが今の夢です。

取材日:2019年2月12日 ライター:小山 佐知子

株式会社シンク

  • 代表者名:代表取締役 小泉 僚鶴
  • 設立年月:2016年3月
  • 資本金:1,000,000円
  • 事業内容:プロデュース事業・ラーニング事業・映像制作事業など
  • 所在地:〒060-0042 北海道札幌市中央区大通西16丁目2-3 ルーブル16 2F
  • URL:http://www.studiocinq.jp/

Pay It Forwardの精神で、人と人をつなぎ、新しい市場を生み出す

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1992年、福岡で創業した株式会社千年市場(せんねんしじょう)。3人で紙媒体をメインにスタートしたプロダクションは、時代の流れに対応しながら27年の歳月を経て、福岡と東京に拠点を置く20人の会社へと成長しました。2代目社長の熊井啓人氏に、ご自身のキャリアから社長として大切にしていること、会社の強み、生き残りをかけた戦略まで伺いました。

人やモノが出会う「市場」を生み出し続ける

熊井さんは2代目社長とのことですが、まずは会社のことを教えてください。

弊社の創業者であり現会長の伊東秀基は、コピーライターです。1992年にデザイナーとカメラマンの3人で、プロダクションとして千年市場を立ち上げたそうです。創業の精神は「そこに『伝えたい』がある限り」。企業活動とは「誰かに何かを伝える」ことであり、「市場」は人やモノが出会う場所。市場には売買だけでなく、ワクワクする出会いや仕掛けがある。私たちは広告やイベントなどコミュニケーションメディアの企画・制作を通じて、過去から未来へ、千年以上も続くであろう市場を生み出していこうという思いが込められています。

なるほど。熊井さんご自身はどんなキャリアを歩んでこられたのでしょうか。

私は北九州市の出身で、高校の地理と歴史の教員になりたくて、長崎の大学へ進学しました。教育実習までしたのですが、やはり広告の仕事をしたいと思うように。もともと文章を書いたり絵を描いたりすることが好きだったんです。当時は缶コーヒーBOSS(サントリー)の広告が話題になるなど、ちょっとした広告ブーム。CMクリエイターに憧れて、広告会社に就職しました。でも、そこが1年で会社をたたんでしまい、次に入社したのが弊社、千年市場でした。2000年のことです。 学生情報誌「Campus九州」の営業兼ディレクターという立場で、お客様やクリエイターとやり取りをして、とても面白い仕事だとのめり込みました。それから教育関係のパンフレットやチラシなども担当し、社内の人はもちろん、お客様に教えてもらうことが多くて、ありがたい環境でした。 入社の翌年には、東京オフィス立ち上げにあたり、私が一人で行くことに。最初は知り合いがいなくて辛かったけれど、お客様が順調に増えていったのは幸運でした。3年で福岡に戻り、それから2013年に社長になりました。

30代半ばで社長になられたのですね。なぜ選ばれたのでしょう。

うーん、この仕事が好きで楽しく働いていましたし、上司や社長にも臆せず意見を言うタイプだったからかもしれません。

一つ一つの仕事を真面目にやれば次につながる

現在の事業内容について教えてください。

私たちは人と人、人と企業、企業と企業のコミュニケーション創造集団で、営業・ディレクター、プランナー、デザイナー、カメラマンなど20名が在籍しています。具体的にはパンフレットやWebサイト、販促ツール等の企画・制作や、メディア広告・Web広告等の運用、V.IやC.I等のデザイン設計やPV等のブランディング支援を行っています。 クライアントの業種は多岐にわたりますが、主に3つの柱があります。大学・短大・専門学校・高校などの教育関係、マンションや戸建分譲などの不動産関係、保育園・幼稚園と企業をつなぐ子育て支援事業です。ほかにも人材会社や食品関係、農産水産関係、葬祭関係、行政関係など、多彩なお客様と仕事をさせていいただいています。

創業から27年続いているのは素晴らしいですね。御社の強みはどこにあるのでしょうか。

とにかく一つ一つの仕事を大事に丁寧にやっているところでしょうか。私が言うのもなんですが、みんな仕事に対して誠実で大真面目なんです。お客様に無理難題を言われると、たまには愚痴が出ることもありますが、それでもどうにかして要望に応えようとする。そんな姿勢があるからこそ、10年以上にわたってお付き合いが続いているお客様もたくさんいます。

広告の仕事をされていて、どんなところに面白さを感じますか。

2つあります。一つは、お客さんへのプレゼンテーションです。私たちが考え抜いた案を出すときは、ものすごくワクワクします。もう一つは、やはり結果が出ることです。私たちのプロモーションによって、「こんなに反響があったよ」とお客さんに喜んでもらえることがうれしいです。

特に印象に残っているエピソードがあれば、聞かせてください。

どの仕事にも思い入れがあるのですが、東京オフィスで出会ったお客様のことは強く印象に残っています。その企業には何度提案に行ってもなかなか受け入れてもらえず、ある日、言われたんです。「前年の2倍頑張って、どうにか前年並み。3倍やらないと右肩上がりにはならないんだよ」と。クリエイティブの提案なら、前年のものをリニューアルするくらいではダメ、ということですね。その言葉をずっと心に刻んでいて、社長という立場になってみると、前年レベルを保つことがいかに難しいか実感しています。2倍なら時間をかければできるかもしれないけれど、3倍となると仕組みを変えたり工夫したり、新たに人を巻き込んだりしなければできない。重要な気付きをお客様に与えていただき、私はまわりの人たちに恵まれてきたなと感謝しています。

人や企業をつなぐことで新しい市場を作っていく

会社の展望について教えてください。

弊社はこれまで紙の媒体をメインにしてきたのですが、時代の流れに伴って単価が落ち、一方でウェブや映像などの依頼が増えています。また、人や企業が直接つながりやすくなった分、広告代理店不要論も出てきています。そんな時代だからこそ、私たちは広告会社としての価値をしっかり持っておかなければいけないと気を引き締めているところです。 最近は、お客様の困りごとを丸ごと解決できればと考えています。例えば、「今年はパンフレットの予算が足りない」と言われれば、別のどの部分に予算をかけているのかをお聞きして、そちらのコストダウンの方法までご提案することもあります。また、私やスタッフのネットワークを生かして、人や企業をおつなぎすることも多くなりました。 従来の仕事のやり方では、どうしてもプレゼン方式で他社と仕事の取り合いになってしまいます。そうではなくて、人や企業をつなぎ合わせることで、新しい仕事や市場を生み出していきたい。積極的に仕掛けていくつもりです。

人や企業とのネットワークはどのように作っているのですか。

社長になってから、経営者の集まりに参加しています。しばらくは営業の延長みたいな気持ちがあったのですが、それではうまくいかないと気付きました。損得を抜きにして、まずは自分が人の役に立とうと一生懸命に動くことで、相手から信用されて頼りにしてもらえるようになってきました。そうすれば人と人をさらにつなぐことができるようになり、ご縁のありがたさを感じています。 私が社長に就任してから、創業精神は大切にしつつ、新たな言葉を掲げました。それは「Pay It Forward」、つまり恩送りですね。自分が何かしてもらった人にお返しをするだけでなく、こちらが先に人のお役に立つ、人から人へ幸せを渡すという精神をスタッフ全員で共有しています。

「素直さ」と「相手への興味」を大切にしてほしい

熊井さんは社長として、スタッフとどう接しているのでしょう。

一人ひとりの状況や思いをできるだけ把握するように心がけています。以前は週1回、全員でミーティングをしていましたが、それではみんなが報告するだけで時間がかかり終わってしまう。そこで今は週に1回、個別に面談をしています。仕事で困っていることがあればアドバイスをしたり、励ましたりしています。 一人ひとりと話すことで、結果だけでなくプロセスがよく見えるようになりました。もし会社の経営が厳しくなっても、プロセスを見ていれば、すぐに人を減らそうという発想にはなりません。しっかり一人ひとりを向き合うことで、その先にいらっしゃるお客様にも向き合っているつもりです。

一緒に働くスタッフにはどんなことを求めますか。

一番は、素直さです。誰にでも自分の好き嫌いや価値観があるけれど、いったんそれを外して、お客様の話や立場を素直に受け入れて社会を見渡してみることで、見えてくるものがいろいろあると思うからです。 それから、お客様のことをもっと知りたいと思う人が望ましいですね。相手に興味を持って質問したり調べたりすることで、お客さん自身すらまだ気付いていないような良いところを見つけて、引き出し、伝えていきたいと考えているからです。ないものねだりではなく、良いこと探しが弊社の基本なのです。

取材日:2019年1月29日 ライター:佐々木 恵美

株式会社千年市場

  • 代表者名:取締役社長 熊井啓人
  • 設立年月:1992年5月
  • 事業内容:総合広告代理業
  • 所在地:〒810-0022 福岡市中央区薬院4-3-5 セレス薬院ビル3F
  • 電話:092-533-8733
  • URL:https://www.sennenshijo.com/

1200店以上のECサイト制作とブランディングの実績により販促の課題を解決へと導く

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「販促力に課題を抱える中小・零細企業や過疎地方で埋もれてしまっている商品・サービス、物産の持つ魅力をECサイトで世間に発信していきたい」との思いで、日々取り組んでいるのは、有限会社ブレイントラストの谷内克行社長。パソコンが苦手というECビギナーにも優しいサービスを提供することを会社の使命の一つに掲げ、費用面も作業工程もハードルを低く設定したプランを提供しています。もともとアートやカルチャーに関心が高い谷内社長はアートマネジメント事業も立ち上げ、現在はアーティスト・浜崎健氏のマネージメントをはじめ、事務所の1階にギャラリーを設け、様々なアーティストの展示・販売もしています。他社との差異化を図るため独自のカラーを追求し続ける谷内社長にお話をうかがいました。

類まれな行動力で憧れを現実に

もともとこの業界に興味があったのですか?

高校生の時に読んでいたファッション&カルチャー誌「POPEYE(ポパイ)」のようなお洒落でクリエイティブな雑誌を大阪でも作りたいと思い、大学に入ってからは関西のアートや音楽、カルチャー情報を掲載したフリーペーパーを発行していました。出版のノウハウもない友人7人が集まって、スポンサーや印刷会社も分からないまま直接電話をかけるなど手探り状態で始めました。当時はそのメンバーを中心に千人規模の学生サークルの主宰もしていたので、商品のモニター協力をするなどで大手企業数社がスポンサー契約を快諾してくれて、隔月で3年位発行し続けました。今では全国規模で活躍している大物バンドや著名人へのインタビュー記事もあって今読み返しても面白いです。

大規模なサークルを運営されていたんですね。その後はどのようにキャリアを積まれたのですか?

大学時代の延長で卒業後も個人事業としてイベント運営等を続けていたのですが、リクルートに勤務していた友人を介して人事部長や求人誌の編集長と会う機会があり、話の流れで大阪ベイエリアのお店を紹介する巻頭特集8ページの制作をすることになったんです。フリーペーパー制作のノウハウや人脈を活かし完成させると、その仕事をきっかけに他誌の特集記事等を次々に任せていただけるようになり、またクライアントの依頼で一緒に組んだ制作会社からも仕事を紹介してもらえたことで、パンフレット等の販促ツールや広報誌等の制作業務も手掛けるようになりました。順調に仕事量もスタッフも確保できるようになったので、これなら編集プロダクションとしてやっていけると思い、25歳の時に法人化しました。

与えられたチャンスをキチンとモノにして、早々に起業されたんですね。

とにかく早く起業したかったんです。その理由は単純で、「POPEYE(ポパイ)」に有名私立大学の青年実業家がめちゃくちゃカッコよく掲載されていて、それに感化されたからなんです(笑)。でも「起業する」ということだけが先にきて、「何をするか」が後回しになっていたため、“編集”という業務で突き抜けることが出来ていなかったように思います。

Web事業に取り組まれたきっかけは何ですか?

東急ハンズ心斎橋店の取材時に、たまたま自社サイトをリニューアルしたいという話があり、数社によるプレゼンだったのですが、雑誌編集で培ったスキルで見せ方には自信があったので、そこを全面的にアピールした結果、仕事につながりました。結構面白いものが出来て気に入っていただき、そこから三宮店のWebも担当させていただくようになりました。

ECビギナーに優しいサービスを提供

現在はECサイトに主軸を置かれているようですが。

一時的な会社案内やパンフレット制作以外に、継続的な仕事を探していたことや、弊社の特長として何か特化できるものを考えていた時期に、スタッフが「楽天ビジネス」を見つけて来てくれたんです。楽天市場に掲載を希望する店舗が提案書等により制作会社を選ぶというBtoBのマッチングサービスで、当時は楽天市場が黎明期だったこともあり、一つひとつ掲載店と一緒になってECサイトを作成していました。公開後の反響も含めてECサイトの仕事が面白くなり取り組んでいたところ、他店舗からもオファーが続々来るようになり、楽天ビジネス近畿エリアグランプリを5年連続でいただき、これまでに1200店舗以上の店舗を制作してきました。

御社のホームページにはECサイト初心者が学べるコーナーも充実させていますね。

いざネットショップを始めたいと思っていても、用語も分からない、エクセルも苦手という方が結構多くて、そういったECビギナーに優しいサービスを提供することを会社の使命にしています。よくあるのが制作会社に高額で見栄えの良い凝ったWebサイトを作成してもらったものの、情報等更新するのにも費用をかけて頼まないといけない、それが売り上げにつながらず大きな損失だけが残ってしまったというケースです。弊社では、気軽に始められるよう、楽天市場やYahoo!ショッピングといったモール型だと、スタートパック5万円(税別)で最短5営業日で作成するというプラン設定もあり、公開後は掲載商品やバナーなどの更新をご自身で編集出来るようにしているなど費用面のハードルをかなり低くしています。

※ 1つの場所に色々な店舗が集まるインターネットでのショッピングモールのようなもの。

その後フォローが必要な場合はどうなりますか?

不安な方には9000円/月(税別)からのサポートプランも用意しています。これまでの傾向としては、スタートパックで成功して、他のモールにも出店される方や、独自で店舗型で展開される方も多いので、そのあたりにも対応しています。

他に事業内容があれば教えてください。

2つありまして、1つは、コミュニケーションデザイン事業です。パンフレットや販促ツールなど印刷物、ホームページの制作、広報活動など、クライアントがお客様と接するすべてのコミュニケーションツールを一つのコンセプトに統一し会社や商品・サービスの訴求ポイントがぶれないようブランディングするものです。クライアントと直接やり取りをしながら、ニュース性のある価値というのがどこにあるのかを見つけて、ニュースリリースなどで配信するところから、ロゴ制作やネーミングまで担っています。ECサイト事業の延長上でブランディングまでお任せいただくこともあります。

クライアントの反応はいかがですか?

昨秋よりペットフード会社から小型犬用の新ブランドを立ち上げるというので、ネーミングからロゴ・パッケージデザイン作成までお任せいただいたんですが、結構売り上げが順調に伸びているので、クライアントから次は大型犬タイプも作ろうという話まで出てきているんです。そういうのを直接聞くと本当に嬉しくて、ブランディングにもますます力を入れていきたいです。

個性を解き放つ空間であそぶ

もう一つはどのような事業ですか?

アートマネジメント事業です。予算の関係でフリーペーパーの廃刊後に、たまたま知り合いから紹介してもらったテナントスペースがあり、フリーペーパーの要素をその空間でメディア発信したら面白いだろうなと思い、オフィスとは別に借りて10坪程度の空間の中に音楽情報やファッション、カルチャーなどを詰め込み、各コーナーを設け展示してたんです。

五感で情報にふれてもらう面白い試みですね。反響はどうでしたか?

雑誌社から取材依頼がきたり、口コミで広がったりして結構多くの方にお越しいただきました。クロージングイベント時には、東京から編集者、ミュージシャンなどアート界の大御所の方々に参加して頂きトークショーを行いました。様々なアーティストとのつながりができて、現在のオフィスビルの所有者でアーティストとして活躍している浜崎健ともそこで知り合いました。その後、1年程度の期間を置いて今度は以前に比べて倍のスペースでギャラリーをはじめ、映画の上映会やライブ、トークショー、DJイベントもしていました。そこを6年位運営後、閉めようとしていた時に浜崎から作品の管理やプロモーションなど、マネジメントの依頼があり、その後、ギャラリーを持たずにアートマネジメントを行っていましたが、数年後、浜崎がギャラリー運営していた現在のビルにオフィスを移したんです。3階建ての1階をギャラリーにして他のアーティストにも利用してもらっています。

赤が印象的なひと際目立つビルですね。今後はどのような展開をお考えですか?

アートとECサイトを融合させた弊社独自の形に持っていきたいと今は模索中です。本来業務では会社のミッションとして、ECサイト運営のノウハウを活用して中小企業、零細企業、過疎地方における課題をECサイトで解決したいと思っています。例えば地方の物産でも多くの人に知ってもらえれば売れるのに、埋もれたままになっているものがたくさんあるんです。弊社のブランディングのノウハウを掛け合わせてECサイトで展開していく、そういったお手伝いをすることで、各々が抱えていらっしゃる問題を解決できればと思っています。

悩んだからこそ見えた光

その中で求める人材とはどのようなものですか?

チームワークを大切にしたいので、一番は人柄ですね。愛嬌があって思いやりのある方です。それがあればスキルは皆で一緒に伸ばしていけると思っています。以前は大きな仕事、大企業の仕事を取っていくことばかりに気を取られスタッフの負担も大きく人の入れ替わりもあり、社内がギスギスしてしまっていたと思います。その苦い経験を踏まえ、「本当にECサイトを必要としているのは誰だろう」「仕事の本当の醍醐味って何だろう」と考え、方針を変えたんです。その時は「幸せって何だろう?」という事まで悩みましたよ(笑)。

そこで答えは出ましたか?

僕が出来ることを提供することで、クライアントが本当に満足してくれて「ありがとう」って言ってもらえる、感謝されることが自分の幸せにつながるんじゃないかと思ったんです。その対象は規模・人数に関係なく、例えば家事をして家族から感謝される、ストリートミュージシャンが目の前にいる一人に向かって歌い感動してもらえる、それが生きがいにつながると思うんです。ただ会社として、それを生業にする場合はある程度の対象人数が必要になってくる、人数が増えれば増えるほど規模が大きくなる、以前はその規模にばかりに目が行きがちだったのですが、大切なのは原点である「感謝されること」だという境地に行きついたんです。そこを大切にすることが、やり甲斐につながり、また自分の存在価値・仕事をする価値につながり、そして、生きていく上での原動力につながるのだと思います。

取材日:2019年2月4日 ライター:川原 珠美

有限会社ブレイントラスト

  • 代表者名:代表取締役 谷内 克行
  • 設立年月:1990年5月
  • 事業内容:ECサポート事業・コミュニケーションデザイン事業・アートマネジメント事業
  • 所在地:〒542-0081 大阪府大阪市中央区南船場4-11-13 レッドビル
  • URL:https://brain-trust.jp/aboutus/
  • お問い合わせ先:06-6253-2005

絆育むスポーツウェアをIT技術を駆使して売り出す

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スポーツウェアの製造から販売まで手がける「フラスコ100cc」は、3Dを使ったシミュレーターなど、時代に先駆けたシステムやサービスを自前で開発しています。代表取締役、矢口貴士さんはもともとシステムエンジニア。会社も当初はシステム関係がメインでしたが、今ではスポーツウェアが主軸となり、大阪、新宿にショールームを設けるなど、販路を広げています。システムエンジニアが、スポーツウェアの販売に至った経緯とは?

スポーツウェアとシステムの二本柱

まずは事業内容について教えて下さい。

スポーツウェアの製造と販売、加えて関連会社「フラスコ100ccシステムサービス」でのシステムの開発とサービス販売、この二本柱で事業を展開しております。スポーツウェアについては、中国に工場があり、製造から販売まで一括して自社で行っているので、中間マージンが発生せず、大手メーカーに比べて低価格で商品を提供できるのが強みです。

ユニークな企業名ですが、どんな意味が込められているのですか?

フラスコは理科の実験の時に使うあのフラスコです。理科の実験のように、チャレンジ心、冒険心を忘れないようにしようという思いから名付けました。ただ、「フラスコ」だけだとさみしいので、「100㏄」を付け加えました。

どんな方がスポーツウェアを購入されているのですか?

お客様の8割は通信販売です。アマチュアチームや学校の部活動など、全国の方からご購入いただいております。売れ筋はバスケットボールと野球のユニフォームです。生地の薄さやパンツの丈まで選べて、幅広い選択肢があるのも弊社の強みです。

人と人とのつながりを重視 大阪に営業所、新宿にショールームを設置

他社と差別化を図るための工夫はありますか?

ウェアを注文する前に、自前で開発した「3Dシミュレーター」を使って、スマートフォンやパソコンから完成品をシミュレーションすることができます。また、西日暮里の本社、新宿、大阪のショールームで試着したりスタッフとやり取りしたりすることも可能です。無料で生地のサンプルも送付しています。

最新の技術を取り入れながらも、お客様と会ってやり取りすることも大切にしていますね。

販売生産は受注生産でやっていますので、お客様が欲しいと言ってから作り始めるものなので、ある程度、お客様の中でイメージがあった方が、販売しやすいのです。

2015年に大阪営業所を開き、2018年12月に新宿にショールームを設けました。ウェブやITの世界にとどまらず、人と人とのつながりがビジネスでは大切だと考えています。試着したり、スタッフと直接会ってやり取りしたりする中で、購入して下さるお客様もいらっしゃいます。

360度回転! 独自開発の「3Dシミュレーター」

「3Dシミュレーター」について、もっと詳しく教えて下さい。

3Dの立体画像で、商品の色や形、模様などを自由に変えて、お客様の好みのデザインをシミュレーションすることが可能です。(実際に使用して見せながら)こうして、色を赤からオレンジに変えたり、胸の模様を大きくしたり、さまざまにアレンジできます。立体画像なので360度回転させることができます。ホームページからどなたでも使えますよ。

これは便利で面白いですね!

はい、遊び感覚で、スムーズに使っていただいています。過去に作ったデザインをID登録することも可能なので、注文前に10パターンほど作られるお客様もいらっしゃいます。

この「3Dカラーシミュレーター」自体も関連会社からクラウドサービスで販売しています。商品に図柄や文字をプリントする業者さんなどに使っていただきたいです。

スポーツ好きのシステムエンジニアが思いついたアイデア

スポーツウェアを販売する会社が、システムも自前で作っているのは、珍しいですね。どうしてシステムにも力を入れているのですか?

私がもともと、システムエンジニアだからです。起業前はフリーランスでECサイトなど通信販売のシステムを作っていました。30歳過ぎてこのままフリーランスで行くのか、サラリーマンに戻るのか、いろいろと考えた時、法人を立ち上げてシステムの世界でやって行こうと考えました。ですから、起業当初はシステムの仕事がメインでした。

そんな中、通信販売のシステムで、自分でも何か売ってみようと考えた際に、スポーツウェアの販売を思いついたのです。

どうして、スポーツウェアを思いついたのですか?

単純に私がスポーツ好きだからです。私は子供の頃からサッカーをやっていて、大人になってからも社会人チームに参加していました。

高校生から40代まで様々なメンバーがいて、それぞれ使える予算も違い、出入りも結構ある中で、ユニフォームの管理が大変だったんです。みんなが納得できるユニフォームを買えたらいいな、と思っていました。

ユニフォームはチームの絆をつなぐ存在

他にはどんなスポーツが好きなのですか?

私は特に球技のチームスポーツが好きなんです。チームスポーツには、仲間と共に楽しみながら、勝つという目的を共有できる醍醐味があります。ユニフォームはチームの絆を繋ぐ象徴的なものです。それを作って売ろうと思ったのは、自然な流れだと思います。

私は会社に対しても、スポーツのチームと同じ思いを抱いています。目的を共有して、一緒に進んでいく。そんな気持ちで会社を経営しています。

会社を立ち上げてから、大変だったことは?

スポーツウェアを売ろうと思いついたのはいいのですが、服の知識がまったくなかったので、大変でした。ゼロから勉強して、仕入先を開拓する所から始めました。

どんな時に、喜びややりがいを感じますか?

商品をお届けした後、チームでユニフォームを着た集合写真を撮って送ってもらっています。みんながユニフォームを着て、笑顔になっている写真を見るのは、うれしいですね。

経営者として心がけていることはありますか?

謙虚にやることですね。会社は成長していますし、売り上げも上がっています。しかし、事業規模が大きくなるほど、周りから持ち上げられることも多くなります。「裸の王様」にならないように、謙虚さを意識しています。誰も怒ってくれないですし、注意してもらえないですからね(笑)

ITを駆使して、店で服を買うように、オーダーメイドのウェアを届けたい

会社について、どんな将来像を描いていますか?

スポーツ、服、ITという三つの切り口を組み合わせた所で、強みを出していきたいと考えています。服づくりについてはオーダーメイドや個人向けにカスタマイズするという潮流になってきています。我々が販売しているスポーツウェア、特にユニフォームはまさに “オーダーメイド”の商品なんです。

スポーツウェアは“オーダーメイド”なんですか?

同じチームであっても、背番号や名前が入っていてサイズも違うので、商品は一つひとつ異なります。かつては在庫の商品に番号や名前を貼るやり方が主流でしたが、ここ10年くらいは注文を受けてから生地を切って作り始めるやり方になっています。

大量生産ではなく、欲しい人にとって欲しいものを作る。これまでやってきたことを、ITの力でさらに効率化しながら、お店で服を買うような感覚で、オーダーメイドのスポーツウェアを購入してもらうビジネスモデルを追求したいと考えています。

お店で服を買うような」感覚を実現するために、課題はありますか?

チームオーダーであれば、注文を受けてから作るので、納品まで2週間ほどかかっても、待ってもらえます。ただ、個人相手にするとなると、その納期では遅いですよね。店に行けば、その場で服が手に入る訳ですから。納期を考えると、同じ土俵に乗るはなかなか大変です。それでも、チームだけでなく個人の方にもっと注文していただける環境を作っていきたいです。

この記事を読んでいるクリエイターの方にメッセージをお願いします。

ウェアのデザインから、カタログ、フライヤーの製作、ウェブ、3Dまで、クリエイターの方が活躍できる場が社内にたくさんあります。クリエイターの方々に会社を知ってもらって、一緒に働きたいという方がいらっしゃったら、うれしいですね。

取材日:2018年1月31日 ライター:すずき くみ

株式会社フラスコ100cc

  • 代表者名:代表取締役 矢口 貴士
  • 設立年月:2006年5月
  • 資本金:500万円
  • 事業内容:スポーツウェア、オリジナルグッズの企画、販売
  • 所在地:〒116-0013東京都荒川区西日暮里1-60-12 CATS2階
  • URL:http://www.frasco100.cc/index.html
  • お問い合わせ先:電話)03-6806-6531
  • メール:info@frasco100.cc

社名の由来「コラボレーション」のとおり、同業他社とも協力するWeb制作会社

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「お客様に対しても言うべきことはしっかり言う」。このようなモットーのもと、クライアントと強固な関係を築き着実に実績を伸ばしているのが、沖縄にあるWeb制作会社「株式会社コレボ」です。代表取締役の北出 裕貴(きたで ひろたか)さん曰く、「派手さはないが堅実」であり、社名の由来となった「コラボレーション」という言葉の通り、同業他社との協力をも大事にするその業務内容や、企業理念に迫ります。

沖縄という土地の利を生かし、同業他社とも協力関係に

北出さんは京都ご出身だと伺いました。なぜ沖縄に会社を設立されたのでしょうか?

京都と言っても中心地ではなく、舞鶴という田舎町の出身です。舞鶴は海があって自然が豊か、そして移動手段は車が中心。そんなところが沖縄に似ていたからでしょうか、沖縄に初めて旅行に来た時から親近感を覚え、いつか沖縄で働いてみたいと思っていました。その頃私は、東京のWeb系の会社でガラケーのモバイルサイトの運用を担当していたのですが、東京のゴミゴミした感じが年々苦手になってきていました。そこで、沖縄に本社を持つWeb制作会社の東京支社へ転職し、そこで、移住するきっかけの会社である沖縄に本社持つWeb制作会社の東京支社へ転職し、念願叶って沖縄へ転勤、移住できることに。その後、数社を経て入った会社で出会った 、弊社の取締役である比嘉や他の仲間たちと一緒に独立し、2016年にコレボを立ち上げました。

沖縄に移住し会社を設立されて感じた、沖縄に対する率直なご感想を教えてください。

沖縄はエリアが小さいせいか、人と繋がることが容易だと感じます。自分の気持ち一つで、さまざまな方と出会えます。特にWeb業界には、私のように東京が苦手とか、沖縄で何かやりたいことがあるとか、共通する意識を持って移住した人が多く、あっという間に意気投合できます。沖縄は飲みニケーションが盛んな土地ということも手伝って、本来ライバル関係にあるような同業他社ともすぐに知り合え、親しくなれました。

実際に同業他社と親しくなって、仕事に活かせたことはありますか?

今弊社が入っているこのオフィスも、親しくしていた3つの会社と共同で借りています。隣の部屋が仲間の会社でもあるので相談することもありますし、業務をお互いに分担することもあります。何より、刺激し合えるのが最大のメリットですね。

バックエンドを意識してフロントを作り、ディレクターとエンジニアの信頼を勝ち取る

御社の主な業務内容を教えてください。

Web制作になります。その中でも主軸が2つあり、一つはデザインやコーディングなどのフロント制作です。もう一つは、「RCMS」というシステムの構築を、株式会社ディバータのパートナーとして行っています。

「RCMS」とはどのようなものですか?

サポート付きなのに従来のCMS(コンテンツ管理システム)よりも安価で、且つ日本製ということで、近年急速にシェアを伸ばしています。弊社でも頻繁に問い合わせを受けますし、大手の会社も続々と採用しています。

Web制作会社としての御社の強みを教えてください。

フロント制作が主な業務ではありますが、RCMSの構築を担っていることからもわかるように、弊社のスタッフはバックエンドの業務についても理解していますし、実際に作れます。ですので、バックエンドのエンジニアが取り扱いやすいフロントのコーディングが可能です。作りやすいと、エンジニアに感じていただいていると自負しています。

コーディングという部分は表に出ないので、「バックエンドに適した形にフロントを作っている」ということが、クライアントに見えづらいように感じます。どのようにしてアピールされているのでしょうか?

確かに見えない部分ですので、大々的なアピールが困難です。しかし、それを怠らず、地道に続けていると、バックエンドを担う会社から高評価のフィードバックをいただけることが徐々に増えてくるのです。フロントを担う弊社とバックエンドを担う他社の間に、ディレクションする会社や人がいる場合がありますが、その方とのパイプも強くなり、次回の仕事につながります。

「バックエンドに適したフロントを作っている」ということはアピールしづらい分、新しい取引先の開拓に大きく役立つというわけではありませんが、評価していただけた会社とのお付き合いがより強固になります。広く浅くというよりは、狭く深く付き合えるイメージですね。

とても堅実にお仕事をされているのですね。他に、仕事をする上で大事にされていることはありますか?

健全な社交性を持った組織作りに取り組んでいます。

健全な社交性とは、具体的にはどのようなことですか?

クライアントに対して妙にへりくだったりせず、言うべきことはしっかり言う、ということです。例えクライアントにとって耳が痛いことであっても、しっかり伝えたり指摘したりすることで、クライアントの抱える問題を解決できると考えています。そうできるように、対等に話せるような関係作りを心がけています。メールのやり取りでも「様」と「お世話になっております」は早々に止めて「さん」と「お疲れ様」に変えて、なるべく早く距離を縮められるようにしています。

メールの工夫はいいですね。北出さんが仕事をする上で個人的に心がけていることはありますか?

交流会などに積極的に参加して、仕事につながる出会いを探すように心がけています。また、自分のような移住者に出会った時には、できるだけ私の知っているコミュニティに引き込むようにしています。その方が、慣れない土地においては助かると思いますし、いろいろなコミュニティを共有することは、お互いのメリットになるはずです。

社員を労い、ステップアップを見据えた組織作り

これからの目標やビジョンを教えてください。

短期的な目標としては、来年度は利益の伸び率が鈍化してもいいと考えています。その分、給与アップなどを図り社員に還元する予定です。

2016年の創業から約3年の間に、会社を堅実に運営していけば業績は伸びるとわかってきました。しかし、時に残業させてしまうなど、社員には苦労をかけてきました。社員への労いと、次のステップを意識して取組んで欲しいという願いを、お金という形でを表したいんです。

今、対外的な交渉や人脈構築は、私と取締役の比嘉が行っています。社員には次のステップとして、そのような業務も徐々に担って欲しいと思っています。皆優秀なデザイナーや技術者ですが、より多くの知識と報酬を得るためにも「制作」という仕事以外をできるようになって欲しいですね。

長期的には、どのようなことをお考えですか?

AIの発達によりWeb制作者が今ほど必要なくなると言われる昨今、今の業務だけだと将来に不安を感じるスタッフもいます。ですので、いつになるかわかりませんが、もっと物理的なビジネス、例えば飲食業などに手を広げてみたいです。飲食業に限らず、弊社の業務範囲外のことをやってみたいというスタッフがいれば、それを応援できるような会社でありたいです。そのためにも、会社の規模をもっと大きくし、地盤を整えていきたいですね。

最後に、どのようなスタッフと一緒に働きたいですか?

自分の考えや、やりたいことを声に出して伝えられる人です。沖縄の県民性かもしれませんが、声高に自分の意見を言わない、言えない人が多いように感じます。しかし仕事においては、自分で意見を言えなければ、相手に理解してもらえません。社内ではミスコミュニケーションが生まれ、会社を辞めたくなるかもしれません。それを防ぐためにも、意見をなかなか言えないスタッフへは極力寄り添い、気持ちを吸い上げられるように努めています。

取材日:2019年1月15日 ライター:仲濱 淳

株式会社コレボ

  • 代表者名:代表取締役 北出 裕貴
  • 設立年月:2016年3月
  • 資本金:500万円
  • 事業内容:インターネット広告に関する制作全般、ソフトパッケージ販売および受託構築、Webシステム/アプリケーション開発、サーバホスティング代行および運用保守
  • 所在地:〒900−0005 沖縄県那覇市天久2-28-24 2F
  • URL:https://www.colrevo.co.jp/
  • お問い合わせ先:098-863-6673

経営者としての経験が、これからのデザインや会社のあり方を気づかせてくれた

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有限会社タブロイドの代表取締役 津江祐一氏に、デザイン会社の経営者としてのこれまでの経験や現在取り組まれていることについてお伺いしました。

自分にしかできないことを表現したい

デザイン会社を起業されるまでのストーリーについて教えてください。

私は、中学生の頃から漠然と「自分にしかできないことを仕事にしたい」ということを考えていました。それからしばらく、どんな仕事をしたいのか具体的にイメージできないままだったんですが、最初に就職したのがアパレル関係の会社でした。デザインに興味を持ちはじめたのはその後でしたね。ある時、自分にしかできないことを表現するのに相応しいのがグラフィックデザインだと感じ、そこからこの業界に飛び込みました。デザインに関しての専門的な教育は受けていないので、最初はなかなか大変な思いをしましたが、実務を通してデザインの楽しさを知ることができました。当初はデザイナーとして独立することなんて考えてなかったんですが、当時よく遊んでたライヴハウスで知り合ったパンクバンドのCDジャケット・フライヤーのデザイン制作、自身で企画した雑誌を発刊するといった活動の中に「自分にしかできない何か」を感じ、そういった活動が気持ち的な後押しになり、29歳でフリーランスのデザイナーとして独立しました。そして3年後には仕事も仲間も増え、法人化しました。

デザインに対してどんな考え方でお仕事をされていらっしゃいますか?

起業した頃と今では考え方が変わってきていますね。当初はとにかく「良いデザイン」をつくるということばかり考えていました。すごくエゴイスティックな考え方だと思いますが、デザイナーにとっての良いデザインをつくることがゴールになっていましたね。そこにはコンプレックスが根底にあったんだと思います。私個人としては専門的な教育を受けないままデザイナーとして活動していること、固定のクライアントを持たずにゼロから起業した分、売上を上げることにも苦労していたことなど、周りと自分を比べて勝手に劣等感を感じて「いつか見返してやる」的な想いをずっと持っていました。かなり尖ってましたね、当時は。なので、とにかく妥協せず良いものをつくりたいという一心でした。自分に対してもスタッフに対してもそれを課していましたから、良い意味でも悪い意味でも本当に厳しかったですし、社内はいつもギスギスしてましたね。

デザインに対して考え方が変わったのは何がきっかけだったのですか?どのように変わったのでしょうか?

5年くらい前ですが、主な戦力だったメンバーをはじめ大量にスタッフが辞めてしまったのです。今振り返ると自業自得だったのですが、当時は自分自身が否定されたような感覚になって、かなり落ち込みました。その時期にたまたま、本音でスタッフと話せる機会があったのですが、私が話したことに対してそのスタッフが「一人で抱え込まなくてもいい」と言ってくれたんですね。このときに色んなことに気づきました。一番大きな気づきは、今までは“経営者”という仮面を被って「自分は経営者らしくあるべきだ」というスタンスで彼らに接してきたこと。それが自分自身を苦しめていましたし、周りのスタッフにも辛い思いをさせてきたんだと思います。会社って自分の鏡なんですよね。自分の状態と会社の状態ってすごくリンクするんです。こういった経験から、自分を大事にすることや、自分が感じていることを正面から捉えることの大切さを痛感しました。

その時期からデザインに対する考え方も徐々に変わっていきました。自分自身が経営者として学んだ経験を生かして、経営者の方が自分の内面を見つめ、会社の本当の強みを見つけることができるお手伝いをデザイナーとしてやっていきたいと思うようになりました。表面上のデザインではなく内面を見つめて行き着くデザインです。デザインというのは一つの手段だと思っています。本当の意味でのクリエイティブというのは内面を見つめ、そこから作りだすものではないでしょうか。経営者の方とお話をすると、以前の私と同じようにスタッフに想いを伝えるところで壁を感じている方もいらっしゃいます。そんなとき、自分の経験も踏まえながら、自分の内面を見つめ、想いをのせてコミュニケーションを取ることの大切さも併せてお伝えしています。

個性を大切にする会社を目指して

スタッフの方とのコミュニケーションが変わったこと以外に何か変わったことはありましたか?

一昨年、労働環境の改善に取り組みました。大手広告代理店の悲しいニュースが話題になったように、私たちの業界にとって労働環境に関することは大きな問題なんです。ゴールの見えない長時間労働が当たり前になっている中で、それを何とかしたいと思いました。具体的にはフレックス制度の導入だったんですが、その制度を活用しながら法律と業務のバランスが取れる体制をつくりました。導入前はスタッフも戸惑っていたようですが、彼ら自身が工夫しお互い協力し合うことで、少しずつ理想の労働環境に近づいていっています。

また、こういった取り組みが、スタッフの自主性を以前にも増していき思わぬ副産物になりました。「工夫すること」や「協力し合うこと」の大切さが実感できている結果だと思うんですが、彼らが自分たちでスローガンをつくり、それをもとにした色んな面白い取り組みを始めてますね。その中の一つに、業務上での良かった点をお互いに発表し合うというものがあります。その内容を毎月レポートとしてまとめて提出してくれるんですが、特に強制したわけでもないのに、こういった取り組みをしている彼らを見ると本当に嬉しくなります。

少しずつ流れが良い方向に変わっていっていますね。クリエイティブというのはデザインだけではなく問題解決や時間管理といった自分から湧き上がるすべてのものにいえると思うんです。今後もスタッフにはデザインスキルだけではない本当の意味での根本的なクリエイティブに挑戦していってほしいですし、そのためにも会社として言いたいことがいえる雰囲気作りや個性を受け入れる体制というのは整えていきたいと思っています。

御社の今後の展望について教えてください。

すごく基本的なことなんですが、どんなクリエイティブな仕事も単なるものづくりで終わるのではなく、つくったものをどう役立ててもらえるかが大切だと思うんです。私がこれまでの活動の中で一番学んだことは「自分の内面を見ながら、自らをオープンにして自分の言葉で語り、人間的なつながりを構築していくこと」でした。これから先は、この気づきや経験を生かし、デザイナーとしてクライアントのより良い経営に役立ててもらえるような仕事をしていきたいと考えています。

スタッフに対しても自分らしくあってほしいと願っています。色んな個性が集まって会社が成り立っていますし、お互いその個性を尊重して自分の持つ力が最大限に発揮できるような組織をつくっていきたいですね。そして、その個性を認めた上でもし何かやりたいことがあるなら、この会社で実現してほしいと思っています。

考え方や行動に尖ったものを感じてるんですが、先程おっしゃったパンクロックがお好きなことと関係がありますか?

あ~、それ感じました?(笑)型にはまったやり方よりもっと良いものを、もっと新しいものをという考え方には影響を受けてるかもしれませんね。でも最近は、尖るだけでなく、そこに柔らかさもプラスしていけたらと思ってます。(笑)

取材日:2019年1月28日

株式会社タブロイド

  • 代表者名:代表取締役 津江祐一
  • 設立年月:2006年3月(創業 2003年1月)
  • 資本金:3,000,000円
  • 事業内容:グラフィックデザイン制作、印刷物・ウェブサイト制作、ブランド・コンサルティング
  • 所在地:〒732−0053 広島市東区若草町9-7 三共若草ビル2階
  • URL:https://www.tabloid.co.jp/
  •    MORE BRANDING http://more-branding.jp
  • お問い合わせ先:info@tabloid.co.jp

チャレンジする楽しい会社をつくりたい

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オンエモーションはWebサイト、アプリケーションの企画・制作を中心に、新たな事業の柱としてEC(eコマース)を展開されています。偶然から始まったフィンランドとのご縁で「Nordic Baby Basket」をスタートさせ、これまでの業務とは全く違う物販に最初は戸惑い、周囲からも驚かれたとのことでした。プログラミングという無機質なもので、意外性をもって人を驚かせたい、感動させたいという思いが「オンエモーション」の社名に込められていますと石原氏。今後も仙台にとどまることなく、活動の場を広げていきたいと語ってくださいました。

好きなことを仕事に

会社を立ち上げるまでのキャリアについてお伺いできますか

大学を卒業してから、最初は中高生対象の学習塾で講師をしていました。夕方から夜が勤務時間で、お昼の時間や就業時間後にプログラミングを独学で学び、Webのプログラム制作を外注として受けるようになりました。20代後半のころ本格的にWeb制作の業界にシフトしたいと思うようになり、フリーランスの道も少し考えましたが、一度Web制作の会社へ入社し、1年半くらい勤務して、そこで知り合った現ミライトス社長の鈴木圭介氏と二人で独立しました。

独学でも学ぼうと思われたきっかけはありましたか

大学時代は全く違う専攻でした。Webやプログラミングに興味を持ったきっかけは、当時の先輩が自宅に来たとき、自分がたまたま持っていたWindows95のパソコンを「繋いであげる」とインターネット接続してくれたことでした。インターネットは私にとって衝撃的でしたね。 当時すでにプログラミングに関する本も出版されていたので、自分でも勉強すれば習得できるのかなと思いました。幾つかプログラム言語を勉強しましたが、やはりインターネットが好きで、後にWebのプログラム制作の外注を受けようになり、現在へと繋がっています。

新たな事業の柱を作りたくてECを始めました

現在の事業内容についてお伺いできますか

Webサイト・アプリケーション、モバイルサイト・アプリケーションの企画・制作をはじめ、オンラインショップ企画・制作、Webサイト運営・コンサルティング等、Web関連サービス全般を行っています。なかでも自社でECを行おうと始めた「Nordic Baby Basket」は第2の柱となる事業として今後も育てていきたいと思っています。

Nordic Baby Basketについてお伺いできますか

「ECを自社でやろう!」と商材で何を扱うか模索しているとき、仙台市主催のフィンランド企業ビジネスマッチングに参加したことがきっかけで、会場のパネルで「アイティウスパッカウス」という、出産した母親にベビー用品を詰めた大きな箱が政府から支給されるというフィンランドの政策を知りました。フィンランドの民間企業でもそのコンセプトの商品を扱っている会社があったので、輸入して自分たちが日本人向けに販売するサービスを考え、仙台市を仲立ちに、この商品を取り扱っているフィンランドの民間企業を紹介していただいたのです。

フィンランドと同じ商品を販売されているのですか

フィンランドの会社に協力してもらい、日本向けにとオリジナルで1年以上をかけて、服やおもちゃ、おくるみ布など30数点が入った「ノルディックベイビーバスケット」を完成させました。服はデザイン性だけではなく、オーガニックコットンを使用するなど質にもこだわっています。
参考URL https://nordic-baby-basket.jp/

本業と全く違う業態である物販について戸惑いはありましたか

輸入についてはゼロからスタートでしたから、通関手続きや慣れない英語でのやり取りに苦労しました。発注しても納品するまでに長いもので半年かかることもありました。 また一番違ったのはWeb制作には製品を持つ在庫感覚がありません。当初、在庫や仕入れの考え方、キャッシュフローなど大きなギャップを感じました。

反響はいかがでしたか

日本にはない商品だったので、かわいい、見たことないなどの反響は頂きました。また、大手ブライダル企業のキャンペーン商品に採用していただいています。 同業者や取引先からはこの事業に驚かれましたが、本当の意味で第2の柱に育った時が、本来の目的であったEC事業を成立させたということですので、まだまだ注力していく必要があると思っております。

仕事をされるうえで大切にしていることについて教えてください

自宅とオフィスを分けて気持ちを切り替えるようにしています。そして、ご縁を大切にすること。お取引先の企業や同業者など、ご紹介からがほとんどです。信頼に応えていくことの積み重ねがご紹介いただくことに繋がるのかなと思います。幸運なことで有難いことだと感じています。

パートナー達と共に前進していきたい

オンエモーションを今後どのような会社にしたいと思いますか

まずは、社員とパートナーの方たちと家族が本当に安心・満足できる収入が得られる仕事を行える環境を作ることです。そして、理想論かもしれませんが余裕が生まれたときに社会に還元できる企業になりたいです。

一緒に働くスタッフの方にどのようなことを期待されますか

弊社の行う仕事を好きになってくれる方と一緒にやっていけたら嬉しいですね。 制作業にとどまらず、ベビーバスケットやいろいろなことにチャレンジしていますので、本業と違うことを始めたり、投資することに対して理解してもらって、一緒にチャレンジしてみようと思ってほしいです。 また、スタッフにやりたいことがあれば、できる限りそれをサポートしたいですね。

後進の方に伝えたいこととは

20代のころから10数年間はプログラミングが本当に好きで、いろんな言語を覚え、色々なものを作れるようになりたいと、毎日ひたすら書いていました。 これを他の人に同じようには求めませんが、好きなことに対して時間をかけられる、かけてしまうという熱量みたいなものは必要だと思います。これが後々仕事に対する自信のベースになり、自らを支えるのではないかなと思います。

取材日:2019年2月15日 ライター:桐生 由規

株式会社オンエモーション

  • 代表者名:代表取締役 石原敏行
  • 設立年月:2008年4月
  • 資本金:300万円
  • 事業内容:システム開発、Webサイト制作業務、Nordic Baby Basketの企画及び運営
  • 所在地:〒980-0821宮城県仙台市青葉区春日町10-22第2春山ビル2-M
  • URL:https://on-emotion.com/service
  • 電話:022-797-0475
  • FAX:022-797-0475

VRを、教育の領域へ。

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ヘッドマウントディスプレイの装着によってこれまでにない体験を人々にもたらす「VR」。そのVR技術を教育や訓練の領域に活用するプロジェクトで業界に新風を吹かせるのがイクスアール株式会社です。この春に自社サービスをリリースする同社CEOの蟹江真(かにえまこと)氏とCOOの小池健輔(こいけけんすけ)氏に、VRの可能性やVRの世界に“新たな感覚”を付加する試み、クリエイターへのメッセージなどを伺いました。

世界が変わるほどの衝撃を受けたVRの初体験。

小池さん

VRに出会うまでのビジネスキャリアを教えてください。

蟹江さん:私は高校を1年で中退し、IT系のベンチャーで社会人としてのキャリアをスタートさせました。今で言うフィールドエンジニアのようにお客様企業に出向いてITインフラの構築やプログラミングの経験を積みました。そこで3年ほど勤めた後に、フリーランスとして独立。さらに数年後には自分の会社も設立したのですが、リーマンショックによって事業の継続が難しくなって会社を譲渡。フリーランスに戻った頃にVRと出会い、それがイクスアール立ち上げにつながりました。

小池さん:私は美術系の大学を出て、デザイン事務所に就職しました。もともとは平面のデザイナーなのですがウェブ部門の責任者に抜擢されたため、試行錯誤しながらウェブサイトの制作ノウハウを学んでいきました。その後にウェブ制作会社やマーケティング会社への転職を経験し、培ってきたノウハウをもとに独立。マーケティングディレクターとしてお客様の売り上げ向上支援を行っている頃にVRと出会いました。

VRを初めて体験した時の印象はいかがでしたか?

蟹江さん:私は豊橋で開催されたオキュフェス(現在のJapanVR Fest)でVRを初めて体験。「世界が変わる!」ほどの衝撃を受けたのをよく憶えています。視界が別のものに変わり、その世界に入り込む感覚。ありとあらゆることに驚きました。それからはVRのことしか考えられない状態になり、誰かと会うたびに「これを自分の仕事にしたいんです!」と話すようになりました。

小池さん:私は国内初のVRゲームソフトが発売されたのを機にVRを観るための機材を購入しました。しかし、正直「期待はずれ」という印象だったんです。数十万円もの費用をかけたものの「これではいけない」という部分が山積みで、もはやネタにするしかないと感じていろんな方にVR体験をしてもらうようになりました。そうしていくうちに、「これではいけない」が「こうしたらもっと良くなるのに」にシフトしていきました。最初の失望感が、結果として自分を突き動かすモチベーションになったんです。

2人が出会い、会社を立ち上げることになったいきさつをお聞かせください。

蟹江さん:名古屋でVRの開発を行っている共通の知人から紹介を受け、そこから相談し合う間柄になりました。私は映像プロデューサーや人材広告のプロデューサーと「BOX VR」というユニットを立ち上げてVRコンテンツの受託開発を行っていたのですが、2017年11月に東京ビッグサイトで行われた国際ロボット展への出展を機に「仕事としてもっと大きくしていきたい!」と小池に相談をもちかけました。

小池さん:蟹江から相談を受けて私が感じたのは「下請けのVRコンテンツ制作会社に甘んじては意味がない」ということでした。私たちがVRのことを一番よく知っていて、VRの未来を誰よりも思い描いている。それなら、自分たちがプロジェクト自体を立ち上げ、取り仕切り、日本のVRを前進させる立場になるべきだと蟹江に伝え、ともに起業することになりました。

「トレーニングVR」の技術でVRの世界に『触覚』をプラスする。

小池さん

社名「EXR(イクスアール)」の由来を教えてください。

蟹江さん:この業界にはVR(バーチャル・リアリティ)、AR(オーグメンテッド・リアリティ)、MR(ミクスド・リアリティ)などの技術があるのですが、総称して「XR」と呼んだりします。Xとは「未知なるもの」という意味合いです。この「XR」に拡張性を意味する「EX」を付加したのがイクスアールの由来です。

小池さん:私たちは特に経験(EXPERIENCE)を大切にしているため、XRの領域と経験を掛け合わせた存在であるという意味も託しています。

起業からもうすぐ1年。この1年はどのような動きをされていたのでしょうか?

蟹江さん:この春に自社サービスをリリースするため、その開発や準備を進めてきました。そのサービスは「トレーニングVR」というもので、第1弾は魚を捌く映像をVRコンテンツ化しました。このトレーニングVRを観ることで、今まで魚を扱ったことのない人が魚を捌く作業手順を的確に覚えることができます。

小池さん:当社のトレーニングVRが他と大きく異なる点が『触覚』にあります。実際に作業する際の指の感覚を記録し、それを再生する技術によって「まるで自分自身が作業を行っているようなリアルな体験」をすることができます。この技術により、作業を覚えるスピードや精度が劇的に高まると考えています。

トレーニングVRの普及によって、世の中にどのような変化が生まれるのでしょうか?

蟹江さん:トレーニングVRによって、人から人への教育や訓練が大きく変わると考えています。現在に比べ、時間や場所の制約を圧倒的に小さくできるからです。今回は第1弾として魚を捌く映像のVRコンテンツ化を行いましたが、これはありとあらゆる教育や訓練に応用できます。たとえば、熟練工の手仕事をVRコンテンツ化することでその技術をアーカイブし、若者に伝えることも可能です。

仕事を覚えるための時間や負担を劇的に減らすことができれば、それは「仕事の流動化」にもつながります。技術を次々に身につけることで次の仕事に就きやすくなるため、職場の人間関係の悩みや転職の悩みの軽減にも貢献できると考えています。

何もない。だから、可能性や喜びに満ちている。

御社の強みを教えていただけますか?

小池さん:イクスアールの強みはさきほど話した教育・訓練の分野にあるのですが、それ以外に「ロボティクスにも強い」という一面もあります。蟹江が国際ロボット展で手がけた「マルチモーダルAIロボット」のプロジェクトは人間の動きをロボットにトレースさせるというものなのですが、教育・訓練の分野で得られた知見をもとに、身体機能の拡張、たとえば「3本目の腕」の開発なども可能だと考えています。

蟹江さん:また、以前は産業用ロボットと人が一緒に作業を行うことは危険が伴うため避けられてきましたが、ロボット市場も変化して「協業ロボット」の開発も進んでいます。その分野にもイクスアールの知見や技術を活かすことができます。

2人が仕事で心がけていることを教えてください。

小池さん:「この課題解決には、VRが本当に必要なのだろうか?」ということを常に考えるようにしています。課題解決のためにVR以外の方法の方が適切だと感じる場面も実際にあるため、VRにする意味や意義がある仕事だけに注力することを心がけています。
あと、VRはこれから急激な発展期を迎えます。すごく面白い時期ではあるのですが、その波に乗るためにはビジョンと数字のバランスが大切だと考えています。夢を大きく語って熱を伝播し、それをきちんと数字に落とし込むことで説得力に変えることを意識してビジネスを行っています。

蟹江さん:私は働き始めた頃からずっと「自分自身が楽しまなければ、そもそも仕事をやる意味がない」と考えてきました。そして「仕事を楽しむためには周りを大切にしなければいけない」ことを学んできました。楽しい環境をどうやって生み出し、それをどう維持していくのかを日々考えていますし、身近な人はもちろん「世の中全体をどう楽しませるか」という部分もとても大切にしています。

最後に、クリエイターへのメッセージをお願いします。

小池さん:自分の中の「好き」や「楽しい」という感情に正直になってほしいと思います。子どもの頃はきっと、自分が好きで絵を描いたり積み木をしたりとクリエイティブなことを行っていたと思います。しかし、社会に出たとたんに「目標」も「やるべきこと」もすべて会社から与えられ、それをベースに動くことに疑問を感じない人がとても多いのが残念です。ある美術大学の広告に「かつて天才だった自分をとりもどそう。」というキャッチフレーズがあるのですが、クリエイターはその想いで仕事に取り組んでほしいなと感じます。自分の根幹たる「好きなもの」「楽しいもの」を見つけ、同じものを共有できる仲間と出会うことで、苦難があっても乗り越えられるクリエイターになれると信じています。

蟹江さん:私たちが熱中するVRは、触覚はもちろん空気や重力すらない「何もない」ところから何かを生み出していく世界です。何もないからこそ、自分たちが思い描いたイメージを具現化する喜びや可能性に満ちています。「VRを体験してみたい!」「VRを作る側になりたい!」そんなクリエイター仲間がこれからどんどん増えていくことを、とても楽みにしています。

取材日:2019年2月14日

イクスアール株式会社

  • 代表者名:蟹江 真(CEO)/ 小池 健輔(COO)
  • 設立年月:2018年3月
  • 資本金:50万円
  • 事業内容:VR及びAR技術を用いたコンテンツの企画・設計・開発・運用
  • 所在地:〒453-0002 愛知県名古屋市中区名駅4丁目3番10号 東海ビル307
  • URL:http://exr.co.jp
  • お問い合わせ先:上記HP「お問い合わせ」より

「京都」という地の利を生かし、手描きという「アナログ」にこだわる図案家集団

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世界遺産「二条城」の南、神泉苑の旧敷地内に佇むビルの3階に“図案家”と呼ばれるプリントデザインに特化したテキスタイルデザイナーのアトリエ「GARAGELAND(ガレージランド)」があります。ここでは染織文化が残る京都ならではの筆による手描きにこだわり、さまざまな意匠を製作しています。今回、ガレージランドの代表を務める松生剛(まついけつよし)さんにこれまでのいきさつや将来のビジョンに到るまで、お話をお伺いしました。

下積みがあるから「今」がある

まずは、会社設立までのいきさつについて教えてください。

幼い頃から絵を描くのが好きで、いつか“ものづくり”に関わる仕事がしたいと考えていました。今思えば、友禅の図案家だった父の影響もあったと思います。大学の時、友達の紹介でテキスタイルデザインの製作を行う会社にアルバイトとして入り、卒業後も継続してその会社に勤めることになりました。当時はパソコンではなく、筆を使用した手描きのデザインを行なっていて、まさに「先生と弟子」の関係のように下積みを重ねる日々でした。いつかは独立したいと思っていたので、12年ほど働いたのち、その想いに従う形で独立。まずは個人事業主として、自宅に3畳一間のアトリエを設けて図案描きの仕事を請け負いましたが、もっと外に出て行くべきという考えに至り、2002年に京都市伏見区に事務所を構え、その後、2013年に現在の二条城南に位置するビルに拠点を移し、事務所兼アトリエを構えました。活動の場をより広げるためには「信用」を確保する必要性を感じ、同年9月に株式会社GARAGELANDを設立しました。

独立後の苦労はありましたか?

正直、会社で働いていた時の方が大変だったので、独立後に苦労を感じたことはあまりありません。もちろん、資金のやりくりなど気持ち的な負担はありますが、前の会社で下積みとして学ばせていただいたさまざまな経験が独立後に生きたと感謝しています。

現在の事業について詳しく教えてください。

プリントに特化したテキスタイルデザイン、つまり図案の製作を行っています。当社の特徴としては、コンピューターによる製作も行いますが、筆を使った手描きデザインの製作に長けていることです。また、設立時よりオリジナル図案の製作に力を入れており、常に2,000点以上もの図案をストックしています。オファーだけに頼らず自分たちで考えて作ったデザインを積極的に見て頂ける機会を作り、自社で自立できることを考えた意匠製作を心がけています。

描きたいものを描く

松生さんがデザインする上で、大切にしていることを教えて下さい。

シンプルですが、「描きたいものを描く」ことです。嫌々描くと、やはり人を感動させるものはできません。ですので、社員に対しても常日頃、「楽しんで描いたもん勝ち」と伝えています。楽しんで描けば早く仕上がるし、自然と良いものができ上がります。テクニックを要した図案が必ず売れる訳ではなく、僕みたいな30年選手より、今年入社した若い社員の絵がいきなり売れることがあるんです。そこがテキスタイルデザインの面白さでもあり、難しさでもあると感じています。

現在、スタッフは何名在籍していますか?

社内に5名、外注さんが13名の合計18名で仕事をしています。いきなり増員したわけではなく、その都度、必要に応じて人が増えた感じです。最初は知り合いに紹介してもらったり、大学の掲示板で募集の張り紙を掲示したりしていましたが、現在ではHPの問い合わせフォームやメールで直接連絡をいただくようになりました。今でも毎月1~2人はお問い合わせをいただくので、真剣に考えてくださっている方には一度はお会いするようにしています。

御社の強みについて教えてください。

プリント技術の進歩により手描きの繊細な表現も可能になったことと、手描きというアナログな部分が再評価されていることが強みになっているのだと思います。世の中が便利になりすぎて、逆に手間がかかることに価値を見出す傾向があり、そこに「京都」というストーリーが相まって、価値につながったと感じています。

やはり京都に本社を置くということは強みになっていますか?

関西の中で仕事していた時は感じなかったのですが、東京へも弊社の図案展などで行く機会が増えたことで、京都に本社に置いている強みを感じるようになりました。京都という場所で筆を使って描き、和柄なども手がけているということを高く評価いただき、海外からのオファーも増えています。

自社でのブランド化を進める

将来的なビジョンについて教えてください。

我々の業界を取り巻く環境は年を追うごとに厳しさが増し、図案家としての需要の減少は逆らえないでしょう。しかし、図案家としてのソウルは大切に更なる成長を目指したいと思っています。また、製作販売だけではなく、オリジナルテキスタイルブランドを展開していくことも進めています。その一つが「uwaru(うわる)」です。オリジナル生地をはじめ、クッションカバーなど、自社でデザインした製品をオンラインサイトにて販売しています。今後も京都ならではのオリジナル性のあるブランドを作り上げていきたいと考えています。そして、どんどん海外にも進出できるように仕掛けていきたいです。

将来のビジョンを実現するためにはどういう人材が必要ですか?

会社としての成長を促すためには、さまざまな知識や経験を広く持っておられる人材と、一つのことに特化した奥行き感のある知識経験を持っておられる人材の両方が必要だと考えています。特に自分自身に知識や技術などさまざまな投資をし続ける人や、表現したいことを追求し続ける人に魅力を感じます。

当サイトをご覧のクリエイターの皆さんにアドバイスをお願いします。

自分のやりたいことを常に自問自答することで、自身の信念や個性がより強靭になりどんな時でもブレない軸となります。そういう人はこれからの世の中においてきっと必要とされるでしょう。そのためには、自分で「これしかできない」と決めつけるのではなく、色んなことにチャレンジして欲しいと思います。若いときにどれだけやりたいことに時間を重ねられたかが、その後の仕事に生きてくると思うのでがんばっていただきたいです。

取材日:2019年3月6日 ライター:大垣 知哉

株式会社GARAGELAND(ガレージランド)

  • 代表者名:代表取締役社長 松生 剛
  • 設立年月:2013年11月
  • 資本金:500万円
  • 事業内容:服地図案をメインにインテリア・アパレル・和装等、テキスタイル関連の幅広いジャンルの図案の制作販売。
  • 所在地:京都本社:〒604-8381 京都市中京区西ノ京職司町67-15 1/8bldg.3F
  • 東京オフィス:〒153-0064東京都目黒区下目黒1-4-6 ロイヤル目黒401
  • URL:https://www.ds-garageland.com
  • お問い合わせ先:info@ds-garageland.com

コミュニケーションを大切にして一人ひとりに合った暮らしをあつらえる

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今回お話を伺った企業はインテリアコーディネートを専門とする株式会社ミックスです。「インテリアコーディネーターは営業マン」と語るのは代表取締役社長の西風 裕幸(にしかぜ ひろゆき)さん。営業スタッフから叩き上げで代表に就任された西風さんのキャリアや「暮らしをデザインする」というコンセプトのもとでインテリアコーディネーターに求めるもの、今後の展望などをお聞きしました。

インテリアコーディネートやリノベーションを通して暮らしをデザイン

御社の事業内容を教えてください。

当社はインテリアコーディネートと、それに伴うインテリアの販売をメイン事業としています。マンションのモデルルームや新築戸建てのモデルハウスのインテリアコーディネートを手掛けたり、そこで家を購入・新築されるお客様へインテリアの提案・物販を行ったりしています。お客様のご希望やイメージをお聞きして、ぴったりのインテリアコーディネートを提案し、そこで必要となるインテリアの販売をしています。

ハウスメーカーなどの企業と個人のお客様、どちらが多いのでしょうか?

基本的にはエンドユーザー向けのサービスの提供が中心です。当社はインテリアの販売と言っても、販売店を持っているわけではない※ので、個人のお客様へアプローチするきっかけがモデルハウスやモデルルームとなります。また、近年はリフォームやリノベーション事業にも力を入れています。リフォーム、リノベーション事業は今まさに拡大中の市場ですから。

※カーテンなど一部インテリアのショールームはあります。

リフォーム・リノベーション事業で御社独自の取り組みなどはありますか?

カーテン修理の「カーテンドクター」というサービスを提供しています。今は家具量販店で安価なカーテンが手軽に購入できるようになっていますが、一昔前はカーテンって結構高価で、家に合わせてオーダーで作って長く使うものでした。10年、20年と使っていくうちに色々と不具合が出てきますが、高価なカーテンは修理して使い続けたいと考える方が多いです。そこで私たちがご自宅へ伺って不具合を直接確認し、修理などを行います。インテリアの修繕、修理自体は利益が大きくはないですから、同業他社では敬遠される企業が多いです。もちろん私達も、純粋にカーテンだけを修理する話ではなく、「カーテン修理」をきっかけにお客様とつながり、その後のリフォームやリノベーション、インテリアのご提案をするためも足掛かりとして取り組んでいます。

実績を積み上げ、営業・販売スタッフからたたき上げで社長に

西風社長のキャリアを教えてください。

学校卒業後は家具量販店に就職し、3年ほどで店舗の販売や物流、商品管理など一通りを経験しました。当時そのお店にはインテリアコーディネーターがおらず、お客様から「インテリアコーディネーターはいないの?」とよく聞かたことをきっかけに、働きながらインテリアコーディネーターの資格を目指すことにしました。資格の勉強をしていくうちに、もっと専門的な会社で働きたいと思うようになり、ミックスへインテリアコーディネーター見習いとして転職しました。

販売スタッフからインテリアコーディネーターになったということでしょうか?

実は、入社時の配属部署は営業部でした。もちろん、モデルハウスをつくるだけの専門の部署もあったのですが、当社で言う「インテリアコーディネーター」とはお客様とハウスメーカーやデベロッパーを結ぶ橋渡しのような役割で、平たく言うと「営業」でした。 入社後は営業と物販を担当し、当時当社でほとんど取引のなかったハウスメーカーを一から新規開拓をしたり個人の過去客を掘り起こすためのテレアポを毎日行ったり、地道な営業活動をコツコツと積み上げました。この時に開拓したハウスメーカーが、現在は当社の中心クライアントにもなっています。当時の営業がなければ今のミックスはなかったと思っています。営業や販売で実績を積んで、32歳で副社長、3年前に35歳で社長に就任しました。

一営業スタッフからキャリアアップして社長とは、かなりの叩きあげですね。

物販と言いながら店舗があるわけでもない知名度のない専門店で、量販店のように待っているだけでは仕事は生まれません。会社を知ってもらって取引をしてもらうためにはやはり自ら開拓していくことが大切です。リーマンショックの後長く続いた不動産業界低迷のあおりを受けて、インテリア業界の業績も大変落ち込んでいました。元々、不動産会社のインテリア部門としてスタートした会社で、当時の社長はインテリア業界の人間ではなかったので、会社の立て直しのために業界の知識があり営業に強い私が代表に選ばれたのだと思います。社長就任時には業績回復の命題を背負っていたのでとてもプレッシャーでした。「とにかく会社の売り上げを立て直さなくては!」の一心で今まで必死に走ってきました。

インテリアコーディネーターは人(お客様)と人(メーカー)をつなげる仕事

仕事をする上で大切にしていることは何ですか?

「人」ですね。先ほどもお話ししましたが、インテリアコーディネーターは営業マンなんです。お客様とメーカー・デベロッパーの要望をそれぞれ聞いてうまくまとめてつなげてあげる、人に関わる仕事です。だから会社としても「人」を大切にしたいとすごく思っています。特に当社は自社商品を持っているわけではないので、契約の最終的な決め手は「この人にお願いしたいかどうか」だったりします。色んな個性を持つスタッフがそれぞれの持っているものを十二分に発揮できれば、そのスタッフに合ったお客様が付いてくると思っています。現在もインテリアコーディネーターを募集していますが、そういった意味では経験の有無はあまり重要ではないと考えています。人と関わる仕事ですから、色々な個性のあるスタッフがいる方が色々なお客様が付いて良いのではないでしょうか。

経験やスキルは重要ではないと?

「暮らしをデザインする」というコンセプトも、パッと見て恰好良いもの、おしゃれなものを作るという意味ではありません。お客様との会話の中からニーズをキャッチし想いに寄り添って、お客様と一緒に作り上げたものが最終的にデザインとして形に残るのです。当社のインテリアのブランド「Be Spoeks(ビスポークス)」は「あつらえる」という意味の造語です。一人ひとりのお客様のライフスタイルに合った暮らしをあつらえるには、お客様との丁寧なコミュニケ―ションが大切です。最終的には知識や経験、能力よりも人間力や個性が重要と考えています。

新たなマーケット開拓を目指して

今後の展望を教えてください

一つ考えていることはインテリアコーディネーターの価値をアップさせたいということです。インテリアコーディネーターの仕事は住宅関連に関わらず多岐に渡るものだと思っています。今までのようにマンションや戸建てを建てる人へインテリアを提案するだけではなく、コーディネーターをブランディングすることで提案に付加価値をつけ、新たな市場を見つけていきたいですね。コーディネーターはデザイナーではないので新しいものを作り出すわけではありません。でも、世の中にすでにある良いモノを組み合わせて、新たな価値を提案する仕事です。店舗や自社商品を持っていないからこそ世の中のすべてのモノを扱うことができ、とても幅の広い提案ができるものだと考えています。今後は、例えばそれぞれのコーディネーターのおすすめ商品を集めたWebショップの展開や、各地にいるコーディネーターとお客様をマッチングさせるような事業を作っていきたいと思っています。

今後目指す会社の形はどんなものでしょう?

当社の企業理念は「シアワセを創造し、シアワセを届ける」です。幸せを創造するためには、まず働いているスタッフが幸せででないといけないと思っています。幸せな働き方とは、最近よく言われる残業や職場環境などもそうですが、一番は「好きなことを楽しんでやれる」ことだと考えています。世の中の市場や流行り、会社の方針に合わせて動かされるのではなく、自分のしたいことを、面白いと思ったことを、良いと思ったことを世の中に提案していくような仕事の在り方が理想です。自分が好きなことは困難があっても頑張れますし、自分主導の提案なら常に自分事として仕事に取り組むことができます。そのためにもこの仕事が好きだと思える人ならどんな個性を持った方でも歓迎ですし、色んなことを自由にやりたいように取り組むことができる環境を提供していきたいです。

取材日:2019年3月8日 ライター:小山佐知子

株式会社ミックス

  • 代表者名:代表取締役社長 西風 裕幸
  • 設立年月:1991年3月
  • 資本金:1,000万円
  • 事業内容:インテリアコーディネート、リフォーム、リノベーション、住宅関連用品販売など
  • 所在地:〒003-0826 北海道札幌市中央区南2条西22丁目 1-45 HAL22ビル2F
  • URL:https://www.1st-mics.com/

脱!画一的なWebサイト 見て終わるものではなく、見た後に心を動かす、 そんな良質なコンテンツを提供し続ける

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最近ではパソコンだけではなくタブレットやスマホで見ることも多くなり、ますます画一的になりがちなwebサイト。そんな中でも「上質な読み物」の編集・制作にこだわり続けるのは株式会社フォーティファイヴ。印刷物の企画・編集も手掛けている強みを活かし、ビジュアルだけのインパクトに頼らず、それぞれのWebサイトの個性を活かしストーリー性を持たせたアナログ的な「編集」を大切にされています。
「コンテンツで『動きたくなる』をつくる。」を経営理念に掲げる代表取締役社長の木下由紀彦氏は、学生時代はパントマイムのパフォーマーを目指していた表現者。穏やかな口調の中にも良質な表現へのこだわりが伝わってきます。そんな木下社長に、制作物に求められるもの、設立10周年を迎えるにあたり今後の展望等についてお話をうかがいました。

観られる側から観る側への転身

これまでのキャリアについて教えてください。

もともとは、大学の時にパントマイムの活動をしていたんです。その時に京阪神エルマガジン社の販売部で書店をまわるアルバイトをしていました。大学卒業後にパントマイムを極めたいとアメリカに渡ったのですが、言葉の壁などにより半年で打ちひしがれて、出直そうと帰国した時に、京阪神エルマガジン社で今度は編集部の募集があると声をかけてもらい、たまたま演劇分野の担当になったんです。雑誌編集は未経験だったのですが先輩に指導を受けながら、舞台や芝居、著名な劇作家・脚本家への取材等を行い、誌面を作っていました。

観られる側を目指しながら観る側のお仕事をされていたんですね

正直、最初は「なんでこちら側にいるのだろう?」と思いながら仕事をしていました。でも当時は雑誌が売れる時代でしたから、とにかく忙しくて目の前の仕事を懸命にこなすうちに雑誌編集の仕事が面白くなり、自分のやりたかったことよりも大きな比重を占めるようになっていったんです。5~6年くらい演劇担当を経た後に、女性誌「SAVVY」編集部へ異動になり、ファッションやコスメ、グルメなどを取り扱い、企画・構成からライティングなど編集全般に携わっていました。入社して10年ほど経った頃から広告への関心が高くなったことから退社し、取材で知り合った某テーマパークのオーナーから直々に、テレビやラジオCM、広告全般をまかせていただく仕事に就きました。そして3年が過ぎた頃に、広告や女性誌の編集をしていた実績が買われて、大手派遣会社の方から女性向けWebサイトを立ち上げるので、その編集長になってほしいとお声がけをいただいたんです。

数々の実績が更なる実績を呼ぶ

当時はWeb媒体自体珍しかったのではないですか?

そうですね。でも、いずれは現在のようなWebの中で情報発信が行われる時代になるだろうと思っていましたので、二つ返事で快諾しました。そして、その女性サイトを軸にしたビジネスは、2000年6月に4人でスタートしたのですが、その頃から社会全体がネットを中心とした方向に進んでいるように思いました。もともとは広告で女性サイトを運営しようというビジネスモデルだったのですが、いろいろな企業から「うちのWebサイトをプロデュースしてほしい」というお話をいただくことが多くなり、「自社の女性向けWeb媒体の運営」と「企業のWebサイトを制作する」という、2本の柱で事業を展開するようになりました。あれよあれよという間に、4人が50人を超えるまでに社員も増えていきました。

時代の流れに乗り短期間で業績が急激に伸びた感じですね

でも、自社の女性向けWebサイトを獲得した広告で運営していこうとすると、波がありました。もう一つの企業サイト制作は大手化粧品会社やショッピングサイトなど幅広い業種に対応していたので、どんどん受注が入ってきて、会社がそっちのほうにウェイトを置くようになっていったのです。そこで「もっとコンテンツに寄ったものを作ろうと」2009年に退社し起業することにしました。

具体的に「作りたいもの」とは、どういったものだったのですか?

ちょうどその時にWebと紙媒体の経験が10年ずつになっていたこともあり、両方出来ることが自分の一つの強みになると思っていました。Webサイトの制作にしても、「格好良いホームページを作りました」ではなく、その中に掲載されている企画や記事の内容を大切にする制作会社って当時は少なかったように感じたので、コンテンツ制作を事業の中心に据えて起業しました。「作るものはデジタルだけれども感性はアナログをめざしたい」と、社名にはアナログレコードの45回転という意味で「フォーティファイヴ」にしました。

良質なコンテンツとは?

現在の事業内容について教えてください。

仕事の比率でいうと、紙媒体の制作が3割、Webの制作が7割になります。どちらも大切にしているのは、会社の理念である「コンテンツで『動きたくなる』をつくる。」です。紙媒体は定期案件が多く、兵庫県に本社を構える大手自動車ディーラーの会報誌では、企業色を極力抑えて、たとえば、”外国人が好きな兵庫”といった切り口や、ページ数が少ない中で編集のテーマやストーリー性を重視したフリーペーパーを編集しています。また、大手電鉄会社が各駅に設置している沿線情報のフリーペーパーも毎月編集しており、どこかへ出かけたくなるように取材重視の臨場感のある内容にしています。また最近では、初の取り組みになりますが、大手繊維会社の社内報の編集もさせていただいております。

Web制作はどのようなものがありますか?

企業がメディアを持って情報発信するというオウンドメディアのコンテンツ開発に力を入れています。大手派遣会社のオウンドメディアでは働いている人なら誰もが関心のありそうなテーマや使えるネタ記事を掲載し、閲覧者が友達にLINEやSNS等で拡散していくことでき、検索率や閲覧数を上げて、「みんなから認められているサイト」として、Webサイト自体にパワーをつけるということを行っています。

閲覧者の目に留まりやすくなるという事ですね。

そうです。今は企業のトップページから情報を得る人って限りがあるので、クライアントとどういった記事が読まれているか、検索に引っかかりやすい記事は何か、という内容の打ち合わせをして掲載内容を決めています。紙媒体であれば、いずれは内容が時間とともに古くなってしまいますが、Webの場合はブラッシュアップできたり、サイト内の掲載記事数を増やせば増やすほど、資産として活用できると考えています。

SEO(検索エンジン最適化)対策で抑えているポイント等ありますか?

テーマやタイトル、キーワードなど、いわゆるSEOの重要な点はいろいろありますが要は、ありがたい情報、おもしろいテーマ、使える記事といった、雑誌を買うときのような心理とSEOは同じではないかと最近思っています。重要なルールは踏まえつつも、買いたくなるようなコンテンツをいかに作るか、そして繰り返し読んでもらえるかが一番大事なことと考えています。

仕事はどのような流れで入ってくるのですか?

一つのお仕事が、もう一つの仕事を呼んできたり、また別の一つが2つになったり、紹介いただいたりして増えてきました。Webサイトからお問い合わせいただいたり、コンペに参加させていただいたりすることもありますが、何らかのつながりからお仕事になることがやはり多いですね。また紙をWeb化したり、Webから冊子を作ったり、といった案件では、企画、編集、撮影、ライティング、グラフィックデザイン、Webデザイン、コーディングなどをワンストップでできますので、一緒にまとめてご依頼いただくことも最近は増えてきています。

多岐にわたり業務をこなされていますが、スタッフはどれくらいいるのですか?

東京と大阪で12名になります。Webディレクターと紙媒体の編集のディレクションをするものとデザイナーがおりまして、ライティングは社内でやることもありますが、撮影やイラスト制作などはすべて外注しています。弊社が成り立っているのは、ライターや撮影、またデザイナーなど、本当に優秀な人たちとやらせていただいているからです。少数精鋭といえる社内スタッフですが、それ以上に素晴らしい外部スタッフとの関わりがとても大きいです。

今後はどのような人材を求められていますか?

感覚として新しいものを持っている人ですね。今後出てくる新しいメディアに対して、弊社の理念「コンテンツで『動きたくなる』を作る。」を大切に「こうしたほうが面白い」と、色んなアイデアを持って率先して進めてくれる人がいいですね。スキルは入ってきてから身につけてもらえればいいと思っていますので、未知の分野にアンテナを張っている人とお仕事がしたいです。

コンテンツに求めるもの、それは “ときめき”

大切にされていることは何ですか?

媒体を通して「行ってみたい」「始めてみたい」「もっと知りたい」「これいいな」と“ときめき”を感じてもらい、実際に、おでかけやライフスタイル、ショッピング、転職など行動に結びつけることができるようなものを提供することがミッションと考えています。

10年目を迎えられるにあたり、今後の展望を教えてください。

弊社が得意としているのは、雑誌にあるような企画やページのストーリー性です。つまりページをめくるときのわくわく感をつくること。しかし、最近はInstagramやFacebookといったSNSの感覚的なものの制作オファーが多くなってきています。コンテンツ制作という意味では同じようなものに見えますが、ストーリー性と感覚性は大きく違うと感じています。でも、そのどちらにも大いに興味をもっていますので、コンテンツ制作会社として両方と向き合っていきたいと考えています。次の10年を考えると、さらに感覚性は進化するでしょうし、さらに違ったサービスも生まれてくると思います。そういった新しいメディアにおいても、「行ってみたい」「はじめてみたい」と思わせるコンテンツは必要だと思いますので、そこに応えていきたいと思っています。

取材日:2019年3月7日 ライター:川原 珠美

株式会社フォーティファイヴ

  • 代表者名:代表取締役 木下 由紀彦
  • 設立年月:2009年7月
  • 資本金:1000万円
  • 事業内容:出版物の企画・編集、Web制作全般、コンテンツの企画立案・制作、オウンドメディアの編集・運営、SNSの企画・運営・管理、メールマガジンなどの発行・出版、ショッピングサイトサービス全般 上記に附帯関連する一切の事業
  • 所在地:本社 〒530‐0005 大阪府大阪市北区中之島4丁目3-25 フジヒサFJ中之島ビル10F
  •     東京オフィス 〒101-0052 東京都千代田区神田小川町1-9-9 Linden haus601
  • URL:http://www.0450.jp/

まずは情報や思考を整理することが第一、 その先にクリエイティブとしての表現がある

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Webと紙媒体のデザイン・制作を主軸とする株式会社TOE。福岡を拠点に関東や関西、海外向けのクリエイティブも積極的に手がけています。代表取締役社長の小嶋譲司(こじまじょうじ)さんは、ユニークな経験と独自の哲学の持ち主。20年にわたる業界経験から、仕事をする上で大切なことや、会社の在り方についても自らの考えを深めています。キャリアから仕事の本質論、福岡の会社だからこそ感じることまで、ざっくばらんに語っていただきました。

20代後半で将来を真剣に考え、本気モードに

小嶋さんが会社を立ち上げるまでのキャリアを教えてください。

私は長崎県の対馬出身で、福岡のデザインの専門学校に進学しました。自分のアイデアやイメージを具現化する仕事をしてみたくて、選んだ分野がデザインでした。
でも、何となく就活しないまま、卒業後はフリーターになり、たまに親戚が営む屋台を手伝っていました。すると、お客さんから「うちの会社でデザイナーを募集しているから来ない?」と誘われて、21歳で大手印刷会社に就職しました。最初はオペレーターとして単純作業ばかりでしたが、半年後に異動で企画デザイン部へ。先輩に教わりながら広告などのデザインを手がけて、仕事が面白くなりました。しかし、だんだん慣れてきて、与えられた仕事が終わると空いた時間は会社で寝てました(笑)。今思えば、与えられた以上のことをやらない、ほんとダメな社員だったと思います。

印刷会社を退職して、デザイン事務所に勤務。その後、広告代理店のディレクターを経て、29歳で独立しました。
25歳の時、30歳を目前に初めて真剣に自分の将来について改めて考えはじめ、「このままではヤバい」と思ったんです。方向性を定めずフラフラと生きていた部分があって、「これではろくな大人にならないな」と。それからはデザインの勉強はもちろん哲学や宗教学などを中心にいろいろな勉強をし、仕事にも本気で打ち込むようになりました。
その時に影響を受けたのが、日本の土着信仰である神道の思想でした。
ざっくり言うと、人間はただ自然の中で生かされているちっぽけな存在にすぎず、故に「八百万(やおよろず)の神」とも言うように、いろいろなものに感謝して生きるという考え方です。
僕自身はあくまで無宗教のスタンスをとっておりますが、経典も教祖もなく、宗教でもない、そのある意味自由な考え方が、スタイルに縛られたくない自分の生き方にも合っていたのかもしれません。

いつか独立したいと思っていたのでしょうか?

いえ、特に考えていませんでした。代理店を辞めた後、原付バイクで日本一周の旅をしようと出かけたら、日本一周どころか、隣町で事故っちゃって(笑)。バイクは壊れたのですが、幸い体は何ともなかったので、時間はあるし、軽い気持ちでこの際自分で起業してみようと思い立ったんです。試しに友達に「なんか仕事はない?」と聞いて回ったら、たまたま少しあって、それを1か月続けてみたら、自分にはこっちの方が性に合っていると感じました。

会社で働くより、個人でやる方が合うと気付かれたのですね。

会社って、自分の正義を通せないじゃないですか。社会の正義と会社の正義、自分自身の正義がある中で、会社の正義を第一に考えることにいつしかストレスを感じていたんだと思います。個人でやれば責任さえ負えば、自由でラクだとわかりました。何しろ、自分自身の正義を通せることが、精神衛生上、気持ち良かったのかもしれません。

紙からWeb、アプリ、動画まで幅広く対応

個人で働き始めた時から、屋号は「TOE」ですか?どんな思いが込められているのでしょう?

はい、29歳の時に個人で始めて、5年後に会社組織にしました。屋号は個人の時からTOEでした。将来を考えたとき、スケール感のある名前にしたいと思い、いろいろ迷う中で出会った言葉です。TOEはTheory of Everythingの略。いわゆる万物の理論で、宇宙の真理がわかるような理論とされているものの、まだ解明されていない。説明を聞いて「これだ!」と即決しました。

業務内容について教えてください。

もともとは印刷物のデザインでしたが、時代の需要に応じてWebもやるようになりました。自分で学びつつ、初めの頃はコーダーと組んだりして。今はアプリや動画も手がけています。業界は特に絞らず、上場企業のホームページも多く、東京や大阪の仕事も幅広くやってきました。これまで営業らしい営業はしたことがなく、おかげさまで基本的には紹介で仕事が続いてます。

いいものを作るカギは「情報整理」と「コミュニケーション」

紹介で仕事が続くというのはすごいと思います。御社の強みは?

クリエイティブは表現ありきと思われがちですが、私はビジネスモデル視点で考えますし、スタッフにもそういう視点を意識させてます。自分たちの仕事は、社会とのコミュニケーションを構築すること。そのためには、単に表現としてかっこいいものや美しいものを作るのではな く、そもそも今の売り方でいいのか?求められる要件そのものが正しいのか? というところから考える必要があります。ブランディングやマーケティングの 考え方も大切にしています。

なるほど、根本から問い直していくわけですね。

他の仕事にも当てはまることだと思いますが、仕事のスタートは情報の整理が重要で、クリエイティブの表現は末端にあるもの。ビジュアルや感性で考えるのではなく、情報を再構築する過程を大切にしています。
お客さんから仕事を依頼される時って、意外とこうしたいというものがなく、まだボヤっとしていることが多い。私の経験上、お客さんがしっかりした哲学を持って仕事をされると、一緒に作った完成物のクオリティが確実に上がります。ですから、まずお客さんの思考を整理することを大事にしています。

まず情報や思考を整理することで、より良いものができると。

デザインは感性の表現とはいえ、コミュニケーション能力が欠かせないというのも実感しています。相手が何を感じ伝えようとしているのか察知することで、表現につながっていく。デザイナーは自分の内面と向き合う仕事であり、一方でコミュニケーションも大事。世の中で成功しているクリエイターって、コミュニケーション能力が高いのではないかと私なりに分析しています。

「完全7時退社」でスタッフに余裕が生まれた

まずは小嶋さんがお客さんと打ち合わせをされるのですか?

いえ、できるだけスタッフに任せています。私は、仕事の醍醐味は「責任」だと思っていて、責任のない仕事は面白くないし、任せた方がスタッフの成長スピードもはやい。会社は本来、人が成長するための場所だと思っています。

経営についても哲学があるのですね。

独立前に数社を経験してみて、会社って働く人の個性をつぶしてしまうものだと感じました。それに、「こんな大人にはなりたくない」と思う人も見てきて…。それは会社の責任も大きい。うちの会社は「こんな大人になりたくない」と思われるような人を輩出しない責任があると思っています。

働き方という面では、御社のホームページに「今年より完全7時退社です」と書かれていました。

これまで夜も長く働きがちで、これではいけないと思い、今年から完全7時退社と決めました。だいたい守れています。そのかわり、仕事が終わらないスタッフは朝早く来て働いています。結果として、スタッフの心に余裕ができたように感じます。夜はオフにしてしっかり寝ないと、メンタルにも良くないんじゃないでしょうか。

関東・関西はもちろん、海外の仕事も増やしていく

今後の展望について聞かせてください。

今は関東と関西に拠点があり、そちら方面の仕事が増えてきました。福岡は住みやすく面白い都市ですが、クリエイティブの単価が安く、やはり東京の仕事の方が高い。ですから、積極的に関東や関西の仕事を受けていこうと思っています。
そして、海外の仕事にも力を入れます。すでに中国やタイの企業とご縁があり、日本から海外に発信したいとか、海外で事業を展開したいといった需要は結構あって、海外向けのWebも作っています。海外の仕事は面白そうで需要があるので、これから拡大していくつもりです。

すごいですね。最後に、どんな会社にしていきたいか教えてください。

いろんな会社の企業理念を見ていると、社会貢献とか未来のために、などとうたっています。しかし、うちはまず、子どもや若い世代から見て「こんな大人になりたくない」と思われるような大人を輩出しないという目標がベースにあります。そして遊び心を育むような会社にしたい。人それぞれの多様な働き方や生き方を許容し、楽しそうに生きている人を生み出す会社でありたいし、そんな社会になってほしい。まずは自分の会社から実践していきます。

取材日:2019年4月3日 ライター:佐々木 恵美

株式会社TOE

  • 代表者名:代表取締役社長 小嶋 譲司
  • 設立年月:2004年8月
  • 事業内容:Web事業、紙媒体事業、通信販売支援事業、モバイル事業
  • 所在地:〒810-0004 福岡県福岡市中央区渡辺通1丁目9-3 1丁目ビル203号
        <関東オフィス> 〒253-0055 神奈川県茅ヶ崎市中海岸2丁目5-5-112
        <大阪出張所> 〒537-0012 大阪市東成区大今里2丁目9-5-615
  • URL:https://www.gtoe.info/
  • お問い合わせ先:050-7508-5631

仙台に根付くモーション制作の仕事を創造したい

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株式会社ガニュメートの代表、水野氏は2011年の東日本大震災後、東京のアニメーション制作会社から仙台へ事業所の立ち上げで来られました。復興支援の意味合いもありましたが、時間が経つにつれ、東北の文化に魅かれ、この地に根ざして仕事をしたいと思うようになったそうです。現在、仙台では数少ないアニメーションに特化した企業として注目されています。

仙台での起業は復興支援から始まった

独立されるまでのキャリアについて教えてください

地元は名古屋ですが大学が山梨県で、主にプログラム言語を学び、卒業後、東京の専門学校でCGを教える講師をしておりました。当時はコンピューターに座標を入力して命令を書き込みCGを作っていた時代で、とてもプログラム寄りだったのです。Lightwave3DというCG制作のソフトがWindowsNT向けに移植され発売された頃、私自身も講師業からCG制作者へ転職しました。二次元でイラストを作成することはできましたが、それを立体的に奥行を持たせて動かす3DCG(3次元コンピュータグラフィックス)の世界というのは、これからもっと成熟していくという時期でしたので、そこに面白みを感じて、どんどんのめり込んでいきました。

仙台で会社を立ち上げられたきっかけは?

2011年の東日本大震災当時、私は東京の会社に勤めており、復興支援のようなかたちで、仙台に事業所を出そうということになって、その立ち上げ担当として仙台に赴任しました。このとき10名のメンバーで仙台事業所をスタートさせたのですが、結果として4年目に独立することになりました。

私たちの仕事は「動かすこと」

現在の事業内容について教えてください。

3D、2Dのモーション制作を得意としており、アニメやゲーム制作を行っています。PlayStation®4のダンスゲームや、スマホゲームのイラストのモーション制作です。また、ゲームはほぼキャラクターデザインが決定しているので、一からデザインすることはないのですが、たとえば企業様からの広告を受注する場合は、パンフレットやポスター、CMアニメ制作を行うにあたり、キャラクターの設定、デザイン、アニメーション制作まで自社で行います。

仕事の受注は仙台・東北からが多いのでしょうか

自分自身がフリーランスだったときの人脈から仕事を頂くことが多く、仙台以外からの受注が多いのが実情です。地元である仙台の仕事を積極的に受けていきたいと思い、自社の強みを活かして勝負しようと考えています。現在、3DCGを担当している者が7名、2Dのエフェクト制作者が3名います。営業は私が行っています。

参考URL https://www.facebook.com/ganymedCG/

御社も参加されている「仙台ゲームコート」についてお聞かせください。

主に仙台に拠点を置くゲーム関連会社の集まりが「仙台ゲームコート」です。仙台のゲーム関連会社はまだ規模が小さく、各社が単独で売り出すのは難しいのが現状です。そこで、それぞれのリソースや強みを持ち寄って、お客さまにまとめてサービス提供できる環境を作ろうという事で設立されました。昨今のゲーム開発はとても規模が大きくなっており、1社ではなかなか受けきれません。そんな時にこの連携を生かして仕事を受けていくことができれば、仙台のゲーム産業も、もっと盛り上がっていくのではないかと期待しています。

参考URL http://gamecourt.org/

働きやすい会社を作るのが私の仕事です

今後どのような会社にして行きたいとお考えでしょうか

みんなで楽しく仕事ができる会社にしたいです。この「楽しく」には仕事をするうえで超えていかなくてはならない苦しい部分も含んでいます。あとで振り返って「あの仕事は大変だったけど、乗り越えたよね、成長できたね」と言える楽しさです。私たちの業界は好きで始める人が大半なので楽しいはずなのですが、お客さまからのご要望に応えきれなかったり、納期が迫って苦しくなったり、どの仕事にでもあるように、仕事が嫌になってしまう時期があります。そのときにフォローできる環境を整えつつ、苦しいことも自分の成長として楽しめる状況を作ってやりたいと思います。

一緒に働くスタッフの方にどのようなことを期待されますか

一緒に働くのなら、この仕事が大好きな人と一緒にやっていきたいです。そしてスキルアップを頑張れる方ですね。この業界は特に技術的な進歩が速いので、常に勉強していく気持ちをもって実行していく必要はあると思います。たとえば絵が好きな方は、毎日描き続けても、特別に勉強しているという気持ちにはならないと思います。好きだから描くということです。この感覚で自分のスキルに磨きをかけていけるかどうかですよね。

水野さんが心がけてこられたことは何ですか?

私が若いころは、日本語での3DCGについての情報が少なく、海外のサイトなどから情報を探して、翻訳ソフトなどを使用して学んでいました。好きだから情報にも敏感になるし、どんどん興味が湧いて手間を惜しみませんでした。ゲームが好きなら、プレイをすることもそうですが、どうやって作られているんだろうか?と興味をもってみることから始まるのではないかと思います。自分のために学んだことが、ダイレクトに会社のスキルアップにつながる業界です。自分のスキルアップは最終的に周囲の助けになりますし、極端にいうと自分の身を守り、いざというときは転職をも可能にしてくれるもの。だから社員には「まず自分のために勉強して」と伝えています。

現在感じておられる会社の課題とは

私たちの課題は社員同士のコミュニケーションの時間をもっと作ることです。もともと自分の世界観を大切にしていて、人とのコミュニケーションが苦手な方も多い。仕事上のコミュニケーションは当たり前ですが、人となりやお互いを理解するために、もっとコミュニケーションをとってほしいという思いはあります。

また、新卒求人の際にポートフォリオをいただくのですが、それを添削してお返しできればいいなと思っています。スキル不足で入社していただくことができない方がいたとして、不足点をフィードバックすることでその方に学んでほしいポイントを伝えることができます。再度ポートフォリオを送っていただければ、やる気や伸びしろを見ることができるでしょうし、学生であれば、実際の仕事に必要な知識について企業側から伝えることもできますので、自分自身のためにもなると思うのです。

取材日:2019年1月21日 ライター:桐生 由規

株式会社ガニュメート

  • 代表者名:代表取締役 水野 康一
  • 設立年月:2015年11月24日
  • 資本金:200万円
  • 事業内容:アニメーション制作業
  • 所在地:〒980-0811宮城県仙台市青葉区1-12-2 星光堂ビル404
  • URL:http://ganymed.jp/
  • お問い合わせ先:022-399-8960

「文房具屋さん」から、印刷、ウェブ、そしてプロバスケチーム「金沢武士団」運営へ

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子どものころ、誰もが学校の前にあった「文房具屋さん」のお世話になった思い出があることでしょう。お店はやがてお客様の要望にこたえて、印刷、デザイン、ウェブ制作へと事業を展開していきます。後継者となった株式会社丸藤社長の藤弥昌宏(ふじや まさひろ)さんは、紙やウェブに次ぐ「媒体」としてのプロスポーツチームに着目、バスケットチーム「金沢武士団(サムライズ)」の運営会社の設立に関わります。情報化の進展で止まらない「紙離れ」に立ち向かう印刷会社の取り組みを探ります。

文房具店から印刷会社へ

会社の成り立ちについて教えて下さい。

当社はもともと金沢市の中心部、香林坊で紙文具の販売からスタートしました。創業は1963(昭和38)年になります。今はもうありませんが、当時は店の向かいが中学校で生徒向けに文具を販売していたのをはじめ、オフィス街の企業や商店さんなどをお客様として文房具全般や紙用品を販売していました。時代の流れやお客様からの要望にあわせて、コピー機やオフィスで使われる机などの事務機器を取り扱うようになっていきました。その中で、お客様から印刷物に関するご相談やご要望が増えてきたのです。

「近所の文房具屋さん」から印刷会社へと変わるきっかけだったのですね。

最初に手がけた印刷物は、和菓子屋さんの包装紙だったと聞いておりますが、創業者の祖父は文房具店である自分たちが、お客様からの要望にどうすればお応えできるかを思案しました。まず初めに紙を仕入れ、そして印刷し、さらにものによっては製本が必要でした。そこで、それぞれのルートを開拓するため、請け負っていただける業者さんにお願いしてまわり、今の丸藤という会社の骨格を築いたようです。

印刷機を持たない印刷会社」とお聞きしました。

今では、当社は印刷業を生業としていますが、創業以来、基本的に印刷設備を持たず、全てアウトソースしています。現在、簡易印刷のデジタルプリンターは設置していますが、規模の大きな印刷については、祖父の時代から協力していただいている印刷工場の方に今もなおお願いをしています。

そんな中で、社長も家業を継がれたのですね?

高校卒業までを地元金沢で過ごし、大阪のビジネス専門学校を卒業後、3年間製版会社に勤めました。丸藤に入社したのは1997年で、2014年に代表取締役社長に就任しました。家業を継ぐことは当初は考えていませんでした。しかし、専門学校時代に父からは「いつ、戻ってくるのか」と再三いわれるようになります。「継いでくれ」ではなく、「いつ戻る」といわれては仕方がないかなと、次第に家業を継ぐことを意識するようになりました。

「紙」から「デザイン」「ウェブ制作」へ

文房具店から印刷会社へ、そしてデザインやウェブ制作の分野に進んでいきます。

印刷会社へと軸足を移したのも、お客様の要望からであったように、今度はさらなる価値を提供したいとデザイン制作に乗り出しました。社内に「クリエイティブオフィスMOO(ムー)」というデザイン事務所を新規部門として立ち上げました。最大8名のデザイナーが在籍していましたが、みんな意識が高く、その後ほとんどのスタッフが独立して、現在は当社のクリエイティブにおける外部の制作ブレーンとして活躍してくれています。今、社内でもう一度クリエイティブな部分を成長させようと、MOOに若いスタッフをいれて、デジタルプリンターを扱う制作部門の育成に取り組んでいます。

その後、ウェブ制作会社も設立します。

2000年には、急速な普及が予測されたインターネット部門を立ち上げました。印刷会社のインターネット制作部門という位置づけでは伸びしろが小さいと感じたことから、ウェブの専門性を高め、クリエイティブな展開を強く打ち出したいという思いで、インターネット部門を独立させ、株式会社MDM(エムディーエム)を2009年に設立しました。ウェブ制作に取り組み始め、分社化して10年目を迎えます。

なぜ分社化する必要性を感じたのですか?

設立当初は基本的に丸藤のお客様からウェブ制作に関する制作案件をいただいておりましたが、MDMとして独立させることにより、クリエイティブな企業としての存在感を認めてもらうことが真の目的でした。目論見通りに、MDMとしてそれまで印刷会社としては取引のなかったデザイン会社や様々な企業からも発注をいただき、新たな市場を広げることができました。

プロバスケチーム「金沢武士団(サムライズ)」の設立に奔走

男子プロバスケットボールチーム「金沢武士団(サムライズ)」の設立、運営に尽力されています。

2014年、石川県でプロバスケットボールチームを設立しようという話が持ち上がり、先輩経営者から声をかけていただいたことがきっかけです。当時、金沢青年会議所で国際会議を誘致する活動に関わり、青年会議所活動を通してまちづくりに汗を流し、自分の中でまちづくりに対する感度が高まっていた時期でした。スポーツにはまちを元気にする大きな可能性があり、スポーツを通じたまちづくりに貢献できればと考えて、発起人の一人として「金沢武士団(サムライズ)」の設立に関わりました。現在はチームを運営する北陸スポーツ振興協議会株式会社のファウンダー件副社長を務めています。チームは2015、16シーズンから日本の男子プロバスケットボールのトップリーグであるB.LEAGUEに参入しました。

印刷会社を経営するとともに、プロ球団の運営に関わることについて、迷いや反対はありませんでしたか?

もちろんありました。しかしこれまで生業にしていた印刷事業がピーク時の売上までV字回復を望めるような市場ではないということを感じていました。「スポーツメディア」という分野で、プロスポーツチームをメディア、媒体として捉え、「応援」という大義のもと、協賛を募り、そのメディアを取り扱うビジネスモデルを知りました。これまでの「紙」や「ウェブ」に代わる媒体として、地方の限られた市場で自社の立ち位置をつくるにはこれが有効だと感じ、新たな分野に踏み出すことを決意しました。

御社にとっての新たなビジネスモデルであり、新たなミッションが生まれたのですね。

球団を成長させるためにはスポンサーを集めなくてはなりません。そのためには球団も、もっと成長しなくてはなりません。球団を応援する=まちを元気にする、その導線をつくることが自分の役目であり、印刷会社を経営する私がプロスポーツに関わるということに、自分の中で合点がいきました。

プロスポーツによるまちづくりに印刷会社の強みは活かされていますか。

金沢市には、バスケットボールはじめ、プロ野球BCリーグ「石川ミリオンスターズ」や現在、J2のサッカーチーム「ツエーゲン金沢」があります。こうした地域スポーツを応援するため、公共レンタサイクル「まちのり」を活かし、自転車に乗ってスポーツ観戦するための「スポのり」というサービスの企画から関わり、「スポのりルートバック」を製作しました。

地方都市におけるプロスポーツの定着には何が課題でしょうか?

2018年、金沢市がスポーツ文化推進条例を制定したこともあり、機運は高まりつつありますし、少しずつ浸透はしてきていますが、地方都市でスポーツにお金を払うという「プロスポーツ」の文化を根付かせるのはなかなかハードルが高いと感じています。石川県は元々バスケットボールが盛んな地域でもありますので、「週末にはバスケの試合を見に行こう」という文化が定着するよう盛り上げていきたいと思います。

納品後もお客様に関心を持つことで自社の課題も見えてくる

企業としての次の一手を教えてください。

ダイレクトメールへの宛名印刷や、チケットにナンバーを記載するといったように、固定されたレイアウトに可変データを印刷する、バリアブルプリントに力を入れています。宛名印字から発送までをワンストップサービスで行っています。

ダイレクトメール印刷の効果は上がっていますか。

お客様の自動車販売店で、車検に対するPRが不足しており、車検が集中し、チャンスロスが起きているという課題がありました。そこで車検予約に的を絞ったダイレクトメールを提案しました。事前予約に対して景品をつけるキャンペーンを行った結果、かなりの反響につながりました。集中していた車検について、早期の予約が広がることで、現場が事前にスケジュールを把握し工程を立てられるようになり、現場と営業のコミュニケーションが改善され、働き方改革にもつながったと好評をいただきました。

テレビCMの制作も手がけています。

これまで、お客様とお話をしていると課題が浮き彫りになるのですが、これまで当社は印刷物やグラフィックデザインでしかその解決方法を提案できていませんでした。お客様の課題は必ずしもそれだけでは解決できません。電子機器メーカーは人材募集に課題がありました。地元における企業の認知度アップのために必要なことは印刷物ではなく、テレビCMだと判断し、当社で企画をし、制作会社と組んでテレビCMづくりにチャレンジしました。

お客様との対話で、課題を解決することにより自社の事業が展開しているようにうかがえます。

経営理念として、「様々な出会いを『良縁』とする努力を積み重ねる」と掲げています。出会いを大切にし、お客様に納品した後もその成果に関心を持って接することが大切だと社員には伝えています。お客様とより良い関係をどうやって築いていくか、常日頃から考えることで、自社が取り組むべき課題が見えてくると考えています。

取材日:2019年2月14日 ライター:加茂谷 慎治

株式会社丸藤

  • 代表者名:代表取締役社長 藤弥 昌宏(ふじや まさひろ)
  • 設立年月:1978年7月
  • 資本金:1,000万円
  • 事業内容:印刷事業、クリエイティブ事業、インターネット事業、地域活性化事業
  • 所在地:〒920-0059 石川県金沢市示野町36番地
  • URL:http://www.marufuji-gr.co.jp/
  • お問い合わせ先:info@marufuji-gr.co.jp
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