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株式会社シェアデザイン

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2013年にオープンしたシェアオフィス&コワーキングスペース「ものづくりオフィスSHARE」。
シェアオフィスとしての役割だけでなく、「ものづくり」作家やクリエイターの起業支援、それによって地域の活性化に繋げていきたいという代表取締役の齊藤隆さんにお話を伺いました。

「コワーキングスペース」で見た新しい働き方

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以前はどういったお仕事をされていたのですか?

元々、家具業界に17年間おりました。新卒で道内最大手の家具メーカーに就職し、販売員からスタートして店長となり、東京本部では、商品開発にも携わりました。その当時は、今のような事業を起すなんて、全く想像もしていませんでした。

元々、起業したいというお気持ちはあったのですか?

学生の頃から、起業したいと考えていました。何をやるかというところまでは決まっていませんでしたが、小学校の卒業文集に「将来は社長になる。サラリーマンにはなりたくない。」と書いていて(笑)。
就職活動の時も、社長の最終面談の場で「将来的には起業をしたいと考えているので、会社に入ってもおそらく3年で辞めると思います。それでも良ければ雇ってください」と言いました。今考えたら、とんでもない発言ですよね。

それでも、そちらの企業に入社なさったのですね?

当時の社長が、ちょっと変わった人が好きだったみたいで「それくらの勢いでがんばってくれるなら」と意気込みを買っていただきました。相性が良かったみたいですね。まあ、予想通り3年で仕事が全部わかるはずもなく、会社を辞めるきっかけもないまま走り続けて17年という感じでした。

起業のきっかけは何だったのでしょうか

東京勤務の頃、雑誌で紹介されていた「コワーキングスペース」を見に行ったのがきっかけです。それが何かもよくわからないまま、なんだか楽しそうだとイベントを訪れて、そこで出会った若手起業家の方の働き方にすごく衝撃を受けました。カフェのようなオシャレな空間で、大学を卒業したばかりの若い経営者と50代くらいの大手企業の重役の方が笑いながら打ち合わせをしていました。楽しそうに握手までして、人と人との距離がすごく近いのを感じました。こんな光景は、会社員として働いてきた自分の世界にはありませんでした。当時、私は30代後半。自分はこのままでいいのだろうか。どうしたら、あのふたりのような関係で、こんな風に楽しく仕事ができるのだろうかと考えました。
その時、「コワーキングスペース」を利用すれば、自分も起業してこんな働き方ができるのではないかと思ったのです。

ビジネスには欠かせない“人脈”をつなげる場として

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「ものづくりオフィスSHARE」はどのような場所なのでしょうか?

フリーランスの方や起業を考えている方、起業したばかりの個人事業主の方を中心に「コワーキングスペース」として「シゴトバ」を提供しています。会員制でビジター会員まで含めると1,000人ほどの登録があり、40~50人くらいの方が、お仕事をするため週3回以上定期的に利用されています。

見たところ、個室やデスク周りなど、仕切りが全くないですね

そうですね。「シゴトバ」といっても単純なレンタルスペースではなく、他人と同じ空間で一緒に仕事をすることによって、自宅で一人仕事をするのではなかなか得られない「人脈」や「情報」を繋げていくというのが、「SHARE」の第一義です。今この時代に、フリーランスの方はどこででも仕事ができますし、それが自宅であればお金もかかりません。でも、“人”に対してビジネスを展開していかなければならないのに、“人”のいない空間で一人で仕事をするなんてもったいないと思います。何より、人に会わないことはリスクだと思います。入会される方には、必ずこのお話をさせていただいております。

つまり、「SHARE」は、人と人を繋ぐ空間なのですね

ビジネスを成立させるためには、なんといっても人脈が必要なんです。他の人にはないスキルや技術があるから起業しようと思っているとしても、それを応援してもらったり、口コミをしてもらったり、わからないことを相談するには、人脈がないとできません。私も会社員として17年間働いてきて、さあ起業するぞと思った時に、会社の中の人脈ばかりで、会社から一歩外に出ると、学生時代の友人くらいでした。最初は自分自身が「コワーキングスペース」で修行して、それから起業しようと思っていました。でも、当時、札幌には「コワーキングスペース」がなくて、「コワーキングスペース」がないと起業できないと思い込んでいた私は、大変困りました(笑)。短絡的ですが、それで自分で「SHARE」を始めたのです。

そうはいっても、人間関係を築くことはなかなか難しいですよね

私も子どもの頃は苦手でした。それが今、こうやって人と人を繋げる仕事をしているのは、自分にないものを求めて、逆にそれを意識をしてきた結果かなと思います。ここに来る方は同じように、人間関係を築くことが得意ではない方が多いようです。新しい会員の方には、私の方からイベントや勉強会、または大人の部活動に参加しませんか?と、しつこく声をかけています。

「大人の部活動」とは、楽しそうですね。

はい、参加してくださった皆さんは「楽しかった!」と言ってくださいます。今ある部活動は、写真部、ボードゲーム部、電子クラフト部、スマフォト部、文房具部です。大人になって趣味を通じたコミュニティに参加することから無縁になっていませんか?でも、大人になっても本当は同じ趣味を持ったもの同士仲良くすれば楽しいはずなんです。興味のある人は一度参加して欲しいと思いますね。ただ同じ時間を一緒に過ごすだけで新しい人間関係が生まれたり、お互いに刺激を受けて新しい考え方が生まれたり、コラボレーションできたりと、楽しむことをきっかけに人脈が増えていきます。今では大人の部活動で知り合った者同士で新しい事業をスタートするという事例も生まれていますよ。

ものづくり事業の支援を通して
札幌の地域産業を応援したい

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施設名に「ものづくり」とかかげている理由は?

元々家具業界での経験が長かったので、そこで得た知識を活かせないかと思ったのが最初です。また、これからデジタル工作機械を使った「ものづくり」ブームが来るという新しい流れを取り入れたところもあります。
東京に、ものづくりをする人たちが集まるカフェがあるのですが、時間制でお客さんが使えるレーザーカッターがお店のど真ん中に置いてあって、一般のお客さんが工作機械を使いながらお茶を飲めるようになっています。そういうことをここでもやりたいと思って、「SHARE」にも最初は真ん中に3Dプリンターやレーザーカッターを置きました。3Dプリンターは、当時北海道で一般公開しているところは、ここだけでずいぶん宣伝にもなりました。

会員の方は、「何系」のクリエイターが多いのでしょうか?

最初はIT系とクラフト系が半々で、男女比は7対3くらいでしたが、現在はクラフト系7割、女性7割という感じで、女性のクラフト作家さんが多いです。
東京で「ものづくり」というと下町の工場をイメージしませんか?素材は鉄。では札幌だとどうでしょう。札幌では、現在、第二次産業の工場が少なくなって、自然素材の木や皮などのクラフト手芸を想像される方が多いのです。「ものづくり」って言葉にすると定義は広いですが、地域の産業のことを指しているのではないかというふうに思います。

クラフト作家さんの教室なども開催していますよね

クラフトを事業にしたいという方が多く集まっているので、自然とその方たちをサポートしていきたいと考えるようになりました。「SHARE」の会員になると「SHARE」のスペースを使って無料でレッスン教室を開催することができるという仕組みがあります。クラフト作家さんを育てて、生徒さんを増やし事業として成り立つようにサポートすることで、将来的には製造業としてのクラフトの需要を高め、地域の産業を活性化させたいと考えています。

「コワーキングスペース」として創業支援まで明言しているところは珍しいですね

クラフト作家さんも含めて趣味から入って創業する方も多いのですが、ビジネスとしてやるからには利益が出ないと続けられません。作家さんやフリーランスの方にむけて、ビジネスの基礎を学ぶためのビジネススクールや勉強会も開催しています。事業として成立させるための考え方や宣伝の仕方、商品の値段の付け方まで、知っているのと知らないのでは全く違います。「SHARE」としても、起業の支援をすることによって地域に仕事を生み出すことにつながればと思っています。

取材日:2016年4月8日
ライター:小山佐知子

株式会社シェアデザイン

  • 代表者名:代表取締役 齊藤 隆(さいとう たかし)
  • 設立年月:2013年1月
  • 事業内容:シェアスペース開発・運営、起業家育成事業、WEBサービス開発、イベント企画・運営他
  • 所在地:北海道札幌市中央区北2条東1丁目3−3サンマウンテンビル3階 ものづくりオフィスSHARE
  • URL:http://sharedesign.biz/
  • お問い合わせ先:上記HPの「お問い合わせ」より

株式会社Speee

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Webマーケティングを創業事業として、2007年に創業した株式会社Speee。近年、BtoB事業だけではなく、不動産やリフォーム、医療などのBtoC領域でも次々と新たなメディアサービスを開発・展開する成長企業です。「どんな人と働きたいか」「Speee にとっての優秀な人材とは?」を定義した「15のカルチャー」を基盤に、従業員数450人を超える規模となった今も、”Biz-Dev” -BusinessDevelopment-のメッセージのもと、様々な挑戦を行い続けています。中には入社2年目で事業責任者を任されているメンバーも。失敗を恐れずに挑戦を続ける風土や、若くして組織の中核で活躍する人材はどのようにして育っているのでしょうか? 経営管理部・人事担当の渡邊優太さんと、同社のクリエイティブ部門を統括するライフスタイルメディア事業部の神崎正明さんにお話を伺いました。

若手メンバーが続々と「社内起業」に挑戦する会社

経営管理部 人事 渡邊優太氏

経営管理部 人事 渡邊優太氏

Speeeのリクルーティングサイトなどで、社員のみなさんが「将来はこんな事業を手掛けたい」と強く語っている姿が印象的でした。

渡邊さん:もともと当社では、特定領域における事業を創るというよりも「最高の組織を創る」ことに力点を置いています。世の中の様々な負に目を向け、様々な課題解決に事業を通じてアプローチする組織としてあり続けることに共感したメンバーが集まっています。

将来的に起業を意識しているメンバーも、そうでないメンバーもいますが、共通しているのは「目的意識」が明確なことではないでしょうか。当社に在籍することで、ビジネス全般の仕組みやイノベーションを起こすためのプロセスを学べます。「Speeeでこんな事業・組織を創りたい」「短期間で圧倒的に成長できる環境に身を置きたい」という理由で当社を選ぶ人は多いですね。

「ここで何かを成し遂げよう」と考える人がSpeeeには多いということですか?

渡邊さん:まさしくそうですね。挑戦の自由度が高い会社なんです。事業創りもできるし、組織創りもできる。社内からイノベーションを起こしていける環境なので、Speeeの人的・資金的なリソースを使って様々な挑戦ができる。

起業意識が高いメンバーには、一つの事業を組織創りも含めて0から任せています。「社内起業家」と言えるような人も実際に出てきていますね。

社内イノベーションを推進するために、どのようなことに取り組んでいるのでしょうか?

渡邊さん:「多角的な視点で事業創りを進める」という目的で、大きく2種類の制度を運用しています。

一つは「Board+」(ボードプラス)という制度。役員が現場メンバーを加え、継続的な事業立ち上げを目的に、調査・分析を進めて事業を起こしていくという取り組みです。もう一つは「Entre」(アントレ)という制度で、こちらは逆にメンバーが主体となって役員側に事業の提案を行っていく取り組みですね。上記は定期的に実施され、上記以外にも「Summit」(サミット)と呼ばれる役員+メンバーで実施される期間限定のプロジェクトも含めた3種類の制度がSpeeeの事業を創る核として、継続的に運用されています。経営陣とメンバー、それぞれの視点から事業創造を行うことで、偏りのない展開を進められるようにしています。「Entre」は事業作りを目指すメンバーの登竜門的な位置づけにもなっていて、ここを通過した企画が「Borad+」に持ち上がり、追加調査を行うこともあります。

入社年次の浅いメンバーの方も多く参加されているのですか?

渡邊さん:多いですよ。年次に関係なく、多くの社員が「Entre」に挑戦しています。

Webマーケティング事業部の新規事業の責任者は、「Entre」での成果を認められて抜擢された2年目のメンバーなんですよ。「自走」をメンバーに求め、事業について考える機会を提供することで、実際に事業の中核を担う人が増えているという成果につながっています。

仕事ができる人の条件は「カルチャーを体現している」こと

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「スピード&クオリティ」や「脱・受け身」、「創造のための効率化」など、行動指針を掲げた「15のカルチャー」も特徴的ですね。

渡邊さん:「クレド」や「行動規範」など、同じようなものを制定する企業は多いと思うのですが、実際にそれが生身の言葉として浸透していくためには仕組みを整えていくことも重要だと考えています。当社では朝会の場でメンバーそれぞれがカルチャーについての自身の解釈を伝える場を設け、カルチャーを体現するような行動が光ったメンバーを表彰するカルチャー賞といったものも設けています。

評価においても「カルチャーをいかに体現しているか」が問われますし、もともとこのカルチャーを良しと感じて入社しているメンバーが多いので、自然と共通言語として浸透しているのではないかと思います。

数字や業績面だけではなく、カルチャーを軸にした評価も行われているのですね。

渡邊さん:はい。定量的な実績はもちろんですが、それ以上に組織における個人のあり方といった定性面も「仕事ができる人」の条件だと考えています。社内の評価が高いメンバーは、日頃の業務においてもやはりカルチャーを体現しているな、と感じることが多いです。

Speeeには大手有名企業から転職してくる方も多いようですが、優秀な人材が集まっている理由は何だとお考えですか?

渡邊さん:そうですね……。一つ言えるのは「挑戦の機会が多い」ということではないでしょうか。スタートアップでもメガベンチャーでもなく、ミドルフェーズのベンチャーなので、人的資本や金銭的資本、ノウハウが蓄積されている中で、成功確度を担保した上で自由な挑戦ができる。ここが魅力なのではないかと思いますね。

大企業やメガベンチャーと比べた際の強みは何でしょうか?

渡邊さん:「スピード感」ですね。これは常に意識しています。当社では4~5人のスモールチームがそれぞれ裁量を持って事業を進めています。神崎が最近立ち上げたクリエイティブユニットもその一つです。少人数の組織で、「自分がやらなければ事業が止まってしまう」という強い当事者意識を持って取り組んでいます。社内に多くのスタートアップ企業を抱えているような体制ですね。

チームでも個人でも目立つ。ヨソに負けないクリエイティブ集団へ

ライフスタイルメディア事業部 神崎正明氏

ライフスタイルメディア事業部 神崎正明氏

神崎さんはどのような仕事に携わっていらっしゃるのでしょうか?

神崎さん:ライフスタイルメディア事業部に所属し、不動産・リフォーム・美容といったメイン事業のクリエイティブ周り全般を担当しています。

私は3年前にSpeeeに入社して、当初はデザインを専門にしていました。現在はUIやUXを追求し、手を動かすウェブデザインだけではなく、コンセプト設計やユーザー調査といった上流工程から関わる立場で、ディレクターとして働いています。

Speeeでの仕事にはどのようなやりがいを感じていますか?

神崎さん:複数メディアに関わるので、各ユーザーに対しての最適サービスを考えるためには頭の切替が常に必要です。一つのサービスで考えた施策が他のサービスの構想にもつながっていく、仕事の広がりを実感することができますね。チームビルディングにも、日々の経験をダイレクトに生かしています。

クリエイティブの観点から、どんな人がSpeeeに向いていると思いますか?

神崎さん:各事業のジャンルごとにデザイナーやエンジニアとして活躍することもできるのですが、できれば自分の役割だけにとどまらず、チーム全体でプロダクトを良くしていくことに力を注げる人を歓迎したいですね。「自分の守備範囲はここまで」と制限せずに、幅広く活躍してほしいと思います。

デザインの領域でも、ビジネス視点とユーザー視点をうまく切り替えることが必要です。これは開発業務にも当てはまりますね。

クリエイティブユニットとして今後仕掛けていきたいのはどんな領域ですか?

神崎さん:Speeeとしては、クリエイティブやデザイン分野でまだまだ外にアウトプットしきれていない部分もあります。UXデザインなどの最先端で、ヨソに負けないようなクリエイティブ集団を作っていきたいという思いはありますね。

渡邊さん:当社はBtoB事業からスタートしたこともあり、これまでは営業力や分析力、開発力を伸ばして成長してきました。安定的な事業基盤、収益基盤を築くことができ、それらを下地として現在はBtoC領域での挑戦を続けているので、デザイン力やクリエイティブ力をどこまで伸ばしていけるかがこれからの鍵だと考えています。

神崎さん個人として挑戦していきたいことはありますか?

神崎さん:リーダー層やマネジメント層が集まって「クリエイターやエンジニアって、やっぱり個人として有名にならなきゃダメだよね」という話をすることがあるんです。本を書くとか、イベントに登壇するとか。外の世界に出て個人として名前が売れるレベルまで成長することが必要なのかな、と考えています。それがSpeeeとしての企業価値を高めることにもつながると思うので。

失敗を恐れて何もできないなんて、寂しい

インタビューを行ったSpeeeLoungeスペース。

インタビューを行ったSpeeeLoungeスペース。

Speee全体としては、どのような人材を今後求めていきたいですか?

渡邊さん:カルチャーを体現できる人材を最も重視しています。新しいことに挑戦し続け、勝ち続けることで社会を変えていくことがベンチャーの役割だと考えていますので、受け身の姿勢ではなく変化を楽しみ、自ら変化を起こしていく人が良いですね。

大きなチャレンジができる環境、タイミングなので、それを楽しめないと、ここで過ごす時間がもったいないと思うんですよね。今のSpeeeの勢いを芯まで味わってもらいたいです。

万が一、事業に失敗した場合でも再挑戦はできるのでしょうか?

渡邊さん:もちろんできます。失敗を積み重ねてきたからこそ今があるので。失敗から何を経験として得るかが大切で、逆に失敗を恐れて何もできないことのほうが問題。そんな状態になってしまったら、会社としては寂しいですしね。なので、失敗に対する許容範囲は広いです。おそらく一番挑戦し、成功も失敗も経験しているのは経営陣だと思いますよ。

経営陣がイノベーティブだからこそ、社内の風土も変わっていくのですね。

渡邊さん:はい。オフィスづくりも工夫していて、このLounge(※インタビューを行った同社のワークスペース。カフェカウンターには専任のスタッフが常駐)のように、クリエイティブな人々が集まりたくなるような空間も積極的に設けているんです。

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今年の5月から、インタビュールームを新たに着工するとお聞きしました。

神崎さん:クリエイティブの一貫でユーザーの声を積極的に聞くことを大事にしています。よりユーザーの声を拾いやすくするために、「この際だから専用のスペースを作ってしまおう」ということで、経営陣に提案し、Loungeの一部をリニューアルすることになりました。

社内環境もどんどん進化していく中で、Speeeとしては今後どのような展開を予定されているのでしょうか?

渡邊さん:Speeeは2016年の10月から10期目を迎えます。これまでの知見を生かして、世界の進化を加速させるような事業を生み出し続ける組織にしていきたいですし、その完成度を高めていく10期にしたいですね。新たなプロジェクトも続々と立ち上がっていて、さらなる飛躍に向けた挑戦の1年間になりそうです。

取材日:2016年3月22日
ライター:多田慎介

株式会社Speee

  • 代表者名(よみがな):代表取締役/大塚英樹(おおつかひでき)
  • 設立年月:2007年11月
  • 資本金:13,015,000円
  • 事業内容:Webマーケティング事業、インターネットメディア事業
  • 所在地:東京都港区六本木4-1-4 黒崎ビル5階
  • URL:http://speee.jp/
  • お問い合わせ先:上記サイト内の「Contact」よりお問い合わせください

(SEO・トレーディングデスクサービスについて)
http://webmarketing-sp.jp/

(Speeeが運営するメディア)
◆不動産売却・不動産査定「イエウール」 https://ieul.jp/
◆外壁塗装業者紹介サービス「ヌリカエ」 https://nuri-kae.jp/

ファイブスター株式会社

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ファイブスター株式会社は、仙台市青葉区にあるマーケティング戦略、ホームページ制作・運営、コンサルティングを行う会社です。代表取締役の半澤満さんが一人で営む同社は、広告会社の営業マンとして全国を飛び回っていた経験をいかして、地元・中小企業の運営をサポートしています。五つ星(ファイブスター)の評価をいただけるように、お客様の要望のワンランク上を提案し続ける半澤氏。制作物を作って終わりではなく、運営や効果測定まで責任を持って取り組む姿には、お客様の要望に応えたいという真摯な姿勢が感じられます。創業から10年目を迎える半澤氏に、起業までの経緯や仕事をする上で大切にしていることなどを伺いました。

全国を飛び回る広告営業マンから起業へ

まずは、半澤さんのこれまでの歩みを教えていただけますか?

私は大学を卒業後、2年間と決めて、フリーターをしながらバンド活動をしていました。芽が出ない内に、2年のリミットを向かえて就職活動をしました。その頃は発想が単純で、Macを使えたのでクリエイティブな方向に進みたいと思っていました。もちろん、世間はそんなに甘くなく、デザイン会社や印刷会社はことごとく不採用(笑)。そんな時に出会ったのが、パチンコ業界の広告制作を手がけるゲンダイエージェンシー株式会社でした。何も経験がない私に「営業として働いてみないか?」と声をかけてくださったのが、広告の世界に入ったきっかけですね。同社は八王子で設立されたベンチャー企業で、仙台の立ち上げメンバーとして採用していただき2年間営業として勤務した後、仙台の営業所長を経験、その後は本社の営業部配属になり日本中を飛び回りました。

営業職を通して学ばれたことは、どのようなことでしょうか。

お客様が求めるものを形にすることも大切ですが、+αで自分がいいと思うことを反映して、お客さまが求められている以上のものを形にして、ご提案することの大切さですね。
私は、営業職でしたが、デザイナーの作業を手伝うこともあり、広告制作のスキルを身に付けることができたのも今現在に役立っています。私が同社に勤める期間、パチンコ業界の広告規制が緩和され始め、紙媒体はもちろんのこと、テレビCMやラジオCMにも打ち出せるようになったので、ありとあらゆる広告媒体が経験できました。

それから、どのような経緯で起業されたのですか?

勤めはじめて9年が経った頃、会社が上場して、自分の中でも一区切りがつきました。年齢的にも30代になっていて、上の娘が小学校に上がる時期で、いろいろなタイミングが重なりました。同社の社長に憧れていたこともあって、憧れている分、追いつきたいという気持ちも大きかったのです。それで退職をして、2006年5月にファイブスター株式会社を立ち上げることになりました。

同じ思いを持った仲間たちに支えられながら現在に

起業後に始められた事業内容について教えてください。

以前の会社では印刷物の売上が高かったのですが、ネット印刷なども出始め、これでは価格勝負なってしまうと、印刷物ではなくWebを活用した広告展開を始めようと思いました。そこで最初に取り掛かったのが、ガラケーから美容室を予約できるシステムの代理店業務、これが全然売れなくて(笑)。きっと時代の3歩くらい先を行ってしまったんですね。その頃は、美容室の方に営業に行ってもWebと聞くだけで、難しいと思われてしまうような時代でした。それから徐々にWebの時代がやってきて、現在はマーケティング戦略、ホームページ制作・運営、コンサルティングを中心に事業を展開しています。ホームページを作って終わりではなくて、運営はもちろんのこと、効果測定も含めて、アフターフォローまでしっかりサポートさせていただいております。お取引先としては、多種多様な職種の地元・中小企業様ですね。お取引させていただいたお客様の紹介で広がることが多く、とてもありがたく思っております。

起業して良かったことや大変だったことはありますか?

そうですね、いろんな紆余曲折がありましたが、人に悩み、人に救われながら、ここまでやってきました。知名度も実績も何もないゼロからのスタート。会社員時代とは違って、大きな看板があるわけではないので、売上としても大変な部分はありましたが、いつも周りの方々に恵まれていました。自分でひとつひとつ実績を積み重ねて稼ぐお金は大きな意味がありますし、会社員時代にはなかなか出会えなかった、自分と同じように起業して頑張っている人たちや、クリエイティブな力で取引先をより良くしたいと思っている人たちなど、同じ思いを持った仲間たちに出会えたことも良かったと思いますね。

今後、力を入れていきたい事業は?

既存のお客様からのご紹介でご相談くださる方からのお仕事を引き続き大事にしていきたいと思います。また、1人でやっているのでマンパワー的な問題を考慮して、今後は、新規受注から納品までと運用のフォローを完全ネット上で完結できるような、アフィリエイトを利用した、自社メディアをいくつか立ち上げていきたいと思っています。
年月を重ねるごとにスタッフも増やしたいと考えております。できれば、社会人として2年くらいの経験があって、クリエイティブな世界に未経験者でも興味を持っている20代の方に来ていただけるとうれしいです。
どんなことにも挑戦して、時代のニーズをしっかりと把握しながら、前向きに取り組んでいきたいですね。

大切にしているのは、ワンランク上の完成度を提供して
お客さまからのファイブスター評価をいただくこと

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企業のWeb活用に関して、どのようにサポートしていらっしゃるんですか?

中小企業様の中には「ホームページを持つ」というと難しく考えたり、よく分からないがために、無駄な契約を結んでいる方々を、たくさんお見受けします。本来、ホームページというものは、会社の資産になるもので、運用している期間の長さが重要で、上手に活用すれば、とても効率よく運用できる優秀な広告媒体なんです。当社では、Web活用に不慣れなためクライアント様に対して、ホームページの作成から運用、効果測定までしっかりとサポートを行うので、安心してご利用いただけます。「ホームページはよく分からない」「以前契約して効果が出なかったから」と諦めてしまっている方々にも、ぜひ一度ご相談していただきたいですね。

お仕事をする上で、ご自身が大事にしているポリシーを教えてください。

「仕事」ってお客様の悩みを解決するものだと思うのです。私にとってのやりがいは、お客様からの“ありがとう”という言葉と“笑顔”。なので、お客様が求めるものより、ワンランク上の完成度やサービスを提案して、社名の由来にもなっている5つ星(ファイブスター)の評価をいただくことですね。

最後に若い人たちにメッセージをお願いします。

よく「失敗を恐れずに」と言いますが、私は一度失敗した方が良いと思うんです。それが経験になって、その人の成長の糧になり、やがては財産になります。私も起業後にとても辛い思いをして、もうダメじゃないかと思ったこともありましたが、その経験が今の自分を作っていると思うのです。失敗さえもプラスに捉えて、自分の好奇心に従いながら、まずは前へ進んでみてくださいね!

取材日:2016年4月14日
ライター : 桜井玉蘭

企業名 ファイブスター株式会社

  • 代表者名(よみがな): 代表取締役 半澤 満(はんざわ みつる)
  • 設立年: 2006年5月
  • 資本金: 990万円
  • 事業内容: 広告の企画・制作、SEO対策を含んだWEBページのコンサルティング、通信販売の商材卸業務、
          各種イベント企画・立案・運営事業
  • 所在地: (本社)宮城県仙台市青葉区広瀬町4-8 LT仙台広瀬1509
         (サテライト)仙台市青葉区中央2丁目10-1 第二勝山ビル4階 クラウドガーデン内
  • TEL: 050-3693-1769
  • FAX: 022-774-1769
  • URL: http://www.fivestar-inc.jp/

株式会社バンブーマウンテン

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東京と福岡でゲーム制作の現場に携わってきた竹山諒一氏が、2004年に設立したCG制作スタジオ、株式会社バンブーマウンテンは、家庭用ゲームや遊技機の映像から、様々なジャンルの映像制作やデザインにチャレンジしている企業です。専門学校の講師を務めていた頃の元アシスタント3人と意気投合して立ち上げた会社設立の経緯から、今後の展望までをお伺いしました。

偶然始めたゲームづくりを天職と感じて

会社を設立されるまでの経緯を教えてください。

もともと絵を描いたりモノを作ったりすることが好きでした。それで地元宮崎の高校を出て、東京のデザイン専門学校に進学。21歳の時、東京のゲーム会社で働き始めました。当時はまだパソコンが普及しておらず、その会社で初めてパソコンを使ってデジタルでデザインするようになりました。それまでは、プレイヤーとしてゲームに熱中したことはなく、学生時代にゲームのシナリオやキャラクターを考えたことがあって、作る側に興味を持っていました。自分で絵を描きゲームを作ることは非常におもしろく、「これは天職だ、この仕事を一生続けたい」と切に思いました。
ただ、仕事には恵まれたものの、どうしても東京の生活に馴染めず、3年で会社を辞めて福岡に引越しました。

では、転職先が決まって、福岡に拠点を移したのですか?

いえ、それが仕事も住む所も決めずにとりあえず福岡へ来て、その後、あるゲームソフト制作会社を訪ねて、面接を受けたのですが、ガチガチに緊張して全然話せずに落ちてしまいました。
それで「絵が描けるデザイナー」を募集していた広告デザイン事務所でアルバイトをさせてもらうことにしました。この時、自分で仕事を取ってくるように言われて、初めて営業を経験しました。

営業の仕事はいかがでしたか?

自分が作りたいものとクライアントやユーザーが欲するものをどう結び付ければいいのかを深く考えるきっかけとなり、とてもいい勉強になりました。僕は諦めないタイプなんです。断られても簡単にそれで終わりではなく、今後も続くという意味だと考えて、いつか「キミの作品が欲しい」と言わせてやる、と思っていました。この時の経験は、ずっと役に立っています。
広告デザイン事務所での仕事は最初から1年と決めて、会社にもそれを伝えていました。考えてみたら、それまで自分をPRできるような作品がほとんどなかったので、その間に働きながら自分の作品を描き溜めました。そして1年後、以前一度断られたゲームソフト制作会社を再び受けて、採用されました。デザイン会社のチーフにも「よかったね」と言っていただき、その時は、泣けましたね(笑)。

1年の準備と成長が評価されたのですね。

そうですね。そのゲームソフト制作会社では、デザインチームのリーダーとなり、約5年の在籍期間の中で、多くのゲームを手がけました。今では有名なゲーム会社の社長になっている人や、ゲーム業界で活躍している人も大勢在籍していた環境でしたので、仕事はとてもやりがいがありました。ただ、組織の再編で、辞めていくスタッフたちを目の当たりにして心が落ち着かず、退社に踏み切りました。

ゲームから遊技機、パッケージまで幅広く手がける

それで会社を設立されたのですか?

いえ、特に会社を作ろうという意識はありませんでした。フリーなら一人でやりたい仕事に集中できると考えて、ゲームのデザインをメインに数年間はフリーで活動しました。
一方で、知人の紹介で専門学校の講師を務め、そこでティーチング・アシスタントをしてくれた3人と意気投合し、彼ら3人と一緒に仕事をしたいと、2004年に4人で会社を立ち上げました。社名の「バンブーマウンテン」は、僕の名字「竹山」からきています。また、当時ディズニーランドで「マウンテン」と名がつく乗り物が人気で、そんな存在を目指そうという思いも込めています(笑)。名刺には観覧車や風船をデザインして、作る人も見る人も皆が楽しめるものを提供したいと熱い思いを込めました。

御社の仕事内容について教えてください。

創業当時は家庭用ゲームの仕事がメインでした。ただ、もともと何でもやってみたいタイプなので、TVCMなどの3DCGの制作はもちろん、ポスター、パッケージデザイン、手書きのイラストなど、様々なジャンルを手がけてきました。現在は、遊技機(スロットマシン)の映像ディレクションが中心になっています。

遊戯機の映像を手がけるようになったきっかけは?

以前からお付き合いのある会社から、遊技機のコンペがあるので参加しないかと声をかけていただき、4人でシナリオや企画、キャラクターを考えてプレゼン用のプロモーションビデオを短い制作期間で仕上げました。チーム全員初心者でしたが、徹夜続きで全力で取り組み、コンペで選ばれて受注した大きな達成感のある仕事でした。
遊戯機の映像制作の仕事は、実は敬遠する方もいます。ゲームやアニメのように制作サイドの名前が世に出ることはなく、完全な裏方ですから。でも、実際にやってみると、映像制作のエッセンスが全て凝縮されていて、尽きることのない良質なアイデアと高いクオリティが要求される、非常におもしろい仕事だと感じています。

柔軟さを活かし、新しい仕事にチャレンジ

今、スタッフは何人ですか?

契約社員まで含めると21人になりました。5年前まで、4人でしたが、もともと取引先だったキュー・テックが制作チームを求めており、当社としても財務面でメリットがあるため、グループ会社になりました。そこからスタッフが増えて、今は20~40代のクリエイターが在籍しています。

御社の強みはどんなところでしょうか。

一言でいうと、「柔らかさ」でしょうか。最終的なディレクションは僕がしますが、スタッフの裁量に任せている部分が多く、固定概念を持たずにクリエイター同士でセッションをしながら制作を進めています。クリエイターの遊び心と提案力もウリだと自負しています。

今後の展望について聞かせてください。

今のスタッフはバラエティに富んでいて、ゲームが好きな人もいれば、映画や音楽、パチスロが好きな人もいて、興味の対象が広範囲に広がっています。今後はそれぞれのスキルや志向性を活かしながら、いろんなジャンルの仕事に挑戦していきたいと考えています。最近、グループ会社の中で体制の見直しがあり、当社はアニメ作品を制作するグラフィニカと事業内容に親和性があるということで、直結の関係になりました。これからはアニメの仕事にもチャレンジできればと考えています。
これまでやったことのある仕事だけではつまらないし、成長しない。ハードルが高くても、新しい仕事に挑戦していけば刺激になり、達成感もありますから。失敗してもいいんです。それは必ず成長への糧になります。

いつもアンテナを張り、しっかり準備することが大切

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竹山さんが仕事をする上で心がけていることは?

私自身は、先頭に立って、常に会社の中で最も感性豊かなトップクリエイターでありたいと思っています。そのために大切にしているのは、準備を怠らないこと。日々の努力の積み重ねと抜かりない準備があってこそ、最大限に力を発揮できると考えています。
僕は、仕事とプライベートをきちんとわけていません。仕事以外の時間でも、完全にスイッチオフではなく、常に“たね火”は点けています。ずっとアンテナは立っていて、ひっかかったものはストックしておく。頑張っているわけではなく、習慣になっているんです。寝ていても“たね火”は点いていて、おもしろい夢を見たら起きてすぐメモするみたいな感じです。(笑)。

どんなクリエイターと働きたいですか?

面接をする時は、直感を大切にしています。きっと当社と波長が合うというインスピレーションは単なる勘ではなく、経験の上に成り立つものだと思っています。それに、必ずしも経験だけを重視しているわけではありません。たとえデザインをやったことがない人でも、強い熱意や好奇心がある人であれば大きな原動力になると思いますので、ぜひ採用したいと思いますね。

取材日:2016年4月14日
ライター:佐々木恵美

株式会社バンブーマウンテン

  • 代表 : 代表取締役社長 竹山諒一
  • 設立年 : 2004年
  • 事業内容 : 回胴式遊技機及び遊戯機液晶のコンテンツ開発、業務用及び家庭用ゲームソフトの映像コンテンツ開発
  • 所在地 : 福岡市中央区警固2-17-30アルバけやき通りビル7F
  • TEL : 092-716-2400
  • FAX : 092-716-2407
  • URL : http://www.bamboomountain.co.jp/

イメージナビ株式会社

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イメージナビ株式会社

1991年に創業し、写真素材を集めた『素材事典』をはじめ、音やフォントなど、クリエイター向けの製品やサービスを提供してきたイメージナビ株式会社。変わりゆく時代の中、ビジュアルイメージサービスでクリエイターの作品づくりを支える会社のこれまでとこれからについて、執行役員の山屋恵嗣(やまや けいじ)氏にお話を伺いました。

当時、画期的だった『素材事典』でクリエイターを支える

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入社以前はどういったお仕事をされていたのですか?

元々は、土木関係の仕事に就いており、測量設計をしていました。その後、札幌市の国際プラザという外郭団体で、外国のお客様を誘致する仕事を経て、アメリカの大学に2年間留学しました。帰国後、札幌に戻り、コンテンツ系クリエイターのインキュベーション施設であるICCで、ロンドンのクリエイティブと札幌のクリエイティブをつなぐ「sapporo ideas city」プロジェクトの運営マネージャーを務め、2005年に当時の株式会社データクラフト(現イメージナビ株式会社)へ入社しました。

(当時の)データクラフトは、どのような会社ですか?

1991年に創業し、写真素材を集めた『素材事典』をはじめ、音やフォントなど、クリエイター向けの製品やサービスを提供していました。当時はちょうど、インターネットやパソコンが出始めた頃で、それらが普及することによって、デザイン業界も新しい時代に突入しようとしていた時期だったのです。そういった状況に対応するものとして、高品質な写真素材200枚を1枚のCD-ROMに収めて、家電量販店で販売をしたのが、『素材事典』です。その頃はとてもエポックメイキングな商品であったため、大きく注目を集め、大きな反響がありました。企業をはじめ一般家庭にもパソコンが広まっていく過程で、ニーズが増し、長い間、素材集の中で国内トップシェアを誇っています。

現在では、オンラインでのダウンロード販売が主になっているようですが。

そうですね。2000年に入ってインターネットの時代が来ると、メディアがCD-ROMからネットに変わり始めました。そこで、2005年に始めたのが、『イメージナビ』というインターネットで写真やフォントなどの素材をダウンロードできるサービスです。CD-ROMとは異なり、素材のボリュームやそれらを管理・検索するためのシステムが必要となってきますが、いずれも自社で開発してパテント(特許)を持っていますので、スムーズに構築できたと思います。お陰さまでユーザーからは「探しやすい」「欲しいものがすぐに見つかる」といった声をいただいております。また、パソコンを使ったデザインワークに便利な素材集・フォントを中心に、関連書籍やデザイングッズまで幅広い商品を購入できるショッピングサイト『design pocket』を自社で運営しており、フォントのダウンロード販売では、国内シェアは最大だと自負しております。

元々コンテンツだったイメージナビが、そのまま社名になったんですか?

2005年のデータクラフト時代に、ストックフォトサイト「イメージナビ」がスタートしました。その際は、自社でつくったものだけでなく、国内外の写真、制作会社のコンテンツを幅広く集めました。そして、そのサイト名を会社名にして、イメージナビ株式会社を2015年にスタートしました。

トップクラスの写真家の作品を世界から集める

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『イメージナビ』で公開している写真素材は、どのように集めているのですか?

写真家の展示会、フォトコン、Web、SNS、そして、海外の写真関連のコンベンションにでて写真家、コンテンツを集めます。サイト内には一般の方が投稿されるページもあるため、写真素材は日々入荷していますので、それらの中からセレクトして、月に約20万点を公開しています。

写真を仕入れる際は、何を重視しますか?

いい写真、表現力の高い写真はもちろんですが、他の要素はトレンドに呼応していること、そして、著作権等の諸権利がクリアになっていることも重要な要素です。
一般投稿の場合は、旅行に行った際に撮った写真などを預けていただくなどが多いので、こちらは特に、例えば、人の土地に勝手に入らない、肖像権に触れないなど、当然のことながら、人の権利を侵害しないということが基本条件になっています。

それを守るためには、何かしらの契約が必要ですよね。

プロ・アマ問わず写真家の方々には、事前に、撮ってはいけない被写体や、クレーム対象となる被写体についてきちんと説明をし、書面契約を交わしております。海外の方も多いので、オンラインで契約が完了できるページを用意しています。現在、約700名の方と契約を結んでいますが、その中でも、特に撮影技術のある特定の方には実際にお会いして、需要のあるテーマやユーザーからの要望で写真を撮影していいただくことも多いですね。

カメラの性能が上がる中、プロとアマチュアとの違いは?

プロとアマチュアの違いは無くってきていると感じています。現在は、いろいろな分野でプロとアマの定義が難しいのではないでしょうか?
確かに機材の性能は上がっていますし、お金を出せばプロ仕様のものは買えますが、だからといって、誰もが、どこででも簡単にいい写真、売れる写真が取れる訳ではないと思います。プロだからこそ知っている場所、アングル、構図、ライティイングがあり、それに対するクライアント評価と価値はあると思います。私たちは、そうしたプロの中でも、時代のニーズに応じた作品を創る腕を持つ方をいかにして集められるかに重点を置いております。またその一方で、一部のアマチュアの作品の品質は圧倒的に上がってきていると思います。それには、カメラの質もありますが、アマチュアだからかけられる時間とこだわりがあるのでしょうか。私達の、オンラインでの投稿型でのこのようなハイアマチュアの方の作品集めを強化しております。

時代が変わっても、きちんとした作品の価値はブレない

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先ほど月に20万点をアップすると伺いましたが、セレクトするのも大変ですよね。

お客様は写真を比較して、ある意味で引き算で選ぶと思っております。ですので、入荷コンテンツを選ぶ際は、多様性、バリエーション、横位置、縦位置のバランスなど考慮します。
また、雑誌やWEBのカバーで使われるもの、挿絵的な説明的に使われるもの、ポスターで使いやすいものなど、用途を意識しながら選びます。

掲載する写真を選ぶ運営側の好みが、反映されてしまうことはありませんか?

確かに日によって選ぶ内容は変わりますし迷いますね。エディターには、基本的にベースをしっかり選べていれば、好みを入れたセレクトもよしといって言っています。悩んだ場合は、その写真をみて「楽しいか?」「面白いか?」「笑顔になるか?」の問いで、ポジティブなものを選ぶように言っています。
ただし、出版物などを制作するための素材には、情報としての写真が必要なことも多いですから、例えば歴史や風景、時代などに関して専門知識を持つ人や、その分野に興味のある人が選ぶと強いですよね。私たちも資料などと照らし合わせてきちんと調べますが、世界遺産検定を持っているスタッフや歴史好きのスタッフなどは、その写真に写っている建物や人物の重要性なども知っていますので、とても勉強になります。写真のセレクトをしていると、知識や興味・関心の幅も自然と広がりますね。

時代によって求められる写真は変化しますか?

時代によって求められる写真は変化します。私達のお客様はプロのデザイナーで、その後ろにはクライアント様がいらっしゃいます。クライアント様は目的があってコミュニケーションをとり、多くは社会とつながっています。ですので、社会の変化と求められる写真は呼応するでしょう。
ですが、北海道の風景等もそうですが、変わらず求められ、評価されるものもあるかと思っております。
古くても今なお動く写真は、美、笑顔だったり、何か心を動かすものがあります。

実際に利用される方は、やはりクリエイターが多いのでしょうか。

そうですね。ユーザーはクリエイターや広告関係に携わる企業様がほとんどで、何らかのクライアントへの提案用として利用されるケースが多いですね。写真のリクエストに対しては、私たちのサイトにないものは、コンテンツチームが世界の提携パートナー70社から探して交渉を行い、早急に対応します。パートナーとは非常にいい連携を保っていますので、そこもうちの強みだと思いますよ。

クリエイターをサポートするサービスを展開し続ける

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常に新しい感性が求められるこの業界において、どういった人材が求められますか?

うちの会社でいえば、「北海道から世界に発信するサービスを作りたい」という人や、デザインの分かるエンジニアがいいですね。消費スピードや回転の早い業界ですから、一歩先に行くためには彼らから新しい刺激を受けることで視界も広くなりますし、こういう考えもあるんだという多様性が生まれると思います。初めからプロでなくてもいいんです。「やりたい!」「出来る!」という自分のセールスポイントを表現して活かせる人や、物事に主体的に取り組める人がいれば、企業も人も伸びて行くと思っています。

これからの展望を教えてください。

コンテンツがある強みを活かして、広告やコミュニケーションを作る方々のお手伝いをするサービスを提供し続けたいですね。おそらくこの先は、今以上に、身の回りがディスプレイで溢れてくると思います。街中、壁も、机も、時計も、眼鏡も、小物雑貨までも、形が変わってディスプレイになる。そうやってモノを伝える場所が増えた分、そこにどうサービスを提供してビジュアルを露出していくか。それらを作る人たちが、どういう素材を必要とするのかを見極めながら、お客様の利便性の向上に貢献できる、そんなサービスを構築して行きたいと思います。

取材日:2016年4月27日
ライター:八幡智子

イメージナビ株式会社

  • 代表者名: 代表取締役社長 瀧 栄治郎
  • 設立年月: 2015年3月
  • 事業内容: イメージズ事業(高品質ストックフォトのダウンロード販売サイト等の運営、imagenavi、YOURSTOCK、
           素材事典.NET、designpocket)、ソリューション事業(Webサイトの企画・デザイン・構築・運用、
           Webシステムの受託開発、iOS、Androidアプリ開発)
  • 所在地:札幌市北区北7条西1丁目1-2 SE札幌ビル13F
  • URL:http://imagenavi.jp/
  • お問い合わせ先:上記HPの「お問い合わせ」より

株式会社ワールドマーケット

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株式会社ワールドマーケット/代表取締役の荒木剛(あらき ごう)氏/元エンジニアが手掛ける 日本人のための乗馬ファッションブランド

今回紹介する「株式会社ワールドマーケット」は大阪で馬具・乗馬用品の輸入・製造・販売を手掛けるベンチャー企業です。
乗馬ファッションは、映画のワンシーンから抜け出してきたような非日常の世界。乗馬は、女性が密かに憧れているスポーツとして、人気があります。
同社は、乗馬関連用品の販売にとどまらず、自社ブランドを立ち上げ、乗馬スポーツの魅力を広く伝えたいという意気込みにあふれた企業です。代表取締役の荒木剛(あらき ごう)氏に、起業のきっかけや乗馬用品ビジネスに参入した経緯、現在取り組んでいる事業についてお聞きしました。

海外勤務で悪戦苦闘した日々の先にあった、
自分の可能性を探る「起業」という新たな展望

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まず、起業までの経緯について教えていただけますか?

私はもともと、半導体や液晶を製造する工場の生産ライン建設における施工管理を行うエンジニアとして働いていました。就職して3年後、台湾、フィリピンへ海外赴任し、20代後半までを過ごしました。
ですから、まったくの異業種からの参入ともいえ、今振り返ると、勢いだけの若気の至りで起業した面もあったかと思います。

専門的な話になりますが、半導体というのは空気中のチリやゴミに弱く、クリーンな空気環境の中で製造しています。
このため半導体は常時、不純物がないH20に限りなく近い超純水(ウルトラピュアウォーター)で洗浄し続けなければいけないのですが、この超純水を用いる生産ラインの建設を行うのが私の仕事でした。
得意先は国内外の大手メーカーで、現場で200人ぐらいを指揮して1年を掛けて完了させる十数億円の大規模プロジェクトにも携わりました。
まだ20代前半だった私は当初、責任が重大で苦労もしましたが、経験を積んで自分の裁量でいろいろとできるようになってからは、仕事にやりがいを感じていました。

毎日がハードで、トラブルが起きれば昼夜関係なく携帯で呼び出され、問題が解決するまで現場で一週間ぐらい寝泊りをしたり、仕事上でクライアントと衝突したこともありました。ですが、無事にプロジェクトが完了すると生産ラインの建設に関わったスタッフ皆でお祝いするなど、いつも一体感にあふれた、厳しくも楽しい職場でした。
仕事では主に英語を使い、現地で生活するため実地で中国語も覚えました。日本を離れて海外で働き、生活する機会を得たことは、自分の視野を広げるための大きな糧になったと思います。

その一方、会社組織で働くことの恩恵と自分の新たなアイデアを形作るまでの道のりの長さも考えるようになりました。折りしも当時の日本では、IT起業家たちが時代の寵児となっていました。そこにも刺激を受け、“自分は、組織を離れて一人でどこまでできるのだろう”、“20代のうちにチャレンジしてみたい”という気持ちが、自分の中で大きく膨らんでいきました。
職場の方々にはたくさんの叱咤激励をいただきながら、28歳でお世話になった会社を去り、10年前の2006年にワールドマーケットを立ち上げました。

創業当時はどのようなビジネスモデルをお考えでしたか?

最初は今とは違うことをビジネスにしようと考えていました。台湾に赴任していた頃、現地では日本のファッション雑誌やコスメがもてはやされていました。日本の商品が台湾で大変需要があることを知り、個人輸出を支援するようなインフラとしてのサイト構築をすれば、ニーズがあるだろうと考え、事業をスタートさせました。
今では大手ショッピングモールでも個人輸出ができるサービスを行っていますが、その走りともいえるネットビジネスでした。

この事業を立ち上げプレスリリースしたときには、ベンチャーキャピタルが興味を示し、話を聞きに来るなど反応もありましたが、大きなビジネスを展開する上での資金面や人材面などでの環境が整わなかったため、2年ほどでこの路線は諦めました。

また会社を立ち上げてからは、起業家の交流会にも積極的に足を運びました。そこではネットショップを運営している方と多く出会いました。
知り合ったネットショップのオーナーの方々に自分が海外にいたことを話すと、「オリジナル商品を海外で生産して店で販売したい」という依頼をいただくようになりました。エンジニア時代、現場で使用する機器の輸出入手続きを行っていた経験が活かせると思い、ネットショップの輸出入代行業務をスタートさせました。そのうちに自分でも商品を売るビジネスをしたいと考えるようになり、どんな商材がよいのかを日々検討していました。

学生時代の趣味がビジネスへと結びついた不思議なめぐり合わせ

ネットで売る商材として乗馬関連用品を選ばれたのはなぜですか。

学生時代、馬が好きで将来ジョッキーになることを目指す友人がいました。彼の影響で、京都競馬場の体験乗馬や近所の乗馬クラブの存在を知り、アルバイトで貯めたお金を費やし、乗馬クラブに通うようになりました。ですが、趣味であった乗馬が、まさかビジネスにつながっていくとは、夢にも思いませんでした。

ある日、実家に帰ったときです。かつて自分が乗馬をしていた頃に履いていた、くたびれた乗馬ブーツを見つけました。ふと「これ、売れるのかな」と考えたのです。

早速、ヤフーオークションに出品してみたところ、思わぬ反響があり、その古い乗馬ブーツはあっという間に落札されてしまいました。乗馬で使う装備は一般に高額商品ですが、“ほどほどの価格のものにも需要があるのではないか”、“乗馬関連商品の市場はまだまだ未開拓なニーズがあるのではないか”とひらめきました。

そこで、乗馬ブーツがどのくらいの価格で売られていて、仕入れ値がどれくらいかも調べて、海外に出向いて20万円の予算で乗馬ブーツを仕入れてみました。販売用のテストサイトをつくり売り出したところ、間もなく商品の在庫がなくなるほどの反響があり、これはいけるという手応えを感じました。そこから、乗馬用品に特化したビジネスが始まりました。

まだ開拓されていない潜在需要に宿る将来性

乗馬用品をめぐるビジネス環境はどのようなものでしょうか?
また乗馬というスポーツの広がりという面も踏まえて市場の将来性はいかがでしょうか?

乗馬業界は景気に左右されにくい世界で、日本国内では競技人口が15~20万人程度といわれているようです。オリンピックの馬術競技で日本人がメダルをとるようなインパクトがない限り爆発的なブームはないかと思いますが、逆に競技者離れも起こりにくい安定したニッチな市場といえ、競技人口は微増傾向にもあります。

さらに、レジャー白書という余暇関連分野における需要・市場動向の統計データによると、女性がやってみたい趣味として、乗馬が上位にランクインしています。これは、機会があればチャレンジしてみたいという潜在的なニーズがあることを物語っています。そこへ上手にアプローチできれば、裾野が大きく広がる可能性を秘めている将来性のある市場だと捉えています。

現在は、ゴルフをする女性の方がたくさんいますが、かつて女性ゴルファーは少数派でした。何かのきっかけさえあれば、市場環境は変わっていくと思います。

特に力を入れている商品はありますか?
また馬具、乗馬用品の企画・製造を手掛けられていますが、ものづくりへのこだわりがあれば教えてください。

昨年、EQULIBERTA(エクリベルタ)という自社の乗馬ファッションブランドをスタートさせました。輸入商品にはない、日本人の体格に合わせた、「日本人のための乗馬ファッションブランド」というコンセプトです。
当社は製造部門を持たないファブレス※1の体制ですが、品質管理とデザインについては経験豊富なアドバイザーを招き入れ、質の高い商品づくりに取り組んでいます。
例えば、乗馬で着るジャケットは見た目もファッショナブルですが、スポーツ競技という性格上、動きやすさや耐久性などの高い機能性も同時に求められています。
このためデザイナーには、ご自身も20年の乗馬歴を持ち、乗馬で求められる服飾の機能性を熟知していらっしゃる、日本では第一人者として信頼されている方に依頼しています。

また、海外の製造依頼先については、ドイツで開かれる世界最大の乗馬関連展示会(見本市)に足を運び、その出展企業から実際に話を聞き情報収集して、選定しています。

※1 製品の企画設計や開発は行うが、製品製造のための自社工場は所有せず、製造自体は他社に委託し、製品を調達、自社ブランドの製品として販売する。

乗馬というニッチな市場は口コミのインパクト大
だからこそ大切なお客様満足度UPのための取り組み

今年2月にスタートしたネット通販で購入した乗馬用品を自宅で試着できる「おうちで試着」について教えてください。

当社は大きなテーマとして「お客様満足度の追求」を掲げています。乗馬に親しんでいらっしゃる方の多くは乗馬クラブに所属していますが、これは、弊社の製品にご満足いただけたお客さまの声が口コミで伝わりやすい環境ともいえるのです。だからこそ、お客様に満足していただくことが大切であるため、できるだけきめ細かくサービスを提供できるように心掛けています。

乗馬用品選びはフィッテイングが欠かせません。乗馬ズボン一つとっても、体にぴったりとしたものを選ぶことが大切です。
ネット通販で適切なサイズ選びをすることは、実は大変に難しいのですが、これまでの発想を転換して、フィッティングで合わなかったものは“無料で返品、交換を承ります”というのが、「おうちで試着」のサービス内容です。

当初はこのサイズ選びの難しさを解決するために、かなり細かいサイズ表をサイト上に掲載したり、サイズが合わなければ返品のみ無料にしたりと、いろいろな方法を考えて試してきました。
実際に試す中で、商品の在庫確保をする必要性や返金などの事務手続き、返品された商品の検品など、かなり多くの手間も掛かることがわかるようになりました。そして、2~3年ほど掛けて試行・検証し、データを蓄積してきた結果、サービスとして展開できるスキームを確立できるようになったため、今年の2月から本格的に開始することになりました。
こうしたお客間様満足への取り組みにこだわり、積み重ねてきたサービスのブラッシュアップの甲斐あって、今ではお客様のリピート率は約8割を確保しています。

今後のビジネス展開や将来的な夢について教えてください。

乗馬関連のビジネスを行っていますので、今後、乗馬人口が増えていくことが大事だと考えています。
このため乗馬クラブさんとも協業の関係を築き、これまで捉えきれなかった潜在的な需要層に向けてアプローチしていきたいと考えています。乗馬の魅力を伝えるコンテンツの企画・制作は、これから特に力を入れていきたい分野です。

ですので、単に物品販売にとどまらず、乗馬クラブさんへの集客サポートや、乗馬への興味を啓発していけるような情報発信、乗馬を楽しむ方々に対し幅広くサービスを提供できるような事業も展開していきたいなと思います。
自社ブランドについては、質の良いものを提供することで価値を高め、将来はヨーロッパなど海外の乗馬業界にも認めてもらえるような存在に育て上げるのが夢です。

取材日:2016年4月13日
ライター:長谷川隆

株式会社ワールドマーケット

  • 代表者名(ふりがな): 荒木 剛(あらき ごう)
  • 設立年月: 2006年7月
  • 資本金: 800万円
  • 事業内容: 乗馬用品の輸入・製造・販売。
  •        乗馬用品馬具専門店「JODHPURS(ジョッパーズ)」、
           自社乗馬ファッションブランド「EQULIBERTA(エクリベルタ)」の運営。
           乗馬関連コンテンツの企画性制作ほか

  • 所在地: 大阪府大阪市中央区内本町1-2-11 ウタカビル6階601
  • URL: http://www.world-mkt.com
  • お問い合わせ先: 06-6314-6191

乗馬用品馬具専門店「JODHPURS(ジョッパーズ)」 http://jodhpurs.jp
自社乗馬ファッションブランド「EQULIBERTA(エクリベルタ)」 http://equliberta.com

株式会社Playce

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株式会社Playce

株式会社Playce(プレイス)は、ライター・編集者として活動するフリーランス仲間が立ち上げたクリエイティブプロダクション。雑誌や書籍、広告、ウェブ、採用ツールなどの幅広い制作物を世に送り出しています。会社設立の背景には、フリーランス特有の悩みや不安があったと語る代表取締役の秋山由香さん。会社員時代からフリーへの転身、起業に至るまでの歩みと、「Playce」という社名に込めた思いを伺いました。

デジタル、そして書くこと……
「好き」なことを生かした仕事に

最初に、会社を設立するまでのキャリアについて教えてください。

新卒で「ゲームの攻略本」をメインで扱う編集プロダクションに入社し、徹夜でゲームをプレイしながら攻略本を作るという激務を経験しました。そこに1年ほど勤務し、中堅の出版社に転職。編集者として、『HOME PC(ホームピーシー)』(旧株式会社デジット発行)という雑誌の特集企画や連載を担当していました。当時はWindows95が出始めた頃で、パソコン雑誌バブルのような時期。インターネットへの接続方法やネットオークションの活用方法などを解説する記事などに人気がありました。

デジタルやゲームという分野には、もともと興味があったのですか?

はい。PCやゲームハードが身近にある環境で育ちました。中学生のときに自分専用のPCを購入、パソコン通信に触れたのも早かったんですよ。ニフティサーブでパソコン通信を始めたのは高校生の頃でしたが、当時は学生で、しかも女性ユーザーはかなり少なく、「女子高生です」と自己紹介しても全然信じてもらえませんでした。

「書くこと」そのものは、もともと得意だったのでしょうか?

そうですね。初めて文章を書いてお金をいただいたのは高校生のときでした。先生が「地元紙でレポート記事を書く高校生を探しているから挑戦してみたら?」と勧めてくれて。文化祭のレポートを書いて、3,000円ほど原稿料をいただきました。

小学校1年生の頃、唯一ほめてもらえた教科が国語だったんですよね。親もそれが印象に残っていたようで、「得意なことを生かして将来の仕事につなげられるといいね」と言われて、小さな頃から「書くこと」は意識していました。

ライター・編集者の枠にとらわれないフリーランスとして

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得意なことや好きなジャンルを生かせる会社だったと思うのですが、そんな中でフリーに転身したのはどうしてですか?

もともとフリーになろうという気持ちはなかったんです。編プロから出版社に転職したのは『HOME PC』という雑誌に関わりたかったから。パソコン誌なのにファミリー向けという異色のポジションに面白さを感じ、やりがいを持って制作に当たっていました。ところが、パソコンバブルが崩れ、急激に業績が悪化し、入社から2年後に廃刊になってしまったんです。「他の編集部に異動しないか?」と声をかけていただきましたが、『HOME PC』に関わりたくて入社したこともあり、悩んだ末に辞退しました。退職し、少しのんびりしながら先のことを考えようと思っていたのですが、運良くいろいろな会社から執筆のご依頼をいただいて、フリーの仕事を始めました。

当時は、クリエイターズステーションを運営する株式会社フェローズからのお仕事にもご協力いただいていたということですが。

はい。フェローズさんとの出会いは、当時フリーで関わっていた雑誌の「人材会社特集」で野儀社長をインタビューしたのがきっかけです。その後、ご縁があって、いくつかお仕事をご依頼いただきました。

フリー時代、特に思い出深い案件にはどのようなものがありましたか?

とある食品の広告ディレクターを務めた仕事ですね。広告制作会社のスタッフとして、3年間の長期キャンペーンに参加しました。

ライター・編集者だけでなく、PRプランナーのようなこともされていたのですね。

はい。その広告制作会社はとても懐が広くて、外部クリエイターとして関わり始めた私にさまざまな仕事を任せてくれました。PRキャンペーンでご登場いただくタレントさんの選定・アサインを任せてくださったり、ラジオとのタイアップ企画を担当したり、広告出稿先の選定権限を予算とともに丸々預けてくださったり。本当に自由にやらせていただきました。ここでの経験が礎となり、コピーライターや広告ディレクターの仕事につながったものと思っています。

フリーランスは自分で自分の職種を決めることになりますが、秋山さんのように枠にとらわれず突き抜けていく姿勢も大切なのでしょうね。

当時は若かったので、「オーダーされた仕事は全部やろう」という気持ちでやっていました。それを積み重ねることで、幅広いスキルや専門性を身に付けることができたと思います。おかげさまで、収入的にも満足していました。フリー時代の5年間にさまざまな領域の仕事を経験したことが、起業後の現在にも生きています。

「誠実に制作に向きあうフリーランス仲間」が集まり、
仕事の幅を広げていく場所に

Playceの起業には、どんな背景があったのでしょうか?

フリーで仕事を続けながら、漠然と「私は将来どうなるんだろう?」と考えていました。「今は若いからいいけれど、5年後、10年後、同じように仕事を続けていられるのだろうか」という気持ちがあったんです。個人で完結するようなコンパクトな仕事だけでなく、企画から関わるような大きな仕事に挑戦しながら、貪欲にスキルアップをしていかないと、いつか生き残れなくなるのではないか、と。

ちょうど仕事との向き合い方を考えた時期でもありました。当時はできる限りの仕事を請けていましたが、一人では抱えきれずにご依頼を断らざるを得ないというシーンも増えていました。お客様の期待に応えられないことが心苦しく、いろいろな意味で「これはもったいないな……」と。同じ悩みを持つフリーランスの仲間と連携して、上手に仕事をシェアしていくスタイルもアリなんじゃないか、と考え始めるようになりました。

創業メンバーの方とは、どのようにして知り合ったのですか?

28歳の頃に著書を出したんです。それが当時の自分にとってはすごく大きな出来事でした。がむしゃらに仕事を続けてきて著書も出せたことで、ちょっとした「燃え尽き症候群」のようになってしまった時期があったんですね。その翌年に結婚したこともあって、目標や仕事のやり方を見直すことを決意し、いろいろなライター仲間に「ユニットを組んで仕事をしない?」と話していました。そうして声を掛けていた中で賛同してくれたのが、創業メンバーの女性だったんです。

仕事の請け方は、法人になったことで変わりましたか?

そんなに大きな変化はありませんでした。というのは、立ち上げはソフトランディングで、個々のスタッフが少しずつ働き方や取引先との関係を変えていくという感じだったからです。最初は個人でバラバラに仕事をしていたのを、徐々に会社として仕事を受けるようにしていきました。がらりと変わったのは、設立3年目ぐらいでしょうか。半年がかりのプロジェクトやコンペなど、法人でないと請けられないような仕事が増えました。

稼げるフリーランス同士が一緒に始めたからこそ、無理なく会社の形を整えていくことができたのですね。

そうですね。初期投資はどうしても必要です。ある程度資金面で余裕があるメンバーが揃い立ち上げに至ったことでソフトランディングが可能になったと思います。そうしたやり方に理解を示してくれる仲間に助けられました。

文章力を磨き、仕事に向かう気持ちを
研ぎすませていく方法とは

貴社では「編集者兼ライター」として活躍されている方が多い印象ですが、「編集者」「ライター」にはそれぞれどのような役割を求めていますか?

「編集者の仕事はこれ」「ライターの仕事はこれ」と明確に区分するようなことは特に考えていません。弊社が求める人物像としては両方をまんべんなくこなせる人がベストですが、それぞれに求める力は異なります。

編集者は、「ディレクション力」と「企画力」を鍛えることが大切。たくさんの人を動かして、ハブとして機能する立場です。企画を考えるのも編集者の仕事で、それによってアウトプットの善し悪しも変わってくるので、ビジョンを持って設計図(企画書)を作らなければいけませんね。これがぶれていると、どんなに優れたライターやカメラマンをそろえても良い制作物にはなりません。

それに対してライターは、「ライティングを通じて企画をいかに具現化するか」が求められる立場なのかな、と思います。

クオリティを担保するために社内で取り組んでいることはありますか?

「超基本的なこと」を大切にしています。エビデンスやソースがしっかり確認できるものを資料にするとか、校正時のチェック徹底とか。文章力を鍛えるという意味では、「社内でのクリエイティブチェックを細かく行う」「研修などで継続してスキルアップを図る」ことなどを意識しています。また、「写経する」ことも勧めているんですよ。

「写経」ですか?

はい。今、関わっている案件をイメージしながら、自分の好きな文章やコピーなどをひたすら手書きで写すんです。私自身、コピーライティングに携わるときには心が揺さぶられるようなコピーをピックアップし、見直して、何度も紙に書きます。「ああ、このコピー素敵だな」という思いを改めて確認し、「じゃあ今回は、どんな言葉を紡げばより“届く”のだろう?」と考えながら、自分が向き合っているクライアントの案件に対して気持ちをセットしていくんです。日々忙しくしているとこうした時間を確保することは難しいかもしれませんが、大切なプロセスだと思います。

最終的に、クライアントへプレゼンしたり、コンペになったりした際に、「いろいろ考え抜いた中でこの提案がベストなんだ」という自信を持てなければ勝てないと思うんですよね。そういう意味でも、気持ちと考えを研ぎすませていくことは重要だと思います。

大切なのは、今日の仕事に全力を出すこと

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今後、Playceとしてはどのような展開をお考えでしょうか?

実は先日も、とある取材で同じようなことを聞かれたのですが、答えに窮してしまったんですよね(笑)。少しネガティブに聞こえるかもしれませんが、あえて言うなら「潰れないようにする」こと。それが私の一番のミッションです。もともと好きで始めた仕事ですし、今は一緒に働く仲間もいます。ですから、生涯、誇りを持って働ける“場”を維持し続けたいと思っています。

20代の頃は若さもあって、あまり先のことは考えていませんでした。日々の仕事をこなすのに精一杯で「このまま過労死するんじゃないか」と思っていたぐらいです(笑)。ただ、死ぬまでずっと好きな仕事を続けたいと思っていました。言葉にすると簡単に聞こえますが、死ぬまで好きな仕事をやり続けるって難しいですよね。がむしゃらに仕事をすることも大切だと思うのですが、それだけだと、いざというときに場所がなくなってしまうこともあるかと思うんです。若いうちなら何とかなるかもしれませんが、歳を重ねてからでは、取り返しがつかなくなります。だから、無我夢中で、でも考えながら。この場所を維持し続けることが私の目標です。60代、70代になっても会社を存続させることができれば、後に続く人たちも同じようにこの場所を大切にしてくれるんじゃないかと思っています。

まさにここが、秋山さんや社員の皆さんが好きな仕事を続けていくための「プレイス」なのですね。しかし「20代で過労死」というのは……。

若い頃は、自分が長生きをするというイメージを持っていなかったんです。よく就職のための面接で「10年後のイメージは?」という質問をされるかと思いますが、私はいつも「分かりません」と答えていました。答えようと思えば、いくらでも答えられるのですが……。10年後のイメージを決めることは、自分の限界を決めてしまうことだとも思うんです。目の前の仕事に一生懸命向き合い、日々、考え、経験を積み重ねていくことこそが、予想を超えた10年後の自分をつくると思います。その考えは今も変わらず、会社の今後についても、あえてその答えを言葉にしないようにしています。

仕事も結婚生活も楽しみ続ける「プレイヤー」として

ご結婚されてから、働き方や会社に対する考え方に変化はありましたか?

結婚した当初は「仕事がしにくくなった」と感じたこともありました。これは夫のせいではなく、自分の中で「仕事も家事もそつなくこなして、良い奥さんでいなきゃいけない」という思いがあり、全部をやろうとしていたから。ところが、仕事が激務ということもあり全然手が回らなくて、最初はしんどい思いをしました。

「しんどい思い」がなくなるきっかけは何だったのですか?

実は一度、過労で入院したんです。それまではクリエイターとして、経営者として、妻として、変に頑張ろうとし過ぎて、うまく力を抜くことができていませんでした。休んでいる間に自分の働き方、生き方を振り返り、「このやり方を続けていたら、いずれ大好きな仕事ができなくなってしまう」と危機感を抱いて……。仕事を続けながら結婚生活も楽しむために、「そもそも全部はできないんだ」と割り切ることにしました。

夫は雑誌の編集者で、とても忙しい人なので、結婚当初は「少しでも支えなきゃ」と思って頑張り過ぎていました。でも今は、夫も私のペースに合わせてくれて、お互いに仕事とプライベートのバランスをうまく取って楽しむようにしています。

秋山さんのお話を伺って、経営者としてはもちろん、クリエイターとしても「好きなことをやり続ける」という強い思いを感じました。

会社を経営していくことと、ライティングや編集を通してモノを作っていくことは、別の方向にベクトルを合わせていく仕事だと思っています。私の場合は、もともと好きなことを「仲間」と一緒に続けるために会社を立ち上げたので、経営者である一方、現場の仕事にもずっと関わっています。「プレイヤーであり続けたい」という思いは強いですね。利益のためだけに起業したわけではありませんし、現場を離れて人を動かすだけの生き方をすることにもあまり意義を感じません。そういった意味では、いわゆる「経営者」になりたいと思ったことは一度もないんです。おじいちゃん、おばあちゃんになっても、誰かのために。誠実に、ものづくりに取り組みたいと思っています。

取材日:2016年5月10日
ライター:多田慎介

株式会社Playce

  • 代表者名: 代表取締役 秋山 由香(あきやま ゆか)
  • 設立年月: 2007年9月
  • 事業内容: PR誌・パンフレットなど広告宣伝物の企画・制作、書籍・雑誌・ムックの企画・制作、
           Webサイトの企画・制作、モバイルサイトの企画・コピーライティング、
           クリエイティブ・出版業界に関する人材トレーニング
  • 所在地:東京都渋谷区神宮前3-21-2 原宿パレス3F
  • URL:http://www.playce.co.jp/
  • お問い合わせ先:上記HPの「Contact」より

SaiSプロダクション株式会社

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SaiSプロダクション株式会社

今回紹介するのは宮城県青葉区にある仙台の芸能プロダクションSaiS(サイズ)プロダクション株式会社。栄養士・エステティシャン・OL、そしてWEBクリエイターという多彩な経歴を持つ代表取締役の柴崎由里子(しばさき ゆりこ)氏は、たくさんの経験を経て“本当にやりたい仕事”に辿りつきました。ゼロからのスタートでも、諦めない気持ちと行動力があれば、夢の実現に繋がるという多くの人が憧れるサクセスストーリーを体現する柴崎氏は、現在、地元アイドルやアーティストの育成や活躍に力を入れています。まっすぐな情熱と行動力を持った柴崎氏に、これまでの経歴や芸能プロダクション立ち上げまでの道のり、現在力を入れていることなど、伺いました。

一度きりの人生。“本当にやりたいこと”を追い求めて前へ

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まずは、これまでのご経歴について教えていただけますか?

私は宮城県白石市出身で、高校を卒業した後に栄養士の資格が取れる関東の短期大学へ進学しました。卒業後は栄養士として就職しようと思いましたが、現実的に関東で栄養士として生計を立てるのは難しいと思い断念しました。
そこで、あらためて就職先について考え、以前から美容に興味があったので、新卒でエステサロンへ就職してエステティシャンとしての経験を積みました。神奈川県にあるサロンに勤め、そこで憧れだった女優さんやモデルさんといった有名人にも出会いました。実は昔から芸能界に憧れていたのですが、実際に女優さんやモデルさんを目の前にすると、顔もスタイルも本当に美しくて、自分には遠い世界の存在だと感じました。それから地元へ帰ってきて、事務職に就くための資格を取得して、地元白石の近隣の企業で数年、人事部や総務部などで勤務しました。その頃、仕事上の様々な面で悩みが尽きず、生活のためだけに何も目的も持たず無理して仕事をするような日々が続き、段々「自分は何のために生きているんだろう」と考え始めた頃、東日本大震災が起きました。津波の被害でたくさんの知人が亡くなり、生きたくても生きられなかった人が多い中で、その時、自分は生かされていると感じました。「人生は一度きり。今のままではダメだ」と思って、地元の企業を退職しました。

退職後、まずはどのように行動されたのですか?

まずはWebに興味があったのでWebクリエイターの資格を取って、個人事業主としてWebデザインの仕事を始めました。個人事業主だったので、人脈作りがなによりも大切だと思い、異業種交流会にも積極的に参加するようになりました。当時、仙台から電車で1時間くらいの地元白石で暮らしていたのですが、いろんな方と出会うべく週に3日は仙台へ繰り出していました。その中で出会えた5人の方と、「好きなことを仕事にする」というプロジェクトを立ち上げたんです。自分が好きなことを仕事にしていきたいという、同じ思いを持った仲間は私にと って強い味方でした。ただ正直なところ、自分自身、当時は本当に自分は何が好きなのかを模索していました。 その時、プロジェクト仲間のある方に「好きなことを仕事にするってどういうことだと思う?」って聞かれました。私は思わず「努力ですか?」って答えたのですが、その方に「どんなひどいことを言われたり、されたり、時に食べ物に困るくらい貧乏になっても、継続して続けられること、それが本当に好きなことをするってことだ」と教えられたんです。その時ようやく、私にとって本当に好きなことは、Webクリエイターの仕事ではなく、どんな辛い時でも元気になれる、心の支えとなってくれる芸能関係の仕事だとやっと気づきました。企業勤めでとても悩んで苦しかった時も好きなアーティストの歌を聴いて励まされてきました。芸能が及ぼす力は大きいと思いましたし、やっぱり自分は芸能関係が好きで、そこに携わって生きていきたいと思ったんです。とは言っても、人脈もツテもコネもない素人が、いきなり芸能プロダクションを立ち上げるなんてことが、果たして本当にできるのかと迷っていました。そんな時に、先ほどの仲間に「諦めずに追い続けること、追い続けていたら、夢を叶えるチャンスがある。諦めないことが一番大切だ」と教えられて、よし頑張ろう!と思い行動に移しました。

ビジョン作りから始まった芸能プロダクションの立ち上げ

SとSを向い合せることで、ひとつのハートになるSaiSプロダクションのロゴマーク。

SとSを向い合せることで、ひとつのハートになるSaiSプロダクションのロゴマーク。

芸能の道へ進むことを決意し、どんなことから始めたのですか?

まずは、1年後、3年後、5年後の自分はこうなっていたいというビジョンを作りました。
そして、お手本とするプロダクションを設定し、テレビやCM・映画に出演できるような人材を育てようと決めたのです。そうやって一歩ずつビジョンを設定していたら、以前知り合った方の中に、東京で1から芸能プロダクションを立ち上げた方がいらっしゃったんです!その方にアポを取ってお会いし、業界のルールや会社の立ち上げに必要なものなどを、すべて教えていただきました。ただ、その方は東京を拠点にご活躍されていた方なので仙台での活動となると、やはり自分自身でゼロからの開拓は変わらず、とにかく会う方会う方に自分が芸能プロダクションを立ち上げたいという話しをしました。すると、自分の周りでメディア関係の仕事をしている方が見つかり、その方から人脈を広げるアドバイスなどをいただきました。そして、「好きなことを仕事にする」プロジェクトの仲間にも支えてもらい、2013年に当社を設立し、まずはとにかく人脈作りに専念し、1年間で宮城県内の仕事の繋がりを持てるようになりました。

実際に芸能プロダクションを立ち上げてみていかがでしたか?

最初の1年は人脈づくりのために走り続け、2年目から徐々に仕事へ繋がって行きましたが、実績がない分とても苦労しました。ストレートに「あなたの人柄はわかったけど、実績がないので、ちゃんと仕事をやってくれるという確証がないから、仕事を任せるのは難しい」というお言葉をいただくこともしばしばでした。当たり前のことで、お話を聞いてくださった担当の方のお役に立てず申し訳ない気持ちでいっぱいでした。そんな時にご縁で制作会社の方とお会いできる機会があり、私の思いやビジョンを熱弁しました。そうしたら、その担当の方が私と同世代で、「こんなに熱い人、久しぶりに出会いました。何か仕事があれば真っ先に連絡をするので、準備をしてください」と言っていただいて、担当の方からの依頼内容で人材を募集し準備をしました。その後、間もなくその方から、仕事を発注していただき、それが記念すべき初仕事となりました。ただ、その仕事で私の目が行き届かず、小さなトラブルを起こしてしまいました。しかし、とにかく丁寧な謝罪と、次回からの対策を携えてご説明に上がり、誠意を持った対応をさせて頂きました。 そこから有難いことにさらに信頼が深まり、現在では定期的に仕事を発注していただけるようになりました。

熱意と真摯な姿勢が信頼につながったのですね。そんな柴崎さんが大切にされているポリシーとは?

常に何事にも感謝の気持ちを持って取り組むこと、恩には恩でお返しすること、人との繋がりを大切にすることです。あと、芸能プロダクションをゼロから始めたことで、やろうと思ってできないことはないと思うようになりました。道徳に反すること以外は、なんでもやってみたいと思っています。例えば、お取引先から当社で提供していないサービスをリクエストされた場合には、お時間をいただいても、今までの人脈を見直しその中から繋がりを見出してリクエストにお応えするなど、何事にも進んで挑戦するという姿勢で取り組ませていただいております。あと、人生に無駄なことは一つもないと思っています。例えば会社を立ち上げるにあたって、OL時代に貯めていたお金やワード・エクセル・パワーポイントの資格が役に立ったり、Webクリエイターの経験もあるので名刺や広告も自分で作れます。ほかにも栄養士の資格やエステティシャンの経験が在籍する子たちのダイエットや健康管理に役立つなど、これまで頑張ってきたことすべてに意味があるんだって思えました。

「SaiS」という社名にも思いが込められていると伺いましたが?

そうなんです。これは、先ほどからお話している「好きなことを仕事にしよう」というプロジェクトの名前なんですが、現実と理想のギャップを埋める集団になりたいという思いが込められているんです。ギャップを日本語で考えると「差異」、そして複数形だからS。最初と最後のSを大文字にすることで、Sの間に「ai(愛)」があり、Sを頭文字にした言葉にはスマイル・スペシャル・サプライズなど、プラスの言葉がたくさん含まれています。笑顔と笑顔の間には愛があるというイメージです。ちなみに当社のロゴも、名前にちなんでいて、SとSを向い合せることで、ひとつのハートになるようにしました。

地元アイドル&アーティストたちに活躍できる場を提供!

秋保温泉ご湯治アイドル『Are 湯 Lady(アーユーレディ)』

秋保温泉ご湯治アイドル『Are 湯 Lady(アーユーレディ)』

現在、力を入れている人材やお仕事について教えてください。

当社ではいくつかの事業を展開しておりましが、とにかくプロダクション事業に力を入れていきたいと思っています。特に今年と来年は、アイドル部門とホテル・旅館での弾き語り事業に力を入れていきたいです。まず、アイドルとしては、仙台発インターネットテレビ局「アリティーヴィー」のヒザシさんがプロデュースされている秋保温泉を盛り上げるべく結成された、秋保温泉ご湯治アイドル『Are 湯 Lady』です。メインのはるか、瑠奈、しずかという3人の女の子に、研修生もいて、歌って踊って活動しています。現在、テレビやラジオ、イベント出演などで秋保の魅力を発信しているアイドルグループです。宮城県はアイドル戦国時代なので、どんどん活躍の場を広げていけるように取り組んでいます。このほかに、ホテル・旅館で、お客様のリクエストに合わせて弾き語りをするギター奏者とピアノ奏者のアーティストたちです。宿泊者のお客様たちから、とてもご好評をいただいており、リクエストが多いのでもっともっと力を入れていきたいですね。

仙台の芸能プロダクションだからこそ、やっていきたいことはありますか?

仙台にはアーティストやタレントなど様々なジャンルの素敵な方達がたくさんいらっしゃいます。当社では、そういった方達とコラボレーションをさせていただき、地元アーティストと企業を結んでタイアップ企画に力を入れていきたいと思っています。面白いことをしたいと考えている企業の皆様と才能を持ったアーティストの皆様が出会えば新しいモノ・コトを生み出すことができます。企業とアーティスト双方にとってプラスになる、それによって地域も元気に!地域活性化にも繋がるところが素晴らしいです。そして、いずれは仙台と東京の2拠点で活躍できるように、私自身も日々学びながら頑張っていきたいと思っています。

最後に、今、夢を叶えたいと思っている方に伝えたいことは?

恥ずかしがらずに自分のやりたいことを声に出して発信して、自分を信じて、全力で行動し続ければ、何かが動き出します。やりたいことがあれば諦めずに、がんばってください!
大人になって夢を語っていると、おかしな人って思われることもあるけど、夢や希望って本当に素晴らしいものなんです。行動を起こすと、失敗するか成功するかのどちらかですが、失敗しても得られることがたくさんあるから大丈夫です!やりたいことがあれば、恐れずに一歩踏み出してくださいね。プラスの思考と行動は、プラスの物事を呼んでくれますよ。

取材日:2016年4月14日
ライター : 桜井玉蘭

SaiSプロダクション株式会社

  • 代表者名(よみがな): 代表取締役 柴崎由里子(しばさき ゆりこ)
  • 設立年月: 2013年6月
  • 資本金: 990万円
  • 事業内容: プロダクション事業・研修事業・コンサルティング事業
  • 所在地: 宮城県仙台市青葉区宮町3-8-38 クリエイターズビレッジ413号
  • URL: http://saisproduction.com
  • お問い合わせ先: 上記サイト内の「お問い合わせ・Contact」よりお問い合わせください

株式会社モアミザン

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株式会社モアミザン

株式会社モアミザンは、フリーランスで活動していた奥野裕喜氏が2016年4月に立ち上げた、映像の企画制作を手がけるプロダクションです。26歳の若さで会社を立ち上げた背景には、5年後、10年後を見据えた大きなビジョンがありました。奥野氏が、映像の世界に入ったきっかけ、法人化の理由、今後の展望などを伺いました。

カメラマンのかっこいい姿に魅かれて

会社を立ち上げるまでの経緯を教えてください。

僕は佐賀出身で、福岡に遊びに行った時に街で見かけるポスターがかっこよくて、ポスターを作るような仕事がしたいと思うようになりました。そこでまずはビジネスやパソコンのスキルを身につけるために地元の商業高校に進学し、簿記や情報処理などを学んだ後、福岡の専門学校のCGクリエータ科のデザイン学科に進学しました。そこで先輩がカメラを持って歩く姿を目にして、「カメラマンってかっこいい!!」とあこがれたんです。先輩についていき、学内で映像を学ぶ人たちの集まりに参加するようになりました。

もともとカメラや映像に興味があったのですか?

いえ、それが全くなくて……。その集まりには映画好きの人が多く、ディープな話が繰り広げられていましたが、僕はスティーヴン・スピルバーグさえ知らず、『スター・ウォーズ』や『ジュラシック・パーク』、『アルマゲドン』といった有名な映画すら観ていませんでした。ただ、テレビのCMは好きでよく見ていたので、CMの話題は得意でした。

映像を学んでみて、いかがでしたか?

初めはわからないことばかりで覚えることが多く、とても大変でした。でも、映像を作ることはとても面白く、撮ることも編集する作業も楽しくて、すぐに映像の世界にのめり込みました。

ブライダル映像会社を経て、フリーランスに転身

卒業後はどんな道を選んだのでしょうか。

僕が就職を考える頃、ちょうどノマドワーカーやフリーランスが注目され始めた時期で、ゆくゆくは組織の枠から出て働きたいと考えていました。
ただ、最初からフリーというわけにはいかないので、まずは映像業界に入ることを目標に、福岡にあるブライダル映像の制作会社に就職しました。社会人としてのマナーを体得するところから始まり、様々なブライダルの現場で、基本的な映像の知識と技術を身につけることができました。

起業されたきっかけは?

個人レベルで知人からの映像のお仕事が度々入ってきて、自分の力で仕事を取ってるわけではないのに、勘違いをしてフリーランスに転身したのがきっかけです。入社から3年目に、映像業界の交友関係をもっと広げたいと思ったことから、独立しました。23歳の時です。
もともと知人から相談されることが多かったので、仕事を受注することがこんなに難しいとは思いもよりませんでした。単発の仕事は入っていても、長期的にみると経営はなかなか厳しく、正直「失敗したな」と思ったこともありました。
それでも、だんだんお声がけいただくことが増えてきて、今年3年目になりますが、おかげさまで順調にお仕事をさせていただいています。

業務内容について、教えていただけますか?

メインは、企業の経営理念やイメージ、商品、サービスを紹介するような映像の企画制作です。写真の撮影や、WEBサイトで使う動画も多く手がけています。

企画力を高め、ユニークなアイデアを世界へ

株式会社モアミザン

2016年4月に法人化された理由は?

はい、株式会社にした理由は3つあります。1つ目は、個人と法人ではクライアントからの見られ方が全く違うと知ったこと。2つ目は、大きな会社と取引する際、法人化の必要があったこと。そして3つ目は、目先のことをこなすだけでなく、5年後、10年後を見据えて、早めに法人化しておこうと決意しました。今は僕ひとりですが、これからスタッフを増やしていきたいと考えています。

御社の特長を教えてください。

福岡では珍しい機材を所有しているので、映像に関することなら幅広く柔軟に対応することができます。それから、他にはない、人がビックリするような企画を出すことを強く意識しています。
映像の企画屋として、映像の技術力を高めるのはもちろんですが、それ以上にプランニング力を強化しCMや広告、イベントなど幅広いコンテンツを作っていきたいです。

目標としているクリエイターはいますか?

博報堂出身で、『月刊風とロック』の編集長も務めている箭内道彦(やない みちひこ)さんに憧れています。作品としてはタワーレコードの「NO MUNIC, NO LIFE」をはじめゼクシィや東京メトロのCMなどを幅広く手がけ、テレビ出演やバンド、映画監督としても活躍されています。箭内さんの作品は、一風変わったユニークなものが多いんですが、僕もそんなふうに人をアッと言わせる作品を作りたいと思っています。

奥野さんが見据えている今後のビジョンは?

ここ福岡から、ユニークなアイデアを世界に発信していくことです。福岡には有名な映像会社がたくさんありますが、僕はアイデアで何かしら新しいフィールドを開拓したいと思っています。そのために、僕自身は覚悟を持って30歳までにいろいろな経験を積んで力をつけるつもりです。それから同時に、同年代のフリーランスのネットワークを広げ、分厚いプラットフォームを作っておきたいです。ともに仕事をしたり、切磋琢磨したり、そのネットワークがのちのち生きてくると思うのです。

自分に火をつけ、いつまでも成長していく

最後に、クリエイターに向けて、メッセージをお願いします。

映像についてほとんど何も知らなかった僕でも、今は映像業界で特に営業活動をすることなく、いろいろ仕事をさせていただいています。それは、僕が人とのつながりを大切にしてきたからではないかと思います。映像の知識や技術を身につける術はいろいろありますが、人とのつながりは自主的に動かなければできません。「この人と一緒に仕事をしたい」と思われるように、ひとつひとつ質のいいコミュニケーションを心がけることが重要だと感じています。

奥野さんがコミュニケーションで心がけていることは?

早く反応することです。
以前、ある方からに「早く反応すると軽い人に見られるよ」と指摘されたことがあるのですが、それでもやっぱり素早いレスポンスは相手にとっても、いいことだと思うのでこの姿勢を貫きたいと思います。
それから、いつも心に刻んでいるのは、箭内道彦さんの「火事場をつくれ。自らを放火せよ」という名言。自分で自分に火をつけることで、ずっと成長していきたいですね。

取材日:2016年5月25日
ライター : 佐々木恵美

株式会社モアミザン

  • 代表取締役:奥野裕喜
  • 設立年月日:2016年4月
  • 事業内容:写真撮影、映像の企画制作全般
  • 本社所在地:〒812-0011福岡市博多区博多駅前3-26-10 司ビル3F
  • TEL:092-260-3928(会社) 080-1707-9569(直通)
  • URL:http://www.more-mise-en.com/

株式会社アル・コネクションプロダクツ

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アル・コネクションプロダクツ

大阪の株式会社アル・コネクションプロダクツは、海外を視野に入れたさまざまな事業をITビジネス中心に展開するベンチャー企業です。世界中から日本を訪れるインバウンド(訪日旅行者)が増える中、海外の消費者に日本の魅力を伝えるWebサービスやアジア諸国でのFC(フランチャイズ)サポート事業など、グローバル社会にふさわしいビジネスの形を精鋭のスタッフで追求しています。同社代表取締役の中西理翔(なかにし りか)氏に、グローバルな事業展開やこれからWebの仕事を始めようとする人へのアドバイスなど伺いました。

割烹料理店の女将がビジネスの原点

まず起業するまで、どのような道のりがあったのか教えていただけますか。

実は、アル・コネクションプロダクツは、私にとって2度目の起業になります。大学を卒業後、OL時代を経て、夢だった割烹料理店を開いて1年ちょっと女将をやっていました。自分の考えたサービスを形にするというビジネスの面白さを知った原点だったといえるかもしれません。

この割烹のお店を始めるにあたり、3年ほどの準備期間があり、その間はアルバイトなどでたくさんの職種を経験しました。中でもイギリス人が社長を勤めていた翻訳会社での経験が、現在のIT事業への入口になっていると思います。
その翻訳会社では翻訳以外の仕事すべてを任され、当時、ようやく日本に上陸したばかりのDTPソフトやデータベースを使って仕事をしていました。パソコンも普及していない時代で、英語のマニュアルしかなく、自分で調べて操作方法を覚えていきました。

なぜ、その翻訳会社で働くことにしたのですか?

語学が好きだったので翻訳会社で働けば英語が上達するかもしれないと思って。
当時の私は海外青年協力隊に入り外国で暮らしてみたいと考えていて、友人も海外志向の方が多くいました。
OL時代は朝7時にフランス語教室に通う自己投資型人間で、興味のあることはとにかく一度やってみないと納得できない性分でした。それはビジネスに対する今の自分の姿勢にもつながっていると感じます。

そこでITに目覚めて、アル・コネクションプロダクツを起業されたのですね。

はい、創業時には、結婚と長女の出産がほぼ同時期に重なりました。当初は主人の仕事を手伝うだけのつもりで、映像のデジタル編集、3D映像の制作を手掛ける個人事務所でした。後に法人化する際に、私が社長を引き受けることになりました。
会社は今年の9月で22期目を迎えます。インターネット関連の業務へとシフトしていったのは、まだ黎明期といえる1997年頃でした。

末永い信頼を築くためのコンサルティング

Webサイト制作ではコンサルティング業務にも力を入れていると聞きました。

Webサイトはお客様が利益を上げるための手段といえますので、サイト制作だけでなくネット広告、およびそれらのコンサルティングについても、お客様の立場で考えて誠実に取り組むことを信条にしています。
そのためにはコンバージョン(成果)を追求することが第一です。例えば1,000人に広告を打った場合、何人がリーチして何人が成約したかという結果を確かめ、常に最適化を図っていきます。
こういったノウハウは、お客様と共有することを大事にしています。
当社ではお客様にはノウハウをすべて提供するというスタンスで、末永い信頼関係を築くように努めています。

海外向け事業を積極的に行っていらっしゃいますね。

ここ数年、インバウンド市場が熱気を帯びています。英語、中国語、韓国語など多言語でサイトを作成し日本の商品やインバウンド、アウトバウンドともに対応できる『多言語ウェブできーる』という海外向けウェブサイト制作サービスを公開しています。お問い合わせをたくさんいただくなど関心の高まりを実感しています。

また、今後はアジア諸国でのFC起業やFC本部設立などをサポートする事業を『フランチャイズステーション』(http://www.fcstation.com/) をベースに力を入れて参ります。海外でFC事業を行いたいという日本の企業さま向けのサービスです。またアジア諸国の企業さまには、良質な日本のFCシステムをどんどんご紹介して参ります。
東南アジアは魅力的なFC市場といえますが、それぞれの環境にあわせたカスタマイズが必要です。シンガポール、タイ、中国にはすで人脈があり、今後はミャンマー、カンボジア、マレーシアにも広げていきたいと考えています。現在、海外でもSNSは普及しており、これを有効活用することで人とつながることが容易になっています。アジアのFC市場では今、とても活発な動きがあります。

さらに、シナジー効果を狙いグローバル求人および求職を扱う人材紹介事業として別会社のGlobal Partners株式会社を立ち上げ、国内の外資系や国外で働きたいという個人や、海外から優秀な人材を確保したいという企業のニーズに応えています。
このようにWeb&フランチャイズ+Global 人材が、当社を支える重要な3本柱となっています。

センス、ノウハウが問われる時代に

Web業界で今、気になっていることはありますか。

Webの仕事に限りませんが、今後、自動化の波が押し寄せてくることが危惧されていて、様々な仕事が人工知能によりタスク化すると言われています。単純作業から高度なレベルの仕事まで、大部分はロボットに代わると予想され、そういった状況で、どうすれば生き残っていけるのかということに深い関心があります。

生き残っていくために何が重要とお考えですか?

重要なのは人それぞれが持つ個性、センスだったり、ノウハウだったり、真面目さであったり。それと、新しいことに挑戦していく姿勢も大事だと思っています。まずは、自分たちが自動化の流れに追いついていかなければなりません。
反面、私は自分の仕事をサービス業だと思っているのですが、自動化して効率を図ることばかりに気を取られて、サービスの質をないがしろにしないように心がけていきたいですね。人の気持ちは自動化しません。大事なことは変わらないので、それを忘れずにいたいなと思います。
あえてアナログな発想を見直し、そこに立ち返り自ら体験して、見えるものや触れるもの、感じるものを大事にしたいと思います。

自動化の流れの中、これからWebの仕事を始めようとする人へのアドバイスはありますか。

これは自戒を込めてですが、まず1つ目は、「本を読むこと」です。ビル・ゲイツのような賢人と呼ばれる人たちは読書量が膨大だといわれています。私たちのような凡人にとって読書は自己投資です。もし人と差別化したいのであったら本を読んだ方がよいと思います。
2つ目が、「手で文字を書くこと」です。手書きで綴っていた昔の小説家の文章は語彙も豊富で、聡明であると感じます。今、日本語でも、英語でも、幼稚で愚かな言葉に変化してきている傾向がどこの国にも同様にあるようです。それは手書きの機会が減って言葉を忘れていくためだと思います。だから、手で文字を書いて漢字を忘れないようにしようということです。
3つ目は、「人と会うこと」です。Webの仕事だからこそたくさんの人に会って、コミュニケーション能力を養うべきだと思います。オンラインでは、伝わらないものがあります。直接会ってこそ伝わるもの、感じるものがあるのです。
そして最後に、「英語がヘタでもコミュニケーションすること」です。最低でも英語は必要です。外資系企業はもちろん、日本企業でも英語力が求められる企業が増えており、企業で働く人材が多様化してきています。今後さらに働く人の多様化が進むことが予想されますので、英語をはじめとした多言語に対応できるように語学はじめ他国の文化や風習、ビジネスマナーを学び研鑽することを習慣化すべきだと思います。

仕事の縁はいつも必然で出会う

株式会社アル・コネクションプロダクツ

社名の由来と意味を教えてください。

“アル”はドイツ語で「すべて」を、 “コネクション”は英語で「縁」を意味します。この2つの言葉を合わせて「すべての縁を大切にする」という意味を込めています。もともと私は人と会うことが好きですが、仕事に関しては必然的な「縁」があると思っています。
出会いは早過ぎても遅くても駄目で、求められるときに必然で人と出会っているという実感があります。

取材日:2016年4月13日
ライター:長谷川隆

株式会社アル・コネクションプロダクツ

  • 代表者名(ふりがな): 代表取締役中西理翔(なかにし りか)
  • 設立年月: 1996年2月
  • 資 本 金: 1000万円
  • 事業内容: ウェブ関連事業、フランチャイズソリューション事業
  • 所在地: 大阪市中央区谷町6-6-7 8F
  • URL: http://alnw.co.jp/
  • お問い合わせ先: 06-6766-2350

株式会社アンティー・ファクトリー 名古屋オフィス

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株式会社アンティー・ファクトリー 名古屋オフィス

大手企業のWebサイトやアプリを手掛けるアンティー・ファクトリー。
支社長である飯田淳介(いいだ じゅんすけ)さんが、Uターンで名古屋に戻るのをきっかけに設立された名古屋支社は、東京の一流企業の仕事だけでなく、人と人とのつながりが深い名古屋のローカルな仕事も大切にしています。また、最近注目のIoT (Internet of Things)にも注力、Webブラウザの枠にとどまらないデザインにも積極的に取り組んでいます。
ご自身もUターン経験者である飯田さんに、名古屋で働くこと、暮らすこと、アンティー・ファクトリー名古屋の魅力についてお話を伺いました。

どうせなら、好きな道に挑戦しよう!
Webデザイナーを目指して上京

株式会社アンティー・ファクトリー 名古屋オフィス/名古屋支社長 飯田淳介 氏

株式会社アンティー・ファクトリー 名古屋オフィス/名古屋支社長 飯田淳介 氏

まずは、Webデザイナーを目指された経緯を教えてください。

愛知の大学を卒業後、営業の仕事に就きました。当時からクリエイティブな仕事には興味があったのですが、それを仕事にするほどの自信はありませんでした。当然、営業の仕事も簡単なものではなく社会人の洗礼を受けました。今思えば無責任な話ではありますが「どうせなら、好きな道に挑戦しよう!」と決心する契機となり、Webデザイナーを目指して上京しました。

上京後、どのようしてアンティー・ファクトリーへ入社されたのですか?

スクールでWebの知識を身につけ、卒業条件のコマを全て取りきる前に、アンティー・ファクトリーへの入社が決まりました。面接で、「給料なしでも、働きたい」という気持ちを伝えたところ、その熱意が伝わって採用していただきました。ところが、入ってからが大変でした。
スクールで学んだことはほんの入口でしかなく、知識があるだけでは、現場の仕事はできなかったのです。最初は、成否がはっきりしているコーディングの仕事で社内の信頼性を上げていき、徐々に、本格的なデザインの仕事にチャレンジしていきました。
ちょうど名古屋に戻った8年目を迎える頃には、20人程度のデザインチームのマネージャーとして、デザインや制作はもちろん採用やお金の管理なども1人でできるようになっていました。

Uターンで名古屋支社を設立。
人のつながりを大切に、地元名古屋にコミット

名古屋オフィスは、鶴舞駅近くのリノベーションビルの最上階。もとはエレベーターもない古い倉庫だった建物を、名古屋の設計事務所であるエイトデザインが手掛けた。

名古屋オフィスは、鶴舞駅近くのリノベーションビルの最上階。もとはエレベーターもない古い倉庫だった建物を、名古屋の設計事務所であるエイトデザインが手掛けた。

名古屋支社設立に至る経緯を教えてください。

実は、妻も愛知県出身で、いずれは名古屋に戻りたいとは思っていたのですが、いつのまにか30歳を過ぎていました。思い切って社長に相談したところ、思いがけず「名古屋に移ってからもアンティーの仕事を続けてはどうか」と提案していただきました。
自宅で仕事をするという選択肢もありましたが、その後の発展性を考え、1人でスタートしたにもかかわらず最初からオフィス(前 今池オフィス)を借りていただきました。

立ち上げ当時のお仕事は、東京からの仕事が多かったのですか?

そうですね。最初は、もともと東京でやっていた仕事をそのまま名古屋で担当するという感じでスタートしました。自分がデザインをしていたものはもちろん、アートディレクターとして関わっていたものも、名古屋からチェックをしたり東京のスタッフに指示を出したりする形で携わりました。

地元、名古屋での知名度はどのようにして作っていったのですか?

大学を卒業してからずっと東京で生活していましたので、戻ってきた当初は、名古屋のクリエイティブ業界に、全く知り合いがいませんでした。SNSのコミュニティやクリエイター同士の飲み会などに参加して、少しずつ横のつながりを作っていきました。当時、東京の会社が名古屋支社を作るというケースがほとんどなかったこともあって、どうやって地元のコミュニティに溶け込んでいくかが課題で、そうした場で同世代の熱意あるクリエイターと知り合えたことは大きかったですね。
本当に人には恵まれていて、このオフィスを担当してくれたエイトデザインのディレクターさんも、アンティーの後輩の大学時代の友人という縁なんですよ。

名古屋で働くこと、暮らすこと
アンティー・ファクトリー名古屋の魅力

オフィスの真ん中にはキッチンを設置。ディナーミーティングを開催するなど、外部のクリエイターを招いての交流が行なわれる。

オフィスの真ん中にはキッチンを設置。ディナーミーティングを開催するなど、外部のクリエイターを招いての交流が行なわれる。

現在、名古屋支社で働くスタッフは何名いらっしゃるのですか?

スタッフは、現在7名。
人数は少ないですが、東京のスタッフに負けたくないという思いは強いです。
一方で名古屋だけでは、解決できない問題があったとしても東京のスタッフと協力することでより良いものをお客様にご提供できるという強みもあります。

東京の仕事と名古屋の仕事の割合は?

東京の仕事は8割ぐらい、ほぼ代理店経由の仕事です。
名古屋の仕事は、ブランディングの上流から関われるものや、とても大切にモノ作りをされているという方をWebのチカラでサポートする、というような案件が多いです。そういった案件では、予算は限られるものの、私たちも新しい試みをさせてもらったり、ある程度任せてもらったりするので、公開後想像以上の反応があったり、取材していただいたり、お金以外のところでいただける評価もうれしく思います。
対して、東京の仕事は、誰もが知っている一流企業の仕事、たくさんの方に影響を与える責任の重い案件です。
どちらも私たちにとっては面白くやりがいのある仕事で、バランスよく挑戦しています。

今、欲しい人材というのはどんな方ですか?

職種で言えば、デザイナーとマークアップエンジニア。社内の経験値が上がってきているので、新人を育てる環境も充実しています。
それから、大事なのはマインド。アンティー名古屋のいいところを見つけて共感してもらえる方と一緒に仕事がしたいと思い、本社サイトとは別に「アンティー・ファクトリー名古屋」のサイト(http://www.un-t.com/nagoya/)を作りました。

「アンティー・ファクトリー名古屋」のオフィスの雰囲気は?

時間に拘束されることも多い仕事なので、会社として、その分なるべく楽しめる工夫をしています。オフィスにはキッチンや和室があり、各々積極的に活用しています。
会社がノミニケーション代を支給してくれる「ディナーミーティング」という制度があり、名古屋ではおいしいお肉を買ってこのキッチンでみんなで調理して食べます。
外からゲストを呼ぶことも多く、普段お世話になっているカメラマンさんやライターさんなど外部のクリエイターとのコミュニュケーションの場にもなっています。自分たちだけでは作れないものも多いので、外部の人たちとのコミュニケーションも大切にしています。

飯田さんご自身が、Uターンされて感じる名古屋で働くこと、暮らすことの魅力は?

仕事が充実しているのは大前提で、給料は多少低くなったとしても、東京に比べると何をするにも安いので、車を買ったり、家を買ったり、投資にまわしたり、様々な選択肢が広がります。総合的に見ると、名古屋のほうが暮らしやすく、豊かな生活が送れるのではないかと感じます。それは大きな魅力ですよね。

デザインで世の中を変える!
広告の仕事だけでなく生活周辺のデザインも

「本物に触れる機会が大切」と、事務所にはアート作品が置かれている

「本物に触れる機会が大切」と、事務所にはアート作品が置かれている

Web業界を目指す人に向けて、アドバイスはありますか?

今、「IoT (Internet of Things)」といって、あらゆるモノがインターネットにつながる仕組みが注目されています。たとえば、外出先からスマホで自宅の電気のスイッチが操作できるといったことが既に実現されていますが、今後は、もっといろんなものに適用されて、さらにそれによって得られるデータがユーザーに還元されるようになっていきます。
今まで私たちは、Webサイトのデザインばかりしていましたが、いろいろなモノとインターネットがつながるこれからは、必然的にそれを制御するインターフェイスのデザインの重要度が高まってきます。つまり、これからの私たちの仕事は、世の中の人が使って便利になるプロダクトの一部を作っていけるという点で、結構面白いと思います。

今後は、画面上だけでなく生活をデザインするみたいなことでしょうか?

そうですね。UXデザインという言葉をよく耳にすると思いますが、体験やサービスなど生活周辺のデザイン、暮らしをよくするデザインですね。
これまで作ってきたWebサイトは、いわゆる広告でしたが、今後、IoTのプロジェクトに関わるともっとたくさんの人の日常に大きく貢献できるということで、これからこの業界を目指すという人は、積極的に挑戦していかなければならない分野です。

アンティー名古屋としても、今後、IoT関連のデザインに力を入れていかれるということでしょうか?

そうですね。最近では、トヨタメディアサービスさんとクルマ×IoTについて一緒に考えさせてもらっています。例えばですが、クルマがインターネットにつながることで、スマホでクルマの状態をモニタリングしたり、コントロールしたりできるようになったら便利だと思いませんか? Web業界にいて、まさかクルマの一部に関われるようになるとは想像もしていなかったので、大きなターニングポイントだなと感じています。
今、Web業界はまさに産業革命前夜。新しい取り組みにも積極的にチャレンジをして、これから加わってくれる新しい仲間も含めてメンバー全員で成長していくことが理想です。

取材日:2016年4月5日
テキスト:クリエイターズステーション編集部

株式会社アンティー・ファクトリー

  • 代表者名 : 代表取締役 中川直樹(なかがわ なおき)
  • 設立: 2001年1月18日(1997年11月 アンティー・デザイン設立)
  • 資本金: 1,000万円
  • 事業内容: デジタル領域を中心としたビジネスモデルの企画・構築、プロモーション、
           クロスメディアソリューションなど “トータル・ソリューション”事業。
  • 所在地:東京都渋谷区南平台町17-13 ヴァンヴェール南平台 2F
  • URL: http://www.un-t.com/
  • お問い合わせ:上記ホームページの「CONTACT(お問合せ)」より

アンティー・ファクトリー 名古屋/p>

  • 設立:2009年5月
  • 所在地:名古屋市昭和区鶴舞2-3-18 丸銭屋ビル4F
  • URL: http://www.un-t.com/nagoya/
  • お問い合わせ:上記ホームページの「CONTACT(お問合せ)」より

株式会社ルーラー

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株式会社ルーラーは、Webマーケティングに関するサポートのほか、自社でWebサービスの企画・開発・運営を行っている会社です。代表取締役の沼 博人(ぬま ひろと)氏は、「自分たちで独自のサービスを作りたい!」と20代で起業しました。最近ではHTML5の電子カタログ『ebook5』や、読者が重点的に読んでいるパートを分析できるヒートマップ機能が付いた電子チラシ『FLY5』のサービスが注目されています。札幌という地方都市にいながら、全国はもちろん世界視野で独自のサービスを発信しているルーラーの足跡と展望についてお話を伺いました。

オリジナルサービスを展開するITベンチャーをめざして起業

株式会社ルーラー

22歳でフリーランスのWebデザイナーとして仕事を始められたそうですが?

2002年頃、当時の札幌はインターネット関連企業が少なく、誰もが手探りで進めていたこともあって比較的参入が容易で、もしかしたら「自分達も何かできるんじゃないか、何かを表現できるんじゃないか」という期待や可能性を感じていました。SOHOチーム『ルーラー北海道』という屋号で活動し、次第に仕事が増え、仲間が増え、28歳のときに会社を設立しました。

法人化するにあたり目標はありましたか?

これまでやってきた受託型から、自分たちでサービスを作って事業化するビジネスモデルへの変更が目標でした。顧客のWebマーケティングを受託して成果をあげられる実力があるならば、自分たちで立ち上げたサービスでもきっと成功できるはずだというシンプルな発想から始めました。今までに6つのサービスを提供してきて、すべてB2B領域でしたので時間はかかりましたが、収益を上げられるものも増えてきました。

北海道では(IT企業における)受託型ビジネスはまだまだ多いと思いますが、受託ビジネスのウエイトはどのくらいですか?

確かに北海道での案件は受託型ビジネスが多いといえますが、当社独自のサービスも評価をいただきつつあります。東京での仕事も増えてきていますので、現在、当社の収益上の割合は自社運営の「Webサービス事業」と受託型ビジネスの「Webソリューション事業」の半々ぐらいです。最近のWebソリューション事業は、コンテンツマーケティングを中心としたマーケティングサポートをする傾向にありますので、受託型から提案型に移行しつつあると考えています。

地方都市で仕事することは、デメリットじゃない!

最初に提供したWebサービスは何ですか?

2008年にWebサイト制作の経験から、独自のCMSを組み込んだサーバをASPで提供したのが最初ですね。翌年には、各宿泊施設のホームページで宿泊予約ができるASPサービスToph(トーフ)をリリースしました。ポータルサイトに頼らずに宿泊予約ができるので、手数料もかからず、自社サイトでの集客を希望する宿泊施設にメリットがあります。

サービス内容はどのようにして企画していきますか?

基本的には、わたし自身がアイデアを考えます。「おもしろそう!」と感じたことを立ち上げて、テスト期間を経て、サービス化していく。企画については、自分ひとりでやっているのでスローペースですが、じっくり大切に育てることもできます。

電子カタログ『ebook5』はどのような経緯で開発されたサービスですか?

2010年タブレット端末が普及し始めましたが、当時タブレット端末ではFlash Playerが使えませんでした。そこでFlash Playerを使わずにHTML5を採用した電子カタログサービスに着手しました。これまで電子カタログを制作するのは高コストでしたが、『ebook5』により手軽かつ安価になりました。ネット上で書籍や雑誌の一部を試し読みできる機会が増えましたが、その普及の一端を担うことができたと思います。

2012年に東京オフィスを開設していますが、経営戦略のひとつでしょうか?

そんな大げさなものではありません。ただ、やっぱり札幌本社しかないと、都内で行われるB2B向けの展示会に出ても、次の商談まで時間がかかり、実現しにくいこともあるので、打合せと作業が可能なオフィスを開設しました。それによって自社サービスの売上げが伸び、札幌という地方都市にいることがアドバンテージになったように思います。

東京での仕事は順調ですか?

おかげさまで(笑)。2014年には有名雑誌が期間限定で読み放題になる電子雑誌のフェスティバル「NEXT MAGAZINE」プロジェクトに参画しました。雑誌の電子化からトラフィックやアクセス解析などを手掛けさせていただき、学びや発見がありましたね。さらに、近代建築の巨匠ともいわれているル・コルビュジエのスケッチや設計図面などの資料を閲覧できる「ル・コルビュジエ・プランズ・オンライン」(http://echelle-1.net/)の制作にも携わることができました。

昨年リリースされたHTML5の電子チラシ『FLY5』のヒートマップ機能はユニークですね。

電子チラシのどこを見ているかはマーケティングにとって重要な要素です。多くの人が拡大して見ている部分は、サーモグラフィーのように色分けをして段階的に表示できるので、一目で関心の高い商品がわかるようになっています。時間帯別の閲覧数も表示できるので、販売戦略に役立ててもらえればうれしいです。

チラシ解析はじまるFLY5

発見し続けることで、働くことを豊かにしていきたい

牛をモチーフにしたLULERのロゴマーク

牛をモチーフにしたLULERのロゴマーク

ところで、もともと社長になることをイメージしたことはありましたか?

ないですよ(笑)!必要に応じていたら会社ができて社長になったという感じです。

経営理念である「発見のある組織」とはどういう意味でしょうか?

フリーランスのWebデザイナーになる前、いくつか会社勤めも経験して、会社とか、組織とか、働き方について深く考えた時期がありました。いまも完璧な答えを見い出せているわけではありません。でも、人は生きるために働いて、成長する過程を仲間と発見し共有できたら、人生はもっと豊かになると思います。成長し続けることは、発見し続けることでもあると思うので、「発見のある組織」を経営理念としました。

9期目に突入した今期の展望を教えてください。

今期は、Webソリューション事業(受託ビジネス)の見直しと強化に努めたいと思います。先ほど「マーケティングサポートを提供する仕事が増えてきた」と話しましたが、企業のオウンドメディアのブランディングや制作をサポートする方向で動いています。これはマーケティングとコンサルティングを兼ねるもので、パッケージにすると新たなサービスに発展できるのではないかと考えています。

ITベンチャーとして邁進していくのですね!

実は、全く違う分野で、ワイナリーの経営がしたいとも思っているんです(笑)。いますぐではありませんが、いつか実現したいです。最近、会社のロゴをリニューアルしたのですが、北海道らしく牛をモチーフにしています。ワインの販売は、Webマーケティングの経験を活かすのに適していると思いますね。

最後にどのような人と一緒に働きたいですか?

経営理念「発見のある組織」に共感してくれる人がいいですね。一緒におもしろいことをやっていきたいです。

取材日:2016年5月30日
ライター:石田真由美

株式会社ルーラー

  • 代表者名: 代表取締役 沼 博人(ぬま ひろと)
  • 設立年月: 2008年6月
  • 資本金: 800万円
  • 事業内容: Webサービス事業・Webマーケティングサポート事業・サーバー構築および保守
  • 所在地: 本社/北海道札幌市中央区南1条西20丁目1 アウルビル4F
          東京オフィス/東京都渋谷区広尾1丁目10-6-1203
  • URL: http://luler.jp/
  • お問い合わせ先: 上記サイトよりお問い合わせください

株式会社RBP

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株式会社RBP

映像制作、セミナー、イベント事業などを手がける株式会社RBP。代表取締役・永野 豪さんは、学生時代から仲間と数々の伝説(?)を作り上げてきたといいます。そこで味わった達成感が忘れられず、仲間が集まる場所「部室」を作りたいと始めたのがRBP。「上で会おうぜ!」を合言葉に、人と人との繋がりを大切にしてきた永野さん。人を楽しませるエンタメ精神と、時間や約束に厳しい高いプロ意識、そしてクリエイターを大切にするお人柄から生まれる、ユニークでPOPな世界観を体感してきました。

「学校が面白くないと感じるなら、自分たちで面白くしろ」

RBP設立以前は、テレビ番組制作をされていたとのことですが、テレビ業界を選んだ理由を教えてください。

株式会社RBP 代表取締役・永野 豪さん

中学時代にまで遡ります、PTA会長に「学校が面白くないと感じるなら、自分たちで面白くしろ」と言われたことがあり、それに衝撃を受けて、当時、『スクール・ウォーズ』の再放送に影響されていた僕は、仲間とラグビー部を立ち上げました。高校でも、3年間ラグビーを続けましたが、進路を決める時に「自分には何があるんだろう」と思い、誰もやっていないことをやりたいと、男20人の仲間を集めて劇団を作り、センター試験5日前にオリジナルの脚本で芝居を上演しました。その時の達成感から表現することに目覚め、大学では演劇サークルに入りました。高校時代に味わったあの達成感から「気の合う仲間と行動して、伝説を作りたい。その結果、生きている手ごたえを感じたい。形にしていきたい」という思いがあって、仕事にするなら収入と表現の2つの要素が揃っていないとダメだ!と思いました。それを実現できるのは、広告かテレビ。当時『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』が大好きで、プロの完成した笑いではなく、素人を面白く見せるのが好きでしたので、テレビ制作会社に入社しました。入社後は、一般の人たちをフィーチャーしたバラエティ番組を作っていました。

独立を考え始めた時、どのような心境の変化があったのですか?

組織には型があって、その中で構成も編集も直され、オペレーターのように作業し続ける状況が苦しくなってきた30歳の頃、身の振り方を考えました。
ちょうどその頃、親友の結婚式のためにドッキリ系の動画を作りました。会社の仕事でさえ忙しいのに、台本を書いて、ロケをして、徹夜で編集して(笑)。ところがDVDを持ってリハに行ったところ、映りません。ファイナライズをし忘れたのです。さすがに青ざめました。諦めきれず、仲間と一緒にデッキを探して奔走しました。結婚式が行われたのは、友人の地元である地方都市。知らない土地で民家を当たったり、カスタマーセンターに電話をしたり。最後の1件がダメだったら新幹線で一度帰って2次会までに戻って来ようと、最後にダメ元で入った駅前の不動産屋に事情を説明したところ、リサイクルショップを教えてくれ、そこにあった型番違いの同じメーカーのデッキで、なんと再生できたんです。泣きそうになりましたね。奇跡的に、ギリギリ間に合って友人からはとても喜ばれました。仲間と一緒にトラブルを乗り越えて結婚式が成功した、その達成感は仕事よりもずっと大きいものでした。帰りに仲間と褒め合い、テンションが上がり過ぎてホームを間違えて、新幹線を逃すほどでした(笑)。ラグビーや演劇で感じた、自分たちで作り上げて得る達成感がよみがえり、これを仕事にしたいと思いました。

オフィスではなく「部室」。
仲間が集まって夢を語り合い、ビジネスが生まれる場所

※画像/「RBP」ロゴマーク (キャプション)RBPとは、社名のRPBは、Relation Between People(人と人の繋がり)の略。

社名のRPBは、Relation Between People(人と人の繋がり)の略。

独立に向けて、何か具体的なきっかけがあったのですか?

友人がカフェバーをオープンしたことが、決定的な刺激になりました。お客様一人一人に挨拶をする充実した様子の友人を見て、やりたいことを形にしたその姿に「自分は何をやっているんだろう」と打ちのめされました。自分も学生時代のように、集まって語り合って、そこからビジネスや夢が実現できる居場所=「部室」を作りたいと思いました。独立する前にまず人脈を作ろうと、サークルからスタートしました。自分の力だけでは無理なので、仲間の力があればと思いました。それがRBP=”Relation Between People” (人と人の繋がり)です。

サークルを作ってから会社設立までを教えてください。

イベント続きでパーティみたいに楽しかったですね。「次は1,000人くらいの規模で大人の文化祭をやりたい」と居酒屋で盛り上がって「場所は赤坂BLITZとかSHIBUYA-AXで」とシャレで話していたら、翌朝、後輩から「赤坂BLITZ仮予約できました」と連絡が来て、この時は、さすがに、テンションが上がりました。個人で赤坂BLITZを貸し切ったのは、僕が初めてだったそうです。それまでサークル活動と仕事を両立してきたのですが、「これは腹をくくらなきゃダメだ」と会社を辞めました。
イベントに向けていろいろな人に会って、夢を語る中で、最終的には世の中でくすぶっている人の背中を押したいと思いました。学生時代からの合言葉、「上で会おうぜ」は、「一人一人がそれぞれの分野で成長して、突き抜けて、上で会おうぜ」という意味です。モデルやお笑いタレント、アーティスト、女子プロレスラーなど総勢200名以上がイベントへの参加を表明してくれました。そして、宣伝のために作った集客動画が効果を発揮して、当日は1,500人以上のお客さんが集まりました。その時にRBPの理念が生まれました。「一歩目はノリ!」「突き抜けたノリはマジになる!」「そこに本気の仲間が集まる!」「上で会おうぜ!」です。

集客動画やブランディング動画を事業の中心にしようと決めた経緯を教えてください。

イベントは成功したものの赤字でしたが、フェイスブックでイベントの記事がシェアされて名前が広まりました。その時、「好きなことだけでは食べていけない。“ライスワーク(食べるための仕事)”と“ライフワーク(人生を充実させるための仕事)”を分けるべきだ」と痛感しました。テレビ時代に身につけた企画力や映像制作力で企業のプロモーション映像作りを依頼されたので、それを事業の中心にしてきました。その後、大きな企業と契約を結べるよう、法人化しました。
さらに効果的な動画のノウハウを提供する『集客動画塾』や、その人の個性や魅力を突き抜けさせる『キャラ立ちワークショップ』(ブランディング)のセミナーや、オリジナルストーリーをテレビ番組のように作る劇場型結婚式『ゲキ婚』を手がけたり、親のやりたいことを映像に残す親孝行スタイル『親スタ』などの企画も考えています。どれも目の前の人のために一生懸命やった結果が、ビジネスにつながったものです。

映像のカッコよさはいらない。
お客様の個性を突き抜けさせる「演出力」が強み

集客動画やブランディンク動画で多いのは、どのような業界のお客様ですか?

集客動画は、“Before/After”を映像で表現できる治療院やサロンが多いです。ブランディンク動画は新入社員募集用です。経営者に幼少期から今、未来までをヒアリングして、世界観を3分の台本にまとめます。新入社員募集にはターゲットである若い人に刺さる面白い要素を入れます。例えば、小樽の寿司屋さんのPVでは極寒の中、海を背中に白衣で腕を組んでいる姿を撮りたいと言いました。「怒られるかな?」と思ったのですが、快諾いただいて撮影しました(笑)。
リーダーや経営者って、孤独なんですよね。自分では、「こんなに頑張っている」とは言えません。だから、代わりに僕らが映像で言ってあげるんです。そして、入社2〜3年目の社員の活躍を見せます。自分も頑張ればこうなれるというお手本です。これを「3分間情熱大陸」と呼んでいます。その寿司屋さんでは、社員との面談で動画を見せたら、「こんな思いがあったんですね」とみんなが泣いたそうです。そして多くの社員が定着したと聞いて、やって良かったなと思いました。

ヒアリングに力を入れていらっしゃるのですね。

仕事風景をキレイに撮っても、それはうわべだけです。ヒアリングで、10年後も色あせない強みを引き出します。

RBPならではの強みは何だと思いますか?

「演出力」です。僕は映像クリエイターというより、演出家です。その人の個性や魅力を突き抜けた映像で表現します。集客に困っているお客様は、キレイな映像ではなく、成約率・集客率アップを求めています。ホームページの改良、コビーライティング、リスティング広告……。動画以外にも手段があるかもしれませんが、弊社はお客様が必要としている効果を生み出すために、「構成力」や「演出力」を大事にしています。
また、エンタメっぽい親しみやすさ・楽しさも強みだと思います。僕は、テレビ、音楽、小説、演劇、いろいろなエンターテインメントが好きなので、僕が表現するものは自然とポップでエンターテイメントなものになります。セミナーでも、スーツではなくドット柄のシャツにジャケットを着るようにしています。これは、自分のキャラを際立たせるためで、弊社のセミナーは「ブランディング」ではなく「キャラ立ち」と言っていますし、このオフィスも「部室」と呼んでいます。バラエティ番組のような世界観がRBPらしさですね。

期日を守れる人がプロフェッショナル。
クリエイターの感性とモチベーションを守りたい

今手掛けている仕事と、これから手掛けたい仕事をまとめた、将来のホームページの構想。その時々で新しいアイデアに入れ替え、常にアップデートされています。

今手掛けている仕事と、これから手掛けたい仕事をまとめた、将来の構想。その時々で新しいアイデアに入れ替え、常にアップデートされています。

一緒に働く人に、どのようなことを求めますか?

弊社は、基本的にはプロジェクトごとに人を集めるスタイルです。「約束が守れること」つまり納期や期日を守れる人がプロフェッショナルだと思っています。あとはメールのレスが早い人。問い合わせて何日も返事がないと不安になりますよね。レスが早い人は安心して任せられます。そして「いいものを作ってお互いに高め合おうぜ」という気持ちのある人。
さらに、頼まれたことをやるのはプロとして当然で、その予想を超える「サプライズ」があって初めて喜ばれると思います。アレンジを加えるだけでなく、お土産やお礼の手紙を出すことでもいいんです。おもてなしの精神があると、また一緒に仕事をしたいなと思いますよね。

ご自身がクリエイターですので、他のクリエイターを大切にされている印象があります。

僕は依頼される・する、どちらの立場も経験していますから、両方の気持ちが分かります。クリエイターを守るために契約書を交わして条件をクリアにしています。クリエイターには2タイプあって、オーダーに忠実に作るタイプの人と、自分の世界観を作るタイプの人です。タイプを見極めて依頼するように心がけています。その人の感性とモチベーションを守りたいと思っています。

クリエイターにとっては心強いですね。では最後に、今後手掛けたいことや夢などを教えてください。

今後は映像制作会社から企画・プロデュース会社へ移行していきたいと思っています。ヒアリングをして構成・台本を作り、制作は外注し、コンセプトメーカー・演出家に集中していきます。映像制作まで手がけると、できる数に限りがあります。一番得意なことに特化することで、よりお客様に質(クオリティ)を還元できますし、時間をクリエイティブに使えますから。
将来的には、バーがあるコワーキングスペースのような夢を語り合える場所や、ニューヨークにも拠点を作りたいです。おもてなしの精神を大切にしながら、持っている技術を世界に発信したいというお客様が多いんです。そういう人たちのための拠点を作りたいと思っています。まずは、目の前にいる人たちを喜ばせて、その延長線上に海外の「部室」を作れるといいですね。

取材日:2016年6月7日
ライター:保坂久美

株式会社RBP

  • 代表者名: 代表取締役 永野 豪(ながの ごう)
  • 設立年月: 2013年6月21日
  • 資本金: 1,000,000円
  • 事業内容:映像事業/イベント事業/スクール事業/セミナー事業
  • 所在地: 東京都港区三田1-2-16プラザ麻布306
  • URL: http://www.rbp-tv.com
  • お問い合わせ先: 03-6809-3921 または上記HPの問い合わせフォームより

ハイクリエイティブ株式会社

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ハイクリエイティブ株式会社

ハイクリエイティブ株式会社は、今年4月に起業したばかりのスタートアップ企業。グラフィックを軸に、ウェブプランニングやブランディングなどを事業ドメインとして、質の高いクリエイティブを提供しています。代表を務める畠山 創(はたけやま そう) さんがクライアントとのコミュニケーターとしての役割を担い、得意分野の異なる3名のデザイナーがクリエイティブを支えています。

「今やりたいことをひたむきにやる」
バイトで、22の職種にチャレンジ

ハイクリエイティブ株式会社

畠山さんご自身は、これまでどんなお仕事をされてきたのでしょうか。

高校在学中、いつも頭にあったのは「今やりたいことをひたむきにやる」こと、でした。それこそ勉学ではなく(笑)。毎日のようにバイトに明け暮れ、友達と遊び、時間を持て余すことなく活動的な青春時代でしたね。
バイトについては、今しか経験できないと思い、22の職種にチャレンジしました。サービスやセールス、パワーワークなど何でもやりました。若いときに様々な職種を経験したことで、「知識と技術を備えた人間になろう」と心に決め、大学は建築学科に進みました。大学卒業後は、東京で商業施設のビジュアルプレゼンテーションを提案する空間プロデュース会社に入社し、昼夜のない仕事漬けの毎日を過ごしていました。商業施設が夜の8時に閉店して、次の日の朝10時に開店するまでに、売り場を全く別空間に変える仕事ですから、残業は当たり前の毎日でした。そうして4年働いた時に、とうとう体を壊して入院しました。無理をした、と自覚したので、入院を機に退職し、仙台に戻ってプロダクションでプランナーとして働いてきました。

VMD(ヴィジュアル・マーチャンダイジング)※1から広告プランナーに転職されたのですね。

そうです。プロダクションのスタッフは皆デザイナーです。そこで私は営業に専念し主に新規開拓をミッションに仕事をしていました。前職では、既存のお客さまが多く、大手広告代理店さまともお仕事をさせていただきましたが、広告代理店からの仕事はクライアントの声を直接聞くことができません。ですから、直接営業に伺いお取引できるクライアントを増やして、クライアントの風土や文化を肌で感じることで生まれる提案に重きを置いていました。

※1 お店やブランドの価値を視覚的に伝える「マーケティング活動」のこと。

「デザイン」で、クライアントの思いを伝え
地域社会に潤いや希望をもたらす

開業されて間もない御社ですが、クライアントにはどのような企業が多いのでしょうか。

仙台圏に拠点を持つクライアントがほとんどで業種はさまざまです。商社、ICT企業、コンサル会社、教育機関などで、会社設立後に新規でいただいてる案件は7割を占めます。
仙台以外での案件は、新規事業のスタートアップに携わる仕事が主です。

地域のクライアントとはどのような関係を築かれているのでしょうか?

常々考えているのは、「地元のクライアントと共に成長する」ということです。例えば、経営的には優良企業でもクリエイティブを経営資源として活用していないケースがほとんど。そこで我々は、ヒアリング、インナーブランディングを経て、これからのビジョンを踏まえたプランを立てます。この過程で次第にトップの意識が変わってくるのがわかります。その後「自社が地域にどう思われているのか」、「ユーザーからどう思われたいのか」という風に視野が広がり、トップ自ら社員へ働きかけ、社員を巻き込む流れを創ります。こうなると、クライアントが次の展開を想像し期待するようになり、次フェーズにおいては、制約が少なくなりクライアントとのコミュニケーションが深まります。そうなってくると、提案にもご意見をいただけるようになり、成果に向けて具体的行動を双方が行えるようになるのです。そうやって、我々はデザインでただ表面的なことを変えるのではなく、どう経営に活用できるのか、クライアントと共有していきます。

具体的にはどのようにデザインで課題解決するのでしょうか。

『三方良し』という言葉がありますよね。いい商売は売り手も買い手も満足し、その上、世間も良くなるものです。これに尽きると思います。経営上は達成されていても、外部とのコミュニケーションが取れていない場合があります。我々の「クリエイティブ」は、クライアントの思いを正確、かつ迅速に伝え、企業の向こうにある地域社会にも潤いや希望がもたらさせるような「見せ方」を提案します。情報を整理し、優劣をつけ、その会社がどんなミッションを持ち、ユーザーメリットを訴求し、社会とどう関係しているかを近接的に感じてもらえるようにします。

提案型で自由度の高いデザインコンサルファームとして

ハイクリエイティブ株式会社ロゴ

ともに働くデザイナーに求めることはどんなことですか。

お客様の前でクリエイティブのコンセプトを語れることが大前提です。
私が目指しているのは、コンサルティングに重点を置いたデザインコンサルファーム。クリエイティブな企画を一緒に作り上げられるスキルを身につけている人を求めています。
弊社は、残業は不要、と考えている企業なので、基本、土日出勤も、深夜作業も行っているスタッフはおりません。

職場環境を整えることに力を入れていらっしゃるようですが。

継続していくために一番大切なことは、働きやすい会社を作ることだと思っています。ですので、弊社の公休は135日に設定しました。有給は入社時に10日あります。できるだけ残業を減らし、休みを沢山つくることも私の仕事だと思っています。

フィーの少ない仕事ほど社会との接点がある
ソーシャル化で上がる、会社の価値

最近力を入れているプロジェクトを教えていただけますか。

街づくりの分野のとあるプロジェクトに取り組んでいます。震災があって、海岸部の居住エリアや街のありさまが変わったことで、東北では今、街づくりが注目されていますが、実は震災以前から取り組んでいました。丘陵エリアの住宅地が高齢化や少子化によって「住みにくい街」へと変わりつつありました。そこに危機感を覚えた有志が街の活性化のために東北大学や近隣駅、住民を巻き込んだプロジェクトを行い、コミュニティを作っています。これらは、全く報酬の発生しないソーシャルな取り組みですが、社会や地域を知り、その街の流れや人の想いに触れることができる、貴重な地域社会との接点だと考えています。

企業のソーシャル化も重要と考えていらっしゃるのですね。

ええ。営利企業だと言っても、今はソーシャルビジネスとのボーダレス化が進んでいます。どんな人でも、会社・組織人としての活動と、個としての活動に境目が無くなってきているんです。また、地域社会への貢献度も重要ですね。フィーの少ない仕事ほど、企業としての価値を高めてくれるのではないかと考えています。

今後、どのような企業に育てていかれたいですか。

私たちの会社にどんな価値があるかはお客様が決めることだと思います。一企業として継続していくためには、いつでも社会から必要とされなければならない。ヒーローのように、困ったときに頼りにされる会社でありたいと思っています。助けが欲しいときに思い出してもらえるような会社ですね。クライアントの期待を裏切ることのないプロフェッショナル集団であり続けたいと思っています。

取材日: 2016年6月9日
ライター: 影山祥子

ハイクリエイティブ株式会社

    代表者名(よみがな): 畠山 創(はたけやま そう)
  • 設立年月: 2016年4月
  • 事業内容: ブランディング、グラフィック、VI・CI、パッケージ
  • 所在地: 仙台市青葉区大町2-14-11-303
  • TEL: 022-797-1328
  • URL: http://hi-cre.jp/

株式会社Rise UP

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株式会社Rise UP(ライズアップ)は、カラーコンタクトレンズの日本最大級の販売店として成長を遂げた注目のベンチャー企業です。日本最大級のカラーコンタクトレンズECサイト「モアコンタクト(https://morecon.jp/)」を運営しています。
同社の核となるEC事業部 事業部長 小林 真大(こばやし まさひろ)さんに、Rise UPのこれまでと今後の戦略などを伺いました。

「カラーコンタクトレンズ」というマーケット選択が勝因に

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まずは会社設立の経緯を教えてください。

代表の東が20代でインターネットメディア会社に参画し、海外で事業の立ち上げを行った経験から、〝世界中の人に利用していただけるサービスを創りたい〟と考えるようになり、個人事業主として「RISE」を立ち上げ、その後2003年7月、現在の株式会社Rise UPとして法人化しました。

もともとはメディア事業からスタートして、なぜカラーコンタクトレンズを事業の柱になさったのですか?

現専務取締役の田中が入社し、ヘルス&ビューティー専門のEC事業を立ち上げたのがきっかけです。
2009年の薬事法改正前まではカラーコンタクトレンズは、医療機器ではなくオシャレ雑貨扱いで、改正後、「高度管理医療機器」として扱われることになるというタイミングでした。
その後、ECというオンライン市場だけでなくオフライン市場でも新しいマーケットを創出すべく、 卸事業を立ち上げました。
ただ商品を供給するだけではなく、当社のビジョンにもある「驚きや感動を提供する」=「売れる売り場づくりでお客様の期待値を超える」ことで価値を見出せると考えたからです。
これが大手メーカーやドラッグストアと取引する際、優位となり市場拡大に向けて舵を取りました。
結果として、このマーケット選択が、当社が飛躍を遂げた大きなターニングポイントとなりました。
現在では、カラーコンタクトレンズの売り上げが当社の90%以上を占めています。

顧客とタッグを組んでカラーコンタクトレンズの市場拡大へ

御社は商品企画にも力を入れておられると伺いました。
具体的なお話しを聞かせてください。

カラーコンタクトレンズ事業において、当社が行っているのは卸売業と小売業。製造は出来ないため、企画(OEM)という形で参入しています。レンズの企画はもちろん、店舗様のニーズにどう対応をすれば「かゆい所に手が届くのか」という点で当社は優れた提案を行っています。
商品の什器も当社オリジナルなんです。現在も自社のデザイナーが各店舗様のニーズに応じた販促物を作っています。「売れる売り場づくりで販売の常識を変えていく。」これが私達のミッションです。

現在、カラーコンタクトレンズのメインユーザーは何歳ぐらいでしょうか?

年代層としては10代後半~20代前半がメインですが、ナチュラルレンズの流行により30歳以上のユーザーもどんどん増えています。
だからこそOEMで参入する際は、自社サイト「モアコンタクト」の販売データーが大きな強みになります。メーカー様には各年代の嗜好に合ったレンズ、デザイン、コンテンツを提案、今後の流行についてもアドバイスを行い、企画成功に向けて両者で取り組んでいます。今後も顧客とタッグを組んで市場拡大を目指していきたいです。

カラーコンタクトレンズを安心して使える毎日を届けたい

御社が国内トップシェアを誇る要因は、どんなところにあるとお考えですか?

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自社の最大の強みは「BtoB」、「BtoC」それぞれにリーチしている点です。
そのノウハウを相互に生かし、13期で日本一を獲得しました。

「BtoB」ではドラッグストアとのつながりを強化、導入店舗も3,500店舗を上回っています。
「BtoC」においても、楽天やYahoo!など代表的なモールへの出店だけでなく、独自ドメインで日本一の売上高(当社調べ)を誇るまでになりました。この4月には、前年比200%の売上を達成し、国内で培った強みを活かし、海外進出にも力を入れています。

またカラーコンタクトレンズの卸会社で唯一、一般社団法人日本コンタクトレンズ協会の正会員としての認定を受けています。これは当社が品質管理やケア奨励も積極的に行っていることが認められた証です。大手メーカー様が名を連ねているこの協会に加盟していることは大きな強みです。

品質管理にも力を入れているとのことですが、これはリスク管理の一環でしょうか?

はい。カラーコンタクトレンズが雑貨から高度医療管理機器になった経緯もあり、ここは絶対無視できません。当社では高度医療管理機器承認番号を取得した商品のみを取り扱うよう、徹底的に管理しています。
オシャレのためとはいえ、カラーコンタクトレンズは眼球に直接付けて使用します。
そのため、違和感があった際には眼科への早急な受診を喚起、細かいケア方法も奨励しています。「人々を笑顔にしたい」という会社だからこそ、皆さんが安心してカラーコンタクトレンズを使える毎日をお届けしたいです。

国内で培った強みを活かして、アジアでもトップシェアを狙います!

現在、御社は「越境Eコマース」に力を入れていると伺いました。

はい。世界の越境EC市場の取引高が飛躍的に伸びている中、当社でも海外進出を始めています。まずは今期4月から「越境EC」として中国店を出店。日本ブランドのカラーコンタクトレンズを中国向けに販売していますが、早々に国内モール店売上に届きそうな勢いです。現在、海外事業開発部では中国人スタッフを雇い、現地のマーケティングをリサーチしています。
※ インターネット通販サイトを通じた国際的な電子商取引を指す。

なるほど。国が変わるとマーケティングも変わるということですね。

はい。国が変わると文化が変わります。もちろんアプローチ方法も異なってきます。
例えば11月11日は中国における「独身の日」。1(シングル)が並んでいることに由来しています。各企業がこの日にお買物商戦を仕掛けるため、世界最大のオンラインショッピングの日と言われています。中国をメインターゲットにしている会社は、この日だけで数千億以上を売上げる電子商取引のビッグディです。
それだけ大きくモノが動く日だからこそ、当社も売上を確保する戦略が必要です。

「越境Eコマース」の今後の展望についてお聞かせください。

カラーコンタクトレンズのポテンシャルは未知数ですが、中国でもトップシェアを狙いたいですね。
また中国はもちろん、台湾、韓国など製造を委託している国にもマーケットはあります。
今後も国内で培った強みを活かし、既存事業の海外展開を積極的に行っていきます。

小林さんは、まさにそのEC事業部でお仕事をされているということですが。ご自身の業務についてお話いただけますか?

はい。前職は大手ドラッグストアの店長をしていました。
現専務の田中から誘われて、Rise UPへの入社を決断しました。全く異なる業界への転職で、Eコマースの専門知識はゼロでした。しかし、Webか、リアル店舗かという点は異なっても、小売業のサービスという観点での考え方は全く同じです。ドラッグストアでの知識は今も大きな糧になっています。

入社後は商品部・物流部をまとめるバックオフィスを統括、強化する役割を担いました。
そして去年7月から現在のEC事業部へ移動し、「自分がやるべきことは未来に導くこと」という信念を持って、多くのスペシャリストと事業拡大に向け全力で取り組んでいます。

「人と人をつなぐ」ことが世界をつなぐ

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御社のホームページには、ビジョンとして「世界をつなぐエンターテイメントカンパニーを創る」とありますが、
具体的には、どういう会社を目指されているのでしょうか?

これは、常識や習慣に捉われず、変化を楽しみ「驚き」や「感動」を届ける事業を創出したいという代表の想いを言語化したものです。
「エンターテイメント」という言葉の捉え方は人それぞれですが、当社では、「人と人とをつなぐことを起点として、世界の多くの人に新しい価値観を提供すること」と考えています。

小林さんからみて、代表の東さまは、どんな方ですか?
お人柄を表すエピソードなどが、ありましたら教えてください。

代表の東は、「仕事は何をやるかより、誰とやるか」「みんなと一緒ならうどん屋でもいいよ」と話しています。人を大切にしています。

実は過去に、創業メンバーが離れてしまった時期がありました。
売上は順調に伸びている中、人が離れては本来創りたいエンターテイメントカンパニーにならないと痛感。これが経営者としての大きなターニングポイントになったと聞いています。だからこそ、東は社員同士、その家族、人と人とのつながりを大切にしています。
そして人の成長、教育体制に労力を惜しまないという経営スタイルを現在も貫いています。

御社が大切にされていることを教えてください。

「人を育てること」です。多様性を大切にし「個を尊重する」という考えが浸透しています。
ベンチャー企業なのでメンバーが自ら勉強する姿勢は必要ですが、同時に多くのチャンスが与えられています。例えば、当社では部署を超えてプロジェクトメンバーをアサインすることも多いです。自分の知らない得意が見つかるなど、社員が成長できる環境がここにはあります。

まさに、今もガラス張りのオフィスや会議室からその熱気が伝わってきますね。

ええ。オフィスは外から丸見えです。この規模であればメンバーを見渡せる環境にしたいという代表の意向が込められています。新オフィスでは代表も中央に席を構えているため、誰でも声をかけて話ができる状態です。
今も東がメンバー、一人ひとりと接点を持ち続けることを大切にしていいます。

また、フロアではメンバー同士が自由に意見交換をしています。
当社では何気ない日常からアイデアを出す習慣があり、それを体現するメンバーがいます。

明確なビジョンがあるからこそ、毎日がワクワクする

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オフィスの入口には、スタイリッシュなポスターが一面に貼られ、なんだか気分が上がりますね。

当社では全社、部署ごとにスローガンを決めています。ポスターは当社のデザイナーがメンバー用に作ったものです。今期、当社のスローガンは「ALL OUT!」。メンバー全員が力を出し切って成長を目指せるようにという思いが込められています。

当社では、個人に任される責任も大きいため、日々直面する状況や数字だけを見ていると追われる部分もあります。しかし部署ごとのビジョンが明確なため「そのための今がある!」と確信できるのです。これは仕事をする上で大変重要です。

メンバーが、ビジョンを行動に落とし込む仕掛けとは?

社内では社員の行動規範である8つの「Rise UPバリュー」を推奨しています。
人こそ会社の原動力だと考えているからこそ、社員一人ひとりが日々意識して行動することが大切です。
メンバーは、四半期ごとにミッションと共に、このバリューに関する行動目標を立てます。
項目を絞って「バリューをどう体現するのか」に挑戦することで共通認識が育まれ、組織を強くしていると思います。

最後にどのような方と一緒に働きたいですか?

会社の事業内容に左右されず、当社のビジョンやバリューに賛同できる方と一緒に働きたいですね。
当社の考える「エンターテイメント」という、視点や価値観が同じであれば何でも出来ると思います。Rise UPは、仕事を楽しみながら上昇志向があるメンバーが多い会社です。

代表の東自身も国内外の事業拡大だけでなく、新しい視点を取り入れた上で成長したいと思っています。ぜひ、高い志をもったクリエイターの方と一緒に働きたいですね。

取材日: 2016年6月20日
ライター: 清水真衣

株式会社Rise UP (ライズアップ)

  • 代表者名(よみがな): 代表取締役 東 信介(あずま しんすけ)
  • 設立年月: 平成15年7月
  • 資本金: 3,500万円
  • 事業内容: 卸事業/Eコマース事業/商品開発事業/事業開発
  • 所在地: 大阪本社 大阪府大阪市中央区博労町2-2-13 大阪堺筋ビル4階
  • URL: https://r-up.jp/
  • お問い合わせ先: 06-6271-7171

株式会社スケッチクリエイト

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今回訪問した企業は、雑誌の企画・編集や企業Webサイトのデザインなどを多く手がける札幌のデザインプロダクション「スケッチクリエイト」。独立までの背景と、ご自身のルーツともいえる農業分野でのデザインの可能性を探る新たな挑戦、単なるデザインプロダクションという枠にとらわれない今後の展開についてお話いただきました。

会社という器をデザインする経営者に

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御社の事業について教えてください

デザインプロダクションとして、紙媒体のグラッフィックデザインや、Webサイトのデザインを手掛けています。大手出版社の定期刊行物や、大手旅行会社の冊子、CI(コーポレート・アイデンティティ)としてロゴ制作が多いですね。最近はWebデザインの仕事も増えてきたとは感じていますが、やはり紙媒体の仕事が7割近くを占めています。出版社や広告代理店からのBtoBの仕事がメインで、企画や編集まで一手に請け負う雑誌やフリーペーパーの制作も行っています。昨年シリーズ最新号が発行された、札幌のスープカレーのムック本のアートディレクションも担当しました。こういった本もそうですが、企画の内容や規模によってはブレーンとなるライターやカメラマンとチームを組んで、一緒にプロジェクトを進めています。

デザイン業界を目指したきっかけは何だったのでしょうか

子どもの頃から絵が好きで、絵に関わる仕事をしたいと思っていました。昔はデザイナーという職業を意識したことがなく、絵に関わる仕事と言えばイラストレーターやアニメーターくらいしか思い浮かばなくて。とにかく“イラスト”と関係がありそうな札幌の専門学校を調べ、進学しました。東京や美大にも憧れましたけど、とにかくお金がかかるものですから、仁木(にき)町にある実家から毎日片道1時間半かけて通っていました。通学時に車内でよく本を読みましたね。卒業後は小さなデザインプロダクションに就職しましたが、その時はデザイナーではなく営業職としての入社でした。自分をどう売り込もうかと考えながら話をしていたら、「商談得意そうだから営業でやってみませんか?」と誘われまして(笑)。

ご自身がデザイナーだったわけではないのですね

学校ではデザインを学びましたが、結果としてデザイナーになったわけではないですね。顧みると学生時代も就職当時も、まだMacが一人一台という環境が整っていない時代でした。その背景もあってか、就職後のデザインプロダクションでは自分で手を動かしてデザインを組むことよりも、たくさんの案件をこなすために、メインでは営業及び制作ディレクターとしての動きをしていました。そのため、データの構造はわかるのに自分では操作できないという(笑)
その時は、いつか独立をしたいと思っていたので仕事が発生する過程も経験しておいた方が良いかなという気持でした。その後、役員として迎えてくださり、営業部長や新規事業として社内で立ち上げた企画部の部長も務め、取締役として5年務めた後に独立をして今に至ります。

途中、デザイナーへ方向転換しようとは思わなかったのですか?

デザイナーを志していたのに、結果として営業的な業務がメインなわけですから、一般的には夢が破れたかのように見えるのかも知れません。もしかすると、当時は多少そういう後悔の気持ちもあったかも知れません。とくにデザイナー志望の人間の視点では、対極的に見えると思います。しかし、その頃お世話になっていた成長著しい東京のデザイン会社の社長から「デザインとは何も紙の上だけのものではない。会社をデザインすればいいじゃないか。」と言われ、目からウロコが落ちました。そういう考え方もあるか!と。会社をデザインする=マネジメントですよね。そこで私の意識も大きく変わったのだと思います。

農業分野でデザインの新たな役割を構想中

ナログのほうが頭に入りやすいと農業新聞をスクラップして情報収集している。

アナログのほうが頭に入りやすいと農業新聞をスクラップして情報収集している。

現在、力を入れている分野は何ですか。

農業分野のデザイニングについて、昨年からかなりアンテナを高く張って活動しています。生産者と消費者をつなぐ広報・販促支援や、ブランディングのサポート業務を担う、農業の将来を描こう、という意味で「アグリスケッチ」と名付けました。現在、農業分野はとても注目度が高まっています。農地取得の法改正があったり、助成金も増えたり、様々な業界からの参入や、新たなビジネスがどんどん広がっています。農家という自己の背景を客観化するためにも、まずは知るところから始めようと思って、コツコツ情報収集をしてきましたが、プロジェクトも2年目になり少しずつ人の動きや業界の流れがわかるようになってきました。

どうして農業なのですか?

会社を起した時から、3期目には何か新しいことを始めようと決めていました。そこで実家の家業でもある農業について、クリエイティブな視点で考えてみようと思ったのです。農業分野におけるデザインの役割はまだ広がりがあると思いますので、競合も多いですがチャンスも多い、魅力的な分野だと感じています。また、デザインプロダクションである「スケッチクリエイト」を発展させるとは、どのようなことかと考えた時に、それは単にデザイン自体の受注件数を増やしたり、単価を上げたりといったことではないと思いました。デザインはあくまで手段であって、目的に対する企画とセットで取り組んでいくものですから。紙やWebデザインの制作案件を探すだけではなく、クライアントと目的を共有し、例えばヒアリング過程で新しい事業展開などがニーズとして出てきた場合は、そこを達成するための企画提案の部分から、参画していきたいと思っています。

具体的な成果物はありますか?

最近の仕事として、東京の大手仲卸会社からの発注で熊本産しょうがの品名シールを作りました。面白い仕事でしたよ。生産者さんも想定よりも相当インパクトがあったのか「すごいものが来た!」と、とても喜んでくれて、場が変わるとデザインの評価や位置づけも変わるんだなと改めて実感しました。

商品名シールとなると、商品の数だけありますものね

Webでも実店舗でも買い物をする時には必ず商品があり、そこにデザインの表現の場があります。見られる機会も多いですし、商品シールは比較的小さなものが多いので作業効率も良いです。会社を起す時に、最初は「A4サイズのものしか作りません!」くらい振り切ったコンセプトの会社にしようと考えていました(笑)。社名もAを4つ並べて「AAAA(エーフォー)」とか。格付けのトリプルAよりすごい!みたいな。何でもできるデザイナーが一番ですが、寡占化に埋もれます。そうでないなら何か得意なものに特化したほうがいいですし、さらに小さいものならコストやリスクも少なく参入しやすい。例えば、シールやDM、Webのバナーなど、考える時間はもちろん必要ですが、アイデアさえ決まれば実際の仕上げ作業の時間は10ページのパンフレットを制作するより短い、そして見られる機会は多い。我々のような後発の小さなデザインプロダクションが継続して利益を出していこうと思ったら、“最小にして最大”を狙って“最小のスペースに最大限尽くす”を実践したいと思います。

最小単位でフットワーク軽く活動できる、
多様な働き方ができる環境づくり

ところで事務所には、いわゆる「時短勤務」のデザイナーさんもいるのですね。

はい、16時までの時間で働いてくれている方も数名います。能力はあるけどフルタイムで働くのは難しいという方は、潜在的に多いと思います。特に主婦の方が多いのですが、そういった方々も能力を発揮できる場があるといいなと思っています。例えば、1日3時間しか働けないなら、その3時間でしっかりとした結果を生み出す仕事をつくれないか。作業時間の単位が細かいのであれば、必然的に制作物のサイズも小さい方がいいという単純な発想です。

先ほどの「小さい制作物」とつながる話ですね

私は、主婦の方は世の中で一番働き者だと思うのです。特に時間に対するコスト意識がものすごく高い。私自身も結婚して子供が生まれ、子育てをしながら働いている女性のたくましさにとても感心させられました。フルタイムでないと責任のある仕事ができないということではなく、そういった人たちに任せる仕事や働き方の仕組みを色々と考えて試しているところです。テレワークという手法もありますが、クリエイティブにマッチしたやり方を模索しています。例えば、今社内には私の妻も含め主婦が3人いるのですが、その3人で食品やキッチン用品のプロモーションプロジェクトを構想中です。「エプロンスケッチ」なんて名称を少し前から考えていたのですが、面白そうじゃないですか?実際に商品を使っている主婦ならではの実情に即したアイデアは貴重ですし、目線の近い方が考えたほうが効率も良いと思うのです。

「アグリスケッチ」の次は、「エプロンスケッチ」ですか!私も主婦なので参加したいです(笑)

これからは時間もそうですが、所属についても1カ所に縛られない、機動性の高い働き方が増えてくると思います。フリーランスの方がプロジェクト単位でチームを組んで動くのと同じようなイメージです。私自身も、昨年の7~11月は週に最低1日は事務所を離れて仁木町の実家で農作業をしていました。収穫業務に向かうという意識です。朝5時に札幌を出発していました。こうした往復を自分で体験として持つことで農業とデザイン業を包括できるような機能的な仕組みづくりができないかと考えています。私が経営者だから好きなことができるという話ではなくて、従業員側からもどういった働き方をしていきたいか、会社に属しているならその会社という場をどうやって上手く自分の将来に使っていくか、考えて行動していく時代になっていると思います。実(じつ)があってネットが活きる。基本は実業にあると思っています。

そういった働き方に、興味がある方は多いと思います。

私自身、できることは限られていてそう多くはありません。ですので、周りにいる優秀な方々の協力を得やすい環境や、関係・ネットワークづくり、そこで知り合った方たちと一緒にデザインを通してどういった貢献ができるか、農業分野も含めてですが、狭い視野ではなく複眼的に考えていくことが今後の私のミッションだと考えています。

取材日: 2016年6月10日
ライター: :小山佐知子

株式会社スケッチクリエイト

  • 代表者名(よみがな): 代表取締役社長 畑中裕有(はたなか やすなり)
  • 設立年月: 2013年5月
  • 事業内容: 広告、宣伝販促物の企画・編集・制作・広報コンサルティング、
          ウェブサイト構築、各種デジタルコンテンツの企画・編集・制作、など
  • 所在地: 札幌市中央区南1条東3丁目10-1-1北海道日伊文化会館 新館3階
  • TEL: 011-200-0701
  • FAX: 011-200-0702
  • URL: http://www.sketchcreate.jp/

有限会社アップルップル

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有限会社アップルップル

名古屋駅からほど近い名古屋市中村区のビルの5階にオフィスを構えるホームページ制作会社アップルップル。
専門知識がなくても自社によるWebサイトの運用を容易にしたCMS『a-blog cms』を開発、Web制作に携わる人たちのために年4回、200人規模のセミナー『WCAN(ダブキャン)』を開催、オフィスに併設しているコワーキングスペース『ベースキャンプ名古屋』を運営し、名古屋のクリエイティブ業界をけん引する企業です。代表取締役の山本一道さんに、起業からこれまでと今後のビジョンについて伺いました。

使いやすさを追求したCMS『a-blog cms』

2009年に開発した主力商品CMS『a-blog cms』の開発経緯についてお聞かせください。

1990年代後半から日本ではパソコンが普及し始め、それに合わせてインターネットが広がり、ブログからCMSへと時代が移り変わっていきました。2004年から2009年までブログシステムを作っていたことから、次は CMS という事で、2009年に完成、販売をスタートしました。
Web制作会社ならではのノウハウを生かしてWebサイトに必要な機能を便利に簡単に使えることをモットーに制作し、プログラムの知識がなくてもカスタマイズできるシステムが評価され、現在480の制作会社が採用、2,300件の利用実績があります。

CMS『a-blog cms』の一番の特長は何ですか?

プログラムの知識がなくても、ホームページが作れて更新できることです。CMSは一般的には、PHP言語がわからないとカスタマイズが難しいのですが、『a-blog cms』ならHTMLとCSSの知識さえあれば、ページの全コンテンツを更新できますので、会社にプログラミングの知識がある人がいない会社にとって、非常に重宝すると思います。更新の基本は、文章を入力して、写真の大きさ・方向・レイアウトを選択するという簡単操作です。また、価格やサイズなど入力する項目が毎回決まっているなら専用の入力項目を用意しているので、フォーマットに沿って分かりやすく情報が公開できるのも特長です。

ホームページを拝見しましたが、私のような素人でもできそうな気がするくらい、わかりやすかったです。

『a-blog cms』ならブログを書くように、いつも使っているWebブラウザからホームページの更新ができます。アフターフォローが必要ないように、工夫して作っています。

特に顧客に喜ばれている機能には、どんなものがありますか?

iPhone、iPad からでも、投稿・更新のためのiOS用アプリからログインすれば、外出先などPCの無い環境でも作成・更新が可能です。また、スマホで撮った写真をそのままサイトに載せることができるなど、現代人のライフスタイルにもあっていて、ホームページの更新を頻繁に行っても面倒でないことも利点です。

なぜ、使いやすさにこだわったのですか?

Web制作会社としての経験からサイト運営者がコンテンツを自由に作り育てていくためには、使いやすさと便利な機能が必須です。当時、Webの専門技術や知識が無くてもWebサイトを更新できるようにする技術への需要は非常に高いと感じていました。
弊社のCMS『a-blog cms』は、そういった企業の悩みや不満に応えることができると思います。

起業はアクシデント?!

有限会社アップルップル

起業の経緯を教えてください。

起業は正直事故のようなものでした(笑)。もともとはシステム開発の会社に7年間在籍し、プロバイダーが普及し始めた頃、プロバイダー会社に転職しました。そこで5年間、web制作関連の何でも屋のように幅広い業務を担当し、知識と経験を身につけました。その後、独立して個人で活動していましたが、近所でたまたま同業者が解散し、急きょその会社の従業員を受け入れることになりました。個人事業主として知多半島にある東浦町で3LDKのマンションの1室を借り2年程活動し、2004年 a-blog のリリースにあわせて法人化しました。

当時の社員数は?

当時から8人くらい社員がいました。12年目の現在も9人なので、あまり変化はしていないです。

名古屋のWEB制作者のためのセミナー『WCAN』を主催

年に4回、毎回参加者が200人を超える大規模なセミナーを開催されているそうですね。毎回応募が殺到すると聞きました。どんなセミナーなのですか?

『WCAN』は Web Creators Association Nagoya の略称で、2000年頃から始めた勉強会です。新人社員に覚えて欲しいことや、今、中堅社員に話を聞いて欲しい人という感じで、お題と講演者を選んでアプローチしています。

若い方を中心に新しいメンバーもたくさん参加されていると伺いました。

テーマや参加者を固定化すると顔触れも限定されてしまいますが、固定観念にとらわれず絶えず斬新なテーマを探す工夫をしていて、新しい顔ぶれが参加してくれています。だから共催として同業者のWeb制作会社も加わってくれているのだと思います。
ただ営利目的ではないので会場費などを抑えて赤字にならないようにするために人数は200人くらいを上限に締め切らせていただいています。会場費や講演料などを払うと手元にはほとんど残りません。

新人等、若い方だけでなく、中堅やベテランにとっても、とてもいい刺激になりそうですね。

弊社の扉を叩く人たちの9人中8人がWeb制作会社未経験の素人ばかりなのに、半年後には一人前に成長しています。これは、もともとモチベーションが高いのはもちろんですが、きっと『WCAN』などでいろいろな人から多くの刺激がいただけるからだと思いますね。

それとは別に社内勉強会も公開されているとか?

2年前から月1回のペースで開催し、先月24回目を無事開催しました。内内でやると「忙しい」という理由で延期になりがちですが、公開してしまって第三者が見に来るとなると、もうやるしかありません。だからWeb上で参加者を募り、社内で担当者を決めて、自分が現在取り組んでいるテーマやプロジェクトについて発表することにしています。だからうちの社員には、人前で緊張してしゃべれないという人はいませんね。

コワーキングスペース『ベースキャンプ名古屋』の開設

有限会社アップルップル

オフィスと同フロアにあるコワーキングスペースは、どんな経緯で開設したのですか?

元々は弊社のCMSをご購入いただいたお客さまのサポート拠点として開設しました。全国10か所で顧客向けのセミナーも実施していますが、フォロー体制を万全にするために設けた場所です。
それに加えて『WCAN』が盛況で、当日、個別に話し合うような会ではなくなってしまったので、気軽に意見交換できる小規模な勉強会のための場所が必要だろうということでオープンしました。

多くの方がいらしていて、とても活気がある印象を受けました。

とても格安で貸し出しているので利益にはなりませんが、平日は多くの方がこちらで仕事をしたり商談をしたりと賑わっています。

有限会社アップルップル

今後の展望について聞かせてください。

受託からCMSに注力していきたいと思っています。『a-blog cms』のバージョン 1 がリリースから6月で丸7年を迎えるので、便利な機能と新しいサイトの作り方を提案できる新しいシステムを提供したいと思っています。
現在は、過渡期でまだ新しいアイデアが具現化していているわけではないので、説明するのが難しいのですが、より便利なものを時代のニーズに先駆けて作っていく-というスタンスは起業以来、変わりません。これから日々の挑戦の中で一つ一つ形にしていきたいと思っています。

取材日: 2016年5月11日
ライター: 望月佑香

有限会社アップルップル

  • 代表者名(よみがな): 代表取締役 山本 一道(やまもと かずみち)
  • 設立年月: 2004年9月
  • 資本金: 300万円
  • 事業内容: Webサイト企画・制作・管理・運営、Webシステム構築・CI・VI開発、プロモーション企画・制作
  • 所在地: 愛知県名古屋市中村区名駅3-18-5 モンマートビル5F
  • URL: http://www.appleple.com/
  • お問い合わせ先: email: info@appleple.com
  • tel: 052-485-8577
  • fax: 052-485-8570

株式会社トンカチ

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HPを見るといろんなことやっている、何やら不思議な会社「株式会社トンカチ」。CG建築パースを始め、ロゴやパンフレットデザインを通してクライアントのブランド力を上げている会社です。できることをどんどん増やしたい、会社の枠組みを広げたいという代表取締役の右寺武志(みぎてら たけし)さんにお話を伺いました。

気がついたらやりたことが増えて生まれた会社なんです

株式会社トンカチ

まずは創業のきっかけを教えてください

高校の建築科を卒業後、専門学校で、当時話題になっていたSFX(特殊撮影)やCGを学びました。就職で周りが上京していく中、地元で職を探していました。

その後、地元(福岡)のN社に入社して、そこで初めてCG建築パースに触れました。4年ほど勤めましたが、バブル崩壊後で時期的に建築業界の景気も良くなく、なにより暇なことがつらくて辞めてしまいました。それから半年くらいブラブラしていたのですが、いい加減働かないとマズイな、と思って(笑)。

出だしから意外な展開ですね(笑)

Webに興味があったのでWeb業界を中心に就職活動をしていましたが、Webの実績がなく、代わりに今まで作った建築パースを見せていました。そんな中、とある会社の社長さんに「これで飯を食っていけばいいじゃないか」と言っていただき、最初は「PCを持ってないし……」「営業経験もないし……」とネガティブなことばかり話していたのですが、その社長さんから「PC(を買う資金)は親に頼み込めばいい」「仕事は紹介してやる」と言われ、マンションの広告を作っている会社を紹介していただきました。
それが独立して「kitchenspace」を立ち上げたキッカケでした。
当初は営業のやり方がわからず、電話帳を片手にとにかく電話をしたり、DMを送ったりしていました。自分でクリエイターの方を調べて突然のアポを取ったりして、業界のコトや仕事を教えてもらいました。

私達の強みは、エンドユーザーのことまで考えたデザイン。
利用してもらえるモノを提案します。

株式会社トンカチ

株式会社トンカチ

そこから建築パース以外のお仕事にも挑戦するようになったのはどうしてでしょうか?

しばらくは「kitchenspace」として活動を続けていましたが、CG以外の展開をしたく、屋号を「tonkati」に変更し、さらに成長できるように脱皮を考えたんです。

建築パースの仕事をいただくのはゼネコン会社からですが、その先にはお施主さま、その先にはお施主さまの建物、その先には建物を使用するお客さまがいます。
最後に使う「お客さま」のことを見据えて、ゼネコン会社や施主さまの希望に応えるパースを描かないといけない。
そうであるならば、お客さまの希望が叶うように、いろんなことを提案できたほうがいいと考えたんです。

本音はいろいろやってみたかっただけなんですけどね(笑)。
とは言え、やっぱり最初は建築パースのお仕事が多かったです。

現在は「株式会社トンカチ」として法人化し、少しずつ人数も増え、個人では手が届かなかったことまでできるようになり、ようやく動き出した感じです。
営業は苦手で断られると心が折れそうになるので(笑)、お客さまに知ってもらうための広報活動に力を入れています。

「株式会社トンカチ」の特徴や強みを教えてください

完成時に「イメージ通りのものが出来上がった」と言ってもらえるパースを提案しています。
エンドユーザーのことまで考えたイメージを心がけることで、クライアントから「パースが褒められて終わり」になることなく、利用してもらえるモノを提案できていること。これが私たちの強みです。
施主さまへ提案する時はパースの意図はもちろん、通りに配置した人物の意図まで全て説明できます。施主さまにパースだけではなく、利用されている場面を提案できるのが強みです。

海外の有名フルCG映画では、シナリオを何本も作り、いろんな学校で試写して反応がいいものを正式に公開するそうです。
そんな作り方はなかなか真似できませんが、お客さまの反応を一番大切にしているというところは私たちも同じだと思います。

福岡市内にある天神ハイム エントランス改修工事(実施例)

福岡市内にある天神ハイム エントランス改修工事(実施例)

仕事にすると変わるのは、必ず成果物がお客さんの目に触れ、
利用される・されないで評価されること。

株式会社トンカチ

今後の展望についてお願いします

幅広いことにどんどん挑戦していきたいのはもちろんですが、特にブランディングとマーケティングに力を入れたいと考えています。
名刺やロゴ、店構えやホームページなど、一つひとつのことがすべて繋がっていることなので、しっかりブランディングしていけるように、提案していきたいですね。

最後にクリエイターの方へメッセージをお願いします

きっかけは「CGが好きだからそれを仕事にしたい」でも大丈夫。
仕事にすると変わるのは、必ず成果物がお客さまの目に触れ、利用される・されないで評価されること。
自分の好きなことより、お客さまのメリットを考えたデザインが必要になります。
好き嫌いではなくお客さまや施主さまの視点でいいものをデザインしてください。

たとえばCG建築パースに人を配置する場合、「人を置いておいて」という指示を出します。
どんなお客さまがその建物を使用するのか考えて人物を選んだり、エントランス付近に人を多く配置して現実味を出したりと、ちょっとした事で見る人の印象は変わります。目の前のことだけでなく俯瞰してみて自己満足で終わらないようにしっかり考える力を身につけてください。

すでにクリエイターとして活躍されている方は、後進が安心して業界に入ってこれるように、プレイヤーで終わらずにステップアップしていける環境づくりに力を入れてください。

他には、個人的にクリエイターの仕事は農業に似ていると思っています。
お客さまに美味しいと言ってもらえるゴールを見据えること。土作りや種をまくことなど、目の前にある一つひとつの作業と、次の作業の準備、大雨や台風といった理不尽ともいえる自然環境への対応。
農業の経験で考えると自分がどの作業をしているのか、どこに繋がっているのかを見返す練習になると思います。
クリエイターに必要な「考え方」が身につくはずです。
ぜひ、みんなで農業をしましょう(笑)

取材日: 2016年6月17日
ライター: 西村樹

株式会社トンカチ

    代表者名(よみがな): 右寺 武志(みぎてら たけし)
  • 設立年月: 2012年8月
  • 事業内容: 建築設計支援業務・企画デザイン業務
  • 所在地: 福岡県福岡市中央区薬院3-16-27 薬院ビル4F(シェアオフィス薬院テラス内)
  • URL: http://tonkati.jp
  • お問い合わせ先:上記HPより「Contact」より

株式会社プレミアムアーツ

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株式会社プレミアムアーツ

ライブイベントで、3DCGキャラクターがアーティストとなり、人間のような動きでパフォーマンスをする。テレビ番組の生放送では、3DCGキャラクターが出演タレントと、現実のシーンのように共演する。ほんの少し前までは想像もできなかった光景を実現する企業があります。それが株式会社プレミアムアーツ。現実の世界と3DCGを融合するだけでなく、リアルタイムモーションの技術を駆使して合成された世界をリアルタイムに動かし、さながら現実の時間軸を持った光景であるかのような映像を表出することでエンドユーザーにその体験を提供しています。代表の山路和紀(やまじ かつのり)さんは、どんな経験を通じてAR(拡張現実)・VR(仮想現実)の分野にたどり着き、ビジネスを行っているのか。そしてこれから、どのような事業展開を考えているのか。市場の未来に馳せる思いを、じっくり語っていただきました。

ゲーム業界で培った技術を活かして
AR・VRのワンストップソリューションを提案

山路さんは会社設立まで、ゲーム業界で開発に携わっていたそうですね。

はい。1994年にセガ・エンタープライゼスに入社し、ゲームソフトの開発に従事していました。2000年にマイクロソフトへ移籍し、「Xbox」のソフト開発にも関わっています。

その後2003年に独立し、ゲーム開発会社を設立しました。以降は映画やアニメなど、ゲームというプラットフォームだけでなく、CGが使われる分野に幅広く取り組んできました。2015年7月に、「AR」(拡張現実)と「VR」(仮想現実)の分野に特化する企業プレミアムアーツを設立しました。

AR・VRに特化した背景を教えてください。

AR・VRへの注目度はここ数年で大きく高まってきましたが、今に始まったわけではなく、昔からある技術です。またこの分野でのサービスやソリューションは以前からあり、ここ数年の技術の向上や新しいハードの登場により、低コストでの提供が可能になってきました。つまり現実的なサービスとして、価格的にも技術的にも世の中に広く提供できるレベルになってきたのです。

またビジュアルを中心にして表現していく技術なので、「言語に依存しない」という強みもあります。「言語に依存しない」からこそ、国内だけではなくグローバルにソリューションを提供していくのに、テキストが多いコンテンツに比べてハードルが高すぎません。
それも大きな魅力だと考えています。

注目分野であるだけに競合も数多く存在すると思いますが、どのようにして差別化を図っているのですか?

私自身が22年間、ゲームを中心としたコンテンツ制作の業界に身を置いていたので、 クリエイターや協力会社との幅広いネットワークを持っています。さまざまな才能を活用して適材適所でチームを編成し、クライアントにワンストップで提案できることが強みです。

クライアントは、コンテンツについて必ずしも明確なアウトプットイメージを持っているわけではありません。ゲームやアニメを作る場合には監督やクリエイティブの責任者がいて、「こんなものを作りたいからこんなデザインで協力してくれ」といった形で、明確なイメージの元に受発注が行われることが多いです。一方で私たちのクライアントはAR・VRのプロフェショナルではない企業であることが多いため、私たち自身がアウトプットイメージを提案し、ワンストップで作り上げていくことが求められます。実現するための技術提案からデザインの提案、制作まで、ワンストップでソリューション提供できるところが我々の強みです。

目の前の風景にCGを重ねる……
屋外で活用できる「LiveAR」の技術

技術面では、独自のプラットフォーム「LiveAR」を展開されています。

「LiveAR」の技術を活用し、音楽ライブイベントやデジタルサイネージ、モバイルアプリ、テレビ放送、展示会などのさまざまな場面で、実際にソリューションサービスを展開しています。
「LiveAR」とは「実写動画にリアルタイムでCG映像を合成し、その映像をリアルタイムでアウトプットする」技術です。

リアルなイベントの場でも使えることで、従来のARとは違う世界を実現しているということですね。

はい。モバイルのアプリケーションでキャラクターを動かすということについては、すでにいくつかのソリューションが存在しています。私たちが展開しているのは、より高品質を求められるライブイベントでのARの活用です。大きなスクリーンに表示しても、ちゃんと品質が維持できる。また、さまざまなキャラクターをテクノロジーによって原作に忠実にCGで表現できます。

対象となるクライアントや事業領域が、一気に広がっていくのではないでしょうか?

サービスを提供できる業界としては、ゲームやエンタメから医療まで、いろいろな分野があると思います。取引するクライアントの業種は幅広いですが、取り組む事業そのものは AR・VR、およびそれに関連するサービスソリューションです。

今、世の中は、VRの分野に大きな関心を寄せています。今後数年間は、VR 分野でさまざまなサービスが登場することでしょう。当社の場合はもともと「LiveAR」に取り組んできた経緯もあるので、長い将来を見据え、VRのテクノロジーだけでなく、ARにも重きを置いていくつもりです。5年後、10年後、AR技術も大きく躍進し、ワクワクする様なサービス提供が可能になってくるはずです。VRは室内などの安定した環境で楽しむものですが、ARは現実空間に技術を重ねることができる。その時代が到来すれば、AR技術によってエリアや空間を限定しないソリューション提供ができるはずです。そんな技術力をさらに保有する企業であるよう、努力を続けていこうと思います。

ビジネス領域のARは、
時間をかけて一歩一歩、実現

最近のAR・VR関連市場の盛り上がりについては、どのように感じていますか?

私が注目しているのは、コンピューターが三次元の空間を処理してインタラクションを提供する技術が、加速度的にどんどん進化してきていることです。家庭用ゲーム機のハードもここ20年で大幅に進化しましたが、それが今ではスマホでも、同等の表現が可能になっています。今のスマホはプレイステーション3程度の能力がありますが、あと10年経ったら、同じ表現力を驚くような小さいハードで実現しているかもしれません。そしてそれを見るデバイスがますます小さくなったり、持ち運びが簡単になったりしていくはずです。「眼鏡のフレームにコンピューターを収める」ことも可能になるでしょう。

そのフェーズになったとき、どんな形でコンピューターを使って、どんな風にユーザーに合わせてオリジナルのグラフィックスを見せてあげられるのか。ワクワクします。さらには昨今のクラウド技術や、IBMの「ワトソン」に代表されるような人工知能の技術も相まって高まっていくでしょう。異なる国の人が会話するときに、翻訳された言葉が自動的に相手に伝わるような時代がやって来ます。コミュニケーションも含めて、私たちの生活は大きく変化していくはずです。

コンシューマー領域では、かつてSF作品で創作されていたような近未来のイメージが、まさに実現しようとしているのですね。ビジネス領域でも、ARの活用は一気に広まっていくとお考えですか?

テクノロジーを一般社会のビジネス分野で広げていくには、まだまだ時間が必要ではないかと思っています。エンタメ領域であれば、ある種の「体験」としてすぐに活用できるでしょう。また工場内や会社内といった閉じられた空間であれば、オペレーション改善や社内研修で使えるかもしれません。しかし、企業ごと、産業ごとにカスタマイズしていく必要がありますし、それぞれの分野で社会・風土・文化を進化させながらでないと対応が難しい部分もあります。エンタメ以外の領域で、ビジネスとして活用していくには、汎用的に活用できる技術の進歩も必要ですし、もう少し時間がかかるでしょう。

エンドユーザーが求めていることにこそ
正解がある

これからは、先行する技術に対して人間の価値観を追いつかせることが課題になりますね。

そうですね。我々のモノづくりは我々自身の欲求を満たすためのものではなく、ビジネスとして考えることを起点に、技術が価値ある商品開発につながるかどうかを慎重に検討しなければいけません。なぜなら技術を誇っていてもそれが価値ある商品にならなければ、商品そのものが社会に存在し、求められ、さらにより良い商品開発につながっていくというサイクルを生み出すことができません。自分たちが好きなモノを作る、どこよりも高い技術を求めるということは決して否定しませんが、プレミアムアーツとしては、日々躍進するグローバルレベルでの技術の進歩に伴って勉強することを怠らず、世の中に求められ、価値あるサービスを提供する会社でありたいと思っています。

クライアントの意向を大切にする、同時にクリエイティブでグローバルレベルでの先進技術も追いかける……。それを常に心がけています。そして社内スタッフには、「エンドユーザーが求めていることにこそ正解があるんだ」ということを常に話しています。

それが、結果的にはARの社会適合を加速させていくということでしょうか?

求められていないものを押し付けるのではなく、エンドユーザーが求めるニーズに合わせて答えを出していけば、需要も増え、さらにARの技術が求められるシーンが増えていく。そういうサイクルでのAR技術の社会適合を増進することに貢献する会社になりたいと考えます。

AR・VRに対するニーズをキャッチし、
市場を開拓していく集団へ

ありがとうございます。最後に、プレミアムアーツでともに働く仲間に対しての思いもぜひお聞かせください。どんなことを求め、どんなことを実現していきたいですか?

当社はまだまだ歴史の浅い会社で、少人数でやっています。新しい分野に対して気負いなく、スッと入り込んで、いつの間にか自分のものにしている、そしてそれを生かして新しい商品開発をリーディングしている。職種にかかわらず、そんなキャラクターと能力を求めています。

世の中が求めるサービスと、AR・VR に求められる技術力をうまく融合し、クライアントの要望を聞きながら、世の中に忘れられない商品展開をしていく。ポジティブなビジネスを展開しながら、さらに新しい技術や表現力を身につけていく。そんなエンジニアやデザイナーが集う組織として、今後も成長していきたいと考えています。

取材日: 2016年7月7日
ライター: 多田慎介

株式会社プレミアムアーツ

株式会社プレミアムアーツ

  • 代表者名 : 代表取締役 山路 和紀(やまじ かつのり)
  • 設立年月 : 2015年7月
  • 事業内容 : 1.AR開発とARコンテンツ企画・提案・運営事業
            2.3Dコンテンツ、ビジネスアプリ企画開発事業
            3.千鳥エンジン開発とライセンス事業
            4.各種ゲーム向け2Dグラフィック制作・
             3D関連制作事業
            5.2Dアニメ企画制作・3D映像制作事業
  • 所在地 : 東京都港区麻布台1-7-3 神谷町スクエアビル5F
  • URL : http://www.premiumartsinc.com/
  • お問い合わせ先 : 上記HP内の「CONTACT」より

株式会社劇団ニホンジンプロジェクト

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株式会社劇団ニホンジンプロジェクト

これまでの概念を破る全く新しいスタイルのエンターテイメント会社として全国的にも注目を浴びている株式会社劇団ニホンジンプロジェクト。昨年設立したばかりの同社は音楽事業をメインに、所属アーティストと運営スタッフの垣根なく、社員全員がエンターテイナーとしてステージに上がることで知られています。それぞれがアーティスト活動や制作活動を主軸にしつつ、広告代理業や飲食事業も行うという多彩ぶり。その活躍は目覚ましく、アイドルグループの嵐やSexyZone(セクシー ゾーン)への楽曲提供、地元50社以上へのCMソング提供、単独イベントでは5,000人以上を集客するなど、地元仙台では早くも多くのファンを魅了しています。今回は営業部長の川北さんとアーティトの佐久間さんにお話を伺いました。

最初のライブは観客13人。
今では5,000人を超えました。

かなりユニークな活動をされているようですが、まずは御社の事業内容を教えていただけますか。

川北氏:私たち『劇団ニホンジンプロジェクト』は、演者とサポートスタッフの垣根なく、社員全員が演者としてステージに立つという新たなスタイルでエンターテイメントを提供する総合エンターテイメント会社です。10名の社員がそれぞれミュージシャンやクリエーターとして、音楽事業、コンテンツ事業、イベント運営事業、広告代理業、商品開発事業、飲食業など幅広く活動しています。

佐久間氏:私の所属する『ニホンジン』という3人組バンド、『イセイジン』というサウンドプロデュースユニット、『ジョセイジン』というアイドルユニットや『マホウジン』というエンタメユニット、お笑い系の演歌歌手もいます。それぞれの活動の総称が『ニホンジンプロジェクト』です。

設立の経緯を教えていただけますか。

川北氏:私たちの会社は、MONKEY MAJIK(モンキーマジック)やGReeeeN(グリーン)など東北にゆかりのあるアーティストの創出やマネジメントを手がけるエドワードエンターテイメントグルーブ株式会社のグループ会社です。私はもともとエドワード社でMONKEY MAJIKのマネジメント業務を行っていました。新卒から4年ほど経験を積み、そろそろこの手で新人発掘を手がけたいと模索する中で、佐久間率いる東北大在学中のバンド『ニホンジン』と2011年の震災直後に出会いました。彼らに可能性を感じ所属契約を結んだ後、彼らのアーティスト活動を中心としたさまざまなコンテンツを企画し発信するようになりました。もちろん彼らは演者としてステージに上がりますが、CMソングの依頼があれば楽曲を提供し、制作活動も地道に行います。一方で、全く表に出ずに企業の広告やPR活動をお手伝いする広告代理業務も行っています。すこし複雑ですが、彼ら『ニホンジン』とその周辺のプロジェクトをエドワード社から独立させ、新たに法人化という運びとなりました。

設立は昨年ですが、それ以前から濃密に活動されていたのですね。

川北氏:ええ、そうです。初めてのライブは13年の7月。チケットは限定15枚と珍しさを売りにプロモーションしましたが、完売できなかったんです。これはまずいぞと尻に火がつき、高速道路のサービスエリアで1日20回のライブを行ったり、道路に机を出してチケットの手売りをしたりと、できることは何でも、ありとあらゆることにチャレンジしてきました。そういった地道な活動が少しずつ実を結び400人の会場が埋まるようになり、今年1月には5,000人もの人が会場に足を運んでくださるようになりました。

佐久間さんはニホンジン兼作詞作曲家という肩書きですが、どちらに重きを置かれているのでしょうか。

佐久間氏:私はニホンジンというバンドで演者として活動する傍ら、裏方としてクライアントワークも行っています。純粋に自ら設けたテーマで曲を作ることも、オーダーにしたがって曲を作ることも、自分にとっては自然なことで大きく区別しているわけではありません。どちらも、聞いてくださる方に伝わるようにということを常に心がけています。

株式会社劇団ニホンジンプロジェクト

株式会社劇団ニホンジンプロジェクト

身の丈にあった目標設定が
着実にレベルアップさせてくれる。

メジャーアーティストではない方々が仙台で5,000人も集められるというのは驚きです。

川北氏:最初のライブでは13人しか来てくれませんでしたからね、そこから考えるとかなり進歩しました。まずは400人収容の会場を埋めようと目標を立てて400人規模のライブを成功させることができました。そのときに佐久間が「いつかアリーナでライブがやりたい」と夢を語ってくれたんです。仙台には8,000人収容のアリーナがありますがそれを埋めるのはメジャーアーティストでも簡単ではありません。アリーナの前にまずはホールで5,000人の会場を埋めようと目標を立てて、今年の1月にそれが達成できました。夢のアリーナライブは今秋に予定していて、すでにチケットも販売しています。大きな目標として掲げていたアリーナライブをぜひ成功させたいと思っています。

それは楽しみですね。どのようなライブを予定しているのですか。

佐久間氏:ありがとうございます。もちろん『ニホンジン』が歌を歌うのですが、他のユニットも登場します。映像作品を流したり、ゲストにお越しいただいたり、一般の方をステージに上げるという企画も考えています。来てくださった方を笑顔にすることが私たちの目的なので、とにかく楽しんでもらえるものを考えています。

ファンの方はどのような世代の方なのでしょうか。

川北氏:家族で来ていただくことが多いですね。娘さんが先にファンになってお母さんと一緒に、ということもあれば、会社で話題になってお父さんが先に知り、奥さんとお子さんを連れて来てくださることもあります。学生さんも友達同士で来てくれますし、おばあちゃん世代の方もいます。私たちはチケットをほぼ手売りしているのですが、そこで直接コミュニケーションが取れます。ですから、お名前はもちろん、お仕事や家族構成、お住まいのエリアなどをお聞きすることも多く、いつの間にか知り合いのようになっています。そうすると、ライブ当日に観客席を見て「あれ、知ってる人ばっかりだな」という不思議な感覚になります。

局地的な活動で地域を沸かせ
仙台からムーブメントを発信したい

営業部長 ホームラン川北氏

営業部長 ホームラン川北氏

ファンの方々との距離がとても近いことに驚きした。
東京に進出することはないのでしょうか。

川北氏:それは考えていません。弊社の理念は、世代を超えたエンターテイメントを仙台から日本全国に発信することです。ですので仙台を拠点にするということが大前提です。地域を活性させ、ムーブメントを起こす。これがいつか全国的なロールモデルになり得るのではないかと考えています。実際に全国放送のテレビ局から取材を受けることもあり、とてもありがたいですね。

単に音楽事業だけでなく、広告代理業や飲食業にまで事業を拡大していることにどんな狙いがあるのでしょうか。

川北氏:ご存知のように音楽業界は今CDが全く売れないという厳しい状況にあります。これまでとは違って音楽好きの方だけでなく、お笑い好きの方、ローカルネタが好きな方、ゲームが好きな方、動画が好きな方、いろんな方が居ますので、弊社ではより多くの方のアンテナに届くプロジェクトを起こして、最終的に音楽業界に関心を持っていただけるようにしたいと考えています。

挑戦し続けることが新たなプロモーションへと変化。
個人の集合体としてのパワーを活かす。

多面的な取り組みが新しく、目が離せませんね。今後のビジョンを教えていただけますか。

ニホンジン兼作詞作曲家 エムサイズ佐久間氏

ニホンジン兼作詞作曲家 エムサイズ佐久間氏

佐久間氏:そうですね。とにかくみなさんに今よりももっと楽しんでもらえるものを創造していきたいと思っています。私たちはお客さんの笑顔が見られることが幸せなんです。私はミュージシャンであり会社員でもありますので、チームの仲間とともに、さらに新しいものを作っていきたいと思っています。

川北氏:宮城県に人を呼べるようなアーティストを創出したいですね。それが自分たち『ニホンジンプロジェクト』であればといいと思っています。私たちは全員が東北出身で東北観光大使にも任命されました。普段の私たちの活動を通して仙台や東北の魅力を伝えることができるように、他の地域の方がわざわざ仙台まで足を運んでくださるように、力を尽くしていきたいです。

取材日: 2016年7月19日
ライター: 影山祥子

株式会社劇団ニホンジンプロジェクト

  • 代表者名(よみがな): 金野 誠(こんの まこと)
  • 設立年月: 2015年6月
  • 事業内容: 音楽事業、公演事業、番組制作事業、広告代理業、飲食事業、商品開発事業など
  • 所在地: 宮城県仙台市青葉区本町1丁目11番2号 SK仙台ビル3F
  • TEL: 022-302-4243
  • URL: https://nihonjin.biz/
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