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原動力は飽くなき探究心。あらゆるニーズをシステム開発で解決する京都イノベーションの実態に迫る!

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「京都イノベーションって、いったい何をしている会社!?」それがインタビュー中で何度も浮かんだ疑問でした。しかし、「クライアントごとのニーズに応えてきました。」と話す代表取締役の河村竜幸さんの言葉で腑に落ちました。まさに京都イノベーションは企業のあらゆるニーズに、システム開発という分野で応えてきた会社なのです。それこそ、博士号とMBAを取得した河村さんのなせる仕事。「世の中にない新しいものを生み出すのが楽しいんです。」と飽くなき探究心をのぞかせるその言葉に、企業としての底知れない可能性を感じました。京都イノベーションが設立され、どのようにして今に至り、どんなビジョンを描いているのかをお伺いしました。

生まれ育った京都に貢献したい

河村さんの起業までのキャリアについて教えてください。

「格好いい」という憧れからロボットやAIの研究がしたくて、大学・大学院で工学を学び、博士号を取得しました。その後、大学の教員として従事していたのですが、論文を書いて将来役に立つことより、世の中に貢献しているという実感を得たくて、いつか会社を立ち上げたいと考えていました。まずは勉強のために、医療と燃焼に関する研究開発を行うベンチャー企業2社を渡り歩き、その後、Canon の子会社に就職し、FA(ファクトリーオートメーション)という工場を自動化する技術開発に従事。新会社を設立することを目標に入社したのですが、グループの方針変更により、その夢が叶わなくなり、京都イノベーションを立ち上げました。MBAを取得したことや応援者・出資者が現れたことが大きな後押しとなりました。

「京都イノベーション」という社名に込めた思いを教えてください。

社名に「京都」を入れた理由の1つが、生まれ育った京都へ貢献したいという思いです。そして、もう1つの理由が若い人が集えるような会社でありたいということです。京都は大学生が多い割に、受け皿としての企業や仕事が少ないので、その部分を担いたいと思っています。そして、常に新しく、楽しいことを生み出したいという意味で「イノベーション」をプラスした社名にしました。

起業後、どのようにして今に至ったかを教えてください。

最初は京都市役所の近くに本社を構え、コンサルティングの営業を中心に行っていました。最初に受託した仕事はベンチャー企業に就職していた頃の同僚からオファーで、年商約70億円の大会社のIT部門の改善のためのコンサルティングでした。その仕事をきっかけに徐々に受託案件が増えていき、クライアントのニーズに応える形で、システム開発などの本来やりたかった業務が増えていきました。

受託案件を新たなビジネスの「種」と捉え、継続可能な新規事業を横展開させる

現在の仕事内容について具体的に教えてください。

クライアントごとに行なっている仕事内容が違うのですが、基本的には技術開発を含めたITコンサルティング業務とシステム開発の受託が主な仕事内容です。コンサルティングに関しては、業務フローにおける問題を補うシステム開発などです。例えば、動物の病気を検査する会社が扱うデータを1ストップでやり取りできるシステムや、大きな装置の部品を管理して原価計算まで行うシステム、その他、顔認証システムや手書き認証システムなど、その都度、クライアントが求めているシステムを企画・開発をします。その過程で、パートナー会社が必要であれば探し出し、マッチングを行うなど、あらゆるニーズのお手伝いをさせていただいています。受託業務に関しては、新しい事業を生み出すための「糸口」という考えで受託しています。受託こそ、クライアントのニーズそのものなので、そこから新たに生まれたシステムが業界としても必要とされていて、他社が手をつけていないものであれば、大きく育つビジネスの「種」となります。その種の中から継続可能なものを、別会社として切り離すことも進めています。

例えば、どういう会社でしょうか?

今年の4月にAir-Match株式会社という会社を立ち上げ、有料職業紹介事業向けの紹介作業支援サービスを行っています。有料職業紹介事業者の全業務をクラウドシステムと入力代行によって自動化するサービスです。将来的にはこのようなクライアントのニーズから生まれた事業をいくつか横展開させたいと考えています。

他社とは競合するのではなく、一緒に手を組み、自社だけではできなかったことの実現を目指す

システム開発の案件や新規事業が増えてくれば、人材の確保が重要になると思います。現在はどのようにして人材を確保していますか?

人材確保にはさまざまな手を尽くす必要があると思っています。現在は社員の他に30名ほどのインターンの学生が働いてくれています。若い人たちに実践的に学んでもらって、卒業後も継続して当社に就職してくれることが一番の理想です。その他の手としては、「ニアショア」での人材確保を考えています。ITの場合、「オフショア」という海外の人材を使う企業が多いですが、管理の難しさや品質面の不確かさ、海外企業との格差の減少などの問題により、当社では国内の地方に住む人に仕事を任せる「ニアショア」に重きをおきます。今後、世の中的にも「ニアショア」の需要が進むと考えています。

競合他社にはない御社の強みを教えてください。

受託だけを行なっている企業であれば競合他社との差別化は必須だと思いますが、我々は受託だけでなく、クライアントごとのニーズに向き合い、常に新しい課題に対して取り組んでいるので、他のシステム会社と競合しているという意識を持っていません。それよりも、他のシステム会社と手を組み、進めていくことで、今までできなかったことが実現できると考えています。その考えのもと、企業同士がソフトを売買できるサイト「@ソフト (http://atsoft.jp/)」を運営し、自社製品を販売したいと考えている他社のサポートを行なっています。

新事業の売り上げ比率の上昇を目指す

今後のビジョンについて教えてください。

短期的にはパートナーを増やして、受託の売り上げを安定させたいと思っています。安定した売り上げがあれば、新たに展開しようと進めている事業に多少のリスクがあっても分散できるというメリットが生まれます。そのために、定期的な人材確保と新たな組織構築を進めていきたいと思っています。長期的なビジョンとしては新事業の売り上げ比率を高めていきたいと考えています。

情報分野だけでなく、AIやロボットを駆使した事業はこれからも需要が伸びると考えておられますか?

もちろん増えるし、個人としても増えて欲しいと思っています。人がやるにはもったいないと思う仕事が多いので、それをAIやロボットに置き換えて、より付加価値の高い仕事に従事していただきたいです。特に危険が伴う仕事や劣悪な環境での仕事などはまさに人がやる必要はありません。世の中的には、人の仕事がAIやロボットに奪われると懸念されていますが、今の環境がそうさせているだけであって、環境が変われば人も変わります。頭を使わない仕事が奪われるなら、自ずとみんな、頭を使い出すのではないでしょうか。

最後に若いクリエイターの皆さんに一言、お願いします。

たとえ、ものを生み出す力があったとして、出来上がったアウトプットの品質が中途半端だとプロとしては失格です。どんな仕事でも派手ですぐにできる仕事は即座に満足感が得られ楽しいのですが、本当の意味でプロフェッショナルを考えた時、大事なことはとても地味で面倒くさいことばかりなんです。そこを怠らないことが大切だと思います。つまり、クライアントの望む以上のクオリティーで、相手から感謝されるようなレベルのものづくりをすることを早いうちから身につけたほうがいいでしょう。

取材日:9月26日 ライター:7omoya

京都イノベーション株式会社

  • 代表者名:代表取締役 河村 竜幸
  • 設立年月:2014年10月
  • 資本金:1,770万円
  • 事業内容:システム開発受託、ウェブサイト制作受託、ITコンサルティング(新規事業開発支援)、情報システムBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)
  • 所在地:京都市中京区蛸薬師通烏丸西入橋弁慶町223番地 光洋ビル 3階
  • Tel:075-221-6000
  • URL:http://kyotoinnovation.jp

震災を機に関東から福岡へ! 独学で始めたWeb制作で永続する会社を目指す

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東日本大震災をきっかけに2012年、関東から福岡へ家族で移住した越水 大輔(こしみず だいすけ)さん。大手企業を退職し、独学で始めたWeb制作の仕事を福岡で軌道に乗せて、2016年 にはシンス株式会社を設立しました。異業種からの転職で、しかも地元ではない地で実績を上げている越水さんに、ユニークなキャリアや仕事を拡げるコツ、今後の事業展開などについ て話を聞きました。

起業したくて大手企業を辞めたものの、波乱にもがく日々

越水さんは福岡に移住されたと聞きました。会社を立ち上げるまでの経緯を教えてください。

私は静岡で生まれて3歳から神奈川で過ごし、関東の大学へ進学しました。卒業後は大手の証券会社に入り、東京で営業職に。いつか何かで起業したいと思っていたの で、まずは営業で経験を積むため会社員になりました。
27歳のとき、ベンチャーへ転職。ビジネスの立ち上げを現場で学びたかったのですが、ベンチャーならではのスピード感についていけず委縮してしまって、半年ほどで退職。それからど うしようかと考えたとき、WebやIT業界に興味があったので、試しに勉強しながらショッピングサイトを作ってみたものの、3か月経ってもほぼ売れなくて…自分の甘さを知りました。当時すでに結婚していたため、食べていくために不動産の営業に転職しましたが、とにかく自信をなくしていましたね。

起業したいという思いはなくなったのですか?

いえ、そんなことはありません。当時、スマホやiPhoneが登場して、アプリを作って一発当てようという人たちが出始めたくらいでした。私は「何だったらできるの かな」と改めて考え、子どもの頃は絵を描いたり、マンガを描いて友達を笑わせるのが楽しかったなと振り返って。やはりWeb業界にいきたいけど、すぐ独立するのは難しいと思い、ひと まず就職しようと決断しました。
スキルを身につけるため書籍やサイトを見ながら勉強。2月末で会社を辞めて勉強する中、3月11日に東日本大震災が起こりました。もともと妻の実家の福岡県大牟田市に子どもの顔を見 せに行こうと3月13日のチケットを取っていたので、妻の実家で過ごしながら勉強を続けて、地震が落ち着いたら東京に戻って就職活動をするつもりでした。

短い帰省のつもりが、長めの滞在になったのですね。

大牟田にいるとき、妻の友人から「Webサイトを作れる人を探している」という話がありました。勢いで「やります」と手を挙げて、旅館のサイトを作ることに。わか らないことだらけで、その都度調べながら必死にやっていく感じ。1か月ちょっとで神奈川に戻り、どうにかサイトを完成させました。請求書も出したことなくて、テンプレートを探した り(笑)。実際にお金が入ってきたときは、うれしかったですね。
それで、フリーランスになって、仕事を取りながら勉強していくことにしました。神奈川にいながら、以前のつてで旅館の案件がいくつか入ってきて、自分で営業しつつ、技術を覚えてい きました。

関東でも福岡でも地道に営業し、ブログで情報発信

関東ではどのように仕事を獲得されたのでしょう?

チラシを作って近所の商店街に配って歩いたり、電話をかけたりしました。証券会社のとき1軒ずつ回るような営業をしたことがあり、1,000件電話してダメなら2,000 件とかけ続ければ、絶対にお客様はいるとわかっていたんです。地道に営業したりWebの会に出たりして、少しずつ仕事を獲得していきました。
Web制作会社で週に数日働いて会社の仕組みを学びつつ、個人でもやっていました。営業もデザインもコーディングも全部自分でやって、新しい技術を身につけたいので、基本的に仕事が きたら「はい」というスタイルでした(笑)。屋号は「i.Design」(アイドットデザイン)。iPhoneやiMacなどが流行っていたので頭にiをつけて、プログラミングでつなぐという意味の ドット、そしてデザインの仕事とわかりやすいようにしました。

何をきっかけに福岡に移住されたのでしょうか?

1年後に部屋の更新が来たタイミングで、地震の恐怖が鮮烈に残っていたため、子育てのことも考えて福岡へ引っ越しました。2012年のことです。
屋号はそのまま、また電話帳で営業したり、初めのうちはWebの勉強会やその他交流会にも積極的に参加しました。勉強会で話し手を募集しているときは手を挙げて、顔を覚えてもらうよ うになり、移住してきたことで注目されて新聞やテレビにも出ました。スタートのときは売上が伸ばせなかったのですが、おかげさまで今では社員を雇えるようになり、順調に成長できています。

売上を伸ばせた秘訣を教えてください。

うーん、限界まで行動しましたね。飲みは必要最低限にして、1行でも多くコードを書く感じで。あとは、ブログを書いて情報発信しました。会社の戦略として、フィ ードに必ずあがって知ってもらうためにブログを書いていました。東京で名刺交換した人たちは、ブログをやっている人がどんどん有名になって本まで出版するようになっていたのでそれを参考にして、私は当時福岡のWebクリエイターで一番ブログの更新頻度が高かったんじゃないかと思います。

経営理念や経営方針を理解した上でWebを制作

福岡でも個人事業主として活動していて、会社を設立されたのはいつでしょうか?

2016年12月にシンス株式会社を立ち上げました。その前からスタッフを雇い始めて、利益が出るようになったので法人化して、今は10人の会社になりました。今、会 社の事業はホームページの制作だけで、その事業名として私個人でやっていたときの屋号「i.Design」を使っています。

御社の強みについて教えてください。

ブログやSNSを通した情報発信にかなり力を入れています。自社のニュースや制作に必要な技術情報、インタビューなどをサイトに載せたり、ブログを書いたり、 twitter、Instagram、facebookで情報の内容を変えています。営業活動の一環として、毎日見てもらうためのしかけです。ほかに、2017年6月から毎月ニュースレターも出しています。 ブログやSNSに力を入れてきたので、SEOのノウハウをしっかり蓄積できています。情報をどのように波及させるかということに関しても経験からアドバイスできます。

経験に基づく戦略があるのですね。お客様のサイトを作った後もフォローされるのでしょうか?

基本的にはブログを入れてもらい、作った後がスタートというスタンスです。作って終わりではなく、継続的に情報発信することが大切。極論をいえば、サイトでな くてもいいと思うんです。サイトは理念などを達成するためのひとつのツールでしかなくて、作った後に仕組みを運用するところが肝。とはいえ、ブログを書き続けられなかったり、情 報を更新できないところが多いので、自社の経験を活かして、どんな切り口でネタを考えほうがいいかなどをフォローできるのが強みです。

これまでに関わったサイトはどのくらいですか?

対応した案件は400サイトくらい。教育機関からベンチャーのサービスサイト、アプリのボタン配置のデザイン、ショッピングサイトまで、幅広く手がけています。外部のパートナーにも協力をしてもらいながらウェブサイトに関することなら、たいてい対応できます。

Webサイトの制作で心がけていることを聞かせてください。

お客様がWebでやりたいことは集客や商品販売、求人などさまざまです。その前提として、どんな会社を実現していきたいのかという経営理念や経営方針を理解するよ うに心がけています。Webサイトはあくまでも事業や経営上の目的を達成するためのひとつのツール。その目的を達成できるなら、チラシやパンフレットでもいいと思うんです。事業や経 営をやっていく中で、Webサイトが適切な役割を果たせるかどうかが一番大事。ですからお客様の経営理念や経営方針を理解した上で、Webを作ることが重要だと考えています。

「昨日より一歩前進」で拡大より永続する会社を目指す

今後のビジョンについて教えてください。

当面は採用サイトの分野に力を入れていくつもりです。中小企業のオーナーさんと話していると、どこも採用に困っていて、課題としてなくなりませんよね。ですか ら業種で絞るのではなく、採用というサイトの役割に特化して、サービスを拡大していきたいと考えています。まずは自社の採用サイトを作り、それを軸に展開していこうという段階で す。今、自社の情報をしっかり出せているサイトは少ないので、大きなチャンスがあると感じています。

どのような会社にしていきたいですか?

スタッフには「昨日よりも今日一歩前進してほしい」といつも話し、しっかりコミュニケーションを取るようにしています。 もともと世界を変えるとか、大きなことを成し遂げるというモチベーションでやっているわけではありません。キーワードは「サバイバル」かな。今、モデルケースとして参考にさせていただいている会社があります。
長野県で寒天などを作る伊那食品工業株式会社。会長の塚越寛さんが経営理念などを書いた「いい会社をつくりましょう」(サンクチュアリ出版)という本はおすすめです。会社が祖母 の家の近所なので昨年見に行ったら、自然の中にあって、社屋がものすごく美しくて雰囲気がいい。気のめぐりがよくて、感動するくらい。それで本を読んでみたら、価値観がしっくり きました。急成長しすぎずに地道に着実にやっていて、会社は何十年も増収増益なんです。
私の会社も拡大よりも永続を目指して、私がいなくなってもずっと続いていくようにしたいですね。Web制作の業界が5年後10年後にどうなっているかわからなくて、やることは状況に応 じて変わってもいい。そのための事業制で、今はi.Designだけですが、他にも自分たちの強みを活かせる事業を展開したいと思っています。自分が満たされたから終わりというのではなくて、関わってきた周りの人たちも幸せにしながら、次の世代もよくなっていくように、永続する会社を目指します。

取材日:2018年10月5日 ライター:佐々木恵美

シンス株式会社

  • 代表者名:代表取締役 越水大輔
  • 設立年月:2016年12月
  • 事業内容:ホームページ制作
  • 所在地:〒810-0074 福岡市中央区大手門3-4-3 東ビル201
  • 電話:092-406-8630
  • URL:https://since-inc.jp
       i.Design https://idotdesign.net

エンターテインメント文化を根付かせ 関西をもっと面白く!もっと魅力的に!

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「エンターテイメントをもっと身近に。」 をコンセプトに、企業の「プロモーションドラマ」や、個人のターニング ポイントをドラマ化した「エンディングドラマ」の制作をはじめ、ボイスドラマ制作、映画・番組・CM制作を手掛ける芸能事務所「ACT EDGEエンターテイメント株式会社」の佐藤晃一社長。本格的なドラマ制作を手掛ける、関西では珍しい芸能事務所の代表として活躍する一方で、イベント会社「SPEC」の代表も努め、セミナー講師としても呼ばれている、佐藤社長は「人の笑顔を見るのが大好きなんです」と、所属タレントが何かを達成した時の喜ぶ姿や、自身が手がけるイベントに参加した人々の笑顔が仕事の醍醐味と語ります。持ち前のバイタリティーと次々に浮かぶアイデアで新たなエンターテインメントの道を切り拓く佐藤社長に、活動内容などについてお話をうかがいました。

縁を大切にしたから得られたもの

これまでのキャリアについて教えてください。

高校卒業後はイベント会社に就職して、大手自動車メーカーの新商品の走行会など企画・立案から当日の運営に至るまで一貫してやっていました。イベント事業の面白さや達成感を噛みしめていたのですが、そこを会社の事情で辞めることになったんです。その時に、イベントスタッフへのマナー教育等が評価され、NTT西日本グループの会社から誘いを受け、転職しました。メインの人材派遣業の他にグループ会社の創立記念パーティや、社長会のイベントのコーディネートやアテンドもしていました。安定はしていたのですが、やはりイベント事業に特化した仕事がしたいという気持ちが強くなり、退社を希望しました。その後イベント会社に就職したのですが、そこが突然廃業になってしまったんです。

それをきっかけに起業されたんですか?

廃業が決まった時点で大きな案件があり、そのお客様には他の会社に委託し私もサポートする旨をお伝えしたんです。しかし、私個人と仕事がしたいと言ってくださり、それならこの仕事だけは引き受けようということにしました。その際に、屋号が必要になったので、急ぎイベント会社「SPEC」を立ち上げたんです。その案件が終わった後も、イベント全体を見渡して指示するディレクター業を依頼されるなど、他からも仕事が次々と途切れることなく入ってきて、今に至ります。

個人として仕事を頼まれるほど信頼を得られてイベント事業をする中で、芸能事務所も立ち上げられたのはなぜですか?

SPECでイベント事業を展開していると、アーティスト、モデルなど、色々な人に出会うんです。その中で知人の紹介のシンガーソングライターにイベント出演をお願いしたところ、あまりにもパフォーマンスがつたなかったので、所属事務所を通して叱り飛ばしたんです。後日、本人から謝罪と悪かった点を聞きたいから直接会ってほしいと電話がありました。怒られるのがわかっていて来るなんて何てハングリー精神の持ち主なんだろうと思い話をしたところ、それまでレーベル会社のみの所属だったため、CD販売以外の歌とかショーに対して指導が全くなされていなかったようなんです。それで、私の事務所に所属させてほしいと頼まれて引き受けたんです。すると今度はモデルやミュージシャンが応募してきたり、逆に同業者から弊社タレントに出演依頼があったりして、イベントMCをはじめ、テレビ出演やUSJのCMにも出させていただくようになり、どんどん芸能事務所になりかけてきたんです。いずれは芸能事務所も立ち上げなくてはいけないと考えていたところに、ある会社の会長から芸能事務所として法人化して、これから立ち上げる事業を一緒にしないかと声をかけられたのをきっかけに、SPECからタレント育成事業を切り離して、グループ会社として「ACT EDGEエンターテイメント株式会社」を立ち上げ、タレントはすべて移籍させました。

ありそうでなかったドラマ制作

会社のコンセプト「エンターテイメントをもっと身近に。」にはどのような想いがこめられているんですか?

エンターテインメントってそんなに難しい話ではなくて、もっと身近に法人でも個人でも活用できるものだという事を知ってもらいたくてこのコンセプトにしました。法人でいえば、企業広告にVP(Video Package)って結構撮っているのですが、auの三太郎CMが出た辺りから、インパクトがあって続きが気になるというストーリー性を持たせたドラマ仕立てのプロモーションにシフトしてきたんです。ドラマ制作には膨大な予算がかかるというイメージがありますが、弊社は、俳優も所属しているので、VP制作の予算と同じ位にしています。

具体的にはどのような内容のものを提供されているんですか?

法⼈向けとしては、⾃社商品訴求や創業ヒストリーなどをドラマ化する「プロモーションドラマ」で、個⼈向けには本⼈インタビューと⼈⽣のターニング ポイントをドラマ化した「エンディングドラマ」を提供しています。自分の祖父母やその先の先祖がどのような生き方をしてきたのかをテーマにしたテレビ番組の視聴率が高く、ご自身のルーツに関心を持つ人は多いため、祖父母等が生きている内にその方のターニングポイント的なものを再現ドラマ化して残すといことに取り組んでいます。

なぜドラマ制作を目指そうと思われたのですか?

関西には芸能事務所が山のようにありますので、事務所を立ち上げるにあたって特徴を出すため、タレント以外のサービスを持たないと生き残れないと考えたんです。多くの芸能事務所の悩みとして育成はするけれど出先がないことが多いので、それなら先に活躍できる場を作ってしまおうと思い、ちょうど企業のPRがドラマ仕立てになっているという時代の流れも受け、弊社もドラマを提供していくことにしました。

最初にまず実績を残そうと、連続12回のドラマを撮りました。また、ドラマコンテンツって映像だけではないと思い、ボイスドラマも制作したんです。ドラマの楽しさを一人でも多くの方に知ってもらおうと本腰を入れ、配役も全国オーディションを行い、ボイスドラマでは皆さんに馴染みのある戦国もので制作しYoutubeを活用し自社ホームページに公開しました。ドラマ制作は「新人育成」「俳優の活動プロフィール」「サンプル」としても活用しています。

本格的ですね。芸能事務所がここまでドラマ制作をするというのは珍しいのではないですか?

関西では弊社だけだと自負しています。サンプルのドラマも中途半端なものは作りたくなかったので、かなりの費用をかけて監督も12本それぞれ別の方にお願いしたのですが、撮り方や考え方、モノの見方、役者の扱い方は人によって全然違うんです。映画向き、舞台向き、テレビ向きと自分なりに分析をするなど、ドラマ制作に関しては無知だったので、現場で色々と学ぶことができました。第11話には広末涼子さんが出演した映画「はなちゃんのみそ汁」の阿久根知昭(あくね ともあき)監督にメガホンを取って頂いたんですが、その時は他の事務所の俳優も見学に来ていましたね(笑)。

他の事務所の方とも交流があるんですか。

私は横の繋がりもとても大切だと思っていて、弊社に出演依頼が来たものでも、所属俳優に該当者がいなければ断るのではなく、他の事務所に必ず声をかけていて、これまでも和歌山や奈良の観光庁の仕事を紹介しました。弊社だけ儲かればいいというのはあんま考えていなくて、周りと組んで総力で仕事を取りに行って、総力で何か一つのことを達成していくというところに持っていきたいんです。ここまで来られたのも周りの人の力もあってのことだと思っていて、あの時のあの出来事があるから、今があるんだと時々振り返るんです。どれも偶然ではなく必然だと思っているし、今自分がやっていることも実は後ろにつながっているのだと思っていて、人とのご縁を大切にしています。

タレントにとって最善の道を考える

所属タレントのスカウトは佐藤社長がされているんですか?

無作為に声をかけてスカウトすることや、他の事務所から引っ張ってくるようなことはしていません。また、養成所機関のある事務所は、そこで受講料をもらって本気で売り出したい人にお金をかけるという収支で運営されている所もあるようですが、弊社は養成所を設けておらず、入所費用はいただくのですが、カメラマンの撮影費用とWebの制作費で消えてしまう程度です。そんなところで儲けようとは思っていなくて、私が直接指導を行う場合、指導料も受け取っていませんし、稽古場も無料で開放しています。シンガーの場合、防音設備の整ったスタジオを自分で借りてもらって、そこに指導にも行きますが、スタジオ代だけ払ってもらっています。要望があれば外部講師にも来てもらうのですが、その受講料も弊社を介さずに直接払ってもらっています。ですので、大勢のタレントを抱える気はなくて、本気で取り組む人たちの育成だけに注力していきたいんです。芸能事務所は通常3年契約が多いのですが、弊社は1年契約です。本人がやる気もなくなり、向いてもいないのに3年間も縛ることはできませんので、まずは1年間で自身を見定めて出来ないようだったら辞めればいいと思っています。弊社のタレントは、今のところほとんどが複数年頑張ってくれています。

収益はどのようにされているのですか?

それ、周りからもよく心配されます(笑)。事務所の収益は、ドラマの販売とタレントのキャスティング料。イベント会社SPECからACT EDGEへイベントMC等の仕事を発注することも多いんです。お客様からは、SPECに仕事を頼めば企画から、タレントやモデルまで一括してお願いできるので、手間がかからずコストも削減できると重宝がられています。利益の配分もタレント対事務所の割合が、7対3なんですね。一般的な事務所だと管理費が入っているので普通逆なんです。でも弊社は本人の7割の中から、自分を売り出すために、何が必要なのか、どのタイミングで何を買ったらいいのか、周りでどんなお金の動きをしているのかなど、実際に自分で管理させているんです。お金の動きもタレントとしては大切な知識なので、「これは自分のお金であって自分のお金ではないから」と言って渡し、使う時は相談をしてもらってアドバイスするようにしています。 いずれ他の事務所に移籍した時に、礼儀とお金の動きなど当たり前のことを知識として持って出て行ってもらいたいんです。そうでないと、弊社にいる意味がないと思っています。

将来性のあるタレントは、事務所としては留めておきたいものではないのですか。

弊社は関西の芸能事務所で、全国に売って出ることができるかというと、今のところその予定はないんですね。だから、東京の大手事務所に出張に行くたびに「うちのタレントで引っ張れる子がいたらお願いします」と積極的に提案しているんですが、大概は「変わっているね」って不思議がられています(笑)。タレントは売れたい訳ですから、ここで縛って足かせになるなんて、そんな馬鹿な話はないと思っています。もし他の事務所から預からせてほしいという声がかかり、条件が整って本人が希望すれば、すぐに移籍させます。でもレールが外れるとか本人のためにならない話ならキチンと断ります。以前、東京の事務所から移籍の話をいただいたのですが、蓋を開けてみると、養成所に入り直してほしいという条件だったんです。それなら必要ないと断りました。

仕事をする上での醍醐味って何ですか?

私がずっとイベント事業をやってきたのは、人の笑顔が好きだからなのです。人との繋がりや、イベント等を創り上げたその先に人の笑顔があることなんですね。これは芸能事務所でも一緒なんです。何も出来なかったタレントが仕事をこなせるようになって喜んでいる姿や、前に所属していたアーティストが目指していたステージでワンマンライブを成功させ、その子が涙を流しながら「やっとここにこれました」って喜んでいる姿を見ると、この仕事をやってきて本当に良かったなって思えるし、そういう誰かの願いを叶えていけるというのが私らの仕事の誉れだと思っているんです。今後事業を続ける中で、生まれてくる対価をそういったことに投資したいとも考えているんです。

具体的にはどのような所への投資ですか?

高い志を持っているタレントがいる中で、相当な努力をしてもどうしても壁にぶつかる時が誰にでもあるんです。そういった時にその子のステップアップになるのであれば投資してあげたいんです。その余力を持つというのが私の目標としているところです。現在ACT EDGEとして協賛しているところがありますが、その決め手になったのが、本気で取り組んでいる姿です。あるバンドは、自力で2年にわたり大掛かりなライブをやっていて、協賛を募るのに1年がかりで、あちこちの企業に頭を下げて、本当に一生懸命やっているんです。そういう姿を見ていると応援したくなりますよね。将来的に余剰が出るようになれば、こういう所に使ってあげたいんです。今はとにかく弊社が抱えているタレントの体制を整えてあげたいので、弊社を登龍門としてすり抜けていき、そこから関東圏に上ってどんどん上を目指していってもらえる存在になってほしいんです。正直ほとんどの人がドロップアウトしてしまう厳しい世界ですけれど、しがみついて続けている人が少しづつでも上を向いていけるよう全力でサポートしていきたいです。

産学連携でエンターテインメントを制作して

代表取締役 佐藤晃一

今後の展望について教えてください。

戦国もののボイスドラマの再生回数がそこそこあったので、その続きの舞台化を考えていて、ボイスドラマと舞台の連動を試してみたいんです。舞台化することでWebの閲覧数が上がるのか、Webドラマを見たことで舞台の観客数に影響が出るのかを確かめてみたいんです。
また、マーケティングに失敗して3年以内に閉店に追い込まれる飲食店が多いことを受け、エンターテインメントを広告として利用してもらえるよう取り組んでいます。パイロット的にホテル内のハンバーグ店で毎月最終土曜日にミュージシャンによるイベントを実施したんです。その結果、お店は他店との差異化によるプロモーションとミュージシャンのファンによる新規客の獲得が見込め、ミュージシャンは自身が呼んだお客さんの飲食代の中から少しギャラを頂戴出来るのと物販が可能、そしてお店にいらっしゃるお客様にフライヤーを渡すことにより新規ファンの獲得につながり、お客さんは飲食料金だけでエンターテインメントを楽しむことができるという試みだったのですが、実際にお店の売り上げが上がったんですよ。当日だけでなく、それをきっかけに来店した新規客が他の日もランチ等で利用するようになったんです。ここで実績を上げたことにより、その発展版として、産学連携でエンターテインメントコンテンツ型レストランを増やす計画が上がっているんです。これからミュージシャンをはじめ、マジシャン、パフォーマーや落語家などに出演していただき拡大していく予定です。そうなればタレントの新たな出先もどんどん増えていきますから、今後も弊社のコンセプト「エンターテイメントを身近に。」の活動に注力していきます。

取材日:2018年10月2日 ライター:川原珠美

ACT EDGEエンターテイメント株式会社

  • 代表者名:代表取締役 佐藤晃一
  • 設立年月:2014年8月
  • 事業内容:事務所事業・モデル・タレント・アーティスト キャスティング・育成 イベント企画・制作・運営管理・音響・照明・ステージ演出・広告企画・制作・コンサルティング
  • 所在地:〒540-0005 大阪市中央区上町1-1-24 上町テックビル3F
  • URL:http://act-edge.com/

ゲーム作りの現場を変え、クリエイターが安心して仕事ができる環境を作る

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北海道札幌市に拠点を置く株式会社pixyda。その前身となったのはとある企業のゲーム事業部でした。経営統合や事業譲渡を繰り返したのち、現場を統括していた石川 貴也(いしかわ たかや)氏はゲーム事業部を率いて起業します。その決意に込められた思いをお訊きしました。

社員に落ち着いたゲーム作りの環境を作るために起業

石川さんご自身のキャリアと会社立ち上げまでの経緯を教えてください。

冒頭から言うのもなんですが、実はゲーム業界を目指したことがありません。大学を卒業し、地元のコンピューター系の会社に入り、システム系の開発やディレクションをしていました。10年くらい前でしょうか。ゲームの部署の責任者がいなくなってしまい、自分がゲームの部署を見なくてはならなくなったのです。

まったくゲームのノウハウがない状態だったのでしょうでしょうか。

高校の頃は遊び程度でプログラムを作っていたのですが、ゲーム機専用のゲーム制作の経験はなく、まったくわからない状態でした。

ゲーム業界にありがちなんですけど、実際に現場に入ったところ、ゲームを作る方法は知っているものの時間をかければできるというやり方で進めていて、効率的な作り方をする文化がなかったのです。結局最後は深夜残業しているという流れが見受けられました。そこで自分がシステム開発で培った作り方を導入したらどうだろうと考えたのです。事業譲渡によって東京の企業の子会社になり、東京のゲーム開発の現場を見ることになったのですが、いざ東京に来てみるとこちらも力任せのやり方をしていたので、改良していきました。

そんな折、ふたたび事業譲渡がありまして。事業譲渡を繰り返して会社名が変わり、転職回数ばかりが増えてしまって。ならば私が独立して会社を安定させたらどうだろうと思ったのです。仲間の技術力は高いと思うので、そういう人たちが落ち着いて仕事ができる環境はどうやって作れるのかを考えたら、自分で会社を立ち上げるしかないと思うようになったということです。

地元札幌に本社を置いて感じたこと

pixydaではどのような仕事をしているのでしょうか。札幌と東京合わせて教えてください。

スマートフォン向けのRPGゲーム、シミュレーションゲームを開発・運営しています。企画の段階からQA(品質保証)、CS(顧客満足度)管理も弊社でできます。ゲームを最初から最後まで作れるのが弊社の強みですね。これも強みと言ってもいいのかもしれませんが、弊社はIPもの(知的財産を使ったコンテンツ)の扱いに長けているのです。IPものは版元と揉めることが多いですが、東京の部署の案件については完全に弊社にお任せになっているので、信頼していただいていると思います。

札幌に本拠地を置いた理由について教えてください。ゲーム業界において、地方に拠点を置くことはどんな利点があるのでしょうか。

まず地元で仕事をしたいという思いがありました。東京に来た理由が先ほどお話しした通りで、一時的な話だったんです。起業するなら最初から北海道でと考えていました。会社を立ち上げるにあたり助けていただいた会社も札幌の会社です。

ゲームといえば東京に集中しているイメージがあるので人材の確保に不安があったのではないでしょうか?

そこに不安はありませんでしたね。札幌のゲーム専門学校や大学もありますし。あと札幌は昔からゲーム会社が多いんですよ。私が前に所属していた会社もゲーム部署があったわけですし。自治体としてもクリエイティブ系の人材確保に力を入れています。受託の仕事になると基本は東京の会社からの依頼になるので、私が東京で対応しています。

現在、札幌と東京で事業を展開していますが、開発と運用に分かれているのではなく、タイトルごとに分かれているのですね。

今はきれいに分かれていますね。現状プログラマーやデザイナーを一ヶ所にまとめるということはしていません。今後もしないですね。それぞれの場所でチームをいくつか持って回していくイメージです。札幌にはQAとCSのメンバーがいないので、そこは東京でやっています。

札幌に本社を置くことに不安はなかったとおっしゃっていますが、逆にデメリットに感じたことはありますか?

今のところデメリットはなく、どちらかというとメリットが多いと感じています。先日、北海道胆振東部地震がありましたけど、東京は普通に動いていました。リソースが両方に揃っているので、例えば札幌に人が足りないとなったときに東京で空いている人を何名かアサインすることもできますし、事業の継続性を考えると拠点がいくつかあるほうが回しやすいと思います。

北海道に会社があれば、わざわざ東京に行かなくても地元でゲーム制作者を目指せる。学生さんたちにとってもいいことですね。

そう思います。札幌の景気が一時期悪くなってゲーム会社が撤退することが続いていたので、私どものような新しい会社によって札幌が元気になれば、と思っています。

それと、北海道の人は他の地域の方と比べて地元で働きたいと思う方が多いんです。東京に来てどこかの会社で働いている人たちも、いつかは札幌に戻りたいと思っていることが多いですね。そういう人のために東京で行われるUIターンのイベントで面談したりもしています。

東京と札幌の両方の人材を見ていらっしゃると思うのですが、違いを感じることはありますか?

なんとなく札幌の方がのんびりした人が多いかなという気がします。東京は会社がたくさんあるのでうちがだめでも他にいける、というドライな部分はあるんじゃないかな。それでも今いる東京のメンバーは辞めずについてきてくれています。自分はあまりうるさく⾔わないですし、働きやすいからだと思います。

そういった働きやすさが面白いゲームに繋がっているのではないでしょうか。

苦労して、苦労して、いいものができました! というのもいいんですけど、楽しく作ってみんなに受け入れられる方がいいと思うのです。楽しんで作っているものはわかりますし。そういう環境にしたいですね。

現在は札幌と東京の2拠点でそれぞれタイトルを運用しているとのことですが、今後別の場所に拠点を作りたいと思いますか。また、プログラマーだけを一か所に集めた開発スタジオみたいなものを作るという構想はあるのでしょうか。

他に拠点を作りたいというのはないですね。会社はもう少し大きくしたいですが。弊社の開発スタイルでいくと、1拠点ですべてのリソースが揃っているというほうがやりやすいので。

それは石川さんがこれまでの経験の中で培ったモノづくりのフローがあり、それが1つの拠点で回っているからでしょうか。

そうですね。その形は崩したくないと思っています。なぜかというと、プログラマーだけの開発スタジオを作ると、能動的に動く人たちはいなくなってしまうからです。完全に外注先の会社みたいな感じで、言われたことしかやらなくなる。できれば各メンバーには能動的に動いて、別の職種の人間とも話し合って良いものを作ってほしいと思っています。各メンバーが自分たちで動き、相乗効果で大きいものを作っていくという方がモノづくりには向いているのではないかと思うんです。

今いらっしゃる社員さんもそういう気持ちの強い方が多いのでしょうか。

放っておいても大丈夫ですね(笑)。自立して動けるようになってきました。最初はなかなかそうはいかなかったです。私があまりゲームを知らないのがいいのかもしれませんね。上の立場の人間があれこれ言うと命令になってしまって、自分にそのつもりがなくても忖度(そんたく)したものしかできなくなってしまうんです。今の世の中、尖ったものでないとゲームが表に出られませんから。なので少しでも面白いものをつくるために、あまり自分は口を出さないようにしています。

働きやすい環境をつくり、楽しい職場から楽しいゲームを配信する

御社のように拠点をいくつか持つ会社は、今後増えていくと思いますか?

増えると思います。私が子供の頃は将来ネットが繋がってどこででも仕事ができるようになると言われていたんです。ただ、実際にそうなっているかというとそうではない会社が多いかなと。そういう意味でも拠点を2つ持ってうまくやれるというところは見せていきたいですね。

今後は自社のIPやパッケージ物をつくりたいという思いはあるのでしょうか?

もちろんあります。やりたいと強く思っているメンバーも現場にはいますので、その夢は叶えてあげたいですね。ですが会社を安定させたうえでやらないと。足枷になって会社が傾く、というのを何度も見てきたので(苦笑)。もうちょっとラインを増やし安定したらやってみようと思っています。

これからのゲーム業界にどのような人材を求めますか。

私はその辺は一貫した意見を持っていて、能動的に動ける人がいいですね。自分でアイデアをどうにかしたいと思ったり、新しい技術があれば調査する人です。それが次の技術に繋がるかと思います。そうやって一歩先にいかないと置いていかれてしまう業界なので。常に新しい技術を追いかけて、他のゲームから応用できる部分を考えられる人たちがいいですね。

今後、pixydaをどのような会社にしたいとお考えですか?

とにかく私には会社を安定させるという使命があるので、まずはそこですね。今は札幌と東京でそれぞれ1タイトルづつやっていますが、タイトル数を増やして、どれか1つが終わっても他でフォローできるような体制にしていかなければと思います。

また、みんなが働きやすい環境にしたいですね。いろんなイベントをやったり。補助を出して部活も作れるようにしたいと思っています。会社の中が楽しいと思ってもらえるような環境を目指しているところです。

取材日:2018年10月16日 ライター:みかめ ゆきよみ

株式会社pixyda(ピクシーダ)

  • 代表者名:代表取締役 石川 貴也
  • 設立年月:2017年8月
  • 資本金 :980万円
  • 事業内容:スマートフォン向けゲーム 企画・開発・運営
         家庭用ゲームソフト 企画・開発
         企画・グラフィック制作・開発・運営
  • 所在地 :札幌本社 〒060-0032 北海道札幌市中央区北2条東4丁目1番地2 サッポロファクトリー3条館 4階
  •      東京オフィス 〒162-0067 東京都新宿区富久町16-5 新宿高砂ビル6F
  • URL:http://www.pixyda.co.jp/
  • お問い合わせ先:サイトとのお問い合わせフォームよりお問い合わせください。

社会になくてはならないプロダクトとはなんだろう? メディア事業から総合サービス創出へ

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「バーティカルメディア」と呼ばれるメディアカテゴリーがあります。「キュレーションメディア」も似た言葉ですが、そこに集まるユーザーの動機が大きく異なることが特徴です。バーティカルメディアとは、目的特化型メディアのこと。株式会社アラン・プロダクツは、月間100万人以上が訪れる『ヘアラボ』というバーティカルメディアを運営しています。
“『人が変わる』を創造する”という企業理念を掲げ、人々が暮らす社会の課題解決に向かうこの会社の取り組みについて、CEO 花房 弘也(はなふさ ひろや)さんにお話を伺いました。

田舎暮らしがイヤで東京に出たけれど、想像するよりも大学生活はつまらなかった。起業家たちが眩しくて、こうなりたいと刺激を受けた

花房さんのご経歴について教えてください。

兵庫県出身、1992年生まれの26歳です。もともと横浜国立大学在学中に、起業に興味を持ち始め、インターン先にピクスタ株式会社を選んだところから大きく人生が動いた気がします。ピクスタでは営業統括に従事させていただきました。そこで、自分自身が背中を押されるようにして、在学中の2014年1月にゴロー株式会社を設立しました。はじめは、ショッピングアプリ『melo(メロ)』を開発・運営するのですが、これはうまく事業化できませんでした。その後、いまに至るバーティカルメディアに軸足を移し事業化を進めました。2016年9月にユナイテッド株式会社に事業売却し、同社の最年少執行役員に就くことに。
さらに、2017年10月には株式会社アラン・プロダクツと社名変更し、現在では、髪の毛の悩みと向き合うバーティカルメディア『ヘアラボ(旧ハゲラボ)』以外にも複数のメディアを開発・運営しています。

学生起業に至るまでの詳しい経緯は。

兵庫県の田舎町出身なので、大学に入って東京に出るというのは希望に満ちた出来事でした。が、実際に大学に通い始めるととにかくつまらない毎日で、それに悶々とする自分自身も歯がゆかった。そんな状態で2年間が過ぎてしまっていました。大学で、「ベンチャーから学ぶマネジメント・リーダーシップ」という講義を受けて、リアルな経営者のみなさんの声と実像に触れ、大いに刺激を受けました。インターンとしてお手伝いすることになるピクスタ株式会社の代表である古俣大介(こまた だいすけ)さんのお話も印象的でした。一方、自分自身を振り返ればそもそも父親が経営者だったので、「経営者としての自分」がよりリアルに自分の中で浮かび上がってくることになったのです。
自分の中でそう決意をして、さまざまな経営者に話を聞いたりする活動を始めたときには、自己啓発セミナーのような詐欺グループに騙されそうになり、自身の脇の甘さを実感したりもしました。そこで、まずはきちんと仕事を覚えることが大事だと思い、インターンを志望したのです。

結果的には、就職して経験を積んでということは選択されなかった?

はい、実際に当初はインターンを終えたらどこかに就職して3年くらい濃い経験をして、起業をしようと考えていました。ピクスタのインターンでも「営業統括」という環境も与えていただいて、大学では学べないリアルな事業の変化をたっぷり吸収できていました。そうこうするうち、古俣さんから「花房くんなら起業しても成功できるよ」という言葉をいただきまして、その時間軸が一気に崩れてしまった。「起業するなら、いまからでいいんじゃないか」と思ってしまったんです。
「VC(ベンチャーキャピタル)も紹介するし、事業アイデアにも協力するよ」とまで言っていただけている。チャンスだ、と感じないわけがなかった。
いま振り返ると、その判断に後悔することはないのですが、告白すると家族の反対はありました。父母はもちろん、自分は5人兄弟の一番下なのですが、兄弟からも反対されて、その反対を押し切っての学生起業でした。「社会はそんなに甘くないぞ」と最後まで言われていました。これは辛かったです。
最終的には、「そんなに言うなら、一度やってみろ」という感じでしたね。もちろん、若いからこその「一度やってみろ」でもありました。

当初始めたプロジェクトからは撤退されたということですが。失敗から学ばれたということですか?

もともと「melo」というスクレイピング※1技術を活用したショッピングアプリを作りました。さまざまなECサイトのファッションアイテムを、一括検索できたり、お気に入り登録できたり、実際に買い物ができたりするアプリです。
面白いし、実用に堪えるだろうと思っていたのですが、売り上げがまったく上がりませんでした。そもそもユーザーが増えなかったのです。結果として、追加資金が集まらないという状況に陥り、サービス継続は無理だと判断しました。
これを真摯に反省をして現在につながっているのですが、失敗の理由は、ユーザーの課題解決ができていなかった、という一語に尽きると考えています。「とても便利なアプリだ」という自信がありました。が、当時はそれだけで終わっていたのです。そもそも洋服などアイテムでさらにおしゃれになりたいユーザーは、「満たされている(プラスをプラスにする)」状態。「満たされている」人たちの「ちょっとした課題」を解決しても、大きな価値にはならない、ということだったのです。
それでは、ビジネスとしての飛躍はできるわけがなかった、という整理をしています。

※1 ウェブサイトより情報を収集するコンピュータソフトウェア技術のこと。ウェブ・クローラーあるいはウェブ・スパイダーとも呼ばれる。

髪の毛の悩みと向き合う日本最大級のメディア『ヘアラボ』を立ち上げて、順調に成長軌道に乗せられた。これからだ、と思う

メディア事業のこれまでを振り返って

新しい事業を生み出すにあたって考えたことは、「プラスをさらにプラスにする」のではなく、「マイナスをゼロやプラスにする」ビジネスをしようということ。具体的には、人のコンプレックスに向き合ってビジネス構築していきたいということでした。その過程で、「髪の毛の悩み」というテーマが出てきて、それは自分自身の悩みの一つでもありました。これをテーマに、バーティカルメディアを作ろう、と決まっていきました。現在、ビジネス顧問として関わってくださっている建入弘樹(たちいり ひろき)氏との出会いも、このプロジェクトの始まりには欠かせなかったと感謝しています。
一方では、このプロジェクトの立ち上がり時期に、DeNA(株式会社ディー・エヌ・エー)のメディア事業が社会的な批判を受けるという事件がありました。それは、私たちにも無関係とは言えず、体制の見直し、ワークフローの再構築などで半年間以上もの時間を費やすことになりました。さらにタイミングが前後しますが、ゴロー株式会社はユナイテッド株式会社の傘下に入ることになりました。ユナイテッドから優秀な人たちが何人も来てくれることになって、これはとてつもない力になりました。なにしろ、それまでインターンや20代前半の若手しかいなかった環境にビジネスの酸いも甘いも知っている大人たちが加わった、と想像していただけると当時の様子がわかるのではと思います。
いま振り返ると、アクセルを踏むタイミングでこのような半ば外部の圧力で強制的に見直しを迫られた、しかも新しい大人の知見が加わることになったということはその先の成功へのきっかけであるとも言えるかもしれません。それでも、本当に当時は大変でした。2016年の春から秋にかけてのことでした。

御社の強みとはなんでしょうか。

代表的な「ヘアラボ」を例にあげますが、このメディアの一日あたりのユーザー数は数万人。ユーザーの男女比はほぼ同率で、検索流入が多いという特徴があります。このユーザーの方々は、リアルなヘアケアに関する悩みを抱えていて、その解決のための情報を得るためにアクセスしてくださっています。バーティカルメディアだからこそ、そうした明確な動機を持つユーザーを抱えることができるわけです。この点で、キュレーションメディアとは大きく差別化できます。コンテンツの充実を図るために、アンケートの実施や分析には力を入れています。
そうした信頼を確保できていることが前提で、このメディアを核とした「メーカー」「ユーザー」「メディア」それぞれのスクラムが生まれて、そこに新しい価値があるのだと思っています。つまりは、ヘアケアに関する総合サービスであることが大事だということです。

他にも様々なこと挑戦されていますが

セクシュアリティにおける課題と向き合うパレット事業も順調に事業推移しています。セクシュアリティに関わる「常識のアップデート」を掲げ、セクシュアリティの正しい情報を発信するメディア、そしてLGBTQ+当事者の方々の課題を解決するサービスを創っています。社会性のみが注目されてしまいがちな分野ですが、事業メンバーと共有している大切な価値観として「事業、ビジネスとしてサステイナブルであること」と云う点があります。つまりこの事業を通してビジョン、ミッションを実現することはもちろん、言い訳なしにしっかりと売り上げ・利益をあげること。そうすることで、世の中に”継続的な”価値提供を行うことができると信じています。
もちろんまだまだこれからの事業ではありますが、強い思いを持ったメンバーが集まり事業を推進してくれていることに対して、心から頼もしく感じています。

社名の「アラン」はアラン・チューリングから

ところで、そういう意思表示はそもそも社名にも掲げていまして、アランというのはアラン・チューリングのことを指しているんですよ。コンピュータ科学の祖とか、コンピュータを生んだ科学者とか、有名な紹介だと「エニグマの解読をした科学者」と言われます。その生き様は映画『イミテーション・ゲーム』でも描かれていましたが、彼自身がゲイであり、当時の誤った社会常識によって、不遇な晩年を過ごしました。コンピュータという人類にとっての新しい価値を、社会に見事に生み出し大きな貢献をした大人物の背中を、私たちの事業も追いかけていきたいと思っています。

自分たちが創るプロダクトが「存在する」世界と「存在しない」世界で大きな差がある。そんななくてはならないプロダクトこそが、自分たちが果たすべき役割だと強く思う

今後の事業展望について教えてください。

先ほどのパレット事業に加えて、現在は新規事業の立ち上げに向かう「スタジオ・アラン」というセクションも設けました。先に紹介した通り、私たちはアラン・チューリングの後に続くような新しい価値を連続性を持って世の中に提出できる事業者でありたいと考えているからです。スタジオアランでは、バーティカルメディア事業に止まらず、ミッションである『人が変わるを「創造」する』を実現できる事業であれば、積極的に立ち上げています。
まさにいま、複数の事業を同時に立ち上げている真っ最中です。
一方では、ユナイテッドからの資金提供をもとに、M&Aなどを念頭に事業規模の拡大を考えています。

そのためには、やはりまず人材

"「人が変わる」を創造する "という言葉は、企業理念でもあります。働く仲間にとっても同様で、そのように働ける仲間を求めるということは、今後も変わりません。いま、「スタジオ・アラン」では、新規事業創出にあたって、エンジニアとデザイナーを求めています。0→1、1→10、で楽しめるエンジニアとデザイナー。
新しい価値を作り出せることにワクワクできる仲間が欲しいです。これまで、まだエンジニアやデザイナーの力で自らの事業を加速させるという経験がアランには少なかったと思うのです。今後は、そういうエンジニアリングやデザイン力で事業を成功させていくという新しい喜びを会社の中に得たいと強く思っています。

また、ベンチャーというと、一人ひとりが数字に責任を持ち、とにかくがむしゃらに働いてもらう、という環境をイメージする人も多いと思います。
もちろん数字に責任を持つことは大切ですが、それよりもビジョンとミッションを持って業務に取り組んでいただくことを重視しています。
なぜなら、それによって自身の仕事の意味を考えられ、結果、より成果に繋がっていると実感しているからです。
そういう意味でも、個人の持てる力を最大限に発揮していただける環境も用意できていると自負しています。

取材日:2018年10月11日 ライター:野田収一

株式会社アラン・プロダクツ

  • 代表者名:代表取締役CEO 花房 弘也
  • 設立年月:2014年1月
  • 事業内容:インターネットサービスの開発・運営
  • 所在地:〒107-0061 東京都港区北青山3-3-11ルネ青山ビル7F
  • URL:URL:http://alan-products.co.jp

沖縄のデジタルマーケティング業界を、人材育成から支えたい

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Webサイトの制作会社として株式会社RAZONAが誕生したのは、業界の黎明期ともいえる1996年。東京でスタートし、今では沖縄、ベトナムに事業所を設立。Webサイト制作だけでなく、運用、コンサルティングを含めマーケティングのデジタルソリューションを幅広く提供しています。社名の「RAZONA」とは、スペイン語で「理由」という意味。ロジカルに、「理由」を持ってWebを作るという会社のポリシーが社名に込められていると語る代表取締役CEOの村元啓介さんに、沖縄に事業所の役割や、これから展開する教育事業について詳しく伺いました。

グラフィック、マーケティングの両輪でデジタルソリューションを提供

まず、1996年に東京で御社が設立された経緯を教えてください。

創業者である岡村侑哉はもともと画家でした。スペインへ絵を学ぶため留学し、現地で賞を獲ったこともあるそうです。その後帰国し、画力を活かしWebデザインを始めました。当時Webサイト制作は徐々に需要が高まっていた頃で、その波に乗り、次々と案件が舞い込むようになり、会社を作るに至ります。マーケットが大きくなるに従い、会社の業績も順調に伸びていきました。

現在の御社の事業内容は、設立の頃と変わらずWebサイト制作が主なのでしょうか?

スタートの頃はWebサイト制作一本でしたが、今やマーケティングの世界ではデジタルは外せません。ですので、現在の事業分野はデジタルを用いたマーケティングのためのソリューション全般を提供しています。Web制作のクリエイティブな部分に加え、プロモーションや広告運用のオペレーションなどをトータルでサポートできる体制にしています。

Webサイトを手がける会社として、御社の強みを教えてください。

軸は二つあると考えています。一つ目は、制作物のビジュアル面です。もともと創業者が画家ということもあり、グラフィカルな画作りに関してはお客様から高い評価をいただいています。二つ目は、誘導部分のコーディネートです。たとえデザイン的に格好いいものを作れたとしても、それだけではお客様の抱える課題を解決できません。私自身がもともと代理店出身ということもあり、誘導や誘導後のユーザー解析を得意としていますので、サイトの画作りを含めてトータルでマーケティングソリューションを提供できることが、強みだと思います。

東京と沖縄の業務の違いを教えてください。

東京のオフィスは、お客様と対峙するという機能を一番に考えています。営業はもちろん、お客様が何を作りたいかを一緒に考えるプロデュースの部分は、やはり直接お客様と接しないとできません。多くのクライアント様は東京に集中していますので、アカウント機能、プロデュース機能を東京に集約させています。それ以外の機能であるクリエイティブや広告運用のオペレーション部門は、沖縄にシフトしています。最近では沖縄の夏は東京よりも涼しいですし、さらに毎日満員電車に乗らなくてもいい沖縄の方が、東京よりも働きやすいのは間違いありません。

沖縄に事業所を作られたのは仕事をする環境として良かったからでしょうか?

その環境も含めて、個人的にも沖縄に強く心惹かれたのが一番の理由です。沖縄に事業所を作ったのは2010年ですが、それ以前から実は沖縄の会社に発注していました。それもあって度々沖縄を訪れるうちに、自分たちでも沖縄に事業所を持ってもいいと思うようになったのです。沖縄は、進出に対しての公的支援がある程度充実しているという事も理由の一つではありますが、やはり「この地域が好き」「ここで働きたい」というモチベーションが一番です。その強い思いがあれば、事業を展開する中でハードルや課題に当たった時に乗り越えられると信じています。そして2番目の理由として挙げられるのは、採用のメリットです。

採用のメリットとは、どのようなことでしょう?

東京では同業他社が非常に多いので、リクルーティングのために「RAZONA」というブランドを広く浸透させるのは、とても時間がかかり大変です。しかし沖縄はコミュニティが広くありませんので、企業ブランディングを比較的短期間でできると感じたのです。弊社のような労働集約型のビジネスにおいて、人材は財産、人財です。私が会社運営を大きく間違えない限り、優秀なスタッフがいれば100%業績は伸びると考えています。

沖縄では、東京の案件を手がけることが多いのですか?

以前は10割が東京の案件でしたが、最近では沖縄の案件が増えています。東京の案件だけだと、沖縄のクリエイティブ、運営部門のメンバーはお客様と直接お会いする機会がほどんどありません。そうすると、東京でフロントに立つ厳しさが伝わりづらくなってしまいます。つまり、お客様に「怒られる」という経験がなくなり、フロントメンバーとの温度差が出てしまう。社会人教育という観点からも、沖縄の案件を手がけ、お客様と対峙する機会があった方がいいと思っています。

新たなチャレンジ「人材育成事業」をスタート

「NexSeed沖縄」という学校を新しく始めたと伺いました。その学校について教えていただけますか?

今年(2018年)の10月1日に開校しました。なぜ設立したのかというと、やはり採用のためです。先ほど「東京よりも採用しやすい」という理由から、弊社は沖縄に進出したとお話ししましたが、実は近年事情が変わってきています。多くの企業が沖縄に進出したため、採用競争は激化の一途をたどっています。一定の競争は従業員の待遇改善に繋がるので、良い面はあります。しかしあまりに競争が激しくなると企業同士がライバル関係になってしまい、コミュニティの狭い沖縄では、なおさらギスギスしてしまいます。一方、沖縄県の課題として、若年層の失業率の高さや、人材育成が挙げられています。そこで弊社では、優秀な人材を自ら育て、弊社だけではなく様々な企業へ人材を送り出す方が健全で地域のためにもなると考えました。そんな最中、私の知人が、フィリピンで経営する英語とプログラミングの学校「NexSeed」の日本校を作る事業を始めていましたので、タイミングよく「沖縄校を出したい」と手を挙げることができ、開校に至りました。

「NexSeed」では、合宿してプログラミングと英語を同時に学ぶと伺いましたが、短期留学に近いイメージでしょうか?

そうです。3ヶ月間合宿し、集中して学びます。沖縄に住んでいる生徒は通いになりますが、それでも同じ志を持つ人同士が同時に勉強をスタートすることで、学習効果は上がると思います。今後は学ぶ場所だけでなく、卒業後の就職先までしっかり用意しようと考えています。

社員が長く働ける会社にしたい

ランチタイム

これからの御社の展望を教えてください。

社員のライフステージが変化しても働き続けられるよう、柔軟な人事制度を作っていきたいと思っています。そのためには一定の規模感が必要なので、現在沖縄は25名ぐらいの社員数ですが、それを100名ぐらいまで増やしたいと考えています。実は、「1年働いたら1ヶ月休める会社」にするのが私の個人的な夢なのです。しかしその実現のためには、やはり人数がある程度いないと会社が回りません。大きい会社にして大儲けしたいというより、社員がライフステージに合わせて継続的に長く働けるような制度を整えるために、今よりも規模を大きくしたいと思っています。

御社の経営理念に「皆の夢を支援する」とありますが、こちらの実現のためにも「1年働いたら1ヶ月休める会社」という制度は役立ちそうですね。

そうですね。この理念は、お客様の課題や社員の夢を支援するという弊社のスタンスを表していますが、こと社員に関しては、仕事だけでなく個人的な夢も実現してほしいです。

御社のスタッフブログにも「社員の夢を実現する」という企画がありました。みなさん楽しみながら夢を実現されていて、和気あいあいとした雰囲気が伝わってきました。

スタッフブログでは、社員の夢を実現することをコンセプトに記事を作っています。当初は弊社のブランディングの一環として、沖縄の情報サイト「DEEokinawa(でぃーおきなわ・URL:https://www.dee-okinawa.com/)」と一緒に作っていました。DEEokinawaというのは、B級の情報をシュールな切り口で発信しているユニークなサイトなのですが、その要素を取り入れて、他社とは違う個性をアピールしたいと思ったのです。続けた結果、採用活動のブランディングにもつながり、社員の夢実現にも一役買うようになりました。

最後に、一緒に働く方に何を求めますか?

チームワークを大事にするマインドです。弊社は行動理念に「成長と成功を喜び合える」ということを掲げています。自分が成長して、その喜びを互いに分かち合える人と一緒に働きたいですね。

取材日:2018年10月10日 ライター:仲濱 淳

株式会社ラソナ

  • 代表者名:代表取締役 CCOファウンダー 岡村侑哉
         代表取締役 CEO       村元啓介
  • 設立年月:1996年11月
  • 資本金 :9,500万円
  • 事業内容:
    マーケティングにおけるデジタルソリューション(WEBサイトの構築、スマホアプリの開発、広告の作成&掲載等)の提供
  • 所在地:
    東京本社 〒102-0075 東京都千代田区三番町7-14 三番町デュープレックスビズ 2F
         TEL:(+81) 3-3230-0433・ FAX:(+81) 3-3230-0434
    沖縄事務所 〒904-0100 沖縄県中頭郡北谷町宇美浜16番地2 美浜メディアステーション 2階
          TEL:(+81) 98-923-1549
  • URL:https://www.razona.jp/

荒木飛呂彦原画展 JOJO -冒険の波紋-

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2018年11月25日~2019年1月14日まで、大阪文化館・天保山で開催されている「荒木飛呂彦原画展 JOJO -冒険の波紋-」。2018年8月24日~10月1日まで国立新美術館で開催されていた「ジョジョ展」が大阪にもやってきました。

 

展示内容は東京と変更されている部分もあり、大阪でしか見ることが出来ないカラー原画もありました。

また、東京では撮影可能だった大型パネルの展示が無かったので要注意です。

東京より会場が小さい分、作品に迫力を感じることができるし、その会場を活かした展示方法でただ感動するばかりです。

 

東京でも展示されていた新作大型原画「裏切り者は常にいる」の迫力には言葉がでません。

ジョジョの奇妙な冒険の作者、荒木飛呂彦が展覧会のために描きおろした大型原画の全12枚。製作過程が動画で紹介されていましたが、すごいの一言です。

いつまでも見ていられるくらい惹きつけられるし、圧倒されます。

 

 

 

大阪限定のグッズでは、大阪キービジュアルの「DIO」のグッズ、そして「裏切り者は常にいる」のアクリルジオラマなどがあります。

東京で開催されたジョジョ展に行くことが出来なかった方、行った方も是非行ってみてください!

 

 

また現在大阪では原作に登場する「OWSON」(難波)

 

 

ドドドカーを展示する「メルセデスミー」(梅田)

 

 

ジョジョ展を告知する巨大ポスター(梅田)

 

 

オロビアンコとのイタリアンコラボメニューも楽しめます。

 

 

大阪×ジョジョが盛り上がっている今、大阪に行ってジョジョの奇妙な世界を堪能してみてください!!

 

画像:荒木飛呂彦原画展 JOJO -冒険の波紋-より引用・自主撮影

 

クリステ編集部 倉富胡桃

 

地元目線の地方創生を目指して故郷福井で起業。新潟県見附市のプロモーション映像を制作

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近年、国の重要課題の一つとして唱えられている「地方創生」。少子高齢化や都市への人口流出などによる人口減少を憂える多くの自治体が企業誘致や観光開発、移住促進などに取り組んでいますが、顕著な成果が出ない自治体も多いのが現実です。情報産業の大手企業に身を置きながら、そのような実情を目にしてきた村中克成(むらなか かつなり)さん。地方を元気にしたいという思いを胸に、新しい発想と手法で地域の活性化を支援する会社を立ち上げました。

景観や食材など地方の魅力を発掘し、地域の活性化を図る

坂井市の事務所にて

これまでの経歴を教えてください。

NTTグループに25年間勤務していました。⼊社時はNTTが東西会社やコミュニケーションズなどに分かれる前で、ちょうどインターネットの商⽤化に着⼿ しようとしていた時期です。インターネットビジネスのための研究開発を担当し、その⼀環でアメリカ、シリコンバレーのベンチャー企業に出向し、現地でITバブルが崩壊して急遽帰国するなど歴史的な経験をしています。その後は、NTTコミュニケーションズで企業の情報システムの構築や運⽤、コンサルティング業務を行っていました。また、NTTぷららでは、TVとECとを一体化したショッピングサービスの⽴ち上げに取り組みました。ショッピング専用チャンネルの立ち上げや物流網の整備、エンタメを指向したショッピング番組のプロデュースなどいろいろやりました。商品面では、楽天にもアマゾンにも売っていないものとして地⽅の知られざる逸品に着目し、47都道府県のクラフトビールを揃えたり、小売ルートに乗っていない地酒の直販を実現しました。

NTTぷららでのご経験が起業へとつながったのでしょうか。

NTTぷららでは、積極的に⽇本各地へ⾜を運んでいます。そのうちに移住促進の相談なども受けるようになり、自然と仕事が地方創生全般に広がっていきました。地方は、課題が多いのも事実ですが、海や山が身近にありクルマ社会という環境は、かつて体験したシリコンバレーにそっくりです。これからのAI時代に、地方がフロンティアとして都会を牽引していくモデルができれば、日本全体が再び活性化していけるのではないかという思いで仕事をしていました。その思いが強くなりすぎて起業してしまったというわけです。

会社を立ち上げる場所を福井にされたのはなぜですか。

東京で地方創生の会社を立ち上げるという発想はありませんでした。地方の魅力はその唯一無二性にあります。僕はケンタッキーの罠と言っているのですが、近所のKFCが美味しいからといって、アメリカ、ケンタッキー州に行って本場のKFCを食べたいと思う人はいませんよね。東京で発想される地方創生ビジネスの多くは、知らないうちにビジネスの成功が地域からの離脱とイコールになっていることが多い。構造的に落とし穴が空いているんです。それを東京で言うよりは、実際に拠点を地方に置いて地に足をつけて言うべきだろう、故郷の福井は東京の日本列島を挟んだ反対側に位置しているのでちょうどいいんじゃないかと思ったのです。

新潟県見附市の移住促進のためのプロモーション映像を制作

新潟県見附市のプロモーション映像

現在、どのような事業を展開されているのですか。

地⽅⾃治体の観光事業、移住促進などへのアドバイスや提案、それらに関連したPR映像制作や、地域の商品プロデュースなどです。

⾒附市の映像を制作していますね。見附市はどんなところですか?またどのような映像を希望されていたのでしょうか。

2018年1⽉に、新潟県⾒附市の移住促進のためのプロモーション映像『明⽇を、みつけに』を制作しました。見附市は、コンパクトシティの成功例として有名です。病院や商業施設など市内の主要施設がコミュニティバスでつながれていて、地方ではめずらしい自家用車がなくても暮らしやすいまちです。2017年には国⼟交通省の「コンパクトシティ⼤賞」を受賞しています。⾃然も⾝近にあり、⼦どもの医療費助成など⼦育てしやすい環境も⼤きな特徴です。プロモーション映像を作るに当たっては、市長から「受けや流⾏りを狙った映像にはして欲しくない」という⾔葉をいただきました。視聴回数やネットでの拡散ばかりを追求して、実態と乖離した絵空事の映像で市の名前を覚えてもらっても意味が無いというのです。これには痺れましたね。期待以上のものを提案しようとやる気が増しました。

映像制作に当たってどのようなことを重視されましたか。

⾒附市に移住した⼈の⽣の声、本⾳を聞き出そうと考え、多くの移住者の方々に徹底したインタビューを⾏いました。市場調査のノウハウを活かして質問を工夫し、よそ⾏きの⾔葉ではなく素直な感想を引き出しました。その結果、移住のきっかけ、⾒附市を選んだ理由、住んでみての感想など、⾒附市や我々が事前には予想していなかったようなを魅⼒が多く明らかになりました。そこで、それらをできる限りそのままフィルムに収めるにはセミドキュメンタリー形式が最適と考え、ショートムービー『明⽇を、みつけに』を制作したのです。映像制作には、AKBのプロモーションビデオなどを多数⼿がけている制作会社所属のプロデューサーと組んでクオリティを担保し、インディーズの映画で実績のある監督やスタッフと組むことで破格の低予算を実現しました。実際の移住者から自然な言葉を引き出してくれたキャストも素晴らしかったです。ちなみに、監督をお願いした村⼭和也監督は、前作の短編映画『堕ちる』で、2017年バレンシア国際映画祭のグランプリなど三冠を獲得しています。『明⽇を、みつけに』は、見附市のHPで公開中です。地方暮らしの気づきが得られますので、ぜひ見て欲しいですね。

土地の個性を活かしながら、弱みを強みに転換する、地域活性化の戦略的枠組みを考案。

移住促進や観光開発など地方ビジネスにおいては、どのようなことが重要だとお考えですか。

それぞれの地域固有の強みにこだわり、活かすことだと思います。でもこれが難しい。戦略立案には、SWOT(スウォット)という分析ツールがよく使われます。S(strength)は強み、W(weakness)は弱み、O(opportunities)は機会、T(threats)は脅威。これで現状を分析し、機会はあるのに弱みなところは取りこぼさないようにしましょう、弱みで脅威のところは撤退しましょうといった戦略を立てるわけです。しかし、地方ビジネスでこれをやると、たいてい失敗します。弱みばっかり気になるからです。よそにはあるのにウチは無いといった発想が、どこに行ってもゆるキャラやB級グルメばかりといった紋切り型の振興策を生んでしまいます。また、日本列島全体が少子高齢化の脅威の環境にある中で、知名度が低いとか冬は降雪が多いなど地域の状況を弱みと捉えれば、撤退しましょうという戦略が導き出されてしまいます。地域は撤退の対象ではありません。ビジネスの足場なんです。地域のビジネスでは、従来のビジネスの思考の枠組みそのものを⾒直す必要があります。そこで、地域の現状を分析し、活性化のための戦略を考える枠組みを考えました。

地域の現状を分析する枠組とはどのようなものですか。

SWOTに代わるものとして、StW(シチュー)を考案しました。機会も含めた「S( 強み)」と脅威も含めた「W(弱み)」の真ん中に、「Turnaround( 発想の転換) / Trigger(きっかけ)」を置きます。地方にとって弱みを思いつくのは簡単ですから、そこから強みに変えられるものはないかと知恵を絞るのです。
クロスSWOTに代わるのは、UStWC(アストゥック)です。StW(シチュー)の土台となる土地の個性「Uniqueness」は何かを押さえ、戦略の実行にあたっては、予測される確実な未来年表「Chronologize」からベストタイミングを抽出します。例えば、お寺の門前町のビジネスなら、開祖の何回忌だとか秘仏のご開帳だとかを意識するのです。いつまでに実施するかを決めれば、そこから逆算して、いついつに何をすればよいかがはっきりしますし、その土地にとって意味のあるタイミングなので、土地の個性を最大限に活かすことができます。
U(土地の個性)では、「4がら」を意識します。「時節がら(イベント等)」「ひとがら(文化、出身者等)」「くにがら(歴史、交通、産業等)」「土地がら(⾃然環境・農林⽔産鉱業等)」の4つです。時節がらは瞬発力があり即効性がありますが持続力はありません。土地がらはその逆です。土地のどの個性をコアにしているかで、求められるアピールも変わってきます。
こういったオリジナルの枠組も用いながら、クライアントと一緒に戦略を考えていきます。

福井県内で、このツールを使って取り組んでいる事業はありますか。

福井県坂井市の観光ビジョン戦略基本計画策定委員会のメンバーになっているのですが、委員会での私の発言には、これらの枠組みによる発想がベースとなっています。次の新しい戦略基本計画には、これらの発想が活かされているはずです。また、福井県の名産品は越前ガニばかりが有名ですが、UStWC(アストゥック)の発想による商品プロデュースも永平寺町を中心にいくつか進んでいます。4がらの発想で、県内屈指の観光スポットである東尋坊の魅力をいっそう高めていくプランも温めています。

既存のものからストーリーをつくり出す、地域活性そのものがクリエイティブ

企画段階から関与した窓から海が眺められる越前海岸沿いの会員制シェアオフィス"MAREハウス”で

東京から戻られて福井の印象はいかかですか。

⾞で少し⾛れば、海も⼭もあり、週末に全部⾏くことができるのがいいですね。⾃然があるとクリエイティブな発想が⽣まれてきます。私も海岸にあるシェアオフィスでアイデアを練ったりしています。このオフィスのオーナーは内田製材所の社長ですが、地域の持つ力の塊のような方で、よき理解者です。景⾊の⼒が人格に反映している。この出会いも福井で起業したがゆえです。空とか、⽇本海の⼣⽇とか、冬の荒れた海とか、観光地ではない何気ない景⾊にとてつもない⼒がある。これが⼈を豊かにするということにもっと多くの地元の⽅が意識的になるとよいのにと思っています。

景色をはじめ、その土地のありのままをどう発信するかを御社が提案されるということですね。

借景は日本の文化です。国や歴史の意味が問われる今日だからこそ、それらを超えた存在である景⾊が意味を持ちます。これをどうビジネスや地域振興に活かしていくか、そのために知恵を絞る。他所の真似ではなく、その⼟地にふさわしいストー リーを⼀から作り上げていく。それがクリエイティブです。地域活性そのものがクリエイティブだと思っています。

そういったお考えが社名の由来でしょうか。

⼤学の恩師の一人である宮永國⼦博士の著作『The Creative Edge』からいただきました。ビジネスをフィールドにした⽂化⼈類学の本です。エッジというのは最先端という意味もあるし、 端っこという意味もある。端っこの辺境の地こそがクリエイティブを⽣み出すんだよということで、名前を頂戴しました。

今後どのような展望をお持ちですか。

「UStWC(アストゥック)」の発想を活かした地⽅創⽣を目指す中で、まずは⾜元の福井の観光地の再開発、活性化を実現させたいですね。次は、日本海側をはじめ、各地に広く展開していきたいと考えています。「幸福度No1」というのはデータ をもとにした記録ですから、No2やNo3に落ちてしまうと価値が無くなってしまう。「幸福度No1」を記録から記憶へ。「幸福と⾔ったら福井だよね」と感じてもらえるような場所を作りたいと思っています。福井県は「幸福度No1」と⾔われていますが、それを体験できる場所がない。

最後に、これから起業される方にアドバイスをお願いします。

私⾃⾝は、サラリーマンからの⾃然な流れで⼀歩踏み出した気がしています。発端はシリコンバレーでの経験で、それが今とつながっています。⼀⾒関係ないようなことが、実は繋がっていたりするものです。また、起業はさまざまな⼈の流れの中で⾏われるもので、いろんな繋がりがその後⽣きてきます。いま起業の流れにある⼈は、その流れを信じ、うまく活かして⾏ってください。

取材日:2018年10月30日  ライター:井上靖恵

株式会社 クリエイティブ・エッジ

  • 代表者名:代表取締役 村中克成
  • 設立年月:2017年8月
  • 資本金:700万円
  • 事業内容:地域活性化のためのコンサルティング及び映像制作、商品プロデュース、地域開発等
  • 所在地:〒919-0475 福井県坂井市春江町東太郎丸9-12-1
  • URL:http://www.creative-edge.co.jp/
  • お問い合わせ先:info@creative-edge.co.jp

仕事に昇華させた「映像」に惚れ込む思いーー これを次世代に繋げていきたい

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テレモアドットコムは仙台にある映像制作会社です。映像に関する企画立案から撮影、編集、MA(Multi Audio)までをすべて社内で完結させることを強みとする同社は、TVCM、ドキュメンタリーなどのコンテンツにおいて、数多くのアワードを受賞されています。映像にとどまらず、Web・紙媒体・イベント企画と幅広く事業を展開され、多数の団体で役職を務めるなど、精力的に活動されている代表取締役の遠藤 誠 氏にお話を伺いました。

たまたま出会った職が生涯の仕事になりました

映像業界へ入られたきっかけについてお聞かせください

宮城県の石巻市で育ち、将来の方向性をいろいろ模索していたとき、知人からたまたま仙台でカメラマンの募集があるよとご紹介していただいたので、面白そうだなと応募したことが、映像の世界に携わるきっかけとなりました。1975年にカメラマンとしてキャリアスタートしたのですが、途中で一度地元を離れようと思い、1980年(昭和55年)に東京へ行きました。1984年仙台へUターンして、2002年に独立して起業しました。

あえて地元を離れたとのことですが…

仙台市内にあるプロダクションに所属して、5年ほど宮城県の民放局で報道カメラマンとして働いておりましたが、続けているうちにこの仕事に惚れ込んだんですね。「映像の業界で一生やっていく」と決めたことから、将来のために一度地元を離れようと思いました。そのときの自分が一番欲していたのは全国に広がる人脈だったからです。とにかく東京にいる間は寝る間を惜しんで遊ぶことも含めて、人とつながることを意識して過ごしていました。このネットワークは後の独立時、仕事に繋がるありがたい存在となり現在も活きています。

同時に、事件件数やドキュメンタリー番組の多様性、取材対象先が海外まで広がるなど、様々な経験ができるキー局を含む中央と言われるところの仕事をしてみたかったのです。当時のNTV映像センターで、情報系番組と日本テレビの報道カメラ、ドキュメンタリーを担当しました。因みに当時報道された大きな事件には、ホテルニュージャパン火災、日航機羽田沖墜落事故などがありました。

仙台に戻ってからはどのような仕事をされたのでしょうか

以前とは違う会社に所属して独立まで在籍しました。カメラマンとして宮城県の各民放局で情報番組や旅番組、スポーツ番組の制作を担当し、ディレクター、監督といった制作の仕事だけでなく、クライアントとの打ち合わせや交渉を行うプロデューサーとしての業務、さらには会社の管理系の仕事など、幅広く経験を積める環境に身を置かせていただきました。

カメラマンという職から遠ざかることに抵抗感はなかったのでしょうか

われわれ技術者は職人気質で、映像を作ること以外に発生する様々な交渉事や、制作コスト管理などが苦手な人が多いのですが、たまたま私にはそれが無理なく行えたということに加えて、カメラマンでなくても映像制作の一環としての仕事ですから、抵抗感というものはありませんでした。これは後に独立するにあたって、必要かつ貴重な経験だったと思っています。

映像が好きという理由は「ゴールがないこと」

映像制作に携わるうえで大切にされているこだわりや魅力というものはなんですか?

映像の評価の一つにTV視聴率があります。視聴率5%とは宮城県の人口が約200万人として、その5%の10万人の方がその番組を見ているという状況です。報道カメラマン時代に先輩から「お前はその10万人の代表として取材しているという緊張感をもって現場に臨め」と映像を撮ることに対する気概というものを叩き込まれました。 また、「10人の方が全員いいねというのは嘘、6~8割のいいねで成功だ」と言われて育ちました。素晴らしい作品を作っても、10割がいいというものには個性が無く、私の個性が加われば必ず反対する人がいるから、6割がいいということを目標にすればいいのだと。結局、ものづくりにはゴールはないからそれが魅力なのだと思います。

会社を立ち上げたのは社内一貫で完結する制作を行うため

社内で一貫して完結させることが御社の強みとのことですが

カメラマンの多くは会社を辞めてから、フリーランスになることが多いのですが、すでに40代でしたから、フリーランスでスタートするには遅いと思っておりました。また、クライアントからの発注を受け、企画立案から制作、納品までをフリーランスの立場で行うのは難しいので、一貫した映像制作を行える環境を作るため、会社を立ち上げるに至りました。

現在の事業内容についてお聞かせください

TV番組・CMの映像制作をはじめ、ホームページや紙媒体の制作、イベント企画も行っています。当社の特徴は映像制作会社としては珍しく営業担当者とデザイナーが在籍することです。営業担当はクライアントの開拓とともに、企画立案を行うチームです。デザイナーはWeb制作からパンフレットなどの紙媒体も担当しています。過去はTVと新聞が主な媒体でしたが、現在は多岐にわたっています。ひとつの媒体に特化していくよりも、幅広く対応できることが、勝ち残るキー(鍵)であると思っています。

そのうえで映像が御社のコアスキルとのことですが

例えば、ある企業に「CM制作をしませんか?」と営業に伺っても、9割9分門前払いです。しかし、ホームページはみなさんお持ちなので、そのリニューアルの提案であれば門戸を開いていただけます。そこでホームページリニューアルをきっかけとして、パンフレット、チラシも作り直したいというご要望が出たりと、クライアントにお応えしていくなかで、ホームページ内の映像制作やCM、VP制作のご提案をしていきます。あくまでも最終的な目的は当社の最大の強みである映像制作なのだという意識を、社員にも共有してもらっています。

社内一貫で完結するメリットについてお聞かせください

何をしている会社なのと聞かれれば、地上波・紙・インターネットなどの媒体に載るものは全てコンテンツですから、コンテンツ制作の会社ですと答えます。質の高い技術によるコンテンツを、自信をもってお客様に届けるために、編集スタジオなどハード面を整え、オペレーティングも社員が行うという、社内で一貫してコンテンツが制作できる体制を整えています。結果として、外注費を抑え製作期間を圧縮しコストを抑えられることと、重要である技術者やプロデューサーの人材育成も行えるというメリットが生まれます。

社員はいつでも独立出来るスキルを持ちなさいと伝えています

人材育成についてお聞かせください

人材を育成するということは、いろいろな経験ができる環境を用意する、分からないことは徹底して教えるということです。当社では、TV局の各番組制作をはじめ、CM制作、編集、MAや、プロデューサー業務など、いろいろな経験をとおして、何が一番好きか、向いているかを考えて分野を選ぶことができる環境があります。そこで技術を磨いてスキルを向上させ、もっと高みを目指してほしい。フリーランスになったとして「テレモアドットコム出身だったら大丈夫」と言われる状態になるまで育てるのが私の仕事です。

経験を広げることの重要性についてお聞かせください

一例ですが、現在海外に向けた東北の観光情報番組を制作すると同時に、仙台に海外の撮影クルーを招聘するという海外展開を行っています。担当する社員は、相手の仕事の進め方を尊重することや、自分たちの進め方との違いを知り、今がベストではないということが分かります。また、海外のレポーターやディレクターとのネットワークを作るチャンスだとも言ってます。かつて地元を離れた私自身の経験から、次の世代の方にもぜひ自分自身のネットワークを作ってほしいと伝えたいですね。

これが好きだと思う仕事に出会ったら3年は続けてみてほしい

クリエイターを目指す方たちにメッセージをいただけますか

カメラマンだと一人前と言われるまで10年かかりますが、どのような仕事でも3年経験したところから、面白みややりがいが生まれてくると思います。こと映像づくりに関して言えば、映像が好きな人には楽しいはずなのです。学生時代の学びと仕事現場のギャップはあって当然という心構えが必要ということと、本人には経験していないので見えないですが、先輩からは「あと少し進めば分かる」と見えてますので、好きならば続けていくと楽しくなってくるから頑張れと言いたいです。

私の時代は可能性を広げるためには、なんでもかんでも東京に行かなければできませんでした。しかしいまWebを使えば、どこにいても世界を目指すことができます。日本を超えていけるのです。実際に、世界的規模の企業からWebに関する新商品を試用してほしいと依頼されるほどのクリエイターが仙台にいます。当然ですが努力は必要です。好きなことをあきらめず追い続け、経験から生まれる可能性に挑戦し続けてほしいですね。

取材日:2018年10月26日 ライター:桐生由規

株式会社テレモアドットコム

  • 代表者名:代表取締役 遠藤 誠
  • 設立年月:2018年6月
  • 資本金:2,000万円
  • 事業内容:
  • · 映像コンテンツ制作、CM制作、番組制作、企画から撮影、編集、CG合成、MA等映像に関する総合制作プロダクション業務
  • · イベントの企画・運営や海外を含めたグローバルなコンテンツ発信の制作業務
  • · 大学を主とした産学連携推進のためのコーディネート、研究プロジェクトなどの広報戦略業務
  • · WEBコンテンツやWEBサイト制作、広告全般に関わる企画立案及びデザイン・制作代理業務
  • 所在地:〒980-0811 宮城県仙台市青葉区一番町2丁目8番10号あいおいニッセイ同和損保仙台一番町ビル5階
  • TEL:022-261-9481
  • FAX:022-261-9482
  • URL:https://www.tele-more.com/

「感動」を生み出す仕事

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「IT」を軸にした様々なソリューションで、約3,300社もの企業をサポートする有限会社タッチ。20代で独立を果たし、20年にわたってさまざまなビジネスを手がけてきた。学生時代からの念願であった「人工知能」の関連ビジネスにチャレンジする代表の田島 秀和(たじま ひでかず)氏に、起業までのストーリーや時代の一歩先を見据えて成功させてきた事業、仕事のやりがいや若いクリエイターへのアドバイスなどを伺いました。

将来は「人工知能」の分野で活躍したい!

高校時代には、どんな夢を描いておられましたか?

コンピューター関連の部活動をしていたこともあり、将来は「人工知能」の分野で活躍するという夢を抱いていました。とはいえ、当時はまだインターネットも普及していない時代。「AI (Artificial Intelligence)」という言葉がやっと生まれた頃でした。

卒業後は大学で人工知能を学ばれたのでしょうか?

人工知能が学べる大学に進みました。当時、心理学の領域はあるものの、私の学びたいことがある大学はほとんどなかったのですが、トライデントコンピュータ専門学校の「人工知能学科」は、まさに私の学びたいことが学べる学科でした。

学校生活はいかがでしたか?

当時取得できるプログラミングなどの資格を1年目でほぼ取ってしまったため、余暇を利用して学生生活を謳歌しました(笑)。日本1周ではなく日本2周を実現したり、阪神・淡路大震災のボランティアとして神戸に足を運んだりしました。旅行やボランティアのためには資金が必要で、そのためにアルバイトを4つほど掛け持ちしている状態。そのため、単位が足りなくなって卒業の危機に陥ってしまいました。

どうやって解決されたのですか?

当時の担任がとても良い方で、私の状況を知って解決してくれました。「学校にも来れるし、お金も稼げる一石二鳥の仕事をやる!」といってご紹介いただいたのが、なんと通っている専門学校の講師のお手伝い。学生として通いながらコンピュータの授業を講師の目線で担当して単位も無事に取得し、そのまま講師として独立することになりました。それが、有限会社タッチを立ち上げるきっかけになったのです。

お客様の感動体験が、仕事のモチベーションに

御社が手がけてきたビジネスについて教えてください。

設立当初から一貫して手がけてきたのが「IT」に関連するビジネスです。デザインオフィスタッチとしてスタートしたデザイン&印刷の事業を皮切りに、パソコンスクールやホームページ運用・制作、ホスティングサービス、パソコンや周辺機器の販売、携帯電話の販売、サポートセンター事業など、時代の流れに合わせてさまざまなIT関連事業を展開してきました。 スクール講師としては、縁あって全国の商工会議所を巡り、パソコンの講座で日本3周目を。インターネット講座で日本4周を達成しました(笑)。

現在の柱となっているのが、法人サポートとホームページ制作、そして企業研修・セミナーの3つの事業です。法人サポートとしてはITパートナーとして約3,300社のお客様を持ち、ホームページ制作ではシステム開発からクラウド連携、目標を達成するための更新サポートまでを行っています。企業研修・セミナーでは基礎的なスキルアップから最先端の情報提供まで、幅広い講習会をサポートしています。

社名「有限会社タッチ」の由来を教えていただけますか?

「タッチ( TOUCH)」には「触れる」という意味以外に「絵筆のタッチ」や「人を感動させる」といった意味があります。また、私のニックネームが「たっちゃん」だったこともあり、覚えやすいこの社名に決めました。設立当初はほとんどの方が「触れる」という意味でしか認識がなく、馴染みの薄いネーミングでしたが、タッチパネルの普及によってIT業界でも「タッチ」という言葉が広く浸透したのかなと考えています。

社長が仕事のやりがいを感じる時を教えてください。

やりがいを感じるのは、当社のサービスやセミナーを通じて私と出会い、触れ合った方々が『感動する瞬間』を見届ける時です。例えば、20年来のお客様に現在事業化を進めているロボットを持ち込むと、「田島社長がまた何か持ってきた!」「未来が見れる!」「すごい!」と大喜びしてくれるんです。お客様がワクワクドキドキしている様子や驚いている姿、笑っている姿を見ると、私も感動して思わず泣いてしまいそうになります。この気持ちは、専門学校で講師をしていた頃からずっと変わっていません。

描いた未来に、時代が追いついてきた!

御社の今後の展望についてお聞かせください。

今後、特に力を入れていきたいのが「人工知能」の分野です。私が高校時代に描いた未来に、やっと時代が追いついてきました。昨年の夏に名古屋で開催されたロボットによる世界規模のサッカー大会「ロボカップ2017」では、日本のチームがみごと優勝しました。当社ではヒューマノイドロボット「NAO」を活用した事業を進めており、実際に愛知県のロボット教育プログラムを当社で手掛けています。2050年までに人型ロボットでサッカーのワールドカップチャンピオンに勝つ!という夢に向かって、世界中のエンジニアが研究開発を進めています。当社の教え子が活躍するのが楽しみです。人工知能に関連するキーワードは今後「クラウド」から「エッジコンピューティング」にシフトしていきますので、その知見も増やしていきます。

※1 「端末の近くにサーバを分散配置する」ネットワーク技法のひとつを意味します。ユーザや端末の近くでデータ処理することで、上位システムへの負荷や通信遅延を解消します。

他事業の展望もお聞かせいただけますか?

セミナーでは、「働き方改革」の分野に力を入れていこうと考えています。すでに超大手をはじめとする多くの企業からセミナーの依頼を受け、テレワークなどITを活用した働き方のノウハウを提供しています。「働き方改革」という言葉には、現状はネガティブなイメージがついてしまっているかもしれません。しかし、IT活用で時間を短縮することで余暇や家族との時間を増やす本当の意味での働き方改革を普及していこうと考えています。

また、法人サポートの分野では2020年1月14日にWindows7のサポートが終了するため、今後Windows10への移行が一気に進むと予想されます。3,000社を超えるお客様に適切なサポートを行うため、ノートパソコンの確保などをしっかり進めていく予定です。

当社は現在25名ほどの規模なのですが、今後の事業展開を考えて少なくとも倍の規模にしようと採用活動にも力を入れています。

最後に、世の中のクリエイターにメッセージをお願いします。

デザイナーやシステム・プログラミングなどに携わる若いクリエイターは「かっこいいもの」を作ろうとする傾向があると感じます。しかし私自身は、そのような「かっこつけ」はいらないと考えています。それよりも大切なのは、『クリエイティブの力で目的を達成すること』。例えば、かっこいいデザインをしてお客様が喜んだとしても、売上アップなど本来の目的を達成することができなければ、それはただの自己満足です。逆に、目的を達成するためなら、デザインの枠だけで考えるのではなく、あらゆる手段を使っていいと思うのです。お客様の目標を達成するために、持てる知識や技術を総動員する。それが、プロの仕事だと思います。

取材日:2018年10月19日

有限会社タッチ

  • 代表者名:田島 秀和
  • 設立年月:1999年8月
  • 事業内容:法人パソコンサポート/ホームページ制作・ 更新・SEO/物販・新規導入/企業研修・セミナー講師/顧問契約・提携業務/クラウド・システム開発・アプリ
  • 所在地:〒468-0058 愛知県名古屋市天白区植田西1-522
  • URL:https://www.touch.co.jp
  • お問い合わせ先:052-806-8899(クラウド)

他業種とコラボレーションし、新たな本の魅力を創造する

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大学入試過去問題集として知られる「赤本」などの学習書や参考書を軸に印刷業務で発展してきた共同印刷工業は京都に本社を構える創業70年の印刷会社です。当初、書籍の印刷だけに特化してきましたが、2015年から代表取締役社長に就任した江戸孝典(えど たかのり)さんが指揮を取られ、印刷だけでなくデザイン・製本などの書籍に関するトータルプロデュースを行える組織改革を推し進め、今の事業内容に至ります。これまでの経緯やインターネット時代を生き抜くビジョンなど、江戸さんからお話を伺いました。

生き抜くために必要だった組織改革

入社されるまでの江戸さんのキャリアについて教えてください。

当社は祖父が70年前に設立した会社で、父が跡を継ぎ、私が三代目に当たります。印刷業が大変ということは幼い頃から両親を見て知っていましたし、父からも「お前には印刷業は向いていない。自分の好きなように生きろ。」と言われていたので、自分が当社を承継するとは思ってもいませんでした。今から思えば、大変な仕事なので、子供には継がせたくないという父の優しさがあったのでしょう。しかし、就職活動時、真剣に自分の人生と向き合い、やはり家業を継ぐという決意に至ったのです。まずは別の印刷会社で修行したいと思い、当社とつながりのある印刷会社で4年ほど勉強させていただきました。そして、29歳の時、当社に戻りました。その時、感じたことは「様々な面で遅れている」ということでした。他の印刷会社が業態変革を進めている中、当社は相変わらず書籍本文の組版と印刷業務だけを行なっていたのです。これからの時代を生き抜くためにはこれではいけないと思ったのですが、正直、何から手を付けていいものか悩みました。

現在、デザインなど印刷に関わるあらゆる業務を行なわれていますが、どのように組織改革を行われたのですか?

まずは自分が目指しているトータルな業務を行えるように、新たな設備を投入するなどあらゆることを決断していきました。大変だったのは職人気質な社員の意識改革と新たな人材の登用です。当初は書籍の組版と印刷業務に特化していたのですが、時代とともに印刷会社に求められる業務が増えてきて、その流れで必要な人材も増え、書籍の表紙のデザインなども手がけるようになりました。

会社を成長させる上で大切にしていることを教えてください。

生産力や価格競争だけでは大規模な会社には勝てないので、ものづくり面の強化もしつつ、お客様をトータルにサポートし、近い距離で信頼を得ることに重きを置いています。例えば、部数の少ない書籍の印刷・製本や、紙以外のメディアにも対応しています。あらゆる作業に対応できる人材はそろっていますし、「当社にお願いしたい」というお客様を大切にすることが仕事につながっていると実感しています。

垣根を超えた多くの出会いを力に変えて

本ばなれが進む昨今において、どのようなビジョンをお持ちでしょうか?

印刷物の需要が減少するというマクロの影響はもちろん受けると思いますが、それでも「書籍の魅力」が減る訳ではありません。もちろんコストダウンや短納期対応は当然としても、ただ出版業界の動きにぶら下がるのではなく、自分たちも業界の一員という意識を持って、読者の方に本の魅力を伝えることをやっていきたいと思っています。

会社として、仕事をする上で大切にしていることはなんでしょうか?

特に若い社員に向けてよく言っていることなのですが、2〜3年ほどの中期的な目標を立てることを大切にしています。長期的な目標ではぼやけてしまい、短期的な目標では達成の良し悪しがはっきりとしすぎる。つまり、中期的な目標が最適なのです。中期的な目標を達成するためには、今日何をやればいいか、来月はどこまでできていればいいか、「先」を見据えることで「今」を見い出せるだけでなく、常に自分を奮い立たせるためにも有効かと思っています。

若い社員に期待することはなんでしょうか?

将来において、今ある仕事が継続し続けるとは限らないので、枠にとらわれず自由な発想で、自ら新しい仕事を生み出すという気持ちで仕事に従事して欲しいです。多くの出会いを経験することで、普通の人が気づかない視点で新たな魅力を発見できますし、また新たな出会いの接点が生まれることもあります。そういう自由な感覚でチャレンジし続けることが大切です。

御社が定期的に開催している「FRAME」というイベントはまさに出会いの場になるのではないかと思います。その「FRAME」の開催に至った経緯を教えてください。

これまで商品の勉強会やセミナーなどに社員を参加させていたのですが、自分たちでイベントを開催し、社員だけでなくいろんな会社に参加していただくことで、新たな出会いにつながったり、会社の垣根を超えていろんなコミュニティーができ、いずれ魅力的な書籍が生まれるのではないかと思ったのです。それは最終的には書籍を購入するお客様への貢献にもつながるので、まさに当社の求める流れかと思っています。今後は「FRAME」だけでなく、本にまつわるいろんな人たちといろんなコラボレーションをしていきたいと考えています。

最後に若きクリエイターの方に向けてアドバイスをお願いします。

クリエイティブな能力を持った方は一般の方と比べると特定のことに関心が高かったり、違う視点で物事を見ていたりということがあると思うのですが、クリエイティブで収入を得ようと思うと、クライアントの意向を受け止め、その中で自分らしさを追求しないといけなくなります。クライアントのニーズは多岐に渡る上、時代とともに移り変わるので、先入観を持たずに好きなものだけではなくて、周りにあるさまざまなものに触れて、仕事に生かしていただければと思います。

取材日:2018年11月15日 ライター:大垣知哉

共同印刷工業株式会社

  • 代表者名:代表取締役 江戸孝典
  • 設立年月:1948年11月
  • 資本金:2,500万円
  • 事業内容:各種印刷、編集、デザイン、印刷、製本、 加工、発送、在庫など
  • 所在地:〒615-0052 京都府京都市右京区西院清水町 156-1
  • Tel:075-313-1010
  • URL:https://www.kppi.co.jp

利用者と提供者の“心とココロをつなぐ” クリエイティブな地域活性化活動で皆を元気に!

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「人に感動を与えられるミュージシャンに嫉妬しています」と話すのは、スターファクトリーの宮本社長。印刷からWeb、動画の制作やイベントの企画・運営まで幅広く事業を展開する中で、音楽が人に与える感動や力をクリエイティブで表現したいとの想いから、形だけの作品ではなく、クライアントや読者との「心のつながり」を感じられるものを追い求めています。今後は特にACTIVATION(アクティベーション)という地域活性化等「心とココロをつなぐ」事業に力を入れていきたいと展望を語る宮本社長に、自身が奏でる心の通ったスターファクトリー流の取り組みを中心にお話をうかがいました。

新しいことを怖がっていたら一生飛べない⁉

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この業界に入られたきっかけは何ですか?

元々サッカーが大好きだったことや、マウンテンバイク選手の友人がよく取材で話したことと記事内容が違うと不満を口にしていたので、選手の想いと読者をうまく繋げられるようなスポーツライターになりたいと思ったのがきっかけです。当時、専門の養成講座を東京にしか見つけることができなかったので、毎週日曜に東京行きの夜行バスに乗り、月曜の講座を受けて、その日の夜にまたバスに乗って翌朝大阪に戻りそのままバイトに行くという生活を1年位続けていました。そこで知り合いになった人の関係で日韓ワールドカップのニュース速報を1ヶ月位担当させてもらい、大阪に戻ってからも、とにかくこの仕事がしたかったので、関西のJリーグチームに直接電話をかけて、週に1回グラウンドに行って監督のコメントをもらうなどして記事を書いていました。

念願のスポーツライターになられたのですね。

バイトと掛け持ちをしながらライターをしていたのですが、本職にしたいと思い約15年前に旅行関係や地域情報紙を作っている編集プロダクションに入社したんです。そこではライティング以外の編集の仕事もさせてもらえたので、広告や営業の仕事も面白いと思うようになりました。ライターだけというよりは、クリエイティブ全般で何かを伝える方が楽しくなって、チラシやロゴ、看板の制作などプロモーションも含めたクリエイターの仕事で、やりたいようにしたいと思うようになり独立したんです。

起業当初はどのようなことを手掛けられていたのですか?

当初は紙媒体のみを扱っていました。僕自身新しい事に挑戦するのがすごく好きで、よく例えで言うのが、初めての所へ飛び込む時に骨折まではいいと言うんです。怖がっていたら一生飛べませんからね。初めての事って知識も足りないし、結構なトラブルも起こるし、やり直しが入ったりするので、怪我する事を前提にして取り組まなければいけません。でも一回飛べば高さもわかるので、次は分かった状態で取り組む事ができるようになり、その結果、今では印刷物の他にWebやイベント、映像にも従事しています。特に映像なんて最初は散々でした。取材でインタビューしている所を記録として残して簡単な編集をしていたのですが、プロモーションやイメージ映像などクライアントからの色々な要望に応える内に、怪我をしながらでもそれが出来るようになり、今では毎月の売上の柱の一角になりつつあるんです。

会社としてかなり積極的に新しいことに取り組まれているので事業内容も幅広いですね。

事業の柱としては3つあって、1つめは今まで蓄積してきた取材、ライティングや雑誌の編集、フリーペーパーや企業の会報誌、BtoB向けのカタログなど読み物的なものの制作、2つめは代理店経由が多いのですが、企業やメーカー等の商品の印刷物やWeb、映像も含めた全体的なプロモーションを提案・企画書作成から制作までを行っています。3つめはこれから特に注力していきたいACTIVATION(アクティベーション)という地方活性などの分野です。

故郷を離れ、ふるさとの大切さを知った

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国も地方創生を喫緊(きっきん)の課題に挙げていますが、その分野に取り組まれたきっかけは何ですか?

私は高知県の離島出身者で、過疎化が進む中いずれは何かの形で故郷に貢献したいと考えていたんですが、日々の業務に追われ何もできていなかったんです。起業して約10年が経ち僕も40歳の節目を迎えたことをきっかけに、原点に一度立ち返ろうと思い、僕に出来ることってクリエイティブで故郷を含め地域に貢献することではないかと考えたのがACTIVATIONです。そんな時に仕事でつながりのあった大阪高槻市の洋菓子店から、利用客が少ない地元商店街を盛り上げてほしいと依頼されたんです。ACTIVATIONの取り組みとして、色々と策を練る中で子供たちに地元愛とまではいかないにしても、地元での楽しい想い出として残るようなことをしたい、将来に夢を持ってもらいたいという想いから、商店街の店舗の厨房等至る所で「とんだ和っかデイ」と題した子供たちの職業体験を実施したんです。最初、商店街側に提案しに行っても全然取り合ってくれなかったのですが、地道に説明をし続けた結果、最終的には教育委員会や商店街から協賛していただき実施することができました。

イベントの手応えはいかがでしたか?

今年で7年目になるのですが、とにかく参加者からの評判が良くてすぐに定員がいっぱいになるんです。地元の新聞やケーブルテレビにも取り上げられたり、他の地域でも同じようなイベントを実施したりするなど拡大しています。今では当時小学生だった子供たちがイベントの手伝いに来てくれるんです。その内就職する歳になる人も出てくるので、反応が楽しみです。

現在のACTIVATIONの取り組みを教えてください。

大阪のツアー会社とリニューアルしたWebサイト「OSAKA旅めがね」の企画・運営です。大阪の魅力を発信する3部構成にしていて、1部は地元のガイドだからこそ知っている面白いお店情報等を毎月配信しています。取材には産学連携事業としてライターを志す学生に授業の一環として取材・記事作成を担当してもらっています。2部は、個性豊かな外国人ガイドによるスポット紹介で外国人観光客に受けているようです。3部は趣向を凝らしたツアー紹介をしています。今年(2018年)リニューアルしたばかりなのですが、グッドデザイン賞(主催:公益財団法人日本デザイン振興会)で「私の選んだ一品・2018年度グッドデザイン賞審査委員セレクション」に選んでいただきました。単純に街を紹介するサイトではなくて、インバウンドも含めた観光客とガイド、またガイドと学生ライター、学生ライターと読者をつなぐといった人と人とをつなぐところが評価されたようです。他にも「八尾市ダンスプロジェクト」といって、大阪府八尾市の様々な観光地で、市長をはじめ消防士や大病院の院長、地元の大手企業をはじめとした働く人々にフラッシュモブで踊ってもらうという観光誘致用のムービーを制作し、市のPR活動の一端を担いました。

大阪以外ではどのような活動をされているのですか?

高知県、沖の島のWebサイトを年内(2018年)に公開する予定で制作しています。島の情報を提供するだけではなく、島を出た人が離れていても繋がることができるよう、島を想っている人を取材したり、閲覧者同士が自由にリンクをはって交流することができたり、島を360度カメラで撮影しWebサイトを通してバーチャル体験をしてもらうなどコンテンツの充実を図っています。また、京都市の事業でコインロッカーやホテルに荷物を預けて、手ぶらで観光を楽しんでもらう「ハンズフリー京都」のPR活動が来年から実施される予定ですが、その一環としてYouTubeで全世界に配信されるムービーの担当もしています。

御社の幅広い事業内容が活かされていますね。ACTIVATIONを展開される中でこだわっていることはありますか?

地方出身の僕が思うのは、一方通行の地域活性ではなく、住人にとってもプラスになるものじゃないと意味がないと思っていて、訪れる人と住民のお互いの心が通じるということが大切だと考えています。アート等を展示することにより、観光客誘致を図るプロジェクトがあるのですが、島と直接関連がなければ、住民の多くはそのアートに興味がないと思うんです。

なるほど、心が置き去りにされている感はありますね。宮本社長がこれまでに取り組まれたことがあれば教えてください。

以前、島の花火大会の際に海から上がる花火に見立てて、島の浜で取れた流木にエアープランツをつけた物を育て方のリーフレット付きで観光客等にお渡ししたのです。エアープランツに水をあげる度に島を思い出し、島を忘れずにまた来てくださいといった想いをこめたもので、そういった心が入ることを大切にしたいと思っています。今後は事業として成り立たせられるよう、そういった取り組みに利益を生み出すことができるようにしていくことが弊社の目指すところになります。また、ACTIVATIONは地域にだけこだわっているのではなく、少子化や核家族化、デジタル社会といわれる中、逆にリアルなものに触れる子供の教育など、クリエイティブを使ってより良い方向に持っていけるようになることも考えています。

具体的にはどのようなことですか?

大阪の箕面市にリニューアルするホテルがあって、改装期間中に忘れられないように準備期間用のサイトを用意しています。建物を壊す前に子供たちと壁に思いっきり落書きをして、掲載内容の一つとしてその様子を動画で配信予定です。子供たちはデジタルだけではなくリアルなものに触れることで情操教育や思い出づくりにもつながり、ホテル側にしても話題性もあり、改装期間も印象付けることができ、リニューアルオープン後の集客率も期待できると考えています。

音楽のパワーをクリエイティブでも届けたい

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次々と興味深い企画に取り組まれていますね。その中で大切にされていることはありますか。

よく僕は「ミュージシャンに嫉妬しています」と言っているんですが、音楽の力ってすごいじゃないですか。ライブに行くとその場で盛り上がれるし、日常でも元気づけられたり感動があったり、悲しみが軽減したり……、僕たちも見栄え良くカタチを形成していくだけの仕事ではなく、クリエイティブでも同じようなパワーを届けられることを考えて取り組んでいます。後、お客様のニーズを大切にしていて、弊社は、デザイナーやライター、編集にもスキルのある色々なジャンルの人材が揃っており、協力しながら提案からトータルでも対応できますし、それぞれの分野のみでも受けることができます。ヒアリングをキチンとした中で、特にWebや紙などアウトプットにこだわらず、そこに適しているものを提案できるのが強みにもなっています。僕自身人の話を聞くのが大好きで、クライアントからは弊社は求められていることを掴むのが早いと言っていただき、そこを気に入って長いお付き合いをしていただいているようです。

今後はどのような方向性をお考えですか。

「ACTIVATION」を発展させていくことで、子供の情操教育や高齢者の介護用品のメーカー・企業等が心に響くクリエイティブで商品㏚をしたいという時や、地域の商店街や自治体など、クリエイティブで地域を活性化するプロモーションやツールが必要になった時など「スターファクトリー」を思い出していただけるようになっていきたいです。自社のホームページ等でどんどん発信していき、世の中にもっと認識されるように取り組んでいきたいと思います。

取材日:2018年10月30日 ライター:川原 珠美

株式会社StarFACTORY

  • 代表者名:代表取締役 宮本 司
  • 設立年月:2007年4月
  • 資本金:300万円
  • 事業内容:広告媒体及び雑誌媒体のデザイン・制作・編集
  • 所在地:大阪事務所 〒550-0012 大阪市西区立売堀1-10-3 タブチビル3F
  •     東京事務所 〒166-0002 東京都杉並区高円寺北1-23-6 アスコット高円寺302号室
  • URL:http://starfactory-inc.com/about/
  • お問い合わせ先:06-6534-6733

サービスも組織も常にアップデート!

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水産加工品卸販売からスタートし、現在ではWebサイトやECサイト制作、クラウドソリューションの提供なども行う株式会社エフケー。自社で実際にサービスを運用し蓄積した経験やノウハウを武器に、Google Appsリセラーの認定を受けGoogleのパートナー企業としても活躍中。今回はICT事業部部長の松永仁博氏に、水産加工品卸からクラウドソリューションへと事業の柱を大きく転換した経緯や、北海道の企業の間でも認知度が高まるクラウドツール活用のお話、今後の展望などについてお聞きしました。

水産加工品卸販売からスタートし、10年で事業の柱を大きく転換

御社の事業内容を教えてください。

水産加工品卸販売と商品配送、それからWebサイトやECサイトの制作・運用、クラウドソリューションの提供やコンサルディング、一昨年くらいからはガチャガチャの中身の販売も行っています。私自身はICT事業部でWebやクラウドソリューションの受注、導入・運用サポート、制作ディレクションなどを担当しています。

「水産加工品卸」と「Web制作」ではかなり業種が違うように感じるのですが、どのような経緯があったのでしょうか。

もともとは2008年に「ふじ観光企画株式会社」という社名で水産加工品卸販売業をスタートしました。当初は卸販売がメインなのでお付き合いのある企業との取引が中心。当時はまだスマホではなくガラケーの時代で、インターネットで食品を買うということはあまり一般的ではありませんでしたが、「インターネットショッピング」自体は一気に広がっている時期で、お付き合いのある企業さんからも「食品の卸や小売りでインターネットを使って売るのはどうだろうか?」という相談を受けるようになったんです。あまりに相談が多いので「これは需要があるのかも」と思って自分たちでもECサイトでの販売をスタートし、同時に自社で試して得たノウハウを他社へも提供させていただくようになりました。

クラウドソリューションの提供についても同じ流れで始まったのですか?

WebサイトやECサイトの構築、運用をするためにはクライアント企業とリアルタイムに密なやり取りをしなくてはいけません。そのために便利なツールはないかと探した結果、Googleのクラウドツールにたどり着きました。クラウドツールについても、まずは自社で取り入れて社内で運用してみてから本当に使いやすいと思ったものだけをご提案することにしました。

新時代の業務効率改善ツールを提案

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「クラウドソリューションの提供」とは具体的にどんなものですか?

メインでご案内しているのはGoogleが提供するG Suiteというクラウドサービスです。簡単に言うとGmailの企業版のようなもので、企業独自のドメインのメールや共有カレンダー、チャットツール、クラウドストレージなどを使うことができます。当社はG Suiteの提案や導入サポートを行う正規代理店「Google Appsリセラー」にも認定されており、ゴールドサポーターとしてGoogleのパートナー企業という立ち位置です。 クラウドサービスを導入して作業効率を上げようというのは最近ではすでにポピュラーな考え方で、北海道でも認知度は少しずつ増えてきています。Google Suiteは非常に使いやすいサービスで、あまり難しいことはなくパソコンやGoogleに馴染みのある方なら割と直感的に使えるのが魅力です。

北海道ではG Suiteの導入率はどのくらいなのでしょうか

北海道の企業での導入率は非常に低いです。業務基幹システムに関しては、「現状でまわっているならわざわざコストをかけて変える必要がない」と思っている方がとても多く、目的は業務効率改善なのですが、導入時にどうしても新規コストがかかるので、そこで足踏みをしてしまって、その先まで考えられていないというのが現状です。単純に新しいツールなのでよくわからないという方も多いですね。もちろん全てにおいてGoogleが万能なわけではないので、色々なツールと比較検討することも大切ですが、長い目で見るとセキュリティや保守、社内教育の部分も含めてコスト的に見合う場合が多いんですよ。北海道では意外に大手企業がクラウドツールを積極的に取り入れています。

御社の強みはどんなところにあると考えていますか?

当社で提案しているサービスや商品は基本的に自社で実際に運用しているものばかりなので、自動的に知見やノウハウが蓄積されますし、そこに特別コストをかけなくて良い分、他社と比べても比較的安価でご案内することができます。自分たちも便利に使っているサービスなので、自信を持ってご案内することができています。特にGoogleのサービスは短いスパンでどんどんアップデートされサービス内容が変更されたり増えたりしますので、「提案するための勉強」だと覚えることに必死になってしまうと思うのです。その点、当社ではすべて実際に社内でも運用しているので、アップデートや仕様変更に際して問い合わせをいただいてもすぐに対応することができます。 また、会社のスタートがWeb関連ではなかったということも強みかなと思っています。食品卸流通といった現場仕事をスタートに色々なことをやってきたからこそ、クライアントの本当のニーズを正しく把握し、ソリューション提案をすることができているのではないかと思います。

好きなことを仕事にしてワクワクしながら働く

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10年の間に事業の柱が大きく変わったことで、ご苦労もあったのではないでしょうか?

仕事自体を苦労と思ったことはあまりありません。この仕事は業界を問わず様々な企業から色々な話を聞けるのでとても楽しいと思っています。当たり前ですが企業によって考え方や求めていることは全然違います。さらには同じ企業でも時代によって考え方が変わってきます。この10年で当社はもちろん、IT業界も世の中も大きく変わりましたが、この先さらにどう変化していくのかと考えるのも楽しいです。社内的な問題で言うと圧倒的に人手が足りないので、それが苦労といえば苦労です。

スタッフ募集もされていますね。一緒に働くスタッフにはどんな能力を求めますか?

スキルや経験、資格などあまり特別なものは求めていません。しいて言えばGoogleが好きで、Webやクラウドサービスを使ってみたいと思っている方であれば良いです。この分野に興味がある方が楽しく働けますし、新しい知識を学ぶのも苦にならないと思います。現時点でいくら知識があっても、Web業界は日進月歩でどんどん新しいサービスが出るので、好きじゃないとなかなかついていけないですから。 私自身はオンラインゲームが好きで、今でも帰宅後に毎日ゲームをしているのですが(笑)、目標をクリアするために目の前のミッションを一つひとつクリアしていかないといけないという部分では仕事もゲームも同じだと思っています。目標達成するためのミッションが、人と関わるかどうか、面倒かどうか、作業として好きか嫌いか……くらいの違いしかないと思いますよ。自分自身の目標や好きなことがあってそれを大事にしながら働ける人であれば良いですね。個人的にはオンラインゲームが好きな方であればなお良しですけど(笑)。

会社の今後の展望を教えてください。

基本的には今後もGoogleと組んで仕事をしていきたいと考えています。Googleが新しいことをどんどん進めていくので、私たち自身が何か新しいことをとはあまり思っていません。それよりも、現状で満足してしまっている方たちをどうやって新しい時代に引っ張り出していこうかということを考えています。Googleを札幌に呼んで一緒にセミナーを行ったり、大手のシステム系の企業と組んで合同セミナーを行ったりしています。クラウドツールやサービスは登録自体は無料のものも多いので、まず知ってもらい登録してもらって直接連絡や相談ができるように企業同士をつなぐ活動をしています。これからはWebやEC、クラウドが当たり前に身の回りにある世代の人たちが増えてきますので、そういった人たちが今度はどんな新しいサービスや見たことのないシステムを作っていくのだろうと思うととてもワクワクします。

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取材日:2018年11月14日 ライター:小山佐知子

株式会社エフケー

  • 代表者名:代表取締役 武田憲一
  • 設立年月:2008年2月
  • 資本金:600万円
  • 事業内容:水産加工品卸販売・配送センター・Webサイト制作・ECサイト制作など
  • 所在地:〒006-0001 北海道札幌市手稲区西宮の沢1条2丁目3番14号
  • URL:http://fujikk.jp/

デザインを通して“人生のパートナー”となり、共に歩みたい

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内装、施工、グラフィックからイベント企画まで、幅広い業務をトータルでプロデュースする株式会社エミュウ。建築デザイナー・グラフィックデザイナーで、代表取締役の山路麻美子さんは、外務省で国際協力の仕事をしていた異色の経歴の持ち主。はつらつとした笑顔とエネルギッシュなおしゃべりで、従来の枠組みを超えた設計やデザインの仕事を作り出しています。一体どんな会社なのでしょうか?

幅広い業務をトータルで受注。統一感とコストカットが生まれる

内装から施工管理、宣伝用のパンフレットまで幅広いデザインをトータルで受けていますが、ここまで一括して請け負う会社は珍しいのではないですか?

はい。様々なデザインを注文できる会社はありますが、コンセプトからデザインまでグラフィックと設計を一括でパートナーとして提案している会社は存じあげません。オープン前の忙しい中、クライアント様ご自身が外注するのは、大変なことでもあります。ですから、デザインのプロである私たちが責任を持ってサポートさせていただきたいと思い、一括して請け負う仕組みを作りました。協力会社やチームと共に、クライアント様の思いを形にできるよう、一人一人丁寧に対応させていただいています。また、私が自らデザインすることはもちろんございますし、最終的な確認は大小関わらず私が必ず行うようにしています。

どうして、ここまでトータルで請け負うことにこだわるのですか?

クライアント様にトータルで関わることによって、本当によいデザインが生まれると思っています。設計、内装、印刷物を、様々な業者様にご注文されると全体として眺めた時に、どうしても統一感がないものになることが多く見受けられます。弊社で一括して請け負うことで、建築、内装からロゴ、家具、名刺まで全体として統一感のあるデザイン提案が可能となります。また、様々な部門にまたがる見積もりを、まとめて一つにすることで、別々に業者様に発注するよりも、コストカットにつながります。

デザインを通した“人生のパートナー”を目指す

仕事において、大切にしていることは何ですか?

“Design(デザイン)”という言葉を英訳すると、「人生を設計する」という意味もあります。お客様と共に希望や夢をカタチにしていくことで、デザインを通した“人生のパートナー”になりたいと思っています。

“人生のパートナー”とは、どのような関係なのでしょうか?

お仕事を依頼されたら、その方のお人柄や趣味、好きな国など、設計やデザインに関係ないことを知りたいと思っています。どんなものが好きか、趣味は何か……仕事の話だけでなく、その方自身を知ることによって、その方が輝ける“ステージ”をデザインしてあげられると思うのです。だから仕事が終わった後も、お食事をしたり、ご相談に乗り続けたり、というような関係が続くクライアント様も多くいらっしゃいます。

そういう付き合いを続けているお客様は、どんな方々ですか?

新宿のワイン&ソーセージバル「mosh kitchen(モッシュ キッチン)」は、内装設計からパンフレット、ポスター、看板、缶バッチまで幅広くデザインしました。完成した後、私はその店のお客さんとしてよく飲みに行ったり、美味しいお食事をいただいたり、イベントを開催させていただいたりしています。
他も付き合いが続いているのは、飲食店が多いですね。例えば、現在トータルで内装設計させていただいている人形町のブラジル料理店「Bom Fruto(ボンフルート)」は私が設計含め、ユニフォームから全てをデザインさせていただいております。大切なお店を作らせてもらう経験がまた一つ増えることに、心から感謝の思いでいっぱいです。
クライアント様と協力してくれたチームと一緒に作り上げた “ステージ”で、クライアント様が喜んでくれている姿を見ると、うれしくて何度も足を運んでしまいます。そこから、また新たな出会いが生まれることもあります。

「EMUE(エミュウ)」という社名には、どんな意味があるのですか?

英語の“emotion(エモーション)”、「胸いっぱいの感動」という意味です。感動を与えるデザインをお客様に届けたいという思いで名付けました。「設計事務所」という名前を使用しなかった理由は、従来の枠にはまらず、より多くのリクエストに応え、将来的に変化を柔軟に受け入れられるデザイン提案をしたかったからです。そこで訪れる新しいことや初めてのことについて、ワクワクしながら常に学んでいきたいと思っています。

新しく勉強して始めた、従来の枠にとらわれない仕事がありましたら、教えて下さい。

「設計士がゼロから作るウェディング」という事業で、新郎新婦のお二人が大切にしているものを生かしたウェディングを提供していました。例えば、サッカー好きなカップルなら、国立競技場で式を挙げて、誓いのキスならぬ“誓いのシュート”をする。体育館を会場にして、ケータリング会社と共に配膳人を入れ、フレンチのフルコースをご用意いたしました。
ご好評をいただき、多くのご注文をいただいていました。嬉しいことではございますが、本業のデザインに支障が出てはいけませんので、一時的にお休みをいただいています。今、ウェディングに興味のある人材を育てているので、いつか再開できるといいですね。

国際協力の仕事から建築デザイナーへ

デザインの仕事を志したきっかけは?

服飾デザインや海外の洋服ブランドの仕事をしている親戚が多い環境で育ちました。小さい頃、パリコレなどのファッションショーが載った雑誌を見ているうちに、洋服はもちろん好きでしたが、ファッションショーのステージや空間に興味を持ったのです。 当時の私にはその空間が、光や様々な色、様々な人々が入っているキラキラした“箱”に見えました。「この箱はいったい何? 私はこの箱を作りたい」と思ったのです。それが設計に興味を持った最初のきっかけです。

設計士になる前には外務省で働かれていたとか?

ハワイの大学で経済協力を学んだことを生かし、外務省で発展途上国に対する援助を専門として働き始めました。そこでは発展途上国に学校や病院を建てるプロジェクトなどを進めていました。元々興味があった設計の仕事にも関われる上に、国境を越えて人々がつながる仕事に、大変やりがいを感じていました。

やりがいを感じていた国際協力の仕事から、なぜ建築デザイナーの道へ?

そんな中、転機が訪れました。アメリカ同時多発テロ事件があり、イラク戦争が始まりました。さらに、日本の外交官2人がイラクで銃撃を受けて亡くなる事件があったのです。一人はお世話になった方、もう一人は省内で尊敬を集めている方でした。私はショックで号泣しました。世界情勢が動き、身近な人が亡くなる中で、「自分の“人生の役割”とは何だろう」と考えるようになったのです。

“人生の役割”は、設計を通して、人に寄り添うこと

山路さんにとっての“人生の役割”とは?

人が集まって、人が空間を作る。人がいないと、空間も建物も社会も意味がなくなってしまいます。私は人が好き。自分の“人生の役割”を考えた時、もっと一人一人に向き合って、寄り添っていきたいと思ったのです。
外務省の仕事は自分に向いていましたが、大きなプロジェクトだと、なかなか一人一人には寄り添えません。自分は具体的に何を通して人に寄り添えるだろうと考えた末、小さい頃から興味のあった設計を専門として学ぼうと決めました。それで、外務省をやめて、フランスの大学院で建築やデザインを学びました。

大きな決断ですね。帰国後にどのようなキャリアを積んで起業したのですか?

一級建築士の事務所で修行しました。最初は図面を引かせてもらえず、パーティーや人が集まる場所にばかり連れていかれました。それで、「図面を引かせてほしい」と泣いて喧嘩したこともありました。その時、教わっていた建築士から「しゃべれる設計士になれ」と言われたのです。
優れた図面を引ける方は多くいらっしゃいますが、私ならば得意のおしゃべりを通して、人と関わりながら新しい仕事を積極的に作っていける。そういう意味が込められていたのだと思います。今でも印象に残っている言葉です。

今後、経営者として、どんな目標を持っていますか?

元々、国際協力の仕事をしていたこともあり、国境を越えて人と人がつながることに喜びを感じます。今も海外の展示会や設計の仕事を請けていますが、今度もさらに海外の事業を請け負っていきたいですね。また、一企業として、発展途上国の学校や病院の設計に携われたらいいなと思っています。
デザインを通して、人の役に立ち、人に寄り添いたい。そんな思いで、これからも日々学び続けていきたいと思います。

取材日:2018年11月22日 ライター:すずき くみ

株式会社 エミュウ

  • 代表者名:代表取締役 山路麻美子
  • 設立年月:2009年5月
  • 資本金:200万円
  • 事業内容:設計、内装、展示会運営・施工管理、グラフィックデザイン、ウェディングプロデュースなど
  • 所在地:〒150-0013 東京都渋谷区恵比寿2-28-10 Shu BLDG 2609
  • URL:http://emue-design.com
  • お問い合わせ先:emue@emue-design.com

建築CGパースでの実績を強みに、VRで別世界と新しい経験を生み出すクリエイティブカンパニー

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VR業界がにぎわいを見せています。「VR元年」と呼ばれた2016年から2年が過ぎ、VR技術は当初注目されていたエンターテインメントのみならず、今では企業内研修から医療、介護の分野にまで拡大しています。またたく間に存在感を放ったVRはもはや、ものづくりにおける主力選手ともいえるでしょう。 さかのぼること3年前の2015年。まだ実例が少なかったビジネスシーンでのVR活用に、いち早く着目した企業があります。株式会社ビーライズ。顧客と共に手さぐりで、危険な足場作業を研修するVRソフトを開発したことで、同社は大きく前進します。「やりたいことを、その都度見つけて没頭することで、自然にビジネスチャンスと出会ってきた」と話す代表の波多間 俊之(はだま としゆき)さん。 新しい開発に取り組む時、必要となる目線とは?新プロジェクトに挑み続けるクリエイターの心がまえを、波多間さんにうかがいました。

東京ゲームショウ初出展

VRライドマシン用コンテンツを初披露

2018年に「東京ゲームショウ2018」に初出展されました。業界紙面を沸かせましたね。

ありがたいことに多くの反響をいただきました。 広島市立大学とは2017年から、VRの共同研究を進めてきました。その中でも広島市立大学が開発したVRライドマシン「Lumbus(ランバス)」はバランスボールと2本軸だけを融合させた簡易構造で揺動角度20度を実現しました。微妙な角度での揺れを最大限に体感できる新しいモーションプラットフォームです。

広島市立大学とは、どういったご縁で連携することになったのですか?

僕は広島市立大学の出身ではないのですが、過去の展示を通じて知り合った広島市立大学情報科学研究科の脇田 航(わきた わたる)先生とVRについてとても話が盛り上がりました。未来のVRや本来のあり方、こんなVRは面白いかなどについて意見が合うのです。

市立大のシステム「VR歩行装置」も東京ゲームショウでお披露目されました。

VR空間内での移動は実際の移動と違うので「VR酔いの原因」とも言われます。そんな従来の問題点を改善し、歩行による重心の変化や大腿部の動きを計測してVR内での自然な歩行感覚を提示できるようにした新しいシステムです。

VR体感に欠かせない新型ヘッドマウントディスプレイも、初披露でしたね。

StarVR社は視野角の広いHMDを作っている企業で注目されていました。そのStarVR社と今夏、パートナーシップを結んだのです。そうした経緯から、東京ゲームショウのビーライズブースでStarVR社の新製品をお披露目しました。日本初ということもあり、多くの反響がありました。広島市立大学との共同研究の中身同様、まだ日本にないものですから。弊社にとって今年は「広島市立大初ベンチャーを立ち上げた」ことと「StarVR社とのパートナーシップ締結」が、大きな出来事でした。

鯉の滝登りのように、どんどん上って行く感じですね。

僕が最初に立ち上げたビーライズの社名にもそんな想いが入っています。 「Be rise」お客さまと一緒に上昇したいという気持ちですね。

やりたいことをその都度見つけて、ハマっては、突き進む

VR体感に欠かせない新型のヘッドマウントディスプレイ

VRコンテンツの開発者として独立されるまでの道のりを教えてください。

具体的に「あれがしたい」「これがしたい」というのがあって、人生を歩んできたわけじゃないんです。何がしたいかなんて、はっきり決めてはいなかった。「やりたいこと」をその都度、見つけてきて、没頭するものに出会えたという感じなんです。最初から「よしVRやるぞ」とか「これからはITだ」とか、そういう意気込みはなく、案外、行き当たりばったりです(笑)。 学生時代に初めてパソコンを触ったんです。「パソコンは面白い。これを仕事にしよう」と、卒業後はCG制作ができる企業に就職しました。

新卒で入社されたのは、どんな企業でしたか。

地元広島市の会社に就職しました。 そこでLightWave(3DCG制作のためのソフトウェア)を使って CG制作をしていました。14年間、勤務しました。

長く務められていたのですね。

はい。僕は自分が夢中になれるものを見つけたら、それをもうずーっと、やっていたいタイプです。だから「転職したい」と考えたこともなかったし、さらに「独立したい」なんて、思ってもいなかったです(笑)。

それなのになぜ、独立を?

それはもう、「やりたいこと」が見つかったからです。今、やっている仕事が、そうです。退職するときは「独立して、これをやろう」と決めて、退職しました。

「やりたいこと」を発見したきっかけは何だったのですか?

何気ない日常がきっかけです。2011年くらいだったかな、仕事仲間との雑談中に「波多間さん、こういうの面白いですよ」とスマホを見せられたんです。そこにあったのが360°のパノラマ画像でした。

転機は仕事仲間との何気ない会話から スマートフォンで見た360°のパノラマ画像が 人生を変えた

スマートフォンの何に魅かれましたか?

スマホの「機能」ですね。スマホ機能を使えば、いろんなCGの表現が、ものすごく多彩になるということが分かったんです。それまでずっとCGを作ってきたから、好きではあるのですが。 CGって、制作段階では画面の中で3Dなんですよね。奥行きもあるし、角度も変えられる。でも、作ったものを出力する時、印刷物になる時、あるいはTVCMなどの映像になる時、結局2Dにしかならないわけですよ。 静止画も奥行き感は当然あるんですけど、それを反対側から見ることも当然できないし、ムービーになって「やっぱり向こう側から見てみたい」と思っても、見ることはできない。上から見たくとも見ることはできないじゃないですか。そこには「インタラクティブ性」というものが、ない。まぁその「インタラクティブ性」という特性は、実績を重ねながらのちのち気づいていくのですが。 スマホになって初めて360°のパノラマ画像を見たんですよね。スマホの中にはジャイロ(コンパス)と加速度センサーが入っていますから、360°のパノラマ画像を、上を見れば空が見えますし、下に向ければ地面が見えます。後ろを向ければ、後ろが見えます。それを初めて見たとき、現実じゃない、バーチャルな空間を、身体で感じたんです。 当時はまだVRという認識もなかった。だから「これが噂のVRか!」というような、ずっと探し続けたものに出会った感じはなく「こんなの見たことない!」っていう新鮮な驚きでした。同時にARも体験。カメラ画像越しにマーカーを認識すると、そこに何かが現れるというのをその時に初めて見ました。

スマホで新発見したことを、今までやっていた建築パースに取り入れようと?

取り入れようというより、どちらかというと「これ使ったら何か面白いことができるんじゃないかな」という想いですね。建築パースも好きでしたが、スマホの機能とは全く別のものなので。

「何か面白いことができるんじゃないかな」と、2012年11月に会社を設立されました。建築パースは実務で14年のキャリアをお持ちですが、VRに関しては初チャレンジ。それでもスタート時から、VRを主軸に?

はい。だから立ち上げてしばらくは、弊社の技術責任者となる林 健司(はやし けんじ)と一緒に情報を探りながら開発技術をマスターしました。ソフトはUnity。最近ではゲームエンジンとしてよく使用されていますね。

自ら営業を?

ひたすら足で動くしかないですよね。前職での経験から、つてもありましたし、何となくですが業界のこともわかってはいました。「広告代理店に行けば、仕事につながるだろう」と。その時点で提示できるサンプルを「見てください」と持って周ったんです。とにかくVR開発がしたかったので、営業することを苦労とは思わなかったし、嫌ではなかったです。

別の空間を想像すること 好きなことが 強みになった

そのハマる力、突進力はすごいですね。「建築パース」「デザイン」「VR」の他に、ハマってきたものは?

子どもの頃はテレビゲームばかり、やっていました。ゲームは好きでしたね。もうひとつ、歴史も好きでした。空間と時間軸のあいだに僕の好きな要素がつまっているのかもしれませんね。 映画も大好きでした。ハマる映画には、だいたいCGが使われていましたね。 なんかこう、別の空間を想像するのが、好きだったのかもしれないですね。 空間というか、空想というか。 僕にあるかどうかはわからないですが、空想力は大切ですね。 自分で何か空想して、目標に向かって何かやるということがないと。 誰かにやってもらうのが前提だとか、そういうことではないと思うので。

目標を持つことも、空想力のひとつだと?

そうですね。目標という意識ですら、ないですけど。

意識ですらないままに、着実に前に進んでいますよね。これまでで心に残ったプロジェクトは何ですか?

やっぱりVRが初めて仕事になった時。それはうれしかったですね。とにかくいろんな人に僕たちの技術を見てもらいたくて、広島産業会館で開催された「ひろしまIT総合展2015」に出展したんです。そのときはもう、プロジェクションマッピングからI padで動くアプリ、VRまで、ウチでできることを全部出しました。

出展後の反響は?

「こんなの見たことない」という驚きの声ですね。「VR元年」と呼ばれた2016年の1年前のことですから。当時はデバイスやヘッドマウントディスプレイも、製品版ができていなくて、開発者版をなんとか頑張っていち早く買い、それがアメリカから届くのを、身を乗り出しながら待っていました。県外からの来場者はほとんどいませんでしたが、逆に言うと広島の企業さんにはじっくりと、僕たちがやっていることを見てもらえました。そこで電気設備工事を主事業とする大手企業から声をかけていただいたんです。

その企業からオーダーをいただいたのは、どのようなシステムでしたか?

電気技術者の安全教育用VRシステムでした。 足場で作業をする電気技術者が、落下事故を疑似体験できる安全教育用のシステムです。

その開発にはやはり、空間知識が必要になりますね。

そうなんですよね。その企業さんも安全教育には苦労されていて。 広島市内に安全教育施設があるが「そこでできることは限られている」と相談を受けました。 実際に電気を浴びるわけにもいかないし、高いところから「お前落ちてみろ」なんて、できないじゃないですか。研修はマストだが、ただ研修を実施しても効果は出ないし、費用はかかるばかり。 そこで「バーチャルだったら、こんなことができるんじゃないか」と提案されたのです。 この安全教育用VRシステムをオーダーいただいたことで「なるほど。VRはこういうことにも使えるんだ」と、こちらも知ることができました。

VRは映像ではなく、経験です

株式会社ビーライズ

今後の展望について教えてください。

現在進行中でもありますが、全産業や一般の方も含めた分野で弊社のVR技術を展開できればと思っています。僕はVRって、テレビやビデオのような主張する「発信側」、それを見て受け止める「受信側」という定められた関係内では、おさまり切らないものだと思うんです。いわゆる映像の延長線上には存在しないものだと。VRには、技術者がつくった別世界に、一時的に利用者が行くことができ、その空間で日常とは違う経験ができるという特性がある。オーダーされる課題やシチュエーションごとに、技術者は多様な空間と経験をつくり出すことができるはずです。つくり出された「別世界」は良いことにも使えるが、悪いことにも使える。体験者に影響を与えられるインパクトの強いものなので、もっと世の中の役に立つことができるだろうなと、思っているんですね。

エンターテインメントでの活用がクローズアップされがちです。

そうなんですよね。ほんと、VRは単なる「映像」じゃないので。

そう考えると、ますます楽しくなりますね。さてこれから一緒に働く仲間には、どんなことを希望されますか。

進む方向性は同じであってほしいと願います。特に僕は「目標」を作らないタイプなので。

目標は持たなくていいんですか?  目標に向かって頑張るのが美徳のような風潮ではありますが。

目標がないと頑張れない、頑張らない人は、正直魅力的には感じません。 それよりも「ハマることは何か」「好きなことは何か」 を重視しますね。 何かに尖っていたら、それでいいです。中身が尖ってさえいれば。 ハマることができる人間は強いと思うんですよ。好きだったら自然と情報を集めて吸収するじゃないですか。そのインプットと蓄積された力を出すアウトプットのバランスは重要視します。 表面上の格好や性格などは全然気にしません。

そんなにニュートラルで大丈夫なんですか。

これがね、あんまり大丈夫じゃないんですが。

決めつけはしない。あくまでもニュートラルに。

クリエイターを目指している方へメッセージがあれば。

クリエイターは自分の好きなものを見つけたら、それに突き進んだ方がいいですね。 あまりニュースとか、いろんなものを見て、「これが流行っているから、これをやった方がこの先いいんじゃないか」とか、そういう情報に惑わされずに、自分が好きなものを突き詰めていった方が絶対いいです。 僕もいろんな新聞を読んだり、ニュースを見たりしますが、情報だけが大量に入り込んでくると、どうしても考えが一度ブレてしまうことがあるんですよ。「今から世の中こうなっていくんじゃないか」とか「この情報があるから、こっちへ行った方がいいんじゃないか」と迷ってしまう。だからニュースをあえて見ないようにすることもあります。 技術的な情報は別ですよ。今主流となっているソフトとか、言語とか。それはどんどん情報を集めるようにしています。 惑わされてはいけないのは自分が選択する職種に関してですね。「今から2Dのイラストレーターは食えなくなる」みたいな情報があったとしたら「ちょっとやめとこうか」と思っちゃうじゃないですか。そうではなく、ハマれるものを見つけてハマってみた方がいいです。

そこに戻りますね。一貫してますね。

ハマれるものを見つけた人は幸せです。ただ見つけられたとしても、世の中に必要とされてなければ仕事にならないですが。

世の中に必要とされているものをキャッチするのも、ご自身の勘ですか?

そこは勘とはちょっと違いますね。突き進んでいるといつか、何かに出会えるきっかけが生まれると思うんです。さきほどの展示会の話に戻りますが「こういうのやりたくて、人に見てもらいたい」と思って出展したら、訪れた人から仕事と同時に解決のヒントまでいただけた。突き進み続けると目立ちますから、何かしらの声がかかる。そんなものです。

純朴に、誠実に、素直に向き合えば、周りが一目置いてくれて声をかけてくれる?

そういうことです。僕自身は、目標という意識がない。だからハマれることを、これからも探していくだけです。

取材日:2018年11月1日 ライター:信永 真知子

株式会社ビーライズ

  • 代表者名:代表取締役 波多間 俊之
  • 設立年月:2012年11月
  • 資本金:400万円
  • 事業内容:VR・ARコンテンツ制作事業・イベント用インタラクティブコンテンツ制作事業・3DCGビジュアル制作事業・3DCGアニメーション制作事業・Webサイト制作事業・アプリケーション開発事業
  • 所在地:
  • 広島本社 広島県広島市中区舟入町2-20 三栄広島ビル2階
  • 東京支社 東京都千代田区外神田3-6-1 第一協和ビル3階
  • 電話:082-532-3092
  • FAX:082-532-3093
  • URL:https://www.berise.co.jp/

Webサイト制作のプロであれ。プロが堅実なサイトを築き、会社を強くする

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沖縄本島の中央に位置する沖縄市。その中にある「銀天街(ぎんてんがい)」というレトロな商店街の一角に、今回お話を伺った「株式会社 青空」のオフィスがあります。この場所にオフィスを構えた理由を「ジャッキー・チェンの映画に出てきそうな、ごちゃごちゃした街の雰囲気が気に入ったから」と教えてくれたのは、代表取締役の水谷真史(みずたにまさふみ)さん。Webコンテンツを制作する会社の代表でありながら、元プロボクサーというユニークな経歴の持ち主です。会社の業務自体も、360度写真やVRなどを用いたWebコンテンツを次々と打ち出し、とてもユニーク。しかし、オフィスの立地やサービスのユニークさとは裏腹に、非常に堅実で誠実なモットーを貫いていました。

人との出会いとつながりに助けられた

「株式会社 青空」を設立されるまでの経緯を教えてください。

2011年の設立前、私は東京でインターネットリサーチ会社に勤めていました。その会社の上場を目の当たりにした時に「自分もいつか、ゼロから何かをスタートさせたい」と、気持ちを焚きつけられたのが会社設立の萌芽だったと思っています。ちょうどその頃、知人から沖縄で一緒にビジネスをやろうと誘われ、思い切って来沖しました。しかし間もなくその知人が事情ができて本土に帰ることになってしまい、私は残されることに。自分でビジネスをスタートできるチャンスだと捉え、沖縄に腰を据えて住むことにしました。

その時、始めたビジネスはWeb制作だったのですか?

全く違うビジネスです。最初は知人の紹介でパワーストーンの通販を手がけるなど、いろいろなことをやりました。そのうちに、やはり知人の紹介でWeb制作の仕事が入るようになりました。私自身は作る事ができませんので、作れる人を探して依頼したところ、そのページが好評に。それからは次々とWebサイト制作の仕事を依頼されるようになり、専門の会社を設立したのです。最初から「Web制作会社を絶対に作る!」と意気込んでいたわけではなく、人とのつながり、人との出会いで会社をスタート出来たように思います。

どのような方法で、様々な方と出会うのですか?

誰かと出会えるように意識して飲みに行くなどしていますが(笑)。特別なことはしていません。沖縄の県民性かもしれませんが、誰かに相談すると必ず誰かを紹介してくれるのです。それで自然と知り合いが増え、関係を築けました。沖縄という土地に救われていると感じます。

ワクワクより堅実なサービスを提供したい

現在の業務内容を教えてください。

様々な企業や店舗のWebサイト制作が主になります。デザイン、コーディング、プログラミングなど、トータルで制作を請け負っています。最近では、沖縄よりも県外の案件を扱うことが多くなりました。

それはなぜですか?

案件の規模、金額ともに大きいことが理由です。東京に2名ほどディレクターがいまして、彼らが受注した案件を沖縄で作っています。今後はより大きな案件を得るために、アメリカやカナダへ行く計画も立てています。県が行っている海外視察で渡米した際に、特にアメリカにはビジネスチャンスがあると感じました。

御社のサイトに「ちょっと驚くサービスを提供したい」と書かれていたのですが、これは具体的にはどのようなサービスでしょう?

新しいサービスを積極的に立ち上げている訳ではなく、お客様からの要望に対応し続けた結果、単純なサイト制作だけではない、目新しいサービスを作ることもありました。その中で生まれてきたサービスの一つに、360度の写真を使ったコンテンツやVR技術を用いたコンテンツがあります。最近では、石材メーカーと組んで「ライフストレージ」というサービスを作ったこともあります。

「ライフストレージ」とはどんなものでしょうか?

石材、つまりお墓にQRコードを掘った石版を埋め込むのです。そのお墓に眠る故人の情報を弊社が管理していて、QRコードを読み込むとその情報をアルバムのように見ることができるというサービスです。最近では様々な形のお墓が販売されているので、「ライフストレージ」にも興味を持つ方もいると思っています。 しかしこのような、ワクワクするユニークなサービスを追求していことは大事ですし、御客様のニーズに合わせて対応しますが、弊社の業務の主軸はあくまでもWebサイトの制作です。会社としてまず取り組むべきことは、高品質なサイトを、なるべくお客様がお求めやすい価格で提供する事です。

高品質なサイトを安価で提供するために、何か工夫されていることはありますか?

まず必要なのが、スケジュールを遵守し、お客様が望むものをしっかり作る「当たり前のこと」を確実に行うことです。Webサイト制作の業界というのは、実は揉め事が多いんです。形のないものをゼロから作っていくわけですから、イメージ通りに仕上がらなかったり、納期が伸びてしまったりして、トラブルに発展するのです。スタッフには、それをできる限りなくすように伝えています。

次に工夫していることは、ディレクターの強化です。お客様とのコミュニケーションを通してニーズをしっかり理解し、それを社内の制作スタッフへ伝達し指示できるディレクターの確保と育成に取り組んでいます。ディレクターを強化することで、先ほどの「当たり前のこと」をスムーズにできると考えています。スタッフの多くをディレクターとして教育しているのは、そうした理由からです。

そして、制作コストの削減です。その施策として取り組んでいるのが、プログラミングのオフショア化です。弊社は今年ネパールに事務所を設立しました。日本よりネパールの方が人件費が抑えられますし、優秀なプログラマーも多くいます。東京や沖縄のディレクターが遠隔で指示を出しているので、距離的なデメリットは全く感じていません。現在は7名のスタッフが在籍していますが、来年の2月頃までには10人体制にしたいと考えています。

Webサイトの制作会社が多数ある中、他社に負けない御社の強みはやはり「安価」という点が挙げられますか?

その通りです。ネパール事務所を設立したこともあり、他社に比べてかなり安価で提供できていると自負しています。さらに、ただWebサイトを作って終わり、というわけではなく、SEO対策にも確実に取り組んでいます。「安価で安定したWebサイト」を作れることが強みです。

自立心のあるスタッフが強い会社を作る

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御社のモットーを教えてください。

「与えられる集団であれ」ということです。「与える」というのは、お客様に対して価値ある商品を提供するということです。そのためには、スタッフ一人一人が自立したプロである必要があります。

自立したプロとは、どのような人を指すのでしょう?

自分で稼げる人だと思います。稼げるというのは、工数管理ができて、どれぐらいの人件費が必要なのかを把握できていて、赤字を出さず、お客様の求めるものを着実に返せるということです。それを出来てこそ、自立したプロと言えると思います。

なぜ「自立したプロになれ」と強く考えるようになったのですか?

実は私は20年ほど前、プロのボクサーでした。結果を出して賞金を稼ぐプロの凄さを身近で見てきた経験上、スタッフに「プロであれ」と強く求めるようになったのだと思います。給与をもらっているならば、それに見合う仕事をしてこそプロだという意識が常にあります。

スタッフの自立を促すために、何かされていますか?

常日頃「自立しよう」と言い続けることで社風化しています。また、工数管理できるシステムを導入したことも、自立のサポートにつながっていると思います。勤務体制では、自分の裁量で勤務時間を調整できるようにしています。自分の担当している案件の工数等をしっかり把握した上で仕事内容をコントロールできれば、好きな時間に出退社してもいいとしていて、一部のスタッフはそれを実践しています。

最後に、どんな人材と一緒に働きたいと思いますか?

やはり自立心を持った方です。社名の「青空」には、弊社の仕事はネットが繋がれば青空が広がる屋外でもできる、という意味が込められています。自立心さえあれば、どこでも仕事を遂行できるはずです。自立心を持って仕事に取り組める方と、どこかの青空の下で「青空」の仕事をしたいですね。

取材日:2018年10月31日 ライター:仲濱淳

株式会社 青空

  • 代表者名:代表取締役 水谷 真史
  • 設立年月:2011年1月
  • 事業内容:ウェブサイト制作・ウェブコンテンツ制作・アプリ制作・ウェブマーケティング・システム開発・BPO・各種業務委託
  • 所在地:〒904-2171 沖縄県沖縄市照屋1-11-13 2F
  • URL:http://aozora-okinawa.com/
  • お問い合わせ先:098-989-6318

『葛西と佐々木の山や川』

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1997年、詩とアートの展覧会「NHKハート展」に声がけされたデザイナーの葛西薫は、島根県大田市在住の詩人佐々木寿信の詩「初夏です」に触発されて抽象の雲の絵を描いた。その出会いから、佐々木の詩集のためのさし絵を描いたり、童謡集のCDジャケットをデザインしたりして、二人の交信が始まった。あるとき佐々木は歌謡曲に挑み、そのうちの一編の歌詞「夢ぼくろ」が、縁あってNHKみんなのうたプロデューサーの目にとまり、葛西の動画とともに、「泣き虫ピエロ」(中川俊郎作曲)として、2013年 2月に放映された。それから4年、佐々木がこれまでの詩作から70編ほどを選び、葛西が四季を追って17点の版画を添え、共著として詩画集『遅日の記』がADPより限定出版されるに至った。

札幌生まれ室蘭育ちの葛西が、遠く離れた同世代の佐々木と出会うことによって生まれた『遅日の記』、それぞれの幼き日と故郷の記憶が交錯する詩と画の世界を、このたび銀座森岡書店と白金OFSギャラリーで同時展覧します。森岡書店では原画や原稿を、OFS ギャラリーではポスターや映像など、二人が手がけた作品を展示。著書、ポスター、原画の販売も行います。 またそれぞれのギャラリーでトークショーも。新年、銀座と白金で、みんなあの頃に帰ろう!

開催概要

開催期間: 2019年1月9日(水)-2月3日(日) 月・火定休(祝日を除く)
開館時間: 12:00-19:00(最終日は17:00まで)
会  場: OFS Gallery
関連イベント:
トークショー(OFS Gallery) /参加費1,000円(税込)
森岡督行(森岡書店店主)×葛西薫
2019年1月31日(木)19:00~定員40名
ご予約方法 reserve@ofs.tokyoまで、メールをお送りください。
件名に(例:1/31予約)と記載してください。本文に 1)お名前 2)電話番号 3)参加人数 をご記入の上、お申し込みください。後日、OUR FAVOURITE SHOPより、予約確認のメールをお送り致します。

同時開催
@森岡書店
2019年1月11日(金)~20日(日) 定休/月(祝日を除く) 時間 /13:00-20:00
トークショー(森岡書店)/参加費1,000円(税込)
2019年1月12日(土)19:00~定員40名
植原亮輔・渡邉良重(キギ)×葛西薫
お申込みは電話にて。tel.03-3535-5020(森岡書店)

くわしくは、OUR FAVOURITE SHOP サイトをご覧ください。

沖縄のデジタルマーケティング業界を、人材育成から支えたい

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Webサイトの制作会社として株式会社RAZONAが誕生したのは、業界の黎明期ともいえる1996年。東京でスタートし、今では沖縄、ベトナムに事業所を設立。Webサイト制作だけでなく、運用、コンサルティングを含めマーケティングのデジタルソリューションを幅広く提供しています。社名の「RAZONA」とは、スペイン語で「理由」という意味。ロジカルに、「理由」を持ってWebを作るという会社のポリシーが社名に込められていると語る代表取締役CEOの村元啓介さんに、沖縄に事業所の役割や、これから展開する教育事業について詳しく伺いました。

グラフィック、マーケティングの両輪でデジタルソリューションを提供

まず、1996年に東京で御社が設立された経緯を教えてください。

創業者である岡村侑哉はもともと画家でした。スペインへ絵を学ぶため留学し、現地で賞を獲ったこともあるそうです。その後帰国し、画力を活かしWebデザインを始めました。当時Webサイト制作は徐々に需要が高まっていた頃で、その波に乗り、次々と案件が舞い込むようになり、会社を作るに至ります。マーケットが大きくなるに従い、会社の業績も順調に伸びていきました。

現在の御社の事業内容は、設立の頃と変わらずWebサイト制作が主なのでしょうか?

スタートの頃はWebサイト制作一本でしたが、今やマーケティングの世界ではデジタルは外せません。ですので、現在の事業分野はデジタルを用いたマーケティングのためのソリューション全般を提供しています。Web制作のクリエイティブな部分に加え、プロモーションや広告運用のオペレーションなどをトータルでサポートできる体制にしています。

Webサイトを手がける会社として、御社の強みを教えてください。

軸は二つあると考えています。一つ目は、制作物のビジュアル面です。もともと創業者が画家ということもあり、グラフィカルな画作りに関してはお客様から高い評価をいただいています。二つ目は、誘導部分のコーディネートです。たとえデザイン的に格好いいものを作れたとしても、それだけではお客様の抱える課題を解決できません。私自身がもともと代理店出身ということもあり、誘導や誘導後のユーザー解析を得意としていますので、サイトの画作りを含めてトータルでマーケティングソリューションを提供できることが、強みだと思います。

東京と沖縄の業務の違いを教えてください。

東京のオフィスは、お客様と対峙するという機能を一番に考えています。営業はもちろん、お客様が何を作りたいかを一緒に考えるプロデュースの部分は、やはり直接お客様と接しないとできません。多くのクライアント様は東京に集中していますので、アカウント機能、プロデュース機能を東京に集約させています。それ以外の機能であるクリエイティブや広告運用のオペレーション部門は、沖縄にシフトしています。最近では沖縄の夏は東京よりも涼しいですし、さらに毎日満員電車に乗らなくてもいい沖縄の方が、東京よりも働きやすいのは間違いありません。

沖縄に事業所を作られたのは仕事をする環境として良かったからでしょうか?

その環境も含めて、個人的にも沖縄に強く心惹かれたのが一番の理由です。沖縄に事業所を作ったのは2010年ですが、それ以前から実は沖縄の会社に発注していました。それもあって度々沖縄を訪れるうちに、自分たちでも沖縄に事業所を持ってもいいと思うようになったのです。沖縄は、進出に対しての公的支援がある程度充実しているという事も理由の一つではありますが、やはり「この地域が好き」「ここで働きたい」というモチベーションが一番です。その強い思いがあれば、事業を展開する中でハードルや課題に当たった時に乗り越えられると信じています。そして2番目の理由として挙げられるのは、採用のメリットです。

採用のメリットとは、どのようなことでしょう?

東京では同業他社が非常に多いので、リクルーティングのために「RAZONA」というブランドを広く浸透させるのは、とても時間がかかり大変です。しかし沖縄はコミュニティが広くありませんので、企業ブランディングを比較的短期間でできると感じたのです。弊社のような労働集約型のビジネスにおいて、人材は財産、人財です。私が会社運営を大きく間違えない限り、優秀なスタッフがいれば100%業績は伸びると考えています。

沖縄では、東京の案件を手がけることが多いのですか?

以前は10割が東京の案件でしたが、最近では沖縄の案件が増えています。東京の案件だけだと、沖縄のクリエイティブ、運営部門のメンバーはお客様と直接お会いする機会がほどんどありません。そうすると、東京でフロントに立つ厳しさが伝わりづらくなってしまいます。つまり、お客様に「怒られる」という経験がなくなり、フロントメンバーとの温度差が出てしまう。社会人教育という観点からも、沖縄の案件を手がけ、お客様と対峙する機会があった方がいいと思っています。

新たなチャレンジ「人材育成事業」をスタート

「NexSeed沖縄」という学校を新しく始めたと伺いました。その学校について教えていただけますか?

今年(2018年)の10月1日に開校しました。なぜ設立したのかというと、やはり採用のためです。先ほど「東京よりも採用しやすい」という理由から、弊社は沖縄に進出したとお話ししましたが、実は近年事情が変わってきています。多くの企業が沖縄に進出したため、採用競争は激化の一途をたどっています。一定の競争は従業員の待遇改善に繋がるので、良い面はあります。しかしあまりに競争が激しくなると企業同士がライバル関係になってしまい、コミュニティの狭い沖縄では、なおさらギスギスしてしまいます。一方、沖縄県の課題として、若年層の失業率の高さや、人材育成が挙げられています。そこで弊社では、優秀な人材を自ら育て、弊社だけではなく様々な企業へ人材を送り出す方が健全で地域のためにもなると考えました。そんな最中、私の知人が、フィリピンで経営する英語とプログラミングの学校「NexSeed」の日本校を作る事業を始めていましたので、タイミングよく「沖縄校を出したい」と手を挙げることができ、開校に至りました。

「NexSeed」では、合宿してプログラミングと英語を同時に学ぶと伺いましたが、短期留学に近いイメージでしょうか?

そうです。3ヶ月間合宿し、集中して学びます。沖縄に住んでいる生徒は通いになりますが、それでも同じ志を持つ人同士が同時に勉強をスタートすることで、学習効果は上がると思います。今後は学ぶ場所だけでなく、卒業後の就職先までしっかり用意しようと考えています。

社員が長く働ける会社にしたい

ランチタイム

これからの御社の展望を教えてください。

社員のライフステージが変化しても働き続けられるよう、柔軟な人事制度を作っていきたいと思っています。そのためには一定の規模感が必要なので、現在沖縄は25名ぐらいの社員数ですが、それを100名ぐらいまで増やしたいと考えています。実は、「1年働いたら1ヶ月休める会社」にするのが私の個人的な夢なのです。しかしその実現のためには、やはり人数がある程度いないと会社が回りません。大きい会社にして大儲けしたいというより、社員がライフステージに合わせて継続的に長く働けるような制度を整えるために、今よりも規模を大きくしたいと思っています。

御社の経営理念に「皆の夢を支援する」とありますが、こちらの実現のためにも「1年働いたら1ヶ月休める会社」という制度は役立ちそうですね。

そうですね。この理念は、お客様の課題や社員の夢を支援するという弊社のスタンスを表していますが、こと社員に関しては、仕事だけでなく個人的な夢も実現してほしいです。

御社のスタッフブログにも「社員の夢を実現する」という企画がありました。みなさん楽しみながら夢を実現されていて、和気あいあいとした雰囲気が伝わってきました。

スタッフブログでは、社員の夢を実現することをコンセプトに記事を作っています。当初は弊社のブランディングの一環として、沖縄の情報サイト「DEEokinawa(でぃーおきなわ・URL:https://www.dee-okinawa.com/)」と一緒に作っていました。DEEokinawaというのは、B級の情報をシュールな切り口で発信しているユニークなサイトなのですが、その要素を取り入れて、他社とは違う個性をアピールしたいと思ったのです。続けた結果、採用活動のブランディングにもつながり、社員の夢実現にも一役買うようになりました。

最後に、一緒に働く方に何を求めますか?

チームワークを大事にするマインドです。弊社は行動理念に「成長と成功を喜び合える」ということを掲げています。自分が成長して、その喜びを互いに分かち合える人と一緒に働きたいですね。

取材日:2018年10月10日 ライター:仲濱 淳

株式会社ラソナ

  • 代表者名:代表取締役 CCOファウンダー 岡村侑哉
         代表取締役 CEO       村元啓介
  • 設立年月:1996年11月
  • 資本金 :9,500万円
  • 事業内容:
    マーケティングにおけるデジタルソリューション(WEBサイトの構築、スマホアプリの開発、広告の作成&掲載等)の提供
  • 所在地:
    東京本社 〒102-0075 東京都千代田区三番町7-14 三番町デュープレックスビズ 2F
         TEL:(+81) 3-3230-0433・ FAX:(+81) 3-3230-0434
    沖縄事務所 〒904-0100 沖縄県中頭郡北谷町宇美浜16番地2 美浜メディアステーション 2階
          TEL:(+81) 98-923-1549
  • URL:https://www.razona.jp/

自然、地域、家族とのつながりを生む建築で、豊かなくらしを提案

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木の柱や外壁に包まれ、温かな雰囲気で患者さんを迎える街の歯科医院、田園風景の中で、懐かしくも新しい佇まいを見せる一軒家の食堂。福井県嶺北エリアを中心に、縁側や土間を設けたり、家族の気配が感じられるように間仕切壁を少なくしたりするなど独自のデザインによる住宅やクリニックやオフィスの設計、リノベーションを手掛けているのが伊藤瑞貴建築設計事務所です。代表の伊藤瑞貴さんは2008年5月に独立し同事務所を開設。方針として掲げている「たのしいけんちくを、もっと」や、これまでに完成した建物に込めた思いを伺いました。

2つの建築事務所で経験を積み、独立へとステップアップ

これまでの伊藤様の経歴を教えてください。

金沢工業大学建築学科を卒業後、福井の設計事務所に就職しました。最初の事務所は、病院など大規模な物件を中心に手掛けているところでした。そういう物件は、いかにコストをかけずに合理的に作るかという傾向が強く、設計も例えば同じ窓をコピーして何枚も描くといったことが多いのです。それが肌に合わず4年で退社し、別の設計事務所に移りました。そこは、さまざまな物件を扱っており、僕も、住宅や教会、公共建築などを担当し、在籍していた8年間にさまざまな経験をさせてもらいました。おかげで一つの達成感を得ることができ、次のステップとして独立を考えたのです。

大学進学の際に建築科を選ばれたのは、中学・高校時代から興味があったからですか。

いいえ、受験する大学と学科を決めるとき、なんとなく建築かなと思った程度でした。そして、金沢工大へ入学試験を受けに行き、キャンパスに入ったら、建物がものすごく立派でびっくり。大谷幸夫さんという丹下健三さんのお弟子さんが設計された、コンクリート打ち放しの斬新な学舎で、これはすごくいい環境だなと思って、まだ合格していないのに、建築を学ぶのであればここにしようと決心しました。

以後ずっと建築の道を歩まれていますが、独立を考えたきっかけは何でしたか。

2つ目の事務所に勤めて4~5年目だったと思いますが、自分なりに納得できる1軒の住宅が完成し、一通り学べたかなという感触があって、次のステップへ進みたいという気持ちが生まれていました。しかし間もなく、事務所で応募した中学校の設計のプロジェクトをコンペで獲得したのです。その学校は、教科センター方式や異学年交流、学校の地域開放など新しい試みを盛り込んだプロジェクトで、学べることがたくさんあったため、この物件を最後までやり終えてから辞めることにしました。この工事は2004年に起こった福井豪雨の影響で竣工が遅れたため、実際に辞めたのは2008年の3月末となり、その年の5月に開業しました。

地域の特性を生かし、自然や人との繋がりをとりもどす家を

さわやか矯正歯科

独立されたときの目標や、目指していた建築の方向性について教えてください。

一つは、自分のスタイル、或いは軸をしっかり持ちながらやっていきたいと考えていました。それまでの地方の設計者というのは、さまざまな団体に顔を出しながら営業して仕事を取ってくるのが普通でした。しかし、このやり方だと、お客さんの都合に合わせて設計しなければならず、自分の軸がなくなってしまいます。それは受け入れ難いという思いが強かったので、「自分はこんな考えで設計しています」という情報を発信し、それに共感した方が来てくださる流れを作りたいと思っていました。昔からやっているブログもその一環です。

掲げておられるコンセプト「たのしいけんちくを、もっと」は独立当初からのものですか。また、その趣旨について教えてください。

僕にとって「たのしいけんちく」というのは「つながりのある建築」のこと。自然、家族、地域、時間、そして作る人と住む人との関係性を大切にした建築です。例えば、昔の住宅には縁側があって、そこは庭へと続く、内と外をゆるやかに繋ぐ半屋外空間で、環境装置としても機能する、とても楽しい場所でした。しかし、今の住宅の多くは内と外がはっきり分けられてしまっています。サザエさんに縁側のシーンがよく出てくることからもわかりますが(笑)、それは暮らしの楽しい部分を奪われているのではないかと思います。それから、僕自身のことになりますが、独立してすぐに自宅を2世帯住宅+職場(現設計事務所)に改修しました。そこで設けたのが、両親と、僕たち夫婦と子どもの2世帯がつながることができる部屋です。2世帯暮らしはわずらわしい部分もありますが、家事や子育てを助け合うなどメリットも大きいものです。また、すぐ隣にある事務所のスタッフもこの部屋で打ち合わせをしたりしますので、職場ともつながっています。混沌としているけど楽しい、そういう豊かさが生まれる部屋なのです。このようにつながりのある建築を楽しい建築と言っているわけですが、単に昔ながらの家に戻ればいいというものでもありません。昔の家は自然とつながっていましたが、寒かったり、光熱費がかかったりしますから、その部分に今の新しい技術を取り入れて、昔は当たり前に存在していた豊かな繋がりを取り戻していけたらと考えています。

同じくHappiness(ハピネス)・Sustainable(サスティナブル)・Local(ローカル)という3つのデザインコンセプトについてはいかがでしょう。

Happiness(ハピネス)は今お話したつながりのある建築のことで、Sustainable(サスティナブル)は、わかりやすくいうと、エネルギーコストの少ない長寿命な建築。世代を超えて愛される住宅ということです。今、日本の住宅の寿命は30年弱ですが、50年或いは100年もつような、何世代も住み継いで行ける住宅を造りたいと思っています。それから、Local(ローカル)は、福井の気候風土や地域性に合った家づくりです。福井は、敷地や庭が広く、畑がある家も多いので、田舎暮らしを楽しめる土地柄です。例えば、薪ストーブを入れれば、畑から採ってきた食材を載せて焼いたピザをみんなで食べるといった都会ではできない贅沢ができます。この地域の人々を幸せにするような建築を目指したいと思っています。

お客様の情熱や志に感動。共感から生まれた建築が人々を惹きつける

むらかみ食堂

これまでに手掛けた建物で特に思い出深い物件はありますか。

一つは、まさに「たのしいけんちく」に共感してくださった歯科クリニックさんからの発注で、独立して最初の大きい仕事でした。「気軽に立ち寄れるカフェみたいなクリニックにしたい。建材物ではなく本物の木を使って欲しい」という要望に応え、無垢の木をふんだんに用いて開放的なクリニックにしました。お客様に喜んでいただき、僕にとっては、自分の考えに共感してくださる方がちゃんといることがわかり、勇気をもらったプロジェクトでした。

これまでにいくつもの賞を受賞されていますが、その中ではいかがですか。

2017年のグッドデザイン賞やふくい建築賞最優秀賞をいただいた『むらかみ食堂』さんは、さまざまな面で思い出深い仕事です。村上さんは、農業がどんどん衰退していく地域をどう維持していくかを考えてこられ、『むらかみ食堂』を開業されました。農協にお米を卸すのではなく、自分たちでおいしい米をアピールしよう、そのために、おいしいご飯が食べられる店を開こうと思われたのです。幹線道路から離れた田んぼの真ん中に何千万ものお金をかけて店を建てるのは相当な決断で、僕らもその思いに胸を打たれ頑張ったプロジェクトです。『むらかみ食堂』の前には田んぼがあり、その向こうには白山が見えます。田んぼの稲は白山から流れてくる水で育ち、お米を炊くのも白山の水です。この繋がりをお客さんにどう見せながらご飯を食べていただくかがテーマになりました。例えば、外の駐車場のそばに設けた薪置き場は、ここに立った人の視線を白山に向けて誘導するようになっています。白山、水、田んぼ、お米との関係性を建築の中に取り込み、その中でおいしいご飯を食べるというコンセプトで仕上げていきました。僕らと重なる思いを持った村上さんの問い合わせに始まって、完成後はいくつものうれしい評価をいただきました。

建築に対する人々の意識も変化しているようですね。現在手掛けておられる物件でユニークなものはありますか。

これもクリニックですが、診療スペースとは別に地域に開かれたコミュニティルームを作ることになっています。そのスペースを使って週末に健康教室や料理教室などを開くことを考えておられ、地域の方の健康を守る力になりたいそうです。今後さらに高齢化が進み、医師不足の時代がやってくることを踏まえて、病気の予防を積極的にやっていこうという志に感動し、僕らも真摯な気持ちで取り組んでいます。

目指している建築の方向性を発信しながら、東京にはない地方の豊かさを取り込む

スタッフの方も建築士さんですか。仕事の分担はどのようにされているのでしょう。

スタッフは女性2人で、1人が1級建築士、もう1人が2級建築士の資格を持っています。一つの物件につき僕とスタッフ1人が担当する形です。現在、20件くらいの物件が動いており、僕が全件、スタッフは半分ずつ分担しています。

お客さんに対する対応で心がけていることはありますか。

事務所の方針をしっかり発信することを意識しています。僕らの仕事は、お客様とのお付き合いが建物完成まで1年位あって、完成後は、お客様がその家や施設を長期にわたって使っていくことになります。そのため、お互いに価値観のずれがあると、後々さまざまな問題に発展する可能性があります。これを踏まえると、僕らと異なる価値観の方に「この事務所は自分の考えと違うかもしれない」と事前にわかっていただくことが大事になってきます。独立当初は、さまざまな要望を持った方がみえて苦労した経験もあるので、事務所の方針や完成した物件の姿をホームページやSNSで発信しておくのは非常に大切だと思っています。

今後どのような展望をお持ちですか。

最近、老人ホームやクリニックなど受注物件の規模がどんどん大きくなっているので、それらに当事務所のコンセプトをどう反映していくかを考えています。それから、展望とはいえないかもしれませんが、フィンランドの建築家アルヴァ・アアルトのように、戦略的な田舎の建築家を目指したいです(笑)。フィンランドをはじめ北欧の国はヨーロッパの中では田舎で、アアルトが活躍していた20世紀中頃の建築家としてはパリのコルビュジェが有名です。アアルトという人は、そのコルビュジェを見ながら、打倒コルビュジェじゃないですけど、田舎の建築家として何ができるかを考えに考えながら仕事をしていた人なのでないかと思います。9月に出かけた北欧旅行で彼が造った建築を見ながら、日本におけるアアルトの福井版をやりたいなと思いました(笑)。東京の真似をせず、田舎の豊かさを取り入れながら楽しい暮らしを作っていくことが目標です。それから、もう一つは働き方改革ですね。うちの女性スタッフは2人とも既婚者で、1人は子育て中なので、勤務時間など、できるだけ負担がかからないように職場環境の改善を考えています。狭い事務所も何とかしないといけないですし、いい物を作るには、働く環境や仕組みを変えていかなくてはいけないと思っています。まだ何も改革できていないのですが、2019年は思い切って職場環境をデザインしたいと思ってます。

最後に、これから起業される方にアドバイスをお願いします。

僕はこれまで岐路に立った時、いろんな人の意見に振り回されながらも自分のやりたい道を選んできました。その結果として今があるので、好きではないことは続かないと感じています。極論かもしれませんが、オタクになるくらい好きなことを突き詰めていくと自然と独立や起業に繋がっていくのではないでしょうか。もちろんそれを社会にどう役立てていくかという視点は大切ですが、モチベーションがお金を稼ぐことや、とりあえず生活するためだと長続きしないのではないかと思います。アドバイスにはならないかもしれませんが、好きなことを追求していくと仕事に変わるものだというのが素直な感想です。

取材日:2018年12月18日 ライター:井上靖恵

伊藤瑞貴建築設計事務所

  • 代表者名:代表 伊藤瑞貴(いとう みずき)
  • 設立年月:2008年5月
  • 事業内容:住宅・クリニック・オフィス・ショップ建築のための計画・設計・監理、住宅のリフォーム・リノベーション、インテリア、家具に関する計画・設計・監理
  • 所在地:〒919-0481 福井県坂井市春江町千歩寺6-46-1
  • URL:http://miaaa.biz/
  • お問い合わせ先:TEL)0776-51-0993

向き合っている仕事は楽しいか?楽しそうか?いつもそれを判断基準とする会社でありたい

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株式会社AndHAは主にWebサイト制作、アプリ制作などを行っている企業です。代表取締役の三浦 崇(みうら たかし)氏は、大学院在学中に自分のやりたいことは何かと自問した結果、Webを独学で学び進路を方向転換したという経歴の持ち主です。「楽しいことを楽しいと感じる環境で働きたい、そこが無ければ自分で作ろう」という考えが何かを行う際の基準としていつもあり、起業にもつながっているとお話してくださいました。

人をニヤリとさせる少しの驚きは心地いい。それをいつも目指しています。

経営理念の「add a little surprise」についてお聞かせください

モノづくりの会社だから「何か一本の芯みたいなものがないとダメだよね」と役員たちで話し合い、人が感情を揺り動かされるようなものを考える会社にしていこうと決めました。人の感情は全ての起点が「驚き」にあります。自分の想像と違っていたから、楽しい、嬉しい、泣けるんです。何かを作るときには、常に驚きや良い意味で期待を裏切るものを提供していきたいと考え、これが経営理念になりました。

社名の由来もそこにあると伺いました

その「驚き」については、人が想像できないような、びっくりするというものではなく、少し先の未来を見るくらいの「はたと気づく」や「ハっとする」くらいが一番心地よいのではないかと思うことから、色々と考える中で「ハっとする」は英語で何というのかとGoogle翻訳してみたんです。表示されたのは、なんと誤訳の「and ha」でした。でもアンドエイチエーという響きがいいということで、社名をAndHAに決めたんです。

Web関連の仕事に携わられたきっかけについてお聞かせください

仙台から山形大学へ進学し、大学院に残って磁力によって硬さが変わる磁性ゲルの研究を行っていました。研究は99%の失敗の上に仮説を重ね、検証を繰り返していく作業で、結果をすぐに見られないことが性に合わないと感じるようになったんです。 このときゼロベースで何が自分に合うのか?何に興味を持てるのかと自問自答を繰り返し、Webが面白い!と感じたことから独学で勉強を始めました。

仙台でWeb関連の会社への就職活動をされたのですか?

故郷でもある仙台と東京で就職活動を行うなかで、学生の調べる範囲には限界があり、当時、自分が面白いと思える企業を、仙台ですぐには見つけられませんでした。いずれは自分が入社したくなるような面白いと思う会社を、仙台で立ち上げたいという思いがあったので、仙台での就職にこだわりました。

起業した会社が軌道に乗るまではがむしゃらに頑張った

就職してから起業されるまでの期間がかなり短かったと伺いましたが。

在学当時、小中学校の同級生と3人でルームシェアをしていて、このメンバーで会社を作りたいという思いを共有し勉強を進めると同時に、少しずつ仕事を行っていました。卒業を待たず大学院2年生の春に中退して就職しましたが、本業に支障をきたさない範囲であれば、友人と行っている仕事は継続していてもよいという了承を得て、二足の草鞋を履くことになりました。 当時、DeNA(ディー・エヌ・エー)やGREE(グリー)のアプリが流行っていたのですが、あるアプリコンテストに3人で出場したところ優勝して、そのアプリ開発を本格的に始めるという大きなプロジェクトが立ち上がることになりました。その結果、勤務先を退社し、他2名を加えた同級生5名で前身である合同会社チームサンタを設立しました。

チームサンタからAndHAにいたるまでのお話を伺えますか

ルームシェアをしていた場所でスタートした合同会社は、3年目に事務所を借りて、5期目を迎えたところで、株式会社への変更に伴い社名もAndHAに変更しました。と、文字にしてしまえばとても順調のようですが、コンテスト優勝からの流れで起業したようなもので、今考えると無謀でした。仕事もないなか(自分を含めた)5名を養うことがいかに難しいかを思い知りました。最初の1年は死に物狂いで本当にきつかった。飛び込み営業はもちろん、勉強会などで積極的に人のつながりを作って、外注の小さな仕事など来るもの拒まずで必死にかき集めました。自分の給与は1年半出なかったです。でも徐々に仕事を受注することができて、なんとか繋がったというのが現実でしたね。

AndHAの3つの事業について

現在の事業内容についてお聞かせください

クライアントワーク(Webサイト・アプリ制作)、自社サービス(Paper&Inc)、3Dサービス(masterplan)の3つの柱があります。クライアントワークにおいては、制作だけではなくWebに詳しい広告代理店のような進め方を求められます。目的を実現するための企画を考えるところから、プレゼンも含めゴールまでを提案します。何をどうしていくか?という「答え」を出していくことが弊社の一番の強みです。 (参考URL https://and-ha.com/works_cat/client/

自社サービス「Paper&Inc」についてお聞かせください

このサービスは2014年にGoogleが発表したデザインのガイドライン「マテリアルデザイン」に沿って作ったWebページを掲載しているポータルサイトで、一般の方向けのサービスではありません。マテリアルデザインは人が心地よくWebページを操作するために必要な条件を、人間工学や心理学などをベースに考え尽くされたもので、明確なフォーマットが決まっているのですが、理解するには少々難しいです。このサイトはデザイナーの方に参考にしていただいたり、制作会社やクライアントの方に弊社のスキルとしてご覧いただくなど、プロモーションの一つとして掲げています。 (参考URL https://and-ha.com/works/paperink/

3Dサービス(masterplan)についてお聞かせください

新しい施設や店舗の建設・施工時に、完成形を立体的に可視化するサービスです。 これはある商業施設が新店舗を出店する際に製作しパッケージ化したものです。出店時には施設の高さや、どの位置から店舗が見えるかなど、現地での調査に多大な労力を費やすのですが、それを画面上でできるように街そのものをバーチャルで造りました。画面上で建物の高さを変えてシミュレーションした時、様々な方向や場所からどう見えるかという検証も、クリック一つで簡単に確認できるというものです。社内での意思決定もソフトで可視化して説明できるためスムーズに行えます。他には飲食店内のレイアウト時の導線確認を実際にテーブルや椅子は動かすことなく手軽に行えるなど、応用範囲が広いので今後提案の幅も広がっていくでしょう。 (参考URL https://www.youtube.com/watch?time_continue=2&v=dZ9eGf7VtiA

気の合う人たちと楽しい仕事ができるのが最上

仕事をするうえで大切にされていることは何ですか?

Webの仕事は世界中どこでも繋がっているので、スキルさえあれば誰でも仕事を依頼したり、されたりがほかの業種よりも簡単と思われますが、7、8年この仕事を通して感じるのは、やはり人とのつながりが一番大事と思うことが多いです。この人とこの仕事をすると楽しいという感覚を自分自身は大切にしています。例えば新たにほかの方に依頼すればコストが低くなるとしても、簡単に依頼先を変更するということはありません。これは社員に対しても同様です。今まで一緒に過ごしてきた時間で生まれた信頼や楽しさはコストで測れません。あくまでも自分の考えですが、楽しくなければ仕事をする意味がないと思っています。そして、依頼元・先、社員、自分も含めて仕事につながる人たちが、お互いハッピーになれる仕事をしていこうと思っています。

自分の思考のベース、軸となるものを常に考えることが大切

クリエイティブの仕事についてお聞かせください

必死で仕事を集めていた時に、「アプリ企画で優勝した」ということを武器にしていたためか現在も相談されることが多く、会社の周年事業でWebを使って何かやりたいから提案してほしいといった、ザックリした案件が多いのです。相手のやりたいことを聞き取りして、多数ある選択肢のなかから最善を選んで、プロモーションの伝わり方と、こうなるでしょうというゴールまでを、自分なりの答えを出して提案するのですが、これがクリエイティブの仕事だと感じています。

これから必要だと感じられている能力とは?

自分も迷っている部分ではありますが、今クリエイティブにかかわる人たちの転換期だと感じています。4、5年前でしたら、大学生の間に特別なスキルを磨いた方がいいよと話していたんですが、いまはGoogleなどで検索するとすぐに答えや選択肢が見つかります。各種機器の性能が良くなったこともあり、プロフェッショナルの必要性が昔より薄れてきているのです。多数ある選択肢のなかで、あなたが求めているのはこれですよね?と提案できる人が求められています。何をしたら何が得られるのか?という答えを提示できる能力が必要なのだと思っています。

それには何を学ぶ必要があるとお考えでしょうか

少し前はコミュニケーション能力と言われていたのですが、もっと深い自分の思考のベース、自分の考え方の元となる「軸」を持つことが必要なのではないでしょうか。説明が難しいのですが、例えば、私の実家はお寺ですが、改めて自分の思考のベースに大きな影響を与えている仏教と東洋思想について学んでいます。昔から廃れないものには何かの軸や正解といったものがあると思います。キリスト教やイスラム教など、それぞれの国の文化や歴史、考え方の基軸に大きな影響力を持つものですから、その宗教を学ぶだけでその国や、それに従っている大勢の人たちを大まかですが掴めます。

逆に「では自分の考えの軸は?」と自問して、思考のベースになるものを把握し、何か提案するときに正解はこれと言える判断基準(軸)を持っていることが、必要だと思うのです。アートであれば、作品は作者が自分の考えを考え尽くして形にしたものだから、作者の思想の塊と言えて、その背景を知るだけでも影響を受けて、自分の方向性や軸を考える助けとなるのではないでしょうか。

立ち止まったら終わるから動き続けてほしい

今後どのような会社にしていきたいとお考えでしょうか

現在は私の夢でもある新卒採用を行いたいと考えており、育成するためにはある程度の人数規模が必要となりますので、会社規模をもう少し大きくしたいと考えています。その先は少数精鋭にするか?など役員と共に考えていくことになります。Webを軸にブレずに事業を行っていくことはずっと変わることはありません。

オフィスの仕切りが一切ないことにもこだわりがあるとお聞きしましたが

過去に希望者はリモートで仕事ができるという施策を行ったのですが、止めてしまいました。一緒に居て、それぞれの担当デザイナーとプログラマーとディレクターが雑談することはとても重要で、仕事のことだけを話しても、成長もなければクオリティーも落ちると私は認識しています。オフィスが1階と2階に分かれたら、結局グループでまとまって敵対したという事例を聞いたこともあるので、全員同じ空間で仕事をすることを大切にしています。集中したいときには煩わしいこともあるのですが、そのデメリットよりもメリットのほうが大きいと感じています。

一緒に働くスタッフにどのようなことを求められますか?

新しいものに出会った時に吸収できるクセ、勉強グセをつけてほしいです。止まったら終わりの業界ですから、なんでもいいので自分が気になったこと、ものに出会ったら、その背景や歴史など深堀りして自分なりに思考を広げるクセをつけてほしいです。本も読んでほしいですね。いま本を読まない人が増えていて、学校を卒業してからは年に10冊読まない人が9割だそうです。興味をもって本を読むだけでも大きな学びがありますし、仕事にも生き方にも必ず活きると思います。

取材日:2018年11月21日 ライター:桐生由規

株式会社アンドエイチエー(AndHA)

  • 代表者名:代表取締役 三浦 崇
  • 設立年月:2012年1月
  • 資本金:3,000,000円
  • 事業内容:
  • ◇WEBサイト制作事業(・キャンペーンサイト制作・コーポレートサイト制作・ランディングページ制作・保守、運用・システム開発)
  • ◇アプリ制作事業(・iphoneアプリ制作・Androidアプリ制作)
  • ◇3Dモデリング事業
  • 所在地:〒980-0014 宮城県仙台市青葉区本町1-12-12 GMビルディング6F
  • TEL:022-302-5351
  • FAX:022-302-5352
  • URL:https://and-ha.com/
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