Quantcast
Channel: 風雲会社伝 | クリエイターズステーション
Viewing all 1190 articles
Browse latest View live

ハピログ株式会社

$
0
0
ハピログ株式会社

ハピログは、フェイスブックに投稿された写真や記事を、一冊の本として印刷製本するサービスを行っています。大手IT企業から独立したCEOの中林秀仁(なかばやし ひでと・写真右)さんとCTO の筏井哲治(いかだい てつはる・写真左)さんが石川県金沢市でコンサルタント会社を設立。新たにフォトブック事業『ハピログ』を展開するに当たって富山県高岡市でスタートした企業です。フェイスブックを利用したサービスにとどまらず、さらなる機能強化やアプリの開発を企画しています。

フェイスブックの利便性と紙の暖かさを融合し、
新サービスを生み出す。

ハピログを設立したきっかけを教えてください。

中林さん:2009年当時私達はマイクロソフト日本法人の北陸支店に勤務していましたが、最新のイノベーションやテクノロジーを活用すれば、地方でも世界に通用する新しいサービスを生み出せるのではないか、そんな思いで、当時、住んでいた金沢市で「ピアズ・マネジメント株式会社」を設立しました。

立ち上げた企業では、どのような事業を展開されたのですか。

筏井さん:資本も顧客も製品も何もない状態で「ピアズ・マネジメント株式会社」を起業してしまったのです。それでも、幸いなことに声をかけていただき、営業のコンサルティング、プレゼンテーションやスピーチの指導、人材育成やその他執筆、講演などの業務を少しづつ広げていくことができました。

フォトブックサービス『ハピログ』が生まれた経緯を教えてください。

筏井さん:『ハピログ』が生まれたきっかけは、僕がこんなサービスがあったら良いなぁと前々から思っていたものでした。フェイスブックに投稿されるのは、写真だけでなく、その時の気持ちをつづった文章や、友達からのコメント、そして多くの友達からの共感が「いいね!」に込められています。そんなコミュニケーションをネット上だけでなく、紙媒体として表現し、保存できないかと考えて開発を進めてきました。

CEOの中林秀仁さん

CEOの中林秀仁さん

デジタルの力を利用し、世界中の人に幸せを届けたい。

『ハピログ』の名前の由来は何ですか?

中林さん:『ハピログ(HappyLogue)』は「Happy」、「Log」、「Dialogue」の3つの言葉を組み合わせた私たちの造語です。Happyは一人でも多くの人に「幸せ」を届けたい。その思いから選びました。Logには「日誌、記録」という意味があります。そして-logueという接尾語は「言葉」を意味します。幸せの記録をそのまま残すとても楽しいサービス。それが『ハピログ』です。私たちはデジタルの力を利用し、世界中の人に幸せを届けたいと願っています。

本社を高岡市に置き、新たな企業を開設された理由は。

中林さん:筏井の出身地であり、自宅があった高岡市を選びました。自然と文化が豊かに残る伝統工芸の街であり、ゆったりと過ぎる時間の中、仲間たちとクリエイティブな仕事ができていることに心から感謝していますね。『ハピログ』の事業が広がる中で、金沢市に拠点を置くコンサルタント会社とは異なる展開をしようと2014年に新たな法人としてスタートしました。

『ハピログ』の特徴はどこにありますか。

中林さん:フォトブックを製作する既存のサービスは多く、市場は105億~110億円ともいわれます。私たちがどれだけのお客様を獲得できるかは、チャレンジでした。既存のフォトブックと違うのは、すでにSNSにアップされたものを紙にするという点。投稿する行為はその時点で、編集作業でもあるんですね。写真を選ばないといけない、専用のソフトをインストールしなければいけない、レイアウトを自分で決めないといけない、といったお客様の手間を省いたのが『ハピログ』です。フォトブックは欲しいけれど、子どもを寝かしつけた後に、作業するのは大変だという声も聞いていたので、フェイスブックがフォトブックになる『ハピログ』ならそれが解決できると考えました。それが受けている要因の一つかなと思います。

ハピログ株式会社

富士山登山記念の新聞や、
インスタグラム・ブックなど新たなサービスも。

事業を展開する中で新たな気づきはありましたか。

中林さん:価値の変化というものを実感する出来事がありました。私たちのサービスによって、ユーザーの行動が変わりました。私どもは、ファミリー層をターゲットにしていたのですが、今年、熊本市のグループホームから大量の注文がありました。熊本地震に見舞われて電源が限られる中で、震災被害の状況や復興の様子をフェイスブックに記録していたので、それを本にまとめたいと考え、検索して『ハピログ』のサービスにたどり着いたとのことでした。グループホームの全国大会で配布したいとのことで、業務提携している富士ゼロックス株式会社にご協力いただき、無料で配布することができました。

新しい事業展開もあるのですね。

中林さん:今年の夏は、『富士山新聞』というサービスを行いました。山梨日日新聞社、富士急行、富士ゼロックス、APIXとともに取り組みました。富士山5合目にプリンターを運び込み、登山者が記念にアップした投稿をあらかじめ設定したテンプレートに流し込むと、自分だけの記念すべき『富士山新聞』をその場でプリントアウトするというサービスで、多くの方にご利用いただきました。インスタグラムに特化したフォトブックも今月リリース予定です。

他地域から移住してきたスタッフも多いのですね。

中林さん:スタッフだけでなく私自身も兵庫県神戸市出身です。若い二人は関東から、そしてもう一人は金沢市からこの高岡に集って働いています。今、社屋として借りているのは高岡市の中心部、古城公園お堀近くにある民家ですが、2階を社宅として活用しています。これからもスタッフと力を合わせ、新しいものを生み出していきたいと考えています。

ハピログ株式会社

取材日: 2016年11月2日
ライター: 加茂谷 慎治

ハピログ株式会社

  • 代表者名(よみがな): 中林 秀仁(なかばやし ひでと)
  • 設立年月:  2014年4月
  • 資本金: 1,300万円
  • 事業内容: フェイスブックからオリジナルフォトブックを作成するWebサービスの提供
  • 所在地: 富山県高岡市本丸町2-36
  • URL: https://happylogue.com/
  • お問い合わせ先: support@happylogue.com
  •            電話番号:050-1521-6027


株式会社グローアップス

$
0
0
株式会社グローアップス

株式会社グローアップスは、Web制作をメインにプロモーション事業に携わる会社です。会社設立から3年、年々受注件数を伸ばしています。代表の長谷 英典(はせ ひでのり)さんが独立、起業されたのは、24歳。その時すでに、営業として7年のキャリアを積んでいました。同世代の友人が学生生活を送る中、社会に出てさまざまな経験を積んでいた長谷代表。
いったいなぜ、この若さで起業したのか、またどんなことを目標とされているのか、お話を伺いました。

今、独立しなければ、一生できないと思った

まずは、会社設立の経緯をお聞かせください。

きっかけは3年半前に、弊社のWebデザイナー川谷と出会ったことです。
彼は現在、Web制作に係わる部分をすべて取り仕切り、自らもデザインからディレクションまで担当しています。私自身はもともと勤めていた広告代理店で、プロモーションの運営やディレクションの経験がありました。
お互い「いつか独立する」という目標があったので、出会いを機会に、それぞれの経験を合わせて会社を設立したのです。

具体的な展望はあったのですか?

今独立しなければ、一生できないと思いました。
後悔はしたくなかったので、まず「独立する」と決めて、正直後のことは考えずに登記簿を仕上げました。

それほどの覚悟ができたのは、なぜですか?

いつか自分で商売したいという気持ちを、ずっと持っていたからだと思います。
母親が美容業界で商売をしていたので、小学生の頃からその会社を継いで商売をしなさいと言われて育ちました。
本音を言えば、世間を知らないまま親と同じ道には進みたくなかったのです。ところが、中学在学中(私自身)に、大きな病気が見つかり「あなたのしたいことをしなさい」と母が言ってくれたので、とことん自分の道を究めようと思いました。中学卒業の時点で、25歳までには起業しようと現実的に考え周りにも宣言していました。

高校に行っていれば今の事務所も仲間もない
思うように一本道を貫いてよかった

株式会社グローアップス

なるほど、独立への原動力になったのはお母様の背中だったのですね。そうは言っても、中学生で「独立したい」と考える人はほとんどいないと思うのですが、高校へ進学しなかったのも同じ動機からですか?

学校の友人と自分の世界が、もう全然違うと感じたことが、一番の原因です。
幼い頃から、周りは商売をしている10歳も20歳も年上の方ばかりで、普通に会社や仕事の話をする環境で育ちました。そのため同世代の友人とのつき合いはあまりなかったんです。
中学時代は、周りの大人たちが、稼いだお金でお茶に連れて行ってくれたり、食事に招いてくれたりするのに、自分は親からお金をもらっていることに、違和感を抱いていました。

中学時代に抱いた違和感が、その後の道を決めるきっかけとなったのでしょうか?

そうですね。実際18歳の頃には、ディレクションを担当していましたが、同じ頃同世代の友人は体育祭や文化祭で騒いでいたわけですから、温度差はすごいです。きっと普通に高校に行っていれば物足りなかったと思います。だから後悔はありません。むしろ高校に行っていれば今の事務所も仲間もないですから、思うように一本道を貫いてよかったと思います。

「もしやめてもまた作りましょう」と言われ、
やめるわけにはいかないと思った

Webサイトは今やほとんどの企業が持っていますが、新規参入には苦労があったのではないでしょうか?

確かに、1年目は売り上げが立たず苦しかったです。
ですが、この業界にすでに多くの競合会社があったとしても、開拓が難しいとは思いませんでした。
これからまだまだ伸びしろがある業界であり、とても面白い仕事だと感じていました。
実際、めげずにあちこちに顏を出していると、2年目からは忙しくなり、今の場所へ引っ越すことができました。それまでは飲み屋街のマンションで、18時を過ぎると、演歌が聞こえるような環境だったんです。3坪の部屋に3、4人で仕事をしていたので、とても広くなりました。

苦しかった一年目、そこでやめなかったのはどうしてでしょうか?

ひとりではなかったからだと思います。
もうやめようと思ったのは2度や3度ではありません。私だけだったらとっくにやめていたと思います。
一度、当時のメンバーに、このままでは共倒れになると、有名な会社を紹介するのでそちらに行くよう話したことがあります。けれどその時に、メンバーから「もしやめてもまた作りましょう」と言われて、やめるわけにはいかないと思いました。

初めての受注は、ひと月1万円のホームページ制作
この時のことはずっと忘れません

株式会社グローアップス

現在、業務はWebサイト制作が中心とのことですが、御社の強みを教えてください。

イベント関連の仕事にも対応できることです。
少し前に携わったファッションショーの「神戸コレクション」や「関西コレクション」では、広告の制作、キャスティングに加えて、バックヤードでのヘアメイクまで担当しました。
実は、リアルなイベントの運営と並行して広告周りにも携わることができる会社は、関西では多くありません。これは大きな強みです。
最近も「関西コレクション」で外国人のインバウンド向けの事業に、大手旅行会社様と一緒に携わりました。シンガポールから美容ツアーで来日された方々を対象に、ツアーコンテンツのひとつとして、ファッションショーの観覧を企画したのです。来日される約300人に向けた規模のイベントで、事前のディレクションから当日の運営までを任せていただきました。

一番印象的だったお仕事はどのようなものでしたか?

初めて受注した弊社1件目のお仕事です。
ホームページ制作で、売上はひと月1万円の仕事でしたが、受注できた時は、めちゃめちゃ嬉しかったです。
それまで勤めていた会社はすでにたくさんのクライアントを持っていて、こちらから営業することはなかったので、どうやって仕事を取るのか、全てが初めての経験でした。
そんな手探り状態の中、たまたま知人から、ホテルを80棟持つ会社の子会社で割と大きなところを紹介してもらったのですが、弊社は実績がなくてなかなか受注できませんでした。
ところが、2か月通い続けたところ「ここまで熱心に足を運んでくれたから」と、お仕事をいただけるようになったのです。
この時のことはずっと忘れません。

呼ばれればすぐに出向く、フットワークの軽さが営業の取り柄

営業は、どのようにされているのですか?

友人を通じて知り合うことが多いです。プライベートでの交流は10代から働いているため、年上で会社を経営されていたり、大きなイベント会社のプロデューサーをされている方が多いのです。そうした方々が、同じように大企業に勤めているようなご友人を紹介してくださいます。そこからお仕事につながることは少なくなりません。
仕事で知り合った方からのつながりで新しいお仕事をいただくことも多いです。
例えば先ほどの「関西コレクション」でのお仕事も、あるお客様がきっかけでした。
以前、弊社のお客様で美容室を経営されている方が、ファッションショーのランウェイを歩くタレントのヘアセットを受けてくだり、そのつながりで広告も任せていただいたことがありました。
こうした様々な機会のおかげで、起業2年目から受注件数が増えてきたのです。

出会いはあっても、実際お仕事に結びつくのは難しいと思うのですが、受注につながる鍵は何だと思いますか?

行動力でしょうか。
プライベートで知りあって、「会社へ来なさい」と言われたら「伺います」と即答してから、本当に後日名刺を持って訪ねます。
実際には、「行きます」と答えておきながら、行かない人が多いのではないでしょうか。
この呼ばれればすぐに出向くフットワークの軽さが、営業としては相手の方に受け入れてもらいやすいようですね。

反対に、失敗した経験は?

クライアントを怒らせてしまったことがあります。
仕事量が急激に増え、対応しきれずご迷惑をおかけしてしまいました。その時、代金をいただかないことはもちろん、代表の方に直接会えるまで足を運んで、お詫びの品を届けました。失態を認めて誠意を尽くすことで許していただき、また次の案件も依頼していただけたのです。

まさに長谷さんのフットワークと、お人柄が表れたエピソードですね

そこしかないと思っています。
弊社はまだまだ日本一のWebデザインやグラフィックが作れるような、特別なものはありません。だから正直、営業に関してはどれだけ誠実にできるか、私という人柄で判断されると感じています。
私自身、デザインができるわけでもないので、社内のデザイナーたちができないことをやり、フォローを徹底するつもりです。

まったくゼロから始め、経験の中で学んでいく感覚

株式会社グローアップス

現在、従業員は何名ですか?

アルバイトを入れて6名。コーディング、デザイン、ディレクション担当がいて、Webやグラフィックを制作しています。撮影作業もありますが外注で、それも含めたディレクションを川谷が取り仕切っています。
私はひとりで営業周りとイベントを担当しています。

ひとりで営業をされて3年、今感じていることをお聞かせください。

この会社を始めた時、ルールも仕事の取り方も、何が正しいのか全くわかりませんでしたが、やっとこれが正しいと思える形に近づいたと感じています。営業の仕方や仕事のマナーなど、独立してから経験の中で、学ばせていただくことが多かったですね。
最近は海外のお客様が多くなってきたので、問い合わせの対応管理が難しいと感じています。
でも取引先のある香港、台湾、NYの現地オフィスへ伺うことがありますが、東京出張よりもテンションは上がりますね。
会社設立もそうですが、まったくゼロから始めていく感覚、自分はそういうのが好きなんだと改めて実感しました。

人生は賭け。不安や多少の犠牲は覚悟で、
思っていることは全部したい

今後どのような方とお仕事をしていきたいですか?

クリエイティブセンスの高い方です。
海外に行って感じるのは日本とのレベルの差です。海外では卒業したての学生の多くが、日本で10年のキャリアを持った方と同じくらい高いクオリティでものを作ります。Webはもちろん、事務所の雰囲気からして違うのです。

これからの目標を教えてください

年内に東京と大阪に1支店ずつ会社を設立予定です。
大阪には、増えてきた撮影案件のためフォトスタジオを作り、東京には、Web制作会社を作る予定です。
私自身は、代表という立場にこだわっていないので、いつかは他の者に会社を任せて新たな会社を創りたいです。Web関係の仕事以外にも、イベント業や飲食業、母が携わってきた美容業界の仕事も視野に入れ、会社を増やしていこうと考えています。
人生は賭けだと思っていますので、不安や多少の犠牲は覚悟して、思っていることは全部やってみたいですね。

取材日: 2016年10月19日
ライター: 東野敦子

株式会社グローアップス

  • 代表者名(よみがな):代表取締役 長谷 英典(はせ ひでのり)
  • 設立年月:2014年6月
  • 事業内容:WEBサイト制作・システム開発・アプリ開発・プロモーション
  • 所在地:大阪市中央区南船場2-11-13 福田ビル403
  • URL:http://grow-ups.jp/
  • お問い合わせ先:06-4708-7465

株式会社えんれいしゃ

$
0
0
株式会社えんれいしゃ

「オシャレなお店を探すなら『poroco(ポロコ)』を読む!」と札幌の女性から絶大な信頼と人気を集めている、さっぽろコミュニケーションマガジン『poroco』。魅力的な企画とクオリティの高い写真で、創刊当時からずっと読み続けているという読者も多い札幌の情報誌です。今回は発行元である株式会社えんれいしゃ出版事業局にて、2014年から編集長を務める福崎里美さんにお話を伺いました。

美しい誌面を裏で支える
地元密着の徹底したリサーチ

株式会社えんれいしゃ

出版事業局の事業内容について教えてください。

株式会社えんれいしゃは北海道新千歳空港内の様々な媒体を使った情報発信や、空港内店舗の企画・設計・運営をメインに、地域情報の発信などを行っている広告代理店です。
私が所属する出版事業局では、札幌エリアを中心に女性向け情報誌の『さっぽろコミュニケーションマガジン poroco』、ガーデニング雑誌の『MyLoFE(まいろふぇ)』、全国誌の『北海道生活』といった雑誌やその他別冊本を企画、編集、発行しています。元々は出版社だった別会社が、2015年10月に同社と合併し、新しい体制での新事業としてスタートしました。

出版事業局のでメイン媒体『poroco』はどのような雑誌ですか?

札幌エリアを中心とした地域情報を発信している“月刊情報誌”です。グルメやファッション、イベントなどタイムリーな情報を毎月紹介しています。
いわゆるタウン情報誌というと中心の読者層は10代後半~20代前半の若者で男女半々くらいというのが一般的ですが、『poroco』の読者はそれとは大きく違い25~40歳の大人の女性が中心です。札幌の女性はアクティブでオシャレな方が多く、そんな方たちに支持していただき今年で創刊から19年になりました。

19年!来年は20周年なんですね。

出版不況と言われる現在、様々な雑誌が次々と休刊、廃刊になっています。その中で常に読み続けてくださる読者の皆様がいて、長く発行し続けられていることは、とてもありがたいと思っています。

長く支持されている理由はどこにあると思いますか?

クオリティの高い写真や誌面構成をお褒めいただくことも多いのですが、一番の理由は流行に敏感な女性をターゲットとしていることと、足で稼いだリアルな情報でしょうか。『poroco』の柱となるコンテンツはグルメ情報ですが、今はインターネットで色々な情報を入手できるので新店を探すだけならグルメ検索サイトでできてしまいます。お店を知るきっかけとしてはそれでもいいと思うのですが、私たちは編集者として必ずお店に足を運び、自分たちの目で直接確かめることを大切にしています。駅ごとにローラー作戦でお店を回ったり、プライベートの時間を使ってお店に行ってみたり、カレー企画のために何十食もカレーを続けて食べたり。そうやって調べてきた精度の高い情報をたくさんストックしているので、読者の求める情報にピッタリな企画づくりや掲載店の選定ができるのです。
今では「札幌でいいお店を探そうと思ったら『poroco』を見る。」「『poroco』に載ってるお店なら間違いないね!」そう言われる媒体にまで成長したと自負しています。

別冊本で広がるターゲット
老若男女問わず手に取ってもらえる仕掛けづくり

株式会社えんれいしゃ

月刊誌以外にも色々ムック本を出していらっしゃいますね。

“『poroco』増刊”という形で別冊本を、「札幌の美食店」、「札幌café本」を年に1回ずつ、「ランチパスポート」を年に4回発行しています。『poroco』は女性読者がメインなのに比べ、別冊本は男性もターゲットにしていて、実際に男性読者も多いです。ランチパスポートはランチを食べる方全員が読者になりうるので、学生や若いOLさんから主婦層、お父さん世代のサラリーマンまで、幅広い世代の方に利用していただいています。

「ランチパスポート」使っている人を街でよく見かけますね。

「ランチパスポート」は高知県のタウン誌“ほっとこうち”で始まった企画が全国に広まったもので、札幌では私たちが2013年5月から発行しています。「1冊につき利用は1人」「利用は各店3回まで」「有効期間は発行日から3か月間」というルールで、冊子を提示すれば通常700円以上で提供しているランチメニューを一律500円で食べられます。300円以上割引になるメニューも多く、約1,000円でランチパスポートを購入していただいても3回利用すれば元がとれちゃうお得な企画なんです。
お得感ももちろんですが、スマホアプリのクーポンなどもたくさん出ている中で「ページをめくってお店を選び、冊子を提示してサービスを受ける」というアナログさとシンプルさが人気の理由かもしれませんね。
発売1週間でこんなに売れる媒体はないんじゃないかと感じています。発行の3万部があっという間に完売してしまう時もあり読者から増刷の要望も多いのですが、協力いただいている飲食店にも負担が大きい企画なので増刷はしてないんですよ。

札幌以外のエリアバージョンもあるんですね。

「旭川」「函館」「十勝」の地方版と、北海道内の道の駅のメニューを掲載した「道の駅グルメ」があります。地方版はその土地の出版社や新聞社と協力して、道の駅版は北海道庁や北海道開発局等と組んで制作をしました。札幌では認知度の高い『poroco』ですが道内でも札幌以外ではまだまだですので、今回の企画では地方の都市での認知度アップにもつながったかなと思います。売れ行きも好調です。
函館版の発行はちょうど北海道新幹線開業のタイミングで函館全体が盛り上がっている時だったので、予約販売で7割以上売れて、こちらもほぼ完売となりました。

地域NO.1の媒体を目指して

株式会社えんれいしゃ

『poroco』は、紙媒体以外の展開についてはどのようなことを考えておられますか?

現在はHP、フェイスブックページの開設、会員へのメルマガ発行などを行っています。WebサイトのPVは月間で100万PV以上、メルマガ会員も1万人ほどいますので、今後はWebコンテンツの充実や、誌面からWebへの連動企画をやって行きたいと考えております。読者サービスのためのスマホアプリなど、テコ入れしたい部分はたくさんありますので今後注力して行きたいと思います。

メルマガ会員は1万人もいるんですね。これだけでちょっとした組織になりそうですね。

その1万人の中から、更に250人の超コアユーザーをモニター会員として本登録しています。モニター会員の方には月に数回、誌面についてのアンケートや、商品についてのマーケティングに協力していただいています。このメルマガ会員やモニターを利用したマーケティングリサーチの企画も実施していますよ。雑誌のリニューアルなどの際に札幌のマーケテイング会社を利用して市場調査をしたことがあるのですが「流行に敏感な20~40代女性」をターゲットにする限り、私たちの方がサンプル数もデータ量も勝っていました。『poroco』でもこの財産を使って今後色々な取り組みができればと考えています。

今後の展望をお話しいただけますか?

ムック本の横展開でターゲットやエリアが広がったという話をしましたが、私たちのメイン媒体はやはり『poroco』。これを“札幌・女性・グルメ”の分野でNO.1の媒体にしたいと思っています。すでに認知をいただいていますが、それをもっともっと強化していきたいです。「札幌で女性向けの媒体と言えば『poroco』が1番!」と言われ続けたいと思っています。
ただ、今後それがずっと紙媒体の雑誌という形をとるとは限らないと思います。紙からWebのみになった媒体もたくさんありますので、Webの分野についても勉強していく必要があると思っています。ですが、紙媒体だからできること、雑誌ならではの魅力ももちろんあります。新しく読者になる方に向けて雑誌として形があることはわかりやすく、『poroco』という商品が伝わりやすいというメリットがあります。いずれにしても媒体を支えるのは、読者にマッチした企画と精度の高い情報です。今後もぶれずに、『poroco』読者に対してより魅力的な情報を提供していきたいと考えています。

取材日: 2016年11月4日
ライター: :小山佐知子

株式会社えんれいしゃ

  • 代表者名: 池田尚優
  • 設立年月: 1987年2月
  • 資本金: 3億円
  • 事業内容: 広告宣伝及び広告代理業、情報通信システムによる情報提供サービスおよび情報処理業、
    旅行業、空港旅客並びに空港利用者に対する案内サービス並びに付帯管理業務など。
  • 所在地: 北海道札幌市中央区北1条西2丁目1番地 札幌時計台ビル9F
  • URL:http://www.enleysha.co.jp/

poroco:MIX http://www.poroco.co.jp/

株式会社中日メディアブレーン

$
0
0

株式会社中日メディアブレーン

名古屋市内に配布される中日新聞朝刊の折り込みとして54万部発行の環境情報紙『Risa』、アクティブシニア向けの情報紙『ローズ』といったフリーペーパーを編集・発行する株式会社中日メディアブレーン(名古屋市中区)にうかがいました。
ダイレクトなメッセージ性を持ち、社会性や公共性を重視した紙面づくりや、広告を制限した紙面構成は、中日新聞社を背景に誕生した会社ならではです。
媒体の強みである発信力を生かし、過疎地域などの自治体が抱える高齢、観光などの課題を田舎暮らしや起業の誘致など様々な方面からアプローチし解決の糸口を探ります。それゆえ紙面は読者参加型の身近なテーマで溢れています。
次々とアイデアを形にする江口敬一社長に、次なる目標であるシニア層が活躍できる「循環型自立社会」の実現についてのお話しを伺いました。

社会と連動する媒体の誕生

株式会社中日メディアブレーン

起業される前は何をされていたのですか?

元々は中日新聞専門の販売店をやっていました。新聞の販売店には様々な社会的ニーズや、タイムリーな情報が集まってきます。
メディアに関わることは社会の変化に関われること。いつか自分のメディアを持ちたいという思いはあったので、市民の声がよく聞こえてくる立場にいたことが、新しい媒体を作ることに役立ったと思います。

起業されたきっかけとその想いを聞かせてください。

きっかけは、既に休刊したパパ向けフリーペーパー『Well Papas(ウェルぱぱす)』の創刊です。98年に起業し、中日メディアブレーンを設立しました。
1999年名古屋市が出した「ごみ非常事態宣言」をきっかけに、ゴミ処理場に予定していた藤前干潟の埋め立てを断念したことで、ごみ総量の減量が死活問題になり、排出者責任が問われ、新聞も例外ではなく「作りっぱなし、配りっぱなし」が問題視されました。
そこで「環境」をテーマに3Rの啓発、啓蒙と回収システムの構築などを提言する環境情報紙『Risa』を構想し中日新聞社に提案すると、すぐにゴーサインが出ました。

※リデュース(Reduce)、リユース(Reuse)、リサイクル(Recycle)。

二大媒体のもう一つ、『ローズ』創刊の経緯も教えてください。

日本の介護保険制度が始まった2000年に、少子高齢化問題が浮上し、読者層に響くメディアとしてシニア情報紙『ローズ』を創刊しました。

社会性なくして事業性なし

10年以上昔の紙面を振り返る江口敬一社長。

10年以上昔の紙面を振り返る江口敬一社長。

フリーペーパーは名古屋でも激戦区だと思いますが、御社の事業の特徴は何ですか?

フリーペーパーには商業目的を主軸にしたコマーシャルペーパーと、社会的コンセプトや理念を持ったソーシャルペーパーと2種類あると思います。弊社は後者で、私は社会性なしに経済活動を行うことは非常に難しいと考えています。
以前は巷に多くのコマーシャルペーパーが溢れていましたが、現在急速に減少してきています。広告収入目的に無尽蔵に情報を載せるコマーシャルペーパーを読者は読みたいと思うでしょうか。一企業、一メディアとしての社会的責任や使命感を持って、読者の生活やより良い社会の実現のために有意義な情報発信をする媒体にこそ需要があると思います。

フリーペーパーである以上は広告収入も必要ですよね。社会性と事業性をどのように両立されていますか?

広告を頼りにすると、どうしても権限が(編集より)営業寄りになります。それゆえ、創業当初からいわゆる商業ベースにしたものではなく、環境や少子高齢などのテーマ性のある媒体を展開してきました。
そして広告専用の総合広告会社、株式会社中日BBを創立したことで、編集と広告を分断し、別個の収益を確保しました。紙面での広告比率は3割に抑え、中日新聞より厳しい広告審査基準を堅持し、記事体広告は作らないことにしています。

「社会貢献型フリーペーパーとして、市民、NPO等非営利組織、企業、行政と協働する」とホームページにありますが、具体的なビジネスモデルは?

弊社がクラスター(組織)とクラスターを結びつけて問題解決のためのネットワークを作るプラットフォームのような役割を果たすことです。社会基盤を構築することをイメージしています。そのためにはまずメディアとして周知されなければ連携は図れませんし、社会性が高くなければクラスター同士をつなげることもできません。実績により社会的信用を勝ち取り、発信できる強みを活かして自治体が抱える高齢化や観光などをテーマに、長い付き合いで関わらせていただいています。

自治体や大学とともに町おこし

株式会社中日メディアブレーン

どこからのどんないらい協働案件が多いのですか?

自治体からの村町交流や、過疎地と都市を結ぶ事業などが多いです。最近では、「世界一素敵な過疎の町」を目指す北海道檜山郡厚沢部町と中京圏のシニア層との交流を進めています。北海道石狩郡当別町では企業を誘致するためにテレワークが成り立つか実証実験を行い、実現性を確かめた上で、行政がインターネット環境の整備を行い、企業誘致の視察ツアーを行いました。
その他にも、お試し田舎暮らしや婚活ツアーなどユニークな企画で人の往来を活発にして地域の課題を行政とともに解決する提案を行いました。

観光客誘致の協働もありますか?

自治体との協働で、現地で観光資源を探したり、着地型観光の企画やフリーペーパーの紙面で読者やローズ倶楽部会員への参加者募集も行います。

※観光客の受け入れ先(着地側)が地元ならではのプログラムを企画し、参加者が現地集合、現地解散する新しい観光の形態。

印象に残っている観光資源はありますか?

観光資源というものは都市部の人や第三者からみれば非常に魅力的でも、現地の人々にとっては当たり前であることも多いんです。例えば、北海道の布袋魚は地元の方にすれば雑魚同然で地域外には出回らないと言いますが、食べてみると身は柔らかく、鍋料理との相性が非常に良かったです。存在そのものを知ってもらうこともさることながら、美味しい食べ方が広まれば観光地域資源の発掘も手助けできます。

自治体のほかに大学との協働事業があるそうですが、どんな事業がありますか?

厚沢部町と愛知学院大学・同朋大学との協働で始めた「アウトキャンパス授業」は、今年で5年目を迎えます。過疎などの社会問題は、机上の講義だけで学ぶよりも現場に足を運びフィールドワークすることで、より大学の研究や学生自身の成長につながっています。

質の高い仕事でワークライフバランス

株式会社中日メディアブレーン

女性が多い職場だと伺いました、女性社員は活躍されていますか?

確かに男女比は1:9で女性が非常に多い職場ですね。弊社の女性陣をみていると、女性の戦闘力や現場力の高さを感じます。例えば、1人で商談に行き、話をその場でまとめ契約を取ってくるなど、女性の逞しさを日々感じています。

働きやすい職場環境にするために、待遇や制度面で配慮されていることなどがあれば教えてください。

特段ありませんが、現在、産後休暇と育児休暇を取得後、時短勤務をしている社員が2名おり、限られた時間のなかで生産性をあげて仕事をしてくれています。その2名に限らず、ほとんどの社員が18時頃には退社しているので、同業者に比べると非常に能率の高い仕事をしてくれていると思います。

確かに家庭をもつ女性などは特に時間的制約があり、量より質で勝負したいところですよね。現在、扶養者控除の法改正が議論されていますが、女性の活躍の面でも御社は先進的ですね。

今後は法改正や高齢化に伴い、親の介護をしながら働く人もますます増えてくると思います。育児や介護をしている人だけでなく、老若男女が働きやすいダイバーシティの観点が重要になってくると思います。

シニア世代の力を社会へ還元

御社が謳っている「社会貢献」の観点から、ホームページに記載がありました「自立型地域社会の確立」について教えてください。

現在、高齢者の医療や介護を税金で支援していますが、それには限界があります。しかし定年退職したシニア世代には40年かけて社会で培ったスキルや経験、知識があります。その資源をボランティアや働くことを通して、地域や社会の課題解決に活用できる「循環型自立社会」の仕組みづくりに取り組みたいと思っています。

「循環型自立社会」とは具体的にどんな仕組みですか?

一言で言うと、シニア世代の眠っている経験や能力が生かされ、地域に還元されることで、地域に循環が生まれ、自立型の仕組みを作れたらと考えています。
リタイアした65歳以上の人がボランティアをして介護に使えるコインを手に入れる「地域通貨」の発行を実践している自治体もあります。

「介護制地域通貨」、新聞で読んだことがあります。現時点で問題点は何ですか?

全国で決済する(どこでも使える)システムがないことです。引っ越したり田舎暮らしをしたりすると使えないのが問題です。また試験的な取り組み事例では、一定額以上たまるとボランティアをやらなくなったり、貯めるだけで使わなかったりなどの課題も発生しています。

シニア世代が働くためにはどんな仕組みが必要ですか?

個人が持つ技能や体験を経験資産として登録し、解決すべき課題に必要な知識とスキルをマッチングします。シニア世代の雇用を斡旋する「シルバー人材センター」などもありますが、硬直化して細かい希望に対応できていません。
技術職以外の一般職をリタイアした人の中には、自身の経験を過小評価している方が多いのですが、小さな企業やNPO法人などでは日常的な困りごとも多く、経験を生かせるスキルは必ずあります。またシニアにとっても働きたい時間に働くことで、年金プラスお小遣いが手に入るので、双方にメリットがあります。

取材日: 2016年10月28日
ライター: 望月佑香

株式会社中日メディアブレーン

  • 代表者名(よみがな): 江口 敬一(えぐち けいいち)
  • 設立年月: 1998年3月
  • 資本金: 1,000万円
  • 事業内容: 生活情報紙、環境情報紙、シニア情報紙の編集制作・発行、広報紙の編集制作など
  • 所在地: 〒460-0008 名古屋市中区栄2-11-30 セントラルビル5F
  • URL: http://www.media-brain.co.jp/
  • お問い合わせ先: 052-232-3500

GMOペパボ株式会社 minne事業部

$
0
0
GMOペパボ株式会社 minne事業部

今回ご紹介するのは、GMOペパボ株式会社 minne事業部。取扱アイテム数約400万点以上・登録作家数約30万人以上のハンドメイドマーケットサイトminne には、アクセサリー、ファッション雑貨をはじめ、文房具、ペットグッズなど、さまざまアイテムが集まっています。サービスの生みの親は、エバンジェリストの阿部雅幸(あべまさゆき)さん。minne立ち上げのきっかけから、エバンジェリストの役割、ハンドメイドマーケットへの想い、minneの今後まで、お話を伺いました。

雑貨・ハンドメイド好きという趣味と
新規事業の社内公募が結びついて生まれたマーケットサイト

GMOペパボ株式会社 minne事業

minneをスタートしたきっかけを教えてください。

きっかけは新規事業の社内公募です。当時、私はショッピングモールサイト「カラメル」で企画担当をしていました。公募が掛かった時、「自分の好きな分野と、会社がミッションとしていることの間で、何かできないか?」と考えました。私は雑貨やハンドメイドが好きで、イベントなどに足を運んで、雑貨や小物を見たり買ったりしていました。GMOペパボには「インターネットで可能性をつなげる・ひろげる」というミッションがありますので、趣味とミッションを繋ぐ事業としてハンドメイドのC to Cサービスを考えました。社内公募へ応募し、企画が通って、サービスを立ち上げました。

雑貨やハンドメイドがお好きとのことですが、そういったジャンルの仕事・サービスを手がけたいという想いはもとからあったのですか?

ありませんでした。ハンドメイドは、純粋に趣味として好きでした。新規事業というお題が社内公募で出てから、「自分はどういう提案ができるか」と考えた時に、好きだったハンドメイドの世界に想いが至ったところからスタートしています。なぜそういうマーケットが欲しいと思ったかというと、イベントで作家さんに会って話をした後、家で作家カードに記載されている情報からブログを見たりネットで検索をするのですが、そこからなかなか作品にたどり着けず、購入できないことが多かったのです。そこでネット上にハンドメイドのマーケットを作れば、自分自身もうれしいですし、他のハンドメイドファンからも喜ばれるのではないかと思いました。作家さん自身も、イベントだと作品を届けられるのはイベントに参加した周辺の人だけですが、ネットであれば日本中、世界中のハンドメイドファンに広げることができるので、そういうサービスを作りたいと思いました。

作家さんは作品を作ることで手一杯ですから、ネットでの発信までは手が回りませんよね。

はい。作家さんの話を聞いていると「ネットショップの作り方が分からない」と、ネットに対するハードルがとても高かったのです。だから、minneを設計するにあたりとにかくシンプルに、できるだけ簡単にお使いいただけるよう、作家さんが作品づくりに集中できるサービスにしようと心がけました。

minneは博多弁の●●してみんねの“みんね”
出してみんね! 買ってみんね! 来てみんね!

手作り感とスタンダードなイメージをデザインしたのロゴマーク。minneは博多弁の「●●してみんね」が由来。

手作り感とスタンダードなイメージをデザインしたロゴマーク。minneは博多弁の「●●してみんね」が由来。

minne立ち上げまでの阿部さんのキャリアを教えてください。


2006年に入社し、まず最初はネットショップ構築サービス「カラーミーショップ」のカスタマーサポートを担当しました。次にブログサービス「JUGEM」で広告運用やマーケティングを担当後、ショッピングモール「カラメル」の企画運営を経て、福岡でminneを立ち上げました。元々は、東京の本社勤務でしたが、minneの立ち上げとともに福岡配属となり、去年(2015年)、東京に戻ってきました。

では、minneは福岡発祥なのですね。

はい。minneの名前の由来も、博多弁の「●●してみんね」からです。福岡で立ち上げたサービスなので、その土地にゆかりのある名前にしたいと思いました。「食べてみんね」「見てみんね」など、「●●してみない?」という意味があります。minneは作品を購入するお客さん、作品を販売する作家さん、双方が利用するサービスです。作家さんには「出してみんね」「売ってみんね」、購入するお客さんには「買ってみんね」「来てみんね」という呼びかける言葉なので、「みんね」ってすごくいい言葉だなあと思ったのです。

ロゴデザインについてこだわったポイントは?

mとnの左側が若干はみ出ています。通常のフォントですと、はみ出していませんが、人の手が加わったイメージをデザインしています。また、「ハンドメイドといえば、スタンダードはminne」という認識をお持ちいただけるように、ある程度太めで、存在感のある書体で作っています。ただ、無骨な感じにならないよう、丸みを付けて優しい感じに、温かみのある手作業の雰囲気を出しました。

「気軽に作品を販売して欲しい」作り手想いのシステム

現在の minne事業について教えてください。

ハンドメイド作家さんが個人で簡単に販売できるマーケットサイトで、ブログを書く感覚で作品を販売・展示できます。作家さんは会員登録も作品登録も無料で、作品が売れた時にだけ10%(税抜)の販売手数料をいただいています。作品が数多く集まるので、ハンドメイドや雑貨好きな方にとっては、自分の好きなものが溢れるマーケットです。

会員登録も作品登録も無料というところに、ネットでの作品販売のハードルを下げたい、という作家さんへの想いが伝わってきますね。

当初は月額で会員登録料をいただく案もありましたが、ネットでハンドメイドの作品を販売するマーケット規模が小さい中で料金を取ってしまうと、今後も広がっていかないのでは、と開始前に方針転換をして無料にしました。まずは作品をネット上に出していただくことを最優先に考えることにしました。ウェブサイトのサービスとしてスタートしましたが、今はアプリが中心で、スマートフォンからの閲覧が9割を超えています。2015年にテレビCMとウェブ広告でアプリの訴求をした際に、利用率は逆転しました。その頃既に世の中ではブラウザ版とスマホ版の利用率が逆転していましたし、アプリが伸びることはある程度予測できていましたので、そちらへ一気にシフトしていこうという考えのもとで戦略的にPRをしました。

サービスの魅力を伝える「エバンジェリスト」
スタッフもファンを増やすことが大切

minne事業部のあるオフィス。全国の作家と購入者をつなぎ、ハンドメイドマーケットを盛り上げている。

minne事業部のあるオフィス。全国の作家と購入者をつなぎ、ハンドメイドマーケットを盛り上げている。

阿部さんの肩書き「エバンジェリスト」についてお聞かせください。お名刺には「minneのザビエル」とありますが、「伝道師」といったイメージ・役割でしょうか。

「エバンジェリスト」を名乗ったのは2015年からです。
最近、IT業界では「エバンジェリスト」と名乗る人たちが増えてきています。まさに「伝道師」のことで、サービスを伝えるという役目があります。作家さんにminneについて説明したり、メディアのインタビューに応えてサービスの告知をしたり、トークセッションなどのイベントでminneについて話しています。

一緒に働くスタッフに対して、どのようなことを求めますか?


minneとしては、このサービスが好きなことが大変重要だと思います。ハンドメイドについての理解をある程度持っていて、好きになって、実際に使っている、そういったことは最低限必要だと感じています。
基本的なこととしては、何事も前向きにとらえて仕事ができるという事も大事ですね。
また、会社(GMOペパボ)としては、「大切にして欲しい3つのこと」というのがあります。それは、1.みんなと仲良くすること、2.ファンを増やすこと、3.アウトプットすること、です。特に、minneのスタッフは作家さんと接する機会が多いためファンを増やすことを意識してもらうようにしています。

食品、Webマガジン「minne mag.」を新たにスタート
多くの人に選ばれるハンドメイドマーケットサイトを目指して


minneについて、今後、どのような展開をお考えですか?


minneとしては、サイトへこられた方に楽しんでいただくことこそが重要だと考えていますので、みなさまに楽しんでいただけるサービスを増やしていきたいと思っています。ハンドメイドを「物づくり」として捉え、今年(2016年)4月、食品のカテゴリーを増やしました。食品は安心してお買い上げいただけるように、許認可を持っている人が作ったものだけを扱っています。今後はハンドメイド用の素材や、クラフトビールといったお酒類、ハンドメイドと親和性の高いビンテージアイテムなど扱うカテゴリーを拡大していきたいと考えています。
今、minneの作品は400万点以上ありまして、欲しいものが見つけづらくなってきている、という課題があります。トップページにはディレクターがキュレーションしたものが表示されるのですが、ユーザーに合わせて好みのものを訴求する仕組みを提供していきたいと考えています。

今年(2016年)、6月にWebマガジン「minne mag.(ミンネマグ)」をスタートされたということですが、そちらについてもお話いただけますか。

minneは作品を探しに来る場所なので、欲しいものが見つからなかった場合、ユーザーが離脱してしまうという課題がありました。そこで、作品を探すこと以外にもminneに来ていただくための動機作りとして、作品の背景や作品をスタッフが記事として紹介する、作家さんの顔が見えるメディアを立ち上げました。ハンドメイドを扱うお店の情報や、その月に開催されるイベントの情報なども盛り込んでいます。

阿部さんご自身が目指していること、将来の展望・夢などを教えてください。

私はminneを立ち上げた責任者ですので、サービスを大きくすることこそが一番の夢です。ハンドメイドについては、まだまだ認知が低いと感じています。たとえばネットで買い物をする時に、アマゾンや楽天、自分が好きなブランドのECサイトなどが頭の中に浮かびますが、その中にハンドメイドのサイトはなかなか登場して来ない。だからminneを世の中の人みんなが知っていて、選ばれるマーケットに育てたいという想いがあります。
ハンドメイドの価値をきちんと伝えたいとも思っています。ハンドメイドの印象は二極化していて、とても高級なものか、チープなものだと思われています。ハンドメイドには、価格、クオリティ、センスが揃った、良いものがたくさんあることを伝えていきたいです。minneのサービスを大きくしていくことで、ハンドメイドの魅力を世の中に伝えられると思っています。

作品に込められた想い、イベント情報など、ハンドメイドの魅力をさらに楽しめるWebマガジン「minne mag.(ミンネマグ)」。

作品に込められた想い、イベント情報など、ハンドメイドの魅力をさらに楽しめるWebマガジン「minne mag.(ミンネマグ)」。

取材日: 2016年11月10日
ライター: 保坂久美

GMOペパボ株式会社

GMOペパボ株式会社(英文表記:GMO Pepabo, Inc.)

  • 代表者名: 代表取締役社長 佐藤 健太郎(さとう けんたろう)
  • 設立年月: 2003年1月
  • 資本金: 1億5,967万円(2015年12月末現在)
  • 事業内容: インターネット関連サービス
  • 所在地: 東京都渋谷区桜丘町26番1号 セルリアンタワー
  • URL: https://pepabo.com
  • お問い合わせ先:上記HPの「お問い合わせ」より

minne

株式会社共同印刷

$
0
0
株式会社共同印刷

石川県能美市に本社がある株式会社共同印刷は創業24年目の印刷会社です。名刺、封筒、DM、ポスター、のぼり、チラシなどの各種印刷物やホームページなどを制作しています。競争が厳しい業界にあって、「販路拡大・経費削減のパートナー」となることをモットーに着実に業績を上げています。学生時代に事業承継を決意したという、社長の深田哲平さんに後を継ぐきっかけとなったエピソードや経営者として考えていることなどうかがいました。

父の病気をきっかけに、学生時代に事業承継を決意。

会社設立の経緯を教えてください。

弊社は、広告代理店や印刷会社、企画会社などで働いていた父が創業した会社です。企画やデザインが好きだった父はいつか印刷会社を創業したいと考えていたようです。金沢市と小松市の間にあって、市町村合併の前は辰口町だったこの土地に印刷会社が少なかったこともあり、ここを選んで42歳の時に、脱サラをして印刷会社を立ち上げました。

お父様の後を継いで、社長に就任されたのはいつですか?

2014年(平成26年)に、父の後を継いで、社長に就任しました。県外の大学を卒業し、2006年(平成18年)に地元へ戻り、そのまま父が社長をしていた共同印刷に入社しました。

なぜ、会社を継ごうと思ったのですか?

大学3年生の時、ヘビースモーカーでお酒も好きだった父の脳に腫瘍が見つかり、父が元気なうちに一緒に仕事がしたいと思い、ゼミの先生に「単位を取り、卒論を提出するので、家の仕事を手伝うのを認めてほしい」と掛け合って、卒業を前に父の会社で働き始めました。一言添えておくと、おかげさまで、父は今も元気で一緒に働いています。

1日15件を目標に、飛び込み営業を重ねる

入社後はどんなふうに仕事に取り組まれましたか?

まずは、協力会社で印刷について勉強し、DTP(出版作業)の教室にも通いました。入社後、2年ほどは自社の強みも分からず、まずは下働きから始めました。当時、売上の7割が特定の一社に集中しており、これではいけないと考えて、売上の分散を図ることに注力しました。地域に密着した自社の強みを把握する中で、考えるより行動だと思い、顧客を増やすため1日15件の目標を立てて、飛び込み営業を続けました。

大変な努力ですね。成果は上がりましたか?

飛び込み営業で訪問すると、「印刷会社に友人がいるから君のところに頼む義理はない」「来たからといって、注文がもらえるほど甘くないよ」と断られるところがほとんどでした。それでも3回ほど足を運ぶと、この会社にはどんなニーズがあるのか、なぜ断られるのかが分かってきました。中には「若いのに骨があるやつだ」と注文してくれる方もいて、いろいろ経験させていただきました。おかげさまで、入社当時は300件ほどだった顧客数が今は1800件ほどに広がりました。

株式会社共同印刷

取扱品目を増やし、さまざまな提案で受注増を図る

印刷業界を取り巻く環境も変わり、事業内容は変わりましたか?

そうですね。例えば、昔は印刷業者が年賀状を作るのが当たり前でした。一般企業にも性能の良いプリンターが導入される時代になり、業者に発注しなくても、簡単に年賀状印刷ができるようになりました。そんな中で、どうすればお客様の要望に応えられるのか、満足してもらえるのかを考えるようになり、紙の印刷だけでなく、ホームページやのぼり、シールをはじめ、ノベルティの制作も行うようにして、取り扱い品目を増やしました。企業のキャンペーンや周年の情報を把握し、さまざまな提案をすることで、結果的に受注が広がることを目指しています。

「顧客満足度」の向上ですね。

年賀状だけでなく、ダイレクトメールやチラシでも同様です。ネット印刷も広がり、価格競争も厳しくなっています。その中で、お客様が求めていること、必要とされていることは何だろうかと考え続けました。

お客様にファンになってもらい、ニーズを叶える

価格競争が厳しくなる中、お客様に対して、心掛けていることはありますか?

IT化が進み、パソコンが普及してきたことで、デザインに対する価値観が変わってきました。「ワードやエクセルでデザインできるんだから費用なんてそんなに掛からないでしょう」というお客様もいらっしゃいます。「販路拡大、経費削減のパートナー」を経営理念に掲げている通り、お客様にファンになってもらい、ニーズを叶えることができれば、納得してもらえると考えています。どんな提案をすれば、お客様の役に立つのかを考えるよう、社員にも朝礼で呼びかけています。

御社では、経営理念の運用に力を入れているそうですね

2011年に経営理念・行動指針を作りました。社会全体の価値観が多様化していく中で、企業として核となる確固たる考え方が必要だと思ったからです。私たち自身が会社の価値を見出さないといけないと感じましたし、限られた人生、睡眠時間と仕事をしている時間が大半で、その時間を有意義にすることが人生の豊かさを決定付けるのでないかと考えたからです。かつては、入社後3年で退職する社員が多数でした。社員は、多くの人々が存在するこの地域で互いに何かの「ご縁」があって家族以上に時間を共有し仕事をしていく仲間なので、1日でも長く一緒に働きたいと思ったことがきっかけでした。

株式会社共同印刷

3期連続で増収増益 平凡なことの積み重ねが信用信頼を築く

新たな事業の展開は考えていらっしゃいますか?

会社は3期にわたって増収増益を続けています。今のところ、新規に展開しようと考えていることはありません。強いて言うならば、映像製作や画像編集等のソフトの媒体に注力していこうと考えております。
5年先、10年先の取り組みを考えていくよりも、一年、一年、平凡なことを積み重ねていくことこそが信用信頼につながっていくと思っています。

今後、力を入れていこうとお考えのことはありますか?

社員教育にお金を掛けて、将来に投資をすることが大切だと考えています。印刷業界全体が先細っていく中、どう差別化を図っていくかということしかありません。企業数も減って、倒産できないからやっているという同業者も少なくありません。この先、5年で同業者がかなり減少すると予測されます。マーケットの比重が変わったときに、地域に密着して、かゆいところに手が届く心配りとフットワークの軽さが一番の武器になる。その強みを磨き続けていきたいと思っています。

取材日: 2016年11月18日
ライター: 加茂谷 慎治

株式会社共同印刷

  • 代表者名(よみがな): 代表取締役社長 深田 哲平(ふかだ・てっぺい)
  • 設立年月: 1992年4月
  • 資本金: 300万円
  • 事業内容: 企画・印刷・デザイン・Web
  • 所在地: 石川県能美市辰口町508-1
  • URL:  http://www.kyodo-print.com/
  • お問い合わせ先: 0761-51-5244

株式会社 アカデミアリンクス

$
0
0
株式会社アカデミアリンクス

映像制作・デザイン制作・販売促進・教育、学習事業(研修)を展開する株式会社 アカデミア リンクスは、宮城県仙台市で2014年に開業した会社です。代表取締役社長の庄司誉幸(しょうじ たかゆき)氏は、クライアント自身がまだ気づいていない自社の強みを見つけ、他社との差別化を図れるようにトータルコーディネートすることで、クライアントのその先にいる消費者に選ばれ続けるような企業ブランディングを提案しています。穏やかな人柄の中にも、常に一本筋が通った方向性を示す強さを持ち合わせている庄司社長。その強さの原点や企業ブランディングにかける思いについて、語っていただきました。

震災を機に起業
制作事業から研修事業まで幅広く展開

株式会社 アカデミアリンクス

まずはこれまでの歩みについて、教えていただけますか?

私は工業高校を卒業した後、町工場に2年ほど勤めました。その後仙台市の市営地下鉄のメンテナンスを行う企業へ転職し12年ほど勤めたところで東日本大震災に遭い、これからの人生について考えるようになりました。そこで「自分が得意とする分野で活躍したい」と思ったのが起業のきっかけでした。最初はエステティックサロンの運営とブランド品や家電の卸売りをする会社を立ち上げ、資金を作って、次のステップとして映像とグラフィックを制作する当社を2014年に立ち上げました。実は高校時代からずっとバンド活動を続けていて、その中で自分たちのバンドのステッカーやTシャツなどをデザインしていたんです。そんなことから、いつか制作の仕事を本業にしたいと思っていました。

ホームページも目を引くデザインですね。

ありがとうございます。キレイ・カッコイイは標準クオリティだと思っています。ただ、何か「違う」と思っていただけるようなものを作りたいと思っています。それが私たちのこだわりでもあります。

現在の事業内容についてご説明いただけますか?

現在、制作事業と研修事業を展開しており、制作事業としては映像制作・デザイン制作・販売促進、教育事業としては教育、学習事業を行っております。クリエイティブ関連の事業はその名の通りですが、教育、学習事業に関しては、キャリア形成促進助成金制度を受ける方々向けにWebマーケティングの講習を行っています。対象者は中小企業の経営者の方々が多いですね。

※労働者のキャリア形成を効果的に促進するため、 雇用する労働者に対して職務に関連した専門的な知識及び技能の習得をさせるための職業訓練などを計画に沿って実施した場合や人材育成制度を導入し、労働者に適用した際に、訓練経費や訓練期間中の賃金の一部等を助成する制度です。

Webマーケティングの講習について、詳しく教えていただけますか?

私の場合、「ホームページってなぜ必要だと思いますか?」という質問を投げかけ、答えられない方々に講習の必要性をお伝えしています。Webマーケティングというと、売り上げを伸ばすことにフォーカスされがちですが、例えば、自社ホームページの求人欄を活用して確かな人材を定着させることや、IT技術を使って情報を収集し活用するITリテラシーという知識レベルの向上を図ることで、効率化にも役立ちます。24時間稼動するWebマーケティングを活用すると人材不足も解消できますし、副産物が多いものです。まだまだ仙台ではWebマーケティングを活用している企業は多くありませんし、キャリア形成促進助成金制度をご存じではない方も多くいらっしゃいます。今後、私自身も中小企業様にこういう制度があるということを発信する機会を設けていかなくてはと思っています。

「高い・遅い・うるさい」も強みに企業をブランディング

お取引先としては、どのような企業が多いのですか?

養豚場や農家(農協から独立された)などの一次産業が多いですね。私たちは、価格競争に巻き込まれないため、クライアントの商品が指名買いされるような、商品の特性が輝くエッセンスを混ぜながら、企業ブランディングを意識して制作物を仕上げることを大切にしています。

制作物を作る上で、こだわっているポイントは?

まず、クライアントには、「ああしたい、こうしたいというご要望は受け付けません」と、冒頭でお伝えしています。すごく傲慢に感じられますが、これには理由があります。以前、当社を立ち上げる前に、あるクライアントのチラシを作り、実際に商品を購入するFAX用紙を添えました。ところが申し込みがゼロで、自分ではとても自信があったので、なぜ注文が来ないのか理解できず、改めてチラシを見直した時に初めて、「安い」「うまい」「すごい」ばかりを強調していて商品の良さが全く伝わらないことに気づきました。自分はクリエイターとしての意見や考えを反映せず、クライアントのオーダーに沿うだけの制作物を作ることで、良いものを作っていると思っていたんです。ただただクライアントの意見を反映するのではなく、企業ブランディングを行わないと本質的な結果は生まれないと思いました。時には社長様とぶつかることもありますが、私は社長様ばかりに向き合っていてはいけないと思います。クライアントがターゲットとしている方(お客様)の側を伴走してこそ、結果を生む広告が作れると思うのです。

御社の制作事業における強みはなんでしょうか?

「高い・遅い・うるさい」料金は高く、納期は遅く、よく口を出すという意味です(笑)。おそらく制作時間は他社様と変わらないと思いますが、制作に取りかかる前のヒアリングにたっぷり時間をかけています。そして、全体のプロモーション企画を出して、今回の制作物(名刺・チラシ・Webページなど)とスケジュールをご提案させていただき、ご予算の範囲を伺いながら、実際に作るもの、作らないものを一緒に決めていきます。Webページだけ作っても、それに対する導線がないと勝手な方向に独り歩きしてしまうと思います。責任を持ってトータルブランディングを行うので「高い・遅い・うるさい」ということになります。ですので、初めてお仕事をいただいた時にはそれらを初めにお伝えして、それでも良いという場合は精一杯お手伝いさせていただいております。実は、ずっと弱みだと思っていた部分ですが、ある時、これは全部強みなんじゃないか?と考え方を切り替えるスイッチが入って、今では強みとして打ち出しています。

会社経営においても、お取引先に対しても、しっかりとした方向性を示されていますね。

そうですね、方向性を示すことの大切さは、過去のバンド活動経験で学びました。例えば、普通の高校生がバンドを作ろうと考えたら、サークル内から人を集めると思いますが、私はより広い範囲から人を集めたいと考えて、CDショップの掲示板に「ドラム・ベース募集」と紙を貼ってメンバーを募集しました。SNSの走りである『mixi』が登場してからは、バンドメンバーを気軽に募集できるようになったのですが、掲示板の時代と同様に応募してくれた人と実際にお会いして、自分たちのバンドの方向性を示していました。実はこれって、会社経営となんら変わらないんですよね。「俺らはこういう方向に行くんだよ」とくっきり示すことで、集まってきた人に同じ方向を向いてもらえるんですよ。なので今になって、あの時バンド活動をしていて本当に良かったと思っています。

「個」が活躍してこそ、未来に対応できる社会に

実際に起業してみていかがでしたか?

株式会社 アカデミアリンクス

本音で言うと、辛い部分が多いですよね(笑)。地下鉄のメンテナンスを行う企業に勤めていた頃は、線路があれば仕事はなくならないという安定した職でしたので、何も心配ありませんでした。その一方で、自分がとても生ぬるい世界に甘えて、ダメになっていくような気がしていました。東日本大震災を経て、自分でも役に立つことはないかと思って起業を決心しましたが、12年間も企業に勤めていて、何も後ろ盾もなく、最初の頃は驚きと失敗の連続でした。大変なこと以上に良いこともあって、それは付き合う人が拡がってきたということです。企業の経営者や個人事業主など、自身の目的意識を持って好きなことをやっている方に、たくさん出会えるようになったのが、とても良い刺激になっています。私の目標とする世界観の中に「依存型の社会をなくす」という考えがあります。もちろん、企業に属している方を悪く言っているのではなく、これからは『個』が力を身につけていかないと、対応しきれなくなる時代が来ると思うのです。当社と一緒に仕事をしているクリエイターたちも同じ考えを持った同志です。仙台市は「日本一起業しやすい街」を目指していて、実際に個人が起業しやすい街としてランキングの上位を飾っていますが、同時に起業後の中小企業の廃業率も高い都市です。これは、起業した方々へのサポートが行き届いてないという結果でもあるので、私自身も頑張りながら、中小企業が生き残るためのブランディング戦略に力を入れていきたいですね。

それでは今後の展望についてお聞かせいただけますか?

制作事業と研修事業は互いにリンクしているので、これを多角的・多方面へ進めていきたいですね。さらに、人の付加価値になるものに、より力を入れていきたいと思っております。それが何かというと、個の能力を養うための人材育成などにあたるので、幼児向けの学習塾などの事業も視野に入れています。

最後に起業を考えているクリエイターの方たちにメッセージをお願いします。

起業を考えている方に伝えたいのは「近道は遠回り、遠回りは近道」という言葉です。近道だと思ってやることは意外と遠回りで、遠回りだと思っていることは意外と近道だったりします。特に若い方ですと、効率を求めがちだと思いますが、たとえばアナログであったり、見えない部分であったり、そういうところに実は重要なヒントが隠れていることもあります。SNSがどんなに普及しても、人と人のコミュニケーションが希薄になってはいけないし、むしろ深めていかないと意思の疎通ができません。頭で考えてダメだと思ったから出来ないという傾向になりがちですが、頭の中で判断するには限界がありますから、行動を起こしてその結果を持って、次にまたトライしていくのが良いと思います。もし失敗しても、結果は経験値になりますし、箔がつくこともあります。自分にしかないストーリーが出来上がるので、まずは行動してみてくださいね。

取材日: 2016年11月10日
ライター: 桜井玉蘭

株式会社 アカデミアリンクス

  • 代表者名(よみがな) :  代表取締役社長 庄司誉幸(しょうじ たかゆき)
  • 事業内容 :  映像制作・デザイン制作・販売促進・教育、学習事業
  • 所在地 :  〒982-0006 宮城県仙台市太白区東郡山 2-48-7
           TEL. 080-4119-1843
  • URL :  http://academia-links.co.jp/index.html

株式会社スプーキーズ

$
0
0
株式会社スプーキーズ

今年で設立10年を迎える株式会社スプーキーズは、インターネット関連事業を行う会社です。大きく分けて、自社で企画したサービスの開発・運営を行うインターネットサービス事業、お客様が抱えている問題を解決するシステム等を提案するシステムコンサルティング事業、お客様の企画や要望を請け負い開発を行うシステムインテグレーション事業の3つの事業を手がけています。
大手IT企業に6年間勤めていた経歴を持つ代表取締役社長の西塚育郎(にしづか いくろう)さん。会社員時代に培った管理能力を生かしながら、「インターネットをより面白いものに」という想いで日々新たなチャレンジを試みています。

元々興味があったIT業界
追い風を感じ大手企業を辞めて3人で独立

起業されたきっかけやその想いについてお聞かせください。

私が大学を卒業した2000年は、ちょうどITバブルと呼ばれていた頃で、就職氷河期でもありました。急激にネットが流行ってきた時代で 、その時代の影響も受けつつ、興味があっていつか起業したいと常々思っていました。大学卒業後は、大手IT企業で6年ほどサラリーマンをしていましたが、起業したいという話は友人とよくしていました。私自身アイデアもあったので、西村(現・取締役)と今はいないもう1名の友人(現・某ゲーム会社勤務)と私の3人で、2005年くらいから1年間ほどアイデアを練りながら始めました。

独立に向けて準備されていたんですね。例えば、どのようなアイデアがあったのでしょうか。

その時は「ガチャスポ」というアマチュア野球選手のスポーツ成績管理サイトのようなアイデアを出して、それを草野球チームやオリックス(球団)に持って行く等、色々チャレンジしていました。それである程度仕事の目処がついたので、2006年に勤めていた会社を辞めて起業したという感じですね。当時29歳でした。

社内の9割がエンジニア
最新技術を取り入れた”開発”に自信あり

事業内容についてお聞かせください。

元々はネット上でコンシューマー向けサービスをやりたいということで、年に1〜2回くらい、例えば、スマートフォンのゲームを作ったり、本も書いたりするなどチャレンジしてきました。5年前くらいからソーシャルゲームに力を入れて、自社では3タイトル出しています。今は受託でDeNA様をはじめ大手ゲーム会社様のゲームを代わりに開発・運営しています。
あと、中小企業等直接クライアントのお客様に関しては、こういうシステムがいいんじゃないかという提案もしています。そこから作る方につなげている部分もありますね。

なるほど。とくにここは他社には負けないという御社の強みは何ですか?

元々エンジニア3人で始めて、今はアルバイトも含めると15人くらいの会社になりましたが、9割くらいがエンジニアなので、開発に関してはかなり特化している自信があります。新しい技術のトレンドは常に吸収して、素早く良いものを出すということをポリシーとしてやっています。
おかげさまで、大手ゲーム会社とやっている仕事はプラットフォームでは1番のタイトルになっています。

ゲームのアイデアはどのように浮かんでくるものなのでしょうか?

例えば、アイデア発表会や社内コンペを開催して、今までに何点か、自分たちで企画して面白かったものをサービス化してみたこともありました。
あとは、技術的な勉強会というのも頻繁に開催しています。最新のトレンド技術をみんなで紹介しあって使ってみたり、作ってみたBotを発表したり。
アイデアを出しやすい場として、昨年くらいから東京と京都のメンバー合同で3日間の合宿を開催しています。前々回は沖縄、前回は和歌山で開催しました。3日間みんなでアイデアを出し合ってゲームやアプリを作るというアウトプットの作業をしました。それを元に新規開発をすることもあります。

アイデアを持ち寄って開発につなげるというイメージですね。皆さん常にアンテナを張り巡らせている感じですか?

そうですね。今こういうゲーム、こういうものが流行っているから、じゃあこれをやった方がいいんじゃないかというのは常に考えるようにしていますね。私だけではなく、社内のみんながそうだと思います。

株式会社スプーキーズ

会社員時代に培った管理知識で
時間管理と成果を重要視したワークスタイル

ゲームのプログラミングの面白さや、こだわっていることはどんなことでしょうか?

社内システムのプログラムをしていた時よりも、新しい技術を常に取り入れていける楽しさがありますね。とくに自社サービスについては、使う技術等は全部自由なので、今いちばん流行っているものを取り入れたり、やったことのないものにチャレンジしたりしています。社内システムだと言語はjavaで……等の制約がありますが、今は全部無料で新しいものを安く取り入れて、よりよいものを作ることができる時代ですので。

お仕事をされる中で、心がけていることはありますか?

ゲーム業界やコンシューマー向けにはめずらしく、管理重視でやっているところでしょうか。
会社員時代にフィロソフィ研修(経営哲学研修)で、グループリーダーとして毎月の売り上げの管理や採算を月次で発表しなければならなかったんです。今月の売り上げについて2,000万達成しないといけないところ、まだ1,800万だとしたら、どうやってあと200万円を達成させるのかを発表します。そういう経験が土台にあるからだと思います。
ゲーム会社ってルーズなところがあって、ヒットメーカーがガツンと当たればいいのですが、当たらないとどんどん潰れていくんですよね。そういう意味では、弊社では成果を重要視したり、細かい時間管理というのを意識してやっています。

納期が短いお仕事もあるかと思いますが、苦労されている点はどんなことでしょうか?

ゲームはとくに短納期であること、リソースに対して仕事量が多いので、常に人を探しています。あとは教育です。新しいメンバーを入れても、イメージ通りに成果を出すことが難しく、私が相当厳しいこともあると思いますが、残念ながら辞めてしまう人もいます。
今、アルバイトが東京と京都に4人ずついますが、積極的に社員登用しています。今の社員のうち二人はアルバイトから採用しました。

アルバイトから社員に。つまり、人材が育っているということですよね。

そうですね。かなり私のスパルタに耐えてくれています……。勤続1〜2年くらいですが、自分たちがサラリーマンをしていた時の4〜5年分くらいの力はあると思うので、どこに行っても活躍できると思います。あとは仕事量がすごいので、自然と鍛えられているのではないでしょうか。

今後も可能性が広がるIT業界
チャレンジし甲斐がある面白さ

今後のIT業界の可能性についてはどのようにお考えでしょうか?

弊社は元々、ウェブページや社内システム等からスタートしているのですが、コンシューマー向けゲーム、スマートフォンのアプリ等も始めて、今後もっと広がっていくと思います。家電のIoTとか車の自動運転、農業等、今まで人がしてきたことがプログラムに置き換えられていくわけですから、技術もいちばん面白くなっていく分野だと思います。実感として、起業した10年前に比べてもチャレンジできるところは多くなったと思いますね。

アイデア一つで切り拓けるやりがいがありますよね。逆に、難しいところはどんなところですか?

会社として難しいと思うのは、新規の自社サービスで大きな利益を上げるというところです。トレンドをいかに早くキャッチして、そこに自分たちの思いやアイデアを入れて収益を上げられるかです。チャレンジし甲斐があるので、意欲的にやっています。

株式会社スプーキーズ

アイデアはもちろん成果にもこだわって
軸となるような自社の新サービスを作りたい

今後、一緒に働いていきたいと思われる人物像についてお聞かせください。

言われたことをやるだけとか、自分が出来ることだけしかやらないというのではなく、技術的に新しいものを常に取り入れて使うこと、新しいサービスを考えることが好きな人がいいと思いますね。
「仕事を取ってから出来るようにする」することもあります。
技術的な面でいうと、本当に出来ないことはあまりないので、新しいことにチャレンジできて、かつ、成果にこだわるメンバーがいいですね。「アイデアがあります!」って簡単に手を挙げて、責任を持たない人もたまにいますが、弊社では通用しません。

アイデアを出すだけでなく、責任を持って成果にもこだわる。

お金とかも、単純に給与だけというよりは、これだけ成果を出したらこれだけ売り上げが上がるというのがコミットされていれば、それに向かってチャレンジできると思うんです。今あるものが楽しければいいということではなく、明確な目標がないと強いモチベーションになりにくいと思います。社内のメンバーも、いずれ自分でやれるような力をつけていって欲しいと思いますね。

今後の展望についてお聞かせください。

自社のサービスで軸となるようなロングセラーのサービスを作っていきたいと思います。
ちょうど今、大型のゲームを2本運営しているのですが、新規のゲームとネットのサービスをそれぞれ1本ずつ社内で作っています。だいぶ出来上がってきているので、あとはどう見せるか、どうセールスしていくかということを考えていく段階です。
まずはこれらのゲームに注力してロングセラーのサービスに育てていきたいと考えています。

取材日:2016年11月15日
ライター:垣貫由衣

株式会社スプーキーズ

  • 代表者名: 代表取締役社長 西塚育郎(にしづか いくろう)
  • 設立年月: 2006年9月
  • 資本金: 3,500,000円
  • 事業内容: インターネットサービス事業、システムコンサルティング、システムインテグレーション事業
  • 所在地: 本社 〒600-8091 京都府京都市下京区元悪王子町46-1 ビル稲葉2F
          東京オフィス 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前6-19-16 越一ビル606
  • URL: http://www.spookies.co.jp
  • お問い合わせ先: TEL 075-352-2560(平日10:00〜19:00)、メール info@spookies.co.jp

株式会社札幌立体データサービス

$
0
0
株式会社札幌立体データサービス

ものづくりの現場に革命を起こす技術として注目されている3Dプリンター。株式会社札幌立体データサービスは3Dプリンティングに必要な3Dデータの作成代行や、3Dデータ作成のための3DCADセミナーをメインに3Dプリンターによるものづくりを行っている会社です。デザイナー目線と現場目線の両方を持つのが強みと語る代表取締役の田村彰浩さんにお話を伺いました。

2Dユーザーと3Dプリンターのかけ橋に

御社の事業内容を教えてください。

『SOLIDWORKS』という3DCADのソフトウェアを使って、工業デザインや3Dデータの作成代行などを行っています。3Dデザインといっても分野があって、例えば3DCGだとゲームキャラクターの顔や体など寸法が定まらないものをデザインするのですが、私たちがデザインしているものは工業製品のパーツや筐体(きょうたい)など、必ず寸法が定まっているものです。プラスチックでできていて、大量生産するようなものが多いですね。インダストリアルデザインの分野になると思います。
個人のお客様のアイデアを3Dプリントして形にしたり、3Dデータにして納品したりもしています。
※何らかの機能を有する機械や電気機器などを中に収めた箱のことを言う。フレームを含めた外装を指す。

どうしてこのようなサービスの会社をはじめたのですか?

以前は立体物の図面データも2Dで作成するのが主流でしたが、3DCADの開発により3Dデータで作成する会社も出てきました。試作品の製作も3Dプリンターだと短納期・低コストで行うことができます。3DCADの操作を習得すれば3Dデータ自体はわりとすぐ作れるようになるんですよ。しかし、商品として大量生産できる形状・デザインのデータが作れるのかというと、そこにはノウハウが必要になります。起業前、私はもともと、金型屋で金型のデザインや設計の仕事をしていましたのでそのノウハウを持っていました。また、当時北海道には大量生産のノウハウを持った3Dデータ作成専門の会社がなかったことから、2013年4月に3Dデータ作成代行サービスの会社を起業しました。

3Dデータでの設計やデザインというのは増えてきているのでしょうか。

はい。3Dデータの方が便利なので増えてきてはいますね。しかし、企業への3DCADソフトの導入率は札幌でいうとまだ2割程度です。エンジニア自体が今まで2Dで育ってきているので、なかなか3Dに移行ができていないのが現状です。一方、中国や韓国は進化が速くて、すでにほぼ3D化しています。今は商品の生産を中国や韓国の会社へ外注しようとした時に、むこうは3Dのデータしか受け取らない場合もあります。そこで弊社の3Dデータ作成代行というビジネスが成り立つのです。

株式会社札幌立体データサービス

3DCADと3Dプリンターを駆使し
アイデアを形に

株式会社札幌立体データサービス

具体的には、どのような製品になるのでしょう?

業界の垣根はほとんどなく、電子機械、建築、食品、医療など本当に様々な分野で実績があります。建築模型やジオラマ、医療機器や臓器模型なども作りました。病院のCTデータをもとに3Dデータを作り、肺血管と気管支を3Dプリントして納品したり、臓器模型の3Dデータをベースに3DCGでバーチャルリアリティの手術シミュレーターを作ったこともあります。

3Dプリンターではどのような素材を使うのでしょうか。

プラスチック、ナイロン、石膏、金属など様々な素材があります。強度が担保できれば、試作品だけでなく販売用の最終製品を作ることも可能です。3Dプリンターで作ったとは気づかれない場合も多いですよ。ゴムライクやウッドライクなどおもしろい素材もたくさんありますので、製作可能範囲はものすごく広いです。

今まで作ったものの中で、おもしろい事例はありますか?

開発案件は守秘義務があり事例を出せないものが多いのですが、個人のお客様からの依頼ですと「既存プラモデルパーツのある部分を3mm伸ばしてほしい」というものを受けたことがあります。プラモマニアの方で、自分仕様にしたいのでしょうね。自分で金型から起して作るのは難しいですが、3Dプリンターならパーツ1個から簡単に作れてしまうのです。3Dプリンティングだと樹脂の通り道であるゲートなどは必要ないのですが、パーツをパチパチと切り離すところから再現できるよう、わざとランナーとゲートに接続された状態で3Dデータを作り、3Dプリントして納品しました。完全に大人のおもちゃですよね(笑)。プラモデルに限らず、オリジナル仕様にしたいとか、非売品、生産終了のパーツを作ってほしいという需要は非常にたくさんありますね。

目的に合ったオーダーメイドのカリキュラムで
明日からすぐ使える3DCADセミナー

3DCADソフトの講師業をされているそうですね。

はい、弊社だけが3Dデータを作っていても、3Dデータを扱える人自体が増えていかないと、3Dプリンターのユーザーも増えないですし、業界の裾野が広がっていかないと思うのですよ。北海道内の職業訓練校の学生さんや企業のエンジニアの方に、3Dとは何かというとことから、『SOLIDWORKS』や『Fusion 360』といった3DCADソフトの操作を教えています。実案件の図面を使ったカリキュラムを組んで、次の日からすぐ使える内容の講義を行っています。最近では旭川市で3DCADセミナーも行いました。旭川市は市を挙げて、ビジネスを3D化して業務効率を上げようという取り組みを行っているんです。セミナーで使用するソフトの提供を旭川高等専門学校さんに協力していただき、会場集客は旭川市、講師は弊社と3者で連携して取り組んでいます。

3Dには複雑そうなイメージがありますが。

長年2Dを扱ってきた人が3Dに移行しようとするとそう感じるかもしれません。しかし2Dの場合は立体物を無理やり平面に落とし込んで完成形を想像しながら進めるのに対し、3Dの場合は立体データそのものを視覚的に確認できるものなので、実際は意外と理解しやすいようです。セミナーなどを行っても、むしろ2Dで図面を書いたことのない人の方がスムーズに受け入れられるようです。特に学生さんなど若ければ若いほど吸収が速いですね。ソフトウェアも高価なものありますが、『Fusion 360』などフリーで使えるものもでてきていますので、独学で学んでいくことも不可能ではなくなっています。

株式会社札幌立体データサービス

自分だけのオリジナルのものを作りたい
ものづくりの原点

今後、挑戦したい分野はありますか?

起業した頃からの個人的な野望ですが、3Dプリンターを使った自動車メーカーになりたいと思っています。実際に、アメリカでは、すでに3Dプリンターで自動車作りが始まっています。もともと車が好きで、3Dプリンターではないですが、以前、FRP(繊維強化プラスチック)で世界に一つだけの車をデザインしたこともあります。静岡の会社に協力してもらって1年半かけて開発した完全オリジナルの車です。もともと車が好きだったということもありますし、人と違う自分だけのものが好きなんです。

オリジナルの車を作ったことがあるとはすごいですね。相当な費用がかかったのではないですか?

それはもう、夢の数だけ(笑)。これは私個人の活動でしたが、日本でも京都の会社で電気自動車を作って世界へ売り出そうとしている会社があります。今までは自動車を作る、自動車メーカーを作るというと莫大な資金が必要でしたが、ベンチャー企業でもそれができる時代に少しずつなってきています。ただ、既存のやり方だと作れるデザインにどうしても限界があります。それが3Dプリントを使えば、どんなデザインでもできる。デザインに限界がないのです。法律や規制の問題もあって難しい部分もありますが、パーツレベルでいうと3Dプリンターでの車作りはすでに可能です。“大衆車”ではなく、自分だけのカスタムメイドの車が作れるなんておもしろいじゃないですか。

すごい野望ですね。ぜひ実現していただきたいですね。
業界について、望まれることはありますか?

個人での3Dプリンターユーザーが増えたらいいなと思います。家で何か壊れたものをDIYくらいのノリで作ったり、脱サラしないまでも副業で3Dプリンターを使ったものづくりをしたり。3Dプリンターがどういうものか知らない方も多いので、ひきつづき、ワークショップなど啓蒙活動を行っていきたいと思います。
家でお父さんが3Dプリンターを使っていたら、その子供も3Dプリンターを使ったものづくりをする人になるかもしれない。そうやって次の世代の子供たちに3Dプリンターによるものづくりの技術が波及していくと嬉しいですね。
株式会社札幌立体データサービス

取材日: 2016年12月6日
ライター: :小山佐知子

株式会社札幌立体データサービス

  • 代表者名(よみがな): 代表取締役 田村 彰浩(たむら あきひろ)
  • 設立年月: 2013年4月
  • 資本金: 3,000,000円
  • 事業内容: 各種3Dプリント、各種3Dスキャン、工業製品のモデリング、プラスチック製品デザイン、
          SolidWorks講師業務、SolidWorks販売業務、3Dプリント品、雑貨販売、
          3Dプリント用フィラメント販売など
  • 所在地: 北海道札幌市中央区北2条東1丁目3-3 北2条サンマウンテンビル3階 SHARE内
  • URL:  http://srds.biz

株式会社アート・ワークス

$
0
0
株式会社アート・ワークス

東京と福岡で映像編集を行ってきた経験を活かし、2006年に株式会社アート・ワークスを設立した河村忍則氏。映像編集・MA業務を柱に、常に人との繋がりを大切にしながら事業を繁栄させてきた河村氏に、起業のいきさつから今後の展望まで伺いました。

未体験の福岡から感動の映像を届けたい

1612_artworks_01

会社を立ち上げるまでの経緯を教えてください。

高校を卒業後、映像制作に興味があり、専門学校へ進学しました。当時はCM制作に携わりたいと思っていたのですが、在学中に某ポストプロダクションで編集アシスタントのアルバイト経験を積んだことから、卒業後、編集マンとして東京のポストプロダクションに入社しました。番組・PV・CMなど様々な作品に携わるうちに面白みを覚え、気づいたら15年経っていました。

福岡で起業したきっかけは?

より技術を高めたい、多くの編集ソフトを扱いたいと思い、東京のポストプロダクションを退職し、その後、フリーランスとして約8年活動しました。その間、番組・VP・CMの他にずっとやりたかった映画の制作にも携わることができました。次はどうしようかと考えながら活動している中で、以前勤めていた会社の後輩の紹介で福岡の仕事に携わるようになりました。福岡のCMを見る機会があったのですが、そのクオリティーの高さに驚きました。そんな福岡で感動的な映像を発信したいと自然に思うようになり起業に踏み切りました。

起業されてからご苦労もありましたか。

正直、最近まで、とても大変でした(笑)。最初は、誰も僕を知らないわけですから。かたっぱしから制作プロダクションに電話をかけました。4名でスタートし、僕も編集しながら何とかやってきました。お客様にも少しずつ信頼されるようになり、初年度から黒字を達成し、おかげさまで順調に今に至っています。

お客様の信頼と社員のライフスタイルを大切に

御社の事業内容について教えていただけますか。

番組・CM・VPなどの映像編集とMA業務です。番組ディレクター、広告代理店からご依頼いただく撮影済みの素材を元に映像として形にしていきます。様々なお客様に対応できるよう、機材の種類も一通り揃えて、今年編集室も新しくリニューアルしました。

御社の特徴を教えてください。

クオリティの高い映像を制作するのはもちろん、急なご要望にもスピード感をもって応えるようにしています。こうした小さな積み重ねが信頼に繋がると感じています。僕も人手が足りない時はプリント作業などの手伝いをすることもありますよ。またスタッフも快く対応してくれるので助かっています。

なるほど、ポストプロダクションの仕事はかなりお忙しいとききますが。

はい、どうしてもバタバタすることもあります。ただ、全員体制で業務のバランスを考えて、出来るだけ残業はしないようにしています。また、家族手当や住宅手当などの福利厚生の充実にも力を入れています。僕の現役時代にはほとんど考えられなかったことですが、今は「忙しい業界だから仕方がない」という理由は通じませんからね。職場の働きやすさには力を入れています。

ポストプロダクションから制作プロダクションへ

今後の展望をお聞かせください。

まずは、MAルームを作ることを考えています。人数も現在は7名ですが、近々8名に増える予定で過去最高の数になります。人数やスタジオが増えれば対応できる業務の幅も広がりますので、今後企画や撮影など制作プロダクションとしての活動もできればと考えています。

最後に、クリエイターの方にメッセージをお願いします。

クリエイティブスキルはセンスだと思っています。僕もそうですが、センスは勉強しても身につきません。でも、コミュニケーション力は上げることができます。たとえ人見知りでも一生懸命に努力すれば身に付くものです。それができれば優秀な編集マンとして活躍できると僕は考えています。

取材日: 2016年11月28日
ライター: 佐々木恵美

株式会社アート・ワークス

  • 代表取締役:河村忍則
  • 設立年月日:2006年7月
  • 事業内容:TV番組・CM・PRビデオ等の編集及びMA業務、ラジオCMの録音業務、ダビング、
           デジタル合成など各種映像及び録音サービス
  • 本社所在地:〒812-0023 福岡市博多区奈良屋町3-19
  • TEL:092-272-3311
  • URL:http://art-works.cc

辰巳電子工業株式会社

$
0
0
辰巳電子工業株式会社

辰巳電子工業株式会社は、プリントシール機業界で主要メーカーとして認知されている企業です。
近年新たな事業部を設立、モバイルアプリ市場に参入し、主にソーシャルゲーム開発に携わっています。しかし「初めはすべてが手探りのスタートで、思うような成果を出せずもどかしい思いをした」と、モバイルコンテンツ事業部、企画セクション課長の市野壮太(いちのそうた)さんは語ります。
最近大幅リニューアルしたモバイルアプリが、どうやって多くのユーザーに支持されるようになったのか、事業部立ち上げと、これまでのお話、創業40年以上の物づくりへのこだわりや今後の展開について、お話を伺いました。

新たな事業の柱としてモバイルコンテンツ事業部を立上げ

御社がゲーム開発に携わるようになった経緯をお聞かせください。

当社は、もともと電子基板の制作を主な事業としておりました。
きっかけは1979年のインベーダーゲームの爆発的な人気です。当社もこれを機にアーケードゲーム市場へ参入しました。
現在、当社事業の柱であるプリントシール機の開発も、アーケードゲーム事業の一環で、他社に先駆けてリソースをつぎ込み好評となりました。
ただ、プリントシール機の開発が軌道に乗り収益性が高くなる一方で、同時に新たな分野の開拓にもチャレンジする姿勢は常に持っていました。

なるほど、ではどのようにして、モバイルコンテンツ事業部を立ち上げたのでしょうか?

まずアーケードゲーム以外のゲーム事業を考えた場合、リスクが少なく大きな市場を狙えるところがモバイルでした。またプリントシール機開発で、モバイルに携わった経緯もありました。そこでモバイルに関する部分を切り分け、事業における新たな柱にしようと設立したのが、モバイルコンテンツ事業部です。
そこでは、プリントシール機事業で培った技術を使い、画像編集系のモバイルアプリを配信していました。

設立当初はゲームを扱ってはいなかったのですね。

ゲーム事業に携わるようになったのは、実は現場スタッフのアイデアがきっかけです。当社1作目のゲーム『ファンタジードロップ』は現場スタッフが企画を立ち上げ、役員と社長の承認を得て始めたものなのです。
今ではこの企画が発展し、当事業部の要となっています。

本社社屋

本社社屋

かわいらしいキャラクターからエッジの効いたキャラクターへ
ダークファンタジーに転換した世界観でユーザーを魅了する

デモノ・クルセイドタイトル

デモノ・クルセイドタイトル

スタッフのアイデアから生まれた『ファンタジードロップ』はどのように発展したのでしょうか。

『ファンタジードロップ』はマッチ3パズル(同じ形を3つ合わせ消していくパズル)と呼ばれるゲームで、当社では女性や子どもにもわかりやすい操作性のシステムを導入しました。これがとても好評ではあったのですが、残念ながら爆発的な人気を得ることはできませんでした。
というのも、当社はプリントシール機開発の影響で若い女性ユーザーが多かったので、ほんわかしたファンタジーの世界観にフォーカスしたところ、大きな課金や1日中ゲームをプレイしてくださるヘビーユーザーの流入は少なく、なかなか収益が上がりませんでした。そこで、オンラインゲーム業界で実績のあるプロデューサーの林竜司を当社に招き、彼主導のもと、大幅にリニューアルすることにしました。

具体的にはどのような変更があったのでしょうか?

ゲームの基本ロジック以外はすべて変更を行いました。
大きいところでは世界観、キャラクター、UI等です。

(リニューアル後)ユーザーの反応はいかがでしたか?

概ね、新しい世界観やキャラクターは好評のようです。
以前よりSNSなどでの反応は上がっておりますし、全体的なDailyActiveUser数などのKPIも上昇しております。
※ 1日にサービスを利用したユーザー。

ユーザーフレンドリーであることと
ニーズは自分たちで作り出していくという考え

『デモノ・クルセイド』へのリニューアルで苦労した点はどんなことでしたか?

以前の「ファンタジードロップ」の問題点の解決とお客様が求めるものとのギャップを埋める事、それといかに「ファンタジードロップ」の顧客を引き継ぐかです。

以前のファンタジードロップの数値を分析すると、俗にいう「かわいい女の子」がイベント、ガチャで登場した時の数値が一番良い傾向がありましたが、全体的な世界観は20~30代の男性が受け入れにくいメルヘンなものでした。

お客様が求めるものと、全体的な箱に大きなギャップがあり、その部分の修正を一番に着手しました。

また、以前の顧客が持っている私財(キャラ等)をスムースに引き継がせるかという点も苦労したポイントでした。

リニューアルした『デモノ・クルセイド』ではどのあたりが一歩はみ出した部分になりますか?

よくも悪くもシステム自体は3年前に開発されたものです。
ですので、斬新なゲームシステムがすごい!という様な事はありません。が、強いて言うならばキャラクターの設定や、コメディ色あふれるシナリオでしょうか。

辰巳電子工業株式会社

プロダクトに対する愛情の強い人
仕上がりに妥協しない人が向いている

今後の事業展開や、新たな分野への挑戦などあれば、お聞かせください。

目標は、モバイルコンテンツ事業部をAM事業部(プリントシール機開発)と対等に並び立つような、ブランド力をもった事業部へと発展させることです。
そのために現在配信中の1タイトルを軌道に乗せるために力を注ぎます。また来年初旬新たに大きなタイトルをリリースする予定ですので、1作目以上の売上を目指します。今後これらがモバイルコンテンツ事業部収益の2本柱となるでしょう。
さらに人材の確保にも重点を置き、各分野で技術を磨いた方を積極的に採用する予定です。
当社はエンターテインメントとして広いフィールドを維持しつつ、常に新しい事業への模索をしています。その意味では、チャレンジされる方にとって門戸の開かれた会社だと思います。若い方にとっても技術を学ぶ非常に良い環境になるのではないでしょうか。

モバイルコンテンツ事業部として求める人材はどのような方でしょうか。

新しい技術を取り入れ、そこからさらに新たな技術やアイデアを出していける方ですね。
なによりもプロダクトに対する愛情の強い方、仕上がりに妥協しない方が向いていると思います。私自身が気のすむまで作り込みを続けてしまうので、放っておけば予算をオーバーしてしまうのではないかと周囲から心配されるタイプです。でも、そこにストップをかけるのは上司の役目なので、思う存分力を発揮していただきたいと思います。
また担当部分だけでなく、自分の仕事がどう影響するのか、ゲーム全体の雰囲気に合わせて調整できる感覚は必要です。たとえその世界観が自分の好みと違っていても、同じ認識ですり合わせていける意識を持っていただきたいですね。

現在の課題はありますか

大きな課題は人材集めです。当社のある奈良県橿原市は都市部ではないため、地理的に人が集まりにくいという悩みがあります。いい人材に来てもらうためにも、製品が売れて認知されることが一番のアピールでしょう。もう一点アピールできるのは、当社の労働環境です。

社屋はエントランスを入ってすぐ1Fの吹き抜けに社員食堂があり、開かれたデザインでとても心地良い空間だと感じます。オフィスにも特徴があるのでしょうか?

はい。社屋は働くスタッフのことを考え、3Fのオフィスも仕切りやパーテーションのないオープンスペースにしています。開発者の特徴として、クリエイティブな表現は得意だけれども、言葉のコミュニケーションは苦手なタイプが多いんですね。けれどチャットやメールなどに頼ると意識のすり合わせが難しくなります。Face to Face(面と向かって)だから伝わることもあるので、個人の対話を増やすため、オフィスには区切りを作らない方針なのです。
そしてなにより当社労働環境における一番の強みは、完全裁量労働制です。いつ来ていつ帰ってもいいですし、残業も少なく、休日出勤の代休は必ず取っています。残業の多いゲーム業界で、この環境はかなり珍しいといわれます。

ランチが、300円で食べられる社員食堂のメニュー。

ランチが、300円で食べられる社員食堂のメニュー。

アポなしで入っていけるガラス張りの社長室は
誰でもアイデアを提案できるボトムアップの象徴

ハロウィンには仮装して出勤される方もいらっしゃるとお聞きしました。社屋もそうですが、自由で風通しのいい印象を受けますが、この風潮は業務においても同じでしょうか。

実は社長室はガラス張りでとても入りやすい雰囲気です。当社のルールでは、アポなしで社長室を訪ねてもいいことになっています。なかなかそこまで度胸のある社員はおらず、たいてい私がついていきますが……。(笑)
つまりこのガラス張りの社長室は、誰でも直接上層部に自分の意見を提案できる、ボトムアップの象徴なんです。例えば『ファンタジードロップ』のように、一般のスタッフであっても、事業として成立するアイデアを提案すれば、それが反映される風土があるといえます。
社長は「できるだけ自分たちで考えなさい」という考えで、当事者である自分たちこそが一番真剣に考えなさいといいます。
市場の風潮が変わった時、社内に技術があればカスタマイズできます。この姿勢こそ40年以上会社を続けてこれた弊社の根底にあるものではないでしょうか。

開発室

開発室

取材日: 2016年11月11日
ライター: 東野敦子

辰巳電子工業株式会社

  • 代表者名(よみがな): 代表取締役社長 辰巳 聡(たつみ さとし)
  • 設立年月: 1970年8月
  • 資本金: 3,000万円
  • 事業内容: アーケードゲーム機の企画・開発・製造・販売 、
           業務用ゲームソフトの企画・開発・販売
  • 所在地: 奈良県橿原市十市町7番地
  • URL:  http://www.tatsu-mi.co.jp/

株式会社 D・Dファクトリー

$
0
0
株式会社 D・Dファクトリー

今回ご紹介するのは、株式会社 D・Dファクトリー。今年(2016年)7月に設立された、映像の100%ノンリニア編集でポストプロダクション(以下、ポスプロ)を行う会社です。番組ディレクターから会社経営者となった代表取締役社長の橋本元康(はしもと もとやす)さんに、設立のきっかけやノンリニアに特化した理由、社名の「D・D」に込めたある思い、さらに、技術と人材でノンリニア編集を牽引する未来のビジョンまで、ポジティブな意欲に満ちたお話を伺いました。

チームを率いてビジョンを伝え、共にゴールを目指す
総合演出と会社経営の共通点

株式会社 D・Dファクトリー

D・D ファクトリーを設立したきっかけを教えてくたさい。

当社はホールマングループの一社です。グループには、進化社、テレビ番組制作のホールマン、人材派遣のSPGホールマン、アイドルDVD販売のラインコミュニケーションズがあります。私はホールマンの代表を兼ねておりまして、そこから派生する形でポスプロ(編集・MA作業)を行うD・Dファクトリーを作りました。
今まで、ホールマンが制作した番組のポスプロは外部に発注していましたが、当然、コストが掛かっていました。
ポスプロ業界は今、過渡期を迎えています。テープで編集・納品・オンエアをするリニア編集から、データ編集のノンリニアの時代に変わりつつあります。おそらく2〜3年後には100%ノンリニアになると思います。そこで、グループのメリットを活かし、100%ノンリニアのD・D ファクトリーを設立しました。

橋本さんが現在の仕事に至った経緯を教えてくたさい。

25年前、フリーのディレクターをしていた頃、進化社の代表・白川(白川健夫さん)がホールマンを立ち上げ、仕事を手伝うようになり、その後、ホールマンに入社しました。ディレクター、プロデューサーを長年務め、15年前に白川からバトンタッチして、私が代表になりました。

ホールマンに入社して、ご自身が2代目の代表になると思いましたか?

全く思っていませんでしたね。

では、キャリアを積んで、いずれは会社を立ち上げたいという思いはお持ちでしたか?

それはありました。いずれ自分で会社を作るだろうなとは思っていました。そこを先読みされたのか、私が「独立する。会社を作る。」と言い出す前に、「(代表を)やったらどうだ。」と声を掛けられたので、それも面白いなと思い代表になりました。

仕事が、制作から会社経営へシフトする中で、ご苦労はありましたか?

ディレクターとして、私がやっていた総合演出という仕事は、会社経営に非常に似ていると思います。総合演出は、チームを率いて作ろうとしている番組のビジョンをスタッフに伝え、番組を作り上げます。会社も一緒で、ビジョンを社員に伝えて、作り上げていくところは非常に似ています。そう感じたのは、ホールマンの代表になって、すぐの頃でした。制作会社の社長には、総合演出をやっていた人が多くいます。違和感やストレスなく、これまで楽しくやってこれました。ですから、苦労という苦労はありませんでした。もともと楽天的なんです。

前向きな考え方でいられる秘訣はありますか?

いいことと悪いことは、半々でやって来ます。よくないことがあった時は、「次はいいことがある。」と考えます。これは、スタッフにもよく言っていることですが、秘訣は「笑顔」ですね。辛い時に辛い顔をするのは、よくないです、カッコ悪いですよね。

100%ノンリニア編集のシステムを支えるスタジオ。

100%ノンリニア編集のシステムを支えるスタジオ。

「D・D」は、ダブル・ダウン、倍掛けの意味
社名に込めた「勝負する」という挑戦の思い

「D・D」はチップを「倍掛け」する「ダブル・ダウン」の略。「ここで勝負する」という思いが込められた社名。

「D・D」はチップを「倍掛け」する「ダブル・ダウン」の略。「ここで勝負する」という思いが込められた社名。

社名の由来を教えてください。

D・D ファクトリーの「D・D」は「ダブル・ダウン」の略で、ギャンブル用語です。チップを「倍掛け」するという意味で、勝負手のことです。D・D ファクトリーを設立するにあたって、「ここで勝負する」という意味をこめて名付けました。

D・D ファクトリーの事業内容について教えてください。

100%ノンリニアのポスプロスタジオです。先ほども言ったように、ポスプロは、リニアとノンリニアが混在しているのが現状です。ホールマン経由でお仕事をいただく事が多いテレビ東京さんが、民放ではいち早く、ノンリニアを導入されましたので、それを見込んでテレビ東京さんの新社屋のすぐ近くのこの場所に100%ノンリニアのスタジオを構築しました。

テレビ業界の将来を見据え、
ノンリニアに特化した編集、人材の育成を目指して

D・D ファクトリーを今後、どのような会社にしたいとお考えてすか? 目指していること、今後の展望、将来のビジョンなどを教えてくたさい。

現在はホールマンからの仕事がほとんどで、いくらでも仕事はありますが、すべてを受け切れているわけではありません。それは人材不足が原因で、ノンリニアに精通しているクリエイターが非常に少ないため、フェローズさんのような紹介会社の協力も得ながら、充実させていきたいと思っています。あとは、D・D ファクトリー自体のスタッフを底上げして、来年(2017年)には黒字化したいと考えています。

さらに将来へのお考えはありますか?

ポスプロには大手の企業がたくさんあります。そこと勝負するのではなく、むしろ人を派遣することを目指しています。と言いますのは、おそらく2〜3年後は今よりも人材が不足する状態になります。今でさえ、ノンリニアに対応できる人材が少ないうえに、さらにニーズが増えるからです。そこで、当社では今から人材を育てて行きたいと考えています。「ノンリニアに特化した編集」「ノンリニアに精通した人材派遣」この2つの柱の確立を目指しています。

一緒に働くスタッフに対して、会社としてどのようなことを求めますか?

「プロフェッショナルに。」ということにつきると思います。入社したばかりだろうと、半年だろうと、1年だろうと、お給料をいただいている人はプロです。プロとしての仕事を全うしてもらいたいと思っています。そこを強く望んでいます。立ち上げたばかりの会社ですから、まだ発展途上の人が多かったり、元々クリエイターではない人を雇って育ててもいるので、プロになり切れていない人もいます。彼らには、一日も早くポスプロのプロとして、仕事ができるようになっていただきたいと思います。

株式会社 D・Dファクトリー

取材日: 2016年12月8日
ライター: 保坂久美

株式会社 D・Dファクトリー

  • 代表者名: 代表取締役社長 橋本 元康(はしもと もとやす)
  • 設立年月: 2016年3月
  • 資本金: 1,000万円
  • 事業内容: 映像・音声の編集、特殊映像効果等のポストプロダクション
  • 所在地: 〒106-0032 東京都港区六本木3-1-30 A・Bビル4F
  • URL: http://d2-f.com/index.html
  • お問い合わせ先:上記HPの「Contact」より

トリプルEジャパン株式会社

$
0
0
トリプルEジャパン

営業もおらず、ホームページも2013年までなかったにもかかわらず、2008年の創業以来、口コミで広告やホームページ、映像制作の仕事が次々と飛び込み、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの トリプルEジャパン株式会社。トリプルEジャパンの特徴のひとつはさまざまなクリエイターをつなぐその独特の組織にあります。雇用関係だけではなくそれぞれのライフスタイルとやりたいことや夢を大切にしながらキャリアを築く、 バーチャルではなくリアルな空間で交わることができる集団です。代表の飯見 裕一郎(いいみ ゆういちろう)さんご自身は、地元岡崎市のセレクトショップの販売員から、デザイン事務所を率いる社長へと転身を遂げられましたが、特に服飾デザインを学んだこともなかったそうです。一時期自分のセンスを頼りにデザインし、洋服を作って販売もされていた、自然と人を惹きつける魅力を持つ飯見さんにお話を伺いました。

勤めていた会社が倒産、独学で服を作って販売
地元のショップは出会いの宝庫

デザインの世界にはいつ頃から携わられたのですか?

20歳頃に、地元である岡崎市のセレクトショップに就職しましたが、数ヶ月で会社が潰れてしまいました。そこで社長にテナントを貸していただき、自分で作った服などを売っていました。

服飾デザインを専門的に学ばれたご経験がおありなのですか?

いいえ、特にデザインを学んだことはなかったのですが、服が好きだったのでどんなデザインがかっこいいのか、わかっていたと思います。

独学で服を作ってしまうなんてすごいですね。

いえいえ、全然大したことありませんよ。ただ気になると、何でもとことん調べます。納得いくまで情報収集して、満を持してアクションを起こすようにしています。

ショップ経営からデザイン制作へは、どのような経緯で移行されたのですか?

地元でショップを経営していると、来店したお客さんと懇意になって様々な話をする機会があります。同じように服のデザインをやりたいという仕事仲間に出会ったり、デザインを依頼したいというお客さんが現れたりして、自然とデザイン制作も手掛けるようになりました。
ちょうどデザイン制作が軌道に乗り始めた頃、洋服の店頭販売はインターネット販売の普及で陰りが見え始めたので撤退しました。

トリプルEジャパン株式会社

時間の有効活用が最大のメリット
オフィスのインテリアも個人の評価を上げる材料

フリーランスでされていたのに、会社を立ち上げオフィスを構えたのはなぜですか?

効率と相談のしやすさ、それから大きなプロジェクトが達成できる点ですね。自分にはない知識や技術を持つメンバーとすぐ話し合えるメリットは大きいです。デザイナーやライターと打ち合わせをするとき、共通のオフィスがないと、とにかく時間がかかります。依頼を外注に出すたびに、いちいち外で打ち合わせをしていては、いくら時間があっても足りません。ちょっとしたやりとりも電話やメールでは、なかなかニュアンスが伝わらないこともありますが、その場で話し合えれば、手っ取り早い上、ミスコミュニケーションも減ります。
また大きなプロジェクトは、1人でやるには限界がありますが、人員を集めて、チームを立ち上げればダイナミックな仕事ができると思い「ジユウノハコ」を作りました。

「ジユウノハコ」では、雇用関係のないクリエイターの方ともオフィス共有されているということですが、オフィス賃料などのシステムは?

1人1人事業主なので、賃料や共益費を納めてもらってテナントの賃料を支払い、経費を賄って運営しています。新しく迎えるメンバーは、2~3か月の試用期間後、双方の合意の下、契約を結びます。賃料で稼ぐつもりはないので、実際経費とでプラマイゼロです。

「ジユウノハコ」は、誰でもお金を払えば自由に使えるシェアオフィスとは一線を画しているのですね?

はい、一応面接をしてお互いを理解し合えた方限定ですね。大切な機材や機密情報もありますので、誰だかわからない人が出入りするのはあまり好ましくないと思っています。

内装もおしゃれですね。インテリア一つ一つにもこだわりが感じられますね。

デザイン制作の会社なので、内装やインテリアにもこだわりました。設置している加湿器一つとってもデザイン性にこだわっているのは、メンバーが顧客と商談する際も、オフィスをみて個人の評価が上がれば、また次の仕事につながると思っているからです。

トリプルEジャパン株式会社

個々の「自由」を大切に

フリーランスのメンバーが集まった集団の特徴は?

司法書士や一級建築士を持つメンバーや台湾出身のメンバーなどさまざまな人がいます。オフィス内には、フリーランスだけではなく、リノベーションの会社やイベント会社もいます。
仕事において、「納期だけはしっかり守る。」それさえできれば、出勤も勤務時間も自由です。給与も出来高制の人がほとんどですが、固定給を希望する人には固定給で支払っています。
今の若い人たちは、自由な時間を大切にするので、そのスタンスを変えてはいけないと思っています。

ご自身も自由な時間を大切にされる方ですか?

最近は17時や18時になると、家に帰りたくなります。そういう姿勢をメンバーに見せることも大切だと思っています。
いまどきパソコンとネットワーク環境があれば、どこでも仕事はできますから。

御社には就業規則はありますか?

2か月に1回席替えをします。子どもの頃のワクワク感を取り戻せるのと、席替えがあることで自然と個々のデスクや書類が整理される利点があります。

みなさん自分の好きな仕事を自分の意志と責任でやっているせいか、普通の会社と空気が少し違うように感じます。

はい、みんな主体的ですね。ここではやらされている感を持って仕事をしている人は1人もいないと思います。

決められた仕事を指示されてやらされるより、自分たちに裁量のある仕事をどんな方法なら訴求効果があるのか話し合い、考えながらやりたいと考えています。

単にデザインを作るのではなく、お客さまと一緒に「育てるデザイン」として、コンサルティング要素を付加価値にしたデザインを提供されているということですが、そのために心掛けていらっしゃることは何ですか?

正直になることですね。成果(反響)が出なくても、それはそれで結果なので「次はどうするのか、どうすれば人を集められるのか、広告効果を発揮できるのか」を話し合い、次の一手を考えます。

社名の由来を教えてください。

社名に「トリプルEジャパン」と最後に「ジャパン」を付けたのは、海外を視野に入れているからです。海外でもこんな空間を作って、「トリプルE○○」にしたいと思っています。

着実に前進する秘訣は何ですか?

実行力のように思います。会社の悪口を言う人はたくさんいて、「だったら辞めればいいのに」と思いますが、みな辞めません。「日本は法人税が高い」という経営者はたくさんいますが、「だったら日本を出ればいいのに」と思いますが、みな簡単には行動を起こしません。
現在、私は海外進出の実行を前提として、模索中です。とことん調べた上で実行に移したいと思います。

トリプルEジャパン株式会社

子育て女性が活躍できる働き方をバックアップ

どんな方と一緒に働きたいと思いますか?

名古屋で頑張るフリーランスの方々ですね。日本の企業において、デザイナー・プログラマーはもっと適正な評価をされてもいいのではと感じることがあります。だからこそ、クリエイターとしての気概と才能を持った人たちと一緒に仕事がしたいと、スペースを作りました。個人の力でやっていきたいという野心ある方々にぜひ来てほしいですね。

今後の展望を聞かせてください。

2018年には名駅に新オフィスを開設予定です。今は30人ほどのメンバーで稼働していますが、100人ほど仲間を増やしたいです。女性的なセンスによるデザインの必要性も強く感じているので、女性が出産と同時に現場を離れてしまうことがないよう、オフィスの一角に託児所を設け、保育士を常駐させるつもりです。コアタイムを13~16時くらいにして打ち合わせなどをその時間内で行えば、女性の能力を有効に活用できると思います。

取材日: 2016年10月28日
ライター: 望月佑香

トリプルEジャパン株式会社

  • 代表者名(よみがな): 飯見 裕一郎(いいみ ゆういちろう)
  • 設立年月: 2013年8月
  • 資本金: 169万円
  • 事業内容: ホームページの企画・制作・運営 / システム構築・管理 / イベントの企画・運営
            広告・紙媒体の企画・制作 / テレビCM・映像の企画・制作 / アプリ開発など
  • 所在地: 〒461-0004 名古屋市東区葵1丁目7番1号 タジマビル2F
  • URL: http://www.triple-e.jp/
  • お問い合わせ先: 052-325-3648

株式会社boxes

$
0
0
株式会社boxes

開業5年目を迎えた株式会社boxesは、仙台市宮城野区で演劇の企画制作を中心に、演劇に関する幅広い事業を行う企業です。代表取締役の鈴木拓氏は、高校生の頃から演劇に魅せられ、東日本大震災を機に起業を決意しました。演劇がもっと世の中の身近な選択肢になるように、仙台ではパイオニア的な存在として活動する鈴木氏に、開業への思いや事業内容、今後の展望まで興味深いお話を、たっぷりと語っていただきました。

きっかけは高校の同級生の舞台、演劇という総合芸術に惹かれて

まずは創業までの道のりについて教えていただけますか?

もともと高校生の頃から演劇に携わっており、高校を卒業してすぐ劇団に入り、自分で劇団を作る活動をしていました。
最初は舞台監督という仕事をしておりましたが、20代後半から企画制作も手がけるようになりました。しかし、東日本大震災で東京の演劇界の第一線でトップランナーとして活動されている方々と出会い、一つの企業として演劇に取り組みたいと思い起業を決意しました。

どのような思いが原動力となって開業されたのですか?

そうですね、少し複雑なお話になりますが、前提として私たちのように地域で演劇活動をしている者は「アマチュアイムズ」がとても強いのです。
もちろん、お客さんに観ていただきたいし、あわよくば演劇で生活をしていきたいし、有名になりたいと思っていますが、普段、日中は別の仕事をしています。夜みんなで集まって稽古をして、大道具も衣装も自分たちの身の回りでやれることをやって、チラシも自分たちで作ります。
普通、何かを作るとなれば、第三者のプロの手に何度か渡ります。例えば、本の出版も流通や編集などの過程で、プロの方の目に触れます。しかし、演劇というのは不思議なもので、本と劇場を選んだら自分たちだけで上演できます。しかも観客が身内ばかりであっても、どっちみち大変な思いでやりきった達成感でいっぱいになりがちです。しかし、これを会社にするというのはアートをビジネスにするようなものです。でも、逆にそれをやってないから、演劇が一般の方に親しみづらいものになってます。ですので、演劇を職業として成り立せることで、仙台で演劇をやることに夢を持てるようにしたいと、開業させていただきました。

演劇は子どもの頃からお好きだったのですか?

いえいえ、まったく違いますね。むしろ子どもの頃は、学校の体育館で演劇を見せられても、冷めているようなタイプでした。
高校生の時に、仲の良い同級生の部活の公演に誘われて、面白いなと思ったのが演劇に興味を抱いたきっかけでした。
その劇中で上演された作品は、当時とても流行っていた東京のプロ劇団『キャラメルボックス』が、高校生向けに演じやすく台本をまとめた短編SF作品で、小学生や中学生が観ても理解できる上に、少し複雑な伏線が張ってあるものでした。
その作風に衝撃を受けたのです。今まで私の中の演劇のイメージは、人情ものや感性に語り掛けるような少し理解しがたい作品が多いイメージでしたが、こんなにもストーリーが面白い演劇があるんだと思いました。それから、演劇部に所属する友人が多いこともあり、演劇部へ出入りするうちに、演劇は総合芸術と呼ばれるだけあって、大道具さん、音響さん、照明さん、衣装さん、メイクさんがいて役者がいる、いろんなジャンルのクリエイターがいることが面白いなと思って、少しずつのめり込むようになりました。

実際に起業されていかがでしたか?

正直なところ、会社を経営することに関して無知だったので、大変なことばかりでした。
アマチュアイムズには、利益を上げるより大切なことがたくさんあって、「この土地で、この時に作品を上演することで、世の中に手触りを残す」といった類のことが常に最優先されるので、お金を稼ぐことが下手でした。自分たちが信じている作品をやれば、おのずと人が付いてくれると思っていました。でも、会社を経営する上では、それだけではダメで、お金を稼ぐことも、将来のビジョンを描くこともとても大切だと、起業して改めて感じました。
特に良かったのは、このすべてに気づけたことです。もしも起業していなかったら、ただ好きなことをやっているだけでしたし、会社という機能があるだけで演劇に関して客観性を高められますし、県や市と仕事をする上でも信頼を得られます。

マネジメント業務とテクニカル業務を並行する新しいスタイル

会社名の由来はなんでしょうか?

劇場って「ハコモノ事業」と呼ばれていて、中にいろいろな機能があって1つの施設になります。私たちは場所を持たず、いろいろな劇場や空間が仕事場になるので、それを束ねるボックスの複数形にしました。あとはパッケージングする意味も含まれていますね。ラッピングされてプレゼントとして皆様に提供するような、お客様と作品を繋ぐ演劇制作。作品は一緒だけど、私たちが関わることで見え方が変わったらいいなという思いを込めました。

現在の業務内容について教えていただけますか?

大きくわけて2つの事業を展開しています。
1つ目は企画制作などのマネジメント業務、2つ目は現場でモノを作りクリエイションするテクニカル業務になります。この2つを並行して行う企業はとても珍しくて、基本的にはどちらか1つを専門的にやることが多く、東京ではどちらも並行して、複合的にやっている企業はあり得ません。
私自身が好奇心旺盛な性格で、基礎の勉強をしていなくても、アイディアを駆使して、時間がある限りいろんなことをやってきた経験から、どちらもできるようになりました。正直なところ単純に作ることが好きなんですよね。これがきっと総合的にできるという当社の強みでもあり、専門性を突き詰めきれていないという弱みでもあると思っています。ただ、東北ではほかにそういう企業はないので、自分たちがやらなければと思ったことが大きいですね。
また、細かくお話すると仕事内容は多岐に渡り、ホテルの手配から舞台上に出てくる小道具の手配、キャストの送迎などもあり、作品によって求められることはまったく異なります。
この仕事をする上で、どのスキルが必要か?というと、よくものを知っていて、コミュニケーション能力が高いことではないでしょうか。

お仕事をする上で心がけていらっしゃることは何ですか?

これもまた、少し難しい話になりますが、ギャップを埋めることを心がけています。
以前あった例として、日本の現代演劇界のトップランナーとして知られる劇場から、東京で上演した作品を、仙台でも上演したいというお話をいただきました。しかも、それを市の事業団と一緒に進行することになり、その間に立って通訳をするような専門家の力が必要になって、私たちが間に入ることになりました。劇場というものはとても特殊なスキルが必要で、作品を買い付けて、売って、席が埋まるだけであれば作品は消費されてしまいます。本当に良い作品だからこそ、きちんとその魅力を伝えられるように宣伝をして、観客の方々に「これは観てみたい!」という思いを持って、劇場へ足を運んでいただきたいのです。しかし、正直なところ、仙台ではまだ演劇を楽しむ価値が浸透しておらず、東京の劇場と市の事業団、どちらの立場も考えて、そのギャップを埋められるように心がけています。あとは、正直なところ、以前から地元で一緒に演劇をやっている仲間たちから、会社を起業して、演劇を使って金儲けをしてると思われてしまうというギャップもありますね。

鈴木さんが、頑張れる理由はなんですか?

きっと面倒くさいことが好きなんでしょうね(笑)。
私自身が面白いものを観たい、それに、それくらい面白いものを仙台の方々に観ていただきたいです。いい作品を作っていれば、必ずお客さんが来るって昭和の時代から言われて来たけど、待ちの姿勢ではなく観やすい環境を作るって大事で、作品があふれているからこそ、ほんとに面白いと思うものを広めたり、伝えることって、とても大事だと思っております。

世の中において演劇がもっと身近なコミュニケーションツールに

株式会社boxes

鈴木さんが感じる演劇の魅力とは?

よく言われるのは、テレビは日常ですし一般的に映画は年に数本くらい観る機会があって、不特定多数の人に発信できますし、その分、万人受けするように作られている部分もあります。しかし劇場は、テレビや映画に比べて観る機会は少ないですが、観客席数が決まっていてインパクトがある要素なども取り除かずに上演しているので、何千人に1人の人生を変えてしまうような出来事が起きます。言うならば、感動や衝撃を与える数は少なくても、密度が濃いと思います。ですので、同じテストで採点されて順位を付けられる今の日本の教育制度において、人と違う感性や個性を持っている子が、不適合と判断され「劣」と評価されてしまい、どんどん引きこもってしまう。正直なところ、今の日本はそういう子たちをあまり救えない環境にあると思います。でも、その子たちには別な才能があるのかもしれないので、演劇を観ることで「自分はこのままで良いのだ!」とか「好きなことが見つかった!」など、何かに気づくような衝撃を与えられるんじゃないかと思うのです。実際に過去にはそういう実例もあって、それが演劇の魅力だと思っています。心の奥のスイッチを押せるようなイメージですね。

御社でイチから制作された作品もあるのですか?

これまでに、1本作りました。実は長塚圭史氏と繋がりがあって、長塚氏に仙台へ滞在していただいて、俳優のオーディションをから練習、公演まで1年かけて一緒に作品を作り上げた経験があります。
日本(東京)は世界で一番初演の多い国なのです。つまり、作品が消費されている状況です。演劇は一度にたくさんの方が観るわけではないので、本当に良い作品は何度も上演されるべきで、ヨーロッパの場合は劇場が作品ごと買い取ってくれるので、長い間作品が上演されます。
長塚氏もこの状況を憂いておられて、震災後、何度も被災地を支援していただいた繋がりから、仙台で1本作品を作りたいという思いがあり、ご一緒できたのです。これからも3年に1本くらいは、上演していけたらよいと思っています。

今後の展望について教えていただけますか。

世の中で演劇を観るという行為が、日常の選択肢の一つになればいいと思っています。映画やショッピングに行く感覚で演劇を観るようなイメージですね。
また、演劇は日常生活の課題にも応用が効くので、ただ単純に公演としてチケットを購入して観ていただくだけではなく、子どもたちに向けて小さな芝居を作ったり、ダンスのワークショップをしたりすることで、コミュニケーション能力を上げたり、身近な生活のスキルに役立つものだと思っています。演劇をみなさんにとって身近なものにしていくことが、当社のミッションだと思います。

最後にクリエイターの方々へのメッセージをお願いします。

舞台芸術もグローバリズムが進んでおり、舞台を作る上で国境はほとんど関係ありませんし、海外との共同制作も増えています。それに他ジャンルのクリエイターとのコラボレーションも増え、ダンサーや書道家、音楽家、美術家、建築家と一緒に作品を作ることもできます。むしろ、そういう作品を発信していくべきだと思っています。どの分野のクリエイターの方々とも、コラボして作品を手掛ける可能性があるので、ぜひご興味のあるクリエイターの方々には声をかけていただき、一緒に仙台でしかできない新しい作品を作っていけたらと思っております!

取材日: 2016年12月5日
ライター: 桜井玉蘭

株式会社boxes様

  • 代表者名(よみがな): 代表取締役 鈴木拓(すずき たく)
  • 事業内容: 創造的な舞台作品の企画、製作、運営
           劇場など文化施設の企画・運営・管理
           舞台監督、技術監督、演出部、制作業の請負
           舞台芸術や各種イベントのコンサルティング
           大・小道具のデザイン及び製作
           照明・音響・映像機材機器のレンタル、販売
           ワークショップ事業のコーディネイト
           東北の次世代を担う人材育成
  • 所在地: 宮城県仙台市宮城野区高砂1-11-9
  • URL: http://boxes-inc.jp/
  • お問い合わせ先: tel.022-353-9755 / fax.022-774-1935

ハックフォープレイ株式会社

$
0
0
ハックフォープレイ株式会社

ハックフォープレイ株式会社は、子どもたちにプログラミングの楽しさを感じてもらうことを目的に設立されたベンチャー企業。プログラミング教材の開発や子どもたちを対象とするセミナー・ワークショップの企画、運営を行っています。寺本大輝(てらもと だいき)さんは高専生時代に、ベンチャービジネスプランコンテストで獲得した賞金を基に起業しました。創業から2年、この間もさまざまなコンテストで入賞を重ね、事業を展開する寺本さんに創業の苦労と将来への思いについてお話をうかがいました。

起業支援コンテストで入賞
プログラミング学習ゲーム開発企業を立ち上げる

起業の経緯を教えてください。

石川高専(石川工業高等専門学校)5年生だった2014年、子どもたちが楽しみながらプログラミングを学べるゲーム『ハックフォープレイ』を制作しました。ゲームを基に、金沢市が実施している起業支援コンテスト「CVCKビジネスプランアワード2014」に応募したところ、優秀賞に選ばれ、その時獲得した賞金50万円を基に起業しました。

コンテストで入賞した時は、まだ現役の高専生ですね。在学中に起業することに周囲はどのような反応でしたか?

両親に反対されることは予想していました。そこで、まずCVCKに出て、50万円を獲得し、家族そろってお祝いの外食に行った時に、「もらった賞金を元手に起業するから」と打ち明けました。入賞を喜んでくれた両親ですが、起業に関しては「一度、就職してからでもいいんじゃないか」と言われました。まあ、そう言うだろうなと思っていました。特に父は「社会勉強ができておらず、常識さえもまだ知らないじゃないか」と強く反対していました。

「24時間、『ハックフォープレイ』の開発に費やしたい」
周囲を説得して、法人設立へ

ハックフォープレイ株式会社

それでも、起業の決意は揺らがなかったのですね?

そうですね。自分では入賞したら、起業すると決めていましたから。「この賞金は起業家を支援するもので、この賞金をもらったら起業しなければならない決まりになっているんだ」と父を説得し、なんとか首を縦に振ってもらいました。本当はそんな決まりはないのですが。今、思えば両親の反対も当然のことだなと思いますね。父も中小企業に勤めるサラリーマンでしたし、まだ20歳の息子に、そんな話を持ち出されて困ったでしょうね。今では両親も私の活動をしっかり応援してくれています。

学校では、在学中に起業することについてどのような反応でしたか?

高専では、就職、大学への編入、専攻科への進学という選択肢がありました。5年生になって、同級生が就職のことを考えて、面接を受けに行く中、僕はひたすら『ハックフォープレイ』を作っていたので、周りから「大丈夫か」と言われていました。その中で、指導教員だった先生がベンチャープランコンテストに出場された経験があり、「寺本君は起業を目指している」と他の先生に日頃から伝えてくださっていたようで、周囲の理解を得る事ができました。

結果として、編入や進学はせずに、会社を興すという道を選んだのですね

先生からは「専攻科に籍を置きながら起業したら」とも言われましたが、24時間、『ハックフォープレイ』の開発に費やしたかったので、それ以外のことには時間を割きたくないと思いお断りしました。石川高専では在学中に起業した人はそれまでいなかったようで、僕が知る限り初めてのケースとなりました。

取引先の信頼を得るため「株式会社」に
大企業や教育機関の業務を受託

そして、いよいよ起業を果たしたのですね。

CVCKに入賞したことで、金沢市が起業家支援の目的で開設するインキュベーションオフィスの一角を半年間無料で借りられる権利をいただきました。卒業の目処が立った2014年12月にネットで調べて、行政書士に依頼し、法人登記をしました。

株式会社ではなく、個人事業主という選択肢もあったのではないでしょうか?

プログラミングを教えるというビジネスを考えると、取引先が教育機関や自治体になると考えました。いきなり、20代の若者が「先生をさせてください」と言っても、「お前は何者だ」と断られると思ったので、しっかりとした運営母体として取引先の信頼を得るには株式会社を作るのがいいと判断しました。在学中に、ベンチャーコンテストやインターンシップを通して、スタートアップには株式会社が最適だと思っていました。会社が成長したときに、外部投資も受けやすくなると想定しました。

「ハックフォープレイ」の事業は進化を続けていますか?

はい。バージョンアップしています。『ハックフォープレイ』自体は無料で公開しており、ワークショップの受託が大半です。生徒から直接受講料をいただくことは少なく、子どもたちにスクールでプログラミングを教えたいという企業や自治体から委託されます。企業はCSR活動の一環で、受講生は無料参加というケースが多いですね。

ソフトを商品化するのではなく、ワークショップを受託することで事業を展開されているのですね。

起業後、最初の仕事のクライアントは、マイクロソフト日本法人でした。品川のオフィスで、同社のファミリーデーが開催され、その中のプログラミングワークショップに呼んでいただいたのが最初でした。その後は、IT系の業界団体やIT企業、自治体からワークショップの依頼を受けています。

プログラミングを楽しむ人を増やさないと
新しいソフトやサービスは生まれない

ハックフォープレイ株式会社

「プログラミング教育」は、2020年度から小学校で必修化される方針です。今後ニーズが高まっていくのではないでしょうか。

取り組みの強弱は、学校によって差が出ると思います。まずは、子供達にITをもっと好きになって欲しいと思います。将来IT系以外の仕事をするにしても、プログラミングを使って自己表現ができるようになって欲しいのです。その為にも子供のうちからプログラミングに親しんで欲しいというのが、僕の主張です。プログラミングを楽しめる人を増やさないと、新しいソフトやサービスは生まれません。
会社として、幅広く誰でも学べるプログラミング教育を啓もう活動のような形で進めるのがよいのか、英才教育の場としてのプログラミング教育に取り組んでいくのがよいのかは、迷うところです。

『ハックフォープレイ』について教えてください。

『ハックフォープレイ』は、プログラミングを進めていく際に、プレイヤーの位置を変える、HP(ゲームのキャラクターの体力値)を変える、そんなところから次第に深堀りし、すべてを書き換えることができるゲームを目指しています。ステップを可視化して、ユーザーが体験として学習するソフトウェアです。学校の授業では、C言語やJavaといった基本からスタートします。しかし、これだけソフトウェアが複雑になった時代、プログラム言語を「かっこいい」と思う人もいれば、「意味わかんない」という人もいます。だから基礎から始めるのではなく、いきなり応用から始めて最終的に基礎の分野に至るほうが、技術が高度化した今では、正しい順番なんじゃないかと思います。それを実現、体感できるソフトウェアを開発したいと考えています。

会社としての目標は?

あまり定量的な目標は持っていませんが、プログラミング教育をきちんと普及させたいという目的をしっかりと持って企業活動をしています。IT関連企業の中には、プログラミング教育を浸透させることで社会に貢献したいと思っている企業は多いと思います。でも、企業には、時間がない、手段がない。それに対して、僕は時間と技術を提供できます。ここに投資していただくことで、ハックフォープレイは成立すると考えています。もともとコンテストの賞金や助成金をいただいて始めた会社なので、僕の中ではこれをプログラミング教育を通して社会に還元していくという考え方を持っています。会社を大きくしようという考えはあまり持っていません。社会に必要とされる企業であり続けたいと思っています。

取材日: 2016年12月6日
ライター: 加茂谷 慎治

ハックフォープレイ株式会社

  • 代表者名(よみがな): 代表取締役 寺本 大輝(てらもと だいき)
  • 設立年月: 2014年12月
  • 事業内容: プログラミング教材の開発、セミナー等の運営
  • 所在地: 石川県金沢市昭和町12-6 Beta instruction 3階
  • URL:  http://hackforplay-company.weebly.com/
  • お問い合わせ先: 上記HP内の「ご依頼について」より

株式会社クーネスト

$
0
0
株式会社クーネスト

主にEC-CUBEを使用したECサイト構築とウェブのシステム開発を手がける株式会社クーネスト。ECサイトの中でも、最近では国境を越えて取引を行う「越境EC」に注力しているという同社は、京都でゆいいつ最初のEC-CUBE B2B認定制作会社でもあります。
子供の頃、コンピューターの面白さに出会って以来、システム開発の道をひた走り、2014年に同社の代表取締役に就任した清本秀樹さんにお話を伺いました。

小学生の頃からコンピューター好き
インフラ管理から現在はシステム開発に従事

起業された経緯についてお聞かせください。

元々、ウェブのシステム開発の会社に所属していて、その中でもインフラと呼ばれるサーバーの管理やネットワークの構築を担当していました。業務を行う中で、もっと顧客目線に立ったサービスを展開していきたいと考えることが増え、同じような意識を持った会社のメンバーで独立し、2014年にクーネストを立ち上げ、代表取締役に就任しました。

元々、システム開発に興味を持たれていたのですか?

そうですね。小学生の頃からコンピューターが好きでした。簡単に言えばパソコンオタクです。専門学校の情報科学科で学んで、そのまま開発関連の会社に勤めました。

御社の事業内容についてお聞かせください。

よくウェブの制作とお伝えしているのですが、ウェブの中でもシステム開発(ウェブの制作工程の中で、デザインやコーディングを除いたプログラミングの部分)をメインにやっています。最近は特にECサイトの構築が増えてきています。
一昔前のホームページは情報が変化しない静的なものが多かったのですが、昨今のホームページは管理者が自身で情報を変更するためのシステムが導入されているのが一般的です。特にECサイトはシステムを導入しなければ効率的な運営ができませんので、企画・設計段階でどのようなシステムを導入するのか綿密に検討する必要があります。このようなシステム導入が必要なホームページやECサイトの立ち上げを検討しているお客様をお手伝いするのが当社の事業の柱です。

お客様の要望に応じて
商品の見つけやすさ、見せ方にこだわる

ECサイトを通じてお客様が実際に商品をご覧になるにあたって、心がけていらっしゃる点はありますか?

お客様はシステムの中身については追及しませんが、エンドユーザーに対して商品をどのように見せるかというところにこだわりを持っている方が多いです。どう見せるかということも大事ですが、それよりどうやって欲しいものを探し出せるか、見つけやすくするかというところは気を付ける必要がありますね。「カテゴリ分け」という言い方をするのですが、大手のショッピングサイトだとブランド別、色別、サイズ別等さまざまなパターンで見つけやすいように工夫されています。お客様の要望に応じて、それをシステム化しています。

実際に商品を手に取って見られない分、お客様も購入は慎重になりますよね。

そうですね。例えばアパレルだったら実際にモデルさんが着た写真を、自動車の部品だったら自動車に実際に部品を取り付けて撮った写真を掲載して、お客様がイメージしやすいように工夫して見せることが大事です。また場合によっては動画も掲載できるようにします。

お客様はどういったジャンルの方が多いですか?

とくに偏ったものはなくさまざまです。アパレルもあれば自動車部品もありますし、変わった所では、体験型のイベント(気球に乗る、急流下り等)の予約サイトなどもあります。

京都で最初のEC-CUBE B2B認定制作会社
営業と宣伝を兼ねた戦略で認知度アップ

EC-CUBEによるECサイトの構築を行っているとのことですが、EC-CUBEの特長について教えてください。

EC-CUBEは独自性の高いECサイト構築を支援するオープンソースのプログラムで、ECサイトを作るための基本機能が揃っているため、一から全て作るよりも開発コストが押さえられお客様の負担が減ります。また、お客様の商習慣や業務に合わせてカスタマイズできることも特長ですね。このような特長から、国内では一番実績のあるECサイト構築パッケージとして認知されています。

御社は、京都で最初のEC-CUBE B2B認定制作会社ということですが、認定制作会社になるためには、どんな条件があるのですか?

特別な条件は必要ありません。申請時に作成するヒアリングシートを記入するための、若干の技術的知識があれば問題ありません。大切なのは認定後の取り組みです。EC-CUBE B2Bはまだ出来たばかりのパッケージですので、お客様のニーズに合わせてブラッシュアップしていく必要があります。そのために私たち現場のエンジニアの経験を、EC-CUBEの開発元に届ける姿勢が必要です。

認定を受けられているという点で、どのようなメリットがありますか?

前述したとおり、EC-CUBEはこの業界では非常に認知度が高いパッケージです。そのため、認定制作会社になることで、当社への信頼性が高まり、結果的にお客様が安心してご依頼いただける効果があるのではないでしょうか。

ここ2年で急増した越境EC
国内と海外の違いに配慮して快適なサイトを作る

ホームページを拝見しましたが、越境ECに力を入れていらっしゃるそうですね。

はい。越境ECは、国境を越えて取引するECサイトです。元々市場としてはあったのですが、ネット経由での販売手段がなかったので、そういうところに目を付けて、越境ECのサイトを作りたいというお客様が急増しています。自社の商品を世界に発信したいとか、日本国内でしか手に入らない商品を海外に向けて販売したいという方ですね。3〜4年前は全く聞かなかったのですが、ここ2年ほどで増えてきて、弊社では、2〜3割くらいを占めています。

実際に海外向けのECサイトを作られる際は、言語等はどうされるんですか?

基本的には、英語が多いですが、その他の言語については、翻訳された内容をお客様にご用意いただいて、それに合わせて作るようにしています。言語によって、直訳すると全然意味が通じなくなったり、表現の仕方もさまざまなので、場合によっては掲載するページの内容まで考えます。

なるほど。言語以外で国内向けと海外向けの違いはどんなところですか?

通貨や、インターネットがどれだけ整備されているかが国によってかなり違います。日本や韓国ですとインターネットの通信速度が速いので、たくさん画像が使われていても快適に表示されますが、地域によっては通信速度が遅いところもあるので、意識して画像の量やサイズを抑えたり、文字を中心に説明したりという配慮が必要になってきます。
 あとは、購入されるお客様の国によって、商習慣や問い合わせの内容もだいぶ違いますね。すぐに返品したがるとか、中には、ECサイトなのに値引き交渉してくるとか。お客様の要望によって、事前にサイトの中で、値引きや返品には応じないといった注意書きをして対応することもあります。

ECサイト運営のノウハウを蓄積して
より使いやすいものをお客様に提供したい

株式会社クーネスト

清本さんがこのお仕事をされていて、やりがいを感じられるのはどんなところですか?

やはり、制作したサイト等のシステムを納品した後にお客様に喜んでいただけるところですね。納品まで何度も繰り返しお客様と打ち合わせをして、一緒に作り上げていくイメージです。最初はお客様のイメージはどうしてもふんわりしていることが多いのですが、途中まで作り上げて経過を見せていくと、ああしたい。こうしたい。という具体的なご要望が出てくるんですね。そこを調整していく感じです。

今後の展望についてお聞かせください。

将来的に、弊社でもECサイトを立ち上げて物を販売することによって、運営のノウハウを蓄積していきたいです。実際にECサイトを運営することによって、足りないところや、必要なところを研究して、よりよいものをお客様に提供していきたいと考えています。これまでは、お客様の要望に合わせて作ってきましたが、今後は、これまでの実績を生かしもっと自発的かつ積極的に、こちらから「こうした方がいいですよ」とお客様の立場を考えて提案しながら作れればと思います。

取材日:2016年12月13日
ライター:垣貫由衣

株式会社クーネスト

  • 代表者名:代表取締役 清本秀樹(きよもと ひでき)
  • 設立年月:2014年7月17日
  • 資本金:4,000,000円
  • 事業内容:ECサイト構築、WEBシステム開発
  • 所在地:〒604-8812 京都府京都市中京区壬生相合町67-1 UN301
  • URL:http://www.qoonest.co.jp
  • お問い合わせ先:TEL 075-468-1243

株式会社Gear8

$
0
0

Webサイトの制作やコンサルティング、マーケティング戦略の提案などを行っている株式会社Gear8は札幌でもトップクラスのWebディレクションチームです。札幌中心部の街並みが見下ろせるオシャレなオフィスで、代表の水野晶仁(みずのあきひと)さんにマーケットが成熟したと言われる現在のWebサイトの役割や、今後の海外展開についてお話しいただきました。

異業種からWeb業界へ

起業までの経緯を教えてください

大学卒業後は札幌の大手ホームセンターチェーンへ就職しました。そこで働きながら専門学校に通ってWebの知識を学び、Web業界へ転職しました。その時点で26歳でしたのでWebデザインの世界へ入ったのは遅い方だったと思います。最初は短期のアルバイトから入って、その後いくつかの会社でWebデザイナー、ディレクターを経て2008年1月に30歳でWebディレクターとして独立、2009年10月に法人化をしました。

異業種から業界に入って5年で独立というのはかなり早いと思うのですが、なにかきっかけがあったのでしょうか。

きっかけは特にありません。もともと30歳になったら独立しようと決めていたので、“時間になったから”という感覚でした。クライアントや仕事の目途があったわけでもなく、コネも仕事もお金もない状態でした。貯金が4万円しかありませんでしたから(笑)。

そこからどうやって事業を拡大していったのですか?

最初は本当に細かなパーツ作りをしていました。いきなり大きなWeb構築案件の依頼が来るわけないですから、バナー一つを作るところから受注し始めました。当時はバナー職人かというくらいバナーばかり作っていました。Web業界に入ったときと同じでまずは細かいところから関わって、自分の実力とポジションを見誤らずに実績を積んでいきました。そのうちに大手企業のWebディレクションを任せていただけるようになり、「なんとかこれで食べていけそうだ」という自信と実績ができた頃、法人化をして株式会社Gear8を設立しました。今は札幌、福岡、チェンマイ、バンコクの4拠点でメンバーは15名になりました。

Webをツールにコミュニケーションを実現する
Webディレクション集団

札幌オフィス

現在の事業内容についてお聞かせください。

Webサイトの企画、デザイン、システム構築やWebを使ったマーケティングやブランディングのお手伝いをしています。
単純にきれいなWebサイトをつくるだけではなくて、クライアントが何を課題として、それを誰に伝えたいのか、ユーザーは何を知りたいのか、そういったことを解決するためにWebサイトをツールとしたWebコミュニケーションの提案とディレクションをしています。

以前は、単純にWebデザイン制作とコーディングをするのがWeb制作会社でしたが、最近は、Web制作会社の役割も変わってきましたね。

Webディレクターといっても、Webのアートディレクターという位置づけが多かったですが、現在弊社の役割としては会社の商品やサービス、企業ブランディングの分野まで関わることがほとんどです。
例えば、ある企業の採用活動で内定承諾率がかなり落ちたという場合。企業の価値や事業内容が応募者に伝わっていないからではないかという疑問とそれを変えていくにはどうしたらいいのかということを、社長や人事部、広告関係の担当者などそれぞれの関係者と話をします。給与体系は本当にこれでいいのか。役職の名前は職制、職務などが明確か。といった会社の経営にまで入って話をします。他にも海外展開の際にFS調査(フィジビリティスタディ)を行い、それをもとに商品の値段やパッケージングについて提案したりもします。そうやって細かく詰めた内容が最終的にはWebサイトの中に納まっていきます。
※新規事業などのプロジェクトの、事業化の可能性を調査すること。

経営の根幹にまで入って話をするのですね。

今やWebサイトの役割というのは、売り上げを上げるとか集客効果を高めるといったことだけではないんですね。社長の考えや会社の成り立ちを明確化して社員に浸透させることや、コーポレートサイトとして明示することで企業そのものを取引先やユーザーにも知ってもらうということもWebサイトの役割の一つです。企業の価値を内側から整えていくインナーブランディングです。

Gear8がやるべき仕事と提供する価値

福岡オフィス

Web制作の中で一貫して大切にしていることはありますか?

あまり気負わず普通にやっているつもりですが、常に“おもしろいものをつくりたい”という気持ちを持って取り組んでいます。逆に、独立直後から一貫してやらなかったことは“営業”です。今も営業スタッフはいないです、基本的には口コミと紹介で仕事が広がっています。

北海道以外にも拠点がありますが、仕事の割合はどのような感じでしょうか

北海道とそれ以外で7:3くらいですね。まずは北海道の会社のWebサイトを盛り上げていきたいという気持ちがあります。また「コーディングだけやってください」というような依頼もたまに頂いたりもしますが、場合によってはうちで受けずに他社を紹介することもあります。私たちの強みはディレクションをメインに企画力とデザインだと考えていますので、それをしっかり活かした仕事を提供していきたいですね。
予算がなければ、リリースの時期をずらすとかフェイスブックで代用するとか、絶対Webサイトでなければということでもない場合もありますので、Webではなくチラシでという提案もします。本当に信頼して予算を預けて頼ってくださったクライアントの仕事はモチベーションがググッと上がりますよね。かかる費用も決して安くはありません。しかし、その価格以上に価値のあるWebサイトを作って熱意に応えたいと思っています。たまにやりすぎることもありますが、私たちが質の高いWebサイトを世に送り出すことによって、業界全体のレベルも上がると嬉しいです。

今まで、印象に残った仕事はありますか?

道東の中標津町にある株式会社バイオマスソリューションズ様のコーポレートサイト(http://biosol.jp/)はとても楽しい仕事でした。規格外農産物や食品ロスなどからたい肥や飼料を作る研究や商品開発を行っている企業で、バイオ系はこれから伸びていく分野なので先手を打ちたいと相談を受けました。社長の熱意と共に最新技術の情報を正しく伝え、理解してもらうことが課題でした。札幌から400kmも離れた中標津町から何度も足を運んでいただき綿密な打ち合わせをして、カメラマンとライター同行で2泊3日の取材にもいきました。これもかなり張り切りすぎましたね(笑)。でもとてもいいWebサイトに仕上がりました。

2020年までにアジアで10拠点
チームは小さく、密度は濃く

チェンマイオフィス

海外展開のきっかけを教えてください

2008年に独立した時に、知人の紹介で10カ月ほど上海の会社を手伝っていたんです。当時流行っていたサンプルマーケティングの事業を上海で立ち上げるというもので、上海と札幌と東京を行ったり来たりしていたのですが、その時海外で仕事をするのも楽しいと思いました。そうは言ってもまずは国内で仕事をして、会社が6期目に入ったタイミングで改めて海外進出を考え始めました。

タイを選んだ理由はどこにあるのでしょう?

観光系のアプリをやりたいと思い、それにフィットする国がないか調べていたのですが、ちょうどその頃、タイでビザの緩和や札幌・バンコク間直行便の毎日就航が始まったのです。中間層も増え、海外旅行のニーズも高まっていましたので、タイからの観光客の増加が見込めると思い、まずはタイ向けにアプリ開発をすることにしたのです。
単純に、行ってみたいな、住みやすそうだなという思いもありました。チェンマイは気候も良く、実際に過ごしやすかったですね。政治的に揺れてるようにも見えますが、安定した仕事のしやすい国だと思います。

現地での事業は順調ですか?

まずは昨年6月、「Trippino HOKKAIDO(トリッピーノホッカイドウ)」というタイ人観光客向けにタイ語で道内観光情報を紹介するスマホアプリをローンチしましたが、まだまだこれからです。小さい仕事をコツコツ積み重ねているところで、2回目の創業をしている気分です。

国が変わると、クライアントから求められることも変わりますか?

現時点では結構違います。Webサイトにそんなにお金をかける会社はないと言われます。しかし、Webの役割はタイでも、日本でも同じなので、この先マーケットが成熟していくまで私たちの持っているもので勝負し続けていきたいと思っています。円高がどんどん進んで、そう遠くない将来にオフショア開発の流れは真逆になるかもしれません。その時までに海外の拠点を増やしたいと考えています。

タイ以外の国では、どんな国を考えていらっしゃいますか?

台湾、マレーシア、シンガポール、フィリピンなどアジア圏で、それぞれ8人くらいのチームで10拠点80人規模にしたいと考えています。そして3ヵ月とか半年スパンでスタッフが拠点を移動していく。そうすると国や言葉を超えて、いろいろな国の仕事をいろいろな国の人がやるようになる。大変かもしれませんが、きっと楽しいと思いますよ。

取材日: 2016年12月21日
ライター: 小山佐知子

株式会社Gear8

  • 代表者名:代表取締役 水野晶仁(みずのあきひと)
  • 設立年月日:2009年10月
  • 資本金:5,000,000円
  • 事業内容:Webサイトのデザイン・コーディング及び構築、
           インターネットを利用したマーケティング戦略の立案及びコンサルティング、
           インターネットによる広告業、広告代理業、及び販売促進に関する企画の代理業、
           CI/VI 企画 グラフィックデザインなど
  • 本社所在地:〒060-0004北海道札幌市中央区北4条西3丁目札幌駅前合同ビル8F
  • URL:http://gggggggg.jp

有限会社デザインオフィス スラッシュ

$
0
0

昨年、設立から20周年を迎えた福岡市のデザインオフィス スラッシュ。通販の化粧品をはじめ、様々な分野のパンフレットやチラシ、ポスターなどを制作しています。企画からデザインまでトータルで手がけられるのが同社の強み。総務の秋吉香寿美(あきよし かすみ)さんに、起業の経緯から人材育成、これからの抱負まで伺いました。

写真:取締役社長 片野坂つぐみ氏

仕事を一通り覚えて23歳で独立

インタビューにお答えいただいた
秋吉香寿美(あきよし かすみ)さん

会社を設立されるまでの経緯を教えてください。

社長の片野坂(かたのさか)は、絵を描くのが好きで、日本デザイナー学院九州校のグラフィックデザイン学科に進学しました。私はそのときの同級生です。
卒業後、片野坂が就職した福岡のデザイン会社は新人であっても、打合せから企画、見積り、デザイン、請求まで、一連の流れをひとりで担当する会社でした。また、アイデア出しや社内プレゼンが多く、先輩のアイデアから学ぶことも多かったそうです。そこで一通りのことができるようになり、3年後に独立。まずはひとりでデザインオフィス スラッシュを立ち上げ、個人事業主としてスタートしました。

3年で独立ということは23歳ですね。

若いので、まわりからは反対されたようですが、本人は「やらずに後悔するならやって後悔したほうがいい」というタイプなんです。それから2年ほどは、ひとりで自由に仕事をしていました。しかし、仕事の依頼が増えてひとりでやることに限界を感じ、仕事の幅も広げたいとの思いから、社員を雇い始めました。そして独立から10年目の2005年に有限会社化し、今では社員8名、パート2名のスタッフがいます。20代から40代まで、勤続5年以上のスタッフが大半です。
私自身はもともとホテルの企画室に勤務していましたが、8年前に当社へ入社し、総務の仕事を担当しています。

企画からデザインまで一貫してできるのがウリ

御社の業務内容について教えてください。

広告の企画とデザインが中心です。パンフレットやポスターから、チラシ、Web、商品パッケージまで幅広く手がけています。中でも、一番大きな割合を占めているのが、通販の化粧品関係の仕事ですね。

クライアントは福岡の企業が中心ですか?

いえ、今は福岡と東京が半々です。福岡の大手通販会社が百貨店に出店する際、店内装飾やパンフレット、ポスターといったツール一式のデザインコンペがあり、当社が契約を勝ち取りました。その仕事が東京の広告代理店の目に留まり、東京からも仕事のオファーが来るようになったんです。

御社の強みはどんなところでしょう。

デザインだけでなく、企画から請け負えるところです。マーケティングをもとに、売り方についての提案もたくさん出しますし、ディレクションも行います。先ほどのデザインコンペでも、プランニングからやっています。それが大きな強みになっていると思います。
片野坂は、良いデザインを求めて何でも学ぶ向上心の強い人で、画像のレタッチまで自分やるため、その腕前から魔術師と呼ばれているんですよ(笑)

スタッフを丁寧に教育し、会社の力を高める

何でもできるようになると、独立したいと考えるスタッフも多いのでは?

はい、これまでに当社から巣立った人は何人もいます。何でもできるデザイナー養成所を自負しておりまして、自他ともに認めるほどの実力がつけば、独立を応援しています。独立した人たちは、その後も力強いブレーンや外部スタッフとして関わってくれています。

秋吉さんが入社された頃と今では、社内に変化はありますか?

雰囲気がずいぶん変わりました。以前はよくも悪くもピリピリした雰囲気で、個々に仕事をするスタイルだったんです。今はスタッフ同士が組んで一緒に仕事をしたり、他の人に意見を求めたりして、アットホームな雰囲気になりました。

どうして変わったのでしょうか?

以前は、片野坂のスキルが卓越していて、片野坂指名で仕事がきて、スケジュール的に受けられないことがあったのですが、それでは会社組織でやっている意味がないということに気づいたのです。
スタッフ全員の力を底上げするため、今は社員教育に力を入れています。昔のように「デザイナーは先輩の背中を見て仕事を覚えて」というのではなく、細やかにフォローし個人個人が成長できるように心がけています。特に、しっかり考える力をつけることを意識していて、実際にスタッフの力が少しずつ伸びていると感じています。スタッフ自身も成長を実感して、仕事へのやる気や動き方が変わってきています。スタッフの成長を見るのは本当にうれしいですね。

デザインの質はもちろん結果にもこだわる

どんなときに仕事のやりがいを感じますか?

大きく2つあります。ひとつは、直接仕事をする広告代理店や大元のクライアントから「いいデザインだね」と喜ばれるとき。もうひとつは、担当した広告により商品がヒットしたとき。通販の仕事は、いいデザインをすれば終わりではありません。その商品が売れたり話題になったりという結果を出すことが大事なんです。そして結果を出すことで、次の仕事につながっていく。当社は一つ一つの仕事にこだわっているからこそ、自分たちで営業しなくてもお仕事をいただけるんです。まわりの方々に恵まれて、大変ありがたいと思っています。

今後の展望についてお聞かせください。

デザイン力の底上げのためにも、全国区の仕事を増やしていきたいと考え、東京進出を視野に入れて動いています。
高いデザイン力や企画力が求められる仕事をこなすことで、スタッフにはクリエイターとしてのやりがいをもっと感じて欲しいですね。
また、片野坂は長年、ある大手化粧品会社の広告を手がけたいという夢を抱いています。それはとても難しくて大きな仕事なのですが、実は今、その足がかりができつつあります。望めば叶うのだと感動しています。

採用を担当されている秋吉さんは、これまでいろいろな人を見てこられたと思いますが、クリエイターにアドバイスをお願いします。

ひとつは、いろんなものを見ることですね。映画でも雑誌でもショーウィンドウでも、いろいろなものにアンテナを張り、それを自分の中にストックにしておくことが大切だと思います。
もうひとつは、自己管理能力をつけること。時間の使い方や仕事の進め方など、クリエイターは自分の裁量に任される部分が大きいので、自己管理を意識しながら、仕事をスケジュール通りに終わらせるのはもちろん、その先まで気を利かせて+αの仕事ができるようになってほしいですね。

取材日: 2016年12月21日
ライター: 佐々木恵美

有限会社デザインオフィス スラッシュ

  • 代表:取締役 片野坂つぐみ
  • 設立年月日:1995年9月設立、2005年1月に有限会社
  • 事業内容:各種印刷物の企画・制作/各種イベント、キャンペーン、販売促進に関する企画・ツール制作/
           企業、店舗、施設のネーミング・ロゴマークの立案・制作/
           展示会、店舗のディスプレイの制作/商品パッケージのデザイン制作/WEBサイトのデザイン制作
  • 本社所在地:〒810-0022 福岡市中央区薬院3-12-22 美山ビル2階
  • TEL:092-522-8944

株式会社高速オフセット

$
0
0

株式会社高速オフセットは、総合印刷会社です。「発想から発送まで」をコンセプトに、新聞印刷や商業印刷など様々な紙媒体の印刷、印刷物の発送とともに、印刷紙面のデザインやWeb制作まで手がけています。
高速オフセットの特徴は、常に新しいものへ挑戦すること。
今も特許出願中の新技術「XWidePrint」をはじめ、様々な新事業を立ち上げ展開中です。その過程では、思いがけない発見をしたり、新たな課題が生まれたり、多くの得るものがあったようです。
今回は新事業におけるエピソードを、最前線で働く印刷部門と編集制作企画部門の方々に伺ってまいりました。

◇今回お話を伺った方々
・取締役 印刷本部長 商業印刷センター長/赤尾 一さん(下方写真右、黒縁めがねの男性)
・印刷本部 商業印刷センター 商業印刷部 部長/竹林 徹さん(上部写真中央)
・印刷本部 商業印刷センター 商業印刷部 印刷課 課長/三藤 準二さん(上部写真右端)
・印刷本部 商業印刷センター 商業印刷部 印刷課 副課長/田中 賢治さん(上部写真右から2番目)
・企画編集センター デザイナー/佐々木 はづきさん(上部写真左から2番目)
・企画編集センター ライター/沖 知美さん(上部写真左端)

偶然生まれた技術「XWidePrint」
誰でもできるが、誰もが思いつかない発想を形にする

大阪ではちょっと変わった印刷会社だとお聞きしましたが、具体的にはどんなところが変わっているのでしょうか?

竹林さん:当社のコンセプトは「発想から発送まで」、デザインも印刷もできる、仕上がった物を送ることもできるというものです。一般的に商業印刷に携わる印刷会社といえば、多くはパチンコ店やスーパーのチラシなど新聞の折り込み広告を扱っているイメージだと思いますが、当社はさらに多ページの冊子やポスター、ノリを塗る作業やインクジェット対応ができたり、はがきを貼り付けたりすることも可能です。他の印刷会社ではあまり扱わない物を印刷できるのが強みで、大阪にこの規模の会社は少ないと思います。

赤尾さん:他にも当社は印刷の工程で「水あり印刷」「水なし印刷」両方に対応できます。「水なし印刷」は環境に優しいのですが独特のノウハウがあり、どちらかといえば扱う会社は少ないです。当社は両方扱うことでお客様の希望に沿った方法を提案しているのです。

なるほど。では最近開発された新技術「XWidePrint」も、他にはない試みとして開発されたのでしょうか。

三藤さん:実は、失敗から偶然生まれた技術なんです。
「XWidePrint」とは、一般的なチラシの四隅にある白場(白フチ)という何も描かれない部分を失くし、全面印刷を可能にした技術です。これまではお客様の要望があれば、この四隅の白場をカットしていました。ところがある時、印刷スタート時に図柄の中心が大きくズレて白場であるはずの部分に色がついた印刷物になってしまいました。カットする位置の設定を間違えていたんです。
その時、デザイン次第で端から端までを印刷物として扱うことができるのでは、と思いました。この考えがきっかけとなって、今の「XWidePrint」が開発されたのです。

実際に拝見させていただくと迫力がありますね。なぜ今までこういった技術はなかったのでしょう?

竹林さん:「チラシの周囲には白場があるものだ」ということを、誰もが常識としてとらえていたためです。考えて思いつくものではありません。本来なら、オペレーターのミスです。でも三藤はそこでダメ出しをするよりも、ふと気づいたことを形にしようとしたのです。

お客様の反響はいかがでしょうか?

三藤さん:すでに継続の契約を入れてくださったお客様もいます。仕出し弁当の企業は、おせちの広告に使ったら、昨年より注文と問い合わせが増えたそうです。折り込みチラシは「新聞の中でどれだけ目立つか」で勝負が決まります。白場をカットすれば、その分定型よりサイズが小さくなります。同じサイズで端まで印刷できると豪華ですし、周りが白場のチラシの中で目立ちます。

一般的なチラシの四隅にある白い部分を失くし、全面印刷する技術「XWidePrint」によるチラシ。

完全分業体制から、部署間で意見を出し合う流れが生まれた

発想を商品化して運用するというのは、なかなか簡単なことではないと思いますが、いかがでしたか?

三藤さん:印刷の工程では、印刷設定の数値を変えるだけで変更が可能ですが、大変なのは、絵柄をあえてずらさないといけないデザイナーさんです。印刷の前工程である「プリプレス」チームと制作企画編集部側の方々の協力は不可欠でした。
これまでは、制作側で決定した絵柄を印刷するという流れのみで、各部署間で交流するということはありませんでした。しかし、今回は印刷部門から、印刷する際のことを考えて制作部門にお願いをしました。そして刷り上がった物を検討して 再修正をお願いするというやり取りを何度も繰り返して、実用化にこぎつけたのです。

それまで交流のなかった他部署との連携で、変わったことはありましたか?

三藤さん:そうですね、同じ会社にいながら名前しか知らなかった人と、直接メールや言葉を交わすことはとても新鮮でした。

竹林さん:これまでは営業を通して他部署に相談するのが当たり前だと思っていました。けれど先々交流が進み、制作部の方から直接「こんな印刷はできる?」と提案してもらえるようになれば、印刷の幅も広がると思います。

赤尾さん:印刷にはみんなが関わって作るのですが、これまでは完全分業制でした。今回は担当者レベルで一緒に作る過程を通して、部署間で意見を出し合う流れが生まれたのは、すごくよかったと思います。

単純な仕事を続けても、難しいことにチャレンジしても給料は一緒
それでも「やってみよう!」と思える風土

次の展開として何か考えていらっしゃることはありますか?

三藤さん: 縁がまっすぐでなくギザギザになっているチラシや、紙の端辺りに小さな穴が開いているものを見たことがあるでしょうか? どちらも紙を裁断する上で残ってしまうもので、不可欠なのですが、決してキレイではありません。これらをなんとか目立たなくする技術を試作中です。現在は裁断する刃と針の耐久性の問題について、メーカーと開発しているところです。

新たな試みの挑戦には、費用もかかると思いますが、リスクは心配になりませんか?

竹林さん:最終的にはお客様に気に入ってもらえることが一番だと思っています。「ギザギザや針穴が目立たない美しいものを提供できます」とオススメできることこそ、当社の強みなのです。

田中さん:ずっと昔から、他ではできないこと、変わったことにこだわりを持ってチャレンジして来た会社なんです。例えば、他の会社は印刷だけで終わるところを、後ではがきを張るとか、他のページとくっつける、という作業を印刷と同時にやれないかと考えて、実際にやってしまいます。そうした風潮があるので、挑戦するために費用がかかるとしても、まず提案してみようと思えるのです。

赤尾さん:単純な作業を続けても、難しいことにチャレンジしても、給料は一緒です。だから、たいていの人はややこしい仕事は面倒だと考えるかもしれません。でも我々はそこで「やってみよう」と思います。そしてやれる風土がある。これは実行する若い人たちの力であって、当社が自慢できるところですね。

絵本『かくれん…ぼ』はBtoBからBtoCへの挑戦
自分たちから発信したいものを作る

『かくれん…ぼ』絵:小西慎一郎、出版社:K.koubo

では次に制作側のお話をお聞かせください。具体的にどんな業務内容ですか?

沖さん:もともとは新聞印刷の関係で、行政の広報物を主体に制作していました。例えば、佐々木がデザインした大阪観光局の公式キャラクターが、カレンダーをはじめ、いろいろなグッズ、イベントで今でも使われています。その流れを受けつつ現在では商業媒体やWebにも力を入れ、企業のイベント案件も増えました。またメディア関連の仕事も増えており、ツイッターやSNSにも携わり、かなり幅広いご提案ができる体制になっています。

佐々木さん:企画編集センターは、ライターとデザイナーとWebチーム、総勢30名ほどの部で、印刷物からWeb媒体まで丸ごと制作できる、「発想から発送まで」プラスWebもやりますといえるのが特徴です。特にWebサイト制作では、弊社が印刷用にデザインしたデータを流用できますので、スムーズです。

沖さん:最近は当社出版の絵本を作る新事業も始まりました。

拝見させていただいた御社1作目の絵本『かくれん…ぼ』は、愛らしい絵柄の幼児向け絵本ですね。どんなきっかけでこの絵本を作ったのでしょうか?

赤尾さん:これまでのBtoB体制から、次はBtoCにも挑戦しようと考えました。依頼される仕事だけでなく、当社オリジナルの印刷物を販売しようという試みです。世の中では、印刷物の需要は年々減っていますが、特殊な紙を使った商品やパッケージは、底堅い需要で成り立っています。そこで当社では、おもちゃ的な紙の印刷に焦点をあて、自ら出版社となり「自分たちから発信したいものを作る」というコンセプトで絵本の出版を始めたのです。

社内の体制やお客様の反響はいかがですか?

赤尾さん:発売したばかりでまだまだこれからです。絵本のPR動画も制作中で、今後、第二、第三の企画を計画しています。このプロジェクト案件では新人の女性スタッフを含むチームを組みました。これまでやったことのないものに挑戦しようと、今回人気アーティスト小西慎一郎さんに協力していただき、素敵な絵本が出来上がりました。これからこのチームでシリーズ化していく予定です。

数多くの案件ごとに部署をまたいでチームを組み、いくつも兼任する

大阪観光局の公式キャラクター『大阪bob』も人気ですが、観光局からの依頼だったのですか?

佐々木さん:いいえ、キャラクターデザインのお話が初めからあったわけではないのです。 大阪観光局のサポーター向けメールマガジンのお仕事をする際、デザイン要素のひとつとして男の子の絵を描いてアップしたところ好評で、観光局からキャラクターとして使いたいとお申し出がありました。コンセプトはインバウンド向けのサイトなので、いろいろな国のイメージで12人のキャラクターをデザインしました。

竹林さん:『大阪bob』のカレンダーは、取引先でもかなりの人気です。年末にはカレンダーのために当社までお越しくださる方もいます。

佐々木さん:今年はさらに『大阪bob』を使ったフリーペーパーの提案をして、企画から進めた新事業にも取り組んでいます。

赤尾さん:社内では数多くの案件があり、全てチームが組まれています。部署をまたいで編成されたチームを、みないくつも兼任しているのです。

いくつも案件を抱えて大変なのでは……?

沖さん:兼任が大変というより、一つ一つの案件それぞれに難しさがあります。
例えば、日本着物システム共同組合(JKS)さまの案件は、組合員であるそれぞれの呉服屋さんからの条件をすり合わせるのに時間がかかりました。本のテイストに気を配りつつ、お店のカラーや地域性を考えた紙面づくりが必要でした。そこは、難しいところですが、面白くてやりがいのあるところでもあります。

どうすればいいものができるか、最先端の演出はなにか、
外に出ていろいろなものに目を向ける

制作の上で、意識していることはありますか?

佐々木さん:キャラクターのマスコットを作ったり、イベントにグッズ出店させていただいたり、紙媒体以外の新しい案件に携わる機会があるので、どうすればいいものができるか、日々外に出ていろいろなものに目を向けるようにしています。アイディアのきっかけになるものをいつも探しています。

沖さん:媒体によっては、ディレクションが必要なこともあります。その際お客様の理想に向けて効果的なツールを提案できるよう、社会の中で何が求められているのか、最先端の演出はなにか、情報を収集しています。休日に流行の場所に行き、アートセンスを磨くことも日常的に取り入れています。

求めるのは、何回もチャレンジできる人、
こだわりを持ってやれる人、細やかな女性の力、根性がある人

一緒に働くスタッフとして、どんな人材を求めますか?

三藤さん:新しいものを作ろうとすると常に苦労の連続です。考えて、試して、だめならまた考えるという繰り返しです。何回失敗しても、チャレンジできるようなタイプがいいですね。

沖さん:佐々木のように、こだわりを持ってとことんやるタイプですね。とことんやって初めてお客様に出せるものができると思います。さらに社内では自分の意見を伝える力、社外ではお客様と一歩踏み込んだコミュニケーションをとれるディレクション能力も大事です。クリエイティブが好きな人が一番ですが、社会人として何かを残そうとする前向きな人がいいですね。

赤尾さん:今後、部署間のやり取りが増えることを考えると、工場には女性の力が必要です。やはり女性は、男性にない細やかさをもっているので、現場の雰囲気が柔らかくなるだけでなく、仕事も丁寧な仕上がりになると思います。とくにプリプレス部門のようなコツコツとした作業に、女性の力が必要です。

竹林さん:確かに男性は大雑把になりがちなところがありますが、根性さえあれば、男性でも女性でも、当社は力を試せる環境だと思いますよ。

(写真左) 商業印刷部 印刷課 課長の三藤 準二さん、(写真右)印刷本部長 商業印刷センター長の赤尾 一さん

取材日: 2016年12月14日
ライター: 東野敦子

株式会社高速オフセット

  • 代表者名(よみがな): 代表取締役社長 橋本伸一(はしもと しんいち)
  • 設立年月: 1986(昭和61)年12月
  • 資本金: 91百万円
  • 事業内容: 総合印刷会社として幅広く展開。
          ・日刊紙、各自治体の広報紙や業界紙、ミニコミ紙まで網羅した「新聞印刷」
          ・チラシ、ポスター、カタログ、パンフレット類等を扱う「商業印刷」
          ・書籍、雑誌等の「出版印刷」
          ・OA機器に対応する請求書やマークシート用紙等を作成する「フォーム印刷」
  • 所在地: 大阪市北区梅田3丁目4番5号 毎日新聞ビル6階
  • URL:  http://www.kousoku-offset.co.jp/

VR体験で衝撃を受け、開発会社を起業 “VR専業”で成功を目指す

$
0
0

ベイオウルフ株式会社は2016年4月より本格的に活動を開始したソフト開発会社で、ヘッドマウントディスプレイを利用したVRコンテンツの開発を専業としています。第1作目として、ハムスターになって女の子の部屋を探索するアクションVRゲーム『SPOT(スポット)』を制作。オンラインのソフト販売サイト「ベクター」や「Steam」にて配信し、東京ゲームショウ2016のVRコーナーにも出展するなど精力的な活動を行っています。VRのどこに魅力を覚えたのか、どのようなVRコンテンツを作っていきたいのか。大手ゲーム会社でゲーム開発に携わっていた代表取締役の森邦彦(もり くにひこ)さんに、会社立ち上げの経緯や将来の目標について語っていただきました。

「人生を変えられた」VR体験 自分で作ってみたいと開発会社を立ち上げる

ず、これまでのキャリアをお聞かせください。

大学卒業後にセガ(現、株式会社セガゲームス)に入社しました。そこをキャリアのスタートとして株式会社バンダイナムコゲームス(現、株式会社バンダイナムコエンターテインメント)、株式会社スクウェア・エニックスといった大手ゲーム会社でゲーム開発に携わってきました。セガでは『ソニックアドベンチャー』、『プロ野球チームをつくろう!』、『ジェットセットラジオ』。バンダイナムコでは『鉄拳6』。スクウェア・エニックスでは社内で使うゲームエンジンのネットワーク周りの開発をしておりました。

業を思い立った経緯を聞かせていただけますか?

2016年のアタマくらいにバーチャルリアリティ……VRを初めて体験したんです。ちょうど横浜を散歩していたときにVRの体験会をパシフィコ横浜でやっているというのを聞きまして、ちょっと見てみようと思って行ってみたところ、「これはすごいな!」となりまして、自分もVRの開発をやってみたくなって起業にいたりました。

VRのどういったところに魅力を感じられたのでしょうか。

やっぱり圧倒的なまでの没入感ですね。私が体験したのは戦場で兵士たちが戦っている空間に自分も入るという、VRメーカーがサンプルとして出していたデモ的なものだったのですが、本当にその空間にいるのだと、ものすごく強く感じました。そこがVRの一番の魅力です。あれには本当に人生を変えられましたね。実は、それまで起業志向はそれほど高くはなかったのですが、VR体験で受けた衝撃の勢いで会社を作ったという感じです。

フェイスブックで社員を募集 VRに特化したソフトウェアメーカーを目指す

社名の由来を教えていただけますか?

ちょっと恥ずかしいんですけれども、高校生のときに『銀河英雄伝説』(徳間書店)という小説にハマって、そこに出てくる戦艦の名前からとりました。

タッフはどのようにして集められたのですか?

フェイスブックで「VRの開発会社を興すので、一緒にやってくれる人はいませんか?」とつぶやいてみたんです。そうしたら、けっこう反応があって、ちょっと面接みたいなことをして社員3名でスタートしました。その後、立ち上げ時のメンバーが1人辞めましたが、新しく1人入ったので、現在も社員数は3名です。みんなVRに可能性を感じて集まってきた仲間たちです。

初から完全に「VRありき」だったんですね。

そうですね。ですから、今のところVR以外のソフトを作る気はないんです。

まざまなVR用ヘッドマウントディスプレイが発売されましたが、どのマシンでのコンテンツ提供を考えておられますか?

PlayStation®VR、Oculus Rift(オキュラスリフト)、HTC Vive(エイチティーシーバイヴ)の3つに提供しますが、メインのターゲットはプPlayStation®VRになります。Oculus RiftとHTC Viveは両方合わせても実売が20万台ほどですが、PlayStation®VRはすでに240万台くらい売れていますので、ここに一番力を入れたいと考えています。

VRのスマホアプリの開発は視野に入れられていますか?

個人的にはやりたいと思ってはいます。会社として、一度みんなで議論したいところですね。

社時間などは社員の裁量にある程度任せているとお聞きしましたが。

勤務体系は裁量労働制で1日1回でも会社に顔を出せば出勤したとみなすという形をとっています。

第1作『SPOT』の手応えと次回作の構想

社が開発された『SPOT』ですが、このタイトルを制作しようと思い立った経緯を聞かせていただけますか?

企画担当の者から「ハムスターになって女の子の部屋に潜り込んで、その女の子とちょっと触れ合える」みたいなゲームを作りたいという話があって、1本目なので、企画担当の者のしたいようにさせようと思い、「じゃあ、それをやってみましょう」ということになりました。

さん自身は開発には関わらなかったのですか?

私は資金調達に専念していたので、開発には手が回りませんでした。

営者の立場に専念しておられたわけですね。

やってみて分かったことですが、経営者の仕事は大変です。一番大変だったのは資金調達の部分ですね。自己資本はありましたが、それだけではあっという間に尽きてしまうので、投資家に投資してもらったり銀行に融資してもらったりして、なんとか乗り切ってきたというところです。

タッフに企画・開発を任せた『SPOT』ですが、内容面についてどのように評価されていますか。

ちょっとゲーム性が弱いかなと思います。今一緒に働いているスタッフはVRにはすごく強いんですが、ゲームのプログラムを作ったことがなかったんです。だから、ゲームプログラマーとしてずっとやってきた私から見ると、少し詰めが甘いんですよね。猫やハムスターの動きなんかは、「こうすればもっと良くなる」というのがあるんですよ。ですので、次回作は僕が企画して社員にはアシスタントに付いてもらうという形で開発を進めていきたいと考えています。

でに次のタイトルの開発をお考えになっているのですね。

そうですね。『SPOT』で得られた知見やノウハウがありますので、それを次の作品で活かしたいと思っています。VR酔いを起こさないためにはどうしたらよいかというのも、いろいろ試行錯誤しながらやってきましたので、次に活かせるかなと感じています。

のようなゲームを構想しているのか、よかったら教えてもらえますか?

幕末を舞台にした一人称視点のFPS(ファーストパーソンシューター)※1を作りたいと思っています。幕末っていろいろな有名人がいるじゃないですか。坂本龍馬から始まって新選組とか、薩摩の勢力とか、長州の勢力とか。そうした組織のいずれかに自分が属して、敵対する陣営と斬り結んでいくみたいなものを考えています。

※1プレイヤーが操作する主人公の視点でゲーム内の世界や空間を移動するスタイルのゲームのこと。

末を舞台にしたチャンバラですか。

そうです。PlayStation®Move(※2)を使えばゲーム中での「斬る」というアクションを体感できます。PlayStation®Moveのようにゼスチュアで操作できるデバイスのほうが断然、没入感も大きいですから。

※2 PlayStation®用の体感型モーションコントローラー。

リースはいつ頃を予定されていますか?

開発自体はすぐに始めようと思っています。期間は半年を見込んでいます。2017年の夏くらいには出したいですね。

はり国内市場がメインのターゲットになるのでしょうか?

PlayStation®4が一番売れているのが北米・欧州になりますので、海外市場も視野に入れたいですね。まずは国内で売って、その次は海外という2段階方式を考えています。日本で販売後いろいろなフィードバックがあるはずなので、それを取り入れて北米・欧州で売るという感じにできればいいのですが。

売れるVRソフトを作って会社を大きくしていきたい 夢は大きく「ライバルはコロプラ」

社としての今後の展望・目標をお聞かせください。

PlayStation®VRで売れるソフトを作るというのが第一の目標ですが、将来的にはVRのコンテンツをたくさん出して会社を大きくしていきたいです。一方的ではありますが、ライバルはコロプラ※3と考えています(笑)。

※3『クイズRPG 魔法使いと黒猫のウィズ』、『白猫プロジェクト』などの大ヒットアプリゲームを開発していうソフトメーカー。

気ですね。もしかして意外と野心家だったりしますか?

いや、そうでもないと思うんですけど……。ただ、やっぱり会社を大きくして、「コロプラ? いやあ、ウチのほうがいいよ。」みたいになれたらいいなあと思ってはいます(笑)。そういう意味での野心はありますね。

来、VR以外の分野にも進出するということはありえますか?

VRのマーケット自体がどのくらい大きくなっていくのか、まだ見えていないですよね。「VR元年」という言葉だけが先行していて、実際にVRの市場が予想どおりに成長していくかどうかは未知数だと思っていますので、会社を大きくしていく中で、VRではないタイトルも作っていくことはあるかとは考えてはいます。

営者と開発者、どちらに軸足を置きたいと考えておられますか?

ゲームのプログラマーをずっとやってきたので、正直「(ゲームを)作りたい」という思いが大きいです。なかなか今はできていませんが、事務的な処理などを外注さんにお願いする方向で調整して、次のタイトルからは経営もしながら開発もできるようにしたい思っています。

はりゲーム作りに直接関わっていたいと。

そうですね。クリエイターとして「VRを作りたい」という思いがあって起業したわけですから。今のところパブリッシャーからの受託開発も考えていません。基本的に自社のタイトルで勝負していきたいと思っています。

取材日:2016年12月28日 ライター:仁志 睦

ベイオウルフ株式会社

代表者名(よみがな):代表取締役 森 邦彦(もり くにひこ)
設立年月:2013年7月
事業内容:VRコンテンツの開発
所在地:神奈川県横浜市中区山手町13-1サンライズ山手B号室
URL:  http://www.beio-wolf.com/
お問い合わせ先:上記HPの「お問い合わせ」より

Viewing all 1190 articles
Browse latest View live